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はかが行く

【漢字】はかが行く 【読み】はかがゆく 【意味】効率がよく順調に進むこと。 【例文】口うるさい上司が休みなで、はかが行ってかえって仕事がはかどる。 【例文】昼寝をしたら、はかが行く。 「はかが行く」とは日常会話はあまり出て来ない言葉でもあります。 「捗が行く」とも書くことができます。漢字を見るとなんとなく意味が分かる方もいるかもしれません。意味は仕事の進み方が早くなって効率が良くなる事です。反対語は「はかが行かない」となり「仕事が進まない」という意味で覚えやすいので一緒に覚えておくと良いでしょう。また、この言葉は平安時代から中央語(京都語)として使われていたとわかっています。思っているよりも古くから使われている事がわかります。この言葉が変化して行って江戸時代からは「はかどる」と使われる様になりました。現代では此方の方がなじみ深いですよね。また「はかが行く」という言葉が日本各地に広がって方言としても残っています。 例えば「はかいく(=捗る)」「はかいかねえ(=はかどらない)」日本語の成り立ちや変化して行って方言が出来たというのがよくわかる言葉ではないでしょうか。応用としては「はかばかしい」の「はか」も同じ言葉です。順調に進んでいる様子を表す言葉です。そして想像出来る様に「はかばかしくない」が反対語となります。このように似た言葉の意味を拾って行くと聞き慣れない言葉でも覚えやすいのでお勧め致します。

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歯が浮く

【漢字】歯が浮く 【読み】はがうく 【意味】歯の根が緩むと浮いたような不快感になる。軽薄な言動に不愉快な気持ちになること。 【例文1】歯が浮く発言ばかりして周囲から嫌われる。 【例文2】マナーが悪く周囲の歯が浮く。 【例文3】嘘ばかり付いて歯が浮く。 他人への褒め言葉も度が過ぎると、歯が浮くセリフとして少し小馬鹿にされてしまいます。 あまりにも、ほめ過ぎて、逆に嘘くさくなって聞こえてしまうのです。いっている本人には、その気がなくても、あまりやり過ぎると逆効果になってしまうということです。 異性に対するほめ言葉の場合、気に入られようとしていった言葉が、例え本心であったとしても、逆に下心を感じさせて警戒心を持たせてしまいます。 上司や取引先に対してやり過ぎてしますと、信頼どころが逆に不信感を植え付けてしまいます。お調子者は嘘つきのレッテルを貼られてしまうこともあるかもしれません。 人を褒める行為は、決して非難されるべきことではなく、逆に素晴らしいことなのですが、いい方やその場の雰囲気にそぐわない方法を取ってしまうと、周囲の人は聞くのが耐えがたくなってしまうほど恥ずかしいものになってしまうのです。これが、歯が浮くシチュエーションなのです。 あまりにも露骨なほめ言葉は、逆に人に不快感を与えてしまう、といういい例えです。 よかれと思って言った言葉も、時と場所をえらばないと、単なるごますりやおべっかと同じに感じられてしまうのは、本意ではないでしょう。 何事もやり過ぎはよくないという事です。

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這えば立て、立てば歩めの親心

【漢字】這えば立て、立てば歩めの親心 【読み】はえばたてたてばあゆめのおやごごろ 【意味】子どもが這うようになれば次は早く立たないかな、立てば早く歩かないかなと成長を楽しみにしてる様子。 【例文1】生まれたばかりなのに祖父母は這えば立て、立てば歩めの親心で気が早い。 【例文2】這えば立て、立てば歩めの親心で見守る。 【例文3】孫の成長が這えば立て、立てば歩めの親心だ。 生まれた子が這うようになれば、親は早く立たないかと思い、立つようになれば早く歩くようにならないかと成長を楽しみに思う親心を言います。 親になったことがある方はおわかりになると思うことわざです。 わたしも結婚して2児の親。両家にとって初孫が生まれた時は喜びをかみしめました。1ヶ月を迎えると神社へお宮参りに祈願しました。健康ですくすく育ちますようにと願いを込めて両家で盛大にお祝いしたものです。 早く大きくならないかなとか大きくなったらなったで抱っこがきつくなって、 次は歩かないかなと思いました。歩いたら歩いたで、ちょろちょろして目が離せない。一日中子育てしているとたまにイライラくるから保育園に預けて働きたい。いざ保育園に預けるとなると、子どもが泣いていないかな?お友達とうまく遊んでいるかな?と心配でたまにさみしくなってましたね。 お便り帳にお友達と元気に遊具で遊んでいましたと書かれていると、 できることが毎日増えて嬉しくて次は次はと期待していました。

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背水の陣

【漢字】背水の陣 【読み】はいすいのじん 【意味】海を背に陣を取り、あえて逃げ場をなくし必死に戦う意味から、不利な中、全力を尽くすという意味。 【例文1】滑り止めなしの受験なので、背水の陣で勉強する。 【例文2】年齢制限もあり、今回が最後のオーデションに背水の陣で挑む。 【例文3】2名退場者が出たが、背水の陣で戦う。 私の子どもが中学受験をしました。 田舎に住んでいて、中学受験は珍しい土地柄です。受験校も一校しかありません。 仲が良かったママ友に、小学校四年生の終わりに、地元の中学校に行かないかもしれないことを伝えました。 そしたら、次の日から会話の中で度々嫌味を言われ、彼女の息子さんから学校で息子が少しいじめられるようになりました。 勉強には興味がないという顔をしたお母さんも、実は全然そんなことなくて、何か地雷を踏むと豹変するんだといい勉強になりました。 まだ五年生になる前でこの辺りでは、受験勉強を始めるには早過ぎる時期だったのに、そこまで悔しがる彼女が一緒に受験をしたいと言わなかったのが不思議です。 彼女の息子さんは、勉強はできる方でした。成績表は息子より良かったようです。 私の不注意な言動で、すっかり息子を窮地に陥れてしまい2年が過ぎ、いよいよ受験直前、最後の二ヶ月は塾で本番同様の直前演習が始まりました。 結果はすぐに返却されます。この時になって、息子は凡ミスを連発するようになりました。 あせった私は、ママ友のやっぱりねという顔を想像しながら、息子に叱咤激励の嵐。 息子はプレッシャーからか、更に順位を落としていきました。 浮上することなく試験当日になり、私はいろいろ考えてしまいました。 このまま受験失敗して地元の中学に通うことになれば、彼は更にいじめられてしまうかもしれません。 まさに背水の陣。背後には絶対に避けたい世界が広がっています。 この日の朝は怒るのをやめて、できないことはできないから、自分にできることを全部出し切ってきなさい。と声をかけました。 無事、息子は合格しました。 合格を知ったママ友は、私に声をかけて来なくなりました。 楽しく中学校に通う息子を見て、本当に良かったと毎日ホッとしています。 背水の陣と言う言葉ですがその意味は、切羽詰まった状況の中で、もう後が無い状況に身を置き必死になって物事に当たると言う意味を表しております。これは中国故事に由来されており「漢と趙の最終決戦」での漢の取った作戦から来ているとされております。漢の部隊はあえて川を背にした場所に陣を敷き決戦を迎えましたが、背後に川がある事から漢の部隊は退却する事が出来ない為、決死の覚悟で戦いに臨み、勝利を収める事が出来たと言う事です。現代の一般社会や生活の中では「戦い」では無く、起こった事柄に対する対応の仕方として使用されます。具体的な使い方としては、「受験の志望校は一校に絞り背水の陣で受験勉強に取り組む」や、「この仕事は背水の陣で取り組まないとお客から多大なクレームを受けてしまう」等の様に、とにかく後が無い状況に追い込む時に使用します。又、背水の陣の言葉は、物事がうまく行った時には良いのですが、うまく行かなかった時は全滅してしまう等の意味合いがある事から、その様な本当に窮地に立った時に使うのが正しい使い方であると考えます。同じ様な意味合いを持つ言葉としては、「絶体絶命」や「九死一生」等があると考えますが、言葉を使う前の「覚悟」を決める時に使用するのが適切であると考えます。 背水の陣の意味は、切羽詰まっていて、もう一歩もひけないぎりぎりの状況のことを言います。または、このような状況に身を置いて、必死に物事に取り込むことをも言います。これは、中国の「史記」准陰侯伝に記された故事からの言葉です。漢の韓信という武将が、川を背に陣を立て、味方に必死の覚悟を固めさせて、趙(ちょう)の軍勢を破ったという故事からできました。背水、すなわち川を背にして布陣をしたためにこの言葉が生まれたのです。背後が川では勝てば良いのですが、負けたなら逃げる場所がありません。全滅か溺死です。ですから、もう逃げ場がないと兵士たちは必死に戦い、自分よりも強い相手に勝つことになったのです。 では、現代ではどのような使い方をするのでしょうか。ただ苦しい状況になったときに言う言葉ではありません。ぎりぎりまでやらなかった宿題に追われる状況で、この言葉を使えばかっこよく聞こえるかもしれませんが、これは間違った使い方です。例えば、志望校を一校しか受験しないとか、この仕事を失敗したら退職しますと宣言したような場合は背水の陣に当たります。つまり、失敗したなら困った状況になるようにして、否応なしに頑張るしかないようにすることなのです。

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敗軍の将は兵を語らず

【漢字】敗軍の将は兵を語らず 【読み】はいぐんのしょうはへいをかたらず 【意味】戦いに負けた者は武勇について語る立場ではないという意味から、失敗した者は潔く失敗を認め弁解するべきではないという戒め。 【例文1】飲食店の再起を持ちかけられたが、敗軍の将は兵を語らずで説得力がない。 【例文2】事業に失敗した君が偉そうに敗軍の将は兵を語らずと一喝する。 【例文3】敗軍の将は兵を語らず認めたらどうだ? 私たちはよく先生や上司など、知識や経験が豊富で、また社会的地位があったりその方面で成功した業績のある人にアドバイスを求めることでしょう。是非力や知恵を貸していただきたいと感じるものです。逆に年下であったり、後輩、さらには失敗してこっぴどく叱ってしまったことのある部下にアドバイスを求めるには謙虚さが必要かもしれません。そんな時は部下のほうも良いアイディアがあるにもかかわらず、恐縮して意見を提出するのがなかなか難しく感じることでしょう。でもそのアイディアが大きな成功につながることもあるかもしれないのです。 中国の秦から漢の時代にかけて起きたある出来事をもとにしてできたことわざで、「敗軍の将は兵を語らず」というものがあります。韓信という漢の大将軍が周りの敵国をどんどん制圧していく中で、陳余という将軍と戦うことになります。陳余には李左車という部下がいましたが、彼は部下の助言を退けてしまったため、戦死してしまい、部下の李左車は捕虜になってしまいます。しかし韓信は李左車の能力を高く評価していたので、続く戦いにおいてどのような方法をとればいいのか尋ねます。その時に李左車が語ったのがこの有名な「敗軍の将は兵を語らず」、つまり戦に負けた自分に戦略を語る資格などない、という言葉なのです。このことわざは一般的に失敗した者、敗者に発言権などない、という意味で使われることが多いようです。しかしこの物語には続きがあり、戦に勝った韓信は諦めずに李左車に「遠慮しないでほしい、もしもあなたの上司の陳余があなたの助言を聞いていたなら、敗軍の将は自分だったのだから」と言ってアドバイスを求め、それに従ったため大勝利を収めた、という結末になったのです。 人は誰しも間違いをし、得意分野もそれぞれです。ただ年下だから、後輩だから、また失敗したからという理由で、意見を述べるチャンスを与えられないとしたら、それはお互いにとって損失となるかもしれません。自分がどんな立場で学びまた仕事をしているかにかかわらず、腰を低くして謙虚に教えを請うなら、違った角度からの新鮮なアイディアに気づかされることもあるでしょう。活到老、学到老、老いるまで学び続ける姿勢は大事ですね。

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