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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。 Powered by 手作り言葉辞典

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連木で腹を切る

【漢字】連木で腹を切る 【読み】れんぎではらをきる 【意味】連木で腹は切れないたとえから試しても達成できないたとえ。 【例文】3人も退場者を出して連木で腹を切るようなもんだ。 連木とは、すり鉢で物を擦る時に使う棒の事です。 ゴマを擦ったり、何かを擦りつぶしたりする時によく使います。 形は、握りやすいように少し太くて、先は丸くなっている少し長い棒です。 その連木を使って、刃物のように腹を切ることは、絶対できません。 刃物は、物を切れるように刃がついていて先が尖っていたり、厚さはなく薄い形状ですが、連木は、その逆の形状をしています。 つまり、「連木で腹を切る」という言葉の意味は、絶対にできないことをする、不可能な事という意味を指しています。 例文を挙げてみると、「世界一の大金持ちになって、一生遊んで暮らすなんて、まるで連木で腹を切るようなことを言っている」「太平洋を泳いで渡ってハワイまで行くなんて、無茶で連木で腹を切るような話だ」など、どう考えても、普通では不可能なことを言う人に対してこの言葉を使うことが多いです。 ほぼ不可能なことを言う人は、目標を掲げて言っているのでしょうが、どう考えても、実現できるような事ではない事を言うよりも、もっと現実的に、実現できるような、頑張ればできるような目標を掲げて言う方が、聞いた周りの人も応援したくなりますね。 あまり連木で腹を切るような事ばかり言っていると、信用もなくなってしまいます。 連木で腹を切るような考えは案外成功者向き 「連木で腹を切る」という言葉は難しそうに聞こえますが、意味を知れば簡単に使える言葉です。 「連木」とは、西日本の方言で「すりこぎ」を示します。 つまり、すりこぎで腹を切ろうとする、という、普通に考えたら不可能とも言えることをしようとすることの例えとして使われます。 類義語として、「豆腐の角で頭を割る」「切匙で腹を切る」という言葉も挙げられていますね。 しかし、どれを取っても、なんだか物騒な言葉に例えたんだな、という印象です。 最初にも言ったように、今は「不可能なことをしようとすること」という意味で使われている訳ですが、こうした考えをする人がいるからこそ、どんどん私達の生活が豊かになっているんだな、ということを改めて感じました。 普通に使っている電化製品一つを取っても、昔はそんな魔法のようなもの、と言われていましたよね。 そうした発明は、成功以前はきっと周囲には「連木で腹を切るようなもの」と言われたことでしょう。 しかし、変人と天才というのは紙一重であり、そうした考えの人は成功者になり得るものです。 人と同じ考えをしているのでは、大成功というのは難しいのかもしれませんね。 連木で腹を切るような突飛な発想を持つ人は、裏を返せば宝とも言えるでしょう。

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レッテルを貼る

【漢字】レッテルを貼る 【読み】れってるをはる 【意味】人や物に対して悪い評価を付ける。 【例文1】1回のミスでレッテルを貼られた。 【例文2】前科者は一生レッテルを貼られて生きていかねばならない。 【例文3】一回の遅刻でレッテルを貼る。 レッテルを貼ると言いきれるほど大げさなものではなくても、人はいろいろな人に対して、主観的な評価を与えてしまう事があります。 しかし、実際には全く違う性格の人で、自分の誤った主観を悔いる事もあります。 レッテルを貼られた人には何の罪もないのですが、それが本当だと信じられてしまと、まるで伝染病のように噂が拡大してしまうことがあります。 しかし、どんなレッテルを貼られたとしても、人の噂は75日と言います。 それが真実でないならば、問題をさらに大きくするよりも、放っておくのも一つの方法かもしれません。 人の噂は話題のネタになりやすいものです。 中には常に何かの良からぬアラ探しをしている人もいます。 さまざまなレッテルを貼られた方は良い気はしません。 また、レッテルを貼った張本人が逆にレッテルを貼られてしまう可能性も十分にあります。 人はどうしても他人を色眼鏡で判断してしまうところがあります。 自分の中で無意識にレッテルを貼ってしまうのは、ある意味仕方がないことなのかもしれません。 誰にでも、誰かほかの人や仕事で出会ったお客さん、上司などから、なんらかのレッテルを貼られた経験があると思います。それはよいものだったかもしれませんし、見た目だけでそのように判断されては困る!と思わず言ってしまうような、悲しいレッテルを貼られたことも、多くの人にとって経験があることなのではないかなと思います。 ところで、「レッテルを貼る」という言葉の「レッテル」ってもとをたどればどこの国の何という言葉なのか、ご存知でしょうか。実は、もともと「レッテル」とはオランダ語の「letter」からきている言葉なんだそうです。「letter」は英語にすると「手紙」あるいは「文字」という意味になりますが、オランダ語の「letter」もそれと似た意味の単語です。商品の名前や内容量など、その商品に関することを紙に書き、シールのように商品に貼りつける、いわば「ラベル」のような意味の単語です。日本語にするのであれば、「札」といったところでしょうか。 商品を説明するために貼り付ける札であった「レッテル」が、いつの間にか特定の物や人に対して先入観をもとに判断した評価や推定される人格のことを指す日本語の俗語になっているなんて、なんだか不思議ですね。

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歴とした

【漢字】歴とした 【読み】れっきとした 【意味】立派な、確かなという意味。 【例文1】彼女はああ見えて歴としたお嬢様だよ。 【例文2】若いけど彼女は歴とした立派なお母さんだ。 【例文3】彼は若いが、歴とした職人だ。 自立とはなにか、と聞かれて思い浮かぶことはなんでしょうか。 大体の人が「経済的自立」と答えると思います。社会人になり、親元を離れて、一人で立つことを自立といいます。 でも、もう一つ自立をするにあたり大事なのが「精神的自立」です。これがなかなかできない人が世の中には沢山溢れているように思います。 具体的に精神的自立とはなにをさすのか。 親に頼ったり、周りに頼ったりすることは自立とは言えないのでしょうか。 私はそうは思いません。 人間は頼ったり頼られたりして生きていく生き物です。頼ることが自立と言えないのなら、今生きている人間の中で本当の自立をしている人はおそらく皆無でしょう。 私の思う精神的自立は「人に大きな迷惑をかけないこと・人を不快にさせず自身が謙虚な姿勢でいること」です。 自分で出来ることは自分でして、緊急の時やどうしようもない時以外は人に大きな心配や迷惑をかけない、そして、人への尊敬と感謝の念を忘れずにいることが 本当の精神的自立と言えると思うのです。 経済的自立と精神的自立、両方が備わって初めて、歴とした自立と呼ぶことが出来るのではないでしょうか。 体や知識、社会的地位に財産、色々な面において成長していく我々ですが、一番その成長に伴っていないのが精神だと思うのです。 これから日本社会を担っていく一人として、いつかは「自分は歴とした自立をしたんだ」と胸を張って言えるよう精神を育んでいきたいです。

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烈火のごとく

【漢字】烈火のごとく 【読み】れっかのごとく 【意味】激しい様子。 【例文1】部活をサボって烈火のごとく顧問に怒られた。 【例文2】烈火のごとく彼氏とケンカした。 【例文3】バーゲンセールで烈火のごとく奪い合う。 運動会シーズンになると、毎年子どもと走る練習をやっています。幼稚園の頃からこの練習を始めて、6年生になったのでこの練習も今年で最後かなと思っています。 走る練習の目的は、徒競走で1位になる事やクラスのリレーの選手になる事です。本人の頑張りもあって、幼稚園から5年生まで徒競走は全部1位でした。今年は小学生最後の運動会だけに、また1位になって欲しいと思っています。 しかし、5年生の時の徒競走はかなり遅いスタートだったので、良くて3位かなと思いながら見ていました。毎年運動会には、履き慣れた運動靴で参加していましたが、その年だけ新品の靴で参加してしまい、スタートラインでいきなりスリップして出遅れてしまいました。 最近の学校のグランドは、水はけを良くする為に土と砂が混ざっているので、慣れない靴だと上手く走れないことがあります。その影響か、スリップからのスタートで最下位にいました。 それが、半分を越した辺りで烈火のごとく、追い上げを見せ1位でゴールしました。この時は、親バカですが、鳥肌が立ち感動しました。 この時例え1位になれなくても、頑張ったなら良しと思っていたので、あの烈火のごとくの走りはこの先も思い出に残ります。

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歴史は繰り返す

【漢字】歴史は繰り返す 【読み】れきしはくりかえす 【意味】過去に起こった事は時代を経てまた繰り返し起こる。 【例文1】歴史は繰り返すと言うが、戦争は絶対にしてはいけない。 【例文2】歴史は繰り返す悲劇が起らないよう願う。 【例文3】歴史は繰り返す凶悪犯罪を食い止める。 ドナルド・トランプ氏がアメリカの大統領に就任してからというもの、世界の情勢が目まぐるしく動いている気がします。 シリアへの攻撃やISへの爆撃などに続き、朝鮮半島もかつてないほどの緊張状態に包まれています。 朝鮮半島は中国やロシアなど大国に囲まれた地域であり、さまざまな思惑が交錯している中でアメリカの艦隊が展開し、北朝鮮を刺激することになれば日本も被害を被る可能性はゼロではありません。 「歴史は繰り返す」と言いますが、戦争の歴史だけは絶対に繰り返してはいけません。 とはいえ世界のどこかでは今も戦争が起こっているという矛盾もあります。 しかしもし万が一「世界大戦」に発展するような戦争が起これば、その時に使用される武器の中には核兵器も入ってくるはずです。 第二次世界大戦時にはアメリカしか持っていなかった核兵器を現在では北朝鮮も含め多くの国が所持していることを考えれば、第三次世界大戦が起こった際の被害は計り知れません。 天才物理学者アインシュタインは「第三次世界大戦で使用されるものが何であるか分からないが、第四次世界大戦で使用されるものは石とこん棒だ」と述べています。 人類の進歩はよりよい生活をもたらしましたが、戦争においては甚大な被害ももたらしています。 次に世界大戦が起こったとき、人類は進歩した技術によって自らの文明を崩壊させてしまうことのないようにと願って止みません。 歴史は繰り返すという故事の意味はについてまず紹介します。 この故事の意味は、過去に起こったことは同じような経緯をたどり、やがて再びやってくるということを示します。 この言葉の表現においては、一般的には比較的悪いことや、負の遺産について繰り返しやってくる場合によく使われます。 例えば、企業の粉飾決算はひいたるものであると思います。 現在、大きな話題となっている東芝グループの粉飾決算は、まさに歴史を繰り返すという言葉が似合う状況です。 東芝グループ自体、これまでも繰り返し粉飾決算を実施しては、払拭決算が明るみにでて、以後、再発防止策を検討し、改善をすすめる、というサイクルを繰り返し続けられています。 一方、その他の企業においても、粉飾決算がなされ、世間の明るみになるというパターンが多いのですが、その粉飾決算がなされる際の根本的な原因は隠蔽です。 隠蔽により、時間は稼げますし、その場しのぎで対応できるのですが、長期的に見ると、全く意味のない効果となります。 このような隠蔽体質はすぐに変えられるようなものではありません。ただ、繰り返し訴え続けることにより、根本的な体質改善がなされる場合もあります。 繰り返し訴え続けることがまず大事です。

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レールを敷く

【漢字】レールを敷く 【読み】れーるをしく 【意味】物事が順調に進むようにあらかじめ準備をしておく。 【例文1】代々医者の家系なので親の敷いたレールを歩むしかないのだ。 【例文2】レールを敷くのも親の役目だ。 【例文3】親の敷いたレールに従うつもりはない。 子どもをもつ親であれば、子どもの人生に責任を感じて当たり前です。その結果、レールを敷くことが必要だという結論に達する人も多いです。自分が子どもの時を思い起こしてみると、私の親はレールを敷くタイプであったものの、あまり教養もお金もなかったので、口煩い母親という印象でした。 自分が親になり感じたのは、「レールを敷くなら口だけではなく行動で表す」ことです。子どもが将来に一流大学に入り、一流企業に就職することを親として子育てのゴールだと決めたのならば、「勉強しなさい」と口で言うだけではなく、一緒に勉強をする、教養のある話題を意識的にふる、子どもの本代や塾代をケチらず充分に出すなどの心構えが親にも必要なのだと思います。中途半端な学歴に終わった私が思うのは、親がきちんとレールを敷いてくれて導いてくれたら、私の人生はもっと輝かしかったかもしれないと親のせいにした事もありました。 子どもには、自分の将来について現実的に考えるだけの想像力はないと思って親がレールを敷きたがりますが、最終的に決めるのは子ども自身です。 親はレールを敷くだけではなくサポートも大事です。 「レールを敷く」とは、前もって準備や用意をしておくことで、物事を順調にすすめることをいいます。本来ならば、それなりに前向きな意味合いを持つはずですが、「敷かれたレールの上を歩く人生」など、受け手側の気持ちとして、ネガティブな使われ方をすることも少なくないようです。 そこには、「自分のやりたいようにさせてもらえず、他人の決めた道筋で自分の行動が制限されている」というような意味が含まれているからだと思われます。 たしかに「レールを敷く」となれば、まさに電車が走るように、寄り道のしようのない、まっすぐな一本道をイメージします。電車の意思など関係ありません。 しかし、私は社会人になって20年近くを過ごし、「敷かれたレール」の上を走ったことも、他人のために「レールを敷いた」ような経験もありますが、私個人の感覚ですと「レール」というよりはむしろ「舗装された道路」のような受け止め方の方がしっくりくるような気がします。 道路もレールと同じ様に、行く方向、目的地がはっきりしています。道路をあらかじめ地ならしすることで、後から来た人が走りやすくする作業をします。 レールと違うのは、道路には「道幅」があることです。道路を走る人が、自分が思っているよりまっすぐ走れていなかったり、右往左往してしまったりしても、わりと道幅を広く作っておけば、車線からはみだすことなく、最終的に決まった目的地に導くことができます。 目的地に到着する過程で、レールの上を電車が走るよりは時間もかかり手間取ることもあるかもしれませんが、それらの経験を生かして、前回より今回、今回より次回と、走り方(運転)が上達していければよいと思います。そのうえで、自分に合ったやり方で、しっかりと目的地にたどりつける方法を身につけることが大切なのではないかなと思います。 「敷いたレールの上を電車が走るように」といわれるとなんだか窮屈な感じがしますが、「目的地に向かって迷わず走れるように」と思うと、レールを敷く側も敷かれる側も、仕事のやり方に少し余裕ができるかもしれません。

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例によって例のごとし

【漢字】例によって例のごとし 【読み】れいによってれいのごとし 【意味】変わった事もなくいつもどおりの様子。 【例文1】結婚式でのあいさつは例によって例のごとし。 【例文2】恋人ができず、例によって例のごとく寂しいクリスマスを過ごす。 【例文3】職場の女性にフラれたが、例によって例のごとし。 「例によって例ごとし」とは、いつものことがまた起こっている変わりばえのしないことを言います。 毎回毎回繰り返されて結果は同じなのに、まだ存在し続けている、また居残り続けているものって、この世には意外と多くありますよね。 長寿番組って意外と多いです。NHKのど自慢とか、テレビ開局前からあってその後も現在まで続いている番組です。他にも50年、40年と続いている番組は多くあります。 テレビは同じ結果にたどり着くまで色々なドラマがあるので、多少は変化があるでしょうが、もっともっと毎回同じ現象であれば、好まれはせず、うんざりという感情が絡んで来ることもあるでしょう。 例えば、仕事で疲れて帰って来たというのに、子どものことで聞かれたことを答えたら、あなたは分かってないといわれて小言が始まってしまうパターン。 例えば、職場で忙しいときに、苛立った年配の上司に話しかけただけで怒られて、被害を受ける結果。 抜け出せない繰り返しに苦しめられている場合、例によって例の如しなんて、悪夢の世界ですね。対象が人間であれば、もう因縁さえ感じます。 それが人生なんですかね。なんて大きい話になりましたが、悪いことばかりでないのが人生ですから、あまりげっそりして思いつめずに、のど自慢大会でも見るか、気分転換しましょう。毎回同じパターンは安心もありますが、毎回変化のあるのも楽しいと思います。同じ繰り返しに陥っていると思った人は、変化のある道を歩まれてはいかがでしょうか。

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例に漏れず

【漢字】例に漏れず 【読み】れいにもれず 【意味】いつも通りという意味。 【例文1】講習参加者は例に漏れず毎回女性ばかりだ。 【例文2】今年もまた例に漏れず寂しいクリスマスシーズンを過ごす。 【例文3】例に漏れず年末年始の高速は大渋滞だ。 「例に漏れず」を辞書で調べてみると、「いつもと同じで、例外ではなく」とあります。 また、「例によって」「例のごとく」「ご多分に漏れず」など、似たような意味の言葉もいくつかあります。 どれも古めかしい言い方ですが、「いつもと同じように」「みんなと同じように」と言い換えればわかりやすいのではないでしょうか。 最近、「これらの言葉の意味がわからない」という意見を目にする機会が増えてきたように感じます。 一体、なぜなのでしょうか。 まず考えられるのは、単純にこの言葉に触れる機会がなかったか、あっても関心がなかったということ。 国語の教科が嫌いだった人、読書の習慣のない人に多いかもしれません。 もう一つ、理由として想像するのは、「例」「ご多分」という考え方自体が、どんどん古びているのではないかということです。 「例」「ご多分」とは、「これまでにあった状況」「広く一般的な状況」を指します。 そして、これらの言葉が、いま少しずつ死語になりつつある。 言葉=認識だとしたら、その認識そのものが死につつあるのかもしれない、と思うのです。 「これまでにあった状況」も、その時その時の個別なものと捉えられ、共通性が理解されていない。 「広く一般的な状況」に至っては、この多様性の時代、最もレッドリストに載っている考え方ではないでしょうか。 「例に漏れず」……ひとつの言葉と、それを取り巻く状況から、時代が見えてくるような気がします。

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冷汗三斗

【漢字】冷汗三斗 【読み】れいかんさんと 【意味】強い緊張感や恐怖心を抱いたり、恥ずかしい思いで冷や汗をかく様子。 【例文1】山で道に迷って一夜を明かした時は冷汗三斗だった。 【例文2】彼女の両親に挨拶をしに行った時は冷汗三斗の思いだった。 【例文3】新郎スピーチでは冷汗三斗だった。 「れいかんさんと」と読みます。 「冷汗」は冷や汗のことです。「三斗」は量を表します。「斗」は容量の単位で、「一斗」は十八リットルです。「三斗」は、量の多いことを表します。 意味としては「恐怖や恥ずかしさから、体中から冷や汗が流れる」です。 現代ではあまり聞きなれない言葉です。 私がこれまで大量の汗がでるくらいに緊張したのは大学受験でした。センター試験では緊張しなかったけど、やはり本番では手に大量の汗をかいて脇汗までかいてしまったくらいです。本当に三斗くらい汗が出たのではないかというくらい緊張しました。 家計の負担を考えて滑り止めを受けずに国立1本で挑んだせいかプレッシャーが半端なかったです。結果は合格で嬉しさのあまり母と抱き合って喜びました。 涙は一斗くらい出ました。もうあの時のような冷汗三斗をする思いはしたくないです。 「冷汗三斗」の「冷汗」は物凄く恐れ、恥じ、気を遣う時に出る冷たい汗のことです。それを三斗というと一斗が15kgですから45kg、おおよそ「小型の洗濯機一杯分くらいの冷や汗をかくこと」のことです。どんな時か?NHKの「おんな城主 直虎」で今川氏に徳川への寝返りを疑われ、偽の手紙に招かれて井伊直親が偽の徳川家康と鷹狩に出かけ、その事実を今川に呼び出された小野但馬守が、今川義元の母である寿桂尼に目の前で突き付けられ、問い詰められた場面。小野但馬守の蒼白になった顔はまさに、冷汗三斗の表情でした。高橋一生さんの見事な演技で緊迫した場面での彼の心の内の葛藤がよく伝わりました。また、国民的な人気を誇った「水戸黄門」でも最後の15分でばれないと思ってした悪事が、黄門様と連れの助さん、カクさんに暴かれ、徳川家の家紋の入った印籠(昔の薬入れ)を目の前に突き付けられ、悪人が冷汗三斗。印籠の前にひれ伏して、一同お役人に引っ立てられて全面解決です。勧善懲悪の胸のすく、お決まりの展開に究極のワンパターンと揶揄されつつも、視聴率が取れて何シリーズも何十年も続き、不動の地位を確立していましたね。若いころに出演していた由美かおるさんが、終わりの方の作品に再び登場し円熟した演技を見せたのも時の流れを感じさせました。このように身に覚えのある「冷汗三斗」なら別ですが、そうでない「冷汗三斗」は心筋梗塞が疑われるので病院受診をオススメします。

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例外のない規則はない

【漢字】例外のない規則はない 【読み】れいがいのないきそくはない 【意味】どんな規則にも適用できない例外がある。 【例文1】例外のない規則はないから何とか解決策を考える。 【例文2】例外のない規則はないという事で今回だけ許しが出た。 【例文3】例外のない規則はないと、悪天候による遅刻は認める。 例外のない規則はないとは、どんな規則や法律にも律しきれない例外はつきものだと言う慣用句です。似たような慣用句を英語では、There is no general rule without some exceptionsと言います。規則とは、それに基づいて行為・手続き・操作が行われるように定めた規準。きまり。掟。とありますので、絶対という意味ではないようです。その99%決まったことの外、1%の部分を例外と呼んでいるようです。ちょうどいい例え話があります。法律上、未成年の飲酒は禁止されておりますが、アルコール度数が1%未満のノンアルコールビールは分類上、清涼飲料水なので、未成年が飲んでも法律的に問題ないとされております。これはまさに規則の中の例外ではないでしょうか。しかし実際にコンビニなどで買おうとすると、年齢確認が必要になるようです。理由は、20歳以上を対象として作られた商品だからです。清涼飲料水なのに、20歳以上を対象として作った商品だから年齢確認が必要だとしても規則の中の例外が発生しております。アルコールで言えば、酒税法で1%以上の飲料が禁止とされておりますので、飲料以外なら合法というのも例外です。例えば、ウイスキーボンボンや奈良漬けなどにはアルコールが入っておりますが、どの世代が買っても年齢確認はされません。しかし道徳的な問題や健康面の配慮もありますので、アルコールは20歳になってからにしたほうがいいでしょう。

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