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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。 Powered by 手作り言葉辞典

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病上手に死に下手

【漢字】病上手に死に下手 【読み】やまいじょうずにしにべた 【意味】軽い病気でもすぐに医者にかかるような人こそかえって長生きをする。 【例文】病上手に死に下手というから風邪を甘く見てはいけない。 ちょっと風邪をひいた位で医師の診察を受けに行く人と、風邪をひいても無理して仕事などを頑張る人がいます。若い内は影響がないようですが、病気に敏感な人とそうでない人は勿論、個人差はありますが、長い人生の後半では何かしらの影響はあるかもわかりません。自分自身が人生の後半になり、そう思う日々です。それと言うのも慢性疾患を抱えてから余計、そう思うようになりました。特に高血圧や糖尿病、腎疾患など自覚症状が現れにくい疾患は、なおさらであり、症状が何かしら出た段階で気が付く場合が多いようです。まさに健康寿命は、場合によっては、そこで終わります。問題は、その時点から死までの寿命を、どう延長させるかが問題です。病気の悪化を予防するべく定期的に受診して検査値の変動に気を配り薬剤の服用を怠らず、注意するのか、或いは、「病は癒ゆるに怠る」の格言があるように、治りかけで油断して却って再発を招く場合もあるかと思えば、いやいや、まだまだ自分は若いから無理が効くので大丈夫と甘く見て、健康診断、受診や薬剤の服用を怠り、生活習慣の改善を怠る場合では、結果的に健康や病気に敏感で医者通いをしている人の方が人生が長くなる可能性があるかと思います。

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藪医者

【漢字】藪医者 【読み】やぶいしゃ 【意味】野暮な医者がなまって藪医者となった説がある。適切な治療技術が劣った医者を言う。本来は名医を藪医者と言っていたが、いつからか逆の意味になったしまった。 【例文1】あそこは何かにつけて風邪だと診断する藪医者だ。 【例文2】肺の影を見落とすなんて藪医者だ。 【例文3】充分な説明もなく藪医者だ。 「藪医者」という言葉が死語にならない不思議 病気の見立てや治療が下手なお医者さんのことを藪医者と言います。「あのクリニックに行くのはやめておいた方がいいよ、藪だから」というような使い方をしたことがある人、人からそういう話を聞いたことのある人は少なくないでしょう。 今でも、よく使われる言葉ですが、その語源は諸説あって、はっきりしないようです。 「藪柑子(やぶこうじ)」という植物がありますが、これは「柑子に似ているけれど、柑子とはちがう劣ったもの」という意味。つまり、「藪」には本来のものとは似て非なる子のという意味があるところから、「似非(えせ)医者」の意味で使われるようになったという説。 評判が悪く、ふだんはまったく患者が来ないのに、風邪が流行して医者不足になると、患者が来るようになる。つまり「カゼで動く」ところから「藪」と呼ばれたという説。 「藪をつついて蛇を出す」ということわざがありますが、そのように余計な治療をしてかえって病気を悪化させてしまうから「藪」と言われたという説。 他にもあるようですが、個人的には「藪蛇」から来たという説が一番腑に落ちるような気がします。 ところで、昔は医者は免許制でなかったため、怪しげなお医者さんがたくさんいたようです。落語を聞いていると、「医者にでもなろうか、と考えて安易に医者になる人を『でも医者』と呼んだ」という話が出てくるほどです。 しかし、今はむずかしい試験に合格する優秀な人でなければ、医者になることはできないはず。にもかかわらず、いまだに「藪医者」という言葉が死語にならないのが不思議でなりません。

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野次馬

【漢字】野次馬 【読み】やじうま 【意味】自分には無関係だが興味本位で騒ぎ立てる者。 【例文1】事件現場に野次馬の人だかりで騒然となる。 【例文2】火事騒動に野次馬が集まる。 【例文3】どこからともなく野次馬がやって来る。 事件や騒ぎが起きるたびに、不特定多数の人たちが現場に集まってくる野次馬は見慣れた光景かもしれませんが、この野次馬という言葉は元々どんな語源から発祥した言葉なのでしょうか?野次馬の語源は親父馬とされており、年老いた馬という意味があります。この親父馬は若い馬と比べて走る能力が相対的に劣りますから、仕事などで使いづらいということになります。つまり、親父馬というのは仕事などにおいて役に立たない存在として扱われており、親父馬という言葉はそういった意味をも持つようになったのです。その後、親父馬が野次馬という言葉に変わり、現代に至りますが、現代における野次馬と呼ばれている人たちは、そこに大勢集まって騒いでいるだけで、特に何かの役に立っているわけではないので、確かに年老いた馬と全く同じ存在になってしまっているのです。人間の心理として事件などが起きると、何が起きたのか?という真相を知りたくなるというのは間違いなくあると思うので、野次馬の発生は仕方ない部分もあると思われますが、そういった人たちは現場で迷惑になることはあっても、何かの役に立つわけではないので、親父馬を語源とする野次馬と呼ばれてもしょうがないのではないか?と思います。

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八百長

【漢字】八百長 【読み】やおちょう 【意味】真剣勝負に見せかけ、実は事前に勝敗の決着が約束されている勝負事。 【例文1】八百長の疑惑がある試合は見応えがない。 【例文2】八百長で金品を受け取る。 【例文3】八百長疑惑のつまらない試合。 相撲の軍配が上がるとはよく聞く言葉です。相撲を見てると両者必死の形相。白熱した相撲展開で、土俵際に押し込まれました。そして土俵外に両者放り出されたのですが、どちらが勝ったかわかりません。行事の軍配が上がると西の勝ち。テレビを見ている。私は「えー、東の勝ちではない?」と思います。そして待ったがかかって「物言い」が付くわけです。土俵下で座っていた審判が土俵上に上がってきます。長い話の末に行司差し違えで、再度取り直しになるわけです。再び両者が土俵に上がります。気合十分で時間になり、両力士がぶつかり合います。そして今度はまた土俵際の際どい勝負になります。今度は東に軍配が上がりました。私はこんな白熱する相撲が大好きです。行事が軍配を間違えるほどの相撲の対戦、一時、相撲の八百長問題が世間をにぎわせましたが、この時は相撲ファンとしてとても悲しくなりました。プロレスじゃあるまいし、伝統の国技の相撲に八百長があるなんてとても怒りが込み上げてきました。スポーツはすべてそうだと思いますが、正々堂々とスポーツに取り組むことを熱望します。オリンピックでもドーピング問題などがとりだたされていますが、スポーツマンシップに乗っ取ってスポーツをしてほしいです。

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槍玉に挙げる

【漢字】槍玉に挙げる 【読み】やりだまにあげる 【意味】大勢の中から選び出し、非難の対象者にする。 【例文1】事故の加害者だけを槍玉に挙げる。 【例文2】ターゲットを見つけて槍玉に挙げる。 【例文3】パパラッチが槍玉に挙げる。 小学校の時、私はある男児から虐められた経験があります。その子は私を仲間外れにしたり、馬鹿にしたりしました。とても悲しく学校に行くのが嫌になりました。とうとう不登校とまでなりました。それから、中学、高校、大学とそれぞれ別の道を進みました。小学校を卒業してからは疎遠となりましたが、自分は虐められたことがトラウマになっていました。 就職してから、本当に偶然な事が起こったのです。私の子会社に当時虐めたヤツがいたのです。不登校にまでされた相手です。自分はそいつを槍玉に挙げることにしました。わざとキツい誰もしたくない仕事をヤツにまわしたのです。彼は私を当時虐めたことは覚えていない雰囲気でした。今は立場上は私の方が強いのです。彼は仕事をこなし切れずに、半分窓際族になりました。私は彼を助けようとは思いませんでした。彼は仕事がなくなってしまったのです。それでもあの時のトラウマは自分にとって、本当に人間扱いされなかった辛い思い出です。彼が自分に言ってきました。なぜ自分をそんなに虐めるのだと、そして、私は過去のヤツから虐められたことを言いました。彼はしばらくして本気で謝って来ました。そして彼と私は和解したのです。

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遣らずの雨

【漢字】遣らずの雨 【読み】やらずのあめ 【意味】帰ろうとした時、まるで帰さないと引きとめるかのように降ってきた雨。 【例文1】初デートの帰り際、恵みの遣らずの雨。 【例文2】彼女との別れ際、遣らずの雨で雨宿り。 【例文3】遣らずの雨だから今夜は泊ってく? 客観的に考えて私はどんな強運の持ち主かなと思った時に確実に思い当たることがあります。それは自分の娘とセットでこの運を持っているのですが、とっても雨を避けることが出来る運命を持っています。娘がまだ小さい頃は雷が大嫌いで特に地響きのような大きい音が苦手でした。そのため大雨が降ってくるとそれだけで恐怖を感じていました。そんな娘を守ってくれるかのように、大雨を上手く避ける運がついていました。外で遊んでいて雲行きが怪しくなって早めに帰ると、家についたとたんに土砂降り、雷が鳴るなんてことがたくさんありました。いつも「ギリギリセーフだったね」といっていたのを覚えています。雨を味方につけたような感じでした。 そんな娘も高校生になりました。恋愛をしているのかどうか親の私にはよくわからいのですが、いつも「私は絶対に結婚なんかしない!」と宣言しています。まあそういう人に限っていい人が出来たらコロッと翻って結婚した例をいくつも見ています。きっと娘も好きな人が出来たら「私結婚しない!なんて言ってたっけ?」と、とぼけながらすぐに結婚するタイプだなと思います。まあその前の恋愛の期間に、遣らずの雨が見方についてくれればいいなと思います。

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矢も楯もたまらず

【漢字】矢も楯もたまらず 【読み】やもたてもたまらず 【意味】気持ちが抑えきれず、いてもたってもいられない状態。 【例文1】彼女に会いたくて矢も楯もたまらず、会いに出かける。 【例文2】矢も楯もたまらず、友人のお見舞いに行く。 【例文3】矢も楯もたまらず、告白する。 「矢も楯もたまらず」ということわざがあります。 その意味は、こうしたいと思う気持ちが抑えきれずに、行動してしまうということだそうです。 大人はなかなかそういった場面でも自分の感情を抑えて、できるだけ理性的に行動しようとします。 つい「矢も楯もたまらず」に何かをしてしまったときには、いろいろと言い訳を付け加えたりすることもあります。 この「矢も楯もたまらず」をとても素直に表現するのを何度も見たことがあります。 それは人間の表現ではありません。 動物の表現です。 動物と言っても私たちの身近にいる動物。 つまりペットです。 ペットが表現する「矢も楯もたまらず」は、飼い主に対しての愛情表現です。 飼い主が買い物などで、数時間ペットショップの中にあるペットの預かり所のようなところにわんちゃんを預けていて、買い物を済ませて戻ってきたとき。 ずっと不安な表情でガラス窓から外を歩く人を眺めていたわんちゃんは、狂喜乱舞。 まさに「矢も楯もたまらず」に飼い主のところに飛んでいきます。 犬は猫よりも飼い主にストレートな愛情表現をすることが知られています。 こうして「いい子にして待っていましたよ。どこに行ってたの?もう帰って来ないかと心配したよ」と言いたげなわんこを見ると、こちらも笑顔になります。

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止むを得ない

【漢字】止むを得ない 【読み】やむをえない 【意味】どうする事もできなくて残念だが諦める。 【例文1】台風で搭乗予定便が欠航となり、延泊は止むを得ない。 【例文2】洪水で外出できないと止むを得えず諦める。 【例文3】止むを得ない場合は中止する。 止むを得ない事情で~とか、止むを得ない状況に遭遇することはよくあります。特に、自然災害や事故など、どうしようもないことは起こりうるので、避けられない場合もあります。しかし、なんでもかんでも止むを得ないで片づけてしまいがちではないか、と気になるときがあるのです。例えば、仕事で「止むを得ない状況で中止にします」等、本当にそうするしかないのか、他に方法が考えられなかったのか疑問に感じることがあります。止むを得ないとは、本当に策がなくどうしようもない状況で使う言葉のはずですが、その言葉を使えば理解してもらえる、もっと言えば許してもらえるという甘えが生まれてしまいかねません。 止むを得ないの濫用は危険と考えます。あれこれ考え、散々検討した結果だったり、物理的にどう考えても不可能といった場合にのみ使うということを、誰もが胸に置いておかなければならないと思います。その上で、使用すれば理解が得られると思います。また、大切なのは相手がいる場合に、止むを得ないという言葉だけで簡単に断ったりすることは避けるべきだということです。止むを得ないとわかっても、不満を持たせてしまうからです。しっかりとフォローすることがどんな場面でも大切です。 ちょっと恥ずかしい体験談になってしまうのですが、旦那と結婚をする前はあちこちデートに行っていたりしたのですが、普段は映画を見たり公園を散歩したりなのでお酒を飲むことがありませんでした。 「結婚前提」が確定すると旦那の友達との飲み会等にも連れて行ってくれるようになりデートの時は飲むことがほとんどなかったアルコール類も、友達との飲み会だと当然のごとく飲む機会が増えてきました。 私も旦那も辛い料理が好きなので、普段から食事は辛いもの中心だったのですが、ある日それが災いとなってしまいました。 いつものように旦那と一緒に食事の席に参加してお互いの好きな辛い料理をオーダーして食べたのですが、私もその日はお酒を進められ、何度も会ったことがある人のリクエストであまりお断りばかりするのも良くないと思いガンガンに冷えたビールを飲んでしまいました。 悲劇を生んだのがこの辛い料理+ガンガンに冷えたビールの化学反応でした。 食事の時はまったく何もなかったのですが、食事を終えてみんな解散したあとにゆっくり散歩をしながら家に向かうと急にお腹がゆるくなってしまい そんな時に限って周りに公衆トイレがまったく見当たらなく、恥ずかしいとは思いましたが、旦那に相談したら仕方ないから茂みで解決してきたらいいよ、人が来ないか見ててあげると言ってくれたので 止むを得ず暗闇の茂みで用をたしてしまいました。

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止むに止まれぬ

【漢字】止むに止まれぬ 【読み】やむにやまれぬ 【意味】止めようとしても止められない。そうするしかない。 【例文1】止むに止まれず休業した。 【例文2】バスが運休して止むに止まれぬ徒歩で帰宅する。 【例文3】二次災害の恐れがあり止むに止まれぬ捜査は中断する。 数年前、平年に比べ雪が多い年があり、原付バイクで通勤している私は、大変な経験をしました。 その日は曇りで寒い一日でしたが、雪や雨は降っていなかったので、バイクで帰宅する時の心配は全くしていませんでした。 しかし、夕方を過ぎ帰宅しようとバイクにまたがると、雪がチラチラ降り始め急いで帰り始めましたが、次第に雪はどんどん強くなっていき、走行中雪が顔に当たり痛くて走りにくい状況でした。 会社から自宅までバイクで40分位かかるので、途中ホームセンターに寄ってマフラーを購入しました。買い物が終わり店から出ると、雪が道路を埋め尽くし吹雪となっていました。 原付バイクで道路を走っていると、ツルツル滑ってしまい普通に走ることはできませんでしたが、早く帰らないともっと雪が積もる為、両足を地面に付けながら時速10kg程度で走り続けました。 しかし、吹雪が凄すぎて前が見えない状態だったので、歩道に入り妻に電話をして状況を説明しました。 妻は、バイクを置いて歩いて帰ったら?と言ってきましたが、人気の少ない道路にバイクを置くのも心配だった為、再度ゆっくりバイクを走らせました。 バイクを置き去りにできないという、止むに止まれぬ理由があり、吹雪の中バイクを超低速で走らせましたが、周りの車も超低速で走っていたので、周りに迷惑をかけないで走行できました。 やめようと思っていてもやめることができないことは色々あると思います。 例えば、親しい方が亡くなられ、寂しい気持ちをはらいのけようと必死に別のことに打ちこんでみたりしても、止むに止まれずに悲しみで泣いてしまうことはあります。 私も以前、会社の先輩を亡くしてしまい、悲しい体験をしました。 このような状況では、悲しいのは自分だけと自虐的な気持ちにもなってしまうこともあります。 止むに止まれずに悲しい思いをしてしまうことは仕方がありません。 例えば今でも爪痕が深い、東日本大震災で発生した津波により、たくさんの命が失われましたが、中にはご家族のうち、たった一人が残されてしまった状況の方もたくさんいらっしゃいます。 以前、実際にご家族を失われた方にお話を伺っているドキュメンタリー番組を見ましたが、このような方は止むに止まれずに、なぜ自分だけが助かってしまったのかと思っていらっしゃるようなのです。 私自身にも家族がいますが、自分がこのような境地になった場合、どう思うだろうかと悩んだことがあります。 非常に複雑な気持ちにもなってしまうドキュメンタリー番組でしたが、この番組を通じて、家族の絆や命の大切さを改めて感じました。

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闇夜に目あり

【漢字】闇夜に目あり 【読み】やみよにめあり 【意味】闇の中でも見えるという意味。つまり悪事を働いてもいつかバレるという戒め。 【例文1】闇夜に目ありで誰が見てるのかわからない。 【例文2】泥棒がようやく捕まった。闇夜に目ありだ。 【例文3】街中の防犯カメラが闇夜に目ありだ。 誰にも知られないように悪事を働いたとしても、闇夜に目ありとは言ったもので、いつかは必ず露見してしまうことでしょう。なにせ悪事を働く人というのは、悪事を複数回繰り返すような人が多いですし、そのように何度も悪事を働いていたら、どこかで誰かに見られてしまうのは当たり前と言えるかもしれません。何回もやっていれば、それを人に見られる確率が上がることは確かでしょう。 それに最近は昔と違って、街中にも監視カメラがつけられるようになり、何か問題があれば監視カメラの映像から、犯人を割り出すことも可能になりました。しかも監視カメラにも様々なタイプがあり、見た目は文房具にしか見えない物まで世に出されるようになったのです。このように誰がいつどこで見ているか分からない社会で、誰にも知られないよう悪事を働こうとするのは、かなり難しいと考えられます。連日様々なニュースを見ていると、技術はここまで進歩したのかと思わず唸ってしまうほどです。 そもそも悪事を働くのは良いことではありません。悪いことをすればその分だけ、誰かが悲しんだり苦しんだりするでしょう。また、悪事を行った本人が罪悪感に苦しめられる場合だってあります。闇夜に目ありとも言うくらいですし、悪い事はしない方が身のためですね。

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闇夜に鉄砲

【漢字】闇夜に鉄砲 【読み】やみよにてっぽう 【意味】暗闇で鉄砲を打っても当たらない。目標が定まらず、当てずっぽにやってみる。 【例文1】事業計画を立てないで起業だなんて闇夜に鉄砲だ。 【例文2】アポなしで来訪は闇夜に鉄砲だ。 【例文3】飛び込みで営業は闇夜に鉄砲だ。 近年になり過酷な労働環境が問題視されるようになり、国を挙げた政策として労働環境改善に向けた取り組みが行われています。 「働き方改革」とも称され、労働者に休みや余暇を取る機会を与えることで消費を活性化させる狙いもあるようです。 午後の早い時間に仕事を終わらせて自由な時間を楽しむ「プレミアムフライデー」や地域の学校ごとに休みを分散させる「キッズウイーク」などさまざまな取り組みが行われていますが、効果は未知数で反発の声も多く、闇夜に鉄砲のような当てずっぽうな政策という感じもいなめません。 少子化の影響もあり人口が減少していくと予想されている日本では働き手が不足していく傾向にあり、それにともない労働時間なども増えてしまうのではと懸念されている中で、足並みを合わせて休みを奨励することは、大企業のような体力のある会社では可能であっても零細企業のような余裕のない会社ではとても実行することが出来ないケースもあります。 「働き方改革」が実際の効果に関係なく、政府のパフォーマンスで終わってしまうのでは意味がありません。 新しいものを創設するだけでなく、違法な残業時間などをはじめとした労働基準法に違反している企業の罰則を重くし、取締りを強化するなど従来のやり方を変えていくことも大切なように思えます。

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闇夜に提灯

【漢字】闇夜に提灯 【読み】やみよにちょうちん 【意味】困っている時に頼りになるものが出てくる。 【例文1】バスに乗り遅れた時に、友人が車で送ってくれた。まさに闇夜に提灯だ。 【例文2】スーパーで財布を忘れて困っていたら、隣に住む奥さんがお金を貸してくれて闇夜に提灯だ。 【例文3】停電になり災害グッズがまさに闇夜に提灯だ。 困っている時に頼りになるものが手に入るというのは、非常にありがたいことです。 自分で自分を自ら助けようと思う気持ちがあれば、何かが救いの手を差し伸べてくれるものです。 「闇夜に提灯」とはまさにこういった状況にピッタリな言葉です。 できれば困っている人を救いたいと思いますが、それにはタイミングも必要です。 逆の立場になって考えてみると、必死に自力で抜け出すことができた後に、誰かの救いの手が差し伸べられると、安心と感謝の気持ちで一杯になります。 しかし、それが継続的になってくると援助が当たり前になってしまい、依存してしまう可能性があります。 いつまでもその状況に甘んじることなく、さらに自力で何とかできる術を身につけていきたいものです。 しかし、自分ができることには限界があります。 自分の出来る範囲を超えてしまうことに関しては、有り難く力を借りることも時には必要だと思います。

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闇から闇に葬る

【漢字】闇から闇に葬る 【読み】やみからやみにほうむる 【意味】世間に知られたくない事を内密に処理する。 【例文1】上から圧力をかけて警察の不祥事を闇から闇に葬る。 【例文2】完全に闇から闇に葬る。 【例文3】金を渡して闇から闇に葬る。 普通に考えれば闇に葬るだけで済みそうなものを「闇から闇に葬る」という念入りな表現には、どれだけの悪事を働いたのかと恐ろしくなります。 蛇の道は蛇とか、物事には裏があるのは特に驚くほどのことでもないかもしれませんが、暗黒面のさらの奥底に通じるような不気味さが感じられます。 そして困ったことに特に悪人と認識されていない人間や会社が、己の悪事を闇から闇へと隠してしまうことも実際にあるのです。 分りやすい例としては、建築物の基礎部分なセメントで覆ってしまう鉄筋部分などがそれに当たるでしょう。 余程のことが無い限り、ひとたび完成した構造物を破壊してまで内部を確かめようなどとする人はいません。 怪しいのでデカイ穴を開けて中を調べてみたけれど特に問題はなかったでは無駄な出費を出すだけです。 大抵の場合は特定の場所をサンプルとして調査するのですが、前もってその場所が分っているならばその部分だけ正規の工法で施工するだけです。 かなり昔の話ですが、田舎道を公共事業で舗装する際に砂利の層を薄くして使う砂利の量を誤魔化し、調査する部分だけ砂利の層を厚くした例があるそうです。 闇は存外身近にあるもので、人目につかない隠れた場所には葬り去られた悪意が秘かに眠っているかもしれません。 誰にも知られる事無く、都合の悪い問題を秘密裏に処理する事で、「世間の目に晒さず、闇から闇に葬る」という具合に使用します。誰一人として知られてはならない事を全くばれずに後始末するなど容易な事では決してないですし、それをやってのける人は相当の実力者であると思われます。もちろん誰かにその現場を見られようものなら、恐らく見てしまった人はお気の毒な運命を辿る事になるでしょう。闇から闇へとはそれ程の世に出せないいわゆる最重要機密である筈ですから。世の中には知ってはならない他人の秘密を、来易く知ろうなどと冗談でも思わない方が身の為な時があるのです。この手の話がどうも空想の世界の出来事に感じる方は、本当はとても幸運な人なのだと思います。実際そんな場面に遭遇する事は少ないと思いますし、実行する人も細心の注意を払った上で行動する筈ですから、余程不運でない限りまず出くわす事はないでしょう。確率で言えば幽霊に遭遇する位稀な事なのです。(いつも見ているという人は別にして)話があまりにも大きくなり過ぎましたが、闇から闇にという問題は庶民レベルでも無い話ではなく、例えば冷蔵庫に入れておいた頂き物のフルーツをうっかり腐らせてしまい、家族の誰にもばれない様に捨ててしまうなんていうのも、まさに闇から闇に葬る事なのです。

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山を越す

【漢字】山を越す 【読み】やまをこす 【意味】困難な状況から脱する。ピークを過ぎる。 【例文1】店内は昼食の時間帯を過ぎて山を越す。 【例文2】ようやく大渋滞から山を越す。 【例文3】逆転のピンチから山を越す。 私は高校野球が好きでよく見ているのですが、試合の中では山場となる場面が必ずと言っていいほどやってきます。 守備のチームは無事に山を越すことができると、次の攻撃に良い形となって出てきやすくなるようです。 特に高校野球はメンタルに影響される部分も多く、試合が読めなくて面白さに繋がるという意見もあります。 何度か山場になる場面が出てきますが、特に注意しなければいけないのは、9回の2アウトからかもしれません。 野球は9回2アウトから試合が大逆転することが何度もあり、特に気をつけなければいけない場面です。 勝っているチームは気持ちが勝ちを急ぎ過ぎて墓穴を掘ってしまう可能性があります。 逆に負けているチームもゲームセットになるまで諦めないで戦い続ける気持ちが、奇跡の逆転を生み出します。 9回2アウトランナー無しの状態から、最後になるかもしれないランナーがヒットを打って出塁することがあります。 どんな場面でも油断をすれば、山場がやってきます。 何度も苦しい山を越えたチームだけが、1度も負けずに優勝という輝かしい成績を残すことができるのだと思います。 高校野球を見ていると人生の縮図を感じることがあります。 勝っていても負けていても、奢らず、諦めずに最後までやり抜くことが人生にも必要なのだと思います。

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山を掛ける

【漢字】山を掛ける 【読み】やまをかける 【意味】リスクがある賭けの勝負をする。 【例文1】試験範囲を絞って山を掛ける。 【例文2】山を掛けて容疑者を追う。 【例文3】捜索範囲に山を掛ける。 中学生の頃、期末試験が近づいても、私は携帯ばかりいじっていました。 ゲームや動画にハマり試験の1週間前にならないと手が動きませんでした。 テストが範囲はとても広く、1週間で全ての範囲の勉強をする事は無理です。私は結構勘が当たるのでいつものごとく、山を掛けて移動時間も無駄なく効率よく暗記しました。 試験前夜は徹夜で勉強をして、頭の中に詰め込みました。 期末試験当日となりました。ギリギリまで単語帳を見て試験に挑みました。山を掛けたところがズバリ的中して、問題を解き、残り半分は当てずっぽうも交え答えを埋めていきました。中休みも昼休みも次の教科を暗記しました。返ってきた答案用紙は勉強時間が短かった割には50~60点でまずまずでした。受験は山をかけるわけにもいかないので必死に勉強しました。なんとか合格することができました。高校では将来のこともありますし、定期的に勉強をしていました。

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山高きが故に貴からず

【漢字】山高きが故に貴からず 【読み】やまたかきがゆえにたっとからず 【意味】どんなに外見が立派であっても内面が伴わなければ価値がない。 【例文1】東大出身の議員であっても、罵倒してばかりでは山高きが故に貴からず。 【例文2】高学歴だからと言っても仕事ができないなら山高きが故に貴からず。 【例文3】意外に使えないな、山高きが故に貴からずだ。 外見だけを取り繕っても、中身が薄っぺらな人はすぐに見破られてしまいます。 そうならないように、日頃から中身を充実させていきたいと思っています。 「山高きが故に遠からず」といいますが、まさにその通りだと思います。 とは言え、やはり中身の薄さは外見にも表れてしまうような気がします。 かと言って、外見があまりにもみすぼらしいと、どうしても良い印象は受けません。 ブランド品で身を固める必要もありませんが、最低限、清潔な見た目を維持していきたいものです。 年齢を重ねるとともに外見は手を抜きがちになってしまいます。 今さらオシャレをしてもどうしようもないと思ってしまうかもしれません。 しかし、着飾ることが大事なのではなく、清潔感のある服装の方が重要だと思います。 さらに中身が伴っているのであれば、必然的にそれなりの見た目になっていくと思います。 街を歩いても、世の中にはいろいろな人がいます。 自分の価値観だけで人を判断してしまうと、あまりにも例外のような人たちにたくさん出食わしてしまいます。 しかし、個性を尊重するならば、それはそれで良いのだと思えるようになりました。 いろいろな人たちがいて、世の中が成り立っているのだと思います。 見た目だけの正義感を振り回して、やっていることは悪人にならないように気をつけたいものです。 人に限らず、どんな物事でも中身は大事だと言えるでしょう。いかに見た目が理想のタイプの人であっても、中身がとんでもない人でなしであれば、その人と親密になりたいと考える人はいないと思います。たとえ外観がどんなに豪華絢爛なマンションであっても、室内が廃墟のようだったら、そのマンションに住みたがる人はそういないのではないでしょうか。 このようにどんな物事であれ、いくら見た目が優れていたとしても、それと同等くらいの中身を伴っていなければ、意味がないと言えるでしょう。もちろん見た目だって大事です。非常に性格が穏やかで誰から見ても人格者といった人でも、見た目が驚くくらい不潔だとしたら、その人と親しくなろうとする人はあまりいないと考えられます。どんなに中身が綺麗でハイテクなマンションであっても、外観が今にも崩れ落ちそうな廃墟のようであれば、それはそれで住みたがる人はいないでしょう。 見た目が大事であることも否定しませんし、見た目も大事だと思えます。しかし山高きが故に貴からずというように、見た目だけではなくて、見た目にも負けない立派な中身を持つことも大事でしょう。何事であれ、外見と内面の両方を磨き上げることが大事だと思います。

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山が見える

【漢字】山が見える 【読み】やまがみえる 【意味】完成までの見通しがつく。 【例文1】ようやく商業施設建設の山が見える。 【例文2】証拠が揃い山が見える。 【例文3】イベント企画成功の山が見える。 山が見えるとは困難や障害を越えて、物事の見通しが立つ事を言います。 山が見えるとほっと安心します。 私は25歳で結婚して子どもも2人おります。結婚当初旦那は仕事はまじめで育児も言えば手伝ってくれるし、休みの日には毎週家族で出かけていいパパでした。そんな楽しい生活は10年ほど続きました。子どもも習い事や休日は友達と遊びに出掛け次男も次第に休みには同行しないときが増えました。成長したなと思う反面私たち夫婦はさみしくもあり複雑でした。中学高校となると部活や友達優先でめっきり家族での外出はなくなりました。旦那も休みには一人で出かける事が多くなり一人になった私はイライラして八つ当たりや口論が増えました。 そんなこんなで家庭が面白くなかったのか、旦那の帰りが遅くなる日が続きました。なんと会社の事務所に寝泊まりしているとのことです。怒りと悲しみで信じられませんでしたが、着替えを取りに来たあと事務所に行ったら食料まで買いそろえてました。それから別居生活が1年続きました。もう愛情は冷めて離婚に踏み切りました。国の補償の手続きやパート採用が決まりようやく母子三人での山が見えてきました。

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山が当たる

【漢字】山が当たる 【読み】やまがあたる 【意味】勘がピタリと当たる。山勘(やまかん)とも言う。 【例文1】山が当たってテストで満点を取る。 【例文2】女の勘は鋭く山が当たる。 【例文3】占い師のように山が当たる。 予想や勘が的中することを「山が当たる」と言います。 山勘も似たような意味にとられますが、こちらは戦国武将山本勘助や山師が言葉の由来で、勘に頼ること自体を指し当たり外れは定まりません。 経験によるものにせよ運によるものにせよ当たってしまえばこちらの物、逆に外れを引けば地獄に真っ逆さまです。 試験勉強が間に合わなかった場合など、予想を立てて一部分だけ集中して備えることを山をはるといいますが、予測がそれなりの根拠に基づかなければ普通に外れます。 それまでの経験や勉強からある程度の知識が用意されているならば当たりを引くことも考えられますが、天に運を任せる時点で運にすら見放されています。 勝負事は事前の用意でほとんど結果が決まるのです。 神頼みして何とかなるならば勉強などせずにひたすら神に祈っていればよいことになります。 実際にはそれほどの大盤振る舞いを常にしてくれるほど神様は優しくないようです。 勉強しない怠け者や、苦しい時だけすがってくる不信心者には相応の処遇が用意されていることでしょう。 山を張らなければならない状況になる以前に、そのような博打に手を出さずに済むように苦心したほうが余程マシといえるでしょう。 特に外したときのダメージが大きい一世一代の大勝負を、勘にたよってする愚行は絶対に避けるべきです。

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病は口より入り、禍は口より出ず

【漢字】病は口より入り、禍は口より出ず 【読み】やまいはくちよりいり、わざわいはくちよりいず 【意味】病気は飲食物によって原因を引き起こす。禍も口から出る言葉が原因となるので、言葉には気を付けるべき。 【例文1】病は口より入り、禍は口より出ずで、黙っている方が良い時もある。 【例文2】営業トークは病は口より入り、禍は口より出ずだ。 【例文3】嫁姑問題には口より入り、禍は口より出ずだ。 「病は口より入り、禍は口より出ず」あまりきかない言葉かもしれませんが、これはどういった意味なのでしょう。 それは、病気の原因となる食べ物は口から入ってくるし、災いを引き起こすような言葉は口から出るから、口を慎まなけれないけない、という意味なのです。 食べ物は全ての病気の原因というわけではありませんが、それでも普段食べているものが偏っていたり、暴飲暴食を繰り返したりしていると、確かに病気になる確率はうんと高くなります。 また、「口は禍の元」などと言うように、ついうっかり言ってしまった余計な一言が、人間関係などのトラブルを引き起こすこともままあることです。 自らの「口」を通して何を食べ、何を発するかで、人生が良くなるか、悪くなるかが決まってしまうというわけです。 何も考えずに発言したり、好きなものだけを食べたり、食べ過ぎたりということが、後にどれほど大きな後悔の種になるか、骨身にしみてわかっている方も多いのではないでしょうか。 少し慎重になり、食べ物や言葉に気を付けるだけで、人生の質は大きく変わるものです。 口が原因で痛い目にあってしまった・・・という方、これからはどうぞ慎重に食べ物を吟味し、言葉に気を付けて下さい。

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病は気から

【漢字】病は気から 【読み】やまいはきから 【意味】病気は気持ちの持ちようで良くも悪くもなる。 【例文1】頭痛がしてきた。でも放課後デートのことを考えたら治ってきた。病は気からだ。 【例文2】学校に行きたくないと思っていたら、病は気からで熱が出てきた。 【例文3】病は気からと言うから気合で治す。 病は気からというこの言葉。文字通り、病気は何かを心配しすぎていたり、不安に感じていることがあっったりするというマイナスな気持ちからやってきてしまうという意味です。これは、ほとんどの人が子どもの頃から耳にしてきた言葉だと思いますし、意味もなるほどなという感じですごく納得できるものだと思います。 一方、私はこの病は気からという言葉にまつわる思い出話があり、それはいつ思い出しても笑える話のでここで紹介したいと思います。それは、私の友人が体調が悪そうにしていた時の話です。その時、彼女は見た感じからしても風邪でも引いたのかな?とわかるような状態だったのですが、よく見ると、彼女は手で脇をおさえていました。私も冬など寒い時は、よく腕を組んで少しでも丸まってあったかい体勢を作ろうとするので、彼女の脇を抑えるポーズもそれと同じようなものだと思っていました。そこで、私は彼女に「風邪でも引いたの?寒い?大丈夫?」と聞きました。すると、彼女は「寒くはないけど風邪を引いたかもしれない。だから脇を抑えているの。」と答えてきました。その時、私は彼女の言っていることの意味がよくわかりませんでした。しかし、よくよく聞いてみると、彼女は、病は気からという言葉を「病脇から」と勘違いしていたことがわかりました。体調の悪そうな彼女を目の前に、私は内心大爆笑。彼女の風邪が治ってしばらく経った頃、病脇からではなく、病は気からだということを教えてあげました。 「病は気から」とよく耳にします。 私の父の口癖のようなもので、幼いころから虚弱体質だった私にいつも「病は気から。気を強く持てば体は強くなる!」と言って聞かせてくれました。 思い返せば小学生の頃も、苦手だった水泳の授業前日には「頭痛がする気がする」「熱っぽい気がする」と思いだし、本当にその通りになっていしまう。 …なんてこともしょっちゅうでした。 月に1度は風邪をひいて病院に連れってもらっていたように思います。 そんな娘を持つ父の口癖になってしまうのも納得です。 30歳になった今では、さすがに月に1度高熱は出さなくなりました。 しかし、気持ちとは関係なく、「痛み」に過剰に体が反応してしまうようになりました。 痛いと感じると、血圧が急激に下がり、ショック状態になるので、年に1回は救急車で搬送されてしまっています。 生理痛、腸炎等で何度救急車に乗ったでしょう。 もう、気持ちが弱いとか、どうの…ではなく、勝手に私の体が反応してしまっている状態です。 もちろん、気持ちを強く持つことで、病気と闘えたり、多少の事で体を壊してしまうなんてことはなくなるのは事実だと思います。 ただ、私も含め、「自分の体を知る」「受け入れる」「予防措置をとる」ということが必要な方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか? 生まれつき考え方や感じ方、体質は皆違うものです。 自分にあった生活の仕方で、より健やかな日々を送っていきたいです。

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病膏肓に入る

【漢字】病膏肓に入る 【読み】やまいこうこうにいる 【意味】事態が悪化し、なおる見込みがない。 【例文1】浪費癖が治らずついに自己破産した。病膏肓に入るとはこのことだ。 【例文2】仕事をサボってパチンコにはまり病膏肓に入る。 【例文3】赤字続きでで病膏肓に入る。 あなたの周りに病膏肓に入るようなことがあれば、どうしますか。 まずは否定をしないで話を聞いてあげてください。 なぜそういう事態に陥ったのか原因を明確にする事が大切です。 私の知り合いにギャンブルにはまった人がいます。 最初のうちは今日は勝った、負けたくらいの娯楽でした。次第に勝ち負けの金額が大きくなると、取り戻すまでお金をつぎ込んでいました。 次の日も次の日もです。当然所持金も底を尽きやがては私に借りに来るまでになりました。私は少額にせよ貸し借りはしない主義なので貸しませんでした。 すると舌打ちして他の友人をあたっていたみたいです。1万くらいならと貸した人もいました。貸した友人にもう戻ってこないと思えと言いました。 案の定1ヶ月経っても知らん顔です。ついに営業の合間にも行くようになっていました。もう誰も貸してくれる人はおらず、今のうちに辞めるよう忠告はしたが、とうとう消費者金融にも手を出し、病膏肓に入ったようでした。半年後、見かけなくなりました。あれからどうなったのかは不明です。

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藪をつついて蛇を出す

【漢字】藪をつついて蛇を出す 【読み】やぶをつついてへびをだす 【意味】藪の中の草木を素通りすればいいものを、つついてしまい蛇にかまれるたとえから、余計な事をしてしまったために災難がふりかかる。藪蛇と使われることが多い。 【例文1】パチンコで勝ったと自慢したら、皆に奢らされた。とんだ藪をつついて蛇を出す。 【例文2】宝くじ当選を自慢して金の無心に遭い、藪をつついて蛇を出す。 【例文3】出来る事を自慢したら、作業が全部回ってきて藪をつついて蛇を出す。 藪をつついて蛇を出すとは、余計なことをして、反対に悪いことを引き起こしてしまうことを言います。 藪というのは、低い木や雑草が沢山生えている場所です。最近では余り見かけなくなりましたが、こういった場所はなんとなく気味の悪いところもあります。そんなところをいたずら半分に棒でつついたなら蛇が出て来てしまったという例えです。つまり余計な事をしてしまった訳です。 このことから、他人の欠点や悪いことなどを深く調べたために、かえって自分が良くない立場になってしまったという場合に使います。例えば、あの人何か不正をしているかもしれないと思いいろいろ調べたところ、なんと自分の上司が悪の根源であったというような場合です。まさにドラマのような話ですが、ニュースを見ていると良く目にする事案でもあります。特に政治の問題では結構多いのではないでしょうか。 そんな大きな事ではなくても、ご近所さんの噂をちょっと話したところ、なんと大きな話になり自分にまで波及してしまったということもあります。たった一言を言わなければ、自分のミスが公にならずに済んだのにということもあるでしょう。 何かを暴こうとしたときには、自分に害が及ばないことを確認してから行うのがベストです。 俗に言う、「やぶ蛇」と略したもとわざです。

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吝かでない

【漢字】吝かでない 【読み】やぶさかでない 【意味】努力を惜しまず喜んでする。 【例文1】助けを求められれば、吝かでない。 【例文2】何事にも経験する事は吝かでない。 【例文3】その意見に吝かでない。 「吝かでない」は、「やぶさかではない」と読まれます。吝かということわざは、喜んで行動するといった様子を表します。 吝かとは行動する気はない、気が進まない気持ちなどに否定形をつけることでやってもよい、嫌ではないという意味になりますが、遠回しな肯定ではないでしょうか。これは小学生が好きな相手に対して「嫌い!」と思わず反対のことを言ってしまうような意味を感じずにはいられません。要するに素直じゃないということです。何だか可愛らしいですが、時としてトラブルを招く恐れもあります。 いつまでも異性の告白にどっち付かずな返答をすれば相手は離れていきます。本当は嬉しいのに吝かでない発言をしていると、本心とは違う言葉の意味で相手に伝わってしまうでしょう。 良好な関係を築くためにも直接的で簡潔に物事を伝えることが大切です。あやふやなことばかりで逃げていると、そのツケがいつか必ず自分に襲い掛かると思います。上手く生きていくためにも、出来るだけ吝かでないあやふやな表現は避けるべきだと思います。優柔不断な言動は相手を混乱させてしまうこともあるのです。 「吝かでない」は「やぶさかでない」と読みますが、簡単な字なわりには何も見ずに書ける人は少なそうです。 吝嗇という語にも使われますが、これら以外に使用例が思い浮かびません。 吝嗇が極度のケチや物惜しみを意味する言葉だと覚えていれば、吝かでないは苦労などを惜しみませんという意味なのだと簡単に推察できるでしょう。 文と口を合わせて何故にケチという意味になるのか疑問でした。 調べてみたところ、文が刺青、口は祝詞を入れた器物を表していて、死者を祈り惜しむという意味があったようです。 どこをどう巡って死者を惜しむのが唯のけちん坊に成り下がったのかは、さっぱり分りませんが取りあえずそういうことらしいです。 手前勝手な感想ですが、吝かではないです発言には努力や苦労を厭いませんと宣言しているにも拘わらず何となく積極性に欠けるようなイメージがあります。 辞書には、喜んで仕事させていただきますのような感じの意味が書かれていますが、実際のところはどうなのでしょう。 あからさまに苦労する仕事と認めつつも、自分は労力を出し惜しむようなケチな人間ではないですよという恩着せがましい主張にはどうも馴染めません。 そういう言い回しもあるということだけ覚えるに留め、自分では使わないほうが良いような気がするのは私だけでしょうか。

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藪から棒

【漢字】藪から棒 【読み】やぶからぼう 【意味】草が生い茂って藪から突然棒が出てきたら驚くように、いきなり予想外のことを言い出す。 【例文1】何だよ突然藪から棒に好きだなんて。 【例文2】藪から棒に明日から放浪の旅に出る。 【例文3】転職すると藪から棒に退職した。 その方の気まぐれかわかりませんが、突拍子も無いことやどうでもいいことを突然口にする方っていますよね。例えば「今日から貯金する!」だとか「海外旅行がしたい!」など、他者には関係ない、または「どっちでも良いよ…」と感じてしまいます。 例え友人や親族でも、興味の無いことを発言されると堪えるものがあります。藪から棒に発言されても「そうか…」としか言えないからです。「そうか…」と返答しても「何だよ!ノリが悪いな!」と元気に言われた日には、非常に疲れてしまうでしょう。 社会の中ではムードメーカーとして必要な人材ですが、プライベートや気分が冴えない時には付き合い方に悩んでしまいますよ。決して悪い人間ではないのに、藪から棒に飛び出した言葉のせいで印象が悪くなったり、人間関係に亀裂が入ったことが実際に経験があります。 しかし、落ち込んた時や何か悩みがあった時に、そのような方と一緒にいると元気が出る場合もあるのです。一緒に遊ぶ時は楽しいですし、意外と社会では重宝される人間ではないでしょうか。 藪から棒という言葉は便利な言葉で、テレビや二次創作でもよく目にします。知名度も高いので、遊び感覚で使用することも多いです。

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やはり野に置けれんげ草

【漢字】やはり野に置けれんげ草 【読み】やはりのにおけれんげそう 【意味】野原に咲くからこそ、れんげ草は美しく見えるものであって摘んで生けてもいずれ枯れてしまうもので、その場に合った物を置くのがよいとされる。 【例文1】部屋の一角に1つアンティーク品を置いても、やはり野に置けれんげ草で高級感が出ない。 【例文2】古小屋に高級外車を止めてもやはり野に置けれんげ草だ。 【例文3】4畳半の部屋に50型TVはなんだか野に置けれんげ草。 やはり野に置けれんげ草とは、れんげ草は野原に咲いているからこそ綺麗に見えるものであります。摘んで持ち帰ってもいずれ枯れてしまいます。やはり自然に咲いているものが美しいという意味です。 私は大学進学のために実家を離れて初めて一人の部屋を持つ事が出来ました。ずっと妹と同じ部屋だったので嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。 隣県でしたので、引っ越しの時は自宅にある余った家具や電気製品を軽トラックでお父さんと兄と運びました。ベッドだけは毎日寝るものですから妥協しないで収納・電気付き、お姫様のようなベッドを購入しました。マットレスも最高級なものをおねだりしました。6畳という狭さでしたが、オートロックに7階からの眺望、出窓もあって私にはお城のように感じました。何をどこに置くかとかあれこれ考えるだけでもワクワクしました。いったん荷物を運び終えて思った事は、新築のマンションに私が持ち込んだ家具はベッド以外なんだかしっくりこないということに気付きました。ベッドだけが浮いて見えて持ち込んだ家具の色、デザイン性の統一がないのです。やはり野に置けれんげ草だと思いました。 いろいろな場面で「やはり野に置けれんげ草だよ」と言って揶揄することがあります。 この言葉の元々のものは、ある俳人の句だということはあまり知られていないのではないでしょうか。 その俳句とは『手にとらで矢張野に置け蓮華草』というものです。 この俳句の作者は滝野瓢水(たきの・ひょうすい)という人で、松木淡々(まつき・たんたん)の門下生で江戸時代の中期に活躍しました。 俳句では芭蕉が有名ですが、松木淡々はその弟子の其角(きかく)の門人であったということなので、滝野瓢水は芭蕉の孫弟子ということになるでしょうか。 この句の意味は、どんなに愛らしく美しく咲いているレンゲソウであっても、その花を摘み取って持ち帰ってみると、咲いていた時のような魅力は無くなってしまうということです。 野に咲く花は花の命も短く、その花が素敵に見えるのはその周囲の雰囲気があってこそということ。 無理やり摘み取ってしまっては元も子もない。 野に咲くままに鑑賞することこそ本来の美しさを愛する人のすることだと教えているのです。 現代では野党として勢力を誇っていた民主党が、政権を取り主役に躍り出たあとの凋落ぶりを「やはり野に置けれんげ草」と表現する人もいます。

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矢の催促

【漢字】矢の催促 【読み】やのさいそく 【意味】何度も厳しい催促をする。 【例文1】税金滞納で矢の催促を受ける。 【例文2】闇金から矢の催促がくる。 【例文3】金を返せと矢の催促をする。 矢の催促とは何度も何度も催促することです。 催促しても聞きいれてくれない人っているんですね~・・ 私は10年前、現場の職人がお金を貸してほしいといってきました。金額は10万円です。長い付き合いでしたので、もちろん借用書なんて考えもしませんでした。 それが裏切られるとは夢にも思っていませんでした。借りた翌日から月1万ずつ返す約束でしたが、2ヶ月経ってもまだ用意できないと言い、私は待ちました。 4ヶ月経ったころ、職人が休みました。なにか雲行きが怪しく感じた私は家に行ってみました。その日はさぼりみたいで、その後何度行ってもあと少し待ってくれというばかりでイライラして口論にもなりました。翌週には居留守をつかってきました。私は矢の催促のごとく家を訪ねましたが、仕事もとうとう来なくなり居場所が分かりません。いるのは母親だけでした。私が借用書なしで貸したためどうあがいてもどうすることはできないと悟ったわけです。痛い社会勉強だと思いながら、それからというものどんなに仲が良い友人にも1円たりとも貸した事はありません。 仕事が忙しいときにまた別の仕事を割り振られると、仕事を終わらせようと必死になってしまいますよね。そんなときに矢の催促のように、早く仕事を終わらせるようにと何度も催促をしてくる人がいたりすると、余計に焦るかもしれません。このように焦ったときは、いったん仕事の手を休めることも大事でしょう。 というのも焦った結果で終わらせた仕事というのは、あまり良い出来栄えとは言えないからです。無論、火事場の馬鹿力を発揮して良い業績を残す人もいるかと思いますが、そういう人ばかりではないと思います。焦っているときこそ、一度休みを入れることが必要だと考えられます。 仕事中に簡単に休みを入れる方法は、ちょっとした軽食をつまんだり、できることならオフィス近くのコンビニまで散歩するといったことが挙げられます。軽食をつまむことでエネルギーが補給されますし、心も落ち着くことでしょう。また散歩をすることで体中に酸素が行き渡るので、頭がリフレッシュします。 仕事が大変なときは、休みを入れる時間を作ることすら惜しんでしまうかもしれませんが、適度に休みを入れないと逆に倒れてしまいます。焦ってしまっても良いことはありませんから、仕事が多いときでも休みは入れるようにしましょう。

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野に下る

【漢字】野に下る 【読み】やにくだる 【意味】官僚を離れて民間の生活に入る。 【例文1】不祥事発覚で辞職し野に下る。 【例文2】組織に不満を感じて地位を捨て野に下る。 【例文3】役員を追放されて野に下る。 「野に下る」は、政府の官僚などの地位のある人間が民間で生活するよう(民間人)になる意味があります。 この言葉は生活の格が落ちることを指す意味もあるのでしょうか。下るとは生活の質が下がることを連想しますね。「野」とは民間人の意味があるそうですが、地位の高い人間が民間人を馬鹿にしているようにも私は聞こえてきます。 官僚などが現在の役職などに不服で、自ら仕事を辞めるなどして民間人になる意味でも通じるらしく、悪いイメージだけでなく強い意志を貫くイメージもあります。どちらにしろ、現代では政治を生業にする方でも使用する方を見たことがありません。 地位を捨てることは勇気がいりますよね。現代でも天下りや不祥事を起こしても誤魔化しながら職務を続ける政治家もいます。そのような方に「一度野に下がることを考えてみては如何でしょう」と言えばどう反応するかが気になります。 もっとしっかり政治を行うためにも、民間人の生活を知ることが必要です。幼い頃から地位が高い方が、貧困に悩む方の気持ちを理解するのは難しいと思います。ですから一度野に下がって勉強するシステムができれば、政治家たちの気持ちは変わるのでしょうか。しっかりと政治活動をしてほしいですね。

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柳は緑、花は紅

【漢字】柳は緑、花は紅 【読み】やなぎはみどり、はなはくれない 【意味】柳緑花紅(りゅうりょくかこう)ともいう。春になれば緑の新芽が生え、紅い花が咲くように自然のままのを受け入れる。 【例文1】日本の四季は柳は緑、花は紅が楽しめる。 【例文2】桜が散ってしまった。柳は緑、花は紅だ。 【例文3】柳は緑、花は紅の季節は短い。 「柳は緑、花は紅」は「やなぎはみどり、はなはくれない」と読みます。漢詩だと「柳緑花紅」となります。意味づけは微妙に異なる場合がありますが、共通しているのは「ありのまま」と言うことだと思います。また、「柳は緑、花は紅」のあとに「柳は緑、花は紅、真面目(しんめんもく)」と続けて、更に「ありのまま」を強調する場合もあります。柳の緑はいいとしても、花は紅だけでなくいろいろな色があるではないかと思う方もあるかもしれませんが、あくまで紅は象徴であり、白でも黄色でも紫でも良いのです。つまり一種の「見立て」と考えれば良いのだと思います。 似たような言葉には「薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク」という言葉もあります。今、検索するとゲームの題名になったせいかゲームの話題しかでてきませんが、北原白秋の詠んだ詩の一節です。こちらも解釈はいろいろありますが、やはり「ありのまま」が良いと言っているのだと思われます。薔薇の木にひまわりが咲いたり、シクラメンが咲いたりすれば、珍しいので話題にはなると思いますが、それはただ珍しいだけであって本来の姿ではなく、本来の姿こそが一番美しいのです。

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柳の下にいつもどじょうはいない

【漢字】柳の下にいつもどじょうはいない 【読み】やなぎのしたにいつもどじょうはいない 【意味】柳の下で一度どじょうが捕れたからと言っていつも捕れるとは限らないもの。一度うまくいったからと言って次も幸運が訪れるとは限らない。 【例文1】バスに可愛い子が乗ってきた。次の日の同じ時刻のバスには柳の下にいつもどじょうはいなかった。 【例文2】今日は大漁だったが、次は柳の下にいつもどじょうはいない。 【例文3】柳の下にいつもどじょうはいないけど期待する。 「柳の下にいつもどじょうはいない」というのは、同じ方法で幸運を得られることは少ないという意味です。 たとえば株式投資で、ある会社に投資をして大儲けをすることができたとしましょう。一度上手くいったのでもう一度、もう一度と何度も投資をしていくのですが、最初の一回以外は失敗続きでした。これが「柳の下にいつもどじょうはいない」の例ですね。 ただ、柳の下にいつもどじょうがいる時もあります。この違いは一体何なのでしょうか?柳の下にどじょうがいることの根拠に理由がありそうです。 たとえば以前株価が上がって儲けることができたから今回も上がるに違いないという考え方を「経験論」と言います。経験論は当たることもあるのですが、根拠がかなり薄く一般的ではないので外れることも多いです。 一方、経験だけではなく株価に関する他の指標を見て考えると株価は上がるに違いないというのが「理性論」と呼ばれるものです。理性論に基づいた行動は根拠があるので当たる確率が高くなります。 体験したことを咀嚼して考えることが本当の経験だと言うことができます。そうした本当の経験を元にどじょうを探した場合、見つかる可能性が大幅に上がるのです。さて、私達も本当の経験を積んでどじょうを探しにいきましょう。

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柳に雪折れなし

【漢字】柳に雪折れなし 【読み】やなぎにゆきおれなし 【意味】しなやかな柳に雪が積もっても折れないことから、柔らかいものは堅いものより意外と丈夫である。 【例文1】場合によっては大人より子どもの考え方が、柳に雪折れなしの柔軟性がある。 【例文2】こんな小さい物でも耐久性に優れた柳に雪折れなしだ。 【例文3】小さいけど作りは頑丈で柳に雪折れなしだ。 「柳に雪折れなし」とは「柔軟なものは堅剛なものよりもよく事に堪えることができる」という意味です。柳で思い浮かべるのは小野道風(おののとうふう・みちかぜ)です。というと花札を思い浮かべる方もあると思います。そうです、花札に小野道風が傘をさして、柳に飛びつこうとする蛙を眺める絵柄があります。小野道風は平安中期の書家で三蹟の一人に数えられています。祖父は小野篁(おののたかむら)という平安前期の官人でありながら、学者であり、歌人であった人です。小野道風は若くして書に秀でた人でしたが、彼もスランプに悩んだ時があり、自分の才能のなさに嫌気がさしてもう筆を折ろうかとまで悩みます。そんな時、雨の中で、一本の柳の枝に跳びつこうと必死にジャンプする蛙を見つけます。届きもしないのに何度もチャレンジしている蛙を見て道風は「馬鹿な蛙よ、届きもしないのに何度も跳んで」と考えていたところ、突然強い風が吹いて柳の枝がしなり、蛙は跳びつくことに成功します。それを見た道風は「馬鹿なのは己の方であった。蛙は一所懸命に努力をすることで、偶然を自分のものとしたではないか。自分はまだこの蛙ほどの努力をしてはいないではないか」と考え直し、走って家に戻りました。その後、彼は必死に努力をし、柳のように耐え書家としての地位を築くのです。この逸話が戦前の道徳の教科書に載ったことから有名になりました。残念ながら真偽のほどは確認できないそうですが、今では花札の中にこの話は残っています。

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矢でも鉄砲でも持ってこい

【漢字】矢でも鉄砲でも持ってこい 【読み】やでもてっぽうでももってこい 【意味】どんな手段でも構わないから攻めるなら攻めてこいと覚悟を決める。 【例文1】矢でも鉄砲でも持ってこい。ゴールは絶対守ってみせる。 【例文2】矢でも鉄砲でも持ってこいと別れ話を付ける。 【例文3】矢でも鉄砲でも持ってこいと釈明会見する。 相手がどの様な手段や道具や技術を使って攻めて来ても構わず、全てを受けて立つと行った強い意志と、何が来ても決して驚かない、半分やけになった自暴自棄などの場合に使われる言葉です。矢や鉄砲を使って自分を攻撃してくる人がいても、決して驚かないと覚悟を持って決めておけば、それ以下の事が起こっても驚く必要も無く、又慌てる事も無く対応する事が出来るからです。一般的な使い方としては、大切な試合等の前の心境として使われる事が多く、「君たちは今まで一生懸命練習してきたのだから自信を持って試合に臨むように。後は矢でも鉄砲でも持ってこいの気持ちで試合に臨むように」と、監督やコーチから言われたり、会社では大切なプレゼンの前に「準備は整ったのだから、後は矢でも鉄砲でも持ってこいの心境で自信を持ってプレゼンを行う様に」と上司に励まされたりする時に使います。又、類義語としては雨が降ろうが槍が降ろうがや、たとえ火の雨槍の雨、どうにでもなれ等と言った言い方があり、いずれの言葉もその意味合いは、やけくそで有ったり自暴自棄に陥った状況で、何が来ても起こっても決して驚かない事を意味しております。

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躍起になる

【漢字】躍起になる 【読み】やっきになる 【意味】ムキになる。意地になる。 【例文1】彼は躍起になって反論する。 【例文2】負けじと躍起になる。 【例文3】躍起になると失敗する。 若いがゆえに躍起になることってありますよね。 躍起ってどちらかというと、意味合いとしてはむきなるとか必死になるということなので今の時代としてはちょっとカッコ悪いとか少しマイナスのイメージもあると思います。 でも、躍起になったからこそうまくいくとこもあるし、失敗することもありますが人生にはそんな時期があっても楽しいですよね。 例えば、人に馬鹿にされることってあったりするじゃないですか。 それで、馬鹿にされてたまるもんかという気持ちを力にして猛烈に勉強して受験に合格できたということもありますよね。 逆に、馬鹿にされたからと言って自暴自棄になって人に迷惑をかけることもあります。 どっちにしろ、凄い力がみなぎってくるってターニングポイントですよね。 若い時は頭に血が上りやすくむきになって失敗することもあるかもしれませんが、大人になると今凄く躍起になっているという感覚が少しわかるようになってきて、うまくいけば一皮むけるというか飛躍できるチャンスなんですよね。 大人になりただ毎日を単調に過ごしていたら、そうそう必死になれることってなかったりするので必死になれるものに出会ったら素直にその物事に躍起になろうと私は思うようなりました。 私は時々、自分の伝えたいことを無理に相手に理解しようとして躍起になってしまうことがあります。 会話は押せば押すほど相手は引いてしまうものです。 逆に相手が躍起になり過ぎてしまうと、こちらは引いてしまいます。 そのような時はそれに反応しないで、そっけなくしたほうが上手くいくようです。 自分の伝えたいことに対して相手に同感を得られないと、さらに何とかしようという気持ちが働いてしまうことがあります。 そのような時、躍起になって、あれこれ言ったり、言い方を変えて理解してもらおうと思っても無理なことが多いような気がします。 そのような時こそ、一歩引いてみて、作戦を変えたほうが上手くいくのかもしれません。 会話は相手とのキャッチボールですが、躍起になって話してしまうと、会話が成立しなくなってしまいます。 そうならないためにも、あまり感情的にはならないように気をつけたいものです。 世の中には話好きの人がいて、一方的に話してくる人がいます。 相手が聞き上手な人なら良いのですが、相手も話したい人だと、会話が上手く成り立たないことがあります。 我さきに話をしようとするので、第三者から見ると、それが滑稽に思えてくることがあります。 会話でもお互いが一歩引く気持ちで話すようにすれば、上手くいくのだと思います。

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痩せの大食い

【漢字】痩せの大食い 【読み】やせのおおぐい 【意味】痩せているの人に限って意外と大食いである。 【例文1】彼女は痩せの大食いなのになぜ太らないのだろう? 【例文2】食べても太らないなんて痩せの大食いが羨ましい。 【例文3】彼女はスリムだが、見かけによらず痩せの大食いだ。 痩せの大食いという意味は言葉そのものです。 体が痩せているのに大食いという方は世の中にはたくさんいらっしゃいます。 私も以前は、大学で水泳をしていて、食べても食べても太らないという状態でした。 これは日常の水泳の練習で消費するカロリーと食事等で摂取するカロリーのバランスが取れていた状況であったためです。 最近は、運動をしていない状況であるため、太り気味です。 痩せの大食いという性質を生かし、たまにテレビ番組の大食い選手権をやっていたりますが、出場者の体型をみると、結構体が痩せています。 その体型とは裏腹に、たくさん食べるという状況を見ると、体の作りがどうなっているのか不思議でなりません。 また、痩せの大食いの方は、満腹中枢に異常をきたしている可能性や、胃下垂といったことも考えられます。 一方で、大食い選手権のようなテレビ番組は批判を受けやすい内容であると思います。 例えば、食べ物を粗末にしているとか、食べれない人たちのことを考えていない、という内容です。 私もよくこの番組を見ますが、出場者の食べ方も汚く、世間一般的な批判も理解できます。 ただ、痩せの大食いという特徴を生かした、タレントの露出は低くなってきていると思います。

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痩せても枯れても

【漢字】痩せても枯れても 【読み】やせてもかれても 【意味】どんなに落ちぶれても衰えても志は持ち続ける。 【例文1】年を取って以前のように走れなくなったが、痩せても枯れてもウォーキングは欠かせない。 【例文2】痩せても枯れても経営者としての意地を持つ。 【例文3】痩せても枯れても婚活を続ける。 「痩せても枯れても」は「どんなに衰えても。どんなに落ちぶれても」という意味です。この言葉で連想するのは「蝶々夫人」です。「蝶々夫人」はアメリカの弁護士ジョン・ルーサー・ロングの短編小説を劇作家デーヴィッド・ベラスコが戯曲におこし、さらにそれらをもとに制作されたジャコモ・プッチーニ作曲のオペラです。オペラに興味がなくても、蝶々夫人のアリア「ある晴れた日に」は聴いたことがあるという方も多いと思います。 アメリカ海軍の士官ピンカートンは日本人の少女と結婚することになり、その結婚式で出会ったのが芸者をしている蝶々さんです。蝶々夫人との間に子どもを授かりますが、3年後に本国に帰ってしまいます。そしてあろうことかアメリカ人の女性と結婚するのです。その事実を知らない蝶々夫人はひたすら夫を信じて、周囲の疑念を一笑しながら帰りを待ちます。ところがピンカートンは日本に妻を伴って現れ、「蝶々夫人との間の子どもを引き取ってアメリカで妻に養育させることにした」と、卑怯なことに自分では告げず、妻に話させる始末。周囲は芸者に戻って子どもを育てる道もあると勧めますが、芸者に戻っては子どもに恥をかかせると言って、子どもに目隠しをさせ、両手に日本とアメリカの国旗を持たせておき、自分は自刃します。最期まで子どもに手をのべながら。という筋立てですが、彼女こそ「痩せても枯れても」ピンカートンの妻としての、子どもの母としても誇りを捨てずに散った花だったと思うのです。

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安物買いの銭失い

【漢字】安物買いの銭失い 【読み】やすものがいのぜにうしない 【意味】安いからといって買っても質が悪く使い勝手の悪さから買い替えしなければならず、結果お金の無駄使いになるという意味。 【例文1】安物買いの銭失いばかりするから、部屋が物で溢れている。 【例文2】安い商品に飛びつきすぐ壊れて修理代が高くついた。安物買いの銭失いだ。 【例文3】ただで譲ってもらった車のガソリン代が高く、安物買いの銭失いだ。 安物買いの銭失いとは安い物は壊れやすく結局は買い替えが必要になりかえってお金の無駄であるということです。 家計を預かる主婦の身としてはやはり少しでも安いものを買いたいと思うのは当然ではないでしょうか。 マイホーム資金のために日ごろから節約を心がけています。 近くにドラッグストアがオープンして今や食材まで買えて大変便利です。 偏頭痛持ちなのでオープン価格で頭痛薬が大幅に安くなっていて、つい3箱も買いだめしました。基本、市販の薬でもなんでもメーカーにこだわらず効きます。買って間もないうちに偏頭痛がきました。この前買っておいた薬を飲みました。5分もすれば効くだろうと思ってソファに横になりました。ところが5分経っても10分経っても1時間経っても効き目が表れません。6時間後にあと2錠飲んでも結局は効きませんでした。我慢して眠りにつき翌日、いつも常用している薬を買いました。 「安物買いの銭失い」は誰でも一度は聞いたことのある言葉だと思います。「安価なものはそれだけ質も劣るので結局は銭カネを捨てるに等しい結果となる」の意味でいろはかるたの江戸版に集録されています。その時代からの消費行動に基づいた教訓だったに違いありません。今は違うよと言われる方もいると思います。「安い物でも質の良いものもある」という主張が出てくるのはデフレの時代と決まっています。インフレになれば「安かろう悪かろう」が蔓延するのです。ここ何年もデフレが続いていますから、「安くなければ物が売れない。だから良い品物ですら値引きをして販売する」という手法がとられているのです。消費者には恩恵がありますが、長く続くと体力のない会社では屋台骨がぐらつく事態に陥るところも出てきます。そうするとどうなるか、今、地方で問題となっている買い物難民や、商店街空洞化問題が湧き上がるのです。 どんな店舗も仕入れた値段に販売マージンや経費を上乗せして小売り価格を決めますから、安売りでマージンがとれなければ従業員の給料や電気代や家賃まで払えなくなり撤退が余儀なくされます。店舗の閉店が続くと商店街としての集客力がなくなりますから、いよいよ多店舗までお客様が減るという悪循環に陥るのです。需要と供給のある競争社会の原理として避けては通れないことではありますが、最終的に買い物をする店舗がなくなれば困るのは消費者ですから、行政の対応とともに一人ひとりの賢い購買行動を見直す時期なのかもしれません。

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野次を飛ばす

【漢字】野次を飛ばす 【読み】やじをとばす 【意味】大声で人を非難する。 【例文1】試合に負けて野次を飛ばすなんてみっともない。 【例文2】サポーターが相手チームの選手に野次を飛ばす。 【例文3】政治家が野次を飛ばす。 相手の言動に対して、大声で文句を言ったり、非難している様子を「野次を飛ばす」といいます。 この野次という言葉は、野次馬の野次からきていると言われます。 また、この野次馬の語源は「親父馬」からきていて、親父馬(年を取った馬)はもう何も役に立たず若い馬の後ろをただついていくだけだったことから 何も役に立たない無責任な発言を大きな声でしている人に対して野次を飛ばしていると使うようになったという説もあります。 若い人の発言に対して何も役に立たない発言を大きな声で発している「おやじ」? 「まずは自分が子どもを産まないとだめだぞ!」 「がん患者は働かなければいい」 「早く結婚した方がいいんじゃないか」 国会では年を取ったおやじがセクハラ野次を繰り返しています。 「野次は議会の華だ」という考えもあるそうです。 でもそもそもは役に立たないおやじ馬が語源です。 何も役に立たない無責任なことを大きな声で発言するのが野次を飛ばすです。 なぜ、それが華になってしまうのでしょう。 人が聞いて不愉快になってしまう発言に華は決して生まれないと思います。 このように「野次を飛ばす」の意味を踏まえて国会の様子を見ていると 「年を取った馬」がいっぱい座っていませんか? よくテレビなどで国会中継が放送されていますが、我々一般人が気になるのは、国会議員の答弁よりも、国会議員の野次です。国会議員はなぜ野次を飛ばすのかを考えてみました。 まず私達が思う事は、「野次を飛ばしているあの時間も、国会議員達の給料が税金から支払われている」と言う事です。そんな無駄な時間を使うんだったら、しっかり話し合って有意義な時間を使ってくれって、誰もが思うはずです。 野次を飛ばす理由として、「国会議員達の作戦」があると思います。答弁中の議員に野次を飛ばす事で、議員の平常心を奪い失言などを引き出そうとしているのです。そうやって自分達を優位に立たせ様としているのです。自分の意見を言っている時に横から茶々を言われれば、良い気はしないです。特に国会議員は熱い気持ちを持って答弁しているので、余計失言し易くなるのかもしれません。 少し前に東京都議会で「セクハラ野次」が話題となり、毎日ニュースとなっていました。筆者は言って良い野次と、言ってはいけない野次があると考えています。セクハラ野次は誰がみてもNGです。公人として、人としてセクハラ野次は絶対にダメです。議員の方は税金を貰っている以上、答弁や野次には十分気をつけて議会を進めていって貰いたいです。

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焼け木杭に火が付く

【漢字】焼け木杭に火が付く 【読み】やけぼっくいにひがつく 【意味】一度焼けた杭は再び火が付きやすい事から、過去に付き合った男女がまた付き合うこと。 【例文1】同窓会で会った元彼と焼け木杭に火が付く。 【例文2】元カノが忘れられず、同窓会で焼け木杭に火が付く事を期待する。 【例文3】焼け木杭に火が付いて復縁する。 焼け木杭に火が付くとは、一度焼けた杭は火が付きやすい事から、以前に関係のあった者同士が、再び元の関係に戻ることのたとえです。主に男女間の関係について言います。 最近は、薪で火を付けることはほとんどありませんから、焼け木杭と言ってもピンと来ない人の方が多いのではないでしょうか。木が燃えると、炭になる前に消しても、またすぐ火が付きやすいのです。火事があったときに、十分消火されても、消防署の人たちはなかなか帰りません。それは、一度消えた火がまた再燃する可能性があるからです。 焼け木杭というのは、そのようなものと考えると解りやすいかもしれません。 この言葉は最近では余り使いませんが、あえて使うとすると、このように使います。学生時代に付き合っていた二人が、就職をして別れてしまいました。ところが、久しぶりの同窓会で会って、また付き合うようになったという場合は、焼け木杭に火が付いたと言います。今風に言えば、元彼や元カノとの復縁です。 お互い独身であれば良いのですが、これがもう他の人と結婚していた場合は、どろどろした関係になりかねません。十分な注意を持って火を付けるようにする事です。 できることなら、楽しかった思い出のままにするのが良いでしょう。

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焼け野の雉子夜の鶴

【漢字】焼け野の雉子夜の鶴 【読み】やけののきぎすよるのつる 【意味】キジは巣がある野が焼けると必死で子を助ける。鶴は寒い夜は羽根で子を覆って温める様子から、子どもを思う親の愛情深さをいう。 【例文1】人の親となり、両親がよく言っていた焼け野の雉子夜の鶴をしみじみ想う。 【例文2】子どもの寝顔を見ると焼け野の雉子夜の鶴で愛おしい。 【例文3】子どもを持って焼け野の雉子夜の鶴を知る。 野原で雉が雛を抱いているときに、火事が起こりましたが、火が近づいてきても雉の雌は逃げることをせず焼け死んでしまいます。火が治まった後、親鳥の死骸の下から雛が出て来ました。また、冬の夜寒い中、鶴の雌は羽を広げて雛を守っていました。親鳥は凍え死んでしまいましたが、雛は羽に守られて生きていました。このことがことわざとなったのが、焼け野の雉子夜の鶴なのです。つまり、親は自分の身を顧みず子ども(雛)を守ると言うことわざです。 しかし、最近のニュースを見ていると、雉や鶴にも劣る人間の親の多いことに悲しくなります。鳥に限らず動物は、自分の子どもは身を挺して守ります。しかし、人間はそうではありません。自分のお腹を痛めたわが子ですら、虐待をし、育児放棄をします。そして、多いのが離婚をした後に自分で引き取って置きながら、新しい恋人ができると、その子どもはただの邪魔者になります。我が子にこのような仕打ちをするのは人間だけです。 数年前になりますが、茨城県水戸市の千波湖のほとりでコロニーを作っている黒鳥が、心ない少年に襲われました。その際、子育ての最中でした。この親鳥は自分よりも遙かに体の大きな数人の少年に向かって、羽を大きく広げ威嚇しますが、少年達は、このけなげな親鳥を打ち殺しました。もちろん、動物保護の関連で逮捕をされましたが、このように雛を守る親の姿を、この少年達はただただ笑い飛ばしたと言います。そんな話を聞いて許せませんでした。 昨今、まともな子育てのできない親が多い為に、このような少年達も出てくるのでしょう。 このことわざの、雉や鶴を人間も見習うべきなのです。

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焼け石に水

【漢字】焼け石に水 【読み】やけいしにみず 【意味】焼けている石に水をかけても蒸発してしまうことから、努力が足りなくて効果がないという意味。 【例文1】10分勉強したくらいでは合格するわけがない。焼け石に水だ。 【例文2】1ヶ月練習したくらいでレギュラーは焼け石に水だ。 【例文3】200万の借金に2万円借りたところで焼け石に水だ。 焼け石に水とは焼けている石に水をかけてもすぐ蒸発していまうことからこのことわざがうまれました。意味は努力や援助が少なくて役に立たないことを言います。 具体例として 「借金が300万円に膨らんでしまったために親に3万円借りたところで焼け石に水だ」 「テスト勉強を徹夜で頑張ったが、眠くてしょうがない。焼け石に水だ」 「広い庭の花壇にじょうろで水やりをする。ホースで散水しないと焼け石に水だ」と使うことができます。 私も焼け石に水体験をしたことがあります。 小学校のころから足が速くかけっこは1、2番。毎年夏休みに行われる地区対抗のバスケットボールは弱小チームと言われながら準優勝となんでもこなせた感じでした。中学校では初心者ながらサッカー部に入部しました。体つきが大きかったのでゴールキーパーを命じられました。先輩は5歳からサッカーを続けていて小柄でしたが、瞬発力が半端ないくらい機敏でした。ただ体が大きいだけの自分は焼け石に水状態でした。 焼け石に水とは、効果が微弱であまり意味のない行動や、その様のことを指す慣用句です。あくまで「わずかな効果」であって、まったく意味がないわけではないので注意が必要です。類義語としては「遠火で手を焙る」や「二階から目薬」などがあたり、「焼け石に雀の涙」とも言うそうです。 語源は、焼けて熱くなった石(焼き石)に、ほんの少しの水をかけても、すぐに蒸発してしまうので、僅かに温度は下がるのかもしれませんが、あまり意味がありません。転じて微力の援助や努力ではほとんど効果が無いことを示す語として用いられます。つまり、事態が悪化するまでには様々な経路でそうなったのだから、少しの努力で改善するのは容易ではないという意味です。 どちらかというとマイナスなイメージの語で、「そんなことしても~」の形で使われることが多いです。「無意味」が一番近い言葉になると思いますが、「しないよりマシ」の意味も内包しています。英語でも似たようなものがあり、「What is a pound of butter among a kennel of hounds?(一群の猟犬に1ポンドのバターで何の足しになる?)」と言うそうです。 熱くなり過ぎた石は冷ますのに莫大な労力が必要になります。勿論大量の「水」を簡単に用意できるなら問題ないのですが、そうでないのなら石の温度に注意したいですね。ただ、もっと気を付けないといけないのが、「水」を運んでくれた人たちには決して言ってはいけません。そんなことした失礼になってしまいます。 意味の間違いもそうですが、使い方を誤っても恥をかくことわざや慣用句。正しく理解して適切に使っていきたいですね。

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焼きを入れる

【漢字】焼きを入れる 【読み】やきをいれる 【意味】鍛冶屋は刃物を焼いて鍛えて強度を増すことから、たるんだ気持ちをたたき直すこと。 【例文1】部活をサボった後輩に焼きを入れる。 【例文2】居眠りしている生徒に焼きを入れる。 【例文3】ぐうたら生活に焼きを入れる。 焼きを入れるとは、元々刀などの刃物を作る際に、鋼鉄を熱し急速に冷やすことで高度を上げる作業のことです。この作業をしないと「なまくら」のままで刃物として役に立ちません。この役に立たないということから、弛んだ精神や言動を矯正する意味で焼きを入れると言います。 刀を作るときの焼き入れを見ると、まさに神事です。火で真っ赤に熱せられた鉄が打ち延ばされ、それが冷水の中に入れられます。ジュッというすごい音もします。そして、また熱してと、同じ作業を繰り返し、あの研ぎ澄まされた日本刀が生まれるのです。きっと、人間に対してもこの言葉を使った人は、そんな研ぎ澄まされた人間になって欲しいと思ったのかもしれません。 現代では、不良グループが焼きをいれるぞ、などと使いますが、これは矯正をすると言うよりは、ただ暴力を振るうだけです。本来の焼きを入れるということは、昔風に言えば「しごき」に近いかもしれません。また、戦時中などは徴兵されて仕方なく戦場に駆り出された人たちが、ダラダラしていたりすると、焼きを入れられたようです。 つまり、いい加減な人に対してきちんと物事に対応できるように教育するということなのです。

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焼き餅を焼く

【漢字】焼き餅を焼く 【読み】やきもちをやく 【意味】ねたみや嫉妬する。 【例文1】彼女は可愛くて成績も良いいから、誰からも好かれて彼氏が焼きもちを焼く。 【例文2】彼氏が女の子と喋っただけでも焼き餅を焼く。 【例文3】焼き餅を焼いて束縛する。 私はポメラニアンが好きで、家では二匹飼っています。 二匹飼っていると、一匹かわいがると、もう一匹が焼き餅を焼くので中々大変です。 ある時私は、犬を散歩に連れて行く事にしました。 二匹同時に散歩に連れ出そうとしたのですが、一匹が気持ちよさそうに寝ていたので、起こすのはかわいそうと思い、起きている一匹だけ散歩に連れ出しました。 それからしばらくして散歩から帰ってみると、寝ていた一匹が起きていて、ご機嫌斜め状態になっていたのです。 どうやら自分が寝ていた間にもう一匹とだけ散歩に出たのが、気に入らなかったようです。 私が名前を呼んでおいでと言ってもそっぽを向いて、来てはくれません。 仕方がないのでしばらくの間、この子のご機嫌取りに付き合わされました。 ですがその間もう一匹をほって置いてしまったので、今度はその子がへそを曲げてしまったのです。 ワンワンと私に向ってけたたましく吠えて、自分を構ってくれとこれでもかとアピールしだしたのです。 それからというもの私は二匹同時に可愛がりました。 この子たちを見ている内に、自分が子どもの頃、姉ばかりかわいがる母親に焼き餅を焼く自分の姿を思い出しました。 それで母を困らせてしまった事があり、今回の事でその時の母の大変さが身にしみてわかったのです。 小さい子供やペットが、親や飼い主が自分ではないものをかわいがると焼き餅を焼くと言われています。赤ちゃん返りをしたり、ペットであれば吐いたりすることもあるようです。そのように小さい子供が焼き餅を焼くこともあるかと思えば、大人でも恋愛において焼き餅を焼くことがあります。恋人が自分以外の人と仲良くしていたのを見た場合に焼き餅を焼くことが多いでしょう。そして未熟な頃の恋愛では、わざと相手に焼き餅を焼かせて、愛情を確かめるということをする人もいるはずです。私も若いころはそうでした。彼が私のことを好いてくれるのは分かっていても、愛情を確かめる術がそれしか思いつかなかったのでした。彼が怒ることで、私を見ていてくれている、と思っていたのでした。しかしそうした恋愛は長くは続きません。彼は怒ることが多いし、私も怒られます。そして次第にエスカレートして、異性との連絡先の交換、やり取りも制限されるようになって、最後にはお互いがしんどくなってしまったのでした。 焼き餅を焼くというとかわいいものですが、少し変な方向へ行くと、愛情のもつれから犯罪にもなりえます。相手がどう思うか、自分はどうみられるかも意識した恋愛をするべきでしょう。

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焼きが回る

【漢字】焼きが回る 【読み】やきがまわる 【意味】刃物を焼きすぎると切れ味が悪くなるもので年を取ると判断力が鈍ったり、腕前が衰えるという意味。 【例文1】5キロ走ったら焼きが回って息切れがひどい。 【例文2】車に頼ってばかりだから足腰に焼きが回る。 【例文3】スマホに頼って思考回路に焼きが回る。 焼きが回ると言うことわざの意味は、年齢と共に頭の働きや判断力が鈍くなったり、自身の持つ技術の腕前が落ちてくることです。 具体的な使用例は 「100メートル走っただけで動悸が激しいなんて、焼きが回ってきたな」 「パソコンに頼ってばかりで漢字の読み書きができなくなった」などの場面は皆さんも経験された方がいるのではないでしょうか? 確かに今は便利なスマートフォンの普及でいつどこにいても新しい情報を得る事が出来ています。わからない土地に行っても勝手に音声付でナビゲートしてくれますし、気軽に旅行を楽しめます。施設の予約もネット一本で簡単予約で便利な世の中です。 私が車の免許を取得して車を買った時はナビなんてついていませんでしたから、助手席の人が地図片手に通行人に聞いたりグルグル走り回ったものです。 コンビニも100メートル走れば次のコンビニが見えてきます。この30年走ることなく車に頼って生活しています。おかげで少々メタボ気味です。年齢を考えると焼きが回る前に朝晩ウォーキングでも始めようかしら。

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矢面に立つ

【漢字】矢面に立つ 【読み】やおもてにたつ 【意味】非難や批判を集中的に浴びる。 【例文1】芸能人のスキャンダル報道で矢面に立って会見する。 【例文2】マナー違反者は矢面に立って当然だ。 【例文3】政治家の失言で矢面に立つ。 生きていると自分の不器用さがつくづく嫌になり、自分自身でもかろうじて知っている自分の中の僅かながらの良い部分を、この両の手の平からはらりと自らこぼしてしまいたくなる時が誰にもあるかもしれません。 けれども、どうか踏みとどまってほしいのです。 「どうして自分だけが」と思う日があるということは、しっかり生きている証でもあるということです。 矢面に立つという言葉がありますが、誰にでも敵の真正面に立つ力があるわけではありません。 気が弱い人間には立てません。 自分のことだけを愛して生きてきた人間にも、到底立てません。 批判や非難を受ける人間がいるから、それができない大勢の人間がい生きていられるのです。 人の中で生き、大人であるのならば、これからもずっと矢面に立つ覚悟を持った人間でありたいと願っています。 最近は、大人であるということが当たり前ではない世の中になってきているのかなと思うのです。 良い服装をして、良い持ち物を持ち、身なりは立派な大人であるかもしれません。 人前では日常の自分とは切り替えられる器用な人物も多くなり、礼儀もわきまえているように錯覚させられる人間も多くいます。 けれども、本当の大人と言うのは、いつ何時、矢面に立つことを求められても、しっかりと逃げずに陣頭に存在できる。 そういう人物だと思います。 普段がしっかりしているから、いざという時に活動の第一線に立てるということなのです。

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刃に掛かる

【漢字】刃に掛かる 【読み】やいばにかかる 【意味】刀で斬られる。 【例文1】敵が仕掛けた罠に刀に掛かる。 【例文2】畑を荒らすイノシシを刃に掛ける。 【例文3】屋根裏部屋のネズミを刃に掛ける。 「刃に掛かる」の刃の読みは「は」ではなく「やいば」です。意味は「刃物で殺されること」です。物騒な言葉ですが、これは1603年(慶長八年)に日本イエズス会が刊行した日本語をポルトガル語に訳した日葡辞書に載っている言葉なのです。当時の標準語である京都語をポルトガル語のローマ字で見出しにつけて、歌語と文語を注釈したものです。「刃に掛かる」が辞書に載せられた時代とはいつ頃でしょうか。慶長八年は江戸時代の初めです。国盗り合戦が行われた安土桃山時代を経て、ようやく徳川家康が江戸幕府を開いて世の中が落ち着いたかなという頃です。織田信長に擁護されていたキリスト教はイエズス会がフランシスコ・ザビエルを日本に送り、布教に励み信者が増えてきたところで、豊臣秀吉が一転、禁教令を出して大混乱します。その頃には日本イエズス会もありましたが、多くのキリスト教徒たちが禁教令による混乱の中、「刃に掛かり」亡くなっていったのです。もちろん、それ以前の合戦の中で「刃に掛かる」ことはたくさんありましたから、軍記物語などの書物には文語で「刃に掛かる」が出てきていたのでしょうが、この言葉が当時の日葡辞書に掲載された事情にキリシタンの弾圧があったとすれば、とても悲しいことですね。

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