鶴の一声

【漢字】鶴の一声
【読み】つるのひとこえ
【意味】議論してもなかなか決まらない中、権力者の一声で決まること。
【例文1】祖母が孫に怒っても効き目ないが、母親が怒ると鶴の声で黙る。
【例文2】意見がまとまらないので、鶴の一声がほしいところだ。
【例文3】妻の鶴の一声で静まる。

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鶴の一声で済むならそれが一番楽でしょう

多くの者が集まって議論すると、互いの意見が全くかみ合わず長い長い議論は終わりも見えない状況は、何度遭遇しても精神肉体共に疲れ果てさせます。
最終的には最高責任者とその配下の思惑で事は定まる運命にあるのですから、茶番としか言いようがありません。
それでも尚、話し合いという形式が未だに存在することには何の意義があるのでしょう。
まず考えられるのは、多くの社員から意見を聞いたという事実が取りあえず欲しいのではないかということです。
部下の意見には一切耳を貸さずに全て好き勝手に取り決めて実行させるのはいささか外聞も悪そうです。
加えて全ての判断をするということは、全ての責任を負うというリスクまで背負い込みます。
意見を採用して仕事を任せてみた、というならば責任を負う部分はかなり軽減されるでしょう。
次に考えられそうなのは、経営方針など特に何も考えていないということです。
大きな損失を出さずに、それまでの手法を続けるだけでもそれなりの利益は見込める場合がこれです。
誰かがリスクはあるけど大きな儲けが見込めそうなプロジェクトを提案するという面倒ごとを持ち込まなければ会議の必要すらありません。
しかし、何もせずに働いていて昇格することなどないならば、会社の社運を賭けるような仕事をあえて提案する人もいるのです。
そういう人間には鶴の一声すらも馬耳東風、空気も読まずに無駄な会議は今日も続くのです。

組織を良くしたいのに揉めて収集がつかないときは鶴の一声を

もしも学生さんであれば部活やサークルなどで、社会人であれば会社で、誰かと揉めてしまうことはあると思います。ときには激しい口論になることもあるかもしれません。もしかするとお互いに「こうすれば組織が改善されるはずだ」という意見を言っただけなのに、その内容がお互いの信念と異なっていたがため、口論になってしまったのかもしれません。このようにお互いが改善策を提案したにも関わらず、それで揉め事が起きてしまうのは悲しいですね。

仮にこのような状況に陥ってしまった場合、強い権力を持つ人、すなわちリーダーが鶴の一声を浴びせてしまうのも有りでしょう。特に先に述べたケースであれば、揉めている当人たちは「組織を良くしようとしている」ことが見受けられるため『組織のことを考えて動いている人』だと言えます。そのような人であれば、組織のトップであるリーダーの言うこともきちんと聞いてくれる可能性が高いでしょう。

組織を良くしようとしてたくさん意見を出し合うのは、その組織に属している人がそれだけ組織のことを愛しているからだと思います。組織を愛せるのは良いですが、そのせいで意見を出し過ぎて揉めてしまった場合は、いったんリーダーが場を静めさせて、もう一度みんなで頭を冷やしてから話し合うのが良いでしょう。

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