学びて時に之を習う、また説ばしからずや

【漢字】学びて時に之を習う、また説ばしからずや
【読み】まなびてときにこれをならう、またよろこばしからずや
【意味】学んだことが理解できれば嬉しくなるもの。
【例文1】諦めない精神が学びて時に之を習う、また説ばしからずや。
【例文2】子どもを褒めて伸ばす方針が学びて時に之を習う、また説ばしからずや。
【例文3】繰り返し学習することで学びて時に之を習う、また説ばしからずや。

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「学びて時に之を習う、また説ばしからずや 」ほんとうの学習ということ

「学びて時に之を習う、また説ばしからずや 」は『論語』の一節で、その後に「朋(とも)有り遠方より来る、また楽しからずや」という有名な言葉が続きます。こちらは「遠くから友達が訪ねてくるのは楽しいことだな」というような意味ですね。
さて、「学びて時に之を習う、また説ばしからずや」の方ですが、その意味は「学んだことを後から復習して理解を深めたり身に着けたりすることは嬉しい事だな」といった意味でしょう。「説ばしからずや」は「よろこばしからずや」と読み、楽しいとかうれしいという意味です。
この言葉は当たり前のことを言っているようですが、学習というものの本質を表していると言っていいでしょう。人間、学んだことが一度頭に入ると、それでわかったつもりになってしまいがちですが、一度覚えれば、それでそのことが正しく身に着いたとは言えません。
まちがった解釈をしてしまうこともあるでしょうし、表面的にしか理解できていないということもあるでしょう。
それを、何度も反復し、復習していく過程で、正しい理解をするようになったり、学んだことの本質がだんだんよくわかってくるものです。
孔子は「だから、私の教えたことも、一通り聞いてわかったつもりにはならず、何度も思い返して理解を深めていきなさい」と説いているような気がします。
それが真の勉強であり、そのことによって人間は成長していくのではないでしょうか。

高橋一生の「学びて時に之を習う、また説ばしからずや」

「学びて時に之を習う、また説ばしからずや」は論語に出てくる言葉です。「学んだことを、機会があるごとに復習し身につけていくことは、なんと喜ばしいことでしょうか」という現代語訳になります。学んだことが身に着く、自分のものになる、これは喜びであると孔子は説いているのです。この言葉は「 有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。」と続きます。「友人が遠方からわざわざ私のために訪ねてきてくれることは、なんと嬉しいことでしょうか。 人が私を知らないからといって不平不満を言うことはありません。これを君子と言うのではないでしょうか」が現代語訳です。友人が遠方からわざわざ訪ねてきてくれるのが嬉しいというのは、誰にでも覚えのある喜びだと思います。それと同列に、学んだことが自分の血となり肉となることが喜びだというのです。ちょっと凡人には得難い感覚ですが、その後で虚栄心を諫める孔子は立派です。今年の夏のコマーシャルで高橋一生さんがブルースハープを、浜野謙太さんがトロンボーンを演奏し、東京スカパラダイスオーケストラとセッションを繰り広げるものが話題になりました。高橋さんはブルースハープを普段から手にしているそうで初披露となった喜びをコメントしていましたが、これも「学びて時に之を習う、また説ばしからずや」ですね。

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