猫に小判

【漢字】猫に小判
【読み】ねこにこばん
【意味】猫に銭を与えても何の役にも立たないことから、価値がわからない人に高価な物を与えても無駄。
【例文1】彼にブランド服を教えてもファッションセンスがないから猫に小判だ。
【例文2】幼児にLouis Vuittonを与えても猫に小判だ。
【例文3】夫のコレクションが邪魔で猫に小判だ。

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猫に小判の意味を考える

「猫に小判」の似たようなことわざで「豚に真珠」、「馬の耳に念仏」のようなものがあります。
どれも動物が出てきますが、この表現は非常にわかりやすいと思います。

必要な人の所に必要なものが行き渡れば、それはとても有効に活用できます。
しかし、必要のない人の所に必要のないものが行くようだと、それは無駄になってしまいます。

世の中は無駄がないようになっているといいのですが、実際のところはそうでないことが多いような気がします。
その例が、お金のある人のところにお金が多く集まるといったことが挙げられます。

そのため、お金のある人はお金を有効活用して、世の中の役に立つように使うことが必要なのかもしれません。
いくらお金があっても、お金がもっと欲しいと思っている人のところへは、逆にお金は集まらないのかもしれません。

そう考えると不必要な人のところに、それが行くのが自然な働きなのかもしれません。
毎日を快適に幸せに過ごしていくためには、欲しいものを追い求め過ぎないことが必要かもしれません。

欲しい、欲しいと思っていると、案外欲しいものはやってこないような気がします。
猫に小判のように、お金を必要以上に欲しがったり、必要だという雰囲気を醸し出さないようにしていたほうが幸せに生きられるような気がします。

猫に小判は有名

諺に猫を使用している言葉は多いですがその中でも猫に小判は有名かと思います。たとえ価値あるものだったとしても、持っている者がそれに何の関心もなければ役に立たないという意味で、もったいないというあざけりの言葉として用いられます。かくいう私も猫に小判のように貴重であったのに関心なく見過ごしてしまった事がありました。まだ小学生だった頃の話です。母が知人から貰ったという大きな鉢を持って帰って来ました。月下美人という花が咲くと言っていました。蕾がいくつか付いてる状態で滅多に咲かないしあまり見かけれない花らしく、母親はとても嬉しそうに毎日咲くか病気になってないか観察しておりました。とうの私は花そのものに興味がなく月下美人の魅力に気づけず、見事に開花させた時の母が写真を取りまくってる姿や、花が萎んでしまってからも暫く鉢を片付けられない位の愛着を持っていた事がよく分からなかったのです。しかし大人になった今、その事を思い出すと何と勿体無かったのだろうと感じます。確か夜に咲いてたなとか、キレイだった気がすると曖昧な記憶の中で、花を愛でられる感性があったらと猫に小判だった自分に後悔です。猫に小判の価値とは人それぞれ違うと思いますが、時間が流れると分からなかった価値に気づけたりする事もあるのだなと思いました。

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