瑠璃も玻璃も照らせば光る

【漢字】瑠璃も玻璃も照らせば光る
【読み】るりもはりもてらせばひかる
【意味】才能がある人は、どこにいても目立つものである。またそのような人は機会を与えられれば、すぐに能力が発揮する。
【例文1】瑠璃も玻璃も照らせば光るものだから、人並み外れた暗記力を持つ彼女はいずれ大物になるだろう。
【例文2】アドリブ対応が瑠璃も玻璃も照らせば光る。
【例文3】何でも器用にこなし、瑠璃も玻璃も照らせば光る。

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瑠璃も玻璃も照らせば光る、七宝のうち2つ

七宝(しっぽう)というのは、仏教からきた言葉で7種類の宝だそうです。そんな有難い宝ですから日本でもあらゆる地名や七宝焼のような工芸品にも使われています。
7つの宝の種類は金・銀・瑠璃・玻璃・瑪瑙(めのう)・シャコ(貝の名)・赤珠(珊瑚)のことを指しているというのが、無量寿経という経典に書かれているそうです。
オリンピックの金銀(銅はわからないが)はここからきたのでしょうか?仏教用語なのであまりオリンピックと関係ないかもしれませんが、世界的にも金銀は貴重な金属という事は共通しています。瑠璃色というのは青(紫帯びた濃い青)、英語ではウルトラマリンブルーらしいです。玻璃というのは水晶のこと、そして硝子もこの言葉を使われるようになったのは水晶のように透き通って昔は貴重品だった為にこう呼ばれていたと思います。この2つの瑠璃・玻璃を使って「瑠璃も玻璃も照らせば光る」ということわざがあります。意味は、どちらも照らせば光ることから優れた才能を持った人はすぐわかる、または大成したり才能を開花させるという事です。
ところで、七宝には序列があるんでしょうか?照らせばという付帯状況があるから金銀には落ちるのかなと考えたのですが、玉石混淆という言葉もあります。平凡なものと優れたものを見分けるには光が必要なんですね。

瑠璃も玻璃も照らせば光る。あなたも、瑠璃や玻璃かもしれません。

「瑠璃も玻璃も照らせば光る」とは、「優れた者は、どこにいても目立つ」という意味です。江戸いろはがるたの中にも入っています。瑠璃とは青い色の宝石、玻璃は水晶のこと。たとえ石ころの中に混じっていても、どちらも、光を当てると美しく輝きます。人間も、そのように、素質のある者は目立つというのです。
現在は、インターネットの発達により、才能のある人はその才能を開花させる方法を見つけることができます。たとえば文章・絵・イラスト・漫画などが上手ければ、ブログやツイッターなどで発表することで、それが多くの人の目にふれ、やがてはメディアに取り上げられることにもなります。努力次第ではプロになる道も開けます。自ら光を当てて、自分を光らせることができるのです。
しかし、インターネットが発達する前は、たとえ才能があっても、それを活かす方法は限られていました。せいぜい雑誌や新聞に投稿したり、出版社が公募する新人賞に応募する程度の手段しかありませんでした。新聞などに掲載されても、周囲の人たちが褒めてくれるだけで、結局は自己満足にしかなりません。新人賞などに入選できる人は、ほんの一握り。やがて、才能ある人も、「本当は自分には、才能なんてないんじゃないか」と自分を見限ってしまいます。その結果は、「玉石混淆」です。石ころのなかに宝石も混じっている状態になります。時間の経過とともに、宝石はホコリをかぶって、輝きもくすんできます。昔はそんな人が多かったはずです。
でも、今は違います。たとえどんな田舎にいても、自分でその才能を発揮することができるのです。ここでの「才能」は、努力する力と方法を見つける才覚も含まれていることはいうまでもありません。そうです、何らかの方法があるのです。それを見つけて持続的に利用することができるかどうか、で道が分かれます。
私は、今、呼びかけたい。瑠璃よ、玻璃よ。自らに光を当てよ。自らを輝かせよ、と。

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