児孫のために美田を買わず

【漢字】児孫のために美田を買わず
【読み】じそんのためにびでんをかわず
【意味】子孫のために田畑を買えば財産に頼ってしまうので、あえて財産を残さないことをいう。
【例文1】児孫のために美田を買わずの方針で、子どもたちの自立心が芽生えた。
【例文2】子どもを甘やかすといけないから、児孫のために美田を買わず。
【例文3】争いを避けるため児孫のために美田を買わず。

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「児孫のために美田を買わず」は西郷隆盛の言葉

「児孫のために美田を買わず」は西郷隆盛が友人であった大久保利通に送った詩『偶成』の一節、「一家の遺事人知るや否や、児孫の為に美田を買わず」から故事成語になった言葉です。意味は「作物がよくとれる良い田地を買うなどして財産を残すと、子や孫は仕事もせずにのんきな生活を送り、かえって子孫のためにはよくないことから、子孫のために、あえて財産を残さないようにすること」です。
西郷隆盛は波乱万丈な人生を送りました。鹿児島の下級武士の出身で、子どもの頃に友人同士のけんかの仲裁に入り太刀を浴びて、右腕内側の神経を切り、刀が握れなくなったことで学問に力を入れます。世代交代で島津斉彬が藩主になると、自分から申し出て江戸詰めについていき、斉彬から直接教えを受ける一方、水戸学の権威、藤田東湖からも国学を教わります。斉彬の養女、篤姫が徳川家に嫁ぐと、一橋家の徳川慶喜を世継ぎにするため奔走します。幕末、尊皇攘夷の官軍の将として勝海舟との話し合いに応じ、江戸城の無血開城の立役者となります。明治天皇の信望も厚く、政府でも活躍しますが、明治6年の政変により政治から手を引き、故郷で私学を興します。が、私学生徒の暴動に端を発した西南戦争の指揮を執る事態となり、賊軍の将として人生を終えます。明治天皇の働きかけもあり、死後恩赦され名誉復活となりました。

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