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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。 Powered by 手作り言葉辞典

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任重くして道遠し

【漢字】任重くして道遠し 【読み】にんおもくしてみちとおし 【意味】任務は極めて重くて遂行するには道は長く容易ではないという意味。 【例文】任重くして道遠しで開発まで10年かかった。 どんなことでも捉えようにとっては、「任重くして道遠し」なのかもしれません。 しかし、捉え方を変えることでこの重たい気持ちを変えていくことができると思います。 道が遠いと思うのも、人生は長いと思っているからかもしれません。 しかし、年齢を重ねていくうちに、あるいは病気をした時などは、生きているということのありがたみを感じることがあります。 どんな任務でも自分に不必要なものであれば、わざわざ背負うこともありません。 とかく、さまざまなしがらみの中で生きてしまうと、時には「任重くして道遠し」と感じてしまうのではないかと思います。 同じ状況でもしがらみを強く感じてしまうと、それだけで心の負担が大きくなってしまいます。 また、もしこの任務をやり通さなければという気持ちが大きなストレスになってしまっているのかもしれません。 そういう時は近くのことばかりが気になってしまいがちです。 なので、少し自分の意識を話して見て、客観的、または俯瞰的に世の中を見つめてみることも大事だと思います。 案外、自分が悩んでいることは、大きな世界の中では非常にちっぽけで些細なことかもしれません。 大きな目で捉えていくことで、見え方が変わっていけば、捉え方も変わり、「任重くして道遠し」という心境から解放されるのではないかと思います。 「任重くして道遠し」という言葉は論語に由来します。 字をみたままの意味で責任が重いうえに、なかなかやり遂げるのは困難であるという意味があります。 何かやらねばならないことがあるけれど簡単に遂行できないって時に使われる言葉ですね。 例えば、どこかの国の大統領が国民全員に幸せな暮らしをもたらしたいと思っている時なんかに使えますね。 なかなか一般人には国民全体の幸せを任されることはありませんが。 でも、一般人であっても、どこかの国の大統領よりはずっと小規模ですが、受験や、子育て、仕事など「任重くして道遠し」ということは山ほどありますね。 この論語は「いやあ、今、すっごく大変で、ゴールまで遥かに遠いなあ。」という状況を表すだけでなく続きがあり、「だからこそ、今を一生懸命目的をもって目標を立てて死ぬまでがんばろう。」というふうに続いていると私は理解しました。 そして、人生とはまさに、目標に向かってコツコツやり遂げている途中経過のことなのではないかなあと思います。 私は学生の頃、なんとか英語をものにしたいといろいろと頑張ってきました。 最終的に英語を教える立場にまでなった時に、ぽっかりと気持ちが空いてしまったことがあります。 目標に到達してしまった感じがしたのです。 そして、頑張っていた頃の私と目標に到達してしまった時の私を今俯瞰すると頑張っていた時のほうが充実していたなあと思います。 目標に到達することが人生ではなくて、その目標に向かって努力したりもがいたりすることが人生なんだなとふと思いました。

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二枚目

【漢字】二枚目 【読み】にまいめ 【意味】いい男を指す褒め言葉。今では昔のイイ男を言うくらいしか聞かなくなった。 【例文1】父の昔の写真を見たら二枚目だった。 【例文2】祖父は若い時二枚目でモテたらしい。 【例文3】元祖二枚目スター。 二枚目とは今でいうイケメンのことですが、最近は二枚目という言葉をあまり聞かなくなったような気がします。 二枚目が登場するドラマでは、必ずと言っていいほど三枚目が登場します。 三枚目がいることで、二枚目がより引き立って見えます。 私が今見ているドラマでも、三枚目が登場しています。 もし、これが二枚目ばかりだったら、面白さは半減してしまうかもしれません。 三枚目の味があるからこそ、ドラマが面白くなるのだと思います。 三枚目はそれほどイケメンではないイメージがありますが、中には十分二枚目なのに三枚目の役をやっている人がいます。 これは両方良いとこ取りのような気がして、少しズルイような気がします。 三枚目はキャラクターの面で面白いのが、売りなので、さらに二枚目だったら欲張り過ぎの気もします。 見た目は三枚目なのに、中身が二枚目という人もいます。 こういう人はもしかしたら、第一印象で損をしてしまうかもしれません。 しかし、女性は男性の外見だけを見ているわけではなく、むしろ内面重視の人も多くいます。 そう考えると外見は二枚目でも三枚目でも、中身が二枚目ならば好感を持たれやすいのではないかと思います。 内面はいずれ外見にも表れてきます。 日頃から内面を磨いていきたいものです。 その昔お付き合いしていた彼氏の話です。 かなりかっこいいと言われていて、特におばさまのウケが良く、「あんたの彼氏は二枚目だね」とよく言われていました。 おばさま方は彼氏のことを嵐の松潤に似ている、山田孝之に似ている、などと言い、ただ濃い顔立ちなだけなのですが、とても彼氏のことを崇めていました。 そしてますます彼氏は調子に乗っていきます。 わたしに言わせると中東系の顔立ちで、誰に似ているかと言えば・・・あえて言うならばイラン人、ドバイの石油王に似ている感じで若い世代にはその二枚目っぷりが理解できないようで友人などからは「彼氏、日本人・・・?」と言われていました。 彼氏と言えばかなり繊細な人でわたしの周りで中東系、イラン人、石油王呼ばわりされていることは知らず、おばさま方の謎の高評価で完全に調子に乗っている状態。 そんな時、記念日で高級ホテルに食事に行った時のこと。 わたしが御手洗に行っている間にホテル内を徘徊していたら迷ってしまったようでキョロキョロしていたら、ホテルマンから話しかけられたそうで、それが英語でもなく、聞き取れない言語だったらしく・・・ きっと中東系の言葉で話しかけられたのだと思います。 彼氏はそれ以来二枚目キャラを卒業しました。

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二番煎じ

【漢字】二番煎じ 【読み】にばんせんじ 【意味】二度煎じたお茶は味がないことから、繰り返しでおもしろさがない。 【例文1】毎回同じネタで二番煎じだ。 【例文2】芸人は二番煎じに苦労する。 【例文3】二番煎じは飽きた。 二番煎じというのはすでに存在するものの模倣などをしただけであり、新鮮味がないといった、否定的な意味合いで使われる言葉ですが、昨今のテレビ番組ではこういった二番煎じと言われるような企画がいくつか目立ち、それが視聴者によって批判されているといったニュースがたまに見つかります。実際には二番煎じというよりは、パクリという言葉で批判されることも多いですが、なぜ批判されるのか?と言えば、実態が二番煎じだからでしょう。アイデアをパクっても、元の番組よりも面白いもの、独自の面白さが加わったものが出来上がれば、それは新鮮味があって、付加価値のついた番組ということが言えますから、二番煎じではないです。しかし、アイデアをパクりつつも、内容まで同じようなものになっているという現状があれば、それは視聴者から見れば二番煎じでしかないということで、それが批判の真意なのではないか?と思います。テレビ番組の制作において、二番煎じの路線を貫くのは簡単なのかもしれませんが、視聴者の気持ちも考えないと観てくれないという問題がありますから、すでに存在する番組の二番煎じではなくて、オリジナルの面白さを持った番組を作っていく努力をしないといけないのではないでしょうか?

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日常茶飯事

【漢字】日常茶飯事 【読み】にちじょうさはんじ 【意味】日常生活の中で毎日のありふれた出来事。 【例文1】朝、バタバタして通勤するのは日常茶飯事だ。 【例文2】兄弟喧嘩は日常茶飯事だ。 【例文3】満員電車は日常茶飯事だ。 人は幸せな生活を送っているにもかかわらず、それを幸せと感じないことが多い物です。 例えば私たちは、毎日食事をしています。 人によって違いますが、毎日必ず何がしかの食料を口にしています。 私たち日本人にとって、毎日食事を食べる事は日常茶飯事です。 ですが他の国では、毎日食事をとる事が出来ない国もあるのです。 一日一食すら食べる事も出来ず、ひもじい思いをして国が沢山あります。 この様な国に住んでいる人達から見たら、毎日食事が出来る日本人は幸せだなと思うはずです。 私たち日本人は毎日食事が取れる事が当たり前となっていますから、毎日食事が取れる事を幸せとは思いません。 ですが他の国からしたらこれが当たり前ではありませんから、私たちは毎日食事が食べられる事を幸せであると考えなければいけません。 また毎日自動車に乗っている方は、それが当たり前であり、自動車が使えて自分は幸せだなと考えている人は少ないと思います。 しかし自動車と言うのは誰でも使える物ではなく、一部の人しか使う事が出来ない乗り物なのです。 自動車を日常茶飯事使っている方は、何かのトラブルで自動車が使えないと、とても不便を感じるはずです。 この時やっと、自動車に乗っている自分は幸せだなと感じると思います。 この様に人間と言うのは、日常茶飯事になってしまうと、幸せを感じにくくなってしまうものですから、普段からあらゆることに対して感謝の心を持つように心がける事が大事です。

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人間到る所青山有り

【漢字】人間到る所青山有り 【読み】じんかんいたるところせいざんあり 【意味】青山は墓地。人はどこにいても自分の力を発揮する場所があるもの。 【例文1】人間到る所青山有りだと言って世界一周旅行に出かけた。 【例文2】人付き合いがあればどこ行っても人間到る所青山有りだ。 【例文3】いざ一人になると人間到る所青山有りだ。 結婚してしばらくして転勤になりました。 関西で生まれ育った私にとって、それは初めて自分の住む場所を移動するということでした。 というのも、私の実家はサラリーマン家庭ではなくて、父が商売をしていたので生まれた時から同じ場所で育ったからです。 とても不安でしたが、夫の転勤は結婚するときに将来は転勤もあり得ると聞いていたので、ある程度の覚悟はできていました。 関東への転勤でしたが、まだ子どもも小さくて毎日が大変でした。 最初実家の母が一緒に来てくれて、子育てしながら買い物などの手伝いをしてくれて、1ヶ月くらい頼ることができました。 母が帰ってからは自分で頑張らなくてはならなかったのですが、近所の人などが温かく、思ったよりも困ることはありませんでした。 その後海外へも転勤で移動しましたが、最初の転勤で身に着いた「人間到る所青山有り」という感覚が役に立ちました。 全くできなかった英会話も少しずつ覚えて、子どもと一緒に現地での生活に慣れていくと現地での友人もできて楽しく過ごすことができました。 どんなところで暮らしても、そこでどんなふうに生きて行くかによって幸せは違ってくるのではないかと思います。 自分がいるその場所を青山として生きるとき、人は幸せになれるのでしょう。 場所だけでなく、地位や身体能力についても同じように今を受け入れる時、幸せを感じる心が目覚めるのではないでしょうか。 「人間至る所青山有り」の「人間」を、私は長いこと「にんげん」と読んでいました。おそらく、多くの人は私と同じように読んでいるのではないでしょうか。 ところが、これは「にんげん」ではないです。 そもそもこの言葉は、幕末の僧、釈月性の作った漢詩、「男児志を立てて郷関を出ずれば、学若し成る無くんば復還らず、骨を埋むる何ぞ墳墓の地のみならんや、人間到る処青山あり」の一節を取ったものです。 詩の意味は、「自分で志を立てて故郷を離れたら、志した学問を成し遂げられないうちは、決して戻らない。骨をうずめる場所は、故郷に限ったものではない。世の中のいたるところに墓所はあるのだ」ということでしょう。 今、意味を説明するときに、「世の中」という言葉を使いました。「人間」を一人の「にんげん」ではなく、「世間」と解釈したわけです。そう、この詩の中の「人間」は「世間」とか「人の世の中」という意味なのです。 そして、「じんかん」と読みます。「人と人との間」という意味なのです。 ところで、この詩は釈月性が自分自身を鼓舞するために詠んだものです。「けっして途中であきらめず、必ず志を果たすぞ」という決意表明と考えていいでしょう。そのため「青山(骨を埋める場所という意味)」という言葉を使ったのです。 今では、人に対する餞(はなむけ)の言葉として使われることが多いですが、死に関連する意味の言葉が使われているのですから、使い方には気を使った方がいいでしょう。

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鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん

【漢字】鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん 【読み】にわとりをさくにいずくんぞぎゅうとうをもちいん 【意味】鶏を割くのに牛を切る大きな包丁は用いないことから、小さな事を解決するのに、大がかりな手段は必要ないこと。 【例文1】幼稚園児のぬり絵に鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いんで、アクリル絵の具はまだ早いでしょ。 【例文2】ちょっとそこまで行くのにタクシーは鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん。 【例文3】子どもの喧嘩に親は鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん。 「鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん」ちょっと聞きなれない言葉ですが、多くの含蓄に溢れた言葉です。 中国にあまりなじみのない人でも、「牛刀」とは牛を解体する大きな包丁であることはお分かりいただけると思います。 割かれるのは小さな鶏、それを解体しようとするのは不釣り合いに大きな牛刀、ちょっと考えただけでもアンバランスですよね。 これが転じて、小さな物事に当たるのに、有能な人物を配したり、大げさな手段を用いる必要はない、という意味になりました。 ちなみにこの言葉は、孔子の故事に由来しています。 孔子の弟子である子游という人物が、武城という街の長になったとき、孔子の教えである礼楽(礼儀と音楽。孔子が国政の基本として弟子に教えたもの)を実施しているのを見て、「小さな街なのに、一国を治めるような施政を施す必要があるか」という意味で「鶏を割くに・・・」という言葉を言ったのです。 ちなみに、弟子の子游は「礼楽の道は上のものにも下のものにも施すべきであって、それでこそよく治まると先生に教わりました」と返したそうです。 それを聞いて孔子は「君が正しい」と弟子を認めたとか。 小さな物事を処理するのに、大きな手段を用いる必要がない、というのはそのとおりですが、孔子と弟子の場合に限って言えば、弟子の方に軍配が上がったようですね。 とはいえ、日常、物事を処理するのに不適切な手段を用いるのは確かにおかしなもの。 適切な手段を使えるよう臨機応変に対応したいですね。

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二律背反

【漢字】二律背反 【読み】にりつはいはん 【意味】矛盾している。 【例文1】増税すれば景気が悪くなり、増税しなければ財政が悪くなり、二律背反状況だ。 【例文2】上司の言動はいつも二律背反だ。 【例文3】指示が二律背反している。 この1ヶ月いつもより多めにバイト入ってたからやりたいゲームがなかなか出来なくてもどかしかったぁ。 その間に期間限定のステージの配信とかあったし、シリアルコードの配布も始まるし。 ゆっくりプレイする時間がないから受け取るだけ受け取って放置しちゃってましたよ。 でも、ようやくバイトを通常通りのペースに戻せそうなのでこれから思いっきりプレイしようと思います。 小さい頃からゲーム好きで、中学に上がった頃には「いつまでもゲームで遊ぶなんて子どもっぽいよ」なんて母に言われてましたけど。 何を言われても好きなものは好きなんだから、簡単にやめるなんて出来ないですよね。 長いこと好き好き言い続けてたからか、いつの間にか母からも何も言われなくなりました。諦めたのかどうでもよくなったのかは謎ですが。 何を隠そう、バイトの日数を増やしていたのもゲームのためですよ。関東で行われるゲームのイベントに行きたくて、その遠征費を稼いでたんです。 時々ね、心をくすぐられる大きなイベントがあるんですよ。場所は大体東京。私は九州の人間なので、行くとなると毎回交通費やらホテル代やらが必要になって。 愛するゲームを楽しむために働くけど、働いてると愛するゲームを楽しむ時間がなくなると言う二律背反。現実は厳しい。 私が二人いれば問題は解決するのにな。いや、でもそうなるとバイトに行ってる方の私からクレームが来るかな。どちらの私もゲームしたがりそうだし。ダメだこりゃ。

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にらみを利かせる

【漢字】にらみを利かせる 【読み】にらみをきかせる 【意味】周囲に威圧感を与える。 【例文1】宿題は終わったの?とにらみを利かせて聞いてくる母。 【例文2】堂々と質疑応答に応えてにらみを利かせる。 【例文3】対戦相手ににらみを利かせる。 にらみを利かせるとは、他にのものに勝手なことをされないように押さえるという意味ですが、にらみを利かせた育児をされている人って多いんじゃないかなと思います。 というのも、私の親もそういった感じでした。 親としては見守っているつもりなのですが、どちらかというと監視とか干渉をしているのです。 それは子どもがケガをしないためだったり周りに迷惑をかけないためという愛情から来るものなのですが、にらむように子どもをじっと見ていたら子どもからしたらちょっと怖いし、委縮してしまうんですよね。 ただ、私が感じるのは今は母親にプレッシャーがかかりすぎているのではないかということです。 何かあると、親の顔が見てみたいという風に何かあるごとに母親の教育が悪いんじゃないかと責めるような空気があって、それで母親もそういったことを言われないために子どもをいい子に育てようと必死になってしまって笑顔よりも怖い顔が増えることがあるんじゃないでしょうか。 もともと、子どもたちは皆で育てていくものであったのに核家族になったり周りのサポートを受けづらい環境があります。 なので、もっと母親が子どもの世話を全部するのではなくて気軽にベビーシッターを頼めたり子育てをサポートする環境が良くなればいいのになと思っています。

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二枚舌を使う

【漢字】二枚舌を使う 【読み】にまいじたをつかう 【意味】前に言った事と後に言った事が違う。嘘をつく。 【例文1】祖母が二枚舌を使う悪徳商法に騙された。 【例文2】二枚舌を使って都合よく語る。 【例文3】詐欺師が二枚舌を使う。 私はあまり嘘を付くことが得意ではなく、もし嘘をついたとしてもすぐにバレテしまいます。 しかし、世の中には上手く二枚舌を使って、世渡り上手な人もいます。 以前、働いていた職場の同僚が、「二枚舌を使う」という言葉を良く使っていました。 ある人に対して言っていた言葉ですが、私はこの言葉を知ってはいましたが、実際に話しているのを聞くのは初めてでした。 私は言葉のイメージが画的に頭に浮かびやすいほうです。 そこで、二枚舌の言葉を聞いて、すぐに二枚舌を出している人のイメージを想像することができました。 それを想像すると少し可笑しい気分になりました。 しかし、二枚舌を使うことは誰にでもおべっかを使うとか、八方美人になるというような意味もあり、あまり良いことではありません。 二枚舌を使っている本人は無意識で、単に周りに合わせているだけなのかもしれません。 それが好印象には映らずに、逆に取られてしまうことも多いようです。 言っていることが開いてや場面によって違うということは、一貫性がなく、嘘をつきまくっているようなイメージを与えてしまいます。 そういう人は世の中にもたくさんいますが、できればそういう人にはなりたくないものです。 全ての人に二枚舌を使って良い顔をするよりも、自分に正直で痛いものだと思いました。

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にべもない

【漢字】にべもない 【読み】にべもない 【意味】愛嬌がない人。 【例文1】人付き合いもなく、まったくにべもない。 【例文2】可愛げもにべもない。 【例文2】笑顔がなくにべもない。 私の友達は人当たりがすごくよく、いろんな人と仲良くなります。 逆に私は人見知りが激しく、この人関わらない方がいい、と判断したら極端に冷めた接し方をするのが悪い癖です。 私はにべもない対応が多い人でも友達は普通に接して友人も多く、私生活も充実してそうで羨ましいです。 仕事が終わればみんなから飲み行こうよ、遊びに行こうよと声掛けられています。 掃除のおばちゃんにも愛嬌がよく休憩時間になるとたまにお喋りしています。 先輩にもジュースをよくおごってもらう事もあるようです。そんな時は最強の笑顔でお礼を言っています。私もそうなりたいものですが、なにせ口下手でうまく調子を合わせる事ができません。当然人付き合いもなく恋人もいません。仕事づけのさみしい毎日です。これからも独り身はつらいので笑顔だけは忘れないように心がけたいです。

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二の矢が継げない

【漢字】二の矢が継げない 【読み】にのやがつげない 【意味】次に打つべき手段がなくて困った様子。 【例文1】一発屋と言われ、二の矢が継げない芸人。 【例文2】赤字続きで二の矢が継げない。 【例文3】会社存続の二の矢が継げない。 二の矢が継げないということわざがありますよね。 例えば、新商品がヒットするもその後さっぱり当たらなかった状態を、二の矢が継げないと表現します。 では、二の矢が継げないとは一体どのような意味なのかを見ていきたいと思います。 まず、二の矢を継げないとは、矢の名前の如く弓道から由来しています。 弓道は一の矢と二の矢との一組みの矢を手に持ち、的に向かいます。 しかし一の矢を射たあと、連続して二の矢を射ることができないいのです。 二の矢が継げないの由来は、ここからきているのですね。 冒頭でも述べた通り、例えば経営状態が著しくない会社で何らかの新商品を売り出してヒットしたとしましょう。 このヒットした状態は、一の矢を的に射た状態ですよね。 しかし、その後はうまく商品開発が進まずになかなかヒット商品が出せなくなってしまいます。 そして2度目のヒットに恵まれず、再び経営が悪化してしまいました。 まさにこの状態こそが、二の矢が継げないという状態になります。 つまり、1度目に続いて次の手段や行動をとることができない状況と言えますね。 二の矢を継げない状態とは、1度は成功したものの次に打つ手段がなく苦しい状態、ということを意味するでしょう。

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二の舞を演じる

【漢字】二の舞を演じる 【読み】にのまいをえんじる 【意味】前回と同じ失敗を繰り返す。 【例文1】経営不振に陥り、二の舞を演じる。 【例文2】彼の二の舞だけは演じたくない。 【例文3】リバウンドで二の舞を演じる。 他の人の失敗を見て、自分は同じ失敗をしないようにと心がけることはあるでしょう。それでも他の人が以前やってしまった失敗を、自分が同じように失敗してしまうこともあると思います。ですがこのように二の舞を演じることになったって良いのではないでしょうか。人間ですから失敗してしまうのは当たり前です。むしろ『失敗しないようにすること』をずっと心がけていることがストレスになる場合だってありますよ。 『失敗しないようにすること』は極端な話ですが、『完璧な人間』になろうとすることです。しかし誰にでも長所があれば短所もあるように、完璧な人間なんていません。長所があって短所があるのは当たり前であるはずなのに、完璧な人間を目指そうとするのは非常にストレスになります。もちろん『失敗しないようにすること』を心がけるのは大事ですが、それよりも『失敗したとしても、そういうときだってある』と思っていることも大事です。このように考えていることで、ストレスを減らしていかないと、いつか倒れてしまうのは明白です。たとえ他人と同じ失敗をしないように気を付けていたのにも関わらず、二の舞を演じることになったとしても「こういうときもある」程度に考えておくくらいでちょうど良いと思いますよ。

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二の句が継げない

【漢字】二の句が継げない 【読み】にのくがつげない 【意味】呆れて次の言葉が出ない。 【例文1】開き直って反論してきた奴に二の句が継げない。 【例文2】屁理屈ばかりで二の句が継げない。 【例文3】政治家の問題発言に二の句が継げない 二の句が継げない出来事というと最近では政治家の失言暴言なんかがそういう感じです。特に言葉には気を付けて細心の注意を払うべき立場にいながらの失言なので余計にあきれてものが言えない状態です。例えばいつ大臣を辞めるのかが注目されている稲田防衛大臣。個人的な感想ですが、女性に嫌われるタイプの女性だと思います。確かに頭は良いですしエリートですがなんか人を見下すような感じがして私は好きではありません。同じようにズバッとものをいう小池都知事は女性のファンが多いと思います。とっさの質問に対してもとても的確なたとえで時には毒のある発言をしますが、かえってそれが心地良いくらいです。本当に頭の切れる素敵な政治家だなと思います。 少し前のことになりますが、二の句が継げない発言で思い出されるのが今村復興相の「東北で良かった」発言です。私は個人的にはこの発言の前の原発事故で自主避難している人に対して「自己責任」と表現したことの方に呆れています。この二つの発言は大臣だからNGとかそういった問題ではなく人としてダメな発言だと思います。東日本大震災の悲惨な状況をもってしてそれを良かったと発言できる今村大臣にこそ二の句が継げません。

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二の足を踏む

【漢字】二の足を踏む 【読み】にのあしをふむ 【意味】一歩踏み出したが、二歩目を踏みとどまる。思い切ってできない様子。 【例文1】いざ告白となると二の足を踏む。 【例文2】転勤族がネックとなりプロポーズの決心が二の足を踏む。 【例文3】断られるのではと二の足を踏む。 混ざってしまった結果、二の舞を踏むという言葉を使ってしまう方もいます。 さすがに二の足を演じる、などという奇怪極まりない言葉は違和感がありすぎて使う人もいないでしょう。 「二の舞を演じる」は、雅楽の舞楽のひとつ「安摩」に由来します。 先に舞を披露した安摩と言う人物の真似して、次に老婆が舞を披露しようとするのですが上手くできず滑稽な様子を楽しむ演目です。 つまり元々は成功を真似できずに失敗してしまうという話の流れなのです。 言葉としては先人と同様の失敗を繰り返してしまうという意味になっています。 二の足を踏むは、一歩目は何とか踏み出したものの二歩目を躊躇うような様子を表現しています。 本当に躊躇っているならば最初の一歩目すら踏み出すはずもないように思えますが、それでは動きもなく端から見ていて感情が伝わりません。 一歩目を踏み出したところに実行しようとする意気込みを、二歩目を踏み出せず留まるところに実行に移せない理由があることを表現したいのでしょう。 二の舞を演じるに似たような言葉に轍を踏むがありますが、こちらは必ずしも失敗することを意味してはいません。 単純に多くの先人達が使ったであろう道を通過することですから、同様の経験を積む過程ということでしょう。 私が株取引を始めた頃は、株を買おうと思っても、二の足を踏む事がありました。 株取引と言うのは、上手いタイミングで株式を購入しないと利益につなげる事が出来ません。 私はどのタイミングで株を購入していいか分からなかったのです。 それで私はしばらくの間、取引をせずに株価の変動を注意深く見ていました。株価の変動を見ていれば、株式を購入するタイミングが分かると思ったのです。 しばらく見ている内に、株式を購入するタイミングが何となく分かるようになりました。 これで自信がつき、思い切って株式を購入してみました。 すると見事に購入後に株価が値上がりして、利益を得る事ができました。 わずかでしたが、初めて上手い具合に株取引が出来たので、嬉しさでいっぱいでした。 これでさらに自信がついた私は、次から次へと株式を購入して、利益を上げ続けたのです。株取引を始めたばかりの方々は、損をするんじゃないかと考え、株式購入に二の足を踏む事が多いと思います。 私は踏み出してよかったです。

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二兎を追う者は一兎をも得ず

【漢字】二兎を追う者は一兎をも得ず 【読み】にとうおうものはいっとうもえず 【意味】欲張って二つ同時に叶えようとすれば、どちらも失敗するものである。 【例文1】二股がバレ、二人にフラれた。二兎を追う者は一兎をも得ず。 【例文2】二つの物をキープしていたら売り切れてしまい、二兎を追う者は一兎をも得ず。 【例文3】休日に安いDVDを10枚借りたが、見終える事なく返却した。二兎を追う者は一兎をも得ず。 二兎を追う者は一兎をも得ずという言葉を聞いたことがある方は、たくさんいると思います。二つのことを一度に手に入れようとして、一つも取れないことを指す言葉ですね。 私はこの言葉を欲張ろうとする方を皮肉っていると感じています。ギャンブルでもそうですが、世の中で成功する、または成功しない方は「二兎を追う者は一兎をも得ず」で明暗が分かれるでしょう。 当たり前ですが、例え二兎を追って百兎を得たとしても絶対に長くは続かないですよね。人生が上手く行っている方は、一兎を追って上手く行けば二兎と割り切って行動している気がします。計画性を持つことでリスクを減らすことも時には大切なようです。 成功者とそうでない者を表す言葉として知名度からも適している言葉ではないでしょうか。この言葉を使用すれば欲張って失敗することを抑制できるかもしれません。昔から伝わる教訓のような印象も受けますし、文面やリズムからも完成された言葉だと思います。 長い言葉ですが、非常にシンプルで分かりやすい意味ですよね。小さなお子さんから大人まで幅広く使われて、まるで先生のような存在ではないと考えられます。日本語の奥の深さや面白さもこの言葉には詰まっています。

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二度あることは三度ある

【漢字】二度あることは三度ある 【読み】にどあることはさんどある 【意味】同じような出来事が2回あると、またそうなる可能性があるもの。 【例文1】二度あることは三度あるどころじゃない。彼の悪い癖は永遠だ。 【例文2】同じ場所で一時停止で捕まった。二度あることは三度あると言うから次は気をつける。 【例文3】乗り合わせた女性に一目惚れした。二度あることは三度あるとまた同じ電車に乗る。 私は株取引をしているのですが、ある時とある銘柄がお祭り騒ぎになりました。 特に何も材料が出たわけでもないのに、買い注文が殺到して、株価がうなぎ上りに高くなって行ったのです。 なので私もこのお祭りに便乗しようと思い、この銘柄の株を買おうとしました。 しかしあまりにも短期間で株価が値上がりしていたので、買う直前になって株価が急降下したらどうしようと怖くなり、結局買いませんでした。 この後株価はさらに値上がりして、この時買っておけばよかったなと後悔したのです。 その後別の銘柄で、同じようなお祭り騒ぎが起きました。 今回も同じように短期間で株価が急上昇して、多くの人が利益を上げていました。 それで今度こそは、私もその利益を得ようと考えたのです。 ですがまた買う直前になって臆病風が吹き、怖くなって買いませんでした。 今回もまたその後も株価が値上がりして、また後悔をしたのです。 これからしばらくして、またもやお祭り騒ぎが起こりました。 今回も買う直前になって臆病風が吹きそうになりましたが、二度あることは三度あるという言葉を信じで、今度は買う事が出来ました。 言葉通り株価はその後も上昇を続け、大きな儲けを得る事が出来たのです。 一般的に二度あることは三度あると言う言葉は悪い事が起きた時に使いますが、今回の一件で良い事の時にも当てはまるなと思いました。 二度あることは三度あるとは同じようなことが二度あると、もう一度繰り返してしまうものだから注意しなさいという意味です。使う時としたら例えば「同じ場所で2回スピード違反で捕まった。二度あることは三度あるから次からは気をつけないと。」といった悪いことの場面で使います。この二度あることは三度あると矛盾しているということわざが「三度目の正直」です。これは一度目と二度目はあてにならないが、三度目なら確実であるということや、二度の失敗の後には成功することをいいます。つまり三度目には成功するということですね。確かに矛盾しているかのように思いますが、人間誰しも起こったことを肯定したいものです。失敗したら二度あることは三度あるといい成功したら三度目の正直と上手いように使える言葉ですね。ちなみに、このことわざはデータとして出ているみたいです。「二度あることは三度ある」は75%、「三度目の正直」は25%みたいです。どちらかというと二度あることは三度あるの悪い事の方がやはり繰り返しやすいということですね。ですので、三度目の正直を信じるより二度あることは三度あると思って生活していた方がより注意しようと思い、悪い事の事前防止が出来るのでいいですね。

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二転三転

【漢字】二転三転 【読み】にてんさんてん 【意味】状況や動きや意思が何回も変わる。 【例文1】追及するにつれ、自供が二転三転する。 【例文2】政治の公約が二転三転するので子どもは一人で十分。 【例文3】裁判で主張が二転三転する。 様々な疑惑追及によって国会が揺れています。加計の問題に対する菅官房長官の説明は二転三転のありさまでした。 前川前文部科学省事務次官の告発で明らかになった文書の存在を、菅官房長官は当初「怪文書だ」と言い張ってきました。何か問題があると「(批判に)あたらない」と言いはねてきたいつもの冷たい態度で言い放ったのでした。そして菅官房長官は前川氏の人格否定発言まで行って、話の信憑性を落とそうと画策しました。 しかし、時間が経つにつれて次々と前川氏の発言が正しいとする証拠が見つかっていきました。菅官房長官は文書の存在を認めざるをえなくなったのですが、そこで言った発言は「怪文書という言葉が一人歩きしている」というものでした。そして末には「怪文書だなんて言っていない」とまで言いはじめました。菅官房長官は有能であると一部では言われてきましたが、果たして本当のところはどうだったのでしょうか。 二転三転する政治家の言い訳は見苦しく醜悪です。かつての政権でも二転三転する言葉が使われてきたのですが、今のほど二転三転と言い訳をしてその上悪びれない政権というものは存在しませんでした。二転三転するのならばするで、しっかりと反省した面持ちで語ってもらいたいものですね。

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煮ても焼いても食えない

【漢字】煮ても焼いても食えない 【読み】にてもやいてもくえない 【意味】食用にしようと煮ても焼いても食べられないことから、思うようにならない。手に負えない。 【例文1】まったく!煮ても焼いても食えないヤツだ。 【例文2】頑固で煮ても焼いても食えない。 【例文3】煮ても焼いても食えない役立たずだ。 「煮ても焼いても食えない」というのはどうする手立てもないという意味です。落語などでは少しばかり頭が足りなくて、何をやらせても何故かうまくいかない、愛すべき人柄なのに「煮ても焼いても食えない」人が出てきますよね。昔からいるんですよね、私のような空気読めない人って。人物はともかく、食べられない飯というのはどういうものか想像できますか。江戸時代には物相(もっそう)飯というのがありました。もともとは寺院などで供される、一人分づつ正確に分けるために、計量と成型が一度にできる器の名前が物相でした。今でいうと、幕の内弁当や精進料理に梅の形やひし形に抜いたご飯が入っていますね。あのようなものです。それが牢屋で使われるようになり、囚人のご飯が物相飯と呼ばれるようになりました。不公平がないように物相型に盛ったご飯や、すりきりにして計った冷や飯が、切竹の器に入れられ、白湯をかけただけのもので、普通の人にはとても食べられたものではありませんでした。現在でも留置場のご飯のことを臭い飯といいますが、昔に比べれば良くなっているのではないでしょうか。お米は政府米の古古米らしいですが、そうは言っても人権上、「煮ても焼いても食えない」ようなものは出せませんよね。

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似て非なるもの

【漢字】似て非なるもの 【読み】にてひなるもの 【意味】一見似ているように見えるが、本質は違うもの。 【例文1】似て非なるものでよく出来たコピー商品だ。 【例文2】似て非なるものの違いのポイントは刻印だ。 【例文3】双子でも性格は似て非なるもの。 私は幼稚園からサッカーをしていた現在30歳の男性です。 私が高校生になるころからサッカーとは別のなにかおしゃれな空気を醸し出すサッカーとは似て非なるものであるフットサルというスポーツが流行ってきました。 私は正直フットサルが非常に苦手です。細かいボールタッチに素早い上下運動に狭いコート。 確かにボールを足で扱い、ゴールにボールを入れることで得点が発生し、勝敗が決するという点では全く同じといってもいいです。 しかし、サッカーとは全く違うのです。 体のぶつかり合いもできないし、そもそも距離が短いのでロングキックなどもない。 さらにはチーム同士の間合いも狭ければ相手との間合いも狭く、相手との読みあいの時間が瞬間瞬間で終わり情緒も減ったくれもないのです。 そのため私はフットサルが嫌いです。下手だから嫌いなのもあるかもしれませんがとにかく嫌いなのです。 よくサッカーとフットサルってどう違うのなどと聞かれますが、その時は私は全力を持って違いを教えています。 ちょっと相手が引くくらい熱意を持っているらしく、周りの人はもう私にフットサルの話題はふってきません。 フットサルの話題がふっと去るなんて言われるくらい寒いことを友達に言われました。 だからこそ私はテレビでフットサルではなくまだまだサッカーが取り上げられてるのに喜びを感じています。 まだまだちょっとおしゃれなフットサルには負けない。 そんなサッカーが私は大好きです。

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日進月歩

【漢字】日進月歩 【読み】にっしんげっぽ 【意味】常に進化し続けている。 【例文1】現代の医療技術は日進月歩だ。 【例文2】家電用品が日進月歩だ。 【例文3】若者の流行が日進月歩だ。 漢字検定は2級までの難易度と準1級からの難易度はまるっきり違います。 子どもの頃から漢字検定を受けており、漢字が得意だった私は2級に合格した時点でなんとなく1級も受けてみたくなり、参考書を手にとりました。 漢字は得意だという自負があったため、高をくくっていた私でしたが、最初に出てきた問題から全く分からず、それどころか1問も理解できる問題が無かったことにショックを受けました。 そのときに、今まで学んできた漢字は全体のほんの一部に過ぎないということを感じました。 自分が井の中の蛙であったことを痛感し、だからこそ知らない漢字をもっと知ってみたいという気持ちが強くなり、漢字検定1級の勉強を始めることにしました。 しかしその勉強は今までの漢字の勉強とは範囲も難易度も桁外れで、まるで宇宙を解明するかのようで気の遠くなるような果てしなさを感じていましいた。 自分なりの勉強法を模索しながら受験しては不合格を繰り返し、いくらやっても合格できない自分は成長していないのではと心が折れそうになるときもありました。 しかしそれでもなんとか勉強を続け、合格する事が出来ました。 試験自体にそこまで手ごたえを感じていたわけでもなかったのですが、知らない間に自分が少しづつ成長していたのだと日進月歩を感じました。 日進月歩という四字熟語、一度は耳にしたことがありますよね。しかしこの意味をきちんと把握できているでしょうか。正確な意味は日を重ね月を重ねるごとに進歩をすること、また止まることを知らず急速に進歩することを言います。日進も月歩も進化を遂げる意で重ねて用いることでその意味を強めています。 しかしこの言葉、簡単な意味ながら誤って使用されるケースが稀にあります。それは一歩一歩ゆっくりではあるが着々と進んでいる、という意味です。 進んでいることに意味として違いはありませんが、それがゆっくりとしたものであるならば厳密にいうと日進月歩ではありません。ある程度のスピード感を持って進む事柄に対して使われるのが、本来の形であると思います。 また、漢字も間違えやすいと思います。日新月歩と書いてしまう人もいるからです。ここはきちんと押さえておきたいところですね。反対語に、一進一退があります。この言葉も「一進一退の攻防を繰り広げる」などとよく見かけますね。 基本的にポジティブな意味合いの四字熟語ですから、使う機会も限られずよく認知されているのかも知れないですね。使用上の少しのミスだけ注意して、適切な場面でうまく使ってゆきたいものです。

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似たり寄ったり

【漢字】似たり寄ったり 【読み】にたりよったり 【意味】同じくらいで大して差がない。 【例文1】どれも似たり寄ったりの作品で個性がない。 【例文2】クローゼットを見ると似たり寄ったりの洋服ばかり。 【例文3】会社の上下関係はどこも似たり寄ったり。 似たり寄ったりとは、どれも同じで大差ないということです。違っているように見えるけど本質を見極めてみると変わりがないということです。 例文として、タカシくんとススムくんはライバルでいつも競い合ってるけど、二人とも似たり寄ったりに見える。ハムスターかモルモットを飼おうか悩んでペットショップに来たけどどちらも似たり寄ったりに見えて仕方ない。など、違う二つを見比べても、自分の目には同じもののように見えている様を表しています。けなしている言葉にも聞こえることがありますが、内面的には認めていて安堵している感じも読み取れます。 二人は似たり寄ったりだと言われるとムカっとくる人もいますが、それだけ仲が良く似ていて羨ましいという意味合いも込められています。勉強の成績を競う合う時にも使うことがありますが、似た成績ということなのでどっこいどっこいなことが伺えます。優劣をつけることが出来ませんが、みんな違ってみんないいというように個性を尊重してます。似たり寄ったりと良く言われる人同士はケンカをするか仲がいいかの両極端であることが多いです。似た者同士は極端に惹かれ合うか、同族嫌悪のため距離を取ってしまうことがあります。

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二足の草鞋を履く

【漢字】二足の草鞋を履く 【読み】にそくのわらじをはく 【意味】一人の人が異なる業種をこなすこと。 【例文1】育児と仕事と家事をこなす二足の草鞋を履く女性は尊敬する。 【例文2】お蔭様で二足の草鞋を履いて忙しくしている。 【例文3】夜も掛け持ちして二足の草鞋を履く。 よく二足の草鞋を履くという言葉を耳にする事がありますが、この言葉をよく分析してみると草鞋を履いている本人は意外と苦を感じていない事が多いのではないでしょうか? 確かに2つの事柄を同時にやりこなすのは大変な事です。 しかしその茨の道さえ本人が選んだことの場合は他人が思う程に苦労に感じていないのではないでしょうか? 実際に私は現在の仕事に辿り着くまでにいくつかの仕事を掛け持ちして働いていました。 各方面から「二足の草鞋を履いて大変ね」って言われる事がありましたが、私自身は会社を設立するために必要な経験を積んでいると思っていたのでそれ程苦痛には感じていませんでした。 やはり人は目標があるからこそ二足の草鞋さえ履きこなす事が出来るのだと思います。 決してそれが偉いとかいう考えではなく自分の選択により選んだ道だからこそ突き進むという事ができました。 そして、私の友人にも企業をしながら他に仕事を持っている人も多くいます。 やはり彼らを見ていてもイキイキしていて苦労をあまり感じさせません。 二足の草鞋を履く大変さを知った上で私が思う事は同時に2つの事柄をこなして来た事により同時にに2つの経験を手にする事ができ自分の人生の財産になったと実感しています。

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二束三文

【漢字】二束三文 【読み】にそくさんもん 【意味】草履売りが二束(ふたたば)売っても三文にしかならないことから、数は多くても大した値段にならない。 【例文1】古着を20着もリサイクルショップに出したが、二束三文だった。 【例文2】買い取り価格が二束三文でガッカリだ。 【例文3】どうせ売っても二束三文だろう。 二束三文で買えたり高く売れたりします 最近はネット上で、色々な物が売れるようになっています。 人々の間にリサイクルの心が浸透して、使わなくなった物を捨てずに他の人に売る人が増えているようです。 私もネット上のサイトを通じて色々な物を売ったり買ったりしています。 引越しや模様替えをした時には、大量に要らない物が出てきます。 以前なら捨ててしまっていたところですが、今はネットで簡単に不用品を売る事が出来るので、捨てずに売るようにしています。 これは二束三文でしか売れないなと思った物でも、結構な高値で売れたりします。 捨てようと思っていた物が高値で売れると、とても得した気分になります。 また使い古してボロボロになって、こんなもの売れるのかなと思った物でも、試しに売ってみました。 意外と買い手が付き、ごみ同然の物がお金になったりします。 また新品同然の家具や家電やブランド品が、二束三文で売られている事があります。

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西も東もわからない

【漢字】西も東もわからない 【読み】にしもひがしもわからない 【意味】土地勘がまったくない。何もわからない。 【例文1】西も東もわからないまま、友人と気ままな旅に出た。 【例文2】西も東もわからない所を散策してみる。 【例文3】西も東もわからない街に引っ越す。 全く知らない町に出てきて、ブラブラと歩くのが僕のストレス解消法の一つです。 JRに乗って、本を読みながら時間を過ごし、キリのいいところで電車をおります。 そうすると本当にまったく知らない景色が見れるんですよね。 確かに同じ日本で、何となく予想はできる町並みかもしれないけど、でもこの路地を進めばどうなるんだろうとか、探検をしてみたくなります。 そして進んでいった先には、その土地の人々の姿や、お店が立ち並んでいたりしていて、生活や文化があるんです。 「西も東もわからない」と言ったような土地では、どこに行っても何かしらの発見があって、ちょっとキラキラとした気持ちになります。 見るもの全てが新しいのですから、心はとても新鮮な気持ちになるんです。 子どもの頃にすべてが輝いて見えたのは、まだ新しいものが多かったからですものね。 またその町の気になった人に話しかけてみたり、お店で一服をするというのも楽しいことの一つです。 たまにすごく美味しいパン屋さんやカフェがあって、そんなお店に巡り会えた時はすごく「今日は当たりだなあ」と感じます。

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錦の御旗

【漢字】錦の御旗 【読み】にしきのみはた 【意味】自分の主張ばかりを正当化し権威づける。 【例文1】社長は錦の御旗を揚げるから、社員が辞めていく。 【例文2】彼は偉そうにしているが、錦の御旗だからね。 天皇の軍つまり官軍の旗である「錦の御旗」は赤地の錦に金色の日像の刺繍が施されたり描かれている「日之御旗」銀色の月像の刺繍が施されたり描かれている「月之御旗」二本一組の旗で略称を「錦旗」別名を「菊章旗」または「日月旗」と言います。天皇から官軍の大将に与えられる朝敵討伐の証である「錦の御旗」は天皇や朝廷の威光を可視化した旗でこの旗に立ち向かうことは天皇家に弓を引く逆賊であると烙印を押されることになります。 1221年の承久の乱が起こったとき後鳥羽上皇が配下の将に与えた旗が日本史上初の「錦の御旗」とされています。近年では明治維新の際、鳥羽伏見の戦いで薩長軍が「錦の御旗」を掲げたことで徳川慶喜の戦意を喪失させ徳川幕府を崩壊へ導いたことでもよく知られています。現在でも天皇の即位礼など儀式の際に実際に使われています。また「錦の御旗」とは自分の行為や主張などを権威づけるためのものという意味の言葉としても使われています。何か行動を起こすときに正当性を主張できる道理や根拠を指す「大義名分」または権力や権威のある人が与える許可や保証を指す「お墨付き」などと同様に自分の行動や主張を正当化するときに用いられます。

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逃げるが勝ち

【漢字】逃げるが勝ち 【読み】にげるがかち 【意味】無駄な争い事をするくらいなら、遠ざかった方がよい。 【例文1】懇親会の三次会まで付き合わされツライ。次、店を出たらこっそり逃げるが勝ちだ。 【例文2】ケンカにならぬよう妻の小言には素直にハイ。と聞いておくのが逃げるが勝ちだ。 【例文3】黙って去るのも逃げるが勝ちだ。 大学時代の男性と久しぶりに再会したので、居酒屋でご飯を食べながら昔話で盛り上がっていました。 その頃、隣の席で飲んでいた年配の客たちが 「お姉ちゃんたち仲がよくていいねぇ」と、言ってきました。 酔っ払いのたわ言だから相手せずに、私たちは無視してしゃべり続けてていました。 すると今度は無視されたことに腹を立てたようで、また私たちに絡み始めました。 「どっから来たのぉ~?オイオイ、無視かよ~聞こえねえのか?」と立ち上がり このまま無視しているとまずいと思い、適当にはいはいと相づちを打っていました。 すると「はいはいばかり言ってないで何とか答えろよ」と声を張り上げました。このままではお店の人にも迷惑になりますから、逃げるが勝ちと思い、そそくさ精算を済ませお店から出ました。 気分悪かったのでもう一軒静かなバーで飲みなおしました。 勝ちに価値がないとはこれ如何に、すみません駄洒落です。 しかし実際のところ、勝っても仕方がないような相手や勝負は存在します。 時間・労力を無駄に使った挙句に得るものがない勝利は実に虚しい現実がまっています。 争いというものは大抵が自分の利益を得るため、最低でも現状維持を保つために発生するものです。 戦争などであれば負けた相手に賠償金を請求する、領土の割譲を要求する、国ごと支配下に置くなどが考えられます。 個人や小さな組織の場合で負けたほうが慰謝料を十分に払うことなどまず考えられません。 勝者は怪我をして負けたほうはもっとボロボロ、殴り合いの泥仕合では良く見かける光景です。 ボクシングのように自分が満足できるならば構いませんが、普通の生活をしている人間にそれを要求するのは無理が過ぎます。 無駄な争いは避けて平穏無事に日常を過ごし、適度に刺激を求める程度が一般的な社会人というものです。 それにもかかわらず、自分に非がなくても相手が勝手に敵視して喧嘩を売ってくる事件が発生した場合もあります。 理解のある人間が仲裁に入れば問題ありませんが、面倒くさがりな上司などは状況を無視して喧嘩両成敗で済ませようとします。 泣き寝入りになる事も避けたいですが、可能であればそのような迷惑者からは全力で距離をとる、すなわち逃げるが勝ちです。 「逃げる~」と聞くと、昨年の大ヒットドラマ、「逃げるは恥だが役に立つ」をつい連想して、そういえば日本にも「逃げるが勝ち」という諺があったという事をすっかり忘れてしまっていました。何となく意味が似ているこの言葉について、気になったので少し調べてみました。「逃げるは恥だが役に立つ」というのは、どういう意味があるのかと調べてみると、どうやらハンガリーの諺らしく、その意味は「戦う場所を選べ」との事で、つまりじ日本で良く言う「自分の土俵で勝負しろ」という事みたいです。 つまり同じ戦うにしても自分に有利な様にという事。一方、意味のない争いをしても勝っても何も残らないという事を意味する「逃げるが勝ち」と根本的に少し意味が違う様です。 無益な争いを嫌い、衝突せず調和を大切にしてやっていきたいという「逃げるが勝ち」という言葉は極めて日本人らしい諺なのかなと思いました。それは日本人のDNAに深く刻まれているのではないかと思います。仕事のディベートで、学校で、夫婦喧嘩にしても、相手を打ち負かして自分が勝ったとしても後に残る砂を噛むような気持ちを感じるのは日本人独特の物の様な気がします。それより「逃げるが勝ち」を選ぶのが「大人の対応」という事になるのでしょうか。

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肉を切らせて骨を断つ

【漢字】肉を切らせて骨を断つ 【読み】にくをきらせてほねをたつ 【意味】自分も痛手を受けるが、相手をそれ以上に叩きのめす。 【例文1】体格のいい相手と肉を切らせて骨を断つ覚悟で試合に挑む。 【例文2】事が公になったが、裁判で肉を切らせて骨を断つ。 【例文3】費用は掛ったが、慰謝料を勝ち取って肉を切らせて骨を断つ。 肉を切らせて骨を断つ、なんとも物騒な話です。 私は、お侍さんの時代に相手にあえて皮膚を切らせ血が出たところで油断をさせて、自分は骨まで達するようなとどめをさす。 何かを争うときは油断をしたほうが負け、油断をさせたほうが勝ち、油断をせずに戦えといった意味と解釈しました。 実際は自分も相当の痛手を受けるが、相手をそれ以上に痛めつける。捨て身で敵に勝つといった意味のようです。 油断は関係なかったようです。由来は中国であったり、薩摩藩であったりと色々な説があるようです。 剣道から来ているという説もありましたが、剣道は先にちょっとでも攻撃を受けてしまったら相手のポイントが入るから負けてしまう気がします。 普段の生活ではなかなか使えませんね。もし仮に相手から殴ってきたとしても正当防衛として適用されるのは相手と同程度のケガまでです。 自身以上に相手のケガが重症だった場合は過剰防衛とみなされてしまいます。骨を切った方が悪、場合によっては犯罪者にされてしまします。 では、どのような戦法がいいのでしょうか。冷静な判断能力をもって痛手を負うことなく勝利するといった意味で、肉は切られず頭が切れるなどはどうでしょうか。

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憎まれっ子世にはばかる

【漢字】憎まれっ子世にはばかる 【読み】にくまれっこよにはばかる 【意味】憎まれている人こそ権力があり、世間で認められられるもの。 【例文1】彼女は憎まれっ子世にはばかるで同期を差し置いて出世した。 【例文2】どう思われるかをいちいち気にしていたら憎まれっ子世にはばかる事はできない。 【例文3】政治家が憎まれっ子世にはばかる。 「憎まれっ子世にはばかる」よく耳にする言葉です。 人から憎まれるような者ほど、逆に世間では幅をきかせるものであるということです。 なぜ憎まれっ子のほうがいいのでしょう。人から敬遠される、嫌われるような人は周りの人間と調和がとれなかったり、自己中心的であったり、その場の空気をよまなかったり原因はいろいろあるかと思います。でも逆に考えたら人に流されず自身の考えを持っていて、周りからの誹謗中傷も気にしない図太い神経の持ち主ということになります。 世間で生き抜いたり、出世するにはやはり周りと同じでは秀でることはなかなかできません。今はオリジナリティを企業でも求められる時代です。そこに図太い神経を持ち合わせていて、メンタルが壊れることもなくストレスを貯めない人材であればもしかしたら、今企業が一番欲しい人材なのかもしれませんね。 ただ凡人がまねてもただの嫌われ者で終わってしまうかもしれませんが。天性の憎まれっ子がいたら、それは金の卵で将来は大物になる可能性大です。 わがままで自己中心的、人に遠慮がなく、思いやりがない、そんな人間が得をするシチュエーションって意外に多いように思います。 会社でもそうだし、日常生活の中でもそんな風に思う瞬間と言うのはたくさんありますよね。 ろくに仕事しないくせに部下の功績は自分のもの自分の失敗は人のせいにする会社の上司、電車で我が物顔で荷物を自分の席の横において大股広げて座っているおじさん、 スーパーでクレーム言って厚い待遇を受けるおばさん、もううんざりするほどよく見る光景です。 私はそういう光景を目にするたびに「自分はこうはなりたくない」と思ってきましたし、そういう人たちにも嫌悪しかありませんでした。 でも、最近は少し見方が変わってきたんです。 彼らほど自由に、遠慮なく、楽しく生きている人種って他にないなぁ、と。見習おうってわけじゃありません、人に迷惑をかけてまで自分の意思を通したいとは思いませんし、 やっぱり「憎まれっ子」にはなりたくないわけです。 でも彼らは自分たちが「憎まれっ子」だとは微塵も思っていません。かといって誰かに好かれようと必死で自分を押し殺しているわけでもありません。 自分らしくいながら、自分はそこそこ他者ともうまくやっていけている、そう思っているわけです。 なんともうらやましい話ではないですか? 誰かの目を気にしすぎて悩んだり、SNSや匿名で受けた悪口を苦に命まで絶ってしまう悲しい現実が日本にはたくさんあります。 そのほとんどのケースは人間関係のトラブルと言っていいでしょう。 だからこそ私は「憎まれっ子世にはばかる」の「憎まれっ子」の根性にこそ、この厳しい現代を生き抜く処世術が隠されていると思えてなりません。 完全な憎まれっ子になるのは嫌ですが、すこーしだけ彼らの爪の垢を煎じて飲んでみるのも良いかもしれませんね。 「憎まれっ子世にはばかる」という言葉があります。 憎まれているくらいの人の方が世間に名をとどろかせる。みたいな意味があるのですが、果たして本当にそうでしょうか。 部内にデリカシーがなくとにかく空気が読めない男性社員がいますが、彼が出世街道を歩くとは到底思えないし、部内で仕事をゴリ押ししようとする強引な人がいますが、彼もまた出世街道を歩くとは思えません。 いずれにしても人が付いていかないように思います。 社外に目を向けても、憎まれっ子とされる人が世にはばかるとは思えないのですが果たして本当なのか、なにを根拠にそう言っているのかこの言葉の定義などが気になります。 どちらかというとわたしも憎まれっ子とされる方だと思います。 言いたいことを言うし、思ったことを言います。 言わないと伝わらないからです。 もちろんその言い方や伝え方には気を遣うけれど、それも結局はわたしの俯瞰であり、聞き手にとってはきついもの言いになっているかもしれません。 割り込みをされたらきちんと後ろに並ぶように言うし、不正をしているような人にはきちんとやめるように言うのできっとたくさんの人に煙たがられていると思います。 ・・・子供からは「お母さんよくまだ生きてるよね」と言われます。

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苦虫を噛みつぶしたよう

【漢字】苦虫を噛みつぶしたよう 【読み】にがむしをかみつぶしたよう 【意味】苦い物を口にすると表情が険しくなることから、不機嫌な顔つきをいう。 【例文1】荷物運びを手伝ってほしいと言ったら、苦虫を噛みつぶしたような顔をされた。 【例文2】苦虫を噛みつぶしたような顔では近寄りがたい。 【例文3】お使いを頼んだら苦虫を噛みつぶしたような顔をした。 「苦虫を噛みつぶしたような顔」とは、とてつもなく不機嫌な様子を表しているようです。 悔しそうな顔やふてくされている顔なんかもこれに該当しますが、共通しているのは口がへの字に曲がっていたり眉間にしわが寄っていることなどでしょうか。 というか、そもそも苦虫ってなんだよ・・っていう。子どものころはそういう虫がいるんだと思っていたけど、辞書で調べたら本当にいる虫というわけではなくて噛んだら苦いと思うような想像上の虫とのこと。 え、じゃあ薬を飲んだ時の顔って最初から言えばよくない?と思うんですが、でも言われてみれば「薬」という言葉より「苦虫」っていう方がもっと苦い味が口に広がる 嫌な感じがしますよね。そこで虫をもってくるなんてある意味昔の人の想像力ってすごいな、と感心してしまうわけです。「噛みつぶす」という言葉のチョイスも、ただ「食べる」よりもリアルな感じだし、この言葉の意味を知らない人が聞いても苦々しい顔をちゃんと思い浮かべられますし。 苦しい(苦しい)と苦い(苦い)、って同じ漢字を使いますよね。辛い(からい)と辛い(つらい)も同様です。 味覚と感情ってとても密接した関係にあって、味覚が受ける刺激や印象を人の心に例えて表現するのって、なんだかおもしろいなぁと思いました。 「苦虫を噛みつぶしたよう」たまに耳にしますがこれはどうゆう意味でしょうか。 まず苦虫を辞書で調べてみると、噛んだら苦いだろうと思われる虫だそうです。 どうやら実在する虫では無いようです。でも噛んだら苦い虫って言われてもなかなか噛んでみる機会もないので 難しい話です。まあ想像してみるとカメムシ、カマキリ、カナブンあたりはちょっと苦そうな気がします。 そうそう、ゴキブリ、あれもちょっと苦そうですね。なんか想像していてもあまり気分のいいものではないので この辺にしておきます。では苦虫をかみつぶしたようで調べてみましょう。どうやらきわめて苦々しい顔つき。 ひどく不機嫌そうな表情だそうです。それはそうでしょう。カメムシ、カマキリ、カナブン、ましてやゴキブリをかみつぶした時の 表情を想像して見ると、ひどい顔になっていると思います。不機嫌な表情になってもしかたないですね。 そうすると苦虫をかみつぶしたような顔を相手がしていたとしたら、その方は信じられないほど不機嫌な気分で いらっしゃるということですから対応には充分に注意を計りたいと思います。なぜならゴキブリをかみつぶした時と 同じぐらい気分の悪い思いをしていらっしゃるということですから。

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逃がした魚は大きい

【漢字】逃がした魚は大きい 【読み】にがしたさかなはおおきい 【意味】手に入れて失った物は実際は価値が大きく見えるもの。 【例文1】彼とは司法試験に5回落ちた翌年に別れてしまったが、数年後独立して大成功している。逃がした魚は大きく悔やまれる。 【例文2】元彼が実業家で成功したと聞いて逃がした魚は大きい。 【例文3】元カノがダイエットに成功して綺麗になり逃がした魚は大きい。 逃がした魚は大きいという諺は、特に恋愛を逃してしまった時に、使っていることが多いようです。 一度手に入れかけて失ってしまったものは、実際よりも価値があるように見えてしまうものだという諺ですが、私もこういう経験はよくあります。 野心がなさそうな彼だったのに別れたあと、ビジネスで成功した元カレは逃がした魚は大きすぎました。 恋愛でチャンスは一度しかないので、それを逃すと次のチャンスを得るのは大変であるにも関わらず、せっかくのチャンスを結局逃してしまったということを言葉通りに諺として、例えており、他にも、ああすれば良かったとか、あの株は買っておくべきだったとか、などもこの諺に例えています。 次は私も逃がした魚は大きいことにならないためにも、後悔しないようチャンスを逃していかないようにしていきたいと思います。 

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荷が重い

【漢字】荷が重い 【読み】にがおもい 【意味】任された作業が能力に対して責任が大きすぎる。 【例文1】新人に図案作成から設計まで任せるのは荷が重すぎる。 【例文2】入社したてでこの案件は荷が重い。 【例文3】パワハラ職場で荷が重い。 能力の割には負担が大きいことを荷が重いと言います。社会人がこの言葉を使う時には謙遜して「荷が重い」と言っているのか、本当にやり切れずに言っているのかを見極めないと、過労死に繋がるなど取返しのつかない状態に陥ることがあります。 私が18歳で社会人になりたての頃、菓子製造部門に配属されました。 出来上がりの商品を箱詰めの毎日でした。半年もすると飽きてきます。 クリスマスシーズンになるとスポンジケーキを焼きますが、一人でも休みが出ると、作業場はてんてこまいです。 工程リーダーに私が焼き菓子のカットを覚えるように指示が出ました。箱詰めの毎日から解放されるのかと思えば嬉しい思いでいっぱいで浮かれていました。 実際、焼きあがりのスポンジをカットするのは見ているだけでは簡単に見えましたが、40センチ四方のスポンジは重く手が震えてうまくまっすぐ切ることができませんでした。1個目の端はB級品となりました。その後も端だけがまっすぐ切ることができず、次第に荷が重くなりリーダーに言って担当を交代してもらいました。

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二階から目薬

【漢字】二階から目薬 【読み】にかいからめぐすり 【意味】二階から目薬を指すのはとても難しいことから、物事がうまくいかず、そのうえ効果がないことをいう。 【例文1】借金が200万に膨らんでしまった。友人に5万円借りたところで二階から目薬だ。 【例文2】仕事を増やしても睡眠時間が減るだけで生活は二階から目薬だ。 【例文3】パワハラ職場は、異動だけでは二階から目薬だ。 二階から目薬を指しても目に入るはずもなくうまくいかないことを言います。 私には心の支えになるシンガーソングライターがいます。 私は毎晩、毎朝彼らの歌を聴いて元気をもらいます。彼らの活躍は見逃しません。出演するドラマやラジオはできるだけ逃さないようにしています。 彼らの素敵なところはファンの私たちをファンと思わず、身近な存在として大事にしてくれ素敵な歌を届けてくれるところ。感謝を忘れないところ。出演しているテレビやラジオを視聴していると、同級生の話を聞いているんじゃないかなと思うくらいに素直に笑うことができるしとても身近な存在に感じます。 しかし、彼らは私だけの彼らではないのが現実です。私のように、彼らを身近に感じ大好きと思っているファンは大勢いるわけです。 私は彼らのことがとても好きですが、一度も生歌を聴いたことがないのです。ライブという場に行ったことがないのです。ライブハウスでのライブなんて夢のまた夢。行ってもっと身近に彼らを感じたいのに、ライブに行くことができません。ライブはなるべく応募しているのですが、住んでいるところの周辺の都道府県しか応募ができません。できればどこまででも追いかけたいのですが、休みの関係や金銭面の関係で限られてしまいます。応募しても当たらない、とてももどかしい気持ちです。 「二階から目薬」とは「二階に居る人が階下のひとに目薬をやるように遠すぎて効き目のないこと。思うように効果の出ないこと」で京都系のいろはかるたに載っている慣用句です。また、「天井から目薬」も同じ意味の言葉です。思うような効果が出ないことは当事者になれば大変な苦痛です。「二階から目薬かもしれませんが」と自分から提案するのは謙遜の意味あいも込めて使う場合はともかく、「それは二階から目薬だろう」と上司から叱咤されればへこみますね。でもその言葉から別の突破口が開けることもありますから真摯に受け止めるべき言葉ではあります。少し話はそれますが、鳥取県の名産の「二十世紀なし」は千葉県松戸市で発見された品種です。大きな梨農家の広い畑の隅に一本だけ違う種類の梨が生えていました。その梨を見た農家の主人はこれから二十世紀を担う梨だと「二十世紀なし」と名前をつけて育てます。ところが上手く育ちません。肥しを替えても、土壌改良に励んでもうまくいかないので途方に暮れているところへ鳥取県から梨の視察に来ていた人たちがその梨の木に興味を持ち、鳥取に苗木を持ち帰り育てたところ、すくすく育ち、大きな実をつけるようになりました。そして鳥取県は「二十世紀なし」の名産地となったのです。松戸市には「二十世紀」の地名が残り今でもそこが発祥の地であることを示しています。「二十世紀なし」にとれば、松戸の農家が懸命にやった対策は「二階から目薬」だったかもしれませんが、あきらめて切り倒してしまえば今の梨はなかったのです。

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煮え湯を飲まされる

【漢字】煮え湯を飲まされる 【読み】にえゆをのまされる 【意味】信頼していた相手や身内に裏切られる。 【例文1】 保証人になった旧友が逃げて煮え湯を飲まされる。 【例文2】友人に意中の子の事を相談していたら、友人が付き合うようになって煮え湯を飲まされた気分だ。 【例文3】スタッフにレシピを盗られ煮え湯を飲まされる。 「煮え湯を飲まされる」ということわざを知っていますか? 読んで字のごとく、煮えたぎった湯を飲まされる→ひどい目に遭うということですよね。なので、何か災難に遭ったときにこの表現を使う人が多いと思うのですが、それは誤用です。 「飲まされる」という部分に注目すると、飲む自分に対して飲ませる誰かが存在することになりますよね。「誰に」飲まされるのかが、正しい意味を知るポイントなのです。 例えば、自分が敵だと思っている相手から「いい湯加減だよ」と渡された水を「そうですか」とすんなり飲んでしまうでしょうか?何か魂胆があるのではと勘繰り、受け取らないか、もしくは受け取っても飲まないはずです。 ですから、「煮え湯を飲まされる」→「敵からひどい目にあわされる」という意味で使う人も多いかと思いますが、これも誤用です。 では、逆に自分が信頼している相手から「いい湯加減だよ」と水を渡されたら? 疑うこともせず、無警戒で飲んでしまうのではないでしょうか。 そして安心して口にした水が煮えたぎった湯だったら? 「煮え湯を飲まされる」とは正にこのことで、「信頼していた相手に裏切られる」というのが正しい意味なのです。同じ意味のことわざに「飼い犬に手を噛まれる」があります。 ことわざや慣用句はその字面だけで意味を想像して使ってしまうことも多いのですが、本当の意味を知って、正しい使い方を心がけたいですね。

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人間万事塞翁が馬

【漢字】人間万事塞翁が馬 【読み】にんげん(じんかん)ばんじさいおうがうま 【意味】幸せだと思っていた事が不幸に変わったり、一見、不幸だと思われる事が幸運を呼び込むきっかけになることがある。長い人生何が幸いして何が禍になるか予測が付かないものである。 【例文1】新車を購入して喜んでいたが、翌日車をぶつけてしまった。落ち込んだが、人間万事塞翁が馬で気を引き締めて運転する。 【例文2】足を骨折をして長期入院を強いられた。暇なので上半身を鍛えたらモテはじめて人間万事塞翁が馬だ。 【例文3】ケガで入院してのちにナースと付き合う事になり、人間万事塞翁が馬だ。 『人間万事塞翁が馬』は中国の書物『淮南子(えなんじ)』が出典になっています。 『人間万事塞翁が馬』の「人間」とは日本で言う人ではなく中国で言う世の中を意味します。「塞翁」の「塞」は砦、「翁(おきな)」とはおじいさんという意味です。「が」は所有を表す格助詞になります。直訳すると砦の近くに住んでいるおじいさんの馬のお話になります。 その昔、中国の北方に砦があり、そこに占いが得意なおじいさんが住んでいました。ある日、おじいさんが飼っていた大事な馬が逃げてしまいました。近所の人たちはおじいさんを気の毒に思い慰めに行ったところ、おじいさんはうれしそうに言いました。 「このことがきっかけで幸福が舞い込んでくるかもしれない。」 数日後、行方をくらましていた馬がいい馬をたくさん引き連れて戻ってきました。近所の人たちがお祝いに行くとおじいさんが残念そうに言いました。 「このことが災いにならなければいいが」 しばらく経って、おじいさんの息子が落馬して足の骨を折ってしまいました。近所の人たちがお見舞いに行くとおじいさんは平然と言いました。 「このことが吉と出るだろう」 ある日、おじいさんの国が戦争になり、敵が砦まで迫ってきました。多くの若者は戦争に駆り出され戦死しましたが、おじいさんの息子は足のケガのおかげで徴兵を免れることができました。おじいさんの息子は命拾いをしました。 ここから良くも悪くも災いや幸せは予測できないものという故事成語が生まれました。 人間万事塞翁が馬と言われる故事成語は、人生には色んなことが起こるから、一々大げさに反応しても仕方がないという意味ですが、この由来をご存知でしょうか。 その昔、中国に塞という国がありました。この言葉は、塞の国に住む親子の話から来ています。親子と言っても子は既に成人しており、親ももう翁、つまり老人の年令になっています。ある時、子が大きくて立派な馬を手に入れました。子はとても喜んで近所の人々に自慢をしていましたが、ある日その馬から落ちて大きな怪我を負ってしまいました。怒った子は馬に対して怒り、またとても悲しみました。こんな馬なんか手に入れなければ良かったと思いました。ところがその数日後、塞は隣国との戦争状態に突入しました。若い男たちは兵に徴収されていきますが、怪我をしている男は徴収されずに済みました。戦争に行かなくて済んだ男は、怪我をしていて良かったと喜びました。そしてこれらの間、親である翁はこの様子を穏やかに笑いながら見つめていました。 この話からは、とにかく子どもの方がコロコロと感情を変えているのが分かります。実際、色んなことに対して鋭く反応していると感情も揺れ動きますが、それに合わせてとても疲れてしまいますね。塞翁が馬とは、こんな風に色んなことが起こっても静かに穏やかに過ごすことが人生を幸せに生きる秘訣だという故事成語なのです。 一つの業界で仕事をこなしてきた中で、事件に巻き込まれて危機的な状況に陥ったり、体力的に負担が大きくなったりして、その仕事を辞めようと思ったことは何度もありましたが、それでも時間と共にそれらは解決していき、結果、20年間同じ業界で務めることができました。 そして、いつしか自分自身に対して確固たる自信が生まれ、「俺はもうめったな事では揺るがない」、そう思えた矢先に、ささいな人間関係の問題で、長年過ごしてきたその業界を去ることになりました。ただでさえ景気の悪い時代に、収入も減り、未来の見えない不安に苛まれる日々。 しかしそうした現実が、今までの生活の中で怠けていた様々な部分を見直すきっかけになってくれました。例えば、毎日の食事を外食やコンビニ弁当で済ますことになんの疑問も持たなかった生活が、少し自炊をすることではるかに健康的な食生活になり、しかも食費もこれまでの半分以下に抑えることが出来るようになったこともその一つ。ろくに使っていなかった車を処分し原付に変えることで、年間の維持費も20万円以上下げることも可能になりました。 それもこれも、人間関係の躓きがなければ考えようとすらしなかったことです。20年勤めたその業界は、実のところ斜陽産業であり、これまでの20年と同様に安定した生活が、今後20年も送れるとは限らない雰囲気が漂っています。そんな中で、これまでどれだけ自分が無駄な生活を送ってきたかを気付かず、例えば10年後に仕事が無くなってから無駄遣いをしてきたことに愕然とするよりも、今は辛くとも、ここで気が付いてよかったのではないかと思えるのです。そして何より、それまで神経を削るだけの仕事から、自分が本当にやりたいことを突き詰められる仕事に出会えた事は、正に「人間万事塞翁が馬」なのではないでしょうか。 フリーのイラストレーターの友人の話です。フリーと言えば聞こえがいいけど、つねに注文があるわけでも売れる店舗があるわけでもなく、ごくたまに催事で出す程度です。これの売れ残った作品を指定のギャラリーに置いていたそうです。 そのギャラリーが急に移転することになった、作品を取りに来て下さいと言われたのですが、バイトが重なって日程が合いません。残り3つだし、では送ってくれますかと言えば、忙しくて無理との答え。そこを食い下がると、送料負担でよければ折り返し連絡しますと。そしてそれっきりでした。 一応は、と友人は悔しげに言うのです。時間をかけて苦労して描いたものであると。それを取りに行けないし送っても貰えないとしたら、引っ越しゴミにでもされるのだろうね。 それも仕方がない、と、もう相手方に連絡もせず放置して5日余り、思わぬところから電話が来たといいます。そのギャラリーに自分の作品を取りに来たら見かけて気に入ったので全部買いたい、ただ、まとめて買うから値引きして貰えないかという話。 本人はびっくりして、引き取って頂けるだけでも有り難いです、ただで宜しいですと言ってしまいました。でもその方はちゃんと値段を提示して、その通りに振り込んで下さったそうです。 まさに大逆転です。しかし自分の力ではどうにもならないところを、良い人に見つけて貰ったおかげに違いありません。その3つはずっと残っていたのにその人が来たときなぜ目についたのかと言えば、ギャラリーは移転のためにその作品を壁から外し、ちょっと目立つ通路側に移動して置いたそうです。 私の男友達に、親が再婚している人がいます。本人にきちんと許可を得たので、彼のご家族のエピソードをご紹介します。 彼のお母さんは、若い時に信頼して結婚した相手が入籍をした直後に豹変して、ひどい言葉をたくさんかけられてきたそうです。結婚前は、少しヤンチャではありましたが本当に親切な人だったのに、演技をしていたみたいなのです。 さらにはふだんから奴隷扱いをされて、子育て中でしたが別れようと決意し、裁判で相手と闘った末に離婚しました。プライドがあったので、夫からはお金は一円ももらわなかったそうです。 しばらくシングルマザーで、大変な思いをしてきたようですが、離婚して十年くらい経ってから心の優しい外国人男性に出会い、相手は初婚でしたが息子のこともすんなり受け入れてくれたそうで、今では家族3人で仲良く暮らしています。 彼は再婚相手のご両親の家にも遊びに行き、向こうのおじいさんおばあさんも孫のためにと色々な遊びを用意してくれたいたそうです。新しいお父さんは海外出張が多く、あまり家にはいないそうですが、何か家族が病気になると心配して帰って来てくれたりするそうです。 彼や彼のご両親を見ていると、万事塞翁が馬とはこのことだなあと思います。 人間万事塞翁が馬という言葉の意味をご存知でしょうか。 人間にとって人生の中で幸、不幸は予測し難く、いつ幸せが不幸に、不幸が幸せに転ずるか、わかりません。 そのため、少しの幸、不幸に対して一喜一憂するべきではないということのたとえです。 この人間馬事塞翁が馬という言葉が一番似合うのは、今まさに甲子園球場で開催されている夏の全国高校野球選手権での試合です。 甲子園は1回負けるとそれで終わりです。 甲子園に出場するチームは全て地方の予選を勝ち進んできており、チームの総合力においては甲乙つけ難い状況であると思います。 ただ下馬評というものがあり、過去の甲子園の実績は率いる監督の采配など、外的な要素はあるものの、それらの外的要素に対して過敏になる必要はありません。 またこれらの下馬評がよいとされてきたチームが9回ツーアウト、ランナーなしから、あれよあれよという間に負けてしまうということもあります。 従いまして、舐めてかかると痛い目にあいますし、途中勝っているからといって、9回の3アウトを取るまでは野球の試合は成立しません。 このように、途中経過が良くても、野球は最後に1点多くとっている方が勝ちですので、きちんと意識をもって、集中力を切らさずに試合に臨むのが必要であると思います。…

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