引かれ者の小唄

【漢字】引かれ者の小唄
【読み】ひかれもののこうた
【意味】引かれ者とは罪人のことで、内心ビクビクしながらも平気なふりをして小唄を歌うのことから、絶望的な状況であっても強がって平静を装ったり負け惜しみを言う。
【例文1】営業成績で連敗して引かれ者の小唄状況だ。
【例文2】今回も最下位で引かれ者の小唄だ。
【例文3】引かれ者の小唄はみっともないぞ。

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引かれ者の小唄とは

「引かれ者の小唄」とは、もうどうにもならない様な状況に陥った時に負け惜しみのことを言ったり、開き直って平気であるかのように振る舞うことを意味することわざです。
このことわざの由来は「引かれ者」とは罪人のことを意味していて、江戸時代に罪人が捕まった場合、馬に刑場まで引かれていました。この時に引かれ者は内心ではとても不安なはずで絶望的な状況なのに平気なふりをして強がり無理してでも平常心を装っていたことが由来とされています。
例文として「彼はあれだけ大きな失敗をしてしまったのに笑っているのは引かれ者の小唄のようにしか思えない。」「有罪判決だったのにいつまでも知らないふりをしているのは引かれ者の小唄だ。」などと言った使い方をします。江戸時代の罪人を意味していると言いましたが、現代では罪人でなくても、負け惜しみを言っているような場合に使います。
負けや失敗を認めることを嫌だと思う方に多く使うことわざですが、負け惜しみばかり言って開き直ってばかりいるとただの往生際が悪い人ですので、どんなに悔しくても時には潔く負けを認めることも必要です。引かれ者の小唄ばかりを言わないで済むように普段から努力し続けることが大切ですね。

できるだけ「引かれ者の小唄」のタイプにならないように気を付けたい

「引かれ者の小唄」とは負け惜しみを言っているとか、虚勢を張っているようなイメージがあります。
負け犬の遠吠えとも言えるかもしれません。

確かに本当に優れた人は、あれこれ言い訳をしないものです。
これは年齢に関係なく、その人の度量によるものかもしれません。

これも持って生まれた性格なのかもしれませんが、あまり周りの人に対しては良い印象は与えないものです。
それを自覚できているのならば、早めに治していきたいものです。

しかし世の中は、類は友を呼ぶと言われるように、同じようなタイプの人が集まる傾向があります。
「引かれものの小唄」のタイプの人は、同じような人同士が自然と集まり、その中でも、このような状況が繰り広げられるのでしょう。

傍から見ていると、あまり良い気分ではないと思う私は、やはりこういう中には入っていけないのかもしれません。

若い時ならまだしも、ある程度の年齢を重ねても、これをやり続けていると、何と大人げない人だと思われても仕方がありません。

肉体年齢と精神年齢は比例しませんし、いつまでたっても成長しない人もいます。
出来るだけ自分が心地よい毎日を送るためには、やはり自分が成長していくしかないのだと改めて感じています。

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