風樹の嘆

【漢字】風樹の嘆
【読み】ふうじゅのたん
【意味】風で揺れている樹木は葉を散らしたくないと思っても風がやまなければ思いどおりにいかないたとえから、亡くなってしまった親への嘆きをいう。
【例文1】風樹の嘆で後悔しても遅いから両親が元気なうちに親孝行しておくべきだ。
【例文2】年老いてきた父母を見て風樹の嘆の前に親孝行する。
【例文3】風樹の嘆を後悔し続ける。

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「風樹の嘆」にくれなくても良いように

「風樹の嘆」の「風樹」と一般的には風に揺れる樹木のことですが、ここでは死んだ親を思うことを指します。「親孝行をしようと思った時にはすでに親が亡くなっていて孝養を尽くすことのできない悲しみ、嘆き」という意味です。これは「韓詩外伝」に記されている句から生まれた言葉です。

 

「韓詩外伝」は漢の韓嬰が詩経の句で古事、古語を解釈した書物で全十巻です。外伝は残っていますが、おそらくセットであったはずの内伝は失われています。「孝行のしたい時には親は無し」とよく言われますが、漢の時代から既に古事として言い伝えられていたというのは驚きです。大昔からどこの国でも親不孝者がいたという証明ですね。これに学ばなければなりません。

 

親が存命中にはどうしても疎かにしがちなことですが、親が亡くなると「わが身の不孝が胸を衝く」ものなのです。石川啄木も「たわむれに母を背負ひてそのあまり 軽ろきに泣きて三歩歩まず」と詠んでいますが、親が生きている間に年老いた状況に気づければ、孝行の仕方を考え実行することもできますが、亡くなってからではその術すらありません。小林一茶も母のように慕った俳人織本花僑の三回忌に「亡き母や海見るたびに見るたびに」と詠んでいますが、「風樹の嘆」にくれなくても良いように親孝行をすることは、翻って自分のためなのです。

風樹の嘆ってあんまり聞き慣れない

日本語には数多くの四字熟語が存在する。その中にはよく使われる言葉、耳慣れない言葉があるだろう。ここで紹介するのは「風樹の嘆」だ。その構成された言葉から言えば、風に揺られるせいで樹は静止できず留まれないことを嘆く、となる。そこから派生して、自分の親に孝行をしてやりたくとも、その親は既に亡くなっており、もうどうすることも出来ず、己は嘆く。こういった意味の四字熟語に触れると、なんとももどかしい想いに駆られる。後悔先に立たずの親孝行バージョンだと言えよう。少し意味から離れて、四字熟語って言葉が作り出す情景とそこから派生させる意味合いにかなり距離が感じられる事があるなあと思わされてならない。風に樹が揺らされることは日常的な光景だが、大多数の人はそれを見たって悲しみや虚無感を受けたりしないだろう。しかし、昔の人は情趣を解することに生き甲斐を感じたものだ。先述したが、抵抗する術のない樹に自分が置かれてしまったあて先の無い孝心をを結びつけ、思い通りにはならないという事を綺麗に表させるのだ。四字熟語を使いこなせるようになると、表現の幅が広がるだろう。私も、せっかく得ているこの言葉を無駄にせず、風樹の嘆をかこわないようにしたい。

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