類は友を呼ぶ

【漢字】類は友を呼ぶ
【読み】るいはともをよぶ
【意味】気の合った者、同じレベルのもの同士は自然と集まって仲間を作るもの。
【例文1】類は友を呼んで同じ趣味を持つ。
【例文2】深夜たむろしている若者が類は友を呼ぶ。
【例文3】類は友を呼ぶだから共感する部分が多い。

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類は友を呼ぶということわざのとらえ方

同じ趣味を持った人たちのサークルなどで同じ考え方の人に出会うととてもうれしくなってしまいます。そういうのを「類は友を呼ぶ」と言うのだと思っていましたが、最近、悪い事でも使われれていることを知りました。
「朱に交われば赤くなる」とよく似た意味で使われていたのです。古い言い方ですが不良と言われるような少年少女、現在風に言えば非行少年、あるいは少女の集まるところに、我が子が仲間に入っていたりすると親はとてもショックを受けるようです。「私の子どもに限って」と思うのは当然の親心です。そして、「朱に交われば赤くなる」というから付き合ってはいけない、ということになるのでしょう。
同じような意味で使っているようですが、「類は友を呼ぶ」のほうは微妙に違うことに気が付きました。
「類は友を呼ぶ」のほうは、第三者が知り合いの子どもが悪いことに手を染めたりすると使うようです。少し冷たい言い方で。その使い方が正しいかどうかはよくわかりませんが、ことわざの中にはとらえ方が変わってくるものもあるようです。

類は友を呼ぶの意味

「類は友を呼ぶ」とは、人の周囲には自然と同じような性格だったり、同じようなことを行なっている人が集まり、友人になっていくという意味です。同じような性格であったり、同じようなことをしている人同士は話が合うので、自然と集まるということですね。例としては、「あの人は人格者だけれど、周囲にいる友人もみんな良い人達ばかりで、類は友を呼ぶとはまさしくこのことだね。」といったように使います。また、そこから派生して、その人が本当にどういう人か大まかに知るには友人を見るといい、といった意味で使われることもあります。例えば、「あの人が本を読んでいる姿を見たことはないけど、周囲の友人は皆本を読んでいるところをよく見る。類は友を呼ぶと言うし、もしかしてあの人も外で読まないだけで、本を読むのが好きなのかもしれない」といった具合です。また、類は友を呼ぶという言葉から、自分を変えたい時はまずは付き合う人を変えてみる、といった方向で使われることもあります。「あの人が私の友達なんて畏れ多いけど、類は友を呼ぶと言うし、仲良くしているうちに私も友達として相応しくなれるかもしれない」といったように、自身の向上を目指すために、まずは付き合う相手を変えてみるのも手かもしれませんね。

どんな環境でも類は友を呼ぶ。友は自分の鏡である。

類は友を呼ぶの意味は、気の合った者や似通った者は自然に寄り集まるという意味です。
確かに価値観や趣味、嗜好が似ていると共感できて距離も近く感じ仲良くなりやすいです。また育った環境や出身地が似ていても親近感を持ちます。
自分自身を客観的に知るには自分の友達を見ることが一番分かりやすいということです。友達のどこに共感を持てたか、何で気が合うのかを分析していると自分の価値観がよく分かってきます。
また友達の嫌な面を垣間見てしまう時、自分自身も他人から同じように思われている可能性があるということです。友達の欠点を見て自分の欠点に気付き治していくことでより自分を向上することができます。
この法則をあてはめると、悪友ばかりしかいないと言っている人は自分自身も同じ類ということです。人に恵まれないと嘆くだけでなく、友達の欠点を自分に照らし合わせて反省する必要があります。そうして自分が向上すると、もっと他に気の合う友達ができます。そして自然に悪友とは疎遠になっていきます。悪友も向上した自分に対して同じ類ではなくなるので、共感できずつまらなく感じるようになり次第に離れるでしょう。
自分自身と向き合うには自分の身の回りの友達を分析してみると手っ取り早いということです。

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