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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。 Powered by 手作り言葉辞典

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曲学阿世

【漢字】曲学阿世 【読み】きょくがくあせい 【意味】学問の真理を都合よくねじ曲げ、世の中にあやかって人気を得ようとする。 【例文1】曲学阿世の政治家が当選した。 【例文2】曲学阿世の演説が高齢者に支持する。 「曲学阿世」という言葉を調べでみるとこの言葉は、学問の正しい態度を曲げて、世の中に迎合すること、という意味だそうですが、まさに現代を象徴している言葉だと思います。 特に日本人は争いを嫌う平和主義な傾向にあるため、他者を批判することなく、周りと足並みを揃えようとします。 そのため、多少違和感を覚えることでも、あまり否定的にならずに自分が合わせようとするのです。 自分の信念がない、という意味にも捉えられますが、成功者にはこの自分の信念を貫き通す人と、他者に寄り添うことで周りの人望を集める人と二通りいると私は思います。 勿論これは業種にもよるのかもしれませんが、どちらのタイプにせよ、その人柄に惹かれて後ろをついてくる人は出てくることでしょう。 しかし、日本人に曲学阿世な考えがこれ以上浸透していくことは、それぞれの個性が失われることになるのではないか、という懸念も捨てきれません。 個性が溢れてこそ色々な考えが生まれて、豊かになると思うので、なんとも言いがたい現代社会の問題であるように私は思います。

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猿真似

【漢字】猿真似 【読み】さるまね 【意味】猿が人間のマネをするように、よく考えもせずに人の真似をする。 【例文1】マナー違反をする者を見た。子どもが猿真似しないように教育する。 【例文2】子どもが猿真似するからやめなさい! 【例文3】知らぬ間に子どもが猿真似をしていた。 サルは何でも人間のマネをする動物です。賢いと言えば賢いですが、猿真似とは浅はかな考えで他人の真似ごとをするという意味です。 実生活において「子どもが見ているから猿まねはやめなさい」と母親が言っている姿がイメージできます。 私も幼稚園に通う4歳の娘の前で夫がつまみ食いや立ち食いをするのを口を酸っぱくして子どもが真似るからやめなさいと何度も注意します。なんでも興味を持つ年頃で善悪の判断がまだつかない子どもにとって躾が大切です。そんな娘が幼稚園から帰って来たときのことです。脱いだジャンパーをハンガーにかけもしないで遊びに出ようとしたので、「お洋服はいつもここに(パイプハンガー)にかけるように言ってるでしょ」と言うと「え、パパもソファに洋服置いているじゃない」と言われハッとしました。何気な行動も子どもはよく見てるんだなと改めて気付かされたのです。言うばかりではなく親の言動も反省しました。

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猿知恵

【漢字】猿知恵 【読み】さるぢえ 【意味】何かたくらみがある知恵。 【例文1】道に財布が落ちていた。お礼をもらえるのではないかと猿知恵を働かせて落とし主に連絡をする。 【例文2】猿知恵がばれて失敗に終わる。 【例文3】猿知恵だけは案が浮かぶ。 猿知恵。気がきいているようで、実はあさはかな知恵。こざかしい知恵。(出典:デジタル大辞泉) 猿は動物の中では人間に近いと言われるほど賢いことで知られていますが、それでも人間には遠く及ばないことから、この言葉が生まれたようです。 最近、わが子に対してそれは猿知恵だと思うことが多々あります。 子どもは、自分が怒られたくないあまり、保身のために嘘をついたりわからないふりをしたりするのです。 親からするとその嘘やわからないふりがバレバレのため、余計に怒ってしまいます。 幼稚園の頃はそんな知恵を働かせることはありませんでした。嘘はつけず、ある意味素直に怒られていました。 小学生になってからでしょうか、明らかに自分の行いのせいで下の子が泣いてしまった時に、私が怒ると、「え?なになに?」と首をかしげるのです。 「なんで下の子が泣いてしまったのか、私にはまるで検討がつきません、わかりません」というポーズを作っているのです。 本当は、自分の行いが原因なのはわかっているのです。でも、それを認めてしまうと私に怒られる。 なので、「え?なになに?」と首をかしげる演技をするのです。 低学年の猿知恵に騙される母ではありません。そのわざとらしいセリフと首のかしげ方がますます私の逆鱗に触れ、結局お説教はますます長くなってしまいます。 素直に悪いことを認めて謝ったほうが怒られなくて済むのに、なんと浅はかなんでしょう!

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猿芝居

【漢字】猿芝居 【読み】さるしばい 【意味】演技が嘘だとバレバレ。見透かされた嘘。 【例文1】挙動不審が猿芝居だとバレる。 【例文2】下手な猿芝居はもうやめろ。 【例文3】いつまで猿芝居を続けるつもりだ。 「猿芝居」の語源は「サルに衣装を身に着けさせて芝居のまねをさせること」であり、これは一種の見世物である。そこから転じて、下手な芝居をあざけていう言葉で、「すぐに見透かされてしまうような浅はかな企み」を意味する表現として今日では使われています。 「猿芝居」というのは日常生活ではどちらかというとユーモアを交えて使うことがよくある言葉ではないでしょうか。例えば、「夫が何か妻に隠し事をしており、妻は真実を知っているにもかかわらず彼の猿芝居をずっと何も言わずに見続けている」というような場面があると思います。明らかに妻からすれば彼の行動や素振りは単なる猿芝居にしか思えないんですけどね。 先日、我が家でも夫の猿芝居をみる機会がありました。夫は「タバコをやめた」と私の前で断言していたにもかかわらず、ある日、彼の机の上にタバコが置かれているのを私は目にしました。そのとき「あれ?タバコやめたって言わなかったっけ?」と問うと、「あ~、これは同僚が忘れて帰ったのを預かっているだけなんだ」と彼の猿芝居が始まりました。本人はそんな猿芝居をして本当に私が信じているとでも思っているのだろうか、と思わずあざ笑いせずにはいられない私の心境、わかりますか。あまりにも猿芝居の度が行き過ぎて思わず返す言葉さえありませんでした。 私はよく猿芝居をします。職場で飲みに行く時も家内がうるさいので猿芝居をして今日は古くからの友人と飲みに行くからといったたぐいのことを言います。妻は信じ込んで気持ちよく飲み会に送り出してくれます。しかし、職場の仲間と飲みに行っているのです。いつも週に何度も職場の仲間と飲みに行くので妻もあきれていていい顔をしないのです。飲みから帰って来たときもいかにも古くからの友達と飲みに行ったように猿芝居をします。妻は全然気づいていません。悪いと思いながらも猿芝居してしまうのです。会社でも時々猿芝居をする時があります。どうしても帰りたくなる時があって、そこで猿芝居です。お腹が痛くなったと全然お腹は痛くないのですが、わざと痛そうな顔をして上司に報告します。上司もそれは大ごとだ、病院に行くなり、家に帰るなりしなさいとのことで行ってくれます。私はお腹が痛そうに会社を出るわけです。さすがにこんな時は猿芝居はしたのですが、なんとも後腐れが悪い気がします。しかも次の日はまた嘘の上塗りをしなければなりません。自分でも何か大嘘をついたような嫌な気持ちになります。出来るだけ猿芝居はしない方がよいとは分かっていても、ついついしてしまいます。

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賛否両論

【漢字】賛否両論 【読み】さんぴりょうろん 【意味】賛成派と否定派の両方がいる。 【例文1】意見が賛否両論で収拾がつかない。 【例文2】ガン告知は賛否両論の意見がある。 【例文3】賛否両論で決め兼ねない。 北朝鮮のミサイル発射や核実験により、アメリカや中国、韓国、日本を巻き込み、朝鮮半島の緊張が高まりつつあります。 これまでもミサイル発射実験をたびたび行ってきた北朝鮮ですが、そのほとんどが日本海に向けたミサイル発射実験でした。 しかし今回行われたミサイル発射では、より長距離へ飛ばすことを目的とした実験を行ない、発射されたミサイルは日本の上空を通過し太平洋へ落下しました。 全国瞬時警報システム「Jアラート」が日本各地で鳴り響き、日本中で動揺や困惑の声が聞かれました。 私が違和感を持ったのはその後の日本の対応でした。 他国のミサイルが日本の上空を通過しても結局は「遺憾の意」を表明と、これまでと変わらず警戒・監視に努めていくという対応だったからです。 発射実験であるため爆弾は積んでいないとはいえ、北朝鮮のミサイルが通過してもこれまでと変わらない日本の対応、そして静観しているアメリカの動きなど、日本に住む人間として不安を覚えました。 ずっと平和を維持してきたことから憲法改正には賛否両論がありますが、なにかがあったときに自分の国を自分で守れるようにするには今のままで本当に良いのか、真剣に議論するべきときが来ているのではないかと思わされました。

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三拍子揃う

【漢字】三拍子揃う 【読み】さんびょうしそろう 【意味】必要な三つの条件がすべて揃っている。 【例文1】彼女は誰もが羨む頭・顔・スタイルと三拍子揃っている。 【例文2】彼はイケメンだけでなく性格や良家と三拍子揃う。 【例文3】性格・家柄・品格と三拍子揃う。 「三拍子揃う」という言い方を私が初めて耳にしたのは、子どもの頃。野球のジャイアンツファンだった父が、長嶋茂雄選手のことをこうほめているのを聞いたのです。 「打ってよし、守ってよし、走ってよし。こんなに三拍子揃う名選手もめずらしい」 当時のジャイアンツの四番バッター長嶋選手は、確かに強打者であると同時に、名三塁手でもあり、また走力も優れていました。たとえば、王選手は最強のバッターであり、名一塁手ではあったものの、走るのは速くありませんでしたから、「走ってよし」とは言えません。 今、これを書いていてふと思ったのは、今のイチロー選手はまさに典型的な三拍子揃う名選手だということです。 私は歌舞伎が好きなのですが、歌舞伎役者の三拍子は「声、顔、姿」の三つ。市川海老蔵さんなど、「声が良くて美貌で姿もすてきな三拍子揃った役者」と言っていいでしょう。 ところで、「飲む、打つ、買うの三拍子揃ったダメ亭主」というように悪い意味で使われることもあります。しかし、それはどうやら江戸時代の後期からのことで、もともとはやはり良い意味で使われる言葉だったようです。 語源は能楽。お能の囃子で使う三つの楽器の拍子がぴたりと合うことを「三拍子揃う」と言ったのだとか。異なる楽器の拍子が揃えば美しい音楽になりますから、「三拍子揃う」はポジティブな意味で使われていたわけですね。

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三拝九拝

【漢字】三拝九拝 【読み】さんぱいきゅうはい 【意味】何回も拝む。何度も頭を下げて敬意を表す。 【例文1】家族の幸せを三拝九拝して祈願する。 【例文2】命の恩人に三拝九拝する。 【例文3】三拝九拝で金婚式を祝う。 人に敬意を払うときや、謝意を伝える時に、人は頭を下げますが、これを何度も繰り返す事を三拝九拝と言います。 例えば、職場や学校で目上の人、すなわち上司や取引先、先生や先輩などに敬意を払うことは、多々ありますが、その中でも頼みごとをしたり、感謝の意を伝えたい時、また、謝罪する時には、頭を下げます。しかし、目上の人でなくても、頭を下げることはあります。では、それも三拝九拝にはならないのか、と感じることもあると思いますが、 それは三拝九拝とは、また違った意味になります。どうしてそうなるのでしょうか。つまり、目上の人と目上の人でない人に対しては、同じ頭を下げるということでも、度合いが違ったりします。 そういった時に、目上の人に対しては、何度も頭を下げるといったことによって、敬意や謝意の強さを表現し、伝えるのです。ですから、同じ頭を下げるのでも、目上の人に対してのみ三拝九拝という言葉が適用されます。 これは、メールや手紙といった媒体にも、適用されることであり、文末に三拝九拝と表記することによって、相手に対して、敬意や謝意を伝えます。この場合の三拝九拝は、相手が目に見えないメールや手紙では、相手に敬意や謝意を伝える事ができる大切な言葉です。

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残念無念

【漢字】残念無念 【読み】ざんねんむねん 【意味】思い残す事があってとても悔しい。 【例文1】高校最後の試合で負けてしまい残念無念。 【例文2】あの時彼女の連絡先を聞いとけばよかったと残念無念に思う。 【例文3】告白しとけばよかったと残念無念に思う。 私が残念無念という言葉を初めて聞いたのは小学3年生の6月頃でした。 この季節の小学生のお楽しみといえばプールの授業です。授業ではあるけれど、波のプールや流れるプールを自分たちでやってみたり、自由時間もあるため7割方は遊びでもある子どもたちにとっては夢のような時間なのです。 さて、今日は待ちに待ったプールの日。 水着よし、帽子よし、プールカードよし! 体調よし!! 準備は万端。友達とワクワクしながら学校に向かいます。 しかし、どこをどう見ても今にも雨が降りそうな曇り空。そしてなんだか肌寒い。 先生たちの話し合いの結果、今日のプールは中止。 「えー」「やだー」「入りたいー」 教室中が不満の声でいっぱいになる中、担任の先生が黙ってある言葉を黒板いっぱいに書きました。 残念無念 私たちの気持ちを表した先生からのメッセージでした。 先生も私たちの気持ちをわかっていたのでしょう。 その先生はベテラン、おそらく50代の女の先生でした。 先生は私たちが国語の授業で書いた作文やクラスでの出来事を学級通信に載せてくれたり、クラスで問題が起きたら解決するまで徹底的に向き合い、いい事があったら心から喜びを分かち合ってくれる素敵な先生であった事を今でもはっきり覚えています。 もう25年以上前の話で先生とは全く連絡を取っていないので今はお元気にしていらっしゃるのか全くわかりません。 でも大人になった今でもこうして思い出す事があるくらい先生との出会いが素晴らしいものであったと感じています。

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三年飛ばず鳴かず

【漢字】三年飛ばず鳴かず 【読み】さんねんとばずなかず 【意味】実力を発揮する機会をじっと待っている様子。 【例文1】芸人が三年飛ばず鳴かずの下積み生活を送る。 【例文2】レギュラーを目指すが、三年飛ばず鳴かず。 【例文3】昇進を狙うが、三年飛ばず鳴かず。 三年飛ばず鳴かずとは今一つ結果を出せない事をいいます。単に結果を出せないだけではなくて本来は出来る能力があるにも関わらず結果を出さないという意味を持っている諺です。本来実力があるのに中々結果につながらないのは本当に辛いものがあります。特に自分の一生を左右するかもしれない受検、試験で結果を残せないとかなり辛いと思います。しかしどうしても本番に強いタイプと弱いタイプがあります。 私自身も学生時代に経験があります。いつも授業を真面目に受けて、勉強もテスト前だけではなく毎日コンスタントにやっていました。でもいざテスト本番となるとすごくプレッシャーを感じてしまって、そこで何か分からない問題があると頭が真っ白になってそこから平常心で問題を解けなくなってしまうのです。高校三年間そのメンタルの弱さはそのままで、まさに勉強に関しては三年飛ばず鳴かずの成績でした。周りにはテスト前だけに人のノートをコピーして一夜漬けで勉強するだけで要領よくいい成績を取る人がたくさんいました。その時は何だか面白くない気持ちでいっぱいでした。でも高校時代に一生懸命勉強して自分の好きな分野を見つけることが出来たおかげで大人になっても興味のある分野の勉強をすることが出来ています。三年飛ばず鳴かずでも一生懸命やっていれば良いこともあるのだと思います。

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三人寄れば文殊の知恵

【漢字】三人寄れば文殊の知恵 【読み】さんにんよればもんじゅのちえ 【意味】凡人であっても三人片寄ればいい案が浮かぶもの。 【例文1】三人寄れば文殊の知恵でいいアイディアを出そう。 【例文2】三人寄れば文殊の知恵ですぐ解決した。 【例文3】三人寄れば文殊の知恵で何とかしよう。 多くの人が正しい答えを出せる問題であれば、三人で相談することで正答率は高くなります。 正しい答えを知る人が少ない場合でも、三人の内のひとりでも答えを知っていれば正しい選択は出来るはずです。 しかし、実際の社会ではそう簡単に物事は決まりません。 全員が納得するまで話し合えることなど稀で、多数決によるゴリ押しか偉い人が鶴の一声で決定されるのが世の常です。 数こそ力、力が正義と言ってはばからず、そのくせ失敗すれば責任の擦り合いが始まり下手をすれば連帯責任に巻き込まれます。 どうにも思考が後ろ向きですが、これまでの人生経験から得られた結論なのです。 文殊(もんじゅ)という言葉からナトリウム漏れとか放射能を連想してしまうのが不味いのでしょうか。 三人寄れば文殊の知恵より、三人寄れば姦しい(かしましい)の方が先に思いついてしまいます。 話し合う前に説得と根回し、粗探しをされる前に思考ミスを潰し、相手が考え始める前に用意した正解を提示してしまう。 既に話し合いの寄り合いですらありませんが、己の意を通したいならば地道に苦労するより他に手はありません。 我が家には三人の息子がいます。小学校2年生の長男と年長の双子の次男三男という構成です。年が近いこともありいつも一緒に遊んでいますが、性格は三者三様で慎重派でリーダー気質の長男、長男がいないときには長男の座を虎視眈々と狙う次男、誰にでも合わせて遊び何事にも一生懸命な三男です。総じて内弁慶で外では引っ込み思案ですが、家の中では勇ましく戦いごっこをしています。今のところはお兄ちゃんに憧れる次男三男ですが、長男と三男が非常に仲が良く二人だけで遊ぶ時間も多くなっています。その間次男は一人の世界で黙々と工作などをしています。次男は除け者にされているというわけではなく、次男の好きな遊びの時には輪に加わり、好きではない遊びの時には一人遊びをしているというようにみえます。大きくなってもこのままずっと三人仲良くいてほしいというのが親の願いですが、やはり心配は尽きません。最近では毛利元就の「三本の矢の教え」を話したり、「三人寄れば文殊の知恵」のことわざの話をしたりして、いかに三人で協力することが大切なのかを説いています。子供達が思春期に入り、個人を尊重するようになって、そして独り立ちして家をでていくまで、「三本の矢の教え」「三人寄れば文殊の知恵」は話し続けていこうと思っています。

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三度目の正直

【漢字】三度目の正直 【読み】さんどめのしょうじき 【意味】一度や二度は当たらないが、三度目はうまくいくだろうと期待する。 【例文1】猛アタックの末、三度目の正直で告白が成功した。 【例文2】この試験が三度目の正直だ。 【例文3】次こそが三度目の正直だ。 今でもそうですが、今度こそうまくいって欲しいと願う時、三度目の正直を望みながら心の奥底では二度あることは三度あるかも…と不安になったりします。 三度目の正直と、二度あることは三度あるは正反対の諺ですが、双方共に引き合いに出されることが多い気がします。 子どもの頃、この諺を習った時に両方とも同じように数字が入っているのに、片や否定的で真逆な意味であることに面白さを感じていました。 この諺が出来た背景にはプラス思考の人が考えた三度目の正直という諺に対して、ひねくれ物のマイナス思考の人が反発して作ったのが、二度あることは三度あるかもしれないと、大人になった今では思います。 いずれにしろ何でもありの諺の世界は自由で楽しいものです。 しかし私はどんな時でも、三度目の正直の方を信じて生きていきたいです。少々難しいですが。 一度や二度ダメでも三度目には夢が叶うと信じて生きる方が、心の中にプラスのエネルギーがどんどん貯まると思うのです。 その方が結果がどうであれ幸せの時間は長いです。 もしダメだった時でも、四度目の正直などと勝手な諺を作り自分を励ますことも出来ます。

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山椒は小粒でもぴりりと辛い

【漢字】山椒は小粒でもぴりりと辛い 【読み】さんしょうはこつぶでもぴりりとからい 【意味】山椒の実は小粒だが非常に辛い。つまり小さくても大きな威力を持っている教え。 【例文1】彼は小柄だが、山椒は小粒でもぴりりと辛くて柔道の国体選手だ。 【例文2】地道な募金活動は山椒は小粒でもぴりりと辛い。 【例文3】祖父はああ見えて元警官で山椒は小粒でもぴりりと辛い。 「山椒は小粒でもぴりりと辛い」とは、「身体は小さくても鋭い気性やすぐれた才能があり、侮ることができない」という意味です。山椒はミカン科の低木で多く自生しています。葉っぱと実は香味と辛味が強く、香辛料に使われます。よくウナギの蒲焼を買うと、山椒の粉がついてきますが、あれです。山椒の実は本当に小さく、そのくせ離れていても近くに山椒が生えているなと気がつくほど独特の香りがします。「山椒は小粒でもぴりりと辛い」にあたると思うのはシンガーソングライターのaikoさんです。テレビ画面の中で見かける彼女は、他の芸能人の方々が身長が高いこともあり、とても華奢に見えますが、歌い始めると彼女の独特の世界観に引き込まれてしまいます。昔、新星堂町田店というレコード店にはaiko専用コーナーである「愛子堂」があり「aiko」ジャンルが常設され、そこには直接届けられるメッセージボックスが置いてあり、店員が彼女に届けてくれていたといいます。インディーズ時代の音源を視聴可能な、数少ない場所でもあり、彼女のファンからは聖地とされていました。今、そのお店はありませんが、ひとつの店舗だけとはいえ、ジャンルとして確立され聖地としてファンに認知されるほどの人気ぶり。やはり彼女は山椒ですね。侮れません。

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三十六計逃げるに如かず

【漢字】三十六計逃げるに如かず 【読み】さんじゅうろっけいにげるにしかず 【意味】計略がうまくいかなかった時は、あれこれ考えるより逃げるのも策略である。 【例文1】どうやらブラック企業のようだ。三十六計逃げるに如かずで辞める。 【例文2】10年経っても実らない。諦めも三十六計逃げるに如かずかな。 【例文3】作戦変更。三十六計逃げるに如かずだ。 「三十六計逃げるに如かず」は「形勢が不利になったときは、 あれこれ思案するよりも、逃げてしまうのがいちばんよい。転じて、めんどうなことが 起こったときには、逃げるのが得策であるということ」です。この言葉は「兵法三十六計」という兵法書と関係があるのかははっきりしません。数ある兵法書の中で有名なのは孫武という人が記した「孫子」という兵法書です。紀元前500年頃のもので孫武は戦争の記録を分析・研究し、勝敗は運ではなく人為的なものだとして、勝利を得るための指針を理論化し、本書で後世に残そうとしたものです。1972年に中国山東省臨沂県銀雀山の前漢時代の墓から出土した竹簡に記されたもの竹簡孫子が原典に近いとされています。文字通りお墓の中にまで持っていくほど愛読した人がいるのでしょうね。「孫子」の中には現代でもビジネスに使えるような名言が入っています。例えば「彼を知り己を知れば、百戦して危うからず」は相手のことをよく調べ情報を掴み、また自分のこともよく理解しておけば百戦錬磨であるということです。また、実戦の際に参考にしたのが、日中戦争時の毛沢東だと言われています。「孫子」のような兵法書もビジネスなど平和利用だったらいいのですが、実戦には利用してもらいたくないですね。

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三尺下がって師の影を踏まず

【漢字】三尺下がって師の影を踏まず 【読み】さんじゃくさがってしのかげをふまず 【意味】師匠に従って歩く時は師匠の後ろを影も踏まないようにする。つまり師匠への礼儀を忘れてはならないという教え。 【例文1】三尺下がって師の影を踏まずで、20年間恩師に年賀状を書いている。 【例文2】三尺下がって師の影を踏まずの恩を返す。 【例文3】三尺下がって師の影を踏まずでお歳暮を贈る。 「三尺下がって師の影を踏まず」という慣用句を聞いたことがある人は多いと思います。 その字の示す通り、弟子が師に付き従う場合には、三尺ほど下がってその影を踏まないようにしなければならないということです。ここには、弟子は常に師に対して礼を尽くさなければならず、師を敬う気持ちを持たねばならないという戒めの意味が込められています。 「尺」というのは耳慣れない距離の単位ですが、一尺は約30・3センチ、三尺はおよそ90センチほどになります。 あなたに師と呼べる人がいるならば、「三尺下がって師の影を踏まず」という言葉の意味を思い出し、常に相手に礼を尽くすようにしましょう。 ちなみに、「先生が怖いから距離を置こう、遠ざかろう」と言った間違った意味で使っている人もまれにいるようですが、こちらは全くの誤用なのでくれぐれも注意してください。 人が誰かに何かを習うとき、教えてくれる相手に礼や尊敬の気持ちを持つのはとても大切なことです。 常に師に対して尊敬の気持ちを忘れず、理想的な師弟関係を築きたいものですね。 最近はあまり使われなくなった言い回しに「三尺下がって師の影を踏まず 」という言葉があります。 意味は「先生は敬わなくてはならない。だから、先生といっしょに歩く時は、三尺後ろに下がって、先生の影を踏まないようにするぐらいの、そんな気持ちで接しなくてはならない」ということでしょう。 「影を踏むことさえ不敬にあたる」という考え方ですね。もともとは、仏教の作法からきたとも言われていますが、なんとも東洋的な奥ゆかしい発想です。 ところで、「三尺」というのは長さを表しています。「一尺」は約30cmですから、三尺はおよそ90cm。あげ足を取るつもりがありませんが、これではちょっと短すぎるのではないでしょうか。 先生の後ろを、90cmの間隔でついていくというのは、少々距離が近い気がします。時間や季節など、太陽の角度によっては先生の影を踏んでしまいそうな距離です。 そう思って調べて見たら、この言葉、元は「七尺去って師の影を踏まず」と言っていたらしいということがわかってきました。「去って」は「下がって」と同じ意味と考えていいでしょう。 ポイントは「七尺」という長さ。約210cm、つまり2メートルを超えていますから、これなら、先生の影を踏むリスクはかなり小さくなるに違いありません。 日本人は「三」という数字が好きですから、それで「七」がいつの間にか「三」になったのではないでしょうか。もとの言い方のほうが、理屈にかなっているわけですね。

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山紫水明

【漢字】山紫水明 【読み】さんしすいめい 【意味】山や川などの自然の美しい景色。 【例文1】山紫水明は癒される。 【例文2】休日は山紫水明に出かける。 【例文3】山紫水明で心が和む。 私は今まで何度か大きな山を登りました。 とは言え、頂上まではいけなくて、途中まで行ったことがほとんどです。 小学校の時から遠足といえば、山登りがメインでした。 いつもどこが遠足なのだろうと思って、あまり乗り気ではないこともありました。 しかし、高校生の時に初めて富士登山を経験しました。 その時に見た素晴らしい自然の景色を見て、初めて山登りの楽しさを知ったような気がします。 山登りの醍醐味はやはり山紫水明にあるのかもしれません。 山の高さには関係なく、目の前にある美しい山や川の景色は、普段の町での生活ではなかなか見ることはできません。 年齢を重ねるとともに、その山紫水明の美しい景色と出会うために、山に行くことがあります。 その素晴らしい景色を眺めていると、抱えていた悩みが小さくなっていくような気がします。 いつの季節も山は美しいです。 これから秋に向けて、気温が下がり、山登りもしやすくなるかもしれません。 私が最も好きな時期は4月の山です。 雪解けの途中の状態で、空気もひんやりと冷たいのですが、生き物もそれほどいなくて静かな世界です。 そのような山道を歩くのが何とも言えず、至福の時間を過ごしているという実感があります。 これからも山紫水明の景色を求めて、山へ行きたいと思います。

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三三五五

【漢字】三三五五 【読み】さんさんごご 【意味】元々集団グループだったのが、少人数に分かれて行動する。 【例文1】二次会が終わると三三五五で退散した。 【例文2】上司に気づかれぬよう三三五五で退席する。 【例文3】車に乗れないので三三五五に分かれる。 「三三五五」とは少人数の人がバラバラに行く様子です。例えば最寄り駅に向かって歩く中高生です。まさしく三三五五に歩いています。二人、四人という偶数だと、バラバラに歩くという様子にはなりませんから、この奇数、三三五五はぴったりの比喩です。日本では、お祝い事に包む金封のお金は三万円、五万円と割り切れないという縁起を担いで奇数にすることが多いですよね。販売されているお土産品も奇数になっていることが多いです。昔から数の持つ意味にこだわる日本人ですが、ことのほか数字や数式にこだわる数学者を描いた小説があります。小川洋子さんの「博士の愛した数式」です。不幸な事故により、一日だけしか記憶が持たなくなった博士と子持ちのシングルマザー家政婦との交流を描いた作品です。博士はどんな数でも割り切ることのできない素数を好んでいて、次第に彼女もその世界に引き込まれていきます。素数の羅列、「厳かに暗闇を貫く幅も面積もない無限にのびてゆく一本の真実の直線」を心の中に描くことで、彼女は微かな安らぎすら感じるようになります。「君の利口な瞳を見開きなさい」という博士の言葉。昨日の記憶すらなく、目の前に起こることだけが真実であるということが、彼女にとってある種の救いになるのです。

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三顧の礼

【漢字】三顧の礼 【読み】さんこのれい 【意味】中国の三国時代に将軍が諸葛亮を迎えるために三度も出向いてお願いしたという故事に由来する。才能ある人物を得るには、地位の高い人が自ら出向いてお願いするのがよい。 【例文1】三顧の礼で迎えられて恐縮です。 【例文2】引き抜きに三顧の礼で出向かう。 【例文3】三顧の礼でも獲得したい人物。 私は漫画を昔からよく読んでいる、最近は読んではいないが横山光輝先生の三国志に一時期はまっていました。最近では日経新聞電子版のCMに諸葛亮孔明が「ドーン!」とか言っているあのキャラが横山光輝先生の三国志である。 昔の漫画なので非常にシンプル、故にわかりやすいのが特徴であります。 色々なシーンがあるなか、三顧の礼のシーンが勿論あります。 劉備、関羽、張飛が軍師として諸葛亮孔明を仲間にするための工程が三顧の礼の元祖であります。 漫画では劉備、関羽、張飛の3人が度々諸葛亮孔明を訪ねるが不在で、不在の理由が少し理不尽なのでキレやすい張飛が「劉備のアニキ、孔明なんかもういいじゃねえか!」と思っているのを関羽がたしなめて、しかし関羽も不満があっても劉備が「孔明は必要なのだ」.と我慢して孔明に会うのを待つ・・という下りが面白く感じました。 諸説あるのですが、孔明は自分が劉備にとって本当に必要なのかを確かめる為にわざと不在になって、再びやってきたら「ああ、私は劉備にとって非常に必要なのだ」と納得するために不在だったと言われています。 高飛車な態度かもしれませんが、自分の判断が世界を左右してしまう不安もあった故にそういう判断をしたと思うと凄いと思います。 三顧の礼。三国志の中から生まれた言葉ですが、これは仁義の基本ともいえるべきものと考えています。 三顧の例は、蜀という国をその後に作る劉備、関羽、張飛の義兄弟が天才軍師の諸葛孔明を仲間に引き入れようと行った行動です。 今までは力押しで戦を行ってきた劉備たち。ある時、戦略というものの重要性に気づき、そのような作戦を立てられる人間の必要性を考えます。そこで白羽の矢が立ったのが孔明。3人は孔明を訪ね仲間に引き入れようとしますが、留守であったりして会うことはかないませんでした。3度目にして孔明と面会。その時劉備は40歳の王族の出。孔明は20歳の片田舎に住む若者。この身分を考えない劉備の行動が孔明の心を打ち、仲間になりました。 今の日本にここまでしてくれる人はいるのでしょうか。どうしても会いたい人(恋人とかなら違うかもしれませんが)に対してここまでの対応ができるでしょうか。自分がこの三顧の礼を行う立場だと考えたときに、自分の地位を考えずここまで熱心に行動する人間がどれだけいるのでしょう。 人を愛し、優しく接する仁の心、それに答えるための義の道。人に優しくされたのであれば、相手にも優しさをお返ししてあげましょう。それによって良好な人間関係が築かれるのだと信じています。

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三寒四温

【漢字】三寒四温 【読み】さんかんしおん 【意味】冬場、3日寒い日が続き、その後4日暖かい日が続くと言われている。 【例文1】三寒四温だね、春はすぐそこだ。 【例文2】三寒四温の季節柄、いかがお過ごしですか? 【例文3】三寒四温を繰り返して春が訪れる。 晩冬の頃、暖かい日が続く事があります。 冬も終わりの頃に暖かい日が続くと、春が来たんだなと思ってしまう方が多いと思います。 しかし、暖かい日はそうそう長続きはしないのです。 三寒四温と言う言葉を聞いた事がある人が多いと思います。 この言葉は冬に三日寒さが続いた後に、四日暖かい日が続くと言う意味です。 一般的に春と言うのは、この三寒四温を何度か経た後に本格的に訪れるのです。 ですから冬の終わりごろには、この三寒四温の存在を忘れてはいけません。 冬の終わりごろに暖かい日が続くと、もう冬が終わりなのかと思ってしまって、冬物を仕舞って春物を出すことが多いと思います。 ですが三寒四温の言葉通り、暖かい日の後にはまた寒い日が巡って来ることが多いですから、焦って冬物を仕舞わない方が無難です。 冬物を再び出すのが面倒だからと、寒い日に春物を着て外に出たのでは、風邪をひいてしまいかねません。 暖かい日が続くと、体が温かい環境に慣れてしまい、その後急に寒くなると、体調を崩して風邪をひく事が多いです。 ですから晩冬に暖かい日が続いたとしても、その後寒い日が再び来ることを想定して、油断をしない方が賢明です。 寒い冬から急に暖かい春が来てしまうと、体調を崩す人が多く出てしまいますから、三寒四温はそれを防いでくれているのかもしれません。 夏は猛暑が続くと熱中症の恐れがあって危険ですが、冬は冬で風邪やインフルエンザが流行るので、それも気を付けなければなりませんね。ですが冬も終わりかけになり、春が近付いてくると、暖かい日が続くこともあります。しかしその後、また寒い日が続くということも往々にしてあります。俗にいう三寒四温というものですね。こういったときこそ、体調管理には気を付けるべきだと言えます。 なぜなら冬の終わりかけは、体が寒い日に慣れきってしまっているからです。寒い日が続いていたのに急に暖かい日が来たり、暖かい日が来たと思ったのにまた寒い日が続くと、自律神経が乱れてしまうため、体調が崩れてしまいます。自律神経は循環器や消化器など、様々な内臓の調子を整えてくれています。そのため自律神経が乱れてしまうと、頭痛やめまい、過呼吸など様々な症状を引き起こしてしまうのです。ですから冬が終わりそうで春がやってきそうだと思ったとしても、それは同時に体調を崩しやすい時期がやってきたということですので、体調管理には充分に注意した方が良いでしょう。年度末で忙しい人も多い季節だとは思いますが、栄養バランスの良い食事や、十分な睡眠をとることを心がけることが必要です。 冬が終わりに近付き、春の気配を感じるころになると「三寒四温」という言葉をよく耳にするようになります。 三日間の寒い日と、四日間の暖かい日を繰り返しながらだんだんと本格的な春になっていく、という風に、次第次第に季節が春に移り変わっていくことを指す言葉だと認識している人が多いようです。 しかしなんと、この言葉は元は日本の言葉ではありません。 実は朝鮮半島や、中国北東部の気候から生まれた言葉なのです。 上記の地域では七日の周期で寒暖の差のある気候が繰り返されていますが、それはシベリア高気圧の影響を受けているためです。 日本でももちろんシベリア高気圧の影響はわずかに受けるものの、それ以上に太平洋高気圧の影響の方が強いので、朝鮮や中国のような気候になることは滅多にないのだそうです。 しかし冬の間はそうでも、春先になると朝鮮や中国と似たような気候が訪れることがあるので、そこから春先にこの「三寒四温」という言葉使われることが定着したものと思われます。 寒さと温かさを繰り返しながら、徐々に春になっていくことを指すものだと考えている人は多いですが、もともとは外国の冬の気候を指す言葉だということを、覚えておくのもいいかもしれませんね。

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触らぬ神に祟りなし

【漢字】触らぬ神に祟りなし 【読み】さわらぬかみにたたりなし 【意味】余計な事に触れなければ災難に遭う事はない。 【例文1】デートの遅刻の言い訳は厳禁。触らぬ神に祟りなしで素直に謝ったほうがいい。 【例文2】機嫌が悪い妻には触らぬ神に祟りなしだ。 【例文3】パチンコで大負けたらしい。触らぬ神に祟りなしだ。 私が学生の頃、友人と帰宅途中に、けんかをしている同じ学校の生徒がいました。 ケンカが弱い私は触らぬ神に祟りなしだなと思い、友人に別の道で帰ろうと告げました。 ですが変な所が勇敢な友人は、けんかの仲裁に入ろうと言い出したのです。 私は止めたのですが、友人はけんかの仲裁をし始めました。 そしたらケンカをしていた生徒の一人に、「何だお前、邪魔するんじゃねえ」と言われ、友人が殴られてしまったのです。 私はこれを見て怖くなってしまい、一人で逃げようかと思いました。 しかしそんな事をしたら、友人がこの後どんな目に遭わされるか分かりませんから、私は意を決して友人を助けに入りました。 すると私も仲裁に来たのかと思われ、一発殴られてしまったのです。 一発殴られた事で、ぷつんと張りつめていた物が切れたような気がして、私は殴った奴を殴り返してしまったのです。 ケンカの弱い私はたこ殴り状態になり、ボコボコにされてしまいました。 友人の方はというと、一発殴られただけで済み、友人を止めに入った私の方が大損害を被ってしまいました。 幸い骨が折れている事はなく、大事に至る事はありませんでしたが、触らぬ神に祟りなしとはこの事だなと、身を持って知ったのです。

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去る者は日々に疎し

【漢字】去る者は日々に疎し 【読み】さるものはひびにうとし 【意味】亡くなった人や遠く離れてしまい交友関係が薄れていく。 【例文1】遠く離れて去る者は日々に疎し。 【例文2】去る者は日々に疎し者に同窓会の招待状を送る。 【例文3】それぞれ家庭が大事になり、去る者は日々に疎し。 去る者は日々に疎しという言葉から、人間の薄情さを感じてしまうのは当然なことかと思われます。 どれほど恩義があろうと目の前にいない人について思考する時間は少なくなりがちです。 日々の生活に四苦八苦している身であれば、毎日のように顔を合わせる人との対人関係だけで精一杯というのが正直なところでしょう。 別れてしまった人との関係は時と共に希薄になり最期には全く思い出しもしなくなるという経験は誰にでも多かれ少なかれあるものです。 小学校・中学校・高等学校のクラスメイト全員をフルネームで覚えている人など存在自体が稀であり、いたとしたら変人扱いされそうです。 逆に何の理由から覚えているのかと不思議がられることでしょう。 死別した人や遠くにいる知人に思い出すのも大切なことかもしれませんが、目の前にいる人を粗雑に扱ってよい理由にはなりません。 ひたすらに自分の知人についての話題を繰り広げる人がいますが、会った事もない相手について延々と聞かされる方としてはよい迷惑です。 自分にとっては大切な思い出なのかも知れませんが、終始そればかりなのは困ります。 目の前の相手をそっちのけで、興味をもてない話題についてクドクドと話すのは失礼なことになるでしょう。 思い出の人は自分の心に大事にしまっておいて、目の前にいる人に対して相応の態度で接することが大切だと思います。 去る者は日々に疎しの意味は、親しかった友人でも遠く離れてしまえば段々と気持ちが薄れ次第に忘れがちになるとか、亡くなった方に対しても月日の経過につれ忘れられるという言葉で寂しい感じがしますが、例えば失った哀しみが時間と共に和らいでいくとも私は意味してる気がします。あれだけ仲が良かったのになと友人と別れてしまっても今を生きていかなくてはならない人間にとっては疎くなることも大事ですよね。そう思うと脳の作りというか忘れるように出来ているのは引きずらないようにと本能の知恵ではないかと勝手に考えています。西洋にも目から遠ざかれば心からも遠ざかるとあるくらい、やはり目の前の事を重視するのは仕方ないのかもしれません。でも忘れきらないように思い出せるようにお盆だったり仏壇があってその時に日常から亡くなった人を想える方法が世にあるのも有り難い風習だと思います。離れた友人も目の前にはいなくても今は連絡手段が多々あって電話だけでも繋がってるとやはり近くに感じれる部分があると思います。忘れていても忘れ去ってる訳じゃなくて心には思ってる筈で、それが月日が経って何となく思い返した時に有り難さや会いたいと恋しくなる感情に繋がるんだと思います。

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猿も木から落ちる

【漢字】猿も木から落ちる 【読み】さるもきからおちる 【意味】木登りが得意な猿でも木から落ちることから、どんな名人でも時には失敗はあるという意味。 【例文1】先生だって猿も木から落ちるで、間違える事はある。 【例文2】メジャーリーガーだって猿も木から落ちるで三振する事もある。 【例文3】プロも猿も木から落ちる事がある。 トップ5に入るくらい有名で誰でも知っていることわざの一つと言えば、「猿も木から落ちる」ではないでしょうか。このことわざの意味は皆さんもご存知の通り、その道の達人と言われるような人でも、時には失敗やミスを犯してしまうという意味ですよね。 この「猿も木から落ちる」ということわざは認知度の高さだけでなく、類義語の多さでも有名なことわざの一つだと思います。「河童の川流れ」(かっぱのかわながれ)や「弘法にも筆の誤り」(こうぼうにもふでのあやまり)等をはじめとした「猿も木から落ちる」の類義語は10個以上あり、とても類義語の多いことわざです。 現在、このことわざは、失敗をフォローする言葉として使われることが多くなっていますが、人間なAIと違ってミスするのが当たり前の生き物なので、達人と言われる人でも失敗やミスを犯してしまうことがあると心の隅に置いておくと気分が楽になると思います。 このことわざを今のその道の達人や超人と言われるような人に例えて考えてみると、「イチローもフライを落とす」とかになるでしょうか。あのメジャーリーグで15年以上も野球をされていて、守備の名手といわれているイチロー選手でも外野フライを落とすこともあるというところから例えてみました。

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座右の銘

【漢字】座右の銘 【読み】ざゆうのめい 【意味】自分の心に気に留めておく教訓や励ましの言葉。 【例文1】私の座右の銘は一期一会で出会いを大切にしている。 【例文2】あなたの座右の銘はなんですか? 【例文3】座右の銘を信じる。 座右の銘を聞かれると、笑う門には福来たると答えることが今まで多かったです。笑顔は、人を惹きつける力があると思います。つらいときに無理に笑うことはありませんが、泣きたいだけ泣いたり弱音を吐いたりした後は、やっぱり笑顔に戻りたいものです。 笑顔でいるよう心がけていると、自分の気持ちが穏やかになり、人に優しくなれます。私は、人を許すことのできる人間でありたいと思っています。許せる心を持っていると、ストレスが溜まりません。小さなことにいちいち腹を立てる必要がなくなるからです。小さなことは気にしない代わりに、小さな幸せを見つけられるとなおいいですね。 それでも、人間だからイライラしたり人に強く当たってしまうこともあります。そんなときに、いかんいかん、笑顔を忘れてたと気づけるようにしていたいです。 笑顔でいられているうちは、小さな幸せにも敏感なはず。イライラしていたら感じられないような小さな幸せ。それをしっかりと感じられるような心を持っていれば、幸せは向こうからやってくると信じています。自分の笑顔で、周りにいる人も笑顔になり、皆で笑い合える…そんな幸せが素敵だと思います。笑う門には福来たるをモットーに、明るく生きていきたいものです。 座右の銘を問われると何かしら難解な四字熟語や趣のある言葉を披露しなくてはならないことが義務であるかのように感じられます。 特に面接などでは、面接官の覚えがよろしくなるように必死で取り繕った言葉を並べるので尚更です。 適当に「臨機応変です」とか言うと、実際には行き当たりばったりで計画性がないことがその場で判明することでしょう。 言葉だけで判断するわけではありませんが、一般的に想定される質問に対して回答を用意しているかも試されていると考えるべきでしょう。 誠心誠意、質実剛健、一所懸命などの分りやすく親しみやすい、それでいて好感が持てるような四字熟語は回答として好まれているようです。 気の利いた言葉を披露して相手を感心させるのも時には必要かもしれませんが、求められているのは雇うに足る人間だという根拠・判断材料です。 その場でどれ程に立派な言葉を言っても、履歴を辿れば座右の銘として生きてきたか簡単に判断されそうです。 だからといって馬鹿正直に何の取り繕いもせず、ありのままをさらして合格するほど世の中は甘くありません。 それこそ臨機応変、時と場合に相応しい回答ができる程度の技量はどのような職種であっても必要となります。 嘘にならない程度に立派な座右の銘は、必死になって探せば必ず見つかります。 その程度の努力ともいえないくらいの作業は、誰でも秘かにやっているものと思われます。 私の座右の銘は「人生楽しんだ者勝ち」です。4年前に就職し、一般職で商社へ入社したのですが、配属された部署は「営業部」で、当然総合職の職種の人がやる仕事でした。会社に異を唱えても聞いてくれず、渋々営業の仕事をすることになりました。しかし、就活中から営業職を希望していなかったので、やりがいもなく楽しくなく、「こんな仕事のために必死に働いて、何が残るんだ。」と考えた時に、限りある人生の時間を無駄に使っている気がして、「このままではダメだ」と思い、友人に仕事の悩みを相談すると、フリーランスとして生きる道を提案してくれました。その話を聞き、1回きりの人生、嫌な仕事に縛られるよりは、自分の時間をしっかりと持ちながら生きていくことに憧れを抱くようになり、思い切って会社を辞め、現在フリーランスとして生活しています。フリーランスとなった今では、自分のペースで仕事をし、自分のペースで休み、半年に1回旅行にも行き、今までやりたい事を我慢していた分、思い切り楽しむ人生にしています。後悔はしていません。人はどんな人であろうと、いつか死が訪れます。それもいつかわかりません。辛い仕事を必死に頑張って、定年になって「やっと遊べる」と思った時に、歩けなくなるかもしれません。そうならないように、自分が死ぬその時に心の底から「楽しかった!」と言えるように、これからも生きていくつもりです。それから私の座右の銘は「人生楽しんだ者勝ち」になっています。

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鯖を読む

【漢字】鯖を読む 【読み】さばをよむ 【意味】市場でサバを取引きする時の計測をおおざっぱに読み上げることから、数字を有利にごまかす。実年齢よりも若く申請することに多用される。 【例文1】女子大生だと5歳サバを読んで合コンに参加する。 【例文2】童顔で5歳はサバを読んでもバレない。 【例文3】鯖を読むのはだいたい女性だ。 よく芸能界では定期的に年齢詐称問題が起きることがありますよね。本当にこの年齢詐称問題は定期的に生じますよね。特にアイドルの年齢詐称が多い気がします。所謂これは年齢の鯖読みですよね。 皆さんこの「鯖を読む」という言葉の意味を理解している人は多いと思いますが、この言葉の由来や成り立ちについて詳しく知っている人は少ないのではないでしょうか。 この「鯖を読む」という言葉の由来は、江戸時代に遡ります。鯖はすぐ傷みやすい魚として有名で、数も多かったため早口で数えらえ、数をごまかしたりして、実際の数と会わないことから、いい加減に数を数えることを「鯖を読む」という意味になりました。「鯖を読む」という言葉は江戸時代に出来た言葉だったんですね。 話を芸能界の年齢詐称問題に戻しますと、芸能界で年齢の鯖読み問題が生じても仕方がない一面もあるのかなと思ってしまいます。特に、芸能界の年齢詐称問題は女性芸能人が大半で、あまり男性で起きている気がしません。これはやはり女性に対する年齢の価値感が問題の原因ではないでしょうか。 失礼で男女差別な話になってしまいまいますが、年齢が女性の価値と世間では捉えている人が多く、それは芸能人に対してでも同じで、若ければ若いほどもちあげられる傾向にあります。特にアイドルに関して言えば、年齢が1才違うだけでも死活問題になるので、芸能界で年齢詐称問題が起きるの仕方がないと思ってしまう自分がいます。 初対面の人に会うときに若く見られたいからといって、年齢をやや下に言うこともあるでしょう。もしくは背を高く見られたいからといって、少しだけ身長を高めに伝えてしまうこともあると思います。おそらくこのように鯖を読む機会は、どこかしらに転がっているでしょう。鯖を読むというのは、つまるところ嘘を吐かれているということにもなりますが、鯖を読む自体は悪いことだとは断定できません。もしあなたが出会った人が、鯖を読むような人であれば「こういう人もいるのだ」と、その人の個性の一部として捉えてしまうのが楽だと感じます。 それに鯖を読んでしまうのは、鯖を読んでしまうことに対して自信がないからだと考えられます。もしも自信があるなら鯖を読んだりせず、本当のことを言うでしょう。誰しも何かしら自信を持てないことがあるでしょうから、それについていちいち口を挟んでしまうのも、相手を傷つけてしまう恐れがあります。ですから相手が鯖を読んでいるとあなたが察しても、それには特に触れないでおいていいのではないでしょうか。相手との話題は探せば色々あるでしょうし、話を別のことに逸らしてみるなどして良いと思います。鯖を読んだことに関しては、そっとしておいてあげませんか。

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里心が付く

【漢字】里心が付く 【読み】さとごころがつく 【意味】実家や故郷を恋しく思う。 【例文1】故郷のニュースが出ると里心が付く。 【例文2】ふと里心が付くので休みに帰省しよう。 【例文3】ありがたみを知り、里心が付く。 学業や就職のために上京したり、上京でなくとも実家から離れて一人暮らしを始めると、故郷にいる家族のことを恋しく思う人は多くいるでしょう。もちろん全員がそうだとは言いきれませんが、家族と離れて暮らしていると、ふとしたときに里心が付くような瞬間があると考えられます。そしてそのような気持ちが沸き起こるのは「誰にも会えないから寂しい」というわけではないようで、たとえ友人や恋人に恵まれて楽しそうに一人暮らしを満喫している人であっても、やはり家族に会いたくなるときはあるようです。また、元々家族と不仲であったけれど、家族から離れて暮らすことによって、家族の有難味を感じて、逆に家族との仲が良くなったという人もいます。家族と離れて暮らすと、色々と見えてくるものがあるのでしょう。 もしも里心が付いたときは、家族に電話してみたり、直接会いに行ってみても良いと思います。特に最近はたとえ実家が遠方であっても、インターネットでチケットが買えるので、家族に会いたいと感じたらすぐに会いに行けるようになりました。家族に会いたいと思ったら、すぐに行動に移してみても良いのではないでしょうか。きっと故郷に住んでいる親や兄弟だって、家を出て暮らしている家族のことを大切に感じているでしょうから。

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察しが付く

【漢字】察しが付く 【読み】さっしがつく 【意味】表情や状況からだいたいの予想が付く。 【例文1】同僚は最近綺麗になったので、彼氏ができたと察しが付く。 【例文2】親は子どもの顔を見ればだいたいの察しが付く。 【例文3】その人の部屋を見れば察しが付く。 含蓄のある言葉や行動も言われてみれば「ああそうか、なるほど」と理解できるのですが、状況をわざわざ他人に説明してもらって納得してから行動していては遅すぎます。 かといって、常日頃から言葉や行為の意味についてうがった見方をすることに神経を使っていては身が持ちそうにありません。 ならば逆に、はっきり言わないと伝わらない察しの悪い人物であることを周りの方々に周知されていたほうが楽そうです。 皮肉や悪意すら鈍感に受け流してしまうこともあるかもしれませんが、大きな実害がないならどうということもないでしょう。 大体にして重要なことならば面と向かってハッキリと伝えるのが正しい方法でしょう。 日本人の奥ゆかしさや慎み深さは魅力の一つにあげられますが、悪癖としても受け取られそうです。 結果、察しが悪い人間が致命的な失敗に至るまで放置されることすらあるのですからたまったものではありません。 究極的には「雰囲気とかで何となく判れ」などと言われるのですが、これが一番困ります。 表立った反論はないけれど積極的な賛成どころか議論への参加意思すら伺えない場合などもかなり悩ましいものです。 察しを付けて行動すれば、失敗した挙句に全ての責任を負わされる羽目になったりと踏んだり蹴ったりです。 誰でよいので、「私の察しの悪さ」に察しが付く人が身近にいて欲しいものです。

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五月の鯉の吹き流し

【漢字】五月の鯉の吹き流し 【読み】さつきのこいのふきながし 【意味】鯉のぼりの腹は空っぽであることから、腹の中には何も残さない、サッパリしている人。 【例文1】五月の鯉の吹き流しのような性格でサバサバしている。 【例文2】五月の鯉の吹き流しで語り合う。 【例文3】五月の鯉の吹き流しタイプでいつまでも根に持たない。 五月の鯉の吹き流しとは気性がさっぱりしている人に対して使う言葉です。普通にさばさばしている性格と使うことが多く、あまり使うことはないように思いますが、知っていて損はないです。 わたしの性格はある友人との出会いで五月の鯉の吹き流しに変わっていきました。もともとは言いたいこともハッキリ言えない。けど従うのは嫌だと心の中では思っていました。結局は言えませんでしたけどね。 高校生になると環境がガラリと変わりクラスに物をはっきりいう子ばかり、当時ででいうヤンキー風の集まりでした。まあ偏差値低い私が行ける高校ときたらそこしかありませんでしたからね。 雰囲気は怖い・・でも最初が肝心だと意気込んで登校しました。席順が前後になった女の子としゃべってみると、意気投合しました。彼女は明るく悪く言えば何でもズバズバ言う性格でして、でも悪気があっていう感じではないのがわかるので段々と私も言いたいことがハッキリ言える性格になったと思います。

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才子多病

【漢字】才子多病 【読み】さいしたびょう 【意味】 【例文】 花粉症で冷え性で便秘がちの従兄弟が「俺ってホント才子多病じゃん。美人薄命って言葉もあるしやばいよね~」なんて言っていて。 この図太さなら長生きしそうだなと思いました。そもそも祖父も祖母もポ歳を超えていてまだまだ元気だし長寿の家系のような気がしています。 大体美人薄命は女性に使う言葉じゃないの?と返したら「昔は男に言ってたらしいよ」と教えられて目から鱗が落ちました。 乱読家で意外と物知りなんですよ。失礼ながらあまり賢そうには見えないんですけど。自分で自分のことを才子と言うのはどうなのかと思いますよね。 別に不仲とかではなくて軽口を叩き合うような仲なので文章に書き起こす時もつい厳しいことを書きそうになってしまうんですけど。 あまり早くいなくなられると辛いので才子多病も美人薄命も全く当てはまらなさそうなド健康人間になって欲しいものです。 もしも才能が健康を脅かすのなら、私だったら才能なんてなくて良いと思ってしまいますね。凡庸でも穏やかに健やかに生きていってくれたらそれだけで良いと。 だって自分の親しい人が多病だったら見ていて苦しいじゃないですか。一度きりの人生だと言うのに。 痛みや苦しみが少ない人生を送って欲しい。長生きしてたくさん幸せを感じて欲しい。才能よりも大事なことが、この世界にはきっとあるはずだと信じたいです。

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左遷

【漢字】左遷 【読み】させん 【意味】今までよりも低い地位や役職に移される。飛ばされたとも言う。 【例文1】不良債権を回収できず、左遷される。 【例文2】子会社に左遷される。 【例文3】不祥事が明るみに出て左遷される。 左遷とは地方の支店に転勤することや地位や役職が下がることを言います。 悲しい出来事ですね。 知り合いの旦那さんは大手電機メーカーに勤めていて外車を乗り回し、船も所有していて夏出かける時はサーフボードを持って出かけるのでサーフィンもするのかといつも羨ましく思っていました。私の旦那はというと休みに子どもたちを連れて海行ったり、庭でBBQをするくらいでした。 ここ最近お隣の旦那さん見かけないねと話していたところ長男が「〇〇クンのお父さんいないよ」と突拍子な発言をしました。旦那と顔を見合わせて離婚?と頭をよぎりましたが、この前も奥さん何も言ってなかったし、出ていく気配もないしどうしたんだろうと聞くに聞けなくて気になっていました。 3週間経って町内会のお知らせを持っていくときに最近旦那さん見かけないけどどうしたの?と聞いてみました。奥さんははぎれが悪そうに単身赴任だと答えました。車とサーフボードが置かれていたので、ひとまず離婚ではないことは明らかでした。学校の保護者に聞いたのですが、業績不振で九州の田舎に左遷されたらしいです。平凡だけど、家族と一緒にいられる幸せを改めて感じさせられました。

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去る者は追わず、来る者は拒まず

【漢字】去る者は追わず、来る者は拒まず 【読み】さるものはおわず、くるものはこばまず 【意味】自分の元を去っていく者は引き止めず、自分の元に頼って来る者は誰でも受け入れる。 【例文1】去る者は追わず、来る者は拒まずのような恋愛をしている。 【例文2】去る者は追わず、来る者は拒まずだ。放っとけばいい。 【例文3】別れたいなら別れればいい。去る者は追わず、来る者は拒まず。 「去る者は追わず、来る者は拒まず」とは、辞めたい人に対して引き止めず、その道を目指す人は歓迎することを意味します。これは現代社会でも意味合いが伝わることわざで、特に社会人の方たちに向けて伝わる言葉ではないでしょうか。 最近は辞めたくても辞めることができないブラック企業の存在がテレビのニュースなどで話題となっています。人材を使い捨てのように扱う企業も残念ながら存在する世の中で、人材流出を防ぐために辛くても辞めさせない事例もありますね。 去る者は追わず、来る者は拒まずの精神は、しっかりとしたホワイト企業に通じることわざでしょう。転職のしやすさは「去る者は追わず」だし、人材育成に定評がある企業では、職種関係なく「来る者は拒まず」と広い間口で募集をしています。 「若い内は我慢して仕事を続けるべきだ」という考えも納得しますが、自分に合う職種を探すためにも、若い内に転職を経験するのも悪くないはずです。転職をすることがいけない風潮を感じることがあるので、もっと世の中と企業側が「去る者は追わず、来る者は拒まず」の精神が根付けば働きやすい世の中になっていくと思います。しかし転職者に対して厳しい現状が続いていますね。 元になっているのは古代中国の文書「孟子」の「往く者は追わず来る者は拒まず」です。 自分の考えに賛同する人は誰でも受け入れるし、自分から離れたい人をあえて留めようとはしないという意味です。 支配的でない点については評価できるのですが、離れていこうとする知人を全く引き止めないという姿勢は多少ながら薄情にも思えます。 学派や組織を束ねるトップとしては正しい姿勢なのかもしれませんが、離合集散が繰り返される現代の政党政治などに思いをめぐらすと些か複雑な心境です。 個人の思いなど二の次で、昨日の敵が今日は味方、明日はどうなるか見当もつかないとなると、誰が何を求めていたかすら判然としなくなることすらあります。 主義主張が食い違っていても、組織の都合で意見が集約されてしまう様を見ると、議会や民主主義とは一体何だったのかと問いただしたくもなるでしょう。 そこらの食材を適当に混ぜて煮込んだ料理とすら言えない代物を出されたような気分です。 小さな会社であっても、雇い入れるときには十分に人物を吟味しますし、いきなり辞職しますなどと言い始めれば当然の如く引き止められるでしょう。 人と人の関係は簡単に切ったり繋がったりするべきものではありません。 その点を考慮したならば、去る者は追わずで安直にさようならとはならないと思うのです。

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さじを投げる

【漢字】さじを投げる 【読み】さじをなげる 【意味】これ以上の見込みや解決法がないと諦める。 【例文1】どの建築家もこの物件はさじを投げる。 【例文2】どの病院に行っても医者がさじを投げる。 【例文3】会社存続の手立てがなくさじを投げる。 「さじを投げる」は、医者はどんな手を尽くしても治療できない患者をを見放す、見切りをつける意味を持ちます。自分ではもうどうしようも出来ない・解決できない状態を指す言葉だと考えられますね。 これは医者に対して以外にも使わることが多い言葉でもあります。例えば、どんなに丁寧に教育しても言うことを聞かない生徒に教師がさじを投げるなど、改善する傾向が見えない場合でも使われる言葉ではないでしょうか。本来は医療関係で使用された言葉ですが、時代が進むにつれて様々な意味で通じるように変化してきました。 さじを投げる状況は非常に深刻で、どうしようもない状態・向上しない状態を指す印象があり、他者から見放された状況です。本人の日頃の不真面目な行いが積み重なって、さじを投げられた状態になる場合が多いですね。それは別れを意味することでもありますね。 良い印象が無い言葉で、さじを投げられたら最後という気持ちが存在します。見放される・見切りをつけられることは、よほどのことでなければそういった状況にはなりません。酷い状況やどうしようもなく詰んだ環境になければ使われない言葉だとも思います。自分だったらこの言葉を使われたくありませんね。

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砂上の楼閣

【漢字】砂上の楼閣 【読み】さじょうのろうかく 【意味】砂の上に立派な建物は建てられない。基礎がしっかりしていないと長く維持できないものである。 【例文1】準備体操をしないと急激な運動は砂上の楼閣だ。 【例文2】高い靴を買ってもサイズが合っていなければ砂上の楼閣だ。 【例文3】いきなりマラソンに参加するだなんて砂上の楼閣だ。 どんなことでもやはり基本が一番大切だと思います。 見かけがすごくても、やはり基礎がしっかりしていなければ、それは砂上の楼閣ですぐに崩れてしまうでしょう。 家づくりではやはり基礎工事が大切になります。 基礎作りがしっかりできていないと、家を建てた後に大きな問題が生じてしまうことがあります。 私は数年前に新しい、ウォーキングシューズを買いに行きました。 その時に言われたことが、どんなに高いシューズでも足を支える底がしっかりしていなければ、足に悪影響を与えてしまうということでした。 私はそれまで高いシューズが良いシューズだと思ってきました。 確かにそういう一面もありますが、やはり足を支える底が大事だということを改めて知ることができました。 結局私はウォーキングシューズを買った時に、一緒に足をしっかり支えてくれるインナーも買いました。 インナーを入れて履いてみると、かなり足に安定感があるのがわかりました。 今までは感じることができない安定感でした。 そのおかげで今は快適なウォーキングをしています。

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座して食らえば山も空し

【漢字】座して食らえば山も空し 【読み】ざしてくらえばやまもむなし 【意味】働かず楽をしていれば、山のような財産もやがてなくなるという戒め。 【例文1】賭け事に勝って座して食らえば山も空しの暮らしだ。 【例文2】大金を手にして豪遊した結果、座して食らえば山も空しだ。 【例文3】座して食らえば山も空しになるのは当然だ。 そもそも、座して食うことが出来るほどの資産・貯蓄がありません。 座して食らえば山も空しというより、座して働けど山のような書類だし。 座して食らうが、働かずに生活するということで、山も空しが山のような財産もすぐなくなるという意味なのは知っています。 それでも「座して」の部分は、一日中デスクワークに従事する人間からすれば見逃すことが出来ない重要項目です。 時に単純作業、時に書類の添削、時に発注伝票の記入と自分の机から離れる瞬間などほとんどありません。 視界はディスプレイに固定され、足・尻・腕が床・椅子・机に貼り付けられたような姿勢でひたすら作業。 無口な上司に、無言の職場、環境に慣れない頃には自分はここで何をしているのかと哲学的に呆けることもありました。 今では仕事中はパソコンの入力装置の一部と化して働き続けることが出来るようになりました。 それでも仕事が終われば、身体の疲れをいやでも実感せずにいられません。 ことさらに贅沢な生活でなくていいから、働かずに食っていける方法などないかと考えてしまいますが、それこそまさに贅沢というものです。 下手の考え休むに似たり、本当に休むためには何も考えずに働いて仕事を終えることが一番のようです。

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雑魚の魚交じり

【漢字】雑魚の魚交じり 【読み】ざこのととまじり 【意味】大きな魚の群れに雑魚が交じっているたとえから、優れた者の中に能力や実力が劣っている者が交じっている時に言う。 【例文1】雑魚の魚交じりでこのグループにはついていけないよ。 【例文2】なぜ君が選ばれたの?雑魚の魚交じりだね。 【例文3】雑魚の魚交じりが意地を発揮するきっかけとなる。 「雑魚の魚交じり」とは大物の中に小物が混ざってる、必要とされる能力に見合わない地位にいること意味します。私はこの言葉を聞いた時に残酷だと思いました。小物と呼ばれる方は好きでその場所にいたら自業自得ですが、無理やりその優秀な集団に放り込まれてしまう小物もいるのです。 いう所の「場違い」を表す言葉ではないでしょうか。わざわざ「あいつは雑魚の魚交じりみたいだ」と使わないですよね。「場違い」をもっと丁寧に表現して、もっと馬鹿にしたような意味として聞こえてしまいます。 優秀な集団に小物が混ざっている経験は私にもあります。社会人の時に会社には優秀な方ばかりで、自分は失敗ばかりしていました。先輩社員や上司からは「優秀な集団に一人場違いな奴がいる」とよく言われてしまいました。 必死に優秀になろうとして仕事に取組みましたが、周りばかり見て失敗を続けてしまいます。しまいには「辞めたら、この仕事」とキツク叱咤され、精神的にも厳しかったです。 「雑魚の魚交じり」は自分の居場所が無くなる可能性があると思います。ましてや望んでいないのに優秀すぎる集団に入ってしまうと能力の無さに絶望しました。ですが、自分を高めるために、わざとそのような集団に入ることも一つの方法ですね。 「雑魚の魚交じり」ということわざはあまり聞き慣れないことわざですよね。あまり聞き慣れないこのことわざの意味は、大物の中に小物が混じっていること。もしくは、能力にふさわしくない地位にいることのたとえです。類義語として、「目高も魚のうち」(めだかもととのうち)があります。 「雑魚の魚交じり」の「雑魚」は、つまらない魚、大したことのない小さな魚という意味で、「魚」は、大きな魚の意味です。ちなみに「雑魚の魚交じり」の「魚」の読み方は、「さかな」や「うお」ではなく、「とと」と読みます。つまり、「雑魚の魚交じり」の意味である大物の中に小物が混じっているという意味は、大きな魚である「魚」(とと)の中に、小さく、大したことのない魚である「雑魚」が混じっていることからのたとえなのです。 よく日常生活で、この「雑魚の魚交じり」のような光景を目の当たりにしたりしますよね。例えば、職場で優秀なプロジェクトメンバーの中に、客観的にみてもどうしても能力が劣っていると感じたり、その能力にふさわしくない人が混ざっていることがありますよね。こういう納得いかないことがあるのはしょうがないと思うのですが、適切な審査を行ってほしいと思いますよね。

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酒は百薬の長

【漢字】酒は百薬の長 【読み】さけはひゃくやくのちょう 【意味】適量の酒は良薬よりも効果があると解釈する時に用いる。 【例文1】家族に禁酒を勧められたが、酒は百薬の長だと主張する。 【例文2】毎晩の適量の酒は百薬の長だ。 【例文3】風邪をひいても市販の薬より酒は百薬の長だ。 酒は百薬の長、意味はどんな薬より酒が効くということです。現代において酒にまつわる不祥事は数えきれませんが、身に病が起きた時酒で治してしまおうという素晴らしい考えだと思います。私自身も単なる風邪の時は酒を飲み体温を上昇させ汗をかいて寝るという手法を駆使してます。まぁ実際に効いているかと言われると気の持ちようだと思いますが、個人的には効いてはずです。病は気からということわざと同じで身体に暗示をかけているのではないでしょうか。向かい酒という言葉もあるように酒には酒が効くならば身体にも良いではないかと思います。睡眠薬がわりに酒を少し飲むとよく眠れると聞いたこともあります。 実際に消毒液などはアルコールなので薬品として使われているのも事実であり、現代ではなくてはならない代物のです。酒にまつわる話は多々あると思いますが酒は百薬の長よく言ったことわざです。 実際に身の回りの方の話ですが、酒を適度に飲むことで次の日の調子が良くなる人もいます。過労には酒がいいようで毎晩焼酎をコップ3杯飲むと次の日の元気に仕事にいけるとのこと。ただの酒好きだと言ったらそれまでですが、参考までに話を聞いております。 私も酒でよく眠れたりするので酒は適量であれば健康にいいのは実感できてます。

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策士策に溺れる

【漢字】策士策に溺れる 【読み】さくしさくにおぼれる 【意味】策略に頼りすぎると返って失敗する恐れがある。 【例文1】携帯で漢字変換をするので漢字が書けず、策士策に溺れる。 【例文2】携帯が水没してデータが全て消え、策士策に溺れる。 【例文3】分刻みのデートプランが策士策に溺れる。 世の中ではモテたい男女に向けた恋愛指南書が溢れていると思います。 かくゆう私も昔は、自己啓発書や恋愛スキル向上の書籍を読み漁ったものです。 しかし、そういった策略家の知識を詰め込み、実際の恋愛シーンで「これはもしや、危険な兆候では?!」といちいち気にしていると とても疲れてしまいます。好きな人に対してのアプローチ方法も、もちろん指南書通りにうまくいくこともあると思いますが それは絶対ではなく、正解はないものです。 その人の元々持っている印象や考え方を大切にしないと、最終的に後悔するのは自分の人生です。 自分が思ったことを押しとどめて、言われたやり方を実行して、失敗したときの後悔はとても大きいのではないでしょうか。 指南書の状況と自分の状況、考え方に賛同できるかどうかまでをしっかりと考えた上で、自分の人生をハンドリングしていきましょう。 人間は意外と本能的な生き物です。策をめぐらしていくと、本能的に危険を察知して逃げられてしまうかもしれません。 異性のドキッとする瞬間というもの、皆さんギャップや意外性をあげられるもの、想定と異なる表情や行動に対して、反応しているのではないかと思います。 策士策に溺れることなく、自分に自信を持った後悔のない人生を歩んでいきましょう。

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先んずれば人を制す

【漢字】先んずれば人を制す 【読み】さきんずればひとをせいす 【意味】人より先に行動すれば、相手より有利に進むこと。 【例文1】先んずれば人を制すで、先に1点取って流れに乗ろう。 【例文2】作戦を立てて先んずれば人を制す。 【例文3】1年前から計画を立てて先んずれば人を制す。 先んずれば人を制す。口にしてみると語呂合いだけでもかっこいいですよね。このかっこいい言葉について、少しお話ししたいと思います。 先んずれば人を制すの出典を知っているでしょうか。「史記」の項羽本紀というお話の中に、吾聞く、先んずれば即ち人を制し、遅れれば即ち人のせいする所と為る、という一節があります。ここから来ている言葉なんですね。 意味は言葉のとおりです。先にことを行えば有利だし、反対に後からスタートを切るとその分不利だということです。 ちょっと考えてみるだけで確かにこの言葉の意味がまさしくその通りだということがわかります。先手は万手とも言いますし、先に動いた方が後発組よりもアドバンテージが取れるのは明白ですよね。 何か勝負事に挑もうと自分を奮い立たせるときに、この言葉を思い出すのも悪くないと思います。率先した行動が大事な時って確かにありますからね、ケースバイケースですが。 最近よく話題にのぼる政治の話なんかを聞いていても、ああいう外交の駆け引きやら国の情勢やらに注力する人たちはまさに周りよりも2手3手先を読むのが重要ですから、先んずれば人を制すの精神で働いているんだろうなと思います。頭のいい人にとって必要条件なのかも知れませんね。

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先を越す

【漢字】先を越す 【読み】さきをこす 【意味】相手の行動が早かったという意味。 【例文1】妹に結婚を先に越された。 【例文2】同期に出世を先に越された。 【例文3】悔しい。後輩に先を越された。 大抵の場合「先を越された」と地団太踏んで悔しがる状況で使われてしまいます。 イメージ的に負けたほうが悔しがるときに使うように思えます。 機転を利かせて先手を打ったと表現すれば聞こえは良いですが、要するにズルして抜け駆けしたということではないでしょうか。 物語の主人公がズルをしたのでは、読み手としては少し複雑な心境になりそうです。 相手側が間抜けな様をさらすことで、話の流れを取り繕っているように見えるのは捻くれ者ゆえの発想かもしれませんが、大ハズレとも思えません。 実際には先を越すことが楽な仕事であるわけも無く、事前に情報を収集し必要な人員・物品を揃えて始めて成功するものです。 一概に卑怯卑劣な行為とは扱われるべきではないのですが、試合形式の競い合いに慣れている身としては何か引っかかります。 徒競走などであれば、先を越したらフライングで失格になりかねない重大なルール違反です。 先を越してスタートの合図より早く走り出しました、などと誇らしげにぬかそうものならば失笑どころが侮蔑ものでしょう。 にもかかわらず実社会では、あらゆる手段で相手を出し抜き先を越すことが求められます。 それを基準してしまえば、正々堂々戦いますというのは特別な状況で戦いますよという宣言にも受け取れます。

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鷺を烏と言いくるめる

【漢字】鷺を烏と言いくるめる 【読み】さぎをからすといいくるめる 【意味】間違っているのに、正しいと意見だと言い通す。 【例文1】彼は鷺を烏と言いくるめてばかりで非を認めない。 【例文2】苦し紛れの言い訳に鷺を烏と言いくるめる。 【例文3】鷺を烏と言いくるめても無駄。 似たような意味の言葉で、白馬は馬にあらず、這っても黒豆、鹿を指して馬と為す、などが挙げられます。 およそ言葉遊びに終始して相手を納得させるにはいたりません。 白馬の説を唱えた方は非業の死を遂げ、鹿を馬とした人も一時的に権力が強まりましたが末路は哀れです。 自分の無理な言い分を無理矢理に押し通そうとする者が悲壮な運命をたどっても同情など集まるものでありません。 偉そうな哲学者がうさん臭い弁舌を延々と展開しても鬱陶しく思われるだけです。 このような無理がある論理が展開されるのは、大抵が釈明や説明の場においてです。 表面上は理路整然とした持論をひたすらに展開するのは、とりあえず説明会が存在したことを証明する程度の理由からでしょうか。 その場に集まった聴衆は説得されに来たわけではなく、納得できないから来ているのです。 話の内容は頭で理解しても、心が納得しなければ誰一人賛同するはずもありません。 どれほど隙のない理論武装をして反対意見を封殺しても、納得させられないなら机上の空論と大差ないです。 生きている人間相手に、己の狭量な論理展開を押し付けてもつき返されるだけでしょう。 鷺を烏と言いくるめることに成功しても、納得しない人間は意図したようには動かず大失敗は疑う余地も有りません。 必要性や他にとるべき方法がないことなどを切々と訴え、頭を下げて納得してもらおうとする方がまだマシです。

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先を争う

【漢字】先を争う 【読み】さきをあらそう 【意味】人を押しのけて先に進む様子。 【例文1】バーゲンセール会場に先を争って入店する。 【例文2】先を争ってバスに乗り込む。 【例文3】席に座ろうと先を争う。 先を争うとは我先にと他人を押しのけて進む様子をいいます。 真っ先に思い浮かぶのはデパートのバーゲンセールで開店前から並んで開店時刻と同時に入店する光景が想像されます。 私も初めて初売りに並んだ時にあまりにもたくさんの人でびっくりして、先を争って入店するものですから負けじと走ってお目当ての品に飛びついた事があります。あのパワーには圧倒しましたが、意外にも年配の方に多かったような気がします。やはり誰でもお得な福袋をゲットしたい一心ですからね。 私の住んでいる町は地下鉄がなく利用するのは近場のスーパーなのでもっぱらバスです。田舎なので利用客はゆっくりバスに乗り込みます。 たまには旅に出たいなと気候がいい季節に東京に観光しに行きました。念願のスカイツリーに登ったり、浅草観光を楽しみました。中でも電車?地下鉄?での人の多さにびっくりして1m間隔くらいでも乗り場があるのに待ち人がたくさんいるのにびっくりしました。 乗り込めるか心配でしたが、乗る時は降りる人たちをちゃんと待って乗り込むんですね。こんなに人が多いと我先を争って乗り込むのかと思っていました。 しかし、降りる人がいなくなった途端、両サイドから先を争って空いている席をめがけて小走りになるのはやはりどこも同じでした。

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賽は投げられた

【漢字】賽は投げられた 【読み】さいはなげられた 【意味】賽はサイコロのことで、投げた後は結果を待つだけということから、事は済んだのだから結果に従うしかないという意味。 【例文1】就職試験で全力を尽くした。賽は投げられた。 【例文2】賽は投げられたのだから、こちら側に従ってもらうよ。 【例文3】賽は投げられた。後には引けない。 行動が遂行中で後戻りが出来ない状況なことを表現する言葉で、古代ローマのカエサルという人物がルビコン川を渡る時に言ったとされます。 サイコロが投げられた時点で賭けは締め切られるので、後は出る目を待つだけです。 町でよく見かける電気で動く遊戯機械と称される賭博マシンは、銀色の玉が入ったことを感知した時点で瞬時に抽選して当否を判定しています。 様々な演出が施されている場合が多いですが既にハズレが決定していることを客は知りません。 スイッチの連打やレバーを引く、タイミング良くボタンを押すことなどが指示されますが全く意味が無いのがほとんどです。 20歳を超えた大人が無邪気に遊興するさまは微笑ましい、訳がありません。 財布の中身がかかっているので死んだ魚のような濁った目をしながらも皆必死で大当たり連荘を望んでやみません。 演出のなかには始まった途端に高確率でハズレが確定するものもありますが、ある意味慈悲深いとも取れます。 高確率で大当たりとなる演出がされ、期待させておいてアッサリそれを裏切ってみせるのは結構残酷です。 演出の如何に関わらずハズレることは既に決定事項なのですから尚更です。 ごく少数の店舗ですが、賽の目を裏で自在に操ることが出来て、それがバレて暴動や警察沙汰になった件も実際にあります。 それでも今日も負けるために真昼間から勝ち目の無い勝負に興じる人は後をたちません。 そのような方々の人生は、あたかもハズレを出し続けるサイコロに見えてきます。 「賽は投げられた」の「賽」とは賭博に用いられるサイコロのことで「賽は投げられた」とは勝負の結果を決めるサイコロはすでに振られてしまっているのだからもう後へは引けない、考えている余地はなくただ断行あるのみ、あとは結果が出るだけだということのたとえで運命の歯車は既に回ってしまったのだからもう後戻りはできないという意味です。古代ローマ時代にポンペイウスと対立しローマへ進軍したカエサル(シーザー)がルビコン川を渡る際に言ったセリフとして有名です。古代ローマ時代イタリア本土と属州ガリア・キサルピナを分けるルビコン川は北の防衛線でした。そのためルビコン川を武装して渡ることは禁止されていたため武装してルビコン川を渡ることはポンペイウスへの宣戦布告の意味がありました。同義後には「ルビコン川を渡る」があります。「賽は投げられた」と同じようにカエサル(シーザー)がローマへ進軍した時の故事に基づいています。ルビコン川より内側には軍隊を率いて入っていけないという掟に背くと反逆者として処罰されました。カエサル(シーザー)は処罰を覚悟でこの掟に背き軍隊を率いてルビコン川を渡ったことからもう後戻りはできないという覚悟のもとに重大な決断や行動を起こすことのたとえとなっています。

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采配を振る

【漢字】采配を振る 【読み】さいはいをふる 【意味】指揮をとる。指図をする。 【例文1】監督が采配を振る。 【例文2】攻撃の采配を振るタイミングを見計らう。 【例文3】采配を振るチャンスがくる。 仕事やその他の場面で自分が先頭に立って指示をしなければいけない時、どうしても采配を振る必要が出てきます。 私は仕事でグループのリーダーになることが何度かありました。 そこで毎日、仕事の段取りを決めて、グループのメンバーに支持をしなければなりません。 リーダーの采配の振り方によって、仕事の効率は変わってくると思います。 また、時には予定外のことも起こります。 この予定外のことが意外と多く、そこでリーダーの力量が試されているような気がします。 上手く采配を振ることができれば、それほど大きな問題にはならずに事が運ぶようになります。 しかし、時には自分で判断しかねる難しい問題に直面することがあります。 そのような時はリーダーでも上司に相談し、素直に支持を仰ぐようにしています。 どんな問題でも最終責任者は会社で言えば社長になってしまいます。 いくら担当グループのリーダーだからと言って、全ての責任を負うことはできません。 上司がいれば、その人の方が責任がかかってきますし、自分のミスでも最終責任は他の人が取らなければいけないこともあります。 特に会社組織では一人ではなくチームで動いていますし、チーム同士の関係もあります。 そのため、小さなグループでもそれぞれが上手く采配を振ることができれば、上手く会社は機能していけるものだと思います。

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細大漏らさず

【漢字】細大漏らさず 【読み】さいだいもらさず 【意味】こと細かく最初から最後まで。 【例文1】細大漏らさず、事件の報告をする。 【例文2】細大漏らさず、初デートの計画を立てる。 【例文3】細大漏らさず、スケジュールの管理をする。 ポケモンGOに、未だにハマっています。このアプリはただポケモンを捕まえるだけではなく、色々な機能があります。その一つに、ポケモンを全種類捕まえて、ポケモン図鑑を完成させる、というものがあります。私はハマっているとは言っても、未だに図鑑を半分も完成させられていません。全種類集めたという人をたまにネットで見かけるのですが、一体どうやったのか、見当も付きません。家からただ遠くに行ってポケモンを捕まえれば良いというわけではなく、どこにどのポケモンがいるかは刻々と変化してゆく、中々に深いアプリなのです。何日も続けていると、意外と家の周りにレアポケモン(珍しいポケモン)が出現して、狂喜する事も度々でした。 そんなポケモン三昧の日々の中、ネットサーフィンで調べていると、トレーナー(ポケモンGOを楽しむ人々の事)の中で、人気のある場所を幾つか見つけました。 その一つが、お台場。家から日帰り出来る場所です。トレーナーになって一年、ようやっと先日、その「聖地」お台場に行って来ました。 とは言っても、人気のお台場海浜方面ではなく、ヴィーナスフォート側でのポケモン捕獲となりました。細大漏らさず、出現したポケモンは、種類を問わず、手当たり次第に捕獲。100匹は捕まえたでしょうか。コイルとビリリダマという電気ポケモンが多かったですね。もの凄いレアポケモンは見つけられなかったのですが、ずっと行きたかった場所なので、良い記念になりました。

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才色兼備

【漢字】才色兼備 【読み】さいしょくけんび 【意味】優れた才能と美しい容姿に恵まれた女性をいう。 【例文1】彼女は才色兼備で街を歩けば毎回スカウトされる。 【例文2】スタイルもよく才色兼備で男性の憧れの的だ。 【例文3】母のような才色兼備を目指す。 才色兼備とは日本の四文字熟語で意味は、優れた才能と美しい容姿を 持ち合わせていることをいいます。 自らすすんで「私は才色兼備です」 とは、日常であまり耳にすることはないかと思います。 私が思うに才色兼備というワードは他人が人に対して感じる言葉ではないでしょうか。 『才色兼備』なんて素敵なワードに当てはまるような人になりたいと憧れを持つ人もいるかと思います。 では、なぜ他人の人が 『この人は才色兼備だ』と思うのでしょうか。 まずひとつめに必要なのは容姿が美しいと思わせることです。 今の時代だと美しい容姿はお金で買える時代です。 また、美しいの概念は人それぞれなので清潔感があるだけでも美しいと思われれば、それは才色兼備になる為の入り口かもしれません。 もうひとつ必要な才能は天性で持ち合わせている場合は1番簡単に才色兼備になれるのですが、才能なんて持ち合わせていない人でも才色兼備にはなれます。 その方法は、『努力して特技を身につけること』『その努力を人に見られないこと』です。 才色兼備とは美しい容姿と優れた才能を持ち合わせている女性のことです。 最近はテレビでも才色兼備の人多く活躍してますね。 才も色も兼備していない私にとっては、なんともうらやましい限りです。 でも、別のことわざに「天は二物を与えず」ってのもあるじゃないですか。 神様は決して人に二つの物を与えないってことだと思うんだけど、神様ずるくないですか? 才色兼備の人がいるじゃないですか。 才色不備の私になんでどちらか一個分けてくれなかったんですかって文句も言いたいところです。 でも、考えると才色兼備のひとも神様から与えられてのは、頭の賢さか容姿の美しさどちらかだけでもう一つは自分の努力で手に入れたものかもしれないから、あなたは努力が足りないんですよって逆に神様に叱られちゃうかもしれないです。 でも、やっぱりそれでも一つは与えてるじゃないですか。 一つも与えられないのは、やっぱり不公平だと思うんですけど。 こんな文句を言ったら帰ってくる言葉は「あなたには美しい顔も過ぐれた知能も与えませんでした。でもあなたにもちゃんと〇〇を与えているんですよ」って感じかな。 でも〇〇が思いつかない。神様が私に与えてくれたものは何だろう。私も出来れば才か色のどちらかを与えてもらいたかったです。

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才子才に倒れる

【漢字】才子才に倒れる 【読み】さいしさいにたおれる 【意味】才子とは多くは男性を言う。才能がある人は自信を持ちすぎるあまり、失敗することがある。 【例文1】事業を大きくしようとして才子才に倒れる。 【例文2】人間関係で才子才に倒れる。 【例文3】浮かれて才子才に倒れる。 実際、有能な人間は自分に降りかかる危険を徹底的に回避し続けます。 失敗はせすに実績を積み上げ続け、功績は自分に失敗は部下に、責任問題など一切発生させない姿勢をとるのです。 その結果が位人臣極めた公務員のトップの事務次官などになるのでしょうけれど、人間としてどうなのでしょう。 勿論、すべての上級職に就いている方々がそうとは限りませんが、有能かつ誠実な人柄など最近ではとんと見かけません。 当たり障りのない行動をしつつ、優れた危機管理能力で成功を積み上げる様子は人間としての魅力に欠けます。 ありていに言えば、傍から見ていて面白くないのです。 そのような人間が失敗などすれば、ここぞとばかりに徹底的に責任追及が行われ再起不能な位置まで追い落とされるでしょう。 利に聡く情に薄い才人を態々たすけようと考えるお人よしがいるとも思えません。 疎ましく思われていることは想像に難くなく、スキャンダルは民衆の好むところなので大々的に報じられるのも決定的です。 いささか趣味が悪いですが、偉いヤツが失敗したの皆で面白がっているのです。 現実には才人も凡人も同じ船に乗っている場合が多く、才人が致命的な失敗をすることは沈没につながりかねません。 昨今のテレビではバラエティ番組で面白おかしく政治が語られていますが、危機感を少しは持った方がよいと思います。 連鎖倒産のような現象など珍しくもない世の中なのですから。

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再三再四

【漢字】再三再四 【読み】さいさんさいし 【意味】二度も三度が再三という意味でさらに強調した言葉で何度も繰り返すこと。 【例文1】部下に身なりを整えるよう再三再四指摘する。 【例文2】再三再四注意するが、きかない。 部下育成は、どの会社にとっても重要な経営課題です。どの会社もご苦労されています。教育は反復です。あることを指摘したとしても、それがすぐできるようになるとは限りません。要するに、教えると育てるとは別物なのです。ここで重要なのは、教えてできるようになるまで、再三再四、繰りかえして言うよりほかはないのです。そうしなないと、むこうも人間ですから、何度も言わないと忘れますし、また、一度くらいの指摘では、「この指摘は本気ではないのだな」と読まれます。 こういうことの繰り返しにならないためにも、再三再四、指摘してあげる必要があるのです。 但し、こここで気をつけねばならない点がございます。それは、相手への配慮、立場を無視してはいけないということです。「相手も人間」と申しあげましたが、やはり、再三再四、指摘を受けることは、正直申しまして嬉しい事ではありません。 時には、不満な態度も見せると思います。ですから、その指摘については、タイミングをみて相手の気持ちを考慮して指摘しないとなりません。これにわって、よい人間関係・コミュニケーションの確立がなるというものです。但し、これと矛盾するのですが、指摘するときののタイミングです。そのタイミングを遅らせると、相手から見た時、「なぜあの時言ってくれなかったのか」ということもございます。このタイミングをみて、再三再四指摘すること。これが重要です。

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幸先がいい

【漢字】幸先がいい 【読み】さいさきがいい 【意味】何かを始めた時にうまくいきそうな予感をいう。 【例文1】新装開店オープン前に行列ができて幸先がいいスタートをきる。 【例文2】売上目標達成で幸先がいい。 【例文3】出会いを求めて旅に出た。1日目から気が合う女性と同行して幸先が良い。 幸先がいいとは物事を始めた時に良いことがありこの先安定だという時に使われます。 幸先がいいと気分も上がりますし、やる気も出てきます。 私は結婚するときにのちに旦那さんとなる人が新築マンションを購入したときに付き合い始めたので同棲・新婚生活は海が見える素晴らしマンションで幸先がいい新婚生活をスタートさせました。子どもは一姫二太郎で望んだ通りの結婚生活です。 長女は2年前、県外の専門学校に通い、ケーキ屋さんでアルバイトしながら、生計を立てています。今年卒業で、そのまま正社員として働くことが決まっています。長男は地元の国立大学に受かり自宅通学で、地元がゆえに友人も多くキャンパスライフを楽しんでいます。アルバイトの焼鳥屋さんで深夜まで働くことがありますので、旦那が送迎をしますが、自宅に帰るなりすぐに眠りに就くようです。まかないのおかげでずいぶん食費やお小遣いが浮いているようです。 ドラッグストア10年勤務のアラフォー社員です。毎年、春になると新卒社員が店に配属されます。 ゆとり世代とは言いたくないですが、傾向として近年意識がやや低く感じられる社員が多いです。 ブラック企業として公表されたくないため、本部からは「残業されるな」 「セクハラ、パワハラはもちろん、突っ込まれるようなことは全てするな」 「集合研修時にヒアリングをするので、絶対にムチャな扱いはしないように」 と、どうやって育てれば分からなくなるような指示が数多く出されます。 しかし、今年はいつもとは違います。2人配属されたのですが、共に優秀です。 学生時代は4年間、それぞれファーストフード、レンタルショップで バイト経験があり、初日からバリバリ働いてくれます。 私が怖い系というのが伝わったのでしょうか(笑) テキパキと動き、モチベーションも高い2人です。 数年に1度ある、「幸先がいい」スタートが切れています。 「定時になったから帰ります」 …全然帰っていいんですけど、せめて「帰ってよいですか」と気を使ってほしい。 「来月、同期と飲み会があるので、この日を休ませてください」 …ドラッグストアは平日休みの変則勤務。もちろん、休み希望は考慮したいけれど、 いきなり同期との飲み会のために、休みを取らせるのはパートさんに示しが付かない。 このような社会人とは?から始まる説明を一切する必要がない今年の新入社員。 こちらも前向きに育成ができ、先が楽しみです。 一年の始まりである元旦、全国のお寺や神社は多くの人でにぎわいます。 その中でも毎年恒例となっているのはおみくじではないでしょうか?私は毎年おみくじをひくようにしています。 中には「なんでわざわざおみくじなんてひくのか、悪かったらテンションが下がるし、良くたって本当にいいことが起こるわけじゃないのに」という人もいるでしょう。 当たり前ですが、誰だって幸先がいいスタートをきりたいのです。 じゃあ幸先がいいスタートってなんですか?普通に考えたら大吉ですよね。 でも不思議なのが大吉をひいた年って「大吉をひいたこと」覚えていないんですよね。むしろ凶をひいた年ってかなり年数が経っても覚えているんです。 大吉をひいた瞬間は多分、これは幸先がいい!なんて思ったと思うんですが、案外そう思ったことはすぐに忘れてしまうもの。 でも凶をひくと、そのおみくじの内容をじっくり見るわけです。友人や家族がそばにいる場合からかわれたり、笑いあったり、凶の方が印象は強かったりして。 その後も、悪いことがあると「凶だったもんな」と納得出来たり、いいことがあると「凶だったのにラッキー!」と喜べたり、毎年おみくじをひいていくうちに、最近は凶が出ると「お、今年は記憶に残る一年になりようだな」と少しワクワクするようになりました。 案外凶って幸先よかったりしてね、と思う今日この頃です。

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最期を遂げる

【漢字】最期を遂げる 【読み】さいごをとげる 【意味】死ぬ時を迎える。 【例文1】独り身で孤独な最期を遂げる。 【例文2】孫やひ孫達に看取られ最期を遂げる。 【例文3】眠るように最期を遂げる。 私の父は言葉数は少なかったのですが、私の事をとてもかわいがってくれました。 父はバイクで会社まで通勤していたのですが、休みになるとバイクに私を乗せてくれ、色々な所に連れて行ってくれたのです。 また父は毎日快活に行動をしていました。 仕事もほとんど休んだ事がありませんし、休日になると早朝に起き出し、ひとりで散歩に行っていました。 風邪もひかず、疲れたと言う言葉も聞いた事がなく、とにかく疲れや病気には無縁の人でした。 ところが50代となった父が、「最近疲れてしょうがない」と言うようになりました。 これまで病気という病気をしなかった父ですから、私たち家族は単純に年のせいだと思っていました。 しかしこの後、急激に父の体調が崩れ始め、病院で診てもらいました。 それで入院して、母がお医者さんに呼ばれて、父が肺がんだという事を告げられました。 確かに父はタバコを吸っていましたから、肺がんになっても不思議ではありません。 咳をしたり痰を吐いたりしていましたから、肺がんの兆候があったと言えばありました。 半年ほど闘病生活を続け、病院のベッドの上で最期を遂げました。 50代という若さで最期を遂げた余りにも早い父の最期をしばらく受け入れる事が出来ませんでした。

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歳月人を待たず

【漢字】歳月人を待たず 【読み】さいげつひとをまたず 【意味】時間は人の都合など待ってはくれず刻々と過ぎるものだから今の時間を大切にしようという意味。 【例文1】歳月は人を待たずだから今を楽しむ。 【例文2】歳月は人を待たず婚期を逃した。 【例文3】歳月は人を待たずだから何にでも挑戦する。 「歳月人を待たず」は陶淵明の雑詩の言葉です。「年月は人の都合によらず、どんどん過ぎていくもので少しの間も待ってはくれない」という意味です。陶淵明は六朝時代の詩人です。 下級貴族の家に生まれ、官吏として勤めますが、不遇な人生を送ります。41歳の時に官吏をやめて「帰去来辞」を残し故郷の田園地帯に戻り隠棲します。わかりやすい言葉で田園生活や隠棲暮らしの心境を詩文に詠み、孟浩然や王維に影響を与えました。陶淵明は雑詩十二作っていますがどれも秀逸です。 この「歳月人を待たず」は其の一ですが、前半八首は内容からして晩年の作と考えられ、後半四首は官吏をしていた頃の作品と考えられます。この雑詩其の一の詩でよく引き合いに出されるのが最後の四句です。「盛年不重來 一日難再晨 及時當勉勵 歳月不待人」で「盛年重ねては來たらず 一日再びは晨なりがたし 時に及んで當に勉勵すべし 歳月人を待たず」ど読み、意味は「盛りの年は二度とは来ない、今日という日は再びは来ない 時に及んでまさに勉励しよう 歳月は人を待ってはくれないのだ」なのですが、勉励が勉強と解釈され、歳月は人を待たないから寸刻を惜しんで勉強すべきだと解釈され、そのように覚えている人も多いと思いますが、この詩でいう勉励は行楽のことで、歳月は人を待たないので行楽に励みましょうというのが本来の意味なのです。晩年の作だという知識があれば、行楽に励みましょうという意味の方がしっくりきますね。

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細工は流々仕上げを御覧じろ

【漢字】細工は流々仕上げを御覧じろ 【読み】さいくはりゅうりゅうしあげをごろうじろ 【意味】作業の手順は様々なのだから、過程の段階でとやかく言わないで出来映えを見てから批判せよという意味。 【例文1】絵を描いているとあれこれ言ってくる友人に細工は流々仕上げを御覧じろと一喝した。 【例文2】子どもの成長は黙って細工は流々仕上げを御覧じろ。 【例文3】両者の言い分を聞いてから細工は流々仕上げを御覧じろ。 細工は流々仕上げを御覧じろとは物事の過程の段階で横から口出しせずに最後に判断せよという意味です。 具体例として 「子ども同士のケンカは細工は流々仕上げを御覧じろで話をちゃんと聞く」などに使われます。確かにケガをしている方が一方的な被害者に見えます。一部しか見ていない人はケガをおった被害者に肩を持ちます。しかし最初から最後まで事の成り行きを聞くとケガをしたほうが最初に手を挙げたから、相手がよけようとしてぶつかって転んだというような場面もあったりします。ですから最後に判断することは大切な事ですね。 会社にもたまにいますよね。作業の途中だけを見てあれこれ注意したり批難しまくるやつ。本当に腹が立ちますよね。で、意外な出来栄えにみんなが賛同する中、決して褒めてはくれない。あれって素直じゃないですよねー。 時代劇か歌舞伎の舞台、落語の世界でしか、今は聞けない言葉「細工は流流仕上げを御覧じろ(ごろうじろ)」ですが、意味は「細工の仕方は色々あるけれども工夫は十二分に凝らして誂えるから結果のデキを見てから批判してくださいよ」です。落語の世界ではよく、江戸の長屋に多く住んでいた独り者の職人が、町娘に恋をして、それを知った隣人、友人、知人がなんとかその恋を成就させてやろうと腕まくり。あれやこれやと策を練り、職人と町娘の仲を取り持とうとするものの、何故か思いがけない邪魔が入り、策は無に帰し失恋するとか、策は成功しないものの、けがの功名でなんとか上手くいき、終わり良ければ全てよしで一件落着するとか、そういう話にこの「細工は流流仕上げを御覧じろ」が登場しますね。策を弄した本人が得意満面に言い放つのが定番です。細工や仕上げという言葉のデティールから想像できるように、おそらくは職人の間から出てきた言葉でしょう。何の職人であれ、年季奉公をして腕に技術を覚えさせるまで、相当の苦労をします。それでも独り立ちして食べていけるだけの職人になれるかどうかは、また別の才覚が必要です。自分の腕を信じるが故に、他人に自分の仕事や手順にケチをつけられたり意見されたりすることが我慢できない。そこで「細工は流流仕上げを御覧じろ」が出てくるのです。職人の気概が今も伝わる言葉ですね。

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