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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。 Powered by 手作り言葉辞典

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迷わんよりは問え

【漢字】迷わんよりは問え 【読み】まよわんよりはとえ 【意味】一人で迷わずに誰かに聞いた方がいいという意味。 【例文】早期解決のためには迷わんよりは問え。 「迷わんよりは問え」という言葉を聞いたことがあるでしょうか? この言葉は、そのままではありますが、「自分一人であれこれ思い悩むよりは、周りの人に聞いた方が良い」という意味です。 社会において、この考えは広く浸透しているように感じます。 聞くは一時の恥、という言葉も似ていますが、自分一人では解決策が見出だせなくても、案外周りに聞くと自分の中にはなかった考えを得られるものです。 こうした習慣が身に付けば、仕事のクオリティーも上がるだけではなく、効率アップして無駄な時間をかけなくて済みますよね。 しかし、今はこうしたことができない若者が増えてきています。 理由は色々ありますが、単に聞くのが面倒、聞いたら怒られそうで怖い、そもそも誰かに相談するという概念がない、というのが主な意見のようです。 かくいう私もあまり人に聞く、ということが出来ない人間でした。 今さらこんなこと聞いたら怒られるんじゃないか、呆れられるんじゃないかと思ったら、なかなかその一言を発することが出来なかったのです。 結果、失敗してより怒られる、という本末転倒な結末が多かったのは恥ずかしい話です。 今でも新入社員が同じような行動をしていると、昔の自分を見ているようで心が痛くなります。 まさに「迷わんよりは問え」と叫びたくなりました。

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満を持す

【漢字】満を持す 【読み】まんをじす 【意味】十分に準備して機会を待つ。 【例文1】満を持して今夜彼女にプロポーズする。 【例文2】満を持して試合出場の機会を待つ。 【例文3】満を持して選挙に立候補する。 何かの本を読んだ時に、「物事を行うには早すぎることはあっても遅すぎることはない」という言葉がありました。 物事を行うのが早過ぎてしまったかもしれない、と後悔することがあります。 もし、満を持すまでじっくりと待っていたら、それほど難しくはなく、容易にできることもあるのかもしれません。 その満を持すのがいつなのかわからないこともあります。 特に人生の中で大きな分岐点となる出来事などは、まさに満を持すまでじっくりと待つことが必要なのだと思います。 とは言え、どうしても先のことを考えて、時には先走りをしてしまい、その結果上手くいかないこともあります。 満を持すまでじっくり待つことは、案外難しいことなのかもしれません。 しかし、前述のように「物事は遅すぎることがない」ということは、しかるべき時が必ずやってくるということです。 そう考えるだけでも、随分と気が楽になります。 無理に行動を起こす前に、時期が来るまで、満を持すまでじっくりと力を蓄えて置くことが大切なのだと思います。 そうすれば、1回で成功できる可能性もかなり高くなるような気がします。 満を持すまでじっくりと策を練ることも必要です。 私は最近、囲碁を始めました。 囲碁では学ぶことがたくさんありますが、特に満を持すことの大切さを教えてもらっているような気がします。

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満面朱を注ぐ

【漢字】満面朱を注ぐ 【読み】まんめんしゅをそそぐ 【意味】怒りで顔が真っ赤になる。 【例文1】彼は怒りで興奮すると満面朱を注ぐ。 【例文2】夫の借金問題に満面朱を注ぐ。 【例文3】浪費癖に満面朱を注ぐ。 満面朱を注ぐ経験をしたのは20歳の時で、後にも先にも、その時のような恥ずかしい体験はしていません。 当時付き合いたてだった彼女と、2回目のデートをした時にファミレスへ行き、食事をしていたらお腹が痛くなったのでトイレに行きました。その後、トイレから席に戻る途中、周りのお客が私の事を見てくるので、何だろう?と思っていました。 気にしないで彼女がいる席に戻ると、彼女が真っ赤な顔をして後ろ!と言うので、振り返るとトイレットペーパーがジーンズに挟まり、トイレから席まで繋がっていました。 それを見て満面朱を注ぐ状態になり、急いでトイレットペーパーを巻きながら、トイレまで向かいました。 トイレから紙が切れないで、席まで繋がっていたのも奇跡ですが、周りの人は大笑いをしていて、とても恥ずかしい思いをしました。 付き合いたての彼女に、恥ずかしい部分を見せてしまったので、嫌われてしまうか心配しましたが、その一件がお互いの緊張をほぐすことになって、かえって仲良くなれました。 良い面もありましたが、2度と体験したくない事件です。 職場には様々な人間がいますよね。 彼ら全員ががあなたに微笑みを向けて優しく接してくれればいいのですが、もちろんそんな都合のいい職場はおそらくないと思います。 気難しいやつ、引っ込み思案なやつ、変に偉そうなやつもいれば、妙に警戒心の強いやつ。 そんな奴らともコミュニケーションをとらなければなりません。 そんな時こそ!ちょっと難しいけどめっちゃカッコイイ言葉を使って「なにこいつできるやつ!?」感をだしちゃいましょう! こういう場面に遭遇した時はこの言葉を使うんです。 ひゃあー。同僚がミスして上司に怒られてるよ。うわっ。落ちこんだ同僚にOLちゃんがお茶をこぼしちゃった!しかも股間だけがびっしょびっしょ!それだけじゃなくて、みんなが視線を注いでいるあいつのチャックは全開だ!恥ずかしくて同僚は顔が真っ赤だぞ! こういう時はこの言葉を使おう。 その同僚を遠目に見て、独り言をつぶやくようにこう言ってやれ! 「ふっ、あいつ・・・・・・満面朱を注いだような顔をしてやがる・・・・・・」 決まった! こんなこと言うやつただものじゃねえ! 周りの同僚達は1目置いて、OL達はその瞬間君に一歩寄ってきて、部長は君を課長に推薦するはずだ! さあみんなも使ってみよう! 「あいつ・・・満面朱を注いだような顔をしてやがる・・・・・・」

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満身創痍

【漢字】満身創痍 【読み】まんしんそうい 【意味】全身傷だらけ。ひどく避難され痛めつけられる。 【例文1】満身創痍でもリングに立ち向かう。 【例文2】満身創痍の覚悟で家族を守る。 【例文3】バッシングを受け満身創痍。 高校3年の秋の時の話です。全学年全クラス対抗によるサッカー大会のトーナメント戦が開かれました。サッカー部ではなかったのですが、小学校のサッカー経験、その後も少々かじっていたこともあり、メンバーに選ばれました。 試合は30分1本勝負。サッカーコートを半分にして(縦長じゃないですよ)7人制で行われます。ルールは通常のサッカーと同じです。 もともとのポジションが、中盤の底でしたので、大して目立つことなく、地味に要所要所を押さえていました。 順調に勝ち上がり、準決勝。ここで強烈なチームと当たりました。7人のうちサッカー部が5人。それも全てレギュラーで、中には県の選抜に選ばれた人までいます。こちらはサッカー部補欠2人に多少の経験者がチラホラというチームです。さすがに勝てないかと思いましたが、なかなかにいい勝負。偶然入った1点を守りきり勝利することができました。 しかし、高校3年の秋。部活も終わり、遊び呆けていた体には準決勝の試合と、それまでの連戦はこたえます。 決勝戦が始まり、しばらくすると足がつります。まあまあ仕方ないでしょう。当然の結果です。マッサージを行い、すぐに復帰。そして、ボールをクリアするとさっきとは逆の足がつりました。これで歩けませんね。ボールを蹴るごとに足がつり、走ることもままならない。サッカーをする上では致命的です。しかし、最後の力を振り絞りラストチャンスに相手ゴール前に。いい形でパスが来てくれて、懇親のシュート。しかし、どこかの代表のように枠から大きく外れ、そのまま私は倒れたらしいです。(ここら辺から記憶がありません) 起きると保健室。聞くところによるとシュートと同時に、転倒し頭を打ってしまったみたいです。脱水症状による熱中症も加わり、そのままタンカだったそうです。 試合は残念ながら負けてしまったとの話でした。 満身創痍の中で放ったあのシュート。決まっていればヒーローだったかもしれませんね。 でも、ここまで全力を使い果たしたのは後にも先にもこの1回だけです。試合は負けましたが、充実した時間でした。

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まんじりともしない

【漢字】まんじりともしない 【読み】まんじりともしない 【意味】不安や心配のため少しも眠れない。 【例文1】地震発生で余震も心配だ。その夜はまんじりともしない。 【例文2】合格発表まで心配でまんじりともしない。 【例文3】新郎スピーチがうまく言えるかまんじりともしない。 まんじりともしないとは色々な意味がありあますが、その中の一つとして不安なこと、心配事があって一睡もできない状態を言います。 最近のことのように覚えているのが東日本大震災のあった3月11日の夜、正確には3月12日の未明のことです。携帯電話の地震のアラームが一晩中なり続けていて、関東、東日本だけではなくて沖縄や新潟でも大きな地震が続きました。私の住んでいるところは東京都なので大きな被害は出ませんでした。しかしこのまま日本は壊滅状態になってしまうのではないか?そんな不安でまんじりともしなかったのを覚えています。 その夜は横で眠っている娘を何回も起こして家の外にでて地震の揺れがおさまるのを待ちました。三月なので凄く外が寒かったのを覚えています。大きな地震を体験すると家に入れなくなるというのも分かります。その後も度々余震があるたびに子どもは怖がっていました。 翌日になって東北の津波による被害の実態が明らかになって当たり前のようにあった日常が、日常でない事を実感しました。人間は自然の前にはまったくの無力だと思い知らされました。あの日まんじりともしないで色々と考えていた不安は月日が経つと薄れてきますが忘れてはいけないことだなと思います。

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満場一致

【漢字】満場一致 【読み】まんじょういっち 【意味】その場にいる全員の人が賛同する。 【例文1】満場一致でミスコン優勝者は彼女に決まった。 【例文2】満場一致で合格する。 【例文3】満場一致で採用が決定する。 老人ホームで働いていると、年に2回入居者を対象とした入居者懇談会が開かれます。その入居者懇談会で、日頃の生活での不満や気付いたこと、改善したいことなどが話し合われます。同時に半期出会った主な出来事の報告なども行われます。その時に、色々な意見が出るのですが、食事の話になったとします。食費が高いのでもう少し低価格で提供してほしいなどの提案も出ます。そこで議論となる訳ですが、色んな意見が出ます。そして議長によって、多数決が行われます。満場一致で食費の価格を落としますとなれば、そこで決定となります。入居者懇談会は大体入居者有利に働きます。老人ホームと言ってもシニアマンション風で皆さんお元気です。大体身の回りのことはご自分でできるようです。お元気でありますから、色んな不満も出てくるわけです。大浴場も完備しており、先日あった入居者懇談会では大浴場の入浴時間をのばして欲しいとの意見が出ました。そして議論になりこれも満場一致で入浴時間は伸ばすということになったのです。入居者は大変高額な一時金を支払って入居されていますから、皆さんはご自分の生活を守るために本当に必死です。

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満更でもない

【漢字】満更でもない 【読み】まんざらでもない 【意味】ダメだというわけではない。悪くはない。 【例文1】女性に告白されて満更でもない顔をしている。 【例文2】照れて満更でもない態度を取る。 【例文3】澄ました顔をしているが、実は満更でもない。 うちの子どもは現在中学校1年生です。小学校1年生の頃からスイミングスクールに通っていました。だから泳ぎは満更でもない気がします。時々昇級試験があるのですが、大分上の級にたどり着くことが出来ました。あの顔もつけられなかった子どもが今ではクロールも背泳ぎも、バタフライも平泳ぎも本格的になっています。中学に入ってからはスイミングスクールと水泳部に所属しています。 ここまで子どもが頑張ってスイミングをするとは思ってもいませんでした。そして次に勉強ですが小学校高学年から成績が落ちだしています。特に勉強嫌いで私としては水泳よりも勉強を頑張って欲しいのですが、今のところ勉強に全然身が入らない状態が続いています。そんな中最近どうしたことか塾にいきたいと言いだしました。満更でもないのかなと見守っています。今でも勉強嫌いですが中学に入って大事な時期に差しかかって来ました。高校にもある程度の学力のある所に言ってほしいと思っています。塾にいきたいと子どもから申し出てくれたこと自体が嬉しく思いますが、この先いい方向に向かってくれるとよいと思います。 そして受験が終わったあとにあの時塾にやって満更でもなかったなと言える様に 子どもの教育をしていきたいと思います。 私は高校を卒業したのち、漫画家を目指すために漫画関係の専門知識を学べる学校に入りました。そこではユニークな先生方がたくさんいらっしゃり、私も人間観察を楽しむようになってきました。 中でも独特な雰囲気を出していたのが、長い髪をポニーテールに縛って、アクセサリーをジャラジャラつけている四十代前半の男性教師です。デザインの会社を運営されているとのことですが、やはりファッションもユニークだなあと思いました。 さて、クラスメートの女子生徒に、その先生にゾッコンになっている子がいました。その先生が授業のときは、一番前の席に座って、先生の言葉一つ一つにかなり熱心にうなずいていました。いつもその先生の似顔絵を描いたり、しゃべり方のものまねをしたり、「まじでかっこいい」とか「一緒に帰りませんかって聞いてみようかな」と呟いたりと、本当に好きだと思っているようでした。 先生のほうは、二十歳以上若い生徒にキャーキャー言われて、満更でもない様子でした。先生は結婚して奥さんとも仲は良かったのですが、やはり女子生徒から好かれるのは嬉しかったのでしょう。分かりやすくてちょっと笑えたのを覚えています。 それからしばらく経って、少しびっくりしたのですがその女子生徒はクラスの男の子と付き合うようになって、あまり先生の話はしなくなりました。

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真綿で首を絞める

【漢字】真綿で首を絞める 【読み】まわたでくびをしめる 【意味】真綿は自然にできる繊維の中では柔らかく細さの割りに強靭さが特徴である。一気にとどめを刺さずにジワジワ苦しみを与えること。 【例文1】30年の懲役で 【例文2】真綿で首を絞めて精神的苦痛を与える。 【例文3】真綿で首を絞めないで一気にお仕置きしてくれ。 真綿は蚕が作る繭から採れる動物性の繊維です。「まわた」と聞くと、お布団などに使われている木綿(コットン)を想像してしまう事が多いかと思いますが、 どちらも柔らかく、フワフワで、保温性に優れた繊維です。 こんなに柔らかで優しい繊維で首を絞めるとは、一体どんな状態なのでしょうか。柔らかい素材なので一気に締まる事がなく、最初は肌触り良くて心地よく、徐々に徐々に苦しめると言う意味なのでしょう。 昔は、本当に真綿で首を絞める刑があったと聞きます。一思いに、とは真逆で苦しませる事に意味があった刑なのでしょう。 現在は犯罪も含めて耳にした事はありませんが、とても残忍な方法ですよね。 今は肉体的な事でなく、精神的に真綿で首を絞められてると感じている人が多いのではないでしょう。 精神的なものでも、絞められている人間には長い時間の苦痛があり、絞めている人間は、苦しませる事に意味を持たせてると考えると恐ろしいです。 これは個人的な話だけではなく、世の中の仕組みとして、ほとんどの一般人が真綿で首を絞められている状態なのではないかと考えます。 将来に希望が持てない若者や、病気を抱えてる不安、老後の心配、どんどん削られる社会保障、遠くに逃げていく年金。 真綿を引きちぎって、未来ある世の中にしたいですね。

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丸裸になる

【漢字】丸裸になる 【読み】まるはだかになる 【意味】財産が全て無くなる。隠していたことが公になる。 【例文1】芸能人の過去が丸裸になる。 【例文2】隠ぺいが明るみに出て丸裸になる。 【例文3】会社が倒産して丸裸になる。 私は数年前に今まであった借金を返済するために、丸裸の状態になりました。 丸裸になる前に、お金になりそうな持ち物は全て売り、それでも借金の返済に充てるほどの金額にはなりませんでした。 しかし、そのわずかなお金で何とか生活できていたので、やはり物は売って良かったのだと思います。 幸い、身内の援助でお金を借りることができ、借金の返済をすることができました。 今でもその影響は受けていますが、それでも丸裸の状態になった頃に比べると、少しずつですが普通の生活に戻ってきています。 今後の目標は借金を完済して、新しい生活を始めたいと思っています。 その間にも自分のスキルを磨き、今後はお金で困らないような生活を送りたいと思っています。 丸裸の状態になっても、借金生活から抜け出せたことの方が良かったかもしれません。 これからさらに年齢を重ねて行き、高齢者になっても借金生活をしていることの方が大変です。 老後は借金にない状態で、ゆったりと生活していきたいと思っています。 そのためにも良いお金との付き合い方をしていきたいです。 丸裸になって初めてお金の勉強をしたような気がします。 もっと早くからこのことに気が付いていれば良かったのかもしれません。 しかし、まだ遅くはないと思って、今後はさらに精進していきたいです。 生きていく上で必要なものは何だと思いますか。食べ物や寝床、衣類などは必要最低限のものかと考えられます。また人によっては、家族や友人に恋人といった、人間関係を挙げる人もいるでしょう。ただまず最低限の生活を行うためには、お金が必要になります。学生のうちは奨学金があったり、親からの仕送りがあって、何とか生活できるかもしれません。ですが会社員やフリーターとして働いたり、その上1人暮らしまでするようになると、お金はかなり重要になってきます。そのためにも丸裸になるようなことは避けなければなりません。 ではどんなことをするとお金が減りやすいかと言うと、少し辛いところですが、人付き合いだと思われます。人と会うと食事をしたり、ときにはレジャー施設に遊びに行くこともあるでしょう。そうなると交際費としてかなりの出費がされることが予想できます。またどうしても避けて通れないのが食費ですね。エンゲル係数の基準にも食費が使われているように、食費は必ず発生するものです。ということは食費が発生してしまっても、それは仕方ないことですから、さほど気にしなくても良いかもしれません。ですが食費の内訳が嗜好品ばかりのようでしたら、健康のためにも少し食生活を見直した方が良いです。いずれにせよ生きていく上でお金は必要になりますから、丸裸にならないような生活を心がけることが大事と言えましょう。

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丸くおさめる

【漢字】丸くおさめる 【読み】まるくおさめる 【意味】争い事が円満に解決する。 【例文1】とにかく妻に謝ってその場を丸くおさめる。 【例文2】スキャンダル報道を平謝りで丸くおさめようとする。 【例文3】金で丸くおさめる。 喧嘩が起きたり、険悪なムードになったりすることを避けたいがために、丸くおさめようとしてしまいがちですが、それが逆によくない方向に進むこともあります。丸くおさめるというと、角が立たないようにきれいにその場を鎮めるという意味合いがありますが、問題の本質が解決しているかというと、そうではない場合も含まれています。誰かが言いたいことを呑み込んで我慢しているから丸くおさまっていることもあるからです。一見解決したように見えても、実は見えない炎がメラメラと燃え続けていることに気づかないと、恐ろしいことになり兼ねません。 ですから、何でも丸くおさめるというのはあまり良い事ばかりではないように思います。時には、言いたいことをぶつけ合って、分かり合えなかったとしても、相手の考えや気持ちを知るということが大切なのではないでしょうか。相手と自分は違うということを知ったうえで、どうするか考えていけばいいのです。事なかれ主義という言葉もありますが、丸くおさめるということも同様に、問題と向き合わないというマイナス面も出てきてしまうので、注意が必要です。 もっと言えば、丸くおさめようとしなくても、相手とまっすぐ向き合っていれば、行きつくべきところに行けると思うのです。そうならない相手とは、それまでの関係なのかもしれません。

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故きを温ねて新しきを知る

【漢字】故きを温ねて新しきを知る 【読み】ふるきをたずねてあたらしきをしる 【意味】中国の孔子の論語。歴史や伝統を学んで理解すれば、それらを活かし て優れた発見ができるもの。 【例文1】古い書物から故きを温ねて新しきを知る。 【例文2】昔の建造物から故きを温ねて新しきを知る。 【例文3】祖父母から故きを温ねて新しきを知る。 私は歴史を知るようになってから、「故きを温ねて新しきを知る」ことの大切さを知るようになりました。 もともと、ことわざや先人の知恵などは興味があり、参考にしていたこともあったのですが、それらと歴史の背景が重なることによって、より深くその意味を知ることができたのかもしれません。 私は長年、大河ドラマを見ていますが、過去の教訓を何とか現代に活かせないものかと考えています。 歴史上の時代と今とではいろいろなことが異なっています。 しかし、人間の感情はおそらく太古の昔から変わっていないのだと思います。 今後、AIが人々の生活に大きく入り込んできたとしても、人間の根本的な部分は変わっていかないと思います。 二度と過去の過ちを繰り返さないためにも、今一度「故きを温ねて新しきを知る」ことが必要なのではないかと思います。 過去の歴史ドラマという捉え方ではなく、よりリアルに捉えることで、これからの対策が変わっていくかもしれません。 何度も同じことの繰り返しでは、学習能力が無い、無能な人間達と捉えられてもおかしくはないと思います。

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丸い卵も切りようで四角

【漢字】丸い卵も切りようで四角 【読み】まるいたまごもきりようでしかく 【意味】卵は切りようによっては四角にもなる。同じ言葉でも言い方次第では受け取られ方が違ってくるものである。 【例文1】丸い卵も切りようで四角になるから、商談の際には気をつける。 【例文2】SNSでのやり取りは絵文字一つで丸い卵も切りようで四角だ。 【例文3】方言は丸い卵も切りようで四角にもなる。 丸い卵も切りようで四角とは物事は、言い方ややり方によって、相手の受け取り方が違ってくる。そのため、同じことを言ったりやったりしても、相手とうまくいくこともあれば、角が立ってしまうこともあるという意味です。私は九州出身なのでなまりもあるし方言も使います。同じ言葉でも「なおす」と言われれば、どこかに物をしまうという意味に解釈します。関西人が使う「わい」は確か自分の事を指すんですよね?こちらで「わい」と言われれば、汚い言葉ですが、喧嘩腰に相手に言う言葉です。言われた方はいい気持ちではありません。このように言葉はイントネーションがありますから、方言を喋る私でも言葉の感情は読み取れます。しかし、SNSが普及している今、やり取りは文字を打ちます。絵文字も出てきて進化すれば動く絵文字にもなりました。たくさんありますよね。ついついたくさん使ってしまいます。相手も絵文字や顔文字があると何となく心境も伺えます。返事に絵文字がないとなんだかそっけない感じがします。。気になって問うとどうってことないような答えでした。絵文字ひとつで勘違いとも取れます。最近の若い人は怒っていてもニコニコマークを使うようです。これじゃ本当に勘違いしてしまいます。おばさんはついていけません。

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眉を開く

【漢字】眉を開く 【読み】まゆをひらく 【意味】心配事がなくなり晴れやかな気持ちになる。 【例文1】長男の就職が第一志望に決まり、家族全員眉を開く。 【例文2】大学受験が終わり眉を開く。 【例文3】40歳の息子の結婚相手がようやく見つかり眉を開く。 眉を吊り上げる、眉間にしわを寄せるなど、眉に関する言葉は、どちらかというとあまり良い状態ではないことを指しているものが多いような気がします。 その中でも眉を開くは、物事が解決して安心できる様子を表し、ホッとできる言葉です。 常に眉が開いた状態でいられれば良いのですが、なかなかそうもいかないことも少なくありません。 子どもの頃はよく、親の顔の眉が吊り上っていたり、眉間にしわを寄せていたような気がします。 子どもながらに親は怖い存在だったのですが、自分が大人になって、さらに年齢を重ねていくと、徐々にそういうイメージからは遠ざかってきています。 私自身も無意識のうちに眉間にしわを寄せることが多かったせいか、いつのまにか額のしわが増えてしまったことがあります。 それに気づいてからは額のマッサージを行ったり、眉間にしわが寄らないように意識して気をつけていました。 そのおかげで額のしわはかなり無くなってきました。 それでも油断をすると、また眉間にしわを寄せてしまうかもしれないので気をつけるようにしています。 特に安心するような出来事がなくても、いつでも眉間を寄せずに、眉間を開く状態にしておきたいと思っています。 その方が穏やかに見えますし、間違っても鬼の形相には見えなくなると思います。 眉を開くとは心配事がなくなってホット一息安心することを言います。人間心配事があると眉間にしわが寄ってしまいます。その逆で安心するときっと眉が開くという感じになるのだと思います。私は月に一度フェイシャルエステに通っています。エステティシャンの方とおしゃべりをして心身ともにリラックスできる至福の時です。お互いに40代の女子なので1ヶ月分の毒を吐きまくってデトックス効果も抜群です。エステティシャンの方ってすごいなと思ったことがありました。その1ヶ月に私がどのような心境で過ごしたかを結構当てられてしまうのです。心配事が多くて最近あまり笑っていないなと思った1ヶ月は相当顔がこわばっていたみたいでエステが始まって早々に「〇〇さん最近笑っていないでしょ」と見透かされてしまいました。まさにどん底の1ヶ月を過ごしていた私は本当にびっくりしてしまいました。 エステティシャンの方も私の肌質をずっと覚えているわけではないそうです。1ヶ月おきにお客様の肌を触った時に「あ―この人の肌ってこんな感じだったな」と色々思い出すそうです。さすがプロフェッショナルだなと思いました。人間の手、指の感覚というのは本当に繊細だなと思いました。

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眉をひそめる

【漢字】眉をひそめる 【読み】まゆをひそめる 【意味】考え込んだり、不快になると眉間にシワを寄せる。 【例文1】迷惑な客に店員が眉をひそめる。 【例文2】マナーの悪さがひどく周囲が眉をひそめる。 【例文3】騒音に眉をひそめる。 最近はワンオペ育児のママが多く大変そうです。 そこでどうしても外出は乳児連れ幼児連れになるのも仕方のないことですね。 しかし世の中はいまだにこうした母子に対して厳しい視線を送る人も多いようです。 たとえばベビーカーの電車やバスの乗り入れを歓迎しない。 また、小さい子どもを連れて外出すること自体をこころよく思っていない人さえいます。 そして公共の乗り物の中や店舗の中で泣きわめく子どもに眉をひそめる人がたくさんいます。 確かにレストランやスーパーで走り回ったり叫んでいる子どもを放置している人もいます。 でも、そうした人たちは少数です。 多くのママたちは善良でそんな無言の視線にとても傷ついています。 電車の中で赤ちゃんが泣きわめいてもそんな視線を投げかけないで下さい。 それよりもあなたが赤ちゃんをあやす、気を逸らすなどしてあげましょう。 それともママに「みんなこうして大きくなったのだから大丈夫」と言ってあげて下さい。 その優しい言葉はママだけでなく、車内の人の気持ちも穏やかにしてくれるに違いありません。 ママと赤ちゃんを家に閉じ込める事は虐待にもつながります。 悲しい事件をなくすためにもママと赤ちゃんの外出に手を貸してあげられる社会を作っていきましょう。

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眉に唾を付ける

【漢字】眉に唾を付ける 【読み】まゆにつばをつける 【意味】騙されないように注意する。 【例文1】婚活サイトを眉に唾を付けながら閲覧する。 【例文2】眉に唾を付けてネットショッピングをする。 【例文3】詐欺に遭わないように眉に唾を付ける。 あやしげな話、疑わしい話に騙されないように用心することを「眉に唾を付ける」と言います。多くの場合「眉唾」という省略形で使われていますが、考えてみると大変に不思議な表現と言っていいでしょう。 どうして人の話に騙されないようにするために、眉に唾を付けるのか。調べてみても、「なるほど」と腑に落ちる答えがなかなか見つかりません。 「昔の人がキツネやタヌキに化かされないように眉に唾を付けた」というのが、どうやらこの言葉の由来のようですが、その理由がわからないのです。 落語を聞いていると、確かに昔の日本人は「タヌキやキツネは人を化かす」と考えていたようです。昔は暗い夜道などを歩いている時、不思議な現象、いわゆる怪奇現象に遭遇することが少なくなかったに違いありません。 それを、「タヌキやキツネに化かされた」と解釈したのではないでしょうか。 そこまでは、理解できます。しかし、眉に唾を付けると、なぜタヌキやキツネに化かされなくなるのかがわかりません。 「キツネは、人の眉毛の数を数えて化けるから、眉毛を唾で固めて数がわからないようにする」という説がありますが、この意味、わかりますか? 私にはわかりません。 「唾には魔を封じる霊力があると思われていた」という解釈の方が、私にはまだピンときます。

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目の当たりにする

【漢字】目の当たりにする 【読み】まのあたりにする 【意味】目の前で衝撃的な出来事が起こる事態。 【例文1】実際、強盗を目の当たりにすると声も出ない。 【例文2】事故の衝突の瞬間を目の当たりにする。 【例文3】いじめを目の当たりにする。 目の当たりとは目の前で衝撃的な事件や事故などが起こることを言います。目の前なのになぜまなのかがわかりません。 私は目の当たりにしたのは子どもの友達関係も事です。 小学2年生になる子どもが元気ないのでどうしたのか聞いても答えてはくれません。気になった私は朝、投稿する時の様子をベランダから見ていました。いつもは3人で登校しているのに今日は一人です。子どもが帰宅すると今日は〇〇君は休みだったの?と尋ねました。また返事がありません。翌日も息子一人でした。その後、いつもの2人が他の男の子と楽しそうに登校しているではありませんか。息子は友達関係で悩んでいるに違いありません。。学校から帰ってきても外に遊びに行く事もなくなりました。次第に息子から笑顔が消えさみしい思いをしているんだと目の当たりにしました。休みの日に近所の2つ年上のお兄ちゃんが遊びに来てくれました。その子のお母さんとは私が同級生で仲がいいので、相談したのです。あとからお母さんがクッキーを焼いて持ってきてくれました。子ども達は美味しそうに食べていました。お兄ちゃんも仲良く遊んでくれて翌日は一緒に登校してくれました。少しづつではありますが、元気を取り戻して親として嬉しいです。 

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真に受ける

【漢字】真に受ける 【読み】まにうける 【意味】言葉通り受け止める。 【例文1】生真面目な母は冗談が通じないから何でも真に受ける。 【例文2】子どもに冗談を言うと真に受ける。 【例文3】真顔で話すから真に受ける。 意外と大人が冗談で言ったことを子どにが真に受けて、大人になってそれが冗談だったということってあるんですよね。 ネットだかテレビだったか忘れてしまいましたが、ある人が子どものときに家で出されるカレーにちくわが入っていたらしくて、それを親がシーフードカレーだよと言っていたらしく大人になってそれを周りに話して笑われて初めて我が家だけ変だったというのに気づいたというエピソードが好きですね。 小さいときって、大人が言うことは正しいと思ってしまいがちなんですよね。 なので、大人は子どもにかける言葉に注意したほうがいいですよ。 ものすごく綺麗な顔立ちの子でも、親からあなたは可愛くないねとか可愛げがないねと言い続けられてすごく自己評価が低い子がいたりするんですよね。 大人に酷いことを言われて、そんなことないと思えるのならいいのですが、そうなのか私は可愛くないのかと受け入れちゃう真面目な子がいます。 そうなると周りの評価と自分の評価のギャップで混乱しちゃうんですよね。 なので、できれば小さい子にはその子のいいところを大人が認めて声をかけてあげられると子どもも自己肯定しやすいですよね。 やっぱり、大人でも存在否定されるよりも褒められたほうが気持ちがいいですもんね。 我が家には4歳の息子がいますが、彼と関わっていると、自分の言動に気を付けなければと思わされる場面が多々あります。なぜなら、息子は何でも真に受けるからです。ちょっとしたことでも何でも信じて受け止めるので、下手なことが言えません。 例えば、テレビを見ていて楽しそうな場所(遊園地や水族館、もっといえば海外など)が出てきて「行きたいなあ」というので、「みんなで行きたいね」とサラッと話すと、もう行く気満々で、その日から「いつ行くの?」「明日?」「何回寝たら行くの?」としばらくは言ってきます。そんなのは可愛い方で、こちらがイライラしてちょっと突き放すようなことを言ったり、脅すようなことを言ったりすると、本気で悲しんだり怖がったりするので、気を付けなければなりません。 客観的に見ると、何でも真に受けるのは純粋な心のあらわれだし、可愛いのですが、余裕がないとちょっとイラっとしてしまうこともあります。でも、これはきっと成長していくにつれて色々わかっていくので、だんだん何でも真に受けないようになっていくのでしょう。そう考えると寂しい気もします。 今だけの、何でも真に受ける息子とのやりとりを楽しみながら過ごしていきたいと思います。

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学びて時に之を習う、また説ばしからずや

【漢字】学びて時に之を習う、また説ばしからずや 【読み】まなびてときにこれをならう、またよろこばしからずや 【意味】学んだことが理解できれば嬉しくなるもの。 【例文1】諦めない精神が学びて時に之を習う、また説ばしからずや。 【例文2】子どもを褒めて伸ばす方針が学びて時に之を習う、また説ばしからずや。 【例文3】繰り返し学習することで学びて時に之を習う、また説ばしからずや。 「学びて時に之を習う、また説ばしからずや 」は『論語』の一節で、その後に「朋(とも)有り遠方より来る、また楽しからずや」という有名な言葉が続きます。こちらは「遠くから友達が訪ねてくるのは楽しいことだな」というような意味ですね。 さて、「学びて時に之を習う、また説ばしからずや」の方ですが、その意味は「学んだことを後から復習して理解を深めたり身に着けたりすることは嬉しい事だな」といった意味でしょう。「説ばしからずや」は「よろこばしからずや」と読み、楽しいとかうれしいという意味です。 この言葉は当たり前のことを言っているようですが、学習というものの本質を表していると言っていいでしょう。人間、学んだことが一度頭に入ると、それでわかったつもりになってしまいがちですが、一度覚えれば、それでそのことが正しく身に着いたとは言えません。 まちがった解釈をしてしまうこともあるでしょうし、表面的にしか理解できていないということもあるでしょう。 それを、何度も反復し、復習していく過程で、正しい理解をするようになったり、学んだことの本質がだんだんよくわかってくるものです。 孔子は「だから、私の教えたことも、一通り聞いてわかったつもりにはならず、何度も思い返して理解を深めていきなさい」と説いているような気がします。 それが真の勉強であり、そのことによって人間は成長していくのではないでしょうか。 「学びて時に之を習う、また説ばしからずや」は論語に出てくる言葉です。「学んだことを、機会があるごとに復習し身につけていくことは、なんと喜ばしいことでしょうか」という現代語訳になります。学んだことが身に着く、自分のものになる、これは喜びであると孔子は説いているのです。この言葉は「 有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。」と続きます。「友人が遠方からわざわざ私のために訪ねてきてくれることは、なんと嬉しいことでしょうか。 人が私を知らないからといって不平不満を言うことはありません。これを君子と言うのではないでしょうか」が現代語訳です。友人が遠方からわざわざ訪ねてきてくれるのが嬉しいというのは、誰にでも覚えのある喜びだと思います。それと同列に、学んだことが自分の血となり肉となることが喜びだというのです。ちょっと凡人には得難い感覚ですが、その後で虚栄心を諫める孔子は立派です。今年の夏のコマーシャルで高橋一生さんがブルースハープを、浜野謙太さんがトロンボーンを演奏し、東京スカパラダイスオーケストラとセッションを繰り広げるものが話題になりました。高橋さんはブルースハープを普段から手にしているそうで初披露となった喜びをコメントしていましたが、これも「学びて時に之を習う、また説ばしからずや」ですね。

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学びて思わざれば則ち罔し

【漢字】学びて思わざれば則ち罔し 【読み】まなびておもわざればすなわちくらし 【意味】学んだ知識をたくわえておくだけでは何も意味もない。 【例文1】実践しなければ、所詮学びて思わざれば則ち罔し。 【例文2】資格を取得しても職に就く気がないなら学びて思わざれば則ち罔し。 【例文3】専業主婦になって学びて思わざれば則ち罔し。 学びて思わざれば則ち罔し・・・時々聞く言葉ですが、この言葉の意味を正確につかんでいる方は意外と少ないかもしれません。 これはもともと論語の中にある言葉で、「知識を得ても、それを生かそうとしなければ、何の意味もない」と言う意味です。 ただ知識を得るだけならば、誰にでも機会があればできます。 特に今のようにネットや本などに情報が溢れている時代ならば、得ようと思えばいくらでも知識を吸収できます。 しかし、得た知識を本当に自分のものにできるのは、得た知識についてきちんと思考して、自分のものにできた人だけなのです。 得た知識を活用するために、自分なりにきちんと知識を咀嚼することの大切さを説いた言葉です。 どんな尊い知識も、知っているだけでは意味がなく、ただ頭の中に死蔵された状態と変わりません。 きちんとそれについて思考して自分のものにしないと、せっかく学んだことを生かすことすらできません。 自分は相当な量の知識を持っているが、どうもうまく生かしていないな、と感じている方は、その知識についてきちんと自分の頭で考えているか、本当に自分のものにできているかどうかを、一度じっくり自分に問いかけてみるといいかもしれません。

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まなじりを決する

【漢字】まなじりを決する 【読み】まなじりをけっする 【意味】目を大きく見開いて決意する。 【例文1】まなじりを決して進路を決める。 【例文2】まなじりを決して選んだ恋人に狂いはない。 【例文3】この人に間違いないとまなじりを決して結婚する。 まなじりを決するとは、目を大きく見開く。怒ったり、決意したりする様子のことです。「眦 を裂く」とも言います。この言葉は曹植の詩にある「目を張り眦を決す」から出た言葉です。曹植は三国志時代の魏の人です。曹操(武王)の息子で詩文の才能に優れていましたが、陳思王に封じられました。曹操(武王)と伯夷、叔斉の逸話は有名ですね。司馬遷の史記によると、周の文王のところに身を寄せていた伯夷、叔斉は、文王の息子武王が殷の暴君であった紂王を討つと決めた時、君主を討つことは道にはずれていると諫めますが聞き入れてもらえません。武王が殷を滅ぼし天下統一し、周を建国しても周の穀類を食べることを潔しとせずに、首陽山に隠遁生活をしながらワラビを採って食べていましたが、「ああ、ゆかん、命の衰えたるかな」という歌を残して二人とも餓死をしてしまうという話です。伯夷叔斉はもともと孤竹君という君主の息子たちで、一国の王子たちでしたが、父王が弟の叔斉を自分の跡継ぎにと考えていることを伝えられ、弟だからという理由で固辞した挙句、争うのは嫌だからと二人で国を捨てて文王のところに身を寄せてしまった二人なのです。高潔な人柄の例えとして称される彼らを、曹植はどう感じていたのでしょうね。

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俎板の鯉

【漢字】俎板の鯉 【読み】まないたのこい 【意味】鯉は捕まえてもバタバタするが、まな板に乗せて包丁で横腹の器官をなでると動かなくなる。逃げ場がなく観念せざるを得ない状況をいう。 【例文1】ひったくり犯が防犯カメラに気づいて俎板の鯉で自首してきた。 【例文2】挟み撃ちされ俎板の鯉だ。 【例文3】証拠写真を撮られ俎板の鯉だ。 テレビを見ていると、いろいろな事件や事故など世間がざわついたことがあると記者会見が開かれ、その様子がニュースやバラエティ番組で放送されます。 問題が起きたことを報告したりそのお詫びのための記者会見では、たいていの人が「俎板の鯉」という風情で神妙にしています。 顔は決して笑顔ではなく、それよりも真顔で血の気が引いているということもよくあります。 記者会見が始まると登場した当事者は、まず深々と頭を下げて反省の態度を表すというのが最近のスタイル。 涙を流して話をする人もいれば、おっしゃる通りと質問者に対して言い訳をしない人も結構います。 中にはちょっと変わった人がいて、反省しつつもせっかくお集まりいただいたんだからと、サービスで言わなくても良いことをペラペラしゃべってしまって後の祭りということもあります。 不倫や離婚についての記者会見では、結婚当時の夫婦がにこやかに二人そろって映っている動画を流されたりとさんざんです。 見ているこちらが楽しい気分になるものはなかなかありません。 と言って、そうした反省の記者会見が無いなら無いで、いつになったら記者会見をするのでしょうというバラエティ番組の司会者の言葉に頷いたりしてしまいます。 「こんな状況に置かれて、もう自分ではどうあがいてもどうにもならないよ。まさに俎板の鯉だ」などという言い方をした人は、多いかもしれません。 「俎板の鯉」-よく聞く言葉ですが、これは皆さんよく知るとおり、まな板の上に置かれた鯉のように、自分で自分のことをどうすることもできず、ただ状況に左右されるのに身を任せるしかない状態のことを言います。 まな板の上に乗せられ後は調理されるだけ・・・ぞっとしますが、人は往々にしてこのような状況に自らを置いてしまうことがあるものです。 手術を控えた患者さんが、手術台の上で手術を待つだけの状態になることをたとえて「俎板の鯉」と表現することも、非常によく聞くものですね。 「明日はいよいよ手術だ。ここまで来たら、俎板の鯉と覚悟を決めることにするよ」などとよく言われますが、緊張感と悲壮感の漂う、なんとも言えない差し迫った気持ちを良く表しています。 また、ただ受け身の状態でいるしかない状態を指すのではなく、抜き差しならない状態の下で腹を括る、覚悟をしっかりと決める、という意味で使われることもあるようです。 自分でどうにもならない状況に追い込まれるのは嫌なものですが、もしそうなったら俎板の鯉のごとく腹を括り、運命を受け入れる潔さを持ちたいものですね。

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俎板に載せる

【漢字】俎板に載せる 【読み】まないたにのせる 【意味】話題に取り上げる。 【例文1】会議で俎板に載せる。 【例文2】俎板に載せたネタで盛り上がる。 【例文3】経験談を俎板に載せる。 人は何かしら問題が起こると、それを会議にして取り上げたり、ときには批評をしたりします。もちろん悪い問題が起きたのであれば、早めに話し合いをして改善策を打ち立てておかないと、また同じ問題が起こってしまいますから、それは仕方ないことでしょう。特に会社や部活といった組織であれば、組織を健全に運営していくためにも、そうした話し合いは必要不可欠だと言えます。しかしこのような問題ばかりを俎板に載せるのではなく、ときには別のことも話題として取り上げてみるのも良いのではないでしょうか。 もし会社で、誰かが何か良い発言をしたとしましょう。どんなに些細なことでも構いません。仮にその発言が、会社の利益になるような大きなものではないにしろ、良い発言であったのなら、それらを話題として取り上げてみることも良いのではないでしょうか。話題として取り上げられた人は照れくさい気持ちになるかもしれませんが、良いものは良いときちんと褒めてみるような場も、ときには作ってみて良いと思います。問題に対する改善策を考えることも必要ですけれど、ときには『今ある良いもの』を話題として取り上げてみることも、やってみてはどうでしょう。改めて周りを見渡してみると、思っていたよりも良いものがたくさん見つかるかもしれませんよ。

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的を絞る

【漢字】的を絞る 【読み】まとをしぼる 【意味】対象の範囲をより狭くして狙いを定める。 【例文1】的を絞って詮索する。 【例文2】容疑者の的を絞る。 【例文3】テスト勉強の的を絞る。 やることが多すぎるため、何から手を付ければ良いのか分からなくなってしまう事が度々あると思います。やることが少ないならまだ何とかなりそうですが、多すぎると困ってしまいますよね。そういうときは優先順位をつけてみることをおすすめします。また優先順位をつける際は、頭の中で考えるだけでなく、紙に書きだしてみた方が客観視できるので良いです。 優先順位の付け方ですが、たとえばやること全ての期日に余裕があるなら、早く終わりそうなものから優先順位をつけていって良いかもしれません。逆に期日に余裕がないものがあるなら、期日が早いものから優先順位をつけるのが良いでしょう。もしかすると優先順位をつけたことにより、実はやらなくても問題ないようなものが紛れ込んでいた、ということもあるかもしれません。仮にこうなったとしたら、棚からぼた餅といった気分になりますね。 優先順位をつけていけば、自ずと何から手を付ければ良いかが明確になります。こうなると、やることの的を絞ることができるので、気持ちにも余裕が生まれます。

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的を射る

【漢字】的を射る 【読み】まとをいる 【意味】物事の要点を抑えている。 【例文1】的を射る発言をする。 【例文2】的を射る講義だ。 【例文3】的を射て説得させる。 これは僕が剣道の教育をしていた時の話です。人数も少なく、ぜんぜん勝てませんでした。そのとき教えた僕の初心者の生徒たちの顔を今でも覚えています。その当時、仕事の都合上、僕がメインをすることが多く、僕の先輩は少しサブメインでした。子どもたちの教育を変えて少し進化した教育をしたいと思うようになったんです。その教育がその当時の子どもたちに評判がよかったんです。僕を先生と慕ってくれたし、いわゆる魔法と少し近い教え方だったと思います。 その教育でやる気があって飽きない教育だったり、試合も活躍もそこそこだったり、子どもたちのやる気の出るような教育にしました。否定もそこそこで流動的な説明で子どもたちを引き出していい剣道をさせるという目的というのがしっかりできていたんだと当時を振り返ります。僕は教育上、暴力や体罰は全くない先生でした。剣道界ではそれを否定する先生が多かったんですが、そういわれても僕はそれでよかったと思うんです。 僕に体罰ふるって嫌われる先生はむいてないとそう思うわけです。人柄教育もあって仲間意識をしているので子どもの暴力があったときはそのときはしかったりもしていました。しかし僕が教育する時はそういった子どものケンカも少なかったと思います。割とやる気がある子どもたちじゃないかと思うことが多かったです。 的を射るとは、うまく目標に当てることから、転じて、うまく要点を掴むことを言います。うまく目標に当てるという状況としては、弓道で遠くにある的の真ん中に矢を射込む事を想像すれば良いでしょう。つまり、何事もその要点を的確に掴むことを言い表す言葉になりました。 例えば、ある学生が教授にずばりと的を射た質問をしたなどと使います。また、あの会社が開発した車は現代の人たちの必要とする的を射た物だというようにも使うことでしょう。しかし、好きな人のハートを射貫くことは的を射たとは言わないようです。ですが、プレゼントに関しては、的を射た物と言う言い方ができます。同じような言葉としては、正鵠を射るというものがあります。正鵠とは的のど真ん中を表しますから、同じ意味になります。 しかし、時々的を得るという言葉が使われることがあります。つまり、的の中心を射ているのだから、的を手に入れた、つまり得たのだという意見もありますが、これはまだ一般には認められていない言葉のようです。いくら、理由を述べて正解だと主張しても、受け入れられていない言葉なので、使わないことをオススメします。会社などで使った場合、問答無用で物知らずと判断されるかもしれませんから。

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待てば海路の日和あり

【漢字】待てば海路の日和あり 【読み】まてばかいろのひよりあり 【意味】今は困難な状況であるが、焦らずに待てば好機がやってくるもの。 【例文1】売り上げが落ち込んでいるが、待てば海路の日和ありで連休の客足に期待する。 【例文2】待てば海路の日和ありで婚活する。 【例文3】会社再建は待てば海路の日和ありだ。 現在は気象衛星やレーダー観測などで大きな天候の崩れを事前にある程度知ることが可能となりました。 そのような科学技術がなかった時代には、頼りになるのは経験と勘だけですから危険と思われる状況はとにかく避けるしかありません。 特に帆船が主流の時代では嵐で遭難・転覆する船は多かったはずです。 天候の怪しいときに出向するなど持っての他、愚直に天候の回復を待つのが正しい判断というものです。 そのような考え方から出来た言葉が「待てば海路の日和あり」で、良い機会が巡ってくるまで待つべきという意味です。 似たような言葉に「果報は寝て待て」や「人事を尽くして天命を待つ」などがあります。 どちらにせよ、その時点の状況が個人の力や人間の力で覆すことの出来ないならば、状況が好転するまで変化をじっと待つしかないということです。 しびれを切らして攻勢に出て返り討ちに遭って大敗北などという例は、枚挙に暇がないくらいです。 それもこれも、時は金なりという対極的な事実が更に人の心を急かすからでしょうか。 成功を望めば望むほど、功に逸って失敗するのは多くの先達によって繰り返された人類の歴史でもあります。 時期が早すぎても失敗、遅すぎても失敗、天の時を見極めて成功にたどり着くのは難しいことなのです。 待てば海路の日和あり。今は良くない状況でも待っていれば必ず良いことがあるという慣用句です。 人生禍福は糾える縄の如しで良いことと悪いことは交互にやってきて、結果プラスマイナスでいうとゼロになるような気がします。逆に言うとゼロからいくらでもプラスマイナスの要素を生み出せるという事です。 宇宙が何もない無の状態から生まれたように無、ゼロでも何かを生み出せるのだと思います。そして私は良いことと悪いことの振れ幅が出来るだけ小さい方がいいなと思って日々を過ごしています。 大好きなブルーハーツの歌「情熱の薔薇」にもそんな歌詞がありました。なるべく小さな幸せと、なるべく小さな不幸せ、なるべくいっぱい集めよう、そんな気持ち分かるでしょう?私はこの歌詞が大好きです。あまり大きな幸せが来ると逆に次は大きな不幸せがきてしまいそうで怖いからです。人生プラマイゼロの法則があるとすればそういうことになりますからね。 待てば海路の日和ありでじっと良いことを待っている時もありますが、ただ待っているだけではだめなのかな?と思います。何か自分で少しでもアクションをとってよい方へ向かう努力も必要だと思います。チャンスは準備した人に訪れる!それを信じたいと思います。 何か目標を立てて、それに向かって努力をするのはエネルギーがいります。小さな目標であれば数日で済む場合もあるかもしれませんが、大きな目標であれば数年もかかることもあるかもしれません。とはいえ努力と一言でいっても、その結果が現れるのは時間がかかることでしょう。もしかすると努力の途中で、目標に向かうことを諦めてしまいたくなるときもあるかもしれませんね。ですが待てば海路の日和ありといったように、辛抱強く待っていれば、きちんと結果として現れることだってあります。 そうはいっても中には、努力しても求めていた結果が現れなかったという人もいると思います。しかし努力を始めない限りは、求めている目標に到達できるわけがありません。それに努力の結果が出たときに、それがもし求めていた目標とは異なるものであっても、それはそれであなたの大事な力になるのではないでしょうか。簡単な例を挙げるとすれば、足が遅い子が徒競走で1位になるために毎日走る練習をしていて、運動会の徒競走での結果が2位だったとしても『走るのが速い』という力を得たことには変わりありません。努力するのは大変ですが、辛抱強く努力を続けることで、何かを得られることは確かでしょう。

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待てど暮らせど

【漢字】待てど暮らせど 【読み】まてどくらせど 【意味】ずっと待ち続ける様子。 【例文1】遊びに行ったまま、待てど暮らせど帰って来ない。 【例文2】待てど暮らせど待ち合わせ場所に来ない。 【例文3】待てど暮らせど返事が来ない。 進学や就職を機に、地元を離れていってしまう人は多くいます。それは家族、友人、恋人など、色々な人が故郷から離れていってしまうでしょう。地元を離れた人は、数週間や数ヵ月はホームシックになって、地元に残っている人に連絡をしたり、会いにいくこともあると思います。ですが人間は環境に適応していく能力が備わっているため、人によっては地元に戻ってくる回数が減ってくることもあります。そうしたとき地元に残っている方としては、寂しい気持ちになったり、早く戻ってこないかとか、連絡がこないかなど、相手を恋しく思う気持ちが出てくるかもしれません。待てど暮らせど便りがない場合、心配になるでしょう。 しかしよく考えてみてください。もし地元を離れていった相手が、なかなか地元に戻ってこないといったときは、地元に残っている人の方から相手に会いに行くのだって有りです。地元に残っている方からすれば、馴染みの無い土地に行くわけですから不安かもしれません。ですがどうしても会いたくなったときは、一歩勇気を出してみましょう。ただし会いに行く際は、きちんと相手に連絡を取ってから行ってくださいね。でないと相手も、あなたのことをきちんとお出迎えできませんから。

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末席を汚す

【漢字】末席を汚す 【読み】まっせきをけがす 【意味】尊敬している人たちの会合に参加する。 【例文1】末席を汚させて頂きます。 【例文2】名誉ある会合の末席を汚す事ができて光栄です。 【例文3】司会の末席を汚させていただきます。 「末席」とは、格下の者が着く席を表わす「下座(しもざ)」のことで、末席を汚すとは座ることさえためらいがあるくらい、目上や尊敬する人々の集まりに参加させてもらう時に謙遜して使う言葉です。 なぜ尊敬する人の集まりに汚すなんて言葉が使われるのか府に落ちません。 私は20代の頃に高校の先輩にネットビジネスに勧誘されたことがあります。誰でも儲かるなんだか怪しいなと思いつつも断れなくて会合に参加する前に詳しく話を聞きたいと申し出て、喫茶店で先輩と待ち合わせをしました。 体験談を聞くと不信感は一気に吹き飛び意欲が増しました。 1ヶ月後、正装をしてホテルに連れて行ってもらいました。私のような若者はおらず、末席を汚す思いで緊張してあまり覚えていないのが正直な感想でした。私の引き継ぎが終わるまで本業とネットビジネスを掛け持ちして業務をこなしておりましたが、本業1本に絞ったところネットビジネスを初めて2年間は儲けさせていただいたが、従業員を1人増やして拡張したところ3年目で業績不振で辞めてしまいました。

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末期の水

【漢字】末期の水 【読み】まつごのみず 【意味】亡くなった方の唇に人生最後の水をつけて送り出すお別れの儀式。 【例文1】安らかに旅立てるように末期の水を行う。 【例文2】心を込めて末期の水を行う。 【例文3】あの世で水に困らないように願いを込めて末期の水をとる。 亡くなったあの方に「末期の水」をとらせよう・・・近親者を亡くしたりしたことのある方なら、誰もがこのような形で「末期の水」を言う言葉を耳にしたことがあることでしょう。 臨終を迎えた方が、その直後に近親者の手によって、端に脱脂綿を巻き付け水を含ませたもの(筆の場合もあります)で口元を潤してもらうことで、普通は臨終の直後に行われるものです。 一般的には、喪主が最初に末期の水をとらせ、その後は亡くなった方の配偶者や子どもなど、近い関係の人が順番に続きます。 さて、どうしてこのように亡くなった直後の方の口を水で潤す風習が生まれたのかと言いますと、それは昔、お釈迦様が自らの死期が近いのを悟り、周りの弟子に「喉が渇いたので、水が欲しい」と頼み、浄水を口に含んだ後に入滅されたという故事があるからなのです。 またこの時、お釈迦様やその弟子の周囲には水がなく、信心深い鬼神が浄水を運んできてお釈迦様に飲ませたという言い伝えもあります。 このことから、人が亡くなった際、水をその口に含ませることによって、死者があの世で浄水に困らないようにしようという風習が生まれました。 なお、仏教によるお葬式ならば、全てこの風習が行われるというわけではなく、宗派によっては全く行わないところもあります。 「末期の水」をとらせる、という風習は、亡くなった方に対して周囲の人間たちができる最後の行為ですので、心を込めて行いたいものですね。

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待ちに待った

【漢字】待ちに待った 【読み】まちにまった 【意味】ずっと心待ちにしている様子。 【例文1】明日は待ちに待った卒業旅行だ。 【例文2】明日は待ちに待った娘の結婚式で眠れない。 【例文3】待ちに待った待望の男の子誕生に歓喜する。 一ヶ月も二ヶ月も前から友人と計画してきた旅行が二日後に迫ってきました。待ちに待った旅行です。観光業に携わる私は普段から色んな観光地に出かけているが、やはり娯楽として旅行に出かけるのは特別です。仕事ではセーブされている財布の紐もゆるゆるになるし、より一層開放感を味わえます。何を食べようか、何を見ようか・・・・・・パンフレット片手に思いをはせます。観光地に疎い友人は申し訳なさそうに、予定の組み立てを私に任せてきますが、頼られるのが好きな私は張り切って予定を組み立ててます。今回旅をするのは神戸と京都です。神戸では去年からずっとドレスが着たいと話していたので、西洋のドレスを着て撮影ができる場所へと出向きます。宿泊施設も安く押さえる事ができました。ホームページを見る限りではロマンチックなドレスが数多く取り揃えられていそうなので、今から楽しみです。そして夕方以降は夜の神戸でお酒を飲みながら美味しい食事をとる予定です。京都では浴衣を着て、趣ある京の街並みを散歩します。京都らしく、お抹茶を飲むのもいいねなどと話しています。毎日仕事に明け暮れて、ストレスを背負う中で楽しみとしていた日が、もうすぐやってきます。待ちわびていた日が、あともう少しで訪れると思うと楽しみで胸がいっぱいです。 私は四年前に旅行先で山に登ってから登山が趣味になりました。山が好きになり、いろいろ山のことを調べているうちに、ひとつの山に憧れるようになりました。その山は槍ヶ岳という山です。槍ヶ岳は標高3180mあり、鋭角な槍のような形をした山です。山のことを知っていない人にもそのシルエットはとてもわかりやすい形をしています。山頂直下は垂直な長いはしごを登ったり、ごつごつの岩肌をクライムする少し度胸と技術のいる山です。いつかあの山を登りたい。そんな思いを抱くようになりましたが、今の私はまだ経験が浅く、槍ヶ岳に挑むのは危険すぎる。と思い、経験を積んでいつか槍ヶ岳に登るぞという思いを胸に私は経験値をあげるためにたくさんの山に登りました。どんな山に登っていても思うのは槍ヶ岳のこと。早く槍ヶ岳に登りたいと待ち焦がれながらの日々でした。槍ヶ岳に憧れを抱いてから約三年。私は待ちに待った槍ヶ岳に登ることになりました。気持ちが高ぶり、その姿を目の前にしたときは感動で涙がでそうになりました。無事に登頂できたとき私の心は達成感や満足感でいっぱいになりました。山頂から見える景色は抜群で、山小屋で食べるカップラーメンも格別でした。約三年間、待ちに待ったかいがった槍ヶ岳登山でした。そして改めて登山をしていてよかったと思えた思い出でした。

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待たれる身より待つ身はつらい

【漢字】待たれる身より待つ身はつらい 【読み】またれるみよりもまつみはつらい 【意味】待たせている方も辛かろうが、待つ身はもっと辛い。 【例文1】待たれる身より待つ身はつらいので、お互い時間はきちんと守ろう。 【例文2】遠距離恋愛は待たれる身より待つ身はつらい。 【例文3】交際の返事が待たれる身より待つ身はつらい。 「走れメロス」の登場人物でメロスの友人「セリヌンティウス」は、待たされて辛い思いをした人ランキングのトップ10に入ると思います。 最終場面でメロスとセリヌンティウスは、互いに相手を完全には信頼していなかったことを告白しあい一発ずつ相手を殴ります。 どう考えても、セリヌンティウスのパンチはメロスのパンチよりも重かったと思えます。 勝手に王様と喧嘩した挙句に、勝手に人質に指名され、指定時間ギリギリまで戻ってこないとか許し難いにも程があります。 現代に置き換えれば、借金の保証人レベルの責任を自分の意思と無関係に負わされるような事態です。 普通の人間であれば、人質に指名された時点で絶縁状を叩きつけた上から拳が飛んできそうです。 加えて三日も拘束された上に、間に合わなければ命が奪われるという理不尽さは到底受け入れられません。 セリヌンティウスの人格者ぶりには、感嘆するとともに全く理解が追いつきません。 走れメロスの作者太宰治は、実際に借金の形に友人を残して金を取りに戻ったという話があります。 金を取りに戻ったものの工面がつかずに友人は放ったらかし、当然友人は大激怒です。 そのエピソードが走れメロスの元となったという話もありますが、待たれる身より待つ身はつらいを太宰は全く理解していないと思います。 激怒する友人に「待たせる身が辛いかね」というような言い訳をするあたりには友人失格の称号を贈りたいくらいです。

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股に掛ける

【漢字】股に掛ける 【読み】またにかける 【意味】世界各地を巡ることで、商売や活躍が広範囲に渡っているという意味。 【例文1】世界を股に掛けて活躍した選手。 【例文2】世界を股に掛ける職業に就く。 【例文3】ネットの普及で世界を股に掛ける。 世界を股に掛ける、七つの海を股に掛けるは言い回しとしても結構よく聞く機会があります。 七つの海は、南北のそれぞれの太平洋・大西洋と北極海・南極海・インド洋で合計7つですが、北極海や南極海までわざわざ行く人がいるでしょうか。 調べてみたところ時代によって七つの海は定義が異なるようで、中世のヨーロッパでは大西洋・地中海・黒海・カスピ海・紅海・ペルシャ湾・インド洋で七つの海だったそうです。 ここで疑問ですが、広く各地を移動することを「股に掛ける」と表現するわけですが、どの程度の範囲というか広さがあれば使える表現なのでしょう。 範囲を少しずつ狭めていけば何となく分りそうなのでやってみます。 「日本全国を股に掛けて商いをする」 これは世界規模から比べるとかなり狭く感じられますが、日本語しか話せない私からすれば移動できる全ての範囲を意味するくらいですから十分に許容範囲です。 「関東一円を股に掛けて」 さらに範囲を絞ってみましたが、居住人口や経済規模から考えると十分な広さといえるでしょう。 「秋田県全域を股に掛けて」または「秋田市全域を股に掛けて」 さすがに怪しくなってきましたが、移動手段などを考えれば結構な広さ言えなくもないという言い訳は通りそうです。 「町内を股に掛けて」 無理がありすぎて、うまい言い訳も思いつきませんでした。 一般的な個人が大した気概もなく股に駆ける(意図的な誤表記です)ができるならば、それは「股に掛ける」とは表現できないということがとりあえず判明しました。

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またとない

【漢字】またとない 【読み】またとない 【意味】もう二度とないであろう好機。 【例文1】彼女と二人になるまたとないチャンスが来た。 【例文2】またとないチャンスはもうないよ。 【例文3】またとない今がお買い時だ。 またとないとは、絶好の機会やチャンスを意味します。使い方としては、「スーパーの半額セールはまたとないチャンス」や「これを逃せば昇進できないまたとない機会」など。良い状況をピンポイントで逃さないことを示唆する言葉ではないでしょうか。 日常でも頻繁に使用する方はたくさんいて、人生を変えるチャンスが到来している様子が浮かびますね。また苦しんでいることからの解放を期待するイメージもあり、必ず成功させて流れを変化させたい強い意志も感じる言葉です。 私は「またとない」チャンスは何度か経験してきましたが、多くは失敗に終わっています。一つは会社で昇進の話がありましたが、いつのまにかその話が破たんしてしまいガッカリしました。また、ずっと欲しかった映像ソフトが販売されており、またとない購入チャンスでしたが、数秒目を離した隙に売り切れていました。 チャンスを物にする方は凄いと感じますね。私はまたとない機会が訪れると緊張して足がすくみます。「この機会を逃したら、もうこんなチャンスがいつ来る分からない」と思い、肩に力が入ります。絶好のタイミングを逃した後の虚無感は経験したくないので、逃さないように懸命になりたいです。

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間尺に合わない

【漢字】間尺に合わない 【読み】ましゃくにあわない 【意味】寸法が合わないとか計算が合わないという意味だったのが、努力した割は利益が合わないに変わっていった。 【例文1】間尺に合わないバイト。 【例文2】寝ずに仕事をしても間尺に合わない。 【例文3】働きづくめでも間尺に合わない。 間尺に合わないって言葉は日常ではほとんど聞かないですね。 尺という文字が入っているように、寸法が合わないというところから今では割に合わないとか損になるという意味で使われています。 大人になるにつれて、損をするということを嫌がることが多くなりますね。 子どもの時は楽しいとか、面白そうという動機で何かをしていたのに年を重ねると得になりそうとか、役に立ちそうという理由で何かをするってことが増えてきます。 ただ、損得ばかり考えているとつまらない人間になりそうです。人生なんて自分の損得で測りしれるような単純なものでもないですしね。 なので、損するとかそんなことを考えないで得にならない面白そうだと思うことを大人もどんどんやっていったほうがいいですね。 むしろ、損をしてでもやってみたいと強く思う所に夢や希望といった、ちょっと言葉にすると恥ずかしいですが、何か楽しい未来があるような気がします。 何か面白そうだからやってみた、というような一見能天気な大人がいてもいいと思うのです。 それで始めたことが例え失敗だろうが上手くいかなかっただろうが楽しそうにしていたら、子どもたちも大人になるのも悪くないなって思うんじゃないでしょうか。 間尺に合わないとは、損得勘定をした場合、割に合わないことを言います。また、努力に見合うだけの利益の無いことも言います。 間尺とは、何を表すのでしょう。間尺というのは、建物や家具の寸法の単位です。「間」と「尺」の事を表します。間はけんという単位のことです。大工さんなどは今でも一間、二間などと間口の幅を言ったりします。 間尺に合わないということは、本来は寸法が合わないと言うことなのです。これが、転じて計算が合わないと言う意味になり、更に割に合わないという意味に用いられるようになりました。 今では余り使われない寸法の単位を使った言い回しですが、現代でもこの言葉だけはまだまだ使われています。 例えば、彼が成功すると思ってお金を融通したのに、あんな大失敗をするなんて、全く間尺に合わないよ、などと使います。また、自分の時間も惜しんでしっかり仕事をこなしたのに、昇級試験では全く評価されなかった場合なども、間尺が合わないということでしょう。何かをするときに、その結果に期待ばかりして行動するのもいかがなものかと思いますが、やはり人間の行動には利益がなくては淋しいものです。間尺があわないような努力は極力しない方が無難です。

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勝るとも劣らない

【漢字】勝るとも劣らない 【読み】まさるともおとらない 【意味】勝ってはいるが、劣ってもいない。 【例文1】弟子の作品の腕が上がり勝るとも劣らない。 【例文2】勝るとも劣らない試合だった。 【例文3】勝るとも劣らない難しい審査。 「勝るとも劣らない」、互角かまたはそれ以上という意味です。 実際に自分ではかなわないと思っている相手を対象に「勝るとも劣らない」言われれば気分もいいです。 自分では劣ってると思っていたのに第三者の目で見れば互角かそれ以上という評価を得たんですから。 でもこの「勝るとも劣らない」は対象者を間違えると相手を怒らせてしまうかもしれません。 自分では比較するほどでもない、自分のほうが格上だど思っている対象者と比較され「勝るとも劣らない」と言われたら自分は勝っていると思っているのに互角程度に思われているのかと気分を損ねてしまいかねません。 そのため「勝るとも劣らない」を使うときは、ちょっと大げさぐらい格上の人と比較してあげなければいけません。 息子は武道を習っているので、今度使ってみようと思います。 試合ではいつも優勝はできず、2位か3位の成績です。 次回も優勝できなかったら彼に「勝るとも劣らないいい試合だった」と声をかけてあげようと思います。 1位と比較して勝るとも劣らないといってあげれば彼の次の試合の励みにもなるかもしれません。 しかし・・「劣ってるから負けたんだよ!」だと逆切れされそうな気もします。めんどくさいお年頃なんで・・

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摩擦を生じる

【漢字】摩擦を生じる 【読み】まさつをしょうじる 【意味】意見の違いからもめ事が起こる。 【例文1】文化や風習の違いから摩擦を生じる。 【例文2】平成生まれと昭和初期生まれの考えは摩擦を生じる。 【例文3】田舎育ちと都会育ちでは摩擦を生じる。 「摩擦が生じる」は何かのきっかけで人間関係に亀裂が入ったり、取引先とのトラブルで摩擦が生じるなど、様々なケースで使われる言葉です。 意味としては関係に不具合が発生した時を表すことが多い印象ですが、まだ関係を修復できるような気配を感じます。類義語に「不仲になる」や「亀裂が生まれる」、「確執が生まれる」などがありますが、摩擦が生まれただけで、確定的に不仲にはなっていません。亀裂はもう亀裂が入っている時点で修復するのは難しいですし、確執が確定的にギクシャクしていることを表していますね。 意味は似ている言葉が非常に多くて、使用する際には何の言葉をチョイスするか混乱してしまいます。関係性に暗雲が立ち込める時に使用すると良い具合になるのではと考えています。 しっくりこない時や相手との壁を感じる場合「何だか摩擦が生じたみたいだ」と表現したり、意見がかみ合わない、ほころびを感じてしまう場合にも摩擦を生じる意味が伝わるでしょう。 社会人となったら頻繁に使用する言葉で、特に取引先との関係性を表す言葉として便利です。できれば友好的な関係を築きたいですが、どんなに上手く取引をしたとしても相手にとって不服なら簡単に摩擦が生じてしまいます。

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まさかの時

【漢字】まさかの時 【読み】まさかのとき 【意味】急に事態が悪化する。 【例文1】まさかの時に備えて家族の非常袋を準備している。 【例文2】まさかの時を未然に防ぐため対策を取る。 【例文3】まさかの時に備えて非難場所を確認する。 突発的に緊急事態が発生したならば、逃げ出すだけで精一杯としか思えません。 持ち出すものを予め準備していたとしても、手に持とうが背負おうが動きが鈍ることに変わりはないでしょう。 全力で避難するならば後のことなど考えず、自分の身体ひとつで逃げ出すのがベストな選択だと思います。 災害に備えて水や食料を普段から蓄えておくのは別の話です。 供給が止まっても短い期間ならば凌げる程度に用意しておくのは、自治体など役所からも言われています。 それを全部かかえて避難するなど不可能だし、可能だとしたら事態は緊急性や重大性がないということになります。 実際のところ、先の大震災で一番困ったのは停電でした。 電気が止まった状態では、冷蔵庫も洗濯機も使えず、明かりは懐中電灯のみです。 網の目のように張り巡らされたライフラインに張り付くことで生きていることをまざまざど実感させられました。 避難する必要のない場所を住居とするか、避難先を予め作っておけばよいのかもしれないが、予算的にも厳しいものがあります。 まさかの時や状況が起きる可能性は限りなく小さいのが普通だが、先のことなど誰も予想がつきません。 出来る限り災害被害に巻き込まれない準備をして、壊滅的な災害が身近に発生しないことを願うばかりであります。 以前の私はパソコンでインターネットを使っているにもかかわらず、何もしていませんでした。 時々ニュースで、インターネット経由でパソコンがコンピューターウイルスに感染して、個人情報が漏れてしまったと言う話を聞いていましたが、それは単に運が悪かっただけで、自分は運がいい方だから大丈夫と考えていました。 ところがしばらく経った頃、パソコンがやたらと重く感じます。 パソコンのメーカーに相談をしてみました。 そしたら何と、コンピューターウイルスが入り込んでいる事がわかったのです。 コンピューターウイルスがパソコン内の情報をインターネットを通じて外部に送っていたので、パソコンが重くなってしまっていたのです。 幸いパソコン内には大した個人情報は入っていなかったので、被害は最小限に食い止めることができました。 この体験からまさかの時の為にセキュリティソフトを導入しました。 多くの人が私のように、セキュリティソフトを導入していない人がいるかもしれませんが、まさかの時に備えて今すぐセキュリティソフトを導入すべきです。 人生の中にはまさかの時があるものです。 そのような時はただ目の前のことを一生懸命にやっていくだけで、先のことを考える余裕はありません。 私が今までまさかの時を経験したことはいくつかあります。 その一つが大地震でした。 それほど大きくない揺れは子どもの頃から時々経験してきました。 それに慣れてしまっていたのも、不注意だったのかもしれません。 まさかこんなに大きな地震が来るとは思っていなかったというのが、当時の本音です。起きたばかりの時はこれが現実なのかどうかを考える余裕もありませんでした。 しばらく部屋の中にいましたが、度重なる大きな揺れで家が倒壊するのではないかという恐怖が襲ってきました。 さらに、家の外から叫び声が聞こえてくるようになりました。 そこで、外に人がいることが沸かし、自分も外に出ようと思いました。 それからも大きな余震がひっきりなしにやってきました。 その光景はまるで戦争のような感じがしました。 私は戦争体験者ではありませんが、もし戦争が起きたら街も人もパニック状態になり、このような状況になるのだろうと思いました。 まさかの時は突然やってきます。 しかし、乗り越えられないことはないということも同時に学びました。 震災を経験して、今を生きることの大切さを学びました。

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馬子にも衣装

【漢字】馬子にも衣装 【読み】まごにもいしょう 【意味】どんな人でも着飾れば立派に見えるものである。他人から言われたら、褒め言葉としては捉えられない。自分に対しての謙遜の意味。 【例文1】A「立派な袴姿ですね。」 B「いえいえ、馬子にも衣装ですよ。」 【例文2】品良く見られるために馬子にも衣装のスーツを買う。 【例文3】父から袴姿が馬子にも衣装だなと言われた。 馬子にも衣装とはどんな人でも身なりを整えていれば立派に見えるということです。 昔の職業に身分の低い馬に荷物を載せて馬を引く人がいました。身分は低くともそれなりの衣装で調えると立派に見えるということからきています。 しかし、この言葉は誰にでも使う褒め言葉ではありません。 立派に見えると相手に褒めたつもりで言っても、それは着飾っているもののおかげだよという意味が込められているのです。 「馬子」が「孫」と勘違いしている人も少なからずいるようです。 「馬子」なんていう職業があったことすら知らないんですから、姑が孫に(普段男の子に見られがち)赤い洋服を着せると「可愛いね、まごにも衣装だね」と悪気なさそうにお嫁さんに言う場面もあるようです。 正しい使い方は人に言われて自分が謙遜する言い方です。 たとえば成人式などで、スーツ姿を見た近所の人が「立派になって~」と言われたら「ありがとうございます。馬子にも衣装ですよ。」 親が面接試験に行く子どもに「馬子にも衣装だな」というふうに使うことができます。 間違った意味で覚えてしまったり、間違った使い方されている言葉って少なからずともありますよね。ことわざの「馬子にも衣装」(まごにもいしょう)が典型的な例だと思います。 そもそも「馬子にも衣装」ということわざの意味は、どんな人でも身なりや衣装を整えれば立派に見えることのたとえです。類義語として、「着るもの次第」(きるものしだい)等があります。 「馬子にも衣装」で一番間違った使われ方で有名なものは「馬子にも衣装」の「馬子」という漢字が「孫」にされ、「孫にも衣装」と使われている誤用だと思います。意味も本来の意味とは違くなって使われていて、いかなる服を孫に着させても可愛いという間違った意味の使われ方をしています。 そもそも「馬子にも衣装」の「馬子」とは、駄馬に人や荷物を乗せて運ぶことを職業にしていた人のことを指し、身分が低い人のことでした。そんな身分の低い「馬子」のような人でも羽織袴を着れば、立派に見えることから「馬子にも衣装」の意味である、どんな人でも身なりや衣装を整えれば立派に見えるという意味になりました。 普段私たちが日常で使っている言葉でも、「馬子にも衣装」のように本来の意味ではない使われ方している言葉が沢山あると思うので、普段の生活から言葉の意味や語源、由来について調べる習慣を身に付けた方がいいですね。 馬子にも衣装とは、どんな人間であっても身なりをしっかり整えれば立派に見えることのたとえを言います。 このことわざは間違った使い方をしている方が多く、 馬子を孫と捉えて覚えている方が多いようです。その為「孫にも衣装」が孫はどんな服を着ていても可愛いといった使い方をしている方もおられます。 しかし実は馬子にも衣装の馬子とは、馬を引いて荷物や人を乗せて運搬する仕事に就いていた人のことを言います。この馬子の仕事をしている人は下働きや身分の低いものとされていました。普段はこのような仕事ですので汚れてもいいような服装をしていますが、村の結婚式の時には馬の上に綺麗に着飾った花嫁さんを乗せるそうです。その時は馬子も礼儀として良い衣装を着ていたようです。それを見た村の人達が驚いてこのことわざができたとされています。 つまり、馬子にも衣装とは一見いいことわざのように思いますが、由来は下働きの人でも良い衣装を着たらそれなりにも見えるということなので、間違っても「かわいい」と言う意味では使わないことです。 このことわざは相手に使うと失礼に値しますし、馬に関係ある仕事をしている人にも失礼になりますので、誤解やトラブルにならない為にも意味合いをしっかり理解し安易に使わないようにしましょう。

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負けるが勝ち

【漢字】負けるが勝ち 【読み】まけるがかち 【意味】勝ちを譲って一見負けたように思うが、争い事は避けた方が得策である。 【例文1】先に妥協して名声を得、負けるが勝ち。 【例文2】負けるが勝ちでドヤ顔されるのもなんだかなー。 【例文3】頑固者には言うだけ無駄。負けるが勝ち。 負けるが勝ち、これは争わずにいったん相手に勝ちを譲った方が、結果的に自分が有利になって得をするといった意味です。例えば仕事上の会議の場である人と意見が全くあわないで討論になったとします。自分の発言に対していちいち反論して否定してくる普段から虫の好かないやつです。でも会議の時間は限られています。他に決めていかなければならない案件もまだ多く残っています。 そんな時にある程度の道筋が出来ていれば、彼の反論は受け入れて結論へと進めていきます。彼の反論に対して反論できない反論も頭の中にはあるのですがそこはちょっと「負けて」上げて、議論を終わらせます。「負けて」あげるのはもともと気に入らないヤツで少し癪に障りますが、他のメンバーももうこの議論にうんざりして早く次に進んでもらいたい状態です。ここで一歩譲って「負けて」あげても、案件の結論としては満足できるものであればあなたに損はありません。またほかのメンバーの評価も「負け」て一歩引いてあげたあなたの方が高評価になるでしょう。「負けるが勝ち」ですね。でも言い負かす優越感は味合うことが出来ないのが残念ですし、元々気に入らない相手の「勝った」という顔を見るのもしゃくなんで「負けるが勝ちだけどモヤモヤ」って感じですね。 仕事などで変にクレームを入れられたり、気の合わない先輩や上司に理不尽なことで怒られたり、現代のストレス社会で生き延びるにはなかなか精神力が必要だったりします。そしてそんな時、私はよく小さい頃から親に言われてきた「負けるが勝ち」という言葉を思い出します。 争いごとや喧嘩を避けることで、自分にとって有利に物事が運び結果的に勝つことができるというこのことわざ。 これは勝負事にだけではなく、人間関係にこそ当てはまる言葉ではないかと私は思っているのです。 だって、家族でも友人でも同僚でも、ケンカしたり争ったりすることほど疲れることってあるでしょうか? かと言って、自分が悪くないのに謝るなんて、なんだか癪だし悔しいことですよね。 でも、周りを見てください。 例え自分が悪くなくても、相手にすぐに謝って素直に相手の意向に従い、ケンカを引きずらずにすっぱりと終わらせられる人って周りに結構好かれている人だと思うんですよ。 好かれている・人気者とまではいかなくても、おそらく嫌われ者ではないはずです。大きな敵も作っていないはずです。 そう、これこそが人間関係における「本当の勝ち」ではないでしょうか。 自分が納得できないことでも、ある程度のところで折れて相手の意を汲むことで、結果的に人も自分も機嫌よくいられるんですよね。 私も年齢を重ねて、そんな生き方を目指したいと思うようになりました。 大学を卒業して入社した企業はドクター向けの商材を扱う商社でした。私が配属された部署はほぼ女性。ベテランの先輩社員から、1個上の年の近い先輩まで様々な年齢層が集結した女性だらけの職場でした。 仕事柄、お客様はお医者様ばかり。1日に何件も医院を訪問し、各種業務をこなしたり、営業をかけたり、そんな毎日でした。 帰社後先輩社員へ良い成績だった旨を報告をすると、様々な指摘をされます。 それはもう、成績が良ければ良いほど指摘が増えます。 「その柄が入ったストッキングで先生に色仕掛けしたでしょ?」「そのブラウスの透け感で成約したんでしょ?」 もちろん、笑いながらネタのような口調ですが、褒めてもらったことは記憶になく、このような言葉が飛んできます。 そんな時「いえ、そんなことしていません」「なぜそのようなことを言われないといけないのですか」と、真っ向勝負する方もいるでしょうが、 私が取っていた策はただ一つ、「負けること」。 「バレました?」「ちょっとボタンが外れやすいようなブラウスなんです」などなど、先輩からのイビリを完全受け入れ、即負けることで 職場は大きな笑いとなります。 そして先輩からのさらなる返しは「やっぱりね」の一言。 女性だらけの職場でしたが、いじられながらも毎日笑いが絶えず楽しい時間を過ごしてきました。 女性だらけの職場で生き残るコツ、一つ言えるとすると「負けるが勝ち!」です。

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負けず劣らず

【漢字】負けず劣らず 【読み】まけずおとらず 【意味】優劣付けがたく互角である。 【例文1】新人の彼は先輩にも負けず劣らず仕事ができる。 【例文2】彼女はモデルに負けず劣らずの容姿だ。 【例文3】姉に負けず劣らずの成績だ。 最近日本の政治についてのニュースが飛び交っています。 安倍総理の森友学園問題や加計(かけ)学園問題です。 野党はこの問題に対して追求し安倍政権を打倒しようと考えていますし、政党の安部政権も特に加計学園については正当性も見当たらない議論を繰り返しています。 野党の日本の政治を前に進めようとしない点に落胆し、負けず劣らずひどい政党にもあきれるしかありません。 昔の日本の政治はもっと前進していたと思います。田中角栄さんもロッキード事件を起こしていましたが、求心力はよくリーダーシップはとれていたと思います。 私個人としては不正が行われていたとしても政治や経済が進めばいいと思っています。 税金を使われて困るという方もいらっしゃるかもしれませんが、それで経済がまわり、人々の生活が回っているのです。 よくよく考えればヨーロッパンの貴族社会や日本の貴族の社会でも賄賂やそれに近いものは多く行われていたと思います。 その賄賂にちかいものを行うことでそれが利益となってモチベーションになり、統治にしまりが出てきていたと思えます。 極論ですが領地を与える、お金を与える、こういったことで世界が前進しやすくなるのであれば、私は今の時代でもいいと思っています。 停滞しつつある世界の前進。 これからも前進し続けるために日本の政治家には頑張ってほしいものです。

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幕を閉じる

【漢字】幕を閉じる 【読み】まくをとじる 【意味】芝居が終わると幕を閉じることから、物事が終わる時にいう。 【例文1】この事件は犯人が自首してきて幕を閉じる。 【例文2】準優勝で幕を閉じる。 【例文3】10日間の全競技が幕を閉じる。 「幕を閉じる」とは「引き幕を閉じて芝居が終わること。転じて事が終わりになること」です。芝居の途中で「幕を閉じる」場面がすごく印象的だったのは映画「Wの悲劇」です。夏樹静子原作の「Wの悲劇」を大胆にも劇中劇として活用し、それを演じる劇団研究員女性の成長を描く青春映画です。沢井信一郎監督が夏樹静子を説得してこの形式にしたもので、薬師丸ひろ子が主演し、三田佳子が助演で、作品も監督も主演、助演女優まで数々の賞を受賞した作品です。劇中劇の演出家を蜷川幸雄が演じていたり、テレビのリポーター役で福岡翼、梨本勝、須藤甚一郎、藤田恵子などが出演していて、日常的にテレビで見ているそのまんまの世界が繰り広げられているようで、不思議な感じがしました。薬師丸ひろ子が映画の演出とはいえ、素人っぽさをまだ持った劇団研究員から、スキャンダルを経てさなぎから蝶になるかの如く、舞台女優となっていく姿を見事に演じていて、この映画で映画女優としての地位をゆるぎないものにしました。肝心の「幕を閉じる」場面は舞台で演じきった薬師丸ひろ子に対し、三田佳子が「今日だけは譲ってあげる」と言って、彼女に一人だけでカーテンコールを受けさせる場面です。一度閉じた幕がもう一度開き、薬師丸が大きく手を広げ客席に向かって挨拶をします。その顔は充実感にみなぎり、客席からの拍手を一身に受ける栄誉からか、自信と誇りに輝いてみえます。ですが、それで終わりではありません。幕を再び閉じたあと、大どんでん返しが彼女を待っていたのです。もう鬼籍に入られた方も多く、DVDでしか観られませんが、秀逸な青春映画の魅力は色あせません。

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幕を切って落とす

【漢字】幕を切って落とす 【読み】まくをきっておとす 【意味】盛大に物事が始まる。 【例文1】全国ツアーが幕を切って落とす。 【例文2】全国大会の予選が幕を切って落とされる。 【例文3】オリンピックの開会式が幕を切って落とす。 幕を切って落とすという言葉はよくニュースや新聞などで見かける言葉です。 この意味は、歌舞伎に由来します。 歌舞伎は開演の時に舞台の幕の上部を外し、それを一気に落とすことから、物事を始めるという意味です。 夏になると全国高校野球の大会が幕を切って落とされます。 大会の地方予選の結果が気になるところではないでしょうか。 自分の母校の大会結果や、郷土の代表が決定するまでの行方など、朝の新聞が楽しみになります。 さらに、最近は地方大会の結果もインターネットで検索できるようになり、タイムリーに情報が取れるようになりました。 私の母校は30年前に甲子園に出場し、1回戦で負けてしまいました。 甲子園での試合の前日から、故郷は大変な盛り上がりでした。 私は大会の前日の夜に出発する臨時の夜行列車に乗って行きましたが、バスも60台程度でるという騒ぎでした。 甲子園のアルプススタンドは超満員で、外野にも人が溢れるという騒ぎでした。 今でもその光景を思い出します。 毎年思うのですが、2017年こそ、母校の甲子園出場を願っています。

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幕を開ける

【漢字】幕を開ける 【読み】まくをあける 【意味】芝居の始まりに幕が開けることから、物事や行事も始りの時に用いる言葉。 【例文1】Jリーグ波乱の幕開け。 【例文2】オープニングは吹奏楽部の演奏で幕を開ける。 【例文3】チアリーディングのパフォーマンスで幕を開ける。 新しい時代の幕を開ける、そんな人物が持つ能力とは 日本で新しい時代の幕を開ける役割を果たした偉人とはだれか、と問われて一番多く答えに挙がってくるのは「坂本竜馬」ではないでしょうか。 竜馬は弱り切った幕府を倒すため、その対抗勢力であった薩摩藩と長州藩の同盟を結び、天皇に政権を返還し大政奉還することで 大きな争いや血を流さずに平和的に新しい時代を迎えることに尽力した人物です。 けれど、竜馬は自分が幕を開けた新しい時代がどんな世界であったのかをその目でみることなく、短い生涯を終えました。 そんな竜馬の、他の藩士にはなかった能力と言うのはどんな能力でしょう。 その時代、それぞれが皆、時代を良くしようと自分が信じた道を突き進み意見の違うものとはぶつかり合う、それが当たり前の時代でした。 ですが、竜馬が他の藩士と違う点はそこにあります。 竜馬は自分が信じた道があるにも関わらず何度もそれを自問自答し、色々な話し合いによって自分の志を変化させていきます。 もちろん真髄の部分は変わってないのですが、敵であろうと画期的な意見や斬新な技術は取り入れようと色々な人と出会い話を聞こうとします。 そういった柔軟さとヒラメキが、竜馬を開国や外交へ日本を向かわせる最大のエネルギー源だったのでしょう。 我々現代人が見習うべきところが、竜馬にはあると改めて感じますよね。

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枕を高くして寝る

【漢字】枕を高くして寝る 【読み】まくらをたかくしてねる 【意味】何の不安もなく安心してゆっくり寝る。 【例文1】息子が志望校に合格した。これでやっと家族全員枕を高くして寝られる。 【例文2】初デートがうまくいき、今夜は枕を高くして寝る。 【例文3】希望の会社に採用され枕を高くして寝る。 枕を高くして寝るとは安心して眠りに就くことです。 我が家には子どもが3人います。 息子が中学3年になり受験期を迎えた我が家では言葉に気をつけたり、冬場はインフルエンザにならぬように家族全員予防注射を受け、うがい手洗いは徹底して行いました。受験は私立・公立すべて合格でした。これで枕を高くして寝ることができました。翌年には長女が高校を卒業してアパレル会社に入社しました。 勤務地に近いところに引っ越しをしたいと言い出しました。家族は反対しましたが、駅から近い物件と管理体制が厳重である物件を探すことで了承しました。 家賃は跳ね上がりましたが、オートロックの女性専用マンションに決めて、妻はすこしホッとして枕を高くして寝るようですが、娘を持つ父親からしてみれば毎日、心配でなりません。ときどき妻にだけ送られてくる写メを見せてもらって心を落ち着かせています。まだ小学生の次女もいますのでこれから数年は心配事は続くと思います。

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紛れもない

【漢字】紛れもない 【読み】まぎれもない 【意味】間違えようがない。極めて明白である。 【例文1】紛れもない事実だ。 【例文2】紛れもない証拠を突き出す。 【例文3】紛れもない英雄だ。 生活の中での会話として「紛れもない」という言葉をあまり使ったことがなくとも意味は何となくわかる方も多いのではないでしょうか。紛れもないという言葉だけを見ていると釈然としませんが、紛れもない事実など他の単語と同時に使用すると、その事実が疑いようのない真実というような意味だとわかります。 言葉の意味はわかりましたが、紛れとは一体なんでしょう。苦し紛れといった使い方も聞いたことがある方も多いと思います。まぎれると聞けばわかりやすくなるのではないでしょうか。ある事につけこんでまた、事の勢いで何かをするや、他に入り交じり区別がつかなくなるといった意味です。苦し紛れは苦しさのあまり分別、要は物事の区別を失ってしまうという意味で使用され、紛れもないとは他とは一線を画し、区別をも必要としないとわかります。また紛れは「まぎれ」だけではなく「まぐれ」とも読みます。こちらは日常会話で使用することもあるでしょう。好運に恵まれる、偶然という意味で他者に対して使用するときはその人の実力の結果ではなく、偶然によってもたらされた結果という受け取り方をされる事があるためあまり良いイメージを抱かせることが少なく、自分自身を指し謙遜としての使い方をするのが日本人として多いのではないでしょうか。

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巻き添えを食う

【漢字】巻き添えを食う 【読み】まきぞえをくう 【意味】自分には関係なかったのに後で被害を受けること。 【例文1】強盗事件が発生して検問に巻き添えを食って遅刻した。 【例文2】一緒にいただけで悪者扱いされ、巻き添えを食う。 【例文3】玉突き事故の巻き添えを食う。 商売人というものは面の皮が厚いもので倒産する前の暇でも「大丈夫、大丈夫、ガハハ」と笑っています。 にもかかわらず、手形の不渡りを出してあっさり倒産・自己破産手続き、ないものは払えないで済ませようとします。 大きな取引や作業などになればなる程に、即金で支払われることはなく期日までに振り込む約束がされるだけです。 諸経費や給金や税金の支払いで、どこの会社にも余裕などあるわけがないです。 その状況で振り込まれることを期待していた金額が期日になって全く入ってこないと大問題です。 一対一でしか取引をしていない会社などあるわけがなく、多くの取引先が巻き添えを食うことになります。 実話としてこんなふうな出来事があります。 とある会社の社長が、取引先の支払いに手形を使いました。 その場で会計の担当者は受け取りましたが、慌てたのは取引先の会社社長です。 即座に現金で振り込むことを要求し、その会社とは以後の取引をしなくなりました。 一年を待たずにその、とある会社は倒産しました。 信用を失った結果で倒産したのか、倒産しそうだから信用されなかったのかは不明です。 どちらにしろ情に流されることなく関係を切って巻き添えを食うことを避けた判断は正しいものでしょう。

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間が悪い

【漢字】間が悪い 【読み】まがわるい 【意味】その場にふさわしくない言動をする。 【例文1】彼の悪口を言っていたら、間が悪いことに後ろにいた。 【例文2】空手三段の彼女のバッグを擦るとは間が悪い奴だ。 【例文3】泥棒に入った家が警官の家だったとは間が悪い。 間が悪いとはその場にいられないほどの場違いな言動をとることです。 上司や誰かの悪口を言いあっていたら後ろにいたとかたまにありませんか? ヒヤっとしますよね。蔭口は人目に付かず小声にとどめておくことですね。 今月は冠婚葬祭が2件あり、披露宴のご祝儀3万円とお香典代1万円の出費が痛いです。 まだ月の半ばだというのに金欠状態となってしまいました。 残り半月節約生活をしなければなりません。 外食は控え、飲み物は自販機をやめて家から水筒を持参、飲み会も不参加。これで2万円は浮くはずです。 順調に節約生活を送っていたところ、間が悪い事に、助手席側を自宅のアパートの駐車場を出る時にブロック塀にぶつけてしまいました。 真っ先に修理代が頭をよぎり、なんて間が悪いんだとダブルでへこみました。 そのままにしておいたのでは雨が降ってサビが生じるので迷った挙句、車屋さんで修理することにしました。修理代は6万かかり本当に泣きたいくらいです。おまけに2ヶ月後は車検だし、部品交換がなければ8万円で済みそうですが、残高が足りなくて困ってしまい、金融会社に頼るしかなさそうです。

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曲がりなりにも

【漢字】曲がりなりにも 【読み】まがりなりのも 【意味】多少曲がってはいるが、どうにかこうにか出来上がる。 【例文1】三流大学とはいえ、曲がりなりにも卒業できた。 【例文2】生活は苦しいが、曲がりなりにも暮らせる。 【例文3】曲がりなりにも小さな店を持つ。 うちの母はシングルマザーで、他の家と同じような教育を受けてきたとは冗談にも言えないのですが、私自身家庭を持った今、母の大変さを身に染みて思うのです。 私は若いころ、私は自分の家庭環境を恨んでいました。 普通に父親がいて母親がいて兄弟がいて、家族団らんの食卓や笑い声、何も考えずに学校の学費を払ってもらい、携帯電話代も払ってもらい、当たり前のように大学に進学し、都会で仕送りを貰いながら生活する、そんな人生が良かったと、心から思っていました。 母の子育ては決して模範的なものではありませんでした。 やりたいこともやらせてもらえない、買いたいものも買ってもらえない、でも母は私に出来る限り苦労描けないよう必死に働き続けました。 今の私があるのは母のおかげです。沢山の愛と努力をもって、曲がりなりにも懸命に子育てしてきた母の姿は、私が母になったときどんな風にに子どもを愛せばいいのか、 お金がなくても人と違くとも、愛情をかければその分きちんと子どもにもその気持ちは伝わることを証明してくれました。 幸せそうに見えても、どんな家庭にも試練や困難は必ずあります。私もこうして家庭を持ってみると、母の時とはまた違う試練にぶつかってもいます。 でも根本的なことさえ分かっていれば、きっとその試練は自分を形成してくれる大きな武器になってくれると私は思うのです。

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間が持てない

【漢字】間が持てない 【読み】まがもてない 【意味】間が持たないと間違っている人が多いが、正しくは間が持てないである。 途切れがちの会話をうまくつなぐ事ができない。または時間があまって何もする事がない。 【例文1】彼は無口でつまらなくて間が持てない。 【例文2】初デートで間が持てなく必死でネタを探した。 【例文3】間が持てない気まずい雰囲気。 間が持てないとはあまった時間をうまくつなぎとめることができないという意味です。 この言葉は間が持たないと多く勘違いされているようです。実は私も間が持たないと使っていました。 私は社交的な性格でしてお友達も多いです。人と話すおしゃべりも大好きです。人見知りも全くありません。隣の席の人ともすぐに仲良くなれます。しかし中には人付き合いが苦手な感じの人もいるようです。そんな人とおしゃべりをすると会話が途切れ途切れになります。私はその間が持てない空気が苦手で何か話題を見つけないとと思ってしまうのです。おとなしめの方に聞きたいです。この間が持てない空気感どう思いますか?別に気にしないですか? 初デートなんかの時はさすがの私も緊張します。ましては付き合いたてというのは共通の話題を見つけ出して会話を盛り上げようとしますが、ネタが切れると し~んとなるあの空気何ともいえないくらい気まずいです。だから私は一緒にいて楽しませてくれる方じゃないと心が休まらないでしょう。

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まかぬ種は生えぬ

【漢字】まかぬ種は生えぬ 【読み】まかぬたねははえぬ 【意味】種をまかなければ何も生えてこない。何もしなければ結果は出ないという意味。 【例文1】痩せたいなー。まかぬ種は生えないから、ダイエットしよう。 【例文2】行動に移さない事にはまかぬ種は生えぬ。 【例文3】告白を決めた。まかぬ種は生えぬだから。 まかぬ種は生えぬは原因なくして結果は生まれない意味から、何もせずに良い事があると望んでも得られるものではないという戒めとして、また取り入れを期待するならば種をまかなければならない努力を勧める言葉として解釈できます。対句としては果報は寝て待てと辞書記載がありますが意味合いとしては人事を尽くす事を前提にしている部分は共通してるのではと感じます。まかぬ種は生えぬは望む事があるなら行動しなさいという促しで果報は寝て待てはその後の結果を焦らずに待ちなさいと冷静さを示唆する言葉です。 現実でまかぬ種は生えぬだなと思った出来事は小学校の先生が校門での挨拶をする事を意識している話を聞いた時です。挨拶をしても返ってこない生徒がいる中で先生はそれでも挨拶し続けたそうです。それはそれは小さな種を毎日蒔くように淡々と続けていきます。 根気よく続けて挨拶が返って来たのを聞いた時は種が花を咲かせた瞬間のように受けとれました。長い期間かかったそうで諦めなかった先生を頑張ったなと尊敬しました。挨拶という種まきが芽を出し花を咲かせ実を結んだ後はまた新しく種がまかれるように挨拶が広がっていってくれれば素敵だなと思いました。

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間が抜ける

【漢字】間が抜ける 【読み】まがぬける 【意味】大事な所が抜け落ちている。 【例文1】先方の名前を聞かないとは君はいつも間が抜けているな。 【例文2】時間が聞き取れず間が抜ける。 【例文3】肝心な本番で言葉に詰まり間が抜ける。 本人は真面目に話しているつもりでも肝心なことが抜け落ちていたり、完璧に見えて大事なところで失敗してしまう人などは「間が抜ける」なんていう言葉が使われたりもします。略して「マヌケ」とも言われることがあり「空気が読めない」略して「KY」とも近い印象を受けますが、「マヌケ」の場合は愛嬌があってどこか憎めない存在であるような気もします。そもそも日本人は「間」というものを大切にしており、この「間」によって人の印象が変わるといっても過言ではありません。 人間関係において話し上手と言われる人や、聞き上手と言われるような人は「間」の取り方も上手いように感じるのです。 英語で言えば「タイミング」でしょうか。話すタイミング、うなずくタイミング、タイミングというと能動的な感じですが、「間」というのはもっと自然な印象を受けます。 察する心や行間を読むといった日本人独特の心づかいのようなものは、人と人との関わりの中で自然と身についていくような気がします。 生活においても「間」が大切だと思いますが、便利な世の中になっていく反面、「間」がどんどん埋められていき、心を休める時間や何も考えない時間が少なくなっていくことで間抜けな世の中にはなっていないかと疑問も感じます。

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魔が差す

【漢字】魔が差す 【読み】まがさす 【意味】一瞬誤った判断や行動をとること。 【例文1】ストレスから魔が差して会社のお金を使い込んでしまった。 【例文2】魔が差したからって万引きは犯罪だ。 【例文3】つい魔が差してカンニングをする。 魔が差すとは一瞬の出来心で誤った行動をとることです。 私は高校生の時、デパートで万引きをしてしまいました。どんなデザインのシャツだったかほしかったシャツなのか今では覚えありませんが、店を出ようとしたときに、店員に呼び止められ近くの交番に連れて行きました。母は働いているためすぐには来られないと訴えましたが、そんな事が通用するはずがありません。ほどなくしてバスを乗り継いできた母が到着するなり謝罪しました。どうか発行だけには通報しないでほしいと懇願しました。初犯だったこともあり高校への通報だけは免れました。お小遣いはあげているじゃない!足りなかったら言えばよかったのに・・とその時の母の涙は忘れることができません。本当に魔が差してしまい後悔しました。当たり前のことですが、依頼30年間まっとうに生きています。もしあのまま捕まらなかったら、万引きをずっと続けていたかもしれないし、もっと悪事に手を染めていたかもしれません。警察で採った指紋と後悔は一生消えることとないでしょう。心から反省しました。

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間がいい

【漢字】間がいい 【読み】まがいい 【意味】タイミングがいい。 【例文1】荷物運びをしていたら間がいいところで主人が帰ってきたので、手伝ってもらった。 【例文2】外食したいなと思っていたら間がいいところに家族が帰宅した。 【例文3】間がいい頃に食事を提供する。 間がいいとはちょうどいいところにというふうに良いタイミングだという風に使います。 私の家族は時間にきっちりしているので、間がいいころを逆算してなんでも日常家事をしています。 一番厄介なのは風呂上りに食事を出すタイミングでした。帰宅時間は定まっておりません。風呂の時間は決まって30分。髪を乾かして着替えが住むまでに5分。35分で出来立ての料理を間がいいころに仕上げます。もちろん夕方に下準備済みです。 結婚したての頃は料理もレシピ本見ながら時間をかけて作っていたため夕食時間が10分、20分遅れる事もありました。年数を重ねるごとに要領よくこなすことができましたが、息子が社会人になり帰宅時間がまちまちやら外食やらでそんな時は20時以降は夫婦で食事します。連絡さえあれば下準備の量も調整できるのに、たまにしか連絡はありません。自分たちはきっちりしてもらいたい派なのに自分がすることは中途半端で困ります。時にはあまった食材はお皿に入れてラップをかけて冷蔵庫に保管しています。週末、夜遅く帰宅しておなかすいて間がいい頃につまみ食いをしているようです。 「間がいい」は「間が悪いの反対。頃合いがいい、巡り合わせがいい、塩梅がいい、など」こうして列挙してみると「間がいい」とあえて使わなくても他の言葉でしっくりくるものが多々あることに気が付きます。私たちがこの言葉を耳にする機会があるとすれば芸事の世界でしょうか。歌舞伎の舞台で、感情や場面が盛り上がって、演技が頂点に達した時、見得を切るといって役者が動きをとめる芝居があります。その時、市川家ではニラミといって客席を片方の眼は正面を、もう片方の眼は違う方を向ける独特な目付きをしてみせます。そのタイミングで「成田屋!」「よっ成田屋」などと掛け声がかかり見せ場であることがわかります。肝心なのはその間です。間とは芝居の緩急の緩の部分ですから、間を取り過ぎると間抜けになりますし、早すぎてもいきてきません。「間がいい」役者が良い役者なのです。同様に落語の世界でも噺家は、間の取り方で緩急をつけ、メリハリをつけますから、例え演目が同じでも演者が違えば話の雰囲気も違って聞こえます。漫才でもそうですね。独特の間で笑いを誘うのが上手な漫才師は、マイクから動き過ぎなくても会話で笑いを取っていきます。間合いの面白さですね。芸能の分野では「間がいい」人たちが残っていくのでしょう。

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枚挙に暇がない

【漢字】枚挙に暇がない 【読み】まいきょにいとまがない 【意味】数えだしたらきりがない、数えきれないほどたくさんある。 【例文1】失敗例を挙げると枚挙に暇がない。 【例文2】彼の悪い癖は枚挙に暇がないほどある。 【例文3】女性と付き合った人数なんて枚挙に暇がない。 「枚挙に暇がない」とはあまり普段使わない慣用句です。「まいきょにイトマがない」と読みます。「(あまりに多すぎて)いちいち数え上げるには時間がかかりすぎてその時間がない」という意味で物事が非常にたくさんあることを指します。使われるとすれば文語表現です。例えば卓球選手の福原愛さんが愛読している作家として挙げた、東野圭吾さん。彼は1983年に最初の作品を発表し、1985年に[放課後]という作品で第31回江戸川乱歩賞受賞を受賞して作家として歩み始めます。その後発表する作品が何度も賞にノミネートされ候補に挙がりますが、無冠の帝王扱いされるほど受賞はならず。ようやく14年後の1999年[秘密]で第52回日本推理作家協会賞(長編部門)受賞し、それからはいろいろな作品が文学賞を受賞します。彼の受賞作品は、候補になった作品も入れると「枚挙に暇がない」ほどたくさんあります。と、このように使います。口語表現では「数えきれないほどたくさんある」で済むのですが。昔の流行歌でばんばひろふみさんの「幸子」というのがありまして、幸せを数えれば五本の指で足りるのに不幸せは両手でも足りないほどたくさんあるという意味の歌詞がありますが、「枚挙に暇がない」ほどの不幸があると歌い上げたのではあれほどのヒットはなかったでしょう。できれば良い場合に使いたい言葉です。

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