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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。 Powered by 手作り言葉辞典

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杖に縋るとも人に縋るな

【漢字】杖に縋るとも人に縋るな 【読み】つえにすがるともひとにすがるな 【意味】杖には縋っても人の助けに頼るなと言う戒め。 【例文】杖に縋るとも人に縋らないで先ず自分で考えよう。 「杖に縋るとも人に縋るな」という言葉の意味は、安易に人に頼ってはいけないという意味です。 「自己責任」「人に迷惑をかけてはいけない」というのは、現代の日本でもよく言われていることですね。 しかし、本当にそれが正しいのでしょうか? たしかに、杖があれば歩けるのなら、人に助けてもらう必要はないかもしれません。 頑張れば自分の力で歩けるのに、人に頼ったり車いすを使ったりしていては、足腰が弱ってますます歩けなくなってしまうかもしれませんよね。 でも、杖をなくしてしまったり、壊れてしまったら?足が痛くなったり、とても疲れてしまったら? そんなときも無理をして人に頼らず、自分一人で何とかしようとする必要はないのではないでしょうか。 人はみな、一人で完璧に生きていくことなどできません。食べ物ひとつとっても自分一人では作れないし、きれいな飲み水だって自分で作るのはとても大変です。 誰かのために働くから給料がもらえて、生活できるのです。 だから、自分にできないことは人に助けてもらって、そのぶんほかにできることがあれば誰かの役に立てばいいのではないでしょうか。 人にはそれぞれ苦手なことと得意なことがあるのだから、苦手なことは得意な人に頼んで、自分は得意なことを活かせばいいのです。 「杖に縋るとも人に縋るな」という言葉は、一部の人には耳が痛く感じることでしょう。 この言葉は、安易に他人を頼ったり、助力を求めてはいけない、といった意味で使われます。 私自身、社会人になったばかりの時は、この言葉がグサッと刺さるような出来事がありました。 私は美容の職に携わっていて、完全に技術が物を言う世界で働いています。 しかし、働いたばかりの時は技術も未熟であるため、なかなか一人の戦力として扱われることが無かったのです。 そこで奮起する性格なら良かったのですが、その環境に甘んじていて、先輩を常に頼るようになっていました。 そんなある日、私は急遽一人で現場を任されることになり、誰の力も借りられない状況に出くわすこととなりました。 今まで周囲に頼っていた私は、まさかの展開にとても慌てました。 そして、案の定お客様に満足してもらえるような結果を出すことができなかったのです。 その時初めて、自分で力をつけることの大切さを感じました。 周囲と協力することは仕事をする上で需要ですが、頼りきるということでは自分自身成長がありません。 思い返すと甘ったれの自分に腹が立ちますが、こうした経験があったからこそ、向上心が芽生えたのだと思います。 「杖に縋るとも人に縋るな」という言葉は、新入社員に覚えておいてもらいたいものですね。

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鶴は千年、亀は万年

【漢字】鶴は千年、亀は万年 【読み】つるはせんねん、かめはまんねん 【意味】鶴と亀は寿命が長く縁起が良いとされる。長寿を象徴とする縁起物。 【例文1】鶴は千年、亀は万年で両親には長生きしてもらいたい。 【例文2】鶴は千年、亀は万年で孫の晴れ姿を見るまで長生きする。 【例文3】鶴は千年、亀は万年還暦を過ぎても元気に過ごす。 鶴は千年、亀は万年をテーマにした記事 「鶴は千年、亀は万年」という言葉は、中国の仙人が鶴や亀に乗って移動する様子などから出来たイメージのようです。 使われ方としては、長寿を祝う際に長生きする動物の例としてあげられます。 海に千年潜み山で千年暮らした蛇は龍となるといいますから、千年も生きたならは鶴が鶴のままのはずもないでしょう。 鳳凰や不死鳥、フェニックスに類する超常的な存在になって秘境で発見されたりしてもそれほど不思議とは思えません。 実のところ鶴の寿命は野生では20年から30年、動物園で丁重に扱われても50年から80年が精一杯のようです。 亀の寿命は、ペットの小さな亀でも飼育の方法によっては20年以上生きると言われます。 正確な記録がないため推測でしか測れないものでは200年以上生きているという亀も存在します。 正直に言って、どのくらいが寿命なのか見当がつきません。 とりあえず1万年も生きた亀が存在してしまったならば、それなりの知性をもって穏やかにすごして欲しいものです。

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鶴の一声

【漢字】鶴の一声 【読み】つるのひとこえ 【意味】議論してもなかなか決まらない中、権力者の一声で決まること。 【例文1】祖母が孫に怒っても効き目ないが、母親が怒ると鶴の声で黙る。 【例文2】意見がまとまらないので、鶴の一声がほしいところだ。 【例文3】妻の鶴の一声で静まる。 多くの者が集まって議論すると、互いの意見が全くかみ合わず長い長い議論は終わりも見えない状況は、何度遭遇しても精神肉体共に疲れ果てさせます。 最終的には最高責任者とその配下の思惑で事は定まる運命にあるのですから、茶番としか言いようがありません。 それでも尚、話し合いという形式が未だに存在することには何の意義があるのでしょう。 まず考えられるのは、多くの社員から意見を聞いたという事実が取りあえず欲しいのではないかということです。 部下の意見には一切耳を貸さずに全て好き勝手に取り決めて実行させるのはいささか外聞も悪そうです。 加えて全ての判断をするということは、全ての責任を負うというリスクまで背負い込みます。 意見を採用して仕事を任せてみた、というならば責任を負う部分はかなり軽減されるでしょう。 次に考えられそうなのは、経営方針など特に何も考えていないということです。 大きな損失を出さずに、それまでの手法を続けるだけでもそれなりの利益は見込める場合がこれです。 誰かがリスクはあるけど大きな儲けが見込めそうなプロジェクトを提案するという面倒ごとを持ち込まなければ会議の必要すらありません。 しかし、何もせずに働いていて昇格することなどないならば、会社の社運を賭けるような仕事をあえて提案する人もいるのです。 そういう人間には鶴の一声すらも馬耳東風、空気も読まずに無駄な会議は今日も続くのです。 もしも学生さんであれば部活やサークルなどで、社会人であれば会社で、誰かと揉めてしまうことはあると思います。ときには激しい口論になることもあるかもしれません。もしかするとお互いに「こうすれば組織が改善されるはずだ」という意見を言っただけなのに、その内容がお互いの信念と異なっていたがため、口論になってしまったのかもしれません。このようにお互いが改善策を提案したにも関わらず、それで揉め事が起きてしまうのは悲しいですね。 仮にこのような状況に陥ってしまった場合、強い権力を持つ人、すなわちリーダーが鶴の一声を浴びせてしまうのも有りでしょう。特に先に述べたケースであれば、揉めている当人たちは「組織を良くしようとしている」ことが見受けられるため『組織のことを考えて動いている人』だと言えます。そのような人であれば、組織のトップであるリーダーの言うこともきちんと聞いてくれる可能性が高いでしょう。 組織を良くしようとしてたくさん意見を出し合うのは、その組織に属している人がそれだけ組織のことを愛しているからだと思います。組織を愛せるのは良いですが、そのせいで意見を出し過ぎて揉めてしまった場合は、いったんリーダーが場を静めさせて、もう一度みんなで頭を冷やしてから話し合うのが良いでしょう。

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面の皮を剥ぐ

【漢字】面の皮を剥ぐ 【読み】つらのかわをはぐ 【意味】裏の顔の悪事を暴いて決着を付ける。 【例文1】二重人格みたいな面の皮を剥いでやる。 【例文2】いつか面の皮を剥いでやる。 【例文3】媚びた面の皮を剥ぐ。 周りにいる人の中に、図々しくて厚かましい人はいませんか。もしくは今はそういう人がいなくても、図々しくて厚かましかったと思える人が過去にいませんか。もしかするとそういう相手に「恥をかかせてしまいたい」と感じたこともあるのではないでしょうか。しかしそういう気持ちを抱えても、何もできないまま終わってしまった、もしくは何かするのが怖い、という人はいると思います。 しかしあなたが、相手の面の皮を剥ぐことを望んでいるのだとしたら、他の人もあなたと同じ気持ちを抱えている可能性が高いです。表面には出さなくても、心の中では感じていたりすることがあると言えます。つまり他の人もあなたと同様に「あの人は厚かましいから嫌だ」と思っていることが有り得るのです。そして中には、その嫌な気持ちを心の中に留めることができず、つい嫌な相手にぶつけてしまって、相手を罵倒してしまったり、手を出してしまうような人だっています。 ですからあなたが、そういう嫌な相手に対して「恥をかかせたい」と思ったときは、行動には移さず「きっとみんなも同じ気持ちだろうし、こんな相手はどうでもいい」と、相手の存在を流してしまうのが良いでしょう。世の中そこまで甘くないので、そういう人はどこかで必ず痛い目に遭います。

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面の皮が厚い

【漢字】面の皮が厚い 【読み】つらのかわがあつい 【意味】恥を恥とも思わない図々しい者。 【例文1】彼は面の皮が厚く、見てるこっちまで恥ずかしい。 【例文2】面の皮が厚いのは周知している。 【例文3】面の皮が厚いと気づいてすらいない。 面の皮が厚いとは、よく言ったものだなと思います。 顔の皮膚が分厚く表情に乏しいってイメージですよね。意味としては、ずうずうしいや厚かましい恥を知らないといった風にあまりいいように使われる言葉ではないです。 面の皮が厚いと聞くと私は政治家が思い起こされます。 何か問題があったりしたときに「記憶にございません」という政治家を面の皮が厚いなと思っている人は私だけではなく多いの人がいるのではないでしょうか。 記憶にないはずがないでしょうって感じですね。 高学歴だったり学力には自信がある人たちが多いので、そんなに記憶力が悪いわけがないのにと思っちゃいますね。 面の皮が厚いですね。 逆に、面の皮が厚いっていうのがいい方向に使われる場面もあります。 何か新しいことを始めたりする場合、人に批判されることは多いです。 それは、偉人達の伝記を読むと思うのですが、やっぱりどんなにたくさんの人たちに白い目で見られても自分の信念にのっとって偉業をやり遂げるためにはある程度打たれ強い心というか面の皮が厚いほうがいいのかもしれないです。 なかなか難しいですが人の目ばかり気にするわけでもなく、傲慢になるわけでもなく、そのバランスが人って大事なのかなと私は思います。 ずっと以前に派遣社員としてあるガラス工場で働いていたことがあります。 田舎にある工場で、社員半分、派遣社員半分という感じでした。 その派遣会社には様々な国籍の人がいて、日本人、ブラジル人、ペルー人、ベトナム人と変化に富んでいたが、共通しているのはほぼ全員が社員よりもまじめだということでした。 派遣社員の中には遅刻、欠勤、居眠り、さぼりをするような人間もいたが、ごく少数であり、それに比べて社員のほうはひどかったです。 仕事をさぼるだけでなく、自分の分の仕事も派遣社員にまかせていたり、中には隠れて居眠りをしているものまでいました。 このあたりまではしょうがないかと諦めていたのだが、ある日我慢が出来ないことがありました。 ガラスを製造する工場であるから、出来上がった製品をチェックする工程があり、規定に満たないものは不良品として廃棄されることになっています。 この製品チェックが私の仕事でした。 製造数に対して規定を満たしている製品の割合を「歩留まり」と呼んでいたのだが、ある日社員がやってきて「歩留まりが悪いから、もう少しチェックを甘くしろ」と言ってきました。 製品チェックには基準があり、その基準以下のものは廃棄せざるを得ないと言うと、なんだかんだと理屈の通らないことを言ってくるのです。 いうとおりに基準を甘くしたら、チェック担当の私の立場が危うくなるといっても、聞き入れてくれません。 歩留まりが上がれば自分たち社員はそれでいいのだ、とどれほど面の皮が厚いのかと言いたくなることを平気で言ってきます。 らちがあかないので、後日派遣会社の担当を通じて抗議したら、ようやく無理強いしてこなくなったが、担当者によると、チェックを甘くしろといった社員は自分はそんなことは言っていない、自分はいつも品質第一を考えていると言っていたらしいです。面の皮の厚い人間はとことん面の皮が厚いようです。

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爪を研ぐ

【漢字】爪を研ぐ 【読み】つめをとぐ 【意味】機会を狙って待ち構える様子。 【例文1】爪を研いで元彼に復讐する。 【例文2】準優勝の屈辱に爪を研ぐ。 【例文3】ストーカーが爪を研ぐ。 爪を研ぐというと、獲物を狩るために牙を磨き爪を研ぎ虎視眈々と機会を伺う野生動物が思い浮びます。 野球部ではない体育会系の大柄な同級生が爪を研いでいました。 引っかからないか確かめながら角がないように丁寧に磨くように削っています。 図体に似合わない細かい作業には何かイメージにそぐわないものを感じましたが本人は真面目に作業を続けます。 後で他のクラスメイトに聞いたところ、柔道部がなにやら指導されたとのことでした。 どういう状況か詳しく知りませんが、爪をひっかけて自損事故的な怪我をした部員がいたと言うことです。 それで指導教官が大激怒、練習以前の問題だと言うことで身だしなみのチェックを一から指導しなおすことになったようです。 練習相手に怪我をさせないという意味合いもあるらしく徹底的に相互確認までさせられていたらしいです。

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爪の垢を煎じて飲む

【漢字】爪の垢を煎じて飲む 【読み】つめのあかをせんじてのむ 【意味】良く出来た者の爪の垢を煎じて飲んででも、あやかりたいという思いが込められている。 【例文1】幼稚園児でもお片ずけできるのに!まったく彼にも爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。 【例文2】美意識の高さを爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。 【例文3】今の若者に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだ。 学生時代に飲食店のバイトをしていたのですが『常にお客様に快適と思ってもらえる接客をすること』を、店長やエリアマネージャーが頻繁にバイトの人たちに言っていました。とはいってもその接客方針の内容は『元気な挨拶をする』『笑顔でお客様に接する』といった至極ありふれたもので、私自身も仮に自分がお客様の立場だったら「店員さんが元気な明るい笑顔で接してくれたら確かに心地好いだろうから、そういう接客を心掛けよう」と接客方針に納得していました。 それに他のバイト仲間も、たとえ店長やエリアマネージャーといった社員がいないときでも、接客するときはきちんと笑顔でお客様に対応している人がほとんどで、特に問題があるような人はいませんでした。 ですがしばらくして新しく入ってきたバイトの人のことで、店長が頭を抱えてしまいました。その新人の接客は、笑顔でもなければ声のトーンも機械的で、お世辞にも良いと言えるものではなかったのです。 ある日、私が店長と雑談をしていると、店長からその新人の話題が出ました。そのとき店長から「きみの接客態度はいつも良いから、きみの爪の垢を煎じて新人の子に飲ませてあげたい」と言われました。私は自分の接客態度が良いと評価されたのは嬉しかったのですが、今までの人生で『爪の垢を煎じて飲む』という言葉を本で読んだことはあっても、実際に使っている人には会ったことはなかったので、少し新鮮な気持ちになりました。これからも何かあったら、爪の垢を煎じて飲ませたいと思ってもらえる人間になりたいですね。 二人の子がまだ小学生と幼稚園生だったころの話です。 近くに住むおばあちゃんの家に休みになると泊りがけで遊びに行っていた子どもたちですが、親戚の子もよく来ていました。 同じ年頃の子どもたちでいつも賑わうおばあちゃんの家、親にとってはその間、子どもから解放されるので親子ともどもウィンウィンでした。 しかしある日突然、下の子がもう行きたくないと言い出しました。 年上の親戚にいじめられたと言うのです。 上の子にも話を聞くと、どうやら飲まされたお茶に爪の垢みたいなものを入れてあったらしく、それも無理やり飲まされ後から知らされたとのこと。 ものすごくビックリで衝撃でした。 爪の垢を煎じて飲むという諺を知っていたんだなと思うと同時に、まさかそれを実際にやり、しかも我が子に無理やり飲ませるとは…。 あいた口が塞がらないとはこのことです。またとても腹立たしく、そして悲しくなりました。 大事な我が子がそんな酷い目に遭ってしまった、汚いものを無理やり飲まされてしまったと、不憫でかわいそうになりました。 結局その日を境に下の子はおばあちゃんの家に行かなくなりました。 上の子は能天気なもので相変わらず毎回楽しげに泊りに行っていました。 あれから10年以上が経ちますが、爪の垢を煎じて飲むという諺を耳にする度に、いつもそのことを思い出します。 当時は腹立たしさが勝っていましたが、今となってはおかしさの方が上で、よくも実際にやったものだと感心さえします。 ただいまだに下の子はおばあちゃんの家にほとんど行っていません。 相当トラウマだったのか、他の楽しみを見つけたからなのか私にはよく分かりませんが、おばあちゃんとの交流が激減したことに寂しさを覚える昨今です。

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爪の垢ほど

【漢字】爪の垢ほど 【読み】つめのあかほど 【意味】爪に垢がたまっても少量であることから、ほんのわずかなという意味。 【例文1】爪の垢ほどの思いやりもない。 【例文2】爪の垢ほどでもいいから彼女を見習いなさい。 【例文3】爪の垢ほどのボーナス。 「爪の垢ほど」とはわずかなことだという意味です。 賢者の「爪の垢を煎じて飲め」という言葉も、私が子どもの頃はたまに聞いていたような気がします。 おそらく、周りには見習うべき人がたくさんいたからかもしれません。 また、自分が未熟で習得しなければいけないことがたくさんあったからだと思います。 年齢を重ねるとともに、怒られたり、注意を受けることが少なくなってきているような気がします。 自分よりの年配の人が、仮に不道徳な行いをしていても、注意しづらいような気がします。 結局、見て見ぬふりをしてやり過ごしている自分がいます。 もしかしたら、私に対しても周りの人がそういう風に思ってきているのかもしれません。 その為、自分よりも年配の人の行動が気になった場合は、自分ではそれをやらないように気をつけています。 誰かに苦言を言われなくなった分、自分で気をつけていくしかないのかもしれません。

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爪に火をともす

【漢字】爪に火をともす 【読み】つめにひをともす 【意味】ろうそくに火を灯すのはもったいない、ならば自分の爪で灯そうと思うくらいひどくケチな人。貧困した様子。 【例文1】倒産危機で爪に火をともす毎日だ。 【例文2】爪に火をともす生活をしている。 【例文3】爪に火をともす貧困生活。 爪の垢ほどは、非常に少ない量を指す言葉です。 普通に生活していれば爪に溜まる垢など微々たるものですから、それ以上に少ない量を具体的に挙げることすら難しそうです。 仮に指先の爪に垢が大量に溜まるくらいに働けていれば、人並みの収入は期待できそうです。 爪に火をともすとはロウソク代すらケチって放っておいても自然に延びる爪に火をつけるほどにケチか貧困な様子を表現しています。 本当に爪に火が点けられるのか実際に試してみました。 さすがに指先についている状態の爪に火をつける気にはなれません。 爪切りで切ってライターで炙ってみたところ、チリチリと音を立てて燃えます。 一応は燃えるのですが、ライターの火から離れるとあっという間に消えてしまいます。 火種の火力に頼りきりで爪が単独で燃え続けるのは難しそうです。 爪関連のことわざといえば、爪の垢を煎じて飲むとか飲ませたいとかがありました。 立派な偉い人格者にあやかりたいという意味なのでしょうけれど、よく考えなくてかなり病的な考え方のように思えます。 実際に実行する人が身近にいたりした日には、全力で避けることでしょう。 私にはそれくらいに猟奇的な行動に思えてなりません。 立派な言葉や行動を真似するというなら、それらしい綺麗な言い回しが欲しいところですが良い言葉が浮かんできません。 顰に倣うだと明らかに失敗ですし、どうにも上っ面を猿真似する光景しか思い浮かびません。 本質的な基礎部分から変わらなければ届かないということでしょうか。 私は高校を卒業してから、しばらくフリーターをしていた時期があります。 その頃は生活費を稼ぐために、アルバイトをいくつも掛け持ちしていたのです。 昼間はコンビニの店員、夜は工事現場の作業員と言う様に、昼夜関係なく働き続けていました。 そのおかげでこの頃は、結構な収入を得る事が出来、人並みな生活が送れていたのです。 しかし休みなしに働き続けていた為、徐々に体調が崩れ始めてしまったのです。 最初は根性で何とかしていましたが、次第にそれが出来ないほど体調が悪くなりました。 それで仕事を休みがちになってしまったのです。 徐々には働く時間よりも休んでいる時間の方が多くなってしまい、アルバイトを首になってしまったのです。 アルバイトを首になってからしばらくの間は、貯金を取り崩して何とか生活していました。 ですが一向に体調が回復せず、貯金も底をつくようになりました。 そこから私の爪に火をともす生活が始まったのです。 食料の残りが少ないので、一日一食だけにして、後は水を飲んで空腹をごまかしていました。 体調が回復して働けるようになると、職を見つけて元の生活に戻りつつあります。爪に火をともす生活をしていた時は、惨めな気持ちで心の中がいっぱいになったので、もう二度とあんな気分は味わいたくありません。

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旋毛を曲げる

【漢字】旋毛を曲げる 【読み】つむじをまげる 【意味】ひねくれている。 【例文1】奴は旋毛を曲げているので相手にしない方がいい。 【例文2】旋毛を曲げた性格だ。 【例文3】旋毛を曲げる偏屈者。 旋毛を曲げるとは、何か気に入らないことがあったら気を悪くし、人の言うことを聞かなくなることをさします。 さて、ではどうして旋毛が曲がることが気分を害することに繋がるのでしょうか。 まず、旋毛とは頭髪にある渦のことをいいます。 誰にでもありますよね。 そしてこの旋毛というのは、人によって向きや位置に個人差があるのです。 昔の人は、知能や人格にによって旋毛の向きや位置などが変わると言っていたそうです。 ちなみに、「旋毛を曲げる」と「旋毛曲がり」とでは少し意味合いも変わってくるのです。 旋毛を曲げるは冒頭でも述べた通り、気分を損ねて素直じゃない態度をとることですよね。 しかし、旋毛曲がりは、ひねくれた性格を持った人を言い表します。 旋毛曲がりは個性的な旋毛がある人をさして、その個性を素直じゃない、ひねくれた性格としていたそうです。 旋毛(つむじ)を曲げるという言葉を聞いたことがあるでしょうか。あまり聞き慣れない言葉のように思われます。旋毛を曲げるとは、気分をそこねてわざと逆らい、意地悪くすることをさしたことわざです。「妹をからかったら、旋毛を曲げて無視されるようになった」といった風に使われますも。また、性質がひねくれていて素直じゃない様や、そのような人のことを旋毛曲がりとも言います。では何故、このことわざは旋毛を例えとして使われるようになったのでしょうか。その由来、気になりませんか?旋毛は人によって位置や巻く向きが違い、さらには個数まで違う方もいらっしゃいます。昔は性格などによって、旋毛が決まると考えられていたそうです。だからこそ旋毛が曲がっている=ひねくれた性格という風に考えられていたのでしょうね。性格によって旋毛が変わるとは考えにくいですが、実際それに近いデータはあるようです。旋毛には右巻きの人と左巻きの人がいます。右巻きの人と比べ、左巻きの人の割合は少ないそうです。左巻きの人は変わり者が、多いと言われています。また、普通旋毛はひとつの人がほとんどですが、ごく稀に複数ある方もいらっしゃいます。こういった方には天才や成功者が多いとされています。ただの旋毛ですが、掘り下げてみるとおもしろいですね。

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罪を憎んで人を憎まず

【漢字】罪を憎んで人を憎まず 【読み】つみをにくんでひとをにくまず 【意味】人が犯した罪は憎むべきだが、罪を犯した人までも憎んではならない。 【例文1】あの時はざんざん迷惑かけられたが、罪を憎んで人を憎まずだ。 【例文2】罪は充分償ってもらった。罪を憎んで人を憎まずだ。 【例文3】罪を憎んで人を憎まずと言うけれど、被害者家族はそうでない。 先日課長が飲酒運転で逮捕されてしまいました。直属の上司だっただけではなく、プライベートでも付き合いのある上司なので日頃の上司の仕事ぶりや人柄もよく知っています。パワハラと感じる叱責をいつも受けていました。 部下からの信頼が厚く、部下のミスを何とか解決しようと日々奮闘してくれる方でした。今年の4月に新しい部長が異動してきてから課長の苦悩の日々が始まったように感じます。休みの日でも必ずこっそり出勤してきて書類仕事をしていたのを思い出します。数人いる課長はそれぞれ自分の業務をこなすことに必死で助けあう余裕はなさそうでした。 課長の頭はいつの頃からか円形脱毛症になり、頭にはいくつも髪の毛が円形に薄くなっている所がありました。お酒を飲む量も回数も増えてきていたと思います。 職場では彼を擁護する人ばかりです。彼の仕事ぶり、人間性を知っているからです。他の部署の人たちは興味本位で色々な事を尋ねてきます。それでも私たちのように課長とともに仕事をしてきた人たちは噂をすることもありません。一番傷ついているのが本人だと分かっているからです。彼が犯した罪は社会的には許されることではありません。そして彼は職場にもう戻れなくなりました。どうにかして戻ってこれないかという部下の願いは叶いませんでした。彼の罪に対しては許す人はいないと思いますが、だからと言って誰も彼自身を憎む事はありません。まさに「罪を憎んで人を憎まず」を実感しました。 罪を憎んで人を憎まずとはどういった意味があるのでしょうか。私は罪を犯した人間が100%の比率で悪いと思っていますが、よく考えれば、もし被害者が罪を犯したくなかった場合と、その時の周辺環境によって引き起った可能性も存在するのです。 犯罪もそうしなければ自分の命が危なければ正当防衛が適用されます。私有地に大切な物が何かの拍子で入ってしまい、その大切な物を撮ろうと侵入した所を不審者に間違えてケガを負わせてしまったら、どちらが悪いのでしょうか。 例え犯罪を犯しても、周囲の環境によって起こるべくして起きたことなら、人を憎んでも、憎んだ方が救われることは無い気がしますね。罪を憎んで人を憎まずとは、憎むなら人ではなく環境を憎むことだと思います。 この言葉は千差万別で、人によっては意見に違いが出て当たり前です。様々に解釈が可能ですし、罪を実行した人間をなぜ憎まないのかを理解するまで時間が掛かります。 私は罪は環境だと回答しましたが、本当にそうなのかと問われたら考えこんでしまいますね。 損得で考えると被害者は報われないですよね。被害者の立場から納得がいって初めて罪を憎んで人を憎まずという言葉が使われるかもしれません。

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罪を着せる

【漢字】罪を着せる 【読み】つみをきせる 【意味】自分の失敗や責任を人に押しつける。 【例文1】他人に罪を着せるなど最低だ。 【例文2】罪を着せて言い逃れをする。 【例文3】部下に罪を着せる。 ウェブ上で他人同士が繋がりを持って行動する事も少なくない。もちろん、それ自体が仕事につながったり、今までとは違う考え同士をくっつける事が出来るのは素晴らしいと思います。ただ、ウェブで繋がりを持つのはいい事ばかりではないとも思います。どんな状況でも自分自身の事、自分に対してメリットになる事しか考えを持っていない人もいるという事を認識しなくてはならないと思います。最近、ニュースで流れてきた事件として、ウェブ上で知り合った男女が、男性の方が、見ず知らずの女性指示して、電車の中で他人から痴漢してもらいたいと要望されたとの事。男性が痴漢をしたい人を探して、その女性を痴漢させ、その状況を動画で撮り、痴漢した男性からお金を巻き上げようとしたとの事です。すべてを指示した男性は逮捕されましたが、では話に乗った女性は問題ないのだろうか。人に罪を着せる事を、普通であれば理解できそうな話だけれども、ただお金目当てだけだったという言い訳です。当然といえば当然だが、痴漢行為をする話にのってきた男性も問題だが、問題の根本はウェブの使用にあると思います。最近のウェブを見ていると、純粋に簡単にお金を儲ける事が出来ますと言った話が乱雑しています。そういったページや考えをウェブ上に載せている方は勿論問題ではあるが、使用する方も自分自身でしっかりと考え、場合によっては罪のない人に、罪を着せる事になり得るのだという理解を持って行動して欲しいと思います。

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罪はない

【漢字】罪はない 【読み】つみがない 【意味】悪気はない。無邪気である。 【例文1】親が犯罪者であっても子どもに罪はない。 【例文2】犯罪者の子どもに罪はないと言うけれど、白い目で見られるのが現実。 【例文3】罪はないとかばう。 「罪がない」とは「無邪気である、責任がない」という意味です。子どもには罪がないという言葉はよく使われます。例えば第二次世界大戦中の日本では、軍国教育が行われ、子どもたちは「進軍ラッパだトッテチッテター」などと書かれた教科書を使い国語を習っていました。また、天皇皇后両陛下のお写真を納めている御影廟という白い箱のようなものが各小学校の入り口付近に設置され、そこでは帽子を取って一礼し、しかも人の息がかかるのは失礼だからと息をとめて通ったという話を聞いたことがあります。子どもたちの大半が、日本の勝利を疑わず、男の子は軍人や兵隊になることを希望し、女の子は銃後の守りを固める良妻賢母を理想として育っていたのです。ところが敗戦を迎え、状況は一変します。今まで使っていた教科書は、教室で先生の指示のもと、自分たちで黒々と線を引いて、戦争について触れてある部分や、進駐軍にクレームをつけられそうな箇所は塗りつぶすことになったのです。その日を境に日本人の価値観は大きく転換させられます。大人は事情がわかっていますから、無理にでも対応しますが、子どもたちは混乱したことと思います。それでも、子どもゆえの順応性は発揮され、進駐軍のジープを見れば「ギブミーチョコレート」と言って走って追いかけるようになるのです。本当に子どもたちに罪はない。そして私たちは二度と繰り返してはいけない歴史なのです。 私が教育実習に行った際に、高校生とたくさん接する機会があったため、いろんな若い意見を聞くことができました。そこには、教員側と生徒側に多くの意見違いがありました。ちょうど、学校祭期間で準備があったりしました。しかし、教員は授業数が間に合ってないという理由から、学校祭の準備に当てられた時間も授業に当てるということがありました。もちろん、生徒側からはブーイングの嵐でとても授業という雰囲気ではない中で、授業が進んでいきました。後々、先生方に聞いてみたところ、要は学校にも進度がありそれをやらなければ国からの通知が来るとのことでした。どうしても公務員という立場上、しょうがないことかなとも思いましたが、そこで罪がない生徒たちの大切な思い出を作る時間を減らしてしまうのはかわいそうかなと思います。ましてや、高校という一番キラキラしている時期の貴重な時間を割くのはもったいないです。勉学に励むことも人生において、価値が高いものですがそれ以上に大切な時期を過ごした仲間や思い出は人生の中でも有数のなくならない資産です。そういう時期にできた仲間に助けられることもあります。勉学以外にも学生生活で手にいれることができるものが多いので、そういったことにもしっかり目を付けてほしいです。

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壺にはまる

【漢字】壺にはまる 【読み】つぼにはまる 【意味】人にはそれぞれの笑いや好意のタイミングがある。 【例文1】壺にはまって笑いが止まらない。 【例文2】壺にはまる所がズレている。 【例文3】ラストシーンが壺にはまる。 友人から不意に写真が送られてきました。友人が実家に帰省した際の写真だったのですが、猫が頭から体の半分ほど壺にはまっていました。友人宅は少々お金持ちで花瓶や掛け軸などが置いてある純和風の実家だそうです。そこに友人がペットと共に帰ったところ、普段はお利口な猫さんも大興奮。自分よりかなり大きい壺や花瓶などには目もくれず、入口も狭く自分よりも気持ち小さい壺に入ってしまったとのことです。いかにもお高そう壺から猫さんの足としっぽがピーンと出ている写真が私の壺にはまり、小一時間笑った後に脇腹が攣った挙句、コーヒーをお気に入りのラグにこぼしました。 途中でふくらはぎもつりそうになり危うくど壺にはまるところでした。今思い返すと何がそんなに面白かったのか自分の事ながら不思議でしょうがありません。猫さんは何事もなかったかのように壺から脱出してきたそうです。何十万もする壺も無事とのこと。壺々と連ねましたが、壺にはまるとは、物事が自分の笑いの壺にはまるだけではなく大事なポイントを押さえるや狙った通りの結果になるという意味だったんですね。写真を送ってきた友人からして見れば、友人の予想どおりに私が壺にはまってしまい被害が甚大で少し悔しいです。

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つぶしがきく

【漢字】つぶしがきく 【読み】つぶしがきく 【意味】金属製品はつぶして再利用できることから、能力がある者は仕事を辞めても他の職種で活躍できる。 【例文1】販売実績を買われて、転職につぶしがきく。 【例文2】学歴はないが、長年の経験がつぶしがきいて即戦力となる。 【例文3】前職のつぶしがきく つぶしがきくの「つぶし」とは、金属製品や金貨・銀貨などを溶かして元の地金にもどすことをいい、「つぶしがきく」とは、金や銀の貴金属は元の地金に戻して、また他の製品に造り変えても価値が変わらないことから、応用範囲の広い能力を持つ者は、それまでの会社や仕事をやめても他の会社や仕事で活躍できるという例えで使われる。 例えば、現在社会問題にもなっている詐欺の能力のある人間は、電話詐欺のグループが取りつぶされたとしても、また違う、通信販売やマルチ商法の業界、政界、宗教界など再就職先はいくらでもあるということである。もともとの人間は一人一人、何かしらのすぐれた能力を持っているからこそ、世の中がうまく回っていると言えよう。現在の世の中には、いろいろな職業があるが、自分に合っている職業に就ける人間は世の中の半数もいないというのが現状である。実際にいろいろな職業に転職しても、自分に合っているかいないかは、周りが判断するものであって、結局は自分が合っている職業なんかは、自分でも分からないのが現状である。実際に世の中の人間すべてが、自分の好きな仕事や趣味ばかりしていては、もちろん世の中が回らないだろう。これも、一つの世の中の仕組みでもあると言えよう。 私は初めて仕事を決める時、特にやりたいことはありませんでした。 漠然とやりたい事はあったのですが、果たしてそれで生計が成り立つのかわかりませんでした。 それよりは確実に収入になる仕事を選ぼうと思っていました。 消去法で残った仕事が事務職でした。 事務はいろいろな業界で必要ですし、もし将来他の職種で上手くいかなくなっても、事務の経験はつぶしがきくと思ったからです。 実際、事務の経験はパソコンスキルの向上や、社会人としても基本的なマナーを学ぶことができ、他の職種になっても生かされる経験ばかりでした。 実際、他の仕事で上手くいかなくなった時、事務の仕事の依頼が来ました。 それで何とか生計を繋ぐことができたことは、やはり事務の経験があったからだと思っています。 どんな仕事でもそうですが、必ずしもずっとその仕事がうまくいくとは限りません。 そのような時、別の仕事の経験があれば、それが一時的でも生活を助ける糧となることがあります。 自分がやりたい仕事につけない不遇な時代があっても、そこで地道に力をつけて次回のチャンスを狙っていくことが大事なのだと思います。

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粒が揃う

【漢字】粒が揃う 【読み】つぶがそろう 【意味】集まった物の大きさが均等に揃っていることから、質が高く優れたものばかりが揃っている。 【例文1】今回の合コンメンバーは粒が揃う。 【例文2】粒が揃えて試合に臨む。 【例文3】3高の粒が揃う。 粒が揃うで思うことは、プロ野球のソフトバンクホークスのことです。 シーズン開幕から先発投手陣の枠争いが激しく、実績がある投手でも容易に先発陣に入ることが難しいほどでした。先発陣が決定した後、武田翔太投手、和田毅投手、千賀滉大投手が怪我のため離脱しましたが、若手の育成出身の石川柊太投手、松本裕樹投手、実績がある山田大樹投手がフォローするなど粒が揃い過ぎていると思います。 同じく4番打者も内川聖一選手、デスパイネ選手が怪我のため離脱しましたが、柳田悠希選手が立派に代役を務めています。4番打者候補としては松田宣浩選手もいて本当に打者も粒が揃っています。 またキャッチャーも高谷裕亮選手が負傷しましたが、育成出身の甲斐拓也選手が立派に代役を務めています。 そして川崎宗則選手が戻ってきたために、セカンドも粒が揃いすぎています。盗塁王のタイトルを取ったことがある本多雄一選手が控えに回っているほどです。 しかし、粒が揃っていても勝てないチームがあります。それは読売巨人軍です。日本ハムから陽岱鋼選手、ソフトバンクから森福允彦投手、横浜から山口俊投手など戦力を補強したにもかかわらず、13連敗を記録してしまいました。 同じ人気球団でも、容易にトレードなどで選手の粒を揃えている巨人と、育成出身が活躍するソフトバンクでは中身が違うようです。やはりじっくりと球団内の選手競争により粒を揃えるほうが強い球団になるのではないでしょうか。

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つば迫り合い

【漢字】つば迫り合い 【読み】つばぜりあい 【意味】同じくらいの実力で互角の戦い。 【例文1】今日の試合は両者つば迫り合いだった。 【例文2】つば迫り合いで決着がつかず延長戦になる。 【例文3】つば迫り合いの良い試合だった。 剣を持つ武人同士の勝負において、相手の斬撃を剣身で受け鍔元どうしを押し付けあう拮抗状態になる様子。 互いに譲らぬ力量を持つ者同士の激しい戦いを表現する言葉ですが、はたして実際に起こりえたのでしょうか。 刀の刀身は鉄で出来ているので結構な重量があり、それを受け止めるとなると尋常でない衝撃が予想されます。 真剣白刃取りが演舞ならばともかく実戦では絶対不可能とされるのも、剣筋を見切れないからではなく圧倒的運動エネルギーによります。 素手で受け止めようなどとするのは狂気の沙汰、柳生流のように刀を持つ手を押さえるほうが余程現実的です。 それほどの運動エネルギーを剣で受け止めた場合、振り下ろされた剣も受け止めた剣も無事で済むわけがありません。 いかに鍛えられた日本刀でも刃は砕け、場合によって一撃で折れてしまうでしょう。 武器を破壊される失策をわざわざするはずもなく、相手の剣筋を見切って攻撃するのが常道というものです。 竹刀剣術であれば、つば迫り合いから体当たり的な技で相手を吹き飛ばすという荒業も存在するようです。 実戦では刀より槍が主力武器として使われていたとも言われます。 弓矢鉄砲まで持ち出されたら刀の出番はなくなるので、つば迫り合いに持ち込まれることはさらに難しいでしょう。

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角を矯めて牛を殺す

【漢字】角を矯めて牛を殺す 【読み】つのをためてうしをころす 【意味】曲がった角を矯正すると、牛が弱って死んでしまうことから、わずかな欠点を直そうとしたら、かえって全体が駄目になるものである。 【例文1】修理しようと機械を分解したら、組立きれず角を矯めて牛を殺す。 【例文2】隠し調味料のつもりが角を矯めて牛を殺す。 【例文3】色塗りの修正が角を矯めて牛を殺す。 角を矯めて牛を殺すとはわずかな所を直そうとして全部が壊れてしまうことです。 そんなことになったら残念でなりませんよね。 私は小学校・中学校の頃と絵がおを描くのが下手でした。色塗りのグラデーションもできませんし、陰影も下手です。毎年夏休みの課題に果物や自画像など描かなければなりません。下書きまではまあ何とか描いていざポスターカラーで塗り始めると立体感は出せないし、リンゴといっても真っ赤で済ませられるわけがありません。教科書をみると緑や白っぽい色も使われています。1時間もかけてようやくそれらしきリンゴが完成しました。仕上げにつや感をだすために色を入れたのが失敗でした。最後の最後で角を矯めて牛を殺すような事をしてしまい、余計な事をするんじゃなかったとひどく後悔しましたが後の祭りです。もう一度最初から描き直しました。本当に才能もないことが実感されました。20歳になって初めての彼氏に料理をするようになりました。レシピ通りおいしくできました。ですが、盛り付けなどは頭にありませんでした。作るのに一生懸命でしたし・・最後の盛り付けまでが肝心なんだよと言われました。 「角を矯めて牛を殺す」とは「少しばかりの欠点を矯正しようとしてその手段が度を過ぎて、かえって物事全体をだめにしてしまうこと」です。これは華道をかじったことのある人は覚えがあるのではないでしょうか。お花を活けるには、花材同志のバランス、花器とのバランスなどを見ながら活けていくのですが、メインに据えるお花をいかに美しく見せるか腐心します。例えば花材にしなる枝、柳や梅などがあるとそれを両手の親指で加減しながら、自分の欲しい曲線が出るように矯めていくのですが、その塩梅が難しいのです。上級者は「こうよ~」などと言いながら、なんていうことなく曲げて見せるのですが、初心者は曲げるつもりが手折ってしまったらどうしようという心配が先にたち、枝を変に傷つけてしまって「あ~」と残念がるもすでに遅し。ということを繰り返して矯め技も習得していくのですが、やはり道と名のつくものは厳しいものです。道はつきませんが、千葉県に和竿という竹で作る釣り竿があります。何年も寝かせた竹を炭で炙りながら矯めて曲げて作るのですが、やはり熟練の技がなければ、良い和竿にはなりません。「角を矯めて牛を殺す」ようでは困るのです。ちなみに千葉県では上総和竿という野布袋竹で作った釣り竿が千葉県指定伝統工芸品として、その製作方法から守られています。

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角を出す

【漢字】角を出す 【読み】つのをだす 【意味】お芝居で女の霊が角を出して鬼になることから、女性の嫉妬や焼きもちを意味する。 【例文1】飲み会で遅くなると妻が角を出す。 【例文2】女性が多い職場で彼女が角を出す。 【例文3】他の女の子と喋ると彼女が角を出す。 嫉妬などの暗い情念で鬼の形相になった女性を表現して「角を出す」と言い、角が生えるのを防ぐ呪いとして「角隠し」が出来たとも言われます。 結婚するに当たって、角を生やすことなく淑やかな女性になることを表現しているという説もあります。 どちらにしろ隠し封印していた角が見えている時点で詰んでいます。 地獄の鬼も裸足で逃げ出す般若面のような形相をした女性が繰り広げる修羅場は、ドラマでも迫力がありますが、実際だと恐怖の具現化です。 自分の縄張りを本能に根ざして主張しているのでしょう、同姓に対する容赦ない攻撃と裏切り者への怒りは底知れません。 三十六計逃げるにしかず、ほとぼりが冷めるまで時間がたてば何とかなる、などと考えるのは大間違いです。 放っておかれる間にも怒りは増幅されていくものです。 女友達や親兄弟まで巻き込めばさらに理論武装されて勝ち目がなくなるどころかより重い判決が下されます。 なんだかんだで事が収まったように見えても心休まる日々は返ってきません。 許したわけでも忘れたわけでもなく、ただ表立って角を出していないだけなのです。 何の気なしに微笑む表情にまで、「ニヤリ!?」などという不穏な特殊効果を幻視してしまいそうです。 角を隠しているどころか、その身に獣を潜ませているのではないかとすら考えてしまいます。 平和な日々を送りたいならば、角隠しの効果が必要になるようなことは絶対に避けるべきだと忠告しておきます。

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津津浦浦

【漢字】津津浦浦 【読み】つつうらうら 【意味】全国の港や海岸。全国至る所。 【例文1】母は友人と休日に津津浦浦の温泉巡りをしている。 【例文2】津津浦浦の友人と5年に一回会う約束をした。 【例文3】同級生が津津浦浦進学・就職する。 「津」は港、「浦」は入り江や海岸のことで、津津浦浦で全国いたる場所、隅々までという意味を表現しています。 かなり前に、津津浦浦まで景気回復を実感してもらうという言葉を聞いた気がするのですが、アレから何年経過しているでしょう。 中央の都市部から離れた場所に居を構えているものからすれば、景気は回復するどころか落ち込む一方です。 大規模災害や世界情勢などに左右される部分もあるのでしょうけれど、それを差し引いても回復速度が遅すぎます。 逆に回復どころか消費税の増税がささやかれたり、年金受給額が減らされたりと将来性がまるで見えてきません。 大体にして津津浦浦までの十分な景気回復を語ること自体が無理すぎるのです。 地方に金をばら撒いても、ただで貰った金を大切に使おうなどと思う殊勝な人間は存在せず、身内で儲けるために適当に使い道を考えてお仕舞いです。 景気回復を目的とする予算を組むならば、給付する側が責任を持って使用基準を明確に指示するべきです。 そもそも中央が疲弊した状況では、末端に余剰がいきわたることなど全く期待できません。 心臓にあたる中央都市部が元気になってこそ、末端の津津浦浦にも潤いが届くというものです。 とにかくはやく景気回復をしないと、津津浦浦は潤うどころか海辺で干上がってしまいかねません。

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辻褄を合わせる

【漢字】辻褄を合わせる 【読み】つじつまをあわせる 【意味】言っている事と行動に統一性を持たせる。 【例文1】彼の話は辻褄が合わないから信用できない。 【例文2】日曜日は友人といたと辻褄を合わせる。 【例文3】昨夜は一緒にいたと辻褄を合わせる。 辻褄を合わせることはいろいろな場面で必要です。 終わり良ければ全て良しではないですが、途中が上手くいかなくても、最終的には上手くまとめることが必要です。 仕事やその他の場面で、上手く辻褄を合わせられるかどうかが、成功するかそうでないかの分かれ道になってしまうことがあります。 しかし、中には上手く辻褄を合わせたつもりでも、ボロが出てしまい、結果的に上手くまとまらないこともあります。 辻褄合わせは良くないことを上手く見せようとすると、かえって辻褄が合わなくなってしまうようです。 私も今まで辻褄を合せようとして上手くいかなかったことが何度もありました。 そういう場合はたいてい、最初から上手くいかないことを無理に推し進めようとした結果です。 もしかしたら、自然の流れに沿っていれば、わざわざ辻褄を合わせなくても上手くいくものなのかもしれません。 下手に手を加えて失敗したケースは何度もありました。 しかし、時にはどうしても辻褄を合せなければいけない場面もあります。 日頃から辻褄を上手く合わせられるように準備しておくことも大切なのだと思っています。 名作とされる小説や映画、ゲームなど、しっかりと物語の展開が構築されている作品では、登場人物から設定までのあらゆる要素で辻褄が合うように作品が作られています。 例えば登場人物が発言した言葉、仕草の理由や、意味のあるようにカメラワークで人間の心理を訴えかけることなど、俗に言う伏線を散りばめる上手さや辻褄を合わせることが、面白い作品を作るために必要なことです。 どんでん返しが存在する作品でも、同じことが言えるでしょう。最後のオチにもっていくためには、それこそオチに物語が終結するように、矛盾のない展開や設定が必要です。この場合には、物語の序盤にオチの辻褄が合う伏線をはる必要があり、そうした設定が生きてこそ物語が発展していき、名作が作られると思います。 過去の名作からも、そうした事柄が大切にされていることが伝わります。サイレント映画の場合は、字幕や出演者の動きから物語の辻褄が合うように表現しなければなりません。チャップリンやバスターキートンの映画を観ると、ただ動き周っているだけではなく、しっかりと計算された動きと展開で表現されていて驚くばかりです。やはり名作を作るうえで辻褄が合う設定や物語の展開は重要だと感じました。

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付け焼き刃

【漢字】付け焼き刃 【読み】つけやきば 【意味】切れ味の悪い刀にはがねの焼き刃を付け足した応急処置では、実際はその場しのぎであり役に立たないこと。 【例文1】雨漏りしてシートで屋根を覆ったが、大雨になると付け焼き刃だから早く業者を呼ぼう。 【例文2】洪水対策に砂袋を置いただけでは付け焼き刃だ。 【例文3】釣った魚をサビたナイフでさばくのは付け焼き刃だ。 私は高校生の時に、就職を有利に運ぼうと思い、資格を取ろうと考えたのです。 しかし特にやりたい事がなかった私は、何の資格を取ったらいいのか分かりませんでした。 それで取りあえずメジャーな資格を取っておけばいいだろうと思い、簿記検定を受験する事にしたのです。 始め三級を受験しようとしましたが、二級以上でないと就職に有利に働かないと聞いたので、二級を受験する事にしました。 これまで簿記の勉強を全くしてませんから、理解するまで時間が掛かりました。 ですが勉強を進めて行く内に、段々簿記の全体像がイメージできるようになり、これなら合格間違いなしと思ったのです。 そしていよいよ、受験となりました。 ところが実際の試験問題は簿記の深い知識を要求するものであり、私のような付け焼き刃程度の知識では答えを導き出す事が出来ませんでした。 それであっという間に時間が過ぎて行き、ほとんど答えを書けずに試験が終了してしまったのです。 結果は不合格となり、自分の簿記に対する考えの甘さを悔いたのです。 これを教訓にして私は、簿記の勉強に時間を掛けて真面目に取り組み、再び二級の試験を受験しました。 今度はしっかり簿記の深い所まで勉強したので、見事合格をする事が出来ました。 今回の事で私は、付け焼き刃程度の勉強はいけないと思い知ったのです。

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月夜に提灯

【漢字】月夜に提灯 【読み】つきよにちょうちん 【意味】月夜の明るい時に提灯はいらないことから、必要ない。無駄なもの。 【例文1】涼しいから今夜は冷房は月夜に提灯だ。 【例文2】あったかいダウンジャケットのお蔭で手袋は月夜に提灯だ。 【例文3】鍋を囲めばストーブは月夜に提灯だ。 皆さんは月夜に提灯と言う言葉を知っていますか。不要なことの例えとして使えます。月の光は提灯の火よりも明るいことは勿論です。この言葉の状況をそのまま頭の中で思い浮かべると少し面白いです。月が差している明るい夜だというのに、一人の人物が提灯を持って歩いており、それを怪訝な目で見る見知らぬ人々がいるそんな状況。提灯が普及していた昔であっても、やはり悪い意味で目立ってしまうだろうと思います。 この言葉は、月夜に提灯夏火鉢と後ろに夏火鉢をつけた形もあります。類句に夏炉冬扇という四字熟語もあります。そして、発展して月夜に提灯も外聞と言ったりします。不必要なのは知っていても体裁や見栄を考えると必要なケースもあるという例えになります。この発展形も面白いです。一見するとそれは不必要なものに見えるかもしれないが、別の角度から見ると全く必要であるという、多くの意見・価値観・思惑が飛び交う現代社会にぴったりの言葉です。ある種こだわりを、月夜に提灯も外聞と言う言葉が表しているのかも知れません。誰に何と言われようとも譲れないものってあるかと思いますが、その譲れないものを突き通す様は、月夜に提灯を持って歩く様に重ねることが出来そうです。

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月夜に釜を抜かれる

【漢字】月夜に釜を抜かれる 【読み】つきよにかまをぬかれる 【意味】明るい月夜に釜を盗まれるたとえから、油断していたら後でひどい目に遭うという戒め。 【例文1】水泳が得意だが、月夜に釜を抜かれて足がつる。 【例文2】準備運動をしないと月夜に釜を抜かれる。 【例文3】うぬぼれていると月夜に釜を抜かれる。 月夜に釜を抜かれるとは月の出ている夜にご飯釜を盗まれてしまったような意味でしょうか。 そして、教訓としては月がきれいだなぁなどどボーとしている間に大切な釜の飯は取られてしまった。 油断をしていては出し抜かれて大切なものを失ってしまいますよということですかね。 泥棒が活動しにくい明るい月夜に炊飯の釜を盗まれる。ひどく油断をして失敗することのたとえだそうです。 そこそこ合ってました。 大丈夫であろうとかいかぶって油断していてはいけないということです。 奥さんは自分のことが好きだから嫌いになるはずはない、別れるなんて切り出されることは絶対ないと油断して、おざなりな態度や横柄な態度をとり続けていると、気づいたときには別の男性に取られていて離婚届を突き付けられることになってしましますよ。 慣れに甘んじることなく、常に誠意や優しさをもって彼女を大切にしないと後で後悔してももう取り返しがつきませんからね。

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月に叢雲、花に風

【漢字】月に叢雲、花に風 【読み】つきにむらくもはなにかぜ 【意味】名月に雲がかかって見えない、風が吹いて花が散るようにいい事、楽しいことは邪魔が入りやすい。 【例文】図書館で勉強していたら騒がしい高校生たちがやって来た。月に叢雲、花に風で迷惑だ。 【例文】デートの時に限って残業で月に叢雲、花に風だ。 絶好調のときほど用心しなければならないとよく言われます。 スポーツ選手などでも去年まで絶好調だった選手が今年になって突然調子を落としたり、怪我で調子が取り戻せなくなることもあるからです。 クリエイティブな職業の場合は、良いものが出来てしまうと次回作るものに思い悩んでしまうこともあります。 芸能界においても名前が知られるようになった有名人は妬まれることも多くなり、周りのことを嗅ぎまわられスキャンダルが出ることもあり、成功者は孤独だという話しも聞きます。 「月に叢雲、花に風」という言葉がありますが、もともとは月でも花でもなかった人が突然目立つようになってしまい、環境の変化に戸惑ってしまうこともあるようです。 月は目立つ存在であるからこそ雲に隠れた際にもそれを意識されやすく、花もまた同様に風が吹くことで散ったことを意識されてしまいます。 春になると咲き誇る桜などは同時に吹き荒れる風のせいですぐに散ってしまうことからもそれが言えると思います。 これらのことからも目標や夢を達成することよりも、それを維持し続けていくことの方がよっぽど難しいことのように思えるのです。 そして同時に、そのときにしか見ることのできない儚いものだからこそ、美しいものはより美しく見えるのかもしれません。

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月とすっぽん

【漢字】月とすっぽん 【読み】つきとすっぽん 【意味】二つの優劣があまりにも違いすぎる。褒め言葉と一方は劣る時に使う。 【例文1】仕事も成功してマイホームで幸せな家庭も築いて君とでは月とすっぽんだな。 【例文2】年収の差が月とすっぽんだ。 【例文3】美女と野獣で月とすっぽんだ。 月とすっぽんという表現は、当事者たちではなく、あくまでも第三者からみての評価です。 一般的には、月がいい意味、すっぽんが悪い意味で表現されます。 兄弟とか、友人とか、環境や年齢が近い人同士がよく比較対象となりますが、比較された方とすれば、月ならまだましも、すっぽんといわれた方はいい気持ちはしないでしょう。 この言葉が、主に陰口として使用されることが多い理由でしょう。 素行が悪いとか、性格がきついとか、本人の努力によって改善できるすっぽんはまだましですが、外見であるとか容姿だけで、優劣をつけられるのはとてもひどい話です。 そんなに悪意を持って使っている言葉ではないとしても、当事者にしてみれば、とくにすっぽんといわれた方にしてみれば傷つく言葉なのです。 ただ、人の陰口やうわさ話が好まれるのも、人間の常なので、もし、この表現で人を比較するのであれば、決して当事者達の前では使わないことが最低限のマナーだと認識しておきましょう。 もし自分が、兄弟や友人と環境や性格を、赤の他人から勝手に比べられて、自分がすっぽんといわれていたらとてもつらい思いをするでしょう。 また、もし月だとしても、比較された相手を思い心を痛めるでしょう。

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杖とも柱とも頼む

【漢字】杖とも柱とも頼む 【読み】つえともはしらともたのむ 【意味】とても頼りにしている。 【例文1】家のリフォームは建設業の息子に杖とも柱とも頼む。 【例文2】老後は優しい長男を杖とも柱とも頼むとする。 【例文3】稼ぎがいい夫は杖とも柱とも頼む。 「杖とも柱とも頼む」の杖は歩行の時に体重を支えるために使用する長い棒のことですが、ここでは転じて「頼りとするもののたとえ」で、「杖とも柱とも頼む」は「非常に頼りにしている存在である」という意味です。 というと非常に大袈裟なようですが、例えば漫画家と編集者の関係がそうではないでしょうか。集英社の「少年ジャンプ」に掲載され、アニメどころか実写版の映画にまでなった人気漫画「バクマン。」絵は物凄く上手な真城最高と文才と発想力に優れた高木秋人の二人がコンビを組んで漫画家を目指していく話です。苦労しながらも、やっと完成した作品をジャンプ編集部に持ち込んだ二人は敏腕編集者・服部哲と出会い、その資質を認められて漫画家としての第一歩を踏み出し始めます。これは漫画の中の創作話ではありますが、編集者が作品のみならず、書き手の性格、抱える事情、希望など全てを承知の上で、より読者にアピールできる作品をとか、今度はこうした方がいいとかアドバイスをし二人は従ったり、逆らったりしながら成長しく様子がすごくリアルなのです。 実際の現場がこうだとは限りませんが、漫画家が仕事上、「杖とも柱とも頼む」人は編集者に違いないと思わせる作品です。また、第32回吉川英治文学新人賞を受賞し、大ベストセラーとなっている辻村美月の「ツナグ」もそんな関係性の中で生まれた珠玉の作品です。辻村本人が他の作品の中で「あの編集者がいなければ『ツナグ』は書けなかった」と書いています。彼女もまた、編集者を「杖とも柱とも頼む」作家のひとりなのです。

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つうと言えばかあ

【漢字】つうと言えばかあ 【読み】つうといえばかあ 【意味】語源は「~つう事だ」「そうかあ」からきていると言われ、親しい間柄でちょっと言えばすぐ通じる様子をいう。 【例文1】じいちゃんとばあちゃんはつうと言えばかあの一言会話で通じるからすごい。 【例文2】親友とは20年来のつうと言えばかあの仲だ。 【例文3】つうと言えばかあと言える仲になりたいね。 「つうと言えばかあ」は俗にいう「つうかあの仲」のことです。「お互いに気心が知れていてちょっと口にしただけで内容がわかるほどに気持ちが通じ合って仲がいいこと」です。実際にそういう関係の方々がいても、よほど近しい人でなければわかりません。ですが、小説にはそういう人たちが存在します。畠山健二氏の「本所おけら長屋」に出てくる酒屋つとめの松吉、米屋つとめの万造の万松コンビが「つうかあの仲」です。良いことも悪いことも、口の端に上らせただけで「あいよ」「みなまで言うな」状態で二人で話を進め、時に周りの人だけでなく読者までが置いてきぼり。そして長屋中を巻き込んで大騒ぎになります。読者を大きく裏切る展開にハラハラドキドキ、時にぼろぼろ泣くことに。「本所おけら長屋」にはお節介な人たちが不思議に集まり、毎日がとても賑やかです。読み始めれば一気に読み終えないほど気が済まないほどはまります。お節介で、それぞれ仲が良い人たちの織りなす人情話。だから八冊も続編が出るほど支持されているのですね。東川篤哉氏の「謎解きはディナーのあとで」に出てくる執事も「つうと言えばかあ」で麗子お嬢様が何かしようとすれば先回りして何もかも手配をしてくれる、とても有能な執事ですが、こちらはあいにく麗子お嬢様がものすごく鈍く、執事の彼の気持ちがわからないので、こちらは厳密にいえば「つうと言えばかあ」の仲ではありません。お互い同志が分かりあえていることがキーポイントですね。 

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終のすみか

【漢字】終のすみか 【読み】ついのすみか 【意味】最期を迎える時に住むところ。 【例文1】高齢の母の終の棲家を自宅にするか施設にするか考える。 【例文2】終のすみかは長男夫妻と孫たちに囲まれて過ごすと決めている。 【例文3】独り身で終のすみかが不安だ。 「終のすみか」とは人生の終焉を迎える場所のことです。円地文子の「終の棲家」という小説の題でこの言葉が知られるようになりました。昔は「終のすみか」などと考えずとも、大抵の人は今住んでいる場所であったわけです。では「終のすみか」が話題になってきたのはどうしてでしょう。それは日本人のライフスタイルの変化です。江戸時代は江戸の町を支えるために男手がたくさん必要で、独身の男性が長屋などに住んでいても、長屋に住む者同士で助け合い、病気になれば看病し、亡くなればみんなで協力して葬式をあげることが当然でした。時代は移り、第二次世界大戦後の高度成長期、黄金の卵と呼ばれた地方の子どもたちが集団就職で都会へやってきて、所帯を持って団地に住み、同時に核家族化が進みました。その彼らが年老いて団地も老朽化してきた現代、核家族で育った子どもたちはやはり核家族で暮らしているか、独身のまま単身で暮らしています。少子高齢化も進み、老人性認知症や、老人世帯の増加など今まで想定してこなかった新たな局面を迎えています。子どもにいろいろな事情で頼れない、頼りたくない高齢者。それでも身体機能は衰えるので独居は無理になっていきます。そこで「終のすみか」を考える事態になるのです。身体が不自由になった時、介護の担い手はどうするのか、子どものところで同居させてもらうのか、施設に入居するのか、それとも今の自分の家で最期まで踏ん張るか。そういう選択を迫られる時代になったということです。誰しも必ず迎える老年期。あなたは「終のすみか」をどうしますか? 今の時代、これからの時代には自宅を終のすみかにする人はどの位いるものなのでしょうか。 少し前の時代であれば、割と同居している世帯も多かったので介護の心配や身体が少し不自由になったからといって施設に入る事も今よりは大分少なかったと思います。 ですが、今は同居している家庭はあるものの、お嫁さん世代にはあまり同居に積極的な方は少なくなり、さらにお姑さん世代も子どもたちの世話にはなりたくないと言っている方もも割合多くいます。なので、マイホームを持っていながらも年齢を重ねていくにつれ、老人ホームなどの施設を終のすみかにしようと考えている方の数は思った以上に多いようです。 私の祖母もその一人で、旦那さんである祖父が亡くなってからまだまだ元気ではありますが、自宅ではない施設を終のすみかにと考えているようです。 ご夫婦共に健在でも老老介護を避けるために早めに施設を探している方もいると話を聞いた事もあります。 最期までマイホームで過ごす場合も、どこか施設に入る場合にしろメリットもデメリットもあります。 マイホームの場合は一番リラックス出来、安心して過ごす事が出来ますが老後にはある程度は家に手すりなどを付けたりなどのリフォームが必要になります。 そして、家事は食事などの必要最低限は最後まで必要になります。 施設の場合は、どういった施設を選ぶかにもよりますが、最低限の生活は保証してもらえます。自分で自分の事をする所もありますが、一人きりではないので何かあっても対処はしやすくなります。 ですが、それには当然の事ながら費用がかかります。選ぶ施設によってピンキリですが、充分に蓄えがないと厳しくなります。 どちらにせよ、なるべく自身が安心して過ごせる終のすみかを早い内に考えて決めておきたいですね。

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