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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。 Powered by 手作り言葉辞典

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我が仏尊し

【漢字】我が仏尊し 【読み】わがほとけとうとし 【意味】自分が信じるものだけが正しいと思い込んでいる。 【例文】我が仏尊しで視野が狭い 「我が仏尊し」とは、自分の信じるものだけをやみくもに大切にして、ほかの物を顧みない狭い心の状態のことです。そのような心掛けでは、ほんとうの心の豊かさや幸せを手に入れることなどできません。たとえば、自分の働いている会社が一番素晴らしい、社長の考えがすべて正しいと思っている会社員は、上に言われたことは何でも正しいと思って疑いません。そのような会社員はたとえ間違った指示でも訂正することなく従うので時間とお金の損失を招きます。やがて、会社に都合の悪いデータを隠したり改ざんしたりすることにもつながるでしょう。これでは会社をよりよくするアイデアなどまったく出るわけがありません。会社にとっても、取引先やお客さんにとっても損です。本人も成長することができず、一生会社の言いなりで出世することも給料が上がることもできないでしょう。それに会社が潰れてしまったら、共倒れになるしかありません。これは国の組織にも同じことが言えます。また、家族や恋人、友人関係においても同じです。親の言うことは何でも素晴らしいと思って自分で考えずに生きてしまったら、親が死んだときにその人は自分がどうやって生きていけばいいのかわからなくなってしまいます。親を超えることもできません。ひとつのことを妄信せず、様々な考えを取り入れることが大切です。 「我が仏尊し」状態だった私の学生時代 「我が仏尊し」という言葉をご存知でしょうか? 私はこの言葉を正直、今まで聞いたこともありませんでした。 自分の教養を高めるためにも、この言葉について調べてみました。 「我が仏尊し」とは、自分の良いと思っていることが他のどんなものよりも優れていると思い込む、ということの例えです。 優れているものを「仏」と例えているのですね。 ふとこの言葉を知って思い出したのは、過去の自分の性格のことでした。 私は自分で言うのも恥ずかしいのですが、中学生の頃は比較的頭が良い方だと思っていて、自分の考えることは正しいと思っていたのです。 まさに「我が仏尊し」といった状況だった訳ですね。 しかし、高校生になってアルバイトを始めたことをきっかけに、自分の知らない世界が沢山ある、ということに気付きました。 それと同時に、自分より優れた考えを思い付く人は沢山いると思い知らされたのです。 その頃の自分を思い返すと、なんて傲慢だったんだろうと恥ずかしくなります。 しかし、そうした経験があるからこそ、常に上を目指していこうとする姿勢が身に付いたのだと感じています。 「我が仏尊し」の考えでは、限られた範囲の思案しかできず、成長には限界がある、ということに気付かされた私の体験談でした。

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和を以て貴しと為す

【漢字】和を以て貴しと為す 【読み】わをもってとうとしとなす 【意味】聖徳太子の憲法十七条の第一条の言葉。争い事をせず、人々が仲良くすることが大切だという意味。 【例文1】商店街は和を以て貴しと為すで活気がある。 【例文2】全員が賛成するまで和を以て貴しと為して話し合う。 【例文3】ご近所さんと和を以て貴しと為す。 和を以て貴しと為すとは何事をなすにも人々が仲良く争い事が起きないのがよいという聖徳太子の十七条の憲法冒頭にある言葉です。 子どもが友達と遊び始めると仲良く遊ばないとだめだよと誰もがお母さんから言われる言葉だと思います。幼稚園や保育園に入園すると必ず先生からもみんなで仲良く遊びましょうと教えられます。そうは言っても小さい子は理解できない事もありますよね。集団生活の中で少しづつ学んでいくものだと思います。 小中学校に上がるにつれ、個人の性格の差があらわれ頭ではわかっていてもそれができない事もあります。特に女子はグループを作りたがる傾向がありますので、行動は同じメンバーになる事が多いですよね。3人グループになるとうまくいかない事も多いです。先生たちもよほどの仲間外れなどがない限り、注意はしませんが、どこのクラスにも一人になる子がいました。 社会人になると環境もガラッと変わり戸惑いましたが、いい印象を与えるには笑顔とあいさつが大事だと思い、自分から積極的に仲間に入っていきました。

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輪を掛ける

【漢字】輪を掛ける 【読み】わをかける 【意味】その上に。程度を大きくする。 【例文1】弟も才能あるが、兄はさらに輪を掛けて優秀だ。 【例文2】妹も美人だが、さらに輪を掛けて姉も美人だ。 【例文3】昨日よりも輪を掛けて料理が上達した。 「輪を掛ける」とは「一層はなはだしい様子にする。話の内容などを誇張する」ということです。今の若者言葉でいえば「話を盛る」といった感じですね。「信長公記」などによると桶狭間の戦いで、織田信長は2万の今川義元軍を2000の兵で打ち破ったかのように書いてあります。これは明らかに話に「輪を掛けて」あるというのが最近の定説です。今川家の人質となっていた松平元康(のちの徳川家康)と今川方の武将・朝比奈泰朝はそれぞれに織田信長方の前線基地である丸根・鷲津砦に攻撃をしかけます。そして両砦は陥落し、今川方は緒戦で勝利を収めます。これを受け、後方の沓掛城で戦況を見守っていた今川義元は本隊を率い、大高城に向けて進軍を開始します。この時の義元直属の兵力は5000ほどで、他の2万の軍勢との連携を欠いた状況で行軍していました。そのうえ、桶狭間の戦いの日は目の先も見通せないほどの豪雨となっていて、今川軍は油断をして戦場なのに休息をとっていました。そこへ、信長が2000の兵で攻め込みました。急襲です。そうなれば兵の数は問題ではありません。今川義元は討ち死にし、信長は天下を取る第一歩を踏み出すのです。そして彼が話に輪を掛けたとしても誰も訂正できないのです。何しろ天下人ですから。

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我を忘れる

【漢字】我を忘れる 【読み】われをわすれる 【意味】自分の言動が冷静に判断できない。自分を見失うくらい集中する。 【例文1】我を忘れて気が付いたら10時間ゲームをしていた。 【例文2】我を忘れてスマホに夢中になる。 【例文3】我を忘れて救助にあたる。 我を忘れるとは心が奪われるほどぼんやりする。冷静な判断ができないくらい自分を見失うという意味です。 皆さんも一度はなったことあるのではないでしょうか? たとえば川で泳いでいた子どもを必死で助ける姿や、カッとなって喧嘩相手を倒れるなど我を忘れるくらい夢中になっているとうかがえます。 スマートフォンが普及した現代、町中至るところでスマホ歩きをしたり電車に乗れば、大人も子どもも携帯をいじっています。我を忘れて乗り過ごしたなんて事もあるかもしれませんね。 私もスマホに夢中になることがあります。ラインはもちろん趣味のアプリを入れて、日曜大工の写真投稿を我を忘れて4時間も見続けていました。子ども達もSNSにはまり片時もスマホを離しません。部屋に戻ると寝るまでいじっていると思われます。何事も熱中するのは良いことですが、食事や睡眠時間を削ってまで周りが見えなくなるほどやり通すにも少し考えさせるものがあります。

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我も我もと

【漢字】我も我もと 【読み】われもわれもと 【意味】誰よりも先に負けじと争う様子。 【例文1】我も我もとバーゲンセール品を手に取る。 【例文2】我も我もと出待ちにファンが押し寄せる。 【例文3】値引きセールとなると我も我もと急ぐ。 どうしても手に入れたいものが限られた数しかない時、わかりやすく言えばスーパーの特売日。 普段から家計を切り盛りしている主婦からするとこんな嬉しい日はありません。 すこしでも食費を抑えたい、お得な買い物をしたいと、主婦でなくても一度は思ったことはあるのではないでしょうか。 お目当の商品を手に入れようと同じ時間帯に駆けつける人たちの考えはみんな一緒。 売り場には人だかりができ、商品が手に届かないであろう外野からも我も我もと手が伸びてくる。 こんな光景はよく見かけますが、その商品は人と争ってまで手に入れる価値があるのでしょうか? 今日どうしても買わなければならないものでしょうか? 食品だけではなく、人は供給が少ないものにたいして争ってでも手に入れたいと思うことはよくあると思います。 これまでもトイレットペーパーやお米、ガソリンなど、今後なくなってしまうわけではないのに、今ここでしか手に入れられないお得感や すこしの値段の差、欲しい時にないかもしれないという不安などから買い占めや行列ができニュースにもなりましたね。 我も我もとという言葉は大勢の人間が争っている様子を表した言葉で、我も我もと先を急ぐ、我も我もと手を挙げるなどの様に使われる言葉になります。そしてこの我という言葉は自分自身を表す言葉になりますが、この場合は我も我もとは第三者視点から争っている人たちを見ているのでややおかしな表現になっています。 なので、正確に言えば誰も彼もと先を急ぐと言う言葉の方が適している様に思われます。しかしこの誰も彼もという言葉はその場にいる人間全てを含んでいる言葉になっていて、誰も彼もが噂をしているなどの様に観測されている人間全てがそうである時に使われています。 一方、我も我もとという言葉はその場にいる人間全てではなく争っている人間だけを表した言葉になります。例えばその場に10人いたとしてそのうちの5人が何かを争っている場合は我も我もとが使われ、10人全員が同じことをしているのならば誰も彼もが使われる表現になります。 したがって我も我もとは自分自身を表す我と言う言葉が入っているにもかかわらず、第三者から見た表現になっていると言う複雑な言葉になっています。なお同じ様な意味を持っている我先にとですが、この場合は物理的な時間が関係してきますのでより競争という意味合いが強くなっています。 我も我もと大勢の人が我先に争う様は、外から見ていて見苦しいと思うことがあります。 しかし、それは人間の理性ではなく、動物的な本能なのかもしれません。 人は理性や道徳が優先すると、きちんと秩序を守るようになります。 また、相手を優先させるような心遣いも見られます。 もしかしたら、我も我もと争うよりも、大勢で譲り合って分け合ったほうが貰えるものは大きいのかもしれません。 しかし、何らかの力が働いて、欲深くなってしまうと、譲り合いの精神はなくなってしまうのかもしれません。 人は極限の状況に置かれた時に、どんな行動の取るのかはその時になってみないとわかりません。 普段から強欲な人は究極の場面になれば、なおさら欲だらけになってしまうかもしれません。 欲が災いして悪事を犯し、一生後悔するのも嫌なことです。 生きるために仕方がなかったと、自分を自己肯定しても、やはり罪悪感は残ってしまうかもしれません。 我も我もという状況になった時こそ、その人の真価が問われる時なのかもしれません。 欲が深すぎて自滅しないように気をつけなければいけないと思います。 強欲でも相手に譲り過ぎても、どちらも欲が強い現れなのかもしれません。 できれば、我も我もと争う群衆の中に自分が入り込まないで済むようにしたいものです。

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我に返る

【漢字】我に返る 【読み】われにかえる 【意味】興奮が冷めて平常心に戻る。 【例文1】ハッと我に返る。 【例文2】怖い夢を見て我に返る。 【例文3】我が子を叩きそうになり我に返る。 私は可愛い女性に目がない、というか面食いなタイプではあります。 同じような女性なら、どうしても可愛い女性に絡んだり話かけたりする、そんな人ではあります。 しかし、私は奥手な方でどうしてもすぐに付き合いたいとか思っていても諦めてしまう。 周りには勿体無い!もっと攻めろよとか言われるけどそんな訳にもいかないと思ってしまう。 自分は病気(精神の病気、障害年金二級)を患っていて、仕事もパートやアルバイトを点々としている。 勿論、資産も無いし、車もないし免許も障害のせいで持っていない。 自分には何もなく自信すら持っていないのである。 そんな現状をみて、たとえタイプの女性がいて、かつもし向こうが自分に好意を持っていてもなかなか付き合いたいと思ってテンションアゲアゲでも、我に返って考えるとまず好意がある人と親密になろうとは考えてはいけないと考えてしまうのである。 私は自分では言うのも変なのだが、微妙にイケメンらしく、自分の素性を知らない女性からよく擦り寄られてよく懐かれてしまう機会が多い。 勿論、自分の障害の事を簡単に話しても距離を置かれる事はないのだが、付き合いたいとは誰も思わないだろう。 そう思うと我に返って、女性とは付き合いたくても・・と思いながらも葛藤しながら日々を過ごしています。 このところ飲み会が多い我が家の夫さん。 毎晩のように飲み会があり、いつもリビングのソファーで朽ち果てておりだいぶお疲れの様子です。 我が家は共稼ぎで、彼の帰りを待っていたい気持ちはあれどたいてい途中で寝てしまっています。 先日、彼がリビングで彼の帰りを待ちながら寝てしまっていたわたしに声をかけました。 「あおいちゃん!」 「あおいちゃん?頼むよ?」 ・・・は? わたしは飛び起きて「おい、今なんつった?」 夫ははっと我に返り顔色が真っ青になっていきます(あおいちゃんだけに) でも実はわたし「あおいちゃん」のことを知っているんです。 「あおいちゃん」は夫の上司のお気に入りの銀座のお姉さんで、夫にまでいつも丁寧なお礼状を下さっています。 でもこの「あおいちゃん」は相当なやり手で夫に内緒でわたしにもお礼状をくださるんです。恐らく、夫さんの上司の奥様にも送っているのだと思います。 必死で弁解する夫さんを尻目に、わたしの知らない夫をご存知の「あおいちゃん」にわたしもいつかお会いできたらいいなぁと考えています。 細やかな気遣いができる「あおいちゃん」のお店なら間違いないだろうし、わたしも接待で利用してみようかしら。なんて。

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破れ鍋に綴じ蓋

【漢字】破れ鍋に綴じ蓋 【読み】われなべにとじぶた 【意味】破損した鍋にでもそれ相応の蓋があるように、どんな人にでもそれなりに合う伴侶がいるもの。似た者同士。 【例文1】破れ鍋に綴じ蓋と言うからこの際妥協はしない。 【例文2】破れ鍋に綴じ蓋を信じて婚活を諦めない。 【例文3】破れ鍋に綴じ蓋と言うが、いないじゃないか。 私はこれまでの人生で、一度たりとも彼女が出来た事がありません。 ですから彼女が欲しいと言う気持ちは誰よりも強く、これまで彼女作りに奔走しているのです。 今はさらに一歩進んで、結婚したいと言う気持ちになり、婚活に励む日々を送っています。 結婚する為には相手を見つけなければなりませんから、結婚相談所に登録をしてみました。 結婚相談所ならこれまで数多くのカップルを成立させていますから、私のような者でも、結婚できるんじゃないかと思っているのです。 結婚相談所主催のパーティーが開かれると聞いて これはいいチャンスだと思い、私は意気込んで参加しました。 パーティー会場には多くの男女が来ていて、私は気後れしてしまい、誰にも声を掛ける事が出来なかったのです。 そんな中、一人の女性が私に声を掛けてくれたのです。 私は心の中でやったーと思い、彼女としばしお話をしました。 しかし口下手な私は彼女と楽しく話を続ける事が出来ず、彼女は面白くなかったようで、他の男性の所に行ってしまいました。 その後私は誰にも声を掛けられず、誰も声を掛けてくれず、パーティーが終了してしまったのです。 こんな感じで中々婚活が上手くいっていませんが、破れ鍋に綴じ蓋という言葉を信じて、これからも婚活を頑張ろうと思っています。

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我関せず

【漢字】我関せず 【読み】われかんせず 【意味】自分には関係ないという態度を取る。 【例文1】我関せず的な彼の態度に周囲がドン引き。 【例文2】無責任で我関せず。 【例文3】面倒な事には我関せず。 とっても腹が立つ人がいます。 それは職場の人で、いつも何故か暇そうで謎の徘徊をしていて、そのせいか仕事にもミスが目立つ人がいます。 わたしが今の部署に異動になったばかりの頃、その人の仕事を引き継ぐことになっており、その人に教わった通りに仕事をして、その人にチェックをしてもらうという時期がありました。 その人はいつもどこかで誰かとお喋りしているため席にいることが少なく、すぐにチェックをしてもらえないことが多く、またよっぽどお喋りがしたいのかチェックもおざなりでチェック漏れで業務漏れする事案が発生したこともあり、そんな時彼は他人事のように振る舞い、我関せず的な態度を取ります。 こういう時に人間性って出るんだなと思いました。 それからはその人以外の方にわからないことは質問するように心がけ、仕事をさっさと覚え、その人と絡まないようにすることに必死でした。 その人のお陰でミスが発生してしまうことだけはどうしても避けたかったのです。 彼は未だにしれっとわたしの背後に立ってわたしの業務を見ていたりと、謎の行動をすることもあり、最近ますます苦手です。 わたしのことも我関せず。でお願いしたいところです。

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悪い虫が付く

【漢字】悪い虫が付く 【読み】わるいむしがつく 【意味】好ましくない連中が女性について回る。 【例文1】娘に悪い虫が付かぬように父が送迎をする。 【例文2】彼女に悪い虫が付かないか彼氏が心配する。 【例文3】娘の彼氏の事を悪い虫が付いただなんて。。 我が家の娘は産まれたその瞬間から「可愛い」と言われて育ちました。 親のわたしが言っても説得力がないのですが、ご近所の方、友人、娘の友達の親御さん、あちこちで会う知らない方などから「娘ちゃん可愛いね?」とか「大きくなったら悪い虫が付くなんてことがないように気をつけないとね」とか「娘ちゃん可愛いからストーカーとか痴漢とかに狙われないように気をつけないとね」などど言われて来ました。勤務先の後輩から「娘ちゃん紹介して」と言われることもしょっちゅうだし、実際一緒に買い物をしていると某芸能事務所の方からスカウトされることもあります。 さすがに親としても「確かに可愛いけどそこまでかなぁ?」という気持ちになるし、他人様に犯罪の心配をされると不安にもなってきます。 部活は部内恋愛が禁止で厳しい監督さんもいるから安心していますが、帰りが遅くなる時は駅まで迎えにいくことにしています。 そんな娘にも付き合って二年になる彼氏がいます。 ぶさいくです(笑) でも流されない強さとしっかり自分を持った子で娘にしてはいい子を選んだなと今の恋愛に関しては安心していて、今のところは悪い虫は付いていないようです。 できれば今の子と末永いお付き合いになればいいなぁと願う母でした。

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割を食う

【漢字】割を食う 【読み】わりをくう 【意味】損をする。 【例文1】割りを食うから他人のケンカの仲裁はやめとけ。 【例文2】割を食う行動はしない主義。 【例文3】頑固で割を食う。 割を食うとは、損をするとか自分のほうが不利益になると言う意味ですが、そんな場面ありますよね。 理不尽だ、とか腹が立つといった感情が出てきます。 ただ冷静に考えてみると一見損をしているように感じても、後々になっていい勉強になったなとか、損ではなくて自分が未熟で損をしているように感じていたんだということもありますよね。 人生、何が得で損かなんて分からないことってたくさんあります。 なので、できるだけ目の前のことに一喜一憂せずに中庸な考えかたをできるようになりたいものです。 しかし、正直者が割を食うなんて言うこともありますが、それは嫌です。 正直な人や素直な人が、醜い人に虐げられるのは納得がいきません。 でも昔に比べると、正直者が世の中これから生き残ってくるのではないでしょうか。 嘘がばれる時代になってきたということです。 ネットが発達したのもあるし、人の見る目が養われてきたというのもあるのかもしれませんが嘘が暴かれやすくなってきました。 政治の世界でも、問題を隠そうとしたり誤魔化そうとする人は暴かれていますよね。 会見などをしても、その人の様子で嘘をついているのか誠実に話しているのか多くの視聴者が見抜いています。 正直者が割を食う時代ではなくなっていくのはいいことだと思います。

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割に合う

【漢字】割に合う 【読み】わりにあう 【意味】条件が合う。それだけの甲斐がある。 【例文1】仕入れにこれだけ掛かっては割に合わない。 【例文2】割に合う仕事を探す。 【例文3】作業と報酬が割に合わない。 雇用される側からすれば、働けど我が暮らし楽にならずでガックリくることこの上なしです。 時間外労働やサービス残業などは割に合う合わない以前の問題ですが、弱小企業はそのような形態でもとらないとやっていけないところもあります。 大企業が違法な雇用形態などとっていれば裁判沙汰は必至なので、その分のしわ寄せは下に下にと回ってくる寸法です。 あからさま過ぎると流石に社会問題になりますが、逆らったり文句が言えない立場の人間はどこの社会にも存在するものです。 安い給料でこき使われたり、やっとの思いで受け取る報酬から手数料を差し引かれたり、反論する手段すらない側からすれば堪ったものではありません。 どれほど文句があろうが、雇う側はいくらでも働き手を選べる状態なので、好き勝手に契約内容を変更しても人手不足などにはなりません。 労働者の職種に対する質の低下は、社会全体に悪影響を及ぼすのですが最低基準をクリアすれば問題なしと考えているのでしょう。 雇われる側以上に雇う側の人たちは割りに合う仕事というか、楽して儲けることに貪欲です。 このままいくと最低基準を守ることすら誤魔化すような事態になるのではないかと不安で仕方がありません。

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割がいい

【漢字】割がいい 【読み】わりがいい 【意味】標準より条件が良い。 【例文1】割がいいバイトないかな~。 【例文2】割がいい仕事を探す。 【例文3】ビールの売り子は割がいい。 仕事を選ぶとき、労働と給与のバランスは重要です。ハードな仕事なのに給料が安いと、損した気分になってしまうものです。労働量に見合った給料を得られる仕事でないと続けられません。ですが今までしてきた仕事は、給料が安く不満がありました。それでも、10年以上辞めずに働き続けたのです。それはなぜかというと、給料以上に得るものがあったからです。私は幼稚園教諭として働いていました。とてもハードだし雑務もたくさん、残業代も出なくて持ち帰り仕事もある…と、不満を挙げればきりがありません。でも、この仕事をしていると子どもたちの成長を間近で見られることや、保護者と信頼関係ができ感謝してもらえること、子どもたちの中で一緒に自分も育ててもらえることなど、お金には代えられないものをたくさん得られるのです。ですから、もちろんお金はたくさんあった方が嬉しいけれど、それだけが全てではないと実感しました。 割がいい仕事というと、給料がよくてラクというイメージが一番に浮かびますが、人生において自分にどれだけ得るものがあるかということも大切なのです。そのような意味で割がいい仕事を見つけるのは、難しいですが、自分に合った職と共に生きられることは幸せなものです。

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藁にもすがる

【漢字】藁にもすがる 【読み】わらにもすがる 【意味】溺れた時に藁にすがっても助かるはずないが、切羽詰まった時は役に立たない物にまで頼りにしたくなるものである。 【例文1】藁にもすがる思いで頼み事をする。 【例文2】よっぽど藁にもすがる思いだったに違いない。 【例文3】勘当された親に藁にもすがる。 それはわたしがまだ中学生の頃でした。 部活の関係でどうしても行きたい高校があったのですが、そこは倍率の高い人気校だったため受験について頭を悩ませていました。 わたしの目指していた高校は公立校で推薦入試と一般入試との2回チャンスがあったのですが、部活ばかりに熱心で勉強をおざなりにしていた中学生のわたしは通知表の内容が芳しくなく、推薦入試では落ちてしまいました。 一般入試では、国語・社会・英語・理科・数学といった5教科の得点数によって合否が決まるのですが、とにかく理科と数学があまりにも苦手だったのでかなり焦っていました。 それに、一般入試で落ちると、滑り止めで受験していた私立校へ進学せざるを得なくなり、家庭の負担にもなるということで、あとがない状況でした。 当時は塾にも行っていなかったし、行きたいとは思わなかったので、藁をもすがる思いで、母の紹介してくれた知人が数学の塾を家庭で開いているということで通うことになりました。 通うようになったのも、受験目前の中3の冬休みです。冬休みは毎日通い、必死で数学の勉強をしました。 それも1年生の基礎中の基礎から数学を教えてもらい、中学で習う数学を冬休み中に総ざらいしたような感じになりました。 いままで自分はいったい何してたんだ…と自分に対して腹も立ちましたが、藁をもすがる思いで勉強した結果、受験本番ではある程度の得点を獲得し、合格することができました。 数学を教えてくれた先生には、いまも感謝してもしきれません。

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笑う門には福来たる

【漢字】笑う門には福来たる 【読み】わらうかどにはふくきたる 【意味】いつもニコニコ笑顔でいる人の家には自然に幸福が訪れる。 【例文1】母はいつも笑顔で家族まで笑う門には福来たる。 【例文2】家族の笑い声が笑う門には福来たるのだ。 【例文3】明るい家庭には笑う門には福来たる。 「笑う門には福来たる」の門は「かど」と読みます。 家の入り口となる門が家の顔となる代表的な部位となることから、この場合の門は家そのものを指し示しています。 つまり笑いの絶えない明るい家庭には福が舞い込むであろう、という意味です。 よく考えるとこのコトワザは少しおかしいような気がします。 笑いが絶えないような状況であることから、家族全員の心はかなりの余裕があるように伺えます。 心に余裕があるということは、悩み事や苦しみからは無縁、つまり金銭的にも裕福なはずです。 福が舞い込む以前に、福の神が既に居座っていそうな状況が思い描かれてしまいそうです。 そのような考えに至るからお前はダメなのだ、というお叱りの声が四方から聞こえてきそうですがあえてさらに考えます。 逆に口論の絶えないような家庭、怒る門はどうでしょう。 特定の誰か、家長が家族を高圧的に叱責しているのか、あるいは家族全員が言い争いをしているのかは状況が大きく異なります。 しかし結果として、とてもその先に幸福な未来など感じられませんし、阿鼻叫喚とまでいかなくても崩壊の予感しかありません。 笑う門と怒る門、福の神が近所をうろうろ徘徊しているならばどちらに転がり込むかは考えるまでもないでしょう。 スピリチュアルに興味を持ち、そういう類の本をたくさん読んだことがあります。 いわゆる運を良くするハウツー本みたいなものですが、必ずと言っていいほど『笑う門には福来たる』が出てくるんです。 笑っていると幸せがやってくる。だから辛く苦しい時でも笑顔で乗り切ろうという意味ですが、正直辛い時に笑顔なんて冗談じゃないと思っていました。 楽しくもないのに笑ってなんかいられません。 しかし目から鱗だったのが、楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しくなるのだそうです。 そもそも笑う時、笑顔を作る時、人は口角が上がります。 すると幸せホルモンが体内に分泌されるらしく、嘘でも口角を上げると脳が勘違いしてくれるんだそうです。 笑顔の効用は意外と多く、本人のモチベーションも自然と上がりますが、周囲の人への影響も軽くありません。 笑顔の人を見て、嫌な思いをする人はまずいません。 その代り物調面の人を見ればほとんどの人は不快感を覚えます。 口角を上げ、笑顔を無理にでも作るようにすると、本人はもちろん周りの人もある意味幸せに出来るのです。 また口角を上げることが顔の筋肉にも効果があるのをご存知でしょうか? 人はどうしても加齢とともに皮膚がたるんでくるものです。 しかし笑顔の多い人、いつも口角を上げている人は顔の筋肉をよく使っているので若く見えるんだそうです。 顔の筋肉を使うと実は首にも良い影響があって、いわゆる二重あごを防ぐ効果もあるのです。 笑う門には福来たるは一石二鳥どころか三鳥も四鳥もあるようです。 いろんな意味で幸せを約束する諺です。

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笑いは人の薬

【漢字】笑いは人の薬 【読み】わらいはひとのくすり 【意味】笑うことは心と体のために良いということ。 【例文1】祖父は薬でも治らなかったのに、孫と遊ぶようになって元気になった。孫の笑いは人の薬だね。 【例文2】家族との楽しい時間の笑いは人の薬だ。 どんなに身体の健康に気を使って、日々を生きても心が健康でないとそれは不健康なのだと思います。 少しの体調不良でさえネットで検索して、自分である程度の診断とどうすれば良いのか、どういう食事だったり、改善方法があるのか等、素人でも沢山のアドバイスや意見、知識を見る事ができます。 その診断が正しいのか間違っているのかは別にしてですが。 ネットで知り得た知識で少しでも自分の身体が健康になれば良いと思い、色々試す事は出来ますが、身体が健康になる事と、心が健康になる事は同じではないと思います。 心の健康はどうすれば良いのでしょうか。 人と触れ合い、話をして笑い、泣く等、人間にある沢山の感情を引き出してあげる事が大切なのだと思います。 ストレスを溜めたり、悲しくて泣く等の負の要素ばかりではなく、楽しくて笑う事やリフレッシュしてスッキリする等の明るさが大事だと思います。 友達や家族、知り合いと一緒に笑い楽しい時間を共有する事で知らず知らずに皆の心は健康になっていくのだと思います。 心が健康になっていく事で、身体は元気になり自ずと心身ともに健康になっていくものだと思っています。 病院でもらう薬や、薬局で買う薬、健康食品も大切だと思いますが、それよりも皆と共に笑う事は生きていく上でもっと大事で、笑いは人の薬になるのだと思います。 1日のうちに一回は必ず大切な人と笑いあうという生き方が生涯を実りある幸せなものにしてくれるのだと思います。 よく仕事で、皆緊張状態で仕事をしています。仕事ですから真面目に取り組むのは当たり前ですが、職場の雰囲気は最悪です。特に事務系の仕事ですから、一日中同じ人と過ごしています。そんな中時々笑いでその緊張状態を吹き飛ばしてくれる人がいます。オヤジギャクを連発したり、その人は場の雰囲気が悪くなったと敏感に誘っているのです。そのような人が居ると職場の雰囲気はガラッと変わります。笑いというのは、人を和やかにしてくれ緊張などを解いてくれる作用があると思います。これは家庭でも同じです。朝の忙しいときに家族はピリピリしています。笑いがない家庭はコミュニケーションもありません。ともすれば朝のバタバタしているとき家族の誰でもいいから笑っておはようという言葉だけでよいと思います。そうすれば家庭の雰囲気もガラッと変わります。さぁ、今日一日仕事を頑張るぞというようなパワーもわいてきます。夫婦関係や家族のコミュニケーションとても笑いが重要何ですね。私自身はあまり笑いませんし、寡黙な方です。自分を変えていくには笑いが大切だと考えています。笑って冗談でも言ってその場の雰囲気をよくできればと思います。そう言う笑いの訓練をしていきたいと思います。

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和洋折衷

【漢字】和洋折衷 【読み】わようせっちゅう 【意味】和風と洋風をうまく取り入れる。 【例文1】和洋折衷にリフォームする。 【例文2】和洋折衷のスタイルと顔だ。 【例文3】和洋折衷の料理を食べる。 最近、色々なおかずやお惣菜、お菓子などにちょい足しをする事がブームになったりしている。 食材をちょい足しすることで、新しい味にするのです。 私は最近レトルトカレーだとどうしても具が少ないので何かと食材をちょい足しをしています。 お気に入りちょい足しはカレーに納豆です。納豆の匂いをカレーで消しつつ、コクが増します。 また、最近はカレーに牛スジのどて煮(こんにゃく付きの味噌煮)をトッピングしています。 他にもトッピングとして、厚揚げとか、キムチとか。 意外とカレーのトッピングは洋食以外の食材を利用しています。 洋食と洋食、例えばカツなどの揚げ物だと私の場合はすこしくどくなって重いのでどうしても苦手です。 カレーって結構がっつり食べるものなので和食の食材が相性がいいと思います、和食のあっさりと洋食のこってりを足して和洋折衷の世界を奏でる事がただしちょい足しの発想と思います。 私は5年前に家を立てました。その時ものすごく悩みました。和を全面に出した家にするか洋風に特化した家にするか迷いました。和を全面に出した家は結構値段も高く、材料も高く洋風に比べてコストがかかります。洋風は比較的安く住みますし、出窓やベランダや煙突なども取り入れることができます。さぁどうするかということになりました。色々なハウスメーカーや工務店とも話し合いました。結論的には和洋折衷にすると言うところに行き着きました。和風出ありながら洋風も取り入れたのです。もちろん、家の外装内装どちらもです。完成していざ住み始めて納得しています。外装はやや洋風が目立っていますが、屋根は今はスレードが多いのですが瓦にしたおかげで、真夏でも部屋が暑すぎることなく快適です。内装は洋室には子供部屋として、使用しています。床の間はつくりましたし、将来的には仏具も置こうと思ってもいます。リビングは思い切って洋風にして快適かつ機能性にも重視しました。つまり、和がいいか洋がいいかということになるとどちらも善し悪しがあると思います。そこで日本人は古来から和洋折衷を考えました。色々な考え方があると思います。和洋折衷というのは日本人が古来より考え出した、最適なものと考えています。

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詫びを入れる

【漢字】詫びを入れる 【読み】わびをいれる 【意味】軽い気持ちの謝罪ではなく、厄介な人を怒らせてしまった時に裏で使われている言葉。 【例文1】先方に菓子折り持参で上司と詫びを入れに行く。 【例文2】取引先に詫びを入れる。 【例文3】不手際があり詫びを入れる。 詫びを入れるとはなにか失礼にあたったときや迷惑をかけた時など簡単にすまされる謝罪ではなく大切な方を怒らせてしまった時に使う裏用語です。 大事な場面なのになぜお詫びではなく詫びなのかが府に落ちませんが・・ よくテレビなんかで 「先方に詫び入れてこい」と部下に命令しているシーンを見ます。 金品持参で 「落とし前をつける」なんてのも類語ではないでしょうか。 相手が良識のある方ならそれほど揉めたりしませんが、気難しい方だと、すんなりと詫びを受け入れて頂けないかもしれません。その場合は低頭に謝罪を続けるしかありません。中には土下座を要することもなり兼ねません。なかなか緊迫した空気になることには間違いありません。 もちろん菓子折りは大事です。事前に調べておくといいですね。私の友人の旦那さんは借金が膨らんでどうにもこうにもならず、坊主にして実家に泣きついたそうです。

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罠にかかる

【漢字】罠にかかる 【読み】わなにかかる 【意味】相手の策略に騙される。 【例文1】まんまと罠にかかる。 【例文2】ネズミが仕掛けた罠にかかる。 【例文3】犯人がおとり捜査の罠にかかる。 どちらかというと策略をめぐらして罠にかけるのは悪役の役割で、罠にかかるのは主人公側が圧倒的に多いようです。 そもそも主人公が人を陥れる計画を思案して実行に移すなどイメージがあまりにも悪すぎます。 ダークヒーロー的なポジションならばそれも許容できますが、主人公イコール正義の味方が王道というもので皆もそれを期待しています。 ならばどうやって悪役が懲らしめられるかと言うと、策略を実行に移したものの察知された上に逆手に取られて自滅もしくは大失敗をするという筋書きが使われます。 これならば主人公の手は真っ白、悪者は自分で勝手にコケて痛い目にあうことになり観客も納得します。 しかしこのようなストーリーは構成にかなり問題が発生します。 悪役が秘かに進めていた謀略を主人公が知ることになる理由がまず思い当たりません。 余程ミスにミスを重ねるおっちょこちょいの部下がいるか、天に見放されるほどに運が悪いか、それくらいしか考えられません。 史実を元にしたドラマは多いですが、主人公が美化されすぎているのはどうにも受け入れがたいものがあります。 圧倒的な実力差があるならばまだしも実力が伯仲していて片方だけが悪意に満ちた罠を用意するなどありえないでしょう。 会話のやり取りを録音して、証拠に残しその録音内容がニュースになる時があります。 最近では、機器が発展してコンパクトな録音機能のついた物が多くあり、相手に気づかれないで長時間録音するのが可能です。こういった機器を良い事に使う分には有効的な利用方法ですが、悪用されると罠にかかる可能性も出てきます。 例えば、誘導するような問いかけをして、印象を下げるような発言をさせるなど、相手をおとしめる為に音声録音を使う事があり得ると思います。 悪くない人が罠にかかるような事は、あってはならないと思うので、発展の裏には不安が付き物だなと思います。 人に罠をかけるような事件と言えば、電車内での痴漢冤罪です。以前、女性がゆすりを目的として、普通のサラリーマンに痴漢行為をしたと言いがかりをつけて、お金を脅し取ろうとした事件がありました。 しかし、目撃者が多数いて女性のでっち上げが明らかだったので、ゆすりは未遂に終わりました。このような人に罠をかける行為を、防犯カメラなどを設置すると防止できるので、発展した機器の使い方として理想的だと思います。 最近一部の電車で、防犯カメラの設置を試験的に実施されているので、今後どんどん増えていけば良いなと思っています。 罠にかかる・・・と一口に言っても、いろいろな場面で使われますよね。例えば、クマやイノシシなどの野生動物が、仕掛けておいた罠にかかるなんてことは、地域ニュースなどでも話題になることは少なくはないでしょう。 また、ごくごく普通に生活していても、学校や職場をはじめ、人が集まる環境のなかでは、いろいろな思惑や意図があるわけですから、誰でも一度や二度は、小さな罠にハマってしまったり、騙されてしまったなんてこともあるのではないでしょうか。 とかく恋愛においても、ライバルの術中にまんまとハマってしまった!!とか、気づけば相手の思う壺にはまってしまい、もう何とも言えない悔しい思いをしたこと、私もあります。 あんなヤツの罠にかかるなんて、ああ、私ってなんてマヌケだったんだろう・・・って、普段はすっかり忘れていたとしても、ふとしたきっかけで思い出してしまい、また苦々しい気分になったり、眠れぬ夜を過ごしてしまうこともしばしば。 最近の映画やドラマのなかでは、登場人物すべて悪人とか、ゲス不倫とか、さまざまなシチュエーションで、主人公が罠にかかる、あるいは罠を仕掛けたり・・・と、スリリングな気分が味わえる作品も多いですよね。 斯く言う私もミステリーものやドロドロ系ドラマは好きなもので、ついついハマってしまい、最後まで見届けてしまいます。まんまと制作者側の仕掛けた罠にかかっているのかもしれません。 とはいえ、それはあくまでもフィクションだから楽しめるものであって、実生活では、やっぱり罠にかかるのはもちろん、罠を仕掛ける側も遠慮したいものです。

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割って入る

【漢字】割って入る 【読み】わってはいる 【意味】両者の間に無理やり押し入る。 【例文1】ケンカの仲裁に割って入る。 【例文2】子どもの兄弟喧嘩に割って入る。 【例文3】酔っ払いの喧嘩に割って入る。 仕事が終わるとたまに、同僚数人と近場の焼鳥屋さんに飲みに行きます。飲みに行くと、仕事の悩みを相談したり、馬鹿話をしてストレスの発散をするなど、有意義な時間ですが、1人だけ飲むと性格が変わる同僚がいます。 どのような変わり方かというと、普段物静かな人間が飲むと高圧的になり、駄目出しをする時があります。その為、内容によっては同僚同士で口喧嘩になる時が多々あるので、その同僚にはあまり飲ませないようにしています。 しかし、ある日美味しい料理が揃い、お酒のペースが早くなってしまい今日は飲み過ぎだなとみんなで言っていました。私がトイレに行って戻ると、同僚同士が口喧嘩をしていたので、2人の間に割って入る形で喧嘩を止めました。 すぐに喧嘩は収まりましたが、その日の同僚はかなり飲み過ぎで知らない回りのお客にまで絡み出す状態だった為、飲み会を切り上げ帰る事にしました。 翌日職場で、前日の事を同僚に話すと記憶がなくて、自分が暴れていたのを覚えていませんでした。飲み過ぎたとは言っても、そこまでは飲んでいないのでそれ以来同僚には、飲み方のペースに制限をかけるようになりました。 仲間内で飲む時は、みんな知っているのでその同僚には飲ませ過ぎないようにしますが、忘年会など会社全体の飲み会の時には、知らない間に飲み過ぎて暴れモードになっています。

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渡る世間に鬼はない

【漢字】渡る世間に鬼はない 【読み】わたるせけんにおにはいない 【意味】世の中には非常識な人ばかりでなく親切な人もいるもの。 【例文1】大都会にも渡る世間に鬼はいないと実感した。 【例文2】渡る世間に鬼はないので老後は安心だ。 【例文3】渡る世間に鬼はないと願う。 私は今まで見ず知らずの人にたくさん助けてもらってきました。 まさに「渡る世間に鬼はない」を実感しています。 この言葉に似たようなタイトルのドラマがありました。 あまりにも長いドラマだったので、もしかしたらこのドラマのタイトルがことわざだと勘違いしている人もいるのかもしれません。 しかし、鬼はなしと思っていきたほうが、人生は明るくなりますし、救いようがあります。 もし、鬼がいたとしても鬼から自分を助けてくれる人が必ずいると思います。 鬼だらけと感じている人は、やはりどこか他人を頼っていて何とかしてくれると思っているのではないかと思います。 確かにあのドラマでは、いくら身内とは言え、人の財産をあてにしているような人もたくさん登場していました。 このドラマではいろいろな意味で人生の勉強になったと思っています。 渡る世間に鬼はないとは、鬼はいないというわけではなく鬼ばかりではないといった意味です。 悪い人ばかりじゃない、情け深い人や親切な人もいるということらしいです。 では10年以上続いた橋田寿賀子さんの「渡る世間は鬼ばかり」はどうでしょうか? あのドラマには、実はいい人ばかりで心から悪い人は一切出てこないです。 そう考えると、鬼といわれてる人にもいいところはあって本当の鬼はやっぱりいないのでしょうか? 他人には鬼でも家族にはいい人だったり、鬼のような事件を起こしてもどこかに人間としての良心をみんな持っているのかもしれません。 この「渡る世間は鬼ばかり」のドラマは本来の渡る世間に鬼はないの意味合いよりもとかく人間関係では苦労させられることが多いというぼやきの意味が込められていたようです。確かに次から次へとよくもまあ問題が起こるものだと思うくらいごたごたが絶えないドラマでした。 でもあのドラマはめんどくさい人間関係も人間の実は持つ優しい部分だったり、愛情だったりがどうにか試練を乗り越え解決してくれていました。 現実もそううまくいけばいいですけど、なかなかそうもいきません。 特に嫁姑問題は確執は深くて・・。義母は本当は人間じゃなくて鬼なんじゃないかと疑いたくなります。

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渡りを付ける

【漢字】渡りを付ける 【読み】わたりをつける 【意味】組織のつながりをつける。話をつける。 【例文1】前任者が渡りを付けたおかげで交渉成立。 【例文2】父が渡りを付けて就職する。 【例文3】渡りを付けずに自分で解決する。 渡りを付けるとは口利きとか人や組織のつながりをつけるという意味で使われている言葉です。物事がスムーズに運ぶように何か段取りをしたりすることです。 今年の流行語になるのではないかと予想されている忖度するも言ってみれば渡りをつけると同じ意味なのではないでしょうか?表だって何かを段取るのは渡りを付けるで裏で暗黙の了解で行うのが忖度でしょうか? でも仕事なんて所詮忖度しっぱなしの状態なのではないでしょうか?逆に忖度できないと「気が利かないやつだな」と思われてしまいます。仕事の問題も突き詰めてみれば人間関係の問題ですよね。どれだけ相手のことを考えて仕事をできるか?に行きつくと思います。なので忖度するという言葉が悪い意味で使われてしまうのは少し悲しいですね。その点渡りを付けるというのは自分がネットワークを広げて仕事がやりやすくなるわけですからマイナス言葉ではありません。そして渡という漢字は海や川を越えるという意味の漢字ですね。

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渡りに船

【漢字】渡りに船 【読み】わたりにふね 【意味】何かに困っている時、ちょうど都合がよくなること。 【例文1】引っ越しの際に出た不用品を、友人が引き取りたいとまさに渡りに船。 【例文2】子ども服がタンスに収まりきれない時に渡りに船でお下がりをやる。 物事を行う時はタイミングが重要です。 タイミングが良いと渡りに船で、いろいろなことが良いタイミングでやってきます。 世の中にはいくら努力しても報われないことと、それほど努力しなくても上手くいくことがあります。 後者の場合はやはり良いご縁のあることだと思うので、感謝しながらやっていきたいものです。 かなり前になりますが、私は外国語を勉強していた時、ふとその国に行ってみたくなりました。 ヨーロッパだったので旅行するには費用も時間も必要です。 もちろん語学力も必要です。 その時、なぜか渡りに船で、何気に話したことがトントン拍子に進んでいき、順調に計画通りに事が進んでいきました。 私は今まで物事がスムーズに行ったことがあまりなく、挫折の連続でした。 しかし、この時ばかりは物事がものすごく順調に行き、周りの人の協力も得られました。 今思えばタイミングが良かったのだと思います。 まさに渡りに船とはこのようなことを言うのだと思いました。 いつもこのように物事がうまくいくとは限りませんし、どちらかといえば上手くいかないことも多いかもしれません。 しかし、上手くいく時は上手くいくものだと思うことも何度かあります。 今後もこういった好機を見逃さずに、チャンスをものにしていきたいと思っています。 渡りに船とは、大きな川があって、向こう岸に渡りたいのですが船がなければ渡れません。自分の前には船がありません。どうしようと岸辺に立っていたら、向こう岸から船がやって来たというような状況です。つまり困っているときに願ってもない助けがあったということです。ことわざや慣用句というのは教訓や戒めが多いものですが、この言葉は中々に嬉しい状況です。同じ言葉に地獄に仏というものがありますが、これも同じような意味合いです。 例えば、出掛けようとしていたら雨が降ってきて迷っていると、友人が車で通りかかりました。そこで渡りに船と車に同乗させて貰ったという風に使います。また、非常に困った状態で、もう会社を手放さなくてはいけないような時に、渡りに船の申し出を受けて無事乗り切ることができたというようにも使われます。 しかし、社会生活をしていく上で、いつも渡りに船とばかりに誰かにおんぶに抱っこをしてもらっていては、そのうち誰にも相手にされなくなります。渡りに船は、本当に困ってにっちもさっちもいかないときにだけ乗るようにしましょう。とにかく、まずは自分でできるところまでは、やってみることが一番大切なことなのです。そんな場合にだけ、船がやってくるのかもしれません。

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綿のように疲れる

【漢字】綿のように疲れる 【読み】わたのようにつかれる 【意味】立っていられないほどひどく疲れた様子。 【例文1】連休はドライブに買い物に遊園地に綿のように疲れた。 【例文2】休みなしで働いて綿のように疲れる。 【例文3】女性の買い物に付き合うと綿のように疲れる。 疲れて身体に力が入らず精も根も尽き果てグッタリした状態を指して「綿のように疲れる」と表現しますが、少々納得いきません。 疲労困憊は(ひろうこんぱい)と読むことを今更ながら先ほど知ったのですが、肉体精神ともに疲れ果てる状況で身体をフワフワの綿に例えるのはどうかと思います。 漢字の読み書きもいい加減な人間ですが、長時間のデスクワークや無駄に疲れる肉体労働については十分な経験があると自負しています。 ひたすらにデータ収集・情報構築・報告まとめ・などなどを休憩も挟まず眠らぬようにコーヒー・紅茶を最小限にすすりトイレにすら立たない。 仕事が終了した瞬間に机に倒れ伏して眠ってしまいたい衝動にかられますが、寝たら最後で起き上がれなくなりかねません。 目は充血し胃はもたれ、首・肩・腕の筋肉は凝り固まり、綿で構成される要素など探しても見つかりません。 そして突発的に時折命令される肉体労働、なんでもこなすロボットと勘違いされてるのではないだろうか。 荷卸手伝い、チェック、倉庫に保管という作業工程を単独で短時間内に終了させるのは辛すぎます。 おまけに荷物は石ころでも詰め込んでいるかと思うほど重い書類ケース、それを指定の棚まで担ぎ上げるという無茶苦茶な命令。 背が届かないと言ったら脚立だけ用意されました(他に背が高い人がいるにもかかわらず) ヒーヒー言いながらも全力で仕事を終わらせようとしてしまう根性は、どうにかならないものか。 肉体労働終了、腕の筋肉は自重にすら限界を訴え、足腰の関節は無理な重量を持ち上げたため鉛でも詰め込まれたような感覚です。 疲れ果てて意識が綿埃のように吹っ飛ぶという事でしょうか。

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和して同ぜず

【漢字】和して同ぜず 【読み】わしてどうぜず 【意味】人と調和はしても道に外れる事はしない。 【例文1】父母は和して同ぜずの人生を送る。 【例文2】和して同ぜずの信念を持つ。 【例文3】周囲に惑わされない。和して同ぜずだ。 和して同ぜずという言葉は、小・中学生によく似合う言葉であると思います。 意味は、誰とでも調和していくことは大事であるものの、道理や信念を忘れてまで人に合わせるようなことは決してしないようにすることを言います。 小・中学生においては、自分が仲間はずれにならないように自分の考えまで曲げて友達に付き合うこともあります。 仲間はずれにされることが嫌な年代であり、さらに最近のいじめにも発展しうることもあります。 ただ一方で、この時期は大人への成長過程において大事な時でもあります。 例えば、自分の考えのよりどころとなる軸が持てるかどうか、とか自分の中の物事の分別が持てるかどうかなど、道理や信念の基礎となるものが作られる時期です。 一方で、大人でも道理や信念を忘れてまで人に合わせることをする方もいらっしゃいます。 人に合わせてしまうのは楽なことかもしれません。 人に合わせるということは、特に自分で考えなくてもついていけばそれなりの成果がでることにもなります。 ただ自分で考えなくなると、以後の成長は期待できません。 ましてや、生産性や成果が益々求められる現代や将来においては、道理や信念をきちんともち、かつ協調性のある人材が必要です。 このような人材になるためには、小・中学生において、考えの基礎づくりをしっかりする必要があります。 「和して同ぜず」-人と争わず、仲良くするけれども、自分自身というものをしっかり持ち、いたずらに己を曲げたり調子よく相手に合わせたりしない、という意味です。 あまりにも有名な言葉ですが、もともとは孔子が「論語」の中で「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」と未熟な人間と比較する形で述べた言葉です。 人と交わるけれど、自分の主体性はしっかり持つ。当たり前のことじゃないか、と多くの人は考えますが、実は人生を生きる上でこれほど難しいことはそうそうないように思われます。 特に我々日本人のように、ともすると大勢に流されやすい国民は、この言葉を良く胸に刻むべきかもしれません。 どんな小さなコミュニティでも、日本人はその集団の「和」をとても大切にします。 皆が争わず、一つにまとまることは美しいことですが、何か問題が起きたとき、何が正しいのか、何を追求するべきかを見極めずに、集団としてまとまることが最優先されがちです。 そんなとき、「皆さんと付き合うが、自分には自分の信条がある。それを曲げたくない」と言える勇気のある人こそ、真の君子と言えるのかもしれません。 そして、全ての人が他人と協調しつつ己の信条を貫くというあり方こそが、風通しの良いコミュニティと言えるのではないでしょうか。 どこかのコミュニティに属していて、息苦しい思いをしていたら、この言葉を思い出し、その意味をもう一度自分に問いかけてみるといいかもしれません。 「和して同ぜず」は論語の中に出てくる言葉です。「和やかな関係の人であっても、むやみな同調は有害である」という意味です。論語は中国春秋時代の思想家である孔子が、彼の死後にお弟子さんたちが、孔子やその門人たちの言葉をまとめた書物で全二十巻にも及びます。「論語読みの論語しらず」という言葉まであるように、論語は「仁」、「礼」について説かれていますが、論語の中にも相反するととらえられる文章もあり、これを全て体現することはなかなか、引用するにも臨機応変、柔軟な対応が求められます。そういう意味でも論語を読むことはできても、それを識ることは難しいのです。そんな孔子の容貌について「史記」や「孔子家語」によると、生まれつき頭頂部にへこみがあり、額は張り出し、目は引っ込んでいて身長は九尺六寸(約2,16メートル)もあり、長人と呼ばれていたそうです。体格はよく容貌は魁偉であったようです。世界の偉人は時により、すごく体躯の良い方がおられますよね。イエス・キリストやお釈迦様も体格が良かったそうですし、秦の始皇帝も大男だった記述があります。孔子は「仁」という言葉で人間としての愛情を表現し、この「仁」を思想として広めることで、崩壊の危機に瀕した周王朝を救おうとしたと言われています。恵まれた体格を生かし、遊説に回ったという孔子はきっとアクティブな方だったのですね。

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禍を転じて福となす

【漢字】禍を転じて福となす 【読み】わざわいをてんじてふくとなす 【意味】災いをうまく利用して好機に変えること。 【例文1】商品のクレームを改良して禍を転じて福となす。 【例文2】ダイエットに成功して女性にモテ出してまさに禍を転じて福となす。 【例文3】健康診断に引っ掛かり食の改善をして禍を転じて福となす。 禍を転じて福となすという言葉がぴったりあてはまるような経験は、誰にでも一度はあるのではないでしょうか。わたしの場合、旅行先で「禍を転じて福となす」という言葉がふさわしい、ラッキー体験をしたことがあります。 一人旅で沖縄に行き、3日間泊まる予約をしていたホテルにチェックインしたときのことです。予約サイトを通じて禁煙の部屋の予約をしていたのですが、ホテル側の確認ミスだったのか、禁煙の部屋を連泊で確保することができなくなってしまったと、フロントで伝えられました。1泊ごとに部屋を変わるのは少し面倒ではありましたが、フロントの方も謝ってくださっているし、ホテル側のミスなので追加料金はいらないとのことでしたので、まあ仕方ないなと思ってそのままチェックインの手続きをお願いして、その日は予約していた通りの部屋に宿泊しました。 2泊目の夜、ホテルに戻ってきて荷物を移動させるためエレベーターに乗ると、なんと用意されていたのは最上階で本来ならとても泊まれない値段の部屋でした。中に入るとダブルベッドがあり、さらには窓いっぱいに沖縄のビーチが見えているのです!ホテルのミスのおかげで、逆に一生の思い出ができました。 「禍を転じて福と為す」カッコイイ諺です。禍福は糾える縄の如しと言いますよね。良いことと悪いことは対極にあるものではなくていつも一対になっています。大きな幸せがあった時にはその分だけ悪いことが起こると言われています。平均してプラマイゼロになるように人生は出来ているのですね。 ピンチをチャンスに変える、失敗は成功のもとなどこの逆説的な諺は沢山あります。それだけそのようなシチュエーションは身の回りにあるという事です。何かの発明秘話にもこの失敗が成功になった例がたくさんあります。 文房具の付箋の発明もその一つです。接着剤メーカーの研究員が強い接着剤の開発に失敗して、しっかりと接着できるけれど簡単に剥がれる物を作ってしまいました。きれいに剥がれるし、あとも残りません。そこからヒントをえてこの接着剤をつかったポストイット、付箋の発明に至りました。まさに禍を転じて福と為すですね。 しかしこの研究員のすごいところは失敗した接着剤を捨てなかったことです。これは「何かに使えるのではないか?」と直観的に思ってキープしておいたそうです。禍は必ず転じて福となるわけではないのですね。この禍は福に変わるのではないか?という直観、センスも大切だと思います。

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禍は口から

【漢字】禍は口から 【読み】わざわいはくちから 【意味】軽々しく喋ると災難が起きること。 【例文1】余計な事を喋ると、禍は口から友達がいなくなるよ。 【例文2】お酒を飲みすぎると禍は口から失敗する。 【例文3】調子に乗りすぎて禍は口から注意する。 言葉には言霊があります。 その為、不用意な言葉を使ってしまうと、それが災いのもとになってしまう可能性があります。 特に口数が多い人はそれが災いになりやすいので、禍は口からに気をつけなければなりません。 しかし、一人だと気をつけることもできるのですが、数人になると会話が盛り上がってしまい、根も葉もないことを言ってしまうことがあります。 そのため、つい調子に乗って余計な事を言ってしまう可能性があります。 特にその場にいない人のことをあれこれ話してしまうと、それがやがて禍の種になりかねません。 調子に乗り過ぎて、あれこれとペラペラ話してしまわないように気をつけたいものです。 特にお酒が入った席では要注意です。 「無礼講」という言葉がありますが、特に会社などの飲み会では上司と部下の垣根を外した会話でも良いというようなことを言う上司がいます。 一見、何を言っても良いように聞こえるのですが、調子に乗って部下が日頃の上司の不満をあれこれ言ってしまったら、間違いなく禍は口からになってしまうでしょう。 世の中には口が軽い人がいますし、噂は伝染病のように早く移ってしまう可能性があります。 禍は口からということを肝に銘じて、会話には十分に気をつけたいものです。 最近女性のグループと会話する機会が増え、女性という生き物についていろいろと思うことがある中、特に思ったことは禍は口からということでした。 グループは5人ほどなのですが、私と会話するのが1対1というときもあり、そういう時ほど気を付けなければなりません。 具体的な失敗談としては、私がA子さんと2人で話しているときにA子さんとB子さんと私との3人の関係について話をしていた時がありました。 その時にA子さんがB子さんの陰口を言い始めました。口が悪いだのぶりっこだのといった話でした。 私はあまり関わりたくなかったけれども、反感を買いたくなかったので「そういうこともあるかもね」とぼかした言い方をしました。 しかし次の日にはD子さんに〇〇君もB子のことそう思ってたんだーと同じ仲間にされてしまったのです。 ぼかすためにかもね、と使ったにも関わらず、もう断定されてしまっていました。 ほんの些細なことでも思慮の余地を残してしまうと相手に都合のいいように解釈されてしまういい例かと思います。 同様なことが2件3件と続きました。 男友達と話をしているときはそんなことなかったのに、と思わざるを得ませんでした。 人というのは他の動物と違って、言葉を使って意思の疎通を図る事が出来ます。 これは他の動物には真似のできない、人間だけが持ち得る素晴らしい能力だと考えられます。 しかし時にこの言葉が災いして、相手を傷つけたり怒らせてしまう事があるのです。 禍は口からという言葉が存在しているように、人は言葉を発する事に因って、多くの禍を起こしてしまっているのです。 その最たるものが政治家の発言であると言えます。 政治家は国民の代表であり、私人ではなく公人ですから、普通の人の発言よりも発言の重みが違います。 ですから慎重に発言しなければなりません。 にもかかわらず、政治家は失言を度々しているのです。 国民の代表でありながら、その国民を下に見るような発言をする事があります。 その失言によってこれまでたくさんの政治家が、要職をやめざるを得ない状況に追い込まれているのです。 ここ最近では東日本大地震の復興を管轄する復興大臣が、被災者を侮辱するような発言をして、復興大臣を辞める事になりました。 被災者の事を第一に考えなければいけない復興大臣が、被災者の気持ちを損うような発言をするのですから、世も末だと言わざるを得ません。 言うまでもありませんが、政治家は禍は口からという言葉を頭に叩き込んで、しっかりと仕事に励んでほしいと思います。

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わさびが利く

【漢字】わさびが利く 【読み】わさびがきく 【意味】気の利いた言動でピリッと引き締まる。 【例文1】彼女の発言はわさびが利いている。 【例文2】わさびが利いた言葉で元気が出る。 【例文3】わさびが利く発言で問題解決。 私はあの鼻につーんと来る感じが我慢ならないのでワサビが嫌いです。寿司もワサビ抜きを食べます。 わさびが効くとはわさびのようにピリッとした鋭さを持つものをいいます。 私の周りはおっとりした争い事が苦手だという人が多いです。 誰かが最初に意見すればそれに従います。たまにいやだなと思う事はありますが、揉め事が続くとママ友関係がなくなってしまうので、たいていは従います。 そんな似たもの同士の集まりですから、意見がまとまらない事もたまーにあります。こんな時はわさびが利いた言葉がほしいと感じます。 年長グループにはワサビを利かせるリーダーがいます。幼稚園の行事ごとがあると率先して役割分担を振り分けみんなで分担します。助かりますね。みんなできる事なら楽な仕事をしたいですからね。負担がかかる作業は人数を増やして軽い作業は一人二人に決めたいとわさびを利かせました。すると軽い作業にばかり人が集中しませんでした。とても頼もしく見えたので少しは私も見習いたいと思いました。

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訳がない

【漢字】訳がない 【読み】わけがない 【意味】そんなはずはないという意味。 【例文1】彼女がそんな事する訳がない。 【例文2】友人が横領したと聞いたが、そんな訳がない。 【例文3】そんな訳がない。何かの間違いだ。 昨日、今日会えるかどうかの連絡をしたのに、返事がない。当日の朝になっても連絡がない。これはどういうことなのか。せめて、何かしらのリアクションをくれないと、それに対して自分がどう動けばいいのか考えれることも考えれるけれども。電話してみるも繋がらないし、もちろん相手からの折り返しの電話もない。あれだけ約束をしながら、こんな仕打ちの訳がないと思いたいけれども、そんな仕打ちがあるのが現実という事です。 たくさんの時間を流し過ぎてしまったから、お互いの状況が変わってしまうのも当たり前ではあるのかもしれないけれども、こういう時はどう動くのが一番よいのか? あちらからのなんらかのリアクションを待つのが一番だというのは分かっているけれども、その待つというのがもどかしい。でも、待たないといけないんです。時間はたくさんあるわけだし、彼だけが人生でもないのだから、そんなに真剣に悩むこともないんじゃないのかと思うようにします。相手の言葉に惑わされてしまったのは、まだまだ自分が甘ちゃんだという証になるんだと思います。彼とはその後、音信不通になり自然消滅しましたが、彼の方が一枚も何枚も上手だというのをもっと認識するべきでした。

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訳が違う

【漢字】訳が違う 【読み】わけがちがう 【意味】比べられない。同等ではない。 【例文1】君と私じゃ訳が違う。 【例文2】安物とは訳が違う。 【例文3】昔と今とでは訳が違う。 女性の既婚者同士で旦那の愚痴を話していてよくあるのが「旦那の痛がりアピール・大変アピールがうざい」という話です。 男の人って大したことないのにかまってほしくて大げさに具合悪いアピールしたり、仕事が大変アピールする人が多いんですよね。 もちろん、そんなことしない人もたくさんいるんですけど。 私の旦那も例外ではありませんでした。 とある日、私が重い生理痛で苦しんでいたときのこと。 私は昔から生理痛が酷く、市販の薬では抑えられず定期的に通院し、一時期あまりの痛みと出血で入院になったこともあるほどです。 その月は特に痛みがひどく、薬をいつもより多く飲んで仕事と家事をこなしていました。 夕飯は仕事の帰りにスーパーのお惣菜を買い、お味噌汁とサラダはかろうじて旦那に出すと、旦那が 「女は生理痛って言えば、仕事や家事で手を抜けたり労わってもらえていいいよなぁ。俺たちは具合悪くても仕事は完ぺきにこなさなきゃ。あー男って大変」と言ったんです。 あまりの暴言にただでさえ過敏になってる私の神経は一気に切れてしまい、その後大喧嘩。 旦那は謝ってくれましたが、私は生理も相まってしばらくイライラが収まりませんでした。 確かに、男性に生理のつらさを分かれというのは無理な話です。男性の仕事を楽なものだとも思っていません。 でも大げさに痛がって皆に心配をかけてやろうなんて、こちらだって思ってもないのです。 生理・妊娠・出産、女性は環境に合わせて色々体の変化があります。 それはやはり男性にはない女性特有のものですから、そもそも男性の大変さと女性の大変さを比べることが間違いなのです。 だから旦那に言ってやりました。「それとこれとは訳が違うわ!」と。

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脇目も振らず

【漢字】脇目も振らず 【読み】わきめもふらず 【意味】物事に集中する。熱心になる。 【例文1】両親は脇目も振らず、一生懸命働いてきた。 【例文2】脇目も振らず、受験勉強に励む。 【例文3】脇目も振らず、ひらすら歩く。 脇目も振らずという言葉は私に最も当てはまる言葉だなと感じます。何か一つのことに夢中になると他のことは考えることはやめて、そのことばかりを考えてしまうのです。 例えば40代のころにはシーカヤックに夢中になり、平日でも仕事が空くお昼からの時間帯にシーカヤックに乗って無人島へ行くという日々が2年ほど続きました。また山登りを始めた当初は週2回ほど登山に行くことが当たり前になり、図書館で山関係の本を5冊ほど借りてきて毎日山のことばかりを考えていました。また普通の仕事の時でも、何かトラブルがあるとそれにかかりっきりになり、普通の業務ができなかったという苦い思い出があります。 脇目を振らずという言葉は熱中するという意味ばかりに使われているように感じますが、私の場合は熱中しすぎて周りのことが見えない、または周りのことを考えることができないという状況に陥る言葉です。本来ならば何かに一生懸命になったとしても脇目を振って、周りの状況を慎重に確かめて、周りの人のことを考えて慎重に行動することが一番です。 私はこれから脇目を振らずは少し遠慮して、脇目をふりながら生きていきたいと思います。熱中することは素晴らしいですが、人に迷惑をかけたり本来の業務ができなかったりするのはよくありませんから・・・。 脇目も振らず、という言葉は様々な場面で使っていると思います。 意味としては、他のことを気にせずに一つのことに熱心に取り組むさまを言います。 もう少し言葉をわかりやすくすると、一目散に、とか、まっしぐらに、一直線に、という表現もできます。 これからの季節、夏の高校野球の予選が始まります。 高校球児は甲子園出場にむけて、脇目も振らずに練習をしています。 私もかつては甲子園に向けて、高校時代は練習に励みました。 あの頃は、毎日練習していた気がします。 朝は5時から始業前まで朝練、授業を終えて20時頃まで練習、帰宅後は宿題をして、30分の素振りという毎日。 勉強も少しおろそかになったところもありますが、他の遊びなどには全く気にせず、まさに脇目も振らずに練習に励んでいました。 毎年この時期になると、かつて練習に励んでいた姿を思い出します。 私の息子たちも今少年野球チームに入り、練習をしています。 将来はプロ野球選手になると言っており、非常に楽しみではあります。 ただ、プロ野球の選手になるには相当な努力が必要であることも息子たちには教えています。 ゲームやテレビばかり見ているのではなく、野球に対して脇目も振らず練習に励んでほしいです。 私の周りでも仕事ができる人が何人かいます。 そういう人の仕事ぶりを見てみると、すさまじい集中力で作業をやっています。 まさに脇目も振らずに目の前のことだけを真剣に取り組む姿勢は、見ている私も見習うべきことだと感じました。 自分は集中力がないことを棚に上げて、周りの環境のせいにしてしまっていることは意外と多いのかもしれません。 仕事ができる人はどんな環境でも、すぐに自分のやるべきことに集中することができます。 私も脇目も振らずに物事に集中できるようになれば、今よりももっと仕事の成果を上げることができると思います。 しかし、どうしても周りや他のことに意識が行ってしまい、目の前のことに集中できなくなってしまいます。 訓練次第で脇目も振らずに作業ができるようになるのかもしれません。 自分が好きなことに熱中している時は、確かに脇目も振らずに作業をやっているかもしれません。 気が付くと何時間も経っていて、あっという間に時間が過ぎてしまいます。 周りの余計なことが気にならなくなれば、その分無駄な精神的ストレスも受けなくて済むようになるのでしょう。 私も好きなことに没頭する時と同じように、仕事でも集中して仕事ができるようになりたいと思っています。

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脇道にそれる

【漢字】脇道にそれる 【読み】わきみちにそれる 【意味】本来の話から外れてしまうこと。 【例文1】話が脇道にそれる。 【例文2】脇道にそれて会議が長引く。 【例文3】脇道にそれたので、話を元に戻す。 議論をしていると主旨から外れた細かい部分に話をもっていこうとする人がいて困ることがあります。 本人はさも重大な問題点を発見したかのごとく得意満面に語りますが、全体の方向性を議論している状況ではあまりに邪魔です。 時間は有限で、暇な仕事など存在しないのが当たり前、その場で結論が出ないなど論外です。 にも拘らず、議論を迷走させる事を望むがごとき舵取りを率先して行おうとする大迷惑者、誰だコイツを参加させたのは。 見かねた議長が話を本筋に戻そうとしますが、当の本人には皆が迷惑していることが伝わらない様子です。 最終的にはぶち切れた者の一喝で黙らさせられましたが、なんとも後味が悪すぎます。 その日の反省から、議論を主題から逸らす行為は厳重注意、それでも改めないなら退場処分という特定個人対象の決まりが出来ました。 大勢での話し合いならば人数で押し込めることも出来ますが、一対一での話だと収拾がつかなくなる事もあります。 散々に話題を逸らし切り替えて、脇道どころか不毛な荒地に連れ込んだ挙句に「何の話だっけ」と言われたときは本気で怒りそうになりました。 そのような人と話をする状況になったら、常に終着点を目指して舵を切りなおし続けるしかありません。

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脇が甘い

【漢字】脇が甘い 【読み】わきがあまい 【意味】スポーツ競技で、相手が技を仕掛けてきた時、守りの力が弱いと負けてしまうことから、不用心である。注意不足である。 【例文1】彼女は酔うと脇が甘くなるから心配だ。 【例文2】フェイントに引っかかるとはまだまだ脇が甘い。 脇が甘いと言う言葉を知っていますか。相撲をする時に相手の有利な組み手になりやすい状態、また防御がしっかりせず相手につけ込まれやすい状態を言います。脇が甘いと差し込まれてしまう事から切り取った言葉です。要は油断をしている、詰めの甘さを表しますが、振り返ってみて脇が甘かったと思う苦い思い出はないでしょうか。 私が思い出す経験談としては、学生の頃バスケットボールに勤しんでいた時に犯したミスが有ります。当時毎日のように部活動でバスケットに触れ、チームメイトと共に汗を流していた私ですが、試合ではレギュラーメンバーでは有りませんでした。しかし、ある日チャンスが訪れて練習の成果をアピールする機会に恵まれました。他校との練習試合に交代選手として出場した訳ですが、何と相手から見事にボールを奪いシュート体勢まで持ち込んだのです。ですがここで脇の甘さが出てしまいます。ゴールを目の前にして緊張してか、簡単なシュートを外したのです。結果、私はすぐ控えに戻り、監督には怒られてしまいました。もっとシュートの練習をしていれば回避できたかもしれない、脇の甘さによる失敗です。過去を振り返るとその他色々と失敗は思い出されますが、それも教訓に気を引き締めて前へ進もうと思います。

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和気藹々

【漢字】和気藹々 【読み】わきあいあい 【意味】気を使わず和やかな雰囲気をいう。 【例文1】私の家族は仲良く和気藹々として居心地がいい。 【例文2】和気藹々とした仲間との旅行が楽しみだ。 私は子どもの時、友達が出来ず一人で寂しい時を送っていた時があります。 それで友達が欲しいなと思っていた時、ゲームの話で盛り上がっているグループを見つけたのです。 その時私はゲームで遊んではいませんでしたが、何とかこのグループに入りたいと思い、ゲームを遊ぶ事にしました。 しばらくしてゲームの知識が蓄えられたころ、私はこのグループに勇気を出して声を掛けてみたのです。 最初はけげんそうな顔をしていたグループの人達でしたが、私がゲームに関する詳しい内容を話し出すと、すんなりと話の輪に入り込む事が出来ました。 それからは急速に仲良くなる事が出来、グループの一員になる事が出来たのです。 私はもっと友達と仲良くなろうと、ゲームに関するコアな情報を調べたり試したりするようになりました。 それが上手く行って、友達関係から親友関係へと発展させる事が出来たのです。 家に友達を呼んだり、友達の家に行ったりして、和気藹々とゲームを楽しむようになりました。 私はそれまで友達がいた事はありますが、これほど和気藹々と笑いあえる友達はおらず、最高のひと時を送る事が出来たのです。 しかしその後、クラスが変わったりしてこの友達とは段々疎遠となってしまい、幸せな時間は長くは続きませんでした。

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我が世の春

【漢字】我が世の春 【読み】わがよのはる 【意味】自分の思い通りになる。 【例文1】私は我が世の春の人生を送っている。 【例文2】我が世の春の計画を立てる。 【例文3】我が世の春に優越感を得る。 「我が世の春」とも思えるように、自分の人生が自分の思い通りになることは、今までの人生の中で一度もありません。 時代劇ドラマなどで、天下を取った武将が、「我が世の春」と言っているのを聞いたことはあります。 全てこの世が自分の思い通りになるという経験は、それほど多くの人ができることではないと思います。 しかし、もし「いつか我が世の春になりたい」と望んで精進を重ねているならば、可能性はゼロではないと思います。 人それぞれ違う目標や観点で生きています。 私はどちらかというと、表舞台に立ちたいというよりも、影のリーダー的存在の方を目指したいと思っています。 表面的には見えないけれども、それが自分の中で思い通りにいくようになれば、もしかしたら「我が世の春」のような気分になれるのかもしれません。 私はまだ自分の目標を達成したわけではなく、今はまだ、その途上段階です。 そのため、小さな達成感を味わうことはありますが、上から景色を見下ろすような状況にはなっていません。 少しでも自分のレベルを上げるためにも、今は一流の習慣を身につけて行こうと思っています。 少しずつでも高みを目指していくことによって、いつかは眺めの良い場所にたどり着くことができるかもしれないと思っています。 何事も自分の思いどおりになる、もっとも得意な時期。いわゆる絶好調な時期ですね。わたしの春は、いったい何時ごろでしょうか。一説によれば誕生月というのは、その人にとってベストな時期だそうです。たしかに誕生月は特別ですからね。 わたしの誕生月は2月です。言われてみれば、寒さには強いです。冷え性ですが。ですが2月といえば、祖母が亡くなったり、わたしが交通事故にあったりと、あまり良い思い出がありません。我が家には、ある言い伝えがあります。 誰かの誕生日が近づくと、なんらかのトラブルが起きる。気にしすぎかも知れませんが、さすがに誕生日と葬式が重なるのだけは勘弁してもらいたいです。楽しみにしていただけにショックでした。 冬は好きです。誕生日があるのも大きいけれど、頭がスッキリするから。夏は苦手です。頭がぼんやりして、茹であがったみたいになるから。ただ雪は勘弁してほしい。窓から眺めているぶんには美しい景色です。 外出しなくちゃいけない日は泣きたくなる。歩きにくいし、冷たいし。夜は筋肉痛で眠れません。それでも雪が降ると、どこかワクワクしてしまいます。わたしにとっての『我が世の春』は、寒くて冷たくて厳しいけれど、どこか神秘的な冬です。

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我が身をつねって人の痛さを知れ

【漢字】我が身をつねって人の痛さを知れ 【読み】わがみをつねってひとのいたさをしれ 【意味】我の体をつねると痛みを知る事で他人の痛みも理解できる。他人を思いやる気持ちが大切だという意味。 【例文1】彼はごう慢だから我が身をつねって人の痛さを知ることはない。 【例文2】我が身をつねって人の痛さを知らないと誰も助けてはくれない。 【例文3】されて嫌なら我が身をつねって人の痛さを知れ。 自分がされて嫌な事は、相手にもしないと言う教えですね。自分が何かの痛みを持っていると大騒ぎするのに、相手が同じ痛みを感じていても、「大げさなんだから!」と思ったりしますよね。人間は自分の身が可愛いもので、他人事だと冷淡でいられるものです。 英語でも色々な言い方がありますが、 You can't understand the pain that I have until you experience the pain to yourself . とでも言いましょうか。 私は今までお友達や知り合いが病気したり入院したりすると、「まあ、それは大変ね。何でも必要な物があったら言ってね」と言って、すぐにお菓子や食事を作ってお見舞いに行って、良い事をした!と思っていました。 でも最近、私の夫が心臓病で倒れ入院し、退院してからは介護をするようになり、それを知った知り合い達が、次々に「大変だろうから」とお見舞いに来てくれるのです。それは有難いのですが、私は介護をしてるので、見舞い客が来た時に手が離せない事が多々あり、かえって迷惑に感じたのでした。同じ様な事が自分に起こらないとわからないものですね。これからは、相手の気持ちになって、考えようと自分勝手さを反省させられたのでした。

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我が道を行く

【漢字】我が道を行く 【読み】わがみちをいく 【意味】周囲に流されず自分の思った通り行動する。 【例文1】彼は誰の言うことも聞かず我が道を行く。 【例文2】我が道を行ってばかりでは人が付いて来ない。 【例文3】突っ走って我が道を行く。 私は営業の仕事をしていて、今は経験も積みなんとか安定した成績が取れるようになっています。入社した時は、勢いというか何も考えないで仕事をしていたので、簡単に契約が取れ成績も良い方でした。 この調子で行けば経験を積むので、年々更に良くなると考えていましたが、年々成績が悪くなりました。当時は理由がわからなくて、かなり悩む日があり仕事を辞める事も考えました。 それでも石の上にも3年というので、辞めずに働いているとある事に気がつきました。 入社当時は自分が一番新人だったので、周りの成績に興味がなくて、マイペースにやっていました。それが後輩が入って来たり、ライバル的な同僚ができる事で、自分のペースを忘れていました。その時営業成績が常に、トップだった人を見るとかなりマイペースで、会話をしていても空気が読めないタイプの人でした。周りからは、あの人は我が道を行くだからね。と言われながらも、契約はかなり取れていました。 私も忘れていたマイペースを取り戻す為に、頭に我が道を行くと刻み込み、仕事に打ち込みました。 結果的にそれ以来年々成績が上がり、今でも仕事を続けています。営業は一見空気が読めないと駄目に思えますが、恥ずかしさやためらいがない方が良い結果がでるものです。

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若気の至り

【漢字】若気の至り 【読み】わかげのいたり 【意味】若さゆえに物事を正しく判断できずに行動して、後になって振り返って嘆く言葉。 【例文1】若気の至りでタトゥーを入れた事を本当に後悔している。 【例文2】若気の至りで両親に反発した事を反省する。 【例文3】暴走族に入ったのは若気の至りだ。 過去の若い頃の失敗を思い出し、よく若気の至りを後悔した方も多いのではないでしょうか。歳が若い方が、無差別のない行動を起こしてしまうことを意味します。大人になって思い返してみますと、恥ずかしかったりもどかしい気持ちを抱えてしまいます。若気の至りは過去の若かった自分の失敗を思い出して後悔するのものですで、決まった年齢は特にありません。過去の失敗に対して自分を戒めるための言葉ですので、いくつになっても使うことはできます。誰にでも若い頃には失敗をする経験の一つや二つはあるものです。 大人になって、子どもができた時に自分の経験を交えて話すことができますので反面教師として教育になります。若気の至りに年齢は関係ありませんが、平均としては二十代後半までがちょうど当てはまる年齢となります。大人になってしまいますと社会の常識に縛られることになりますが、若い内に様々な経験をしておくことで視野を広げることができる意味合いもあります。若い内に学んだ経験はのちのち大人になってから役にたちますので、失敗を乗り越えて落ち着いて進んでいこうという意味が若気の至りには込められているのではないでしょうか。大人になった時には、若い頃の自分を思い出して初心に返ってみましょう。 よく会話のなかで、あれは若気の至りだったなぁなどという会話を耳にしますよね。若気の至りとは若さゆえに無茶なことをしてしまったという後悔を意味する言葉です。若気の至りでやってしまったという話でよく聞くのがタトゥーです。海外では割と普通に見かけますが、日本ではまだまだ浸透していない文化ですし、あまりよく思われないのも事実です。最近ではファッションタトゥーとして、小さなワンポイントのものを首や耳の後ろなど見えにくいところに入れる方もいますね。見えないものでもプールや温泉など利用を控えなければならない場所も多く、結婚して子供が生まれて後悔したという方も少なくないのではないでしょうか。若い頃はかっこいいとおもっていたし、おしゃれなファッション上級者という気持ちだったかもしれませんが、何年か後には若さゆえによく考えずにやってしまった若気の至りとして後悔することになるのです。この他にも日焼けやピアスなんかも若いうちはかっこいいものですが何年か経つと後悔してしまうことがあります。あの頃は若かったからと言って片付けられることもありますが、あとになってどうしようない事もあります。あの頃の若気の至りで、と後悔しないように物事の判断は慎重に行いましょう。

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我が意を得る

【漢字】我が意を得る 【読み】わがいをえる 【意味】自分の考えと同じで満足だという意味。 【例文1】企画書を読んだところ我が意を得る内容だ。 【例文2】我が意を得る家族や友人がたくさんいる事は幸せだ。 【例文3】地元の仲間と我が意を得る。 「我が意を得る」というのは、自分の考えにぴったり合うという意味として使用されます。 例として、文章の中身を誰かに頼んだとして、内容がぴったりだった時には、 「我が意を得た文章だね。」というように使用します。 他の人考え方が自分の考え方と同じでうれしく感じる様を表す場合の表現方法としては、 「こういう企画をしてくれないか?」「なるほど、このような感じですね。」 「さすが、我が意を得ているね。」というように使用していきます。 また、似たような意味ですが、物事が自分の思いどおりになることという意味でも使用されることがあります。 例えば、自分の好きなアーティストが人気が出たことに対して我が意を得た思いがする。 というような感じで使用します。 実体験の中で一番この言葉を使用するのは、やはり仕事の場所でしょうか? 大人数が参加している会議の中で、自分の意にしている意見などがでてくると、「我が意を得ているね」というように感じます。 また、自分がどうしたいか考えて先に動いてくれる人の行動も同じように「我が意を得たり」というように感じます。 芸能などの分野でも自分がすき好んだものや、自分がこうしたいと考えている方向に物事が動くさまを表す言葉です。

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若い時の苦労は買うてもせよ

【漢字】若い時の苦労は買うてもせよ 【読み】わかいのくろうはこうてもせよ 【意味】若い時は苦労はお金を出して買うくらいの価値がある。 【例文1】今は辛くても後になって人生経験にもなるから若い時の苦労は買うてもせよ。 【例文2】若い時の苦労は買うてもせよで人の痛みがわかるようになった。 【例文3】若い時の苦労は買うてもせよで人脈の大切さを知る。 「若い時の苦労は買うてもせよ」ということわざがあります。 苦労や失敗はなるべくしたくないものですが、若い頃の失敗や挫折は人を成長させることになるのです。 それは失敗しても周りが許してくれやすいという環境的なことや、若い頃の方が素直で吸収が早く、成長しやすいということからも言えそうです。 逆に若い頃にあまり失敗をしてこなかった人は、ひとつの失敗で立ち直れなくなってしまったり、あきらめやすくなってしまいます。 また若い頃の方が気力、体力ともに旺盛で辛いことにも耐えやすいという面もあります。 たしかに学生時代の部活の練習や受験勉強など、大人になってから同じことをやれと言われても難しいものがあります。 スポーツ選手や大企業の社長などの半生を聞くと、幼い頃から練習を繰り返してきたり、挫折を繰り返してきた人が多いようにも感じますし「買うてでもせよ」という言葉には、その後で大きな利益をもたらすという意味合いもありそうです。 また第16代アメリカ大統領「エイブラハム・リンカーン」の有名な言葉に「転んでしまったことを気にする必要はない。そこからいかに立ち上がるかが重要なのだ」という言葉があります。 ニュアンスは違えど同じような意味として解釈することもできます。 若い頃には失敗を恐れずチャレンジすることが長い目で見たときに役に立つという教えは、日本だけでなく万国共通の認識のようです。 私は20代前半の頃フリーターをしていて、アルバイトをしては遊ぶという日を繰り返し過ごしていました。実家に住んでいたので、生活をする上で困る事はなく、まさに親のすねをかじるという言葉がふさわしい生活ぶりでした。母からよく定職につくように言われたり、生活費を入れるようになど言われていました。 そんな生活をしている時に、母方の祖母が田舎から遊びに来ました。祖母は私の日々の生活を見て、親に苦労かけないで頑張って働いてと言われました。言われてもその時は特に何も感じませんでした。アルバイトにもあまり行ってなかったので、私がお金を持っていないのを祖母はわかっていたらしく、田舎に帰る時お小遣いをくれました。祖母は年金暮らしで、そんなに余裕がなかったと思うのですが2万円くれました。その時におばあちゃんは、お金そんなに無いからあまりあげられないけど、仕事しっかりしてねと言われました。 翌年祖母が遊びに来た時、私は就職して仕事をしていました。それを見た祖母はとても喜んでくれました。その時に、若い時の苦労は買うてもせよと言うんだよと祖母に言われました。 数十年経って、祖母は他界しました。私は今家庭をもち日々仕事に励んでいますが、あの時の祖母の言葉若い時の苦労は買うてもせよが心の柱になって、頑張っていられます。 「若い時の苦労は買うてもせよ」。若いときの苦労は買ってでもしろ、と同じ意味の言葉です。この言葉、イメージとしてはあまり良くないものではないでしょうか?例えば、年配の方が説教混じりの口調で言ってくるような、そんなイメージが付いてくると思います。実際、若い人がこの言葉を使ったらおかしいですしね。 実はこの言葉、本来のニュアンスからだいぶ離れていると思います。この言葉が意味するところは、年を取ったら嫌でも苦労=苦労は付きまとうもの。それを年を取ってから初体験すると大変な目に遭うから、先んじて若い頃に苦労をしておきなさい。その経験があれば年を取ってからでも対応することが出来るのだから、というものです。年配者の含蓄あるアドバイス、とでも言うべきものが何となく嫌味を含んだようなイメージに変わってしまっているのは残念ですね。 実際、本来の意味と使われるイメージが大きく違ってしまっている言葉はたくさんあります。言葉というものが時代によって移り変わってしまっているためであり、それは仕方のないことではあるのですが、だからこそ頭の柔らかさが残る若いうちに勉強を積んで正しい意味を知って置かなければなりませんね。正に、若いうちの苦労は買うてもせよ、です。 『若い時の苦労は買うてもせよ』。新入社員として会社に入社したことがある人は、一度はこの慣用句を耳にしたことがあるのではないでしょうか。 この言葉を簡単に説明すると、若い時に経験する苦労は自身の成長に繋がり、将来的に役に立つため、苦労を恐れずにむしろ積極的に買って出るように、という意味です。 学校の部活動の先輩や、職場の上司からしてみれば、この慣用句はある意味で大変都合が良く、人によっては、面倒な仕事を後輩や部下に押し付ける際の常套句にしている、何てこともしばしば耳にします。そんな『若い時の苦労は買うてもせよ』という慣用句ですが、この慣用句に限らず日本に存在する故事ことわざ、慣用句の類の多くは中国から伝わっています。しかし、この『若い時の苦労は買うてもせよ』という文言は、日本や中国だけではなく、英語にもほとんど同じ意味を持つことわざが存在するのです。 それが『Heavy work in youth is quiet in old age』という一文。日本語に訳すと、若い時の重労働は、年をとってからの平安となる。という意味です。 この英文を読んで、改めて考えてみると、確かに若い時の方が体力もあり、失敗してもやり直す機会も多いですが、 年齢を重ねると体力も低下し、リスクを背負った際にやり直す気力がなかなか出て来ないものです。 若者からしてみれば、少し理不尽で納得し辛い『若い時の苦労は買うてもせよ』という慣用句も、この英語の方の慣用句で考えてみると理解が出来て、納得しやすいかもしれません。

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