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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。 Powered by 手作り言葉辞典

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雪や氷も元は水

【漢字】雪や氷も元は水 【読み】ゆきやこおおりももとはみず 【意味】原料は同じでも条件が違えば異なったものになる。環境や教育によって異なるという意味。 【例文】雪や氷も元は水で子は父母の教育次第だ。 雪や氷も元は水という言葉があります。これは環境次第で違ってくると言う意味になります。雪も氷も同じ水であるわけですが、状況、環境によってその姿形を変える、ということから環境こそがその人となりを作る、という意味であるわけです。様々なことにそれはいえることになります。氏より育ち、といった言葉と類似しているものであるといえるでしょう。そんなに難しい言葉ではなく、意味としてもそれなりにわかりやすいものであるといえるでしょう。良いのか悪いのか、ということなのですが雪も氷も良し悪しがあるわけではありませんから、この場合は良い悪いをいっているのではなく、あくまで環境などによって同じ物でも違ってくることがある、という意味的には良し悪しという観点はない、といっても過言ではないといえるでしょう。氷も雪も冷たい存在であるからこそ、そうした言い方をされている、という側面がないわけではないのでしょうが、同じ物で状態としてかなりの違いがある、というように昔の人は見ていたわけです。但し、実際には雪はある意味では一種の氷であるといえます。ほぼ凍った状態であるといえますから、実際には物そのものに違いは本当にないといえます。 綺麗な雪も氷も、両方とも元は、同じで水からできています。 元が同じであっても、その後の環境などの影響で、それぞれ違った形や物になるということを意味しています。 分かりやすく例えて話をすると、自分が産んだ子供が2人、または3人でもそれ以上でもいいのですが、複数人の子供がいるとします。 元と言うのは、自分つまり母親で、同じ母親から生まれたけれども、成長するにあたってそれぞれ、性格や個性が違ってきます。 全く同じ環境で同じ接し方で育てると言う事は、ほとんどの場合、まずないでしょう。 最初の子供でしたら、育児も初めてで、何も分からず、気持ちにも余裕が持てず必死に子育てをします。 ちょっとしたこと、例えば、少し風邪を引いた、少し怪我をしたなどの場合でも、神経質になりがちで、すぐに慌てて病院へ連れて行ったりすることがよくあります。 2番目の子供の場合は、最初の子供の時の経験もあるので、多少、子育てに対して気持ちにも余裕が出できます。 上の子供の時は、こうやったけど、下の子が同じような場面になった時は、別の方法をしたとか、違いが出てきます。 どちらにせよ、愛情を持って一生懸命に子育てをしてきたのには間違いないのですが、育っていく環境や状況で、同じ母親から生まれた子供であっても、それぞれ違ってくるということです。

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雪虫

【漢字】雪虫 【読み】ゆきむし 【意味】体身が白い綿に包まれたような虫でトドネオオワタムシと言う。綺麗な名をしているが、あぶら虫の仲間である。北海道に初雪が降る数週間前に大量発生する様子が吹雪のようで雪虫と呼ぶ。 【例文1】雪虫が大量発生して初雪の知らせを感じる。 【例文2】雪虫が舞っているのでそろそろ防寒対策をする。 【例文3】雪虫が舞う時期になったので初雪が降ると予報する。 私が雪虫という生き物を初めて目にしたのは、成人してかなり経ってからでした。初めて見たときの感想は正直『がっかり』、これに尽きます。それまで私は雪虫を空想上の生き物だと勝手に思い込んでいました。小さな頃から名前だけは知っていたのですが、その可愛らしい字面から自分の中で架空の雪虫を作り上げていたのです。幼い私が思い描いていたのは綿毛のように真ん丸く、子どもの拳くらいのサイズの雪虫です。その不思議な生き物は冬になると雪に紛れてふわふわと空を舞い、ときおり人に懐くこともあり、飼うことも出来るけれど春の訪れとともにひっそりいなくなってしまう、そういう設定でした。調べればすぐに本当のことがわかるはずでしたが、疑問に思う機会すらなかったせいでファンタジーな雪虫を20年近く信じ込んだままでした。あるとき友人と何かのはずみで雪虫の話をし、ようやくそれがフィクションなどではなく、実在する昆虫だと知ったのです。雪虫が現実の生き物だと知ったときはびっくりするとともにとてもワクワクしました。現実の存在だと知っても、私はうさぎの尻尾のような丸くてふわふわした生き物しか思い描いていなかったのです。しかしその後調べて出てきた雪虫は羽虫に綿がくっついたような姿でした。よく見ると可愛らしい気もするのですが、長い間架空の雪虫を可愛がってきた私には物足りないものでした。

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雪だるま式

【漢字】雪だるま式 【読み】ゆきだるましき 【意味】どんどん積み重なって大きくなっていく状況。 【例文1】雪だるま式に借金が膨れ上がる。 【例文2】雪だるま式に利息が増える。 【例文3】ローンが雪だるま方式に増える。 私は20代前半の頃、雪だるま式に借金が増えた経験をしました。 同時フリーターをしていたので、安定した収入はなくどちらかと言うと、遊びを中心に生活を送っていました。 その頃は、消費者金融が流行り出した時期で、利用する人が増え始めていました。その流れに乗った訳ではありませんが、お金に困る事が多かった私は、1社からお金を借りました。 フリーターでしたが、少しは収入があったので、借入をしても返済することはできた為、延滞などもなくしばらく利用していました。 数ヶ月後、利用している消費者金融から増額の案内が来て、それ以来どんどん増額されていき、限度額がフリーターの私からすると高い金額になりました。 今は色々な規制があり、そう簡単には増額されませんが、同時はそうでもなかったので、雪だるま式に借金が増えていきました。 油断すると、借金は直ぐに増えるという経験をして以来、なるべく借入をすることは避けています。例えば、ショッピングをする時はカードではなく現金だけにして、使い過ぎない工夫をしています。 お金の使い方は、自分で調整できるタイプとできないタイプがいると思いますが、私はできないタイプだと思うので、過去の雪だるま式借金の経験を活かし現在は自制しています。 私が社会人になったばかりの時のことです。 まだクレジットカードをみんながどんどん作っていた頃で分割払いも今よりもっとみんながたくさんはしている頃のことです。 とにかく社会人一年生の私はとにかくいろんなものを買いました。 今までフリーローンというのを組むのも親の許可が必要ですごく制限されていた感じでした。 成人になった途端親の許可も不必要で、なんでも自分の気持ちだけでできるようになりました。 もともと物欲のすごかった私は1回払いではとても買えないようなコートやジャケット、靴などブランド品などをとにかく買いまくりました。その頃はとても緩めだった限度額のカードもどんどん分割をし、買えるだけ買っていました。 どんどん支払いが雪だるま式に増え、追いつかなくなった私はクレジットカードの新しい使い方でキャッシングをしてしまいました。 支払いが苦しいとキャッシング。お金がどんどん出てくるとでも思っていたように借りてしまっていました。 毎月の支払いが給料より多い時もありました。 気づいた時には借金が200万近くまでになっていました。 結局何度かボーナスで返すというのを繰り返し続けて5年かかって返しました。 本当にあの頃の自分に戻ってもったいない買い方するな!と心から言ってやりたいです。

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雪化粧

【漢字】雪化粧 【読み】ゆきげしょう 【意味】野原や山が雪でおおわれ化粧したように美しい光景。 【例文1】雪化粧を見ると心が落ち着く。 【例文2】雪化粧で癒される。 【例文3】雪化粧が綺麗。 雪化粧で感動 私は福岡県に住んでいます。福岡県はもう何年も雪化粧をみていません。48歳になりますが、私が小さいころは気候が違うのか冬になると雪化粧で喜んで外に出て、雪合戦や雪だるまを作ったり、そりなども作って遊んでいました。最近は温暖化の影響、二酸化炭素の排出問題などで北極の氷も年々溶けていると言う状態になっています。排出ガス問題も国によって考え方がまちまちで温暖化に歯止めがかかっていません。このままでは雪化粧どころか世界中のこりが解け砂漠化して動物なども住めない状況になっていくのではないでしょうか。アメリカ合衆国は排出ガス問題を棚上げにして経済優先の考え方をしています。このままでは動物、植物、そして私たち人間が住めなくなる状況になってきます。しかしまだまだ、日本では冬になると北海道では雪化粧になり札幌雪祭りも開催されていますし、東北地方の雪景色は感動するものがあります。日本では冬になると、各地でスキーやスノードボードが楽しめます。日本にはまだまだ四季折々の風景が見られるのです。この美しい雪化粧をずっと楽しみたいものです。最近は中国の経済が急速に発展して車の排気ガスの問題も真剣に考える時が来ました。世界中で環境を考えねばと思います。 太平洋側の地域から旭川に移住しました。これまで初雪は寒いなーと感じた日にチラチラと何か白いものが降りてくるイメージでした。 もちろん手に取って見る事はできません。ほとんどが途中で溶けてしまって雪なのか確認するのも難しい状態が多かったように思います。 旭川に移住して、最初の年の初雪。ちょうど出かける用事があり、札幌まで電車に乗りました。 もう旭川も積雪は15センチほどあり、全てが雪化粧していました。この年の初雪はこのまま根雪になるとニュースが流れ、本当に町中が真っ白になっていました。 電車の中で特に雪が多いと言われている岩見沢を通過時は初雪なのに吹雪いていて、雪化粧どころか真っ白で何も見えなかったです。 秋口に大雪山にうっすらと積もった雪化粧もこれからやってくる冬を想像させます。 多分、ここにずっと住んでいる方には雪の薄化粧を感じる余裕はないのではないでしょうか。 化粧は綺麗になるから化粧。凍てつく寒さと、毎日のゆきかきが待ち受ける北海道の住民にはとてもきれいに感じる余裕はないかもしれないですね。 帰りの電車が雪で遅れて、やっと来た電車は電車の形が見えないほど雪を被っていて、雪化粧で真っ白になった電車はとても綺麗ではありましたが、 大変厚化粧でした。

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ゆりかごから墓場まで

【漢字】ゆりかごから墓場まで 【読み】ゆりかごからはかばまで 【意味】生まれた時から死亡まで面倒みますというイギリスの社会福祉政策のスローガンである。 【例文1】ゆりかごから墓場までの手堅い保障に安心。 【例文2】ゆりかごから墓場までの保険に加入する。 【例文3】ゆりかごから墓場までとはいい制度だ。 「ゆりかごから墓場まで」とは第二次世界大戦後のイギリスにおける社会福祉政策のスローガンです。意味は「子どもの誕生から死に至るまでの国民の一生を社会ですべて対応できるようにする」です。消費税を25%にすることでスウェーデンではそれを実現しています。日本でも消費税や社会福祉政策の問題が取り上げられると、必ずといっていいほどひきあいに出される言葉です。社会福祉政策についてある極端な例があります。アメリカジョージア州北部のフルトン郡では2005年、新しい市としてサンディ・スプリングス市が独立しました。きっかけは高収入を得ている富裕層の不満です。高収入の人たちが高い税金を納めているのに、行政サービスが均等に割り振られていることに不満を抱いたのです。アメリカでは、住民投票によって、新しい市を作ることができます。独立後は、様々な予算削減が実行され、この市の財政支出は半分以下になり、余った税金は、市民の安全を守るサービスに使われていますが、困ったのは貧困層が居住するフルトン郡の他地域の人々です。フルトン郡は歳出が歳入を上回り自治体として困窮することになり、ごみの回収車が2週間おきにしかこない事態にまでなっています。社会に属する人、全員でその社会を支えるという社会福祉の根幹が揺らいでしまったことでおきたことです。日本でも格差社会と言われる今、対岸の火事と思ってはいけないですね。

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夢を託す

【漢字】夢を託す 【読み】ゆめをたくす 【意味】自分ができなかった事を人に任せて実現する事を願う。 【例文1】息子に夢を託す。 【例文2】オリンピック出場の夢を子どもに託す。 【例文3】断念した夢をわが子に託す。 自分の果たせなかった思いを自分の子どもや心を寄せる誰かに引き継がせる状況を指します。身近な所では「父が息子にアスリートの夢を託す」などがあり、大きい話だと「総理大臣の夢を弟子に託す」という事も無きにしも非ずでしょう。自分が果たせなかった積年の思いを出来れば身近に思っている存在にやって貰い、そうなってくれればまるで我が事の様に喜べてしまうのです。自分の変わりにやってくれたと思うだけで嬉しさが込み上げ、それが誇らして仕方ない訳です。もちろん全ての人が夢を託されて実現出来るとは限りませんので、そこも嬉しさを助長する要因と言えます。 出来れば身内に叶えて貰いたい夢ではあれど、世の中はそう思い通りには行きませんし、そうであるならまず自分でやるのが話は早いのですから。だからこそまずは自分の意思を理解して、思いを託せる存在でなければなりませんし、より可能性の高そうな者であれば安心して夢を託せるのです。もし託した夢をうまく結果に残せなくとも、託した者には感謝こそすれ非難するのは筋違いと言えるでしょう。 中学生の頃、陸上部で長距離をやっていました。 ちょうどわたしが入部した年に部活の担当の先生が変わったらしく、それまではのほほんとした部活だったようなのですが一気に力の入った部活になったと聞いています。 その頃のわたしは中学校に勉強ではなく部活のために通っていると公言するほど陸上競技にのめり込んでいて、毎日部活がはじまるのが楽しみでしょうがありませんでした。 同じく部活に入った仲間もレベルが高く、お互い切磋琢磨して県大会や全国大会を目標にがんばっていました。 先生も昔陸上選手だったということで部活に対しての意欲がすごくて、いま思えば、本当にいい先生だったなと思います。 毎日、部員の書いてくる練習日誌に目を通してくれ、逐一コメントをくれました。 いまは部活の担当をしている先生の過労が問題になっていますが、その先生も同じだったと思います。 しかし中学生のわたしにはそんなところまで思いも至らず、先生の熱意を当たり前のように受け取っていました。 もっと感謝の気持ちを伝えればよかったな、と思います。 先生がそこまでしてくれたのは、きっと、自分が途中で怪我をして競技を離れなければいけなくなったこと、そういうことがあるから、わたしたちに夢を託す思いでいてくれたのかなとも思います。 夢を託すとは、自分の希望を他人にゆだね、実現することを願うことを言います。 このような言い方をすると未来に向けて、きらきらと輝くようなイメージがありますが、悪く取ると自分は逃げて後はよろしくというようにも感じてしまいます。本来は自分が頑張っても叶えられなかった事を後輩に託すという意味なのです。 しかし、最近では子供に自分の夢を託すという人が多いようです。自分にはできなかったからせめて子供にはそうなって欲しいと思うのでしょう。例えば、東大に入って欲しいと言い、勉強勉強と縛り付けます。また、好きでもない習い事を無理矢理やらされたりします。これらも親にしてみれば、夢を託しているのでしょう。しかし、子供にとってはどうでしょうか。好きでも無いことを押しつけられ、自由な時間がありません。いつか、ぷっちと切れてしまってもおかしくありません。そして、好きであるからこそ頑張れるでのあって、嫌々ながらでは効果は上がらないのです。世の親たちはそれが解っているのでしょうか。 自分で何かやりたいと言っても親が理解できない世界のことは駄目の一言で終わってしまいます。そして、自分でできなかったから夢を託すと称して、無理矢理押しつけます。 子供に夢を託すのはほどほどにした方が良いでしょう。

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夢を描く

【漢字】夢を描く 【読み】ゆめをえがく 【意味】理想を想像する。 【例文1】誰もが幸せな家庭を築きたいと夢を描く。 【例文2】結婚式に夢を描く。 【例文3】女子はウエディングドレスに夢を描く。 少なくとも若い頃まではいろいろな夢を描くことができました。 それはあらゆる可能性があり、それが実現できるかもしれないと思えたからです。 しかし、年齢を重ねるとともに経済的な理由や周りの環境、または自分の健康面などを理由にして、だんだん夢を描くことができなくなってきます。 ですが、夢を描くことからそれが現実に近づいたと思えることもあります。 夢が現実になってくると、その輝かしさは失われていくのかもしれません。 夢を描いている時は良い面しか見えません。 しかし、現実となると良い面よりもむしろ、良くない面も多く見えてしまうことがあります。 それも全てひっくるめて、良い面と思えれば、おそらく一生夢を描いてそれを実現していくことができるのかもしれません。 夢を追いかけるには時には大きな挫折を経験してしまうことがあります。 しかし、転んでも再び起き上がって夢を追い求めれば、まだまだ終わりではありません。 一生夢を描いていきていくことができれば、それはそれでとても幸せな人生かもしれません。 しかし、実際は先が短くなってくると、なかなか将来に夢を乗っけて生きていくのは難しくなってしまいます。 大きな夢でなくても良いので、せめて小さな夢を描きながら過ごしていきたいものです。 子供の頃は誰だって、野球選手になりたい、看護師さんになりたいなど、夢を描く事が一度や二度はあったはずです。 そうでなければ人は、前に進む事が出来ません。 ところが夢を描く少年や少女の純真な心を打ち砕いてしまうような出来事が、現実にはたくさんあるのです。 例えばお医者さんになる為には、医科大学に進学しなければなりません。 医科大学は一般の大学よりも学費が高く、普通の一般家庭の経済力では学費を賄えないことが多いです。 お医者さんになりたいとは思っても、親に負担は掛けたくないからと、お医者さんになる夢を諦めてしまっている少年少女がたくさんいます。 夢を描く少年少女の心を、お金という現実が打ち崩してしまっているのです。 なのでこのような不憫な少年少女を失くす為に、国などが援助をして欲しいと思います。 よく、将来への希望を表す際に夢を描くなどと言いますよね。 描くはという言葉は、キャンバスなどに絵を描く場合に使われます。 つまり真っ白いキャンバスに自身の将来の夢を書き足すという意味で、夢を描くと言われるのでしょう。 では、いつから私たちは夢を描けなくなったのでしょうか。 小学生の頃は将来の希望で満ち溢れていましたよね。 よく、なりたい職業ランキングなど発表されますが、どれも小さい子供が対象ですよね。 あの頃はみんな夢を描けていたのだと思います。 しかし、大人になるにつれて周囲が見えるようになり、現実も分かっていきます。 そうすると、次第に夢を描けなくなってしまうのだと思います。 小学生時代には真っ白いキャンバスも、経験を重ねていくうちに色々と書き足されていくのですね。 やがて、そこに夢を書き込むスペースがなくなるのでしょう。 つまり、夢を描けなくなることが大人になった証拠とも言えますね。 色々と想像をして将来の夢へ胸を膨らませているうちは、純粋に夢を追いかけられていたと思います。 ですが、大人になってから夢を描くこともまた可能なのです。 それは子供時代の漠然とした夢でなく、明確にビジョンを持った計画性のある夢になるでしょう。 夢を描くことは、純粋さそのものとも言えるでしょう。

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夢枕に立つ

【漢字】夢枕に立つ 【読み】ゆめまくらにたつ 【意味】故人が夢に現れてお告げをする。 【例文1】亡き祖母が夢枕に立った。何を言いたかったのだろうか。 【例文2】お墓参りをして亡き祖父がありがとうと夢枕に立つ。 【例文3】父が夢枕に立つと良い事が起きる。 夢枕に立つとは亡くなった故人が夢に出てくることを言います。 私の祖父は30年前に倒れたさいに頭を強打したまま意識が戻らずそのまま亡くなってしまいました。電話で知らされた母は泣きながら私と弟をたたき起しお父さんの運転で駆けつけましたが、看取ることはできませんでした。当時小学生の私はただただ悲しかっただけですが、成人して法要が営まれた時、祖父の思い出話がでました。墓参りをして身内が料亭に集まりました。料理をいただきながら、母の兄弟たちがしんみり語り始めました。病気もしていない祖父は倒れたばかりに頭を強打して突然逝ってしまってさぞ無念だっただろうに・・家族にも伝えたかったことがたくさんあったでしょうに・・終始祖父の思い出話も時間が来て喪主のあいさつでお開きとなりました。 わたしは普段夢を見ません。見たような気もするけどはっきりは覚えていません。なのに法要の晩は姉妹と祖父母で庭で遊んでいた夢を見ました。現在の祖父母宅は立て替えて外見も庭も減築されて駐車場になっています。しかし夢では昔の古い大きな家と庭でした。体格がよく少し強面の祖父でしたが、夢では笑っていました。まるで今日はありがとうねと言っているかのように。

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夢のまた夢

【漢字】夢のまた夢 【読み】ゆめのまたゆめ 【意味】とうてい叶いそうもない願い。 【例文1】芸能人と結婚したいなんて夢のまた夢でしょ。 【例文2】夢のまた夢だと思ったマイホームを持つ。 【例文3】夢のまた夢だった職に就く。 先日兄の家に遊びに行った時に、近くでモデルルームの見学会が行われていました。 明らかに高級な家だったので、購入は夢のまた夢と思いつつも、どんな造りなのか興味があり家族で見学に行きました。 100坪はある敷地に、コンクリート製の外壁が使用された高級感たっぷりの外観で、中を見る前から住んでみたくなりました。 新築ではなく、中古物件をモデルルームとして利用しているらしく、その物件を販売してはいないので販売価格は分かりませんでしたが、購入するなら数億はする家だと思います。 中に入り1番魅力を感じた所はキッチンとリビングで、広々とした空間にオープンキッチンがあってリビングと一体感があり、ここで毎日生活ができたら嬉しいだろうなと思いました。 お風呂場も浴槽が広く足を伸ばして入れる大きさで、お風呂場自体かなり広く取っているという印象を受けました。 夢のまた夢の家ですが、一度は住んでみたいという思いをお土産にモデルルームを後にしました。 自宅に帰って、モデルルームとの違いのギャップに少し凹みましたが、見学した際にこれは良いなと思った部分を、将来的に真似したいと思っています。 それはキッチンのレイアウトで、キッチンと言えば壁に向けて配置されるのが主流ですが、キッチンのセンターにオープンキッチンとして置くと、部屋全体の印象がかなり変わるのでいつかリフォームしたいと思います。 テレビでよく見ていた街並みが、憧れていた街並みが、今のわたしの通勤路です。 まさかこのわたしがこのようなところで仕事をすることになるなんて。 もうすぐお世話になってウン年になりますが、毎日毎日未だに夢のようです。 九州の田舎にいた頃、ファッション誌CanCamを愛読していました。 CanCamの中のカリスマ、エビちゃんともえちゃんは丸の内OLの通勤着のお手本で、おしゃれな仲通りをバックにおしゃれで高そうなキラキラした洋服を着たカットがたくさんありました。 わたしにとって丸の内OLは夢のまた夢でした。キラキラ輝いていました。 CanCamの中の丸の内OLは仕事に合コンにお稽古にととてもリア充で、わたしもこういう生活がしたいなぁと羨ましく思っていました。 まさか自分がこの街で働くことになるなんて。この街を毎日歩くことになるなんて。 でも、丸の内にはエビちゃんももえちゃんもいません。 丸の内OLは意外に普通で、あんなにヒラヒラした通勤着の人は丸の内にはいないようです。(いるのかもしれないけれど今のところ会ったことはありません。ちなみにうちの会社にもいません。) エビちゃんもえちゃんがいないことに少しホッとしているわたしでした。

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弓を引く

【漢字】弓を引く 【読み】ゆみをひく 【意味】お世話になった相手に反抗する。 【例文1】自分が親になって、反抗期で両親に弓を引いた事を反省する。 【例文2】中学生の時は先生によく弓を引いていた。 「弓を引く」・・・何ということはない、ただ弓をつがえて引く、ということを指す言葉だと思われるかもしれません。 よく聞かれる言葉だからと、何の注意も払わない人が大半かもしれません。 しかしこの言葉、慣用句としても使用されていることを、ご存知の方もいると思います。 慣用句としての「弓を引く」という言葉は、誰かのことを「裏切る、盾突く」ということを意味します。 ただ弓をつがえるという勇ましいポーズを指すことのほかに、このような意味もあるということを覚えておかれるといいかもしれません。 「あんなにあの人に目をかけてあげたのに、私に対して弓を引くなんて」という場合、目をかけた人に裏切られた、ということを意味します。 ただ誰かに対して反抗するというだけではなく、恩師や、目上の人など、自分より立場の上の人に対して盾突いたり反抗するときによく使われる言葉でもあるので、併せて覚えておきましょう。 親身になって誰かの世話をしても、何かの事情で裏切られることは、世知辛い世の中、よくあることかもしれません。 しかし、自分が誰かに温情をかけられたら、どんな事情があろうとも恩人に「弓を引く」ことになどならないようにしたいものです。

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湯水のように使う

【漢字】湯水のように使う 【読み】ゆみずのようにつかう 【意味】水を流すようにお金を惜しみなく使う。 【例文1】たまには値段を気にせず、湯水のように使ってみたい。 【例文2】社長が高級店で湯水のように使う。 【例文3】夫の稼ぎが良く湯水のように使う。 辞書を引くと「湯水のように使う」とは「金銭の乱費」で使われる事が多いです。 そもそも「湯水」が「沢山ある物を粗末に扱う」例えなんだそうです。 お湯とお水っても書いてありましたけど、と言う事は金銭に留まらないわけです 私の祖母が言っていた事があります。 大正生まれの戦争経験者である祖母は「物」が無い時代に育ちましたから、昭和生まれの孫である私の事は相当我が儘に感じていたと思います 一番は使い捨てのタイプです。紙皿や紙コップ、割り箸など「消費は美徳」なんて言われていた時代がありました。 色々な物を湯水のように使っていたわけです。割り箸などは洗えば使えます。 使える物を簡単に捨てていた私は物を大切にする事を諭されました。 お金もそうですが資源も無駄にあるわけではありません。 東日本大震災後に言われているのが節電です。 津波よって原発が被害を受け計画停電が一時期ありました。 原発に頼らない風力や太陽光発電などもありますが、安定はありません。 こうなった以上は原発も無限ではありませんし、湯水のように電気を使える時代ではないのです。 そのツケが今まさに回ってきているのです。 ただお金は幾らあっても困らないですから(オレオレ詐偽に遭うかもしれないけど) 湯水のように使っても無くならない打ち出の小槌の様に振って湧く物が欲しいです。

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弓折れ矢尽きる

【漢字】弓折れ矢尽きる 【読み】ゆみおれやつきる 【意味】散々に負けて力尽きる様子。負けが確定したような時に使う。 【例文1】20点も差が付き弓折れ矢尽きる。 【例文2】退場者が出て弓折れ矢尽きる。 【例文3】残り時間がない。弓折れ矢尽きる。 弓折れ矢尽きるを言葉の通りに受け取れば、戦闘中に矢が尽きてしまったり弓をおってしまうという失態によって敗戦が確定した状況ということです。 矢は戦闘前に十分な数を用意しておくべきものなので、明らかに準備不足と言えるでしょう。 弓が技量によるものか耐久によるものかは知れませんが、戦闘中に命綱である武器を壊してしまうなどとんでもない失態です。 などと言えるのは実際に戦闘に参加していない無責任な第三者の戯言、自分の将来や組織の趨勢をかけた戦闘で手を抜くような人はいません。 後から詳しくに検分してみれば、失策や失態など敗北の原因はいくらでも探すことが出来るかもしれません。 しかし待ったなしの状況で全てにおいて万全を期するのは事実上不可能です。 世の中は自分の都合だけで動いてくれるほど甘くなく、逆に都合が悪いときを狙って攻めてくるものです。 勝負は時の運、勝敗は世の常と考えれば、全ての戦いにおいて必勝することなど夢物語といえるでしょう。 一度や二度の敗北で意気消沈してしまい無為に時を過ごすなど愚か者のすることです。 捲土重来、臥薪嘗胆の言葉のごとく、敗北を糧として力を蓄え再起を図ってこそ道は開けます。 敗北は敗北として受け入れ、次の勝負で勝つ算段を整えるほうが精神的にも健全です。

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指をくわえる

【漢字】指をくわえる 【読み】ゆびをくわえる 【意味】恥ずかしがって黙って見ている様子。羨ましがる。 【例文1】50万円の新作ブランドバックを指をくわえて見ている。 【例文2】恋人がおらず、街中のカップルを指をくわえて見ている。 【例文3】指をくわえるだけでは何も始まらない。 私は小学生の時ピアノを習っていました。小学生の頃から保育士になるという夢があったので、小さい時から習っておいたほうが良いという母の勧めからでした。元々音楽が得意だったということもあり、徐々にピアノは上達していきました。市のピアノコンクールがあって、ピアノ教室に通っている子達全員が優勝するために日々頑張っていました。私ももちろん狙うは優勝しかありませんでした。課題曲一曲と自由曲一曲の計二曲を観客の前で弾くのです。家で弾いているとほぼ間違わずに弾けるので多少練習したくらいで本番に挑みました。正直、このくらいの練習で大丈夫だろうと思っていたのです。実際に本番で弾いてみて緊張していたせいもありましたが、間違いがとても多かったです。やはり、いくらピアノが得意でも少し練習しておけば大丈夫だろうという甘い考えではいけなかったのです。私の後のほかの出場者の子達はみんな上手でただひたすら指をくわえて見ていることしかできませんでした。 ですが、こういう悔しい経験があったからこそ大人になってからそれを生かせています。何事も全力で取り組むようになり、後悔しない生き方ができるよう日々頑張っています。 一昔前にマネーの虎という、一文無しからビジネスの成功者になる番組が放映されていました。例えば一文無しからラーメン屋を経営して億単位の売り上げを上げて成功する。私は思わず指を加えてその成功者を見ていました。サラリーマンだけが人生ではないんだ。こうやって無一文から這い上がって成功者となる人もいるのだと実感しました。このように羨ましいという心は少なくとも私の心の中に存在しています。このような自分で這い上がって成功者になった人にパワーをもらって、自分の今の仕事を更に見つめ直して仕事に専念する。世の中に凄い人達がいる者です。日常生活の中にも会社で成績を上げて表彰されたまわりにいる私たちは指をくわえて、受賞者を見ていました。会社の経営側もこうして表彰することによりまわりの社員に頑張れよと鼓舞しているように思います。自分はそうですが他人が羨ましく思うことがたくさんあります。それを指をくわえて見てるだけでは何もなりません。それを自分の糧にすることで自分を成長させていこうと思います。仕事では特にそうですが、指をくわえているだけでは何もなりません。自分で創意工夫したり手本となる人を自分の肥やしにしながら死に物狂いで頑張ることが成功への鍵となるのではないでしょうか。

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指折りの

【漢字】指折りの 【読み】ゆびおりの 【意味】数えるほどしかいない。有数の。 【例文1】指折りの進学校に通う。 【例文2】指折りの成績優秀者に贈られる賞をいただく。 【例文3】指折りの選手になる。 自分が携わっている分野で指折りの実力者になりたいと願うのであれば、それは向上心があって良いことだと思います。かといってがむしゃらに頑張っても体を壊してしまうことが考えられます。何事にも同じことが言えますが、メリハリをつけてその分野に取り組むのが最適ではないでしょうか。 「今日はここまではやろう」と自分の中でゴールをつくって、そのゴールまで到達したらいったん休むことは必要です。もしゴールまで到達できなかったとしても、いったん休んでみて構いません。そして休むときは、頑張りたいことを忘れてしまうくらい、思い切って休むのが良いでしょう。中途半端に休んでも、体に疲労が溜まったままになってしまいますからね。その状態で再びスポーツや仕事に取り組んでも、徐々に疲労が蓄積されて体が悲鳴を上げてしまうことになります。 たとえ指折りの実力者になるつもりがなくても、それはそれで否定しません。多種多様な人がいるからこそ、色々な意見が出て、社会は発展しているのですから。しかしどんな人にも共通して気にしていただきたいのは、頑張ることも休むことも、同じくらい大事である、ということです。特に指折りの実力者になりたい人こそ、メリハリをつけることを心がけてみてください。

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指折り数える

【漢字】指折り数える 【読み】ゆびおりかぞえる 【意味】指を折り曲げて日にちを数え楽しみにしている様子。 【例文1】初デートの日まで指折り数える。 【例文2】第一子誕生まで指折り数えて楽しみに待つ。 【例文3】孫と会える日を指折り数えて楽しみに待つ。 片手で指は五本、両手合わせても10本なので数えられるのは10までと考えるのが普通でしょう。 しかし、大学時代に知り合った情報専門学校出身の人は違いました。 コンピュータで使われる2進法をそのまま指で表現できる彼は器用に指折り数えることができました。 親指から人差し指・中指・薬指・小指と位上げしつつワキワキと指を動かします。 2進法なので指を全部閉じている状態で0、親指だけを伸ばして1、人差し指だけをのばして10と続けます。 一つ数が増えるごとに親指はパタパタと伸ばしたり折ったりするのですが、繰り上がりも含められるので指の動作は既に怪奇現象です。 当の本人は慣れたもので、何も考えずにひょいひょいと指を動かしているのですが、とても真似できるものではありません。 実のところは気持ち悪すぎて真似する気分にすらなれませんでした。 0から開始するので2の5乗、31まで片手で数えられるというか表現できるとのことでした。 両手を合わせると2の10乗まで数えられる計算ではありますが、片手が忙しいだけであまり意味はなさそうです。 見た目も気持ちよいものではないので、特殊な状況下以外では必要性は感じられません。 とりあえず指折り数えるのは10以下で十分だと思いました。

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指一本も差させない

【漢字】指一本も差させない 【読み】ゆびいっぽんもさせない 【意味】少しの非難もさせない。 【例文1】このアイディアには指一本も差させない。 【例文2】自分が信じた道に指一本も差させない。 【例文3】誰一人として指一本も差させない。 指一本も差させない、とは他人に少しの非難も干渉もさせない意。 言葉は主語や目的語によって意味を変えてきます。 例えば、私はあなたをあらゆることから指一本差させない、これはあなたに非難を受けさせない、要はあなたをあらゆることから守るの意味を持ちます。他にもこの作品には指一本差させない、これは完ぺきな作品ができあがったことを意味します。このように、言葉はたった一つの意味を持つだけではありません。その言葉の意味が持つ範囲は広いのです。 だからこそ、対話は難しいのだと思います。伝えたいことが伝わらないこともありますし、誤解を与えてしまうこともあります。そういった時は、相手の気持ちを汲んであげましょう。非難をするばかりではなく、歩み寄ってみてください。指一本差させないような論理を武装するばかりでなく、指一本差せてしまうような愛嬌を持ちましょう。こうすることで対話がよりいっそう面白味を帯びます。 指一本差させないという言葉は、完ぺきなや好きのないといった意味で使うばかりではなく、例文に挙げたように誰かを守るために使ってみたいものです。そんなことを思えるような人との出会いを私は求めています。なんて、少しクサいですかね。

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油断も隙もない

【漢字】油断も隙もない 【読み】ゆだんもすきもない 【意味】少しも気を緩む事ができない。 【例文1】まったく油断も隙もないやつだ。 【例文2】ちょっと目を離した隙に猫が食べ物を持って行った。油断も隙もない。 【例文3】置き引きに遭い油断も隙もない。 油断も隙もない夏の大敵といえば蚊です。ジカウイルスや西ナイル熱などのウイルス媒体とも知られていますが、それ以前にさされたらとてもかゆいし、ぷーんと耳や顔周りで飛ばれると無視したくとも出来なくてとても不快です。藪に近寄らないようにしたり、虫除けを使ったりしてもいったいどこから入ったのかいつの間にか家に入りこんでいたりする油断も隙もない蚊が大嫌いです。以前に見たテレビ番組では最後まで血を吸われたら痒いのは襲ってこないといっていましたが、蚊が自分の血を吸っているのはとても不快なのでじっとしていろというほうがとても無理です。本当にどうにかしてほしいくらいです。 以前とても蚊で恐ろしい体験をしました。公園でピクニックをしようといったらなんと蚊が大量に芝生に隠れていたのです。歩くたびに舞い上がる蚊の大群。どこへ行こうが芝生は永遠と続き逃げ場などありませんでした。日向の芝生は比較的蚊が少なかったんですが、日陰は自分の周りが暗くなるほど大量の蚊がいました。それだけ大量にいたら虫除けなんて全く何にも約にたちません。その後数日は体中が痒くて大変でした。たかが蚊、されど蚊、本当にどこへ行っても私を悩ませる油断も隙もない天敵です。 ちょっとした隙を抜け目なく突いてきた相手を評して「まったく、油断も隙もない」とつぶやくシーンは珍しくないように思えます。 しかし、このセリフは日本語としてはどうなのでしょう。 「油断も隙もあったものではない」や「油断も隙もならない」ならば、弱点を確実に攻めて来た狡猾な相手を警戒し自身に油断や隙があったことを戒めていると受け取れます。 これら言い回しには不自然さは感じられません。 対して「油断も隙もない」だと状況を知らなければ、ただ単純に警戒厳重で付け入る隙が見当たらない状態を表現していると受け取れそうです。 主語を省略せずに文章を再構成してみれば不自然さはさらに際立ちそうです。 特定の状況で発せられた言葉ならば、多少の言い間違いや簡略化がされても意図は相手に通じそうですが、それが通例として認められてしまうのは如何なものでしょう。 「その場で通じれば問題ない」「時代の変遷で言葉の意味は変化するものだ」という意見も有りますが、際限なく許容していては限がありません。 訳の分らない機械翻訳の文章がおもしろおかしく流通したり、意味不明な雰囲気だけを伝えるような言葉の氾濫は危惧するに値すると思われます。 文化の継承という国家や民族の根幹を成す事案にあっては、油断も隙も許されるものではないでしょう。

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油断大敵

【漢字】油断大敵 【読み】ゆだんたいてき 【意味】気を緩めると思わぬ災難を招くことになる。 【例文1】ダイエットが順調に進んでいるが、油断大敵。 【例文2】日傘を差さないと紫外線は油断大敵。 【例文3】元運動部だからと言うのは油断大敵。 プロスポーツにおいて「不文律」という目に見えないルールが存在することをご存じでしょうか。例えばプロ野球で点差が離れた場面では、盗塁やセーフティバントをしてはいけない、卓球では卓球台の端に当たって点を獲得した場合、手を挙げて相手を気遣うなど各スポーツによって不文律は様々なのです。 特に点差が離れる場面ではそれは顕著に出てきます。プロ野球で大差で勝っているチームが盗塁をした腹いせに、盗塁を決めた選手に死球を当てて警告試合になった試合を最近目にしました。 しかし、この不文律について疑問を持つ方も多いようですね。記録が掛かった選手が不文律によって記録が達成できなかったり、大量得点で勝っていても、まだ逆転の可能性だってゼロではありませんよ。 プロの世界は油断大敵なはずで、不文律に依存して油断が生まれたチームが逆転負けを喫した試合を見たことがあります。最後まで何が起きるか分からないのがスポーツの面白さであり怖さです。それを不文律が否定してしまっているような気がするのです。 もちろんスポーツマンシップは大切で、正々堂々と戦うことは大切となります。しかし不文律があるから守られるスポーツマンシップに意味があるのか疑問に感じます。 油断大敵。油断することが一番の大敵。語句の意味はなんとなく知っていました。だから心にしっかりと油断大敵という言葉を刻み、私は山に向かいました。私の趣味は登山で、今まで100回近く山に登ってきました。山の歩き方はそれなりに経験もありわかっているつもりでした。どんな山に登るときも足を置く一歩一歩に油断大敵という言葉を自分に言い聞かせて気をつけていました。今回登った山ははじめての山でまだ雪の残る山。事前にネットでルートなどの情報収集をすませました。その中に、“間違った足跡がついているので下山のときはその足跡を追わないように気をつけてください。正しい足跡は向かって大きく右方向についています。”という情報がありそのときは下山のときに気をつけようという思いでいっぱいでした。山頂に到着していざ下山を開始すると、慣れた足運びでスピードがどんどん出て快調に下ることができました。足跡を見失うことなく速いペースで下れていた私は調子に乗り足跡を疑うことなく進み続けました。しかし、気がつくと先の足跡が消えて、回りにも無数の足跡はあるもののはっきりした足跡がないことに気付きました。戻ろうとしましたが戻る方向にもたくさんの足跡がありどこへ行けばいいのかわからなくなりプチ遭難をしてしまいました。まさか自分が・・という焦る思いと、事前の情報収集のときに間違った足跡があることを認識していたのだからゆっくり足跡を確認しながら下るべきだったと後悔しました。自分の経験や慣れに過信した、まさに油断大敵な思い出でした。

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雪を欺く

【漢字】雪を欺く 【読み】ゆきをあざむく 【意味】雪にも負けないほどの白さ。 【例文1】彼女の肌は透き通っていて雪を欺く。 【例文2】彼女の肌は雪を欺くほどの白さだ。 【例文3】雪を欺くような真っ白い肌。 幼い頃からずっと仲のいい友人がいます。保育園から同じところに通い、小学校中学校高校と一緒でした。大学を卒業し、就職してからも交流は続きお互いお酒好きとわかってからは飲み歩くことも多かったです。同時期に結婚もし今では二人ともお母さんになりました。二人で行動している様を見かけた知人友人にはオセロのようだと言われることが多かったです。私が地黒な上、実家の農家を手伝ったり学生時代はアクティブな部活でずっと野外で活動していたため真っ黒。反対に友人は母親からの遺伝らしく、肌は真っ白で髪の色も茶色に近く全体的に色素が薄かったため、一緒に遊んでいるところはオセロの駒のようい見えたそうです。 高校の現国の教師に「闇を欺く君と雪を欺く友人」と言われかっこいいと友人と盛り上がりましたが、如何せん容姿が伴っていないので私が松崎しげる、友人が鈴木その子とからかわれることも多かったです。今でも農家の手伝いをしながら、夏はキャンプ冬はスキーとアクティブな私は松崎しげる色を残しています。元々インドア派だった友人は子どもが旦那さんに似てアクティブで外出大好きに育ち、それに付き合ううちに雪を欺くような肌の白さは小麦色に焼けてきました。 一昔前はガングロブームが流行したので、ヤマンバギャルなどもたくさん居ましたが、今ではすっかり美白ブームになったためか、全然見なくなってしまいましたね。 最近の女性であれば、雪を欺くような美しい白い肌に憧れる人も多いでしょう。それに近年は、日傘を差す人も多く見受けられます。若い女の子が入るような衣料品店でも、日傘が売られているのが当たり前の光景になってきました。ドラッグストアなどでも梅雨入り前の時期なのに、日焼け止めが目玉商品として売られていることがあります。世の中がそれだけ、日焼け対策に熱心になったように感じます。 このように日焼け対策がされている原因としては、美白ブームが続いていることが背景にあるのではないでしょうか。肌が黒くなる原因は、太陽光に含まれる紫外線と言われているため、世の女性たちは日焼け対策に心血を注いでいると考えられます。 しかし肌を白く保つためには、夏だけでなく冬でも日焼け止めを塗るなどして、日焼け対策をした方が良いことは、あまり知られていません。理由としては、もちろん冬でも太陽が出ているからです。つまりもしも白い肌を目指すのであれば、一年中日焼け対策、強いては紫外線対策をしなければならないことになります。 ですがそれにしても、時代の流れによって、世の中の人々が目指すものが変わってゆくのは面白いものですね。今の美白ブームが終わったら、またいつかガングロブームが訪れるのかもしれません。

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勇を鼓す

【漢字】勇を鼓す 【読み】ゆうをこす 【意味】勇気を振り絞る。 【例文1】勇を鼓して内部告発する。 【例文2】勇を鼓して彼女に告白する。 【例文3】勇を鼓して転職する。 「勇を鼓す」とは勇気を振り絞ること、または勇気を出して進み意味があります。この言葉は自分に当てはまるので好きですね。 勇気を振り絞ると一言で言っても、実際に行動するのはなかなか難しいですよね。特に新しいことに挑戦する時に最初の一歩が勇気が出ませんし、失敗を恐れて立ち止まってしまうこともあります。 生き方に悩む方にも「勇を鼓す」ことが必要になるでしょう。アニメや映画における主人公の成長にもこの言葉が似あう作品が多いですね。友情・努力・勝利ではありませんが、強大な敵に立ち向かうにも勇気が要りますし、二次創作の作品にもマッチすることわざだと思います。勇気を出すをもっと強い意志を加えた感じに聞こえますよね。自分の気持ちを鼓舞する意味合もあるのではないでしょうか。 今のくすぶっている自分にも必要な言葉で、現代を生きる多くの方にも意識してほしい言葉ですね。すぐに諦めたり、弱い自分に嫌気がさす時にこそ勇気を振り絞ることで、現状を打開できる事柄が見えることがあります。働き方が多様化する社会でも、自分のやり方も多様化することが大事です。 「勇を鼓す」は経営者の方や新しい環境に飛び込む学生や社会人に最適な言葉だと思います。

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幽霊の正体見たり枯れ尾花

【漢字】幽霊の正体見たり枯れ尾花 【読み】ゆうれいのしょうたいかれおばな 【意味】馬の尻尾がススキに似ていることから、怖い怖いと思っていると、何でもないススキまでもが幽霊に見えて恐ろしくなるもの。 【例文1】心霊スポットは影までもが幽霊の正体見たり枯れ尾花。 【例文2】女性の夜道の一人歩きは木までもが幽霊の正体見たり枯れ尾花。 【例文3】ホラー映画を見たせいか物音が幽霊の正体見たり枯れ尾花。 あまりにも怖がりな人が恐怖のあまり身近に咲いている花さえも幽霊の顔に見えてしまう状況に陥る様子をさします。平常心の時であれば錯覚を見る事はまず無いと思いますが、怖がりな人だと普通の人にとってどうという状況でないと思える場合でも簡単に恐怖心に支配されてしまい、有りもしない物が有る様に見え、居もしない何かを居ると思い込んでしまいその考えから抜け出せなくなります。本人だけの問題で済むのであれば良いのですが、そういう方は周りの人達に時々手を焼く程の大事に状況を悪化させてしまう事があります。もちろん当人は恐怖心からそうなっているだけで決して悪気など有りはしません。それだけに迂闊な言葉や心無い発言をしてしまうと益々怯えさせてしまう可能性が高くなります。 そうした状況を解決する方法として御伽話では怖がりな夫を夜に妻が外に呼び出し、夫の顔に枯れ尾花を近付け一旦怖がらせた後、本当の事を教え夫は自分はこんな花を今までお化けだと怯えていたのかと心底反省し、それ以降は怖がる事をしなくなるのです。その出来事を後に「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という様になった訳です。まあ現実はそんなに上手く行かない事も多いですが、思い込みに捕われた人にはどこかで何かしらの解決に向けた手を講じる必要があると思います。それが「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と言える程のアイデアであれば申し分ないのですが。

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悠悠自適

【漢字】悠悠自適 【読み】ゆうゆうじてき 【意味】のんびりとした日々を過ごす。 【例文1】老後は家族と一緒に田舎で悠々自適に暮らす。 【例文2】休日は家族や友人と悠悠自適に過ごす。 【例文3】悠悠自適な年金生活を送る。 人生で重要なことは人それぞれ違いますよね。ある人は結婚して子どもを産むことが、人間にとって幸せと感じていたり、またある人は仕事で成功することが人間としての使命だと考える方もいます。どちらも間違いではなく、その人生も立派だと思いますが、私は悠悠自適に好きなことをして過ごせることこそ、人間にとって幸せなのではないかと考えています。 結婚や仕事は、生きていくうえでかけがえのない要素です。悠悠自適な生活を送るためには、良きパートナーを見つけたり、たくさん仕事をしてお金を稼ぐことが必要です。ですが、死ぬまで働いたり、嫌なのに他者のために尽くしたりと場合によって、幸せのように見える要素でも不幸と内面で感じてしまっては、もうそれは自由では無くなってしまいます。 例え友人やお金が少なくても、毎日が満足の行く人生が遅れたら幸せです。 悠悠自適な生活は、自分らしく生活していくことだとも考えられます。好きなことしながらの生活や、大好きな人との生活で、どれだけ自分が自由で幸せなだと感じられるか問いただす必要がありますね。幸せな生活を送ることは非常に難しいですが、皆がそういったことを感じながら過ごせたら素敵です。

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勇猛果敢

【漢字】勇猛果敢 【読み】ゆうもうかかん 【意味】勇ましく決断力や行動力がある。 【例文1】勇猛果敢な彼は、男らしく結婚相手にふさわしい。 【例文2】勇猛果敢な彼に付いていくと決めた。 【例文3】ひったくり犯を追いかけた勇猛果敢な男性に感謝。 人間が生きて行くためには、少なからず勇気を持つ必要があります。 ですから勇気の欠片も持ち合わせていない私は、日ごろから勇気を持たなくてはいけないと考えているのです。 しかし勇気と言うのは、時として自分に災いを舞い込んでしまう存在となってしまう事があります。 以前私には、勇猛果敢な性格を持ち合わせている友人がいました。 曲がった事が大嫌いで、正義感がとても強く持っていました。 ある日その友人と街を歩いていたら、ケンカをしている二人組を見つけたのです。 私は関わりたくはなかったので、来た道をを戻ろうかと思いました。 ですが勇猛果敢な友人は、この状況下で黙っている事など出来ず、けんかの仲裁に入ってしまったのです。 仲裁に入ったもののケンカは収まらず、逆にますますケンカがひどくなってしまいました。 友人をほって置く事も出来ないので、私はこのけんかを止めようとしました。 しかしそれでもケンカは収まらず、何発か殴られてしまったのです。 その後何とかケンカは収まりましたが、けがはするわ警察には事情は聞かれるわで、ひどい目に遭ってしまいました。

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有名無実

【漢字】有名無実 【読み】ゆうめいむじつ 【意味】名ばかり有名で実質的には大したことない。 【例文1】社長は2代目なので、役員よりも若く有名無実だ。 【例文2】コネ入社で有名無実だ。 【例文3】実際は有名無実で雑用係だ。 名ばかりが立派で、それに見合う実質が伴わっていない様のことを有名無実と言います。 私は社会人15年目ですが、このような有名無実の人が多いことに大変驚きますし、自分が情けなくなることもあります。 例えば、ご両親が立派な方で重要な役職に就かれているのですが、子どもは全く使い物にならない人材であったりします。 また、親のコネで入社した子が全く仕事にやる気を見せず、なんでも他人に丸投げをすることも多いです。 このような実質がともなわない人材と、一生懸命勉強や努力をして入社した人材との実力差は歴然ですが、実質がともなわない人材が出世してしまうことも実際にはあります。 私は、親が立派だから、子も立派という考えを持っていません。 親の背中を見て子は育つといいますが、子は普段親が働いている姿を見てるわけではありませんので、いかに日頃の子育てが大事であるかがわかります。 子育てにおいては、親の名とか家柄は二の次であり、自分が努力して成長していかないと社会では通用しないことを生活の中で教えてあげなければなりません。 一方で、親のコネなどで入社した人材への扱いも大変厄介であることも事実ですので、このような方が部署にいらっしゃれば、上司と相談しながら対応をしていく必要があります。 有名無実の言葉の意味ですが、名前や名称ばかりでそれに伴う事実や実質的効果等が無い事又はその様な状態を意味する言葉です。具体的な使われ方としては、会社等では様々なプロジェクトが作られたりしますが、その名前や考え方、企画内容等は大変素晴らしいのですが、実質的な活動がほとんどされておらず、その為にその活動に伴う成果物のアウトプットもほとんど無い状態を表します。又、名ばかり管理職にもこの言葉が当てはまり、役職名称は素晴らしいのですが、実際の活動等が他人任せで有ったり、自分の保身の為の活動で有ったりする為、実質的な成果が無い場合等が上げられます。又、別の使われ方としては「将来的には受験生が大学を選ぶようになるので、大学入試は有名無実になるだろう」等や、政府が作った制度にも名前ばかりで、実際には運用が各自治体でまちまちで有ったり、運用がされていない場合等もこの言葉が当てはまります。とにかく名前はある物の、実質的には意味の無い物等を表す時の使います。同類の言葉としては、骨抜きにする、形骸化する、空洞化する、弱体化する、有名亡実、名存実亡等が有り、言葉としての意味合いは同じ様な場面や事象で使用します。

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雄弁は銀、沈黙は金

【漢字】雄弁は銀、沈黙は金 【読み】ゆうべんはぎん、ちんもくはきん 【意味】説得力をもって語るよりも、黙っている方が得策な場合もある。 【例文1】聞く耳持たないクレーマーには、雄弁は銀、沈黙は金だ。 【例文2】結婚式のスピーチでは雄弁は銀、沈黙は金だ。 【例文3】釈明会見は雄弁は銀、沈黙は金。 雄弁は銀、沈黙は金と言うことわざがあります。しゃべりの上手さは銀ほどの価値のあるものであり、沈黙は金ほどの価値のあるものである、と言う意味です。 日本ではベラベラと話すよりも黙っていた方が良い、と捉えられることが多いことわざですが、地域や時代にによって色々な観点があるのです。 沈黙は金、を余計なことをしゃべるな、口を滑らすな、と言う戒めの言葉とするのが今の風潮かと思われますが、「金ほどの価値のある沈黙を作れ」と言う薦めでもあります。 黙ってばかりいては場の空気が悪くなります。相手に気を使わせず、適度な相槌を打ち、穏やかな沈黙を保つ、それは確かに中々出来ない芸当で、まさに金と呼べるのではないでしょうか。 例えになっている二つの金属。 銀は様々な製品に加工され、あらゆる場面で役に立ちます。そう言った面で話をすると、銀は適材適所で使える形状になっていてこそ人々に必要とされるものです。しゃべりに関してもまた同じことが言えるのではないでしょうか。 対して沈黙に例えられる金は、一般的に細工に凝り、美しさを必要とされるものです。塊を置かれても魅力的には感じません。 やはり価値のある沈黙と言うのは言葉がなくとも洗練された仕草や雰囲気を持つものだと思う次第です。 「雄弁は銀、沈黙は金」ということわざがあるように、自分の意見や本心を言わずに済ませてしまうことが日本ではよくあります。では、このような態度のメリットとデメリットは何でしょうか。 まず、メリットとしては相手の感情を傷つけたり、怒らせたりする危険性がないということです。余計なことを言うことで、その場の雰囲気が壊れてしまうことは、しばしばあります。日本人は「和」を大切にするので、このような態度を持っていない人は、時として「空気が読めない人」とみなされ、集団や組織から疎外されてしまいます。 また、デメリットといては、自分の意見を言えないことによる不利益を被ったり、相手に誤解を与える可能性があるということです。公の場において、発言や反論をしないということは、しばしば「同意した」と暗にみなされることが多く、自分の立場が不利になることが多いです。特に、国際的な交流の場では注意が必要です。欧米では、「雄弁は金」という考えの人が多く、ガンガン自分の意見を主張します。グローバルに仕事や活動をする人は、どんどん意見を主張していかなければいけません。 結局のところ、状況に応じて「沈黙は金」と「雄弁は金」の態度を使い分けることが、上手に生きていくのには重要なことなのです。

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勇断を下す

【漢字】勇断を下す 【読み】ゆうだんをくだす 【意味】勇気を出して決断する。 【例文1】同僚に不正を持ちかけられたが、きっぱり勇断を下す。 【例文2】勇断を下す想いで店をたたむ。 【例文3】転職の勇断を下す。 勇断とは、勇気をもって決断すること、勇気のある決断のことを言います。 会社の経営において、ターニングポイントで経営者が勇断を下す場合があると思います。 特に民事再生法の適用有無については、将来の会社を再生していく手段をどのようにするか、大変な勇断を迫られることとなります。 一方で、登山の経験をしている方にとっては、勇断を下す局面が多いと思います。 例えば、富士山の登山です。 最近は富士山ブームと登山ブームとが重なり、毎年富士山にたくさんの方が登山されます。 富士山に登山する場合、気をつけなければならないのは低酸素による過呼吸です。 富士山の7合目以降は、酸素も薄くなりますので、ゆっくりと呼吸を整えながら登山をしていくことになりますが、それでも過呼吸の状態になることもあります。 私も妻と富士山登山をしていましたが、8合目の山小屋で妻が体調を崩してしまいました。 せっかく8合目まで登ってきたこともなり、なんとか頂上に行けるように模索をしました。 しかし、下山ができなくなるリスクや過呼吸が続くことにより、さらに体調が悪化することもあるため、下山するという勇断を下しました。 あれから10年経過しますが、子どもたちもいますので、そろそろ富士登山のリベンジをしたいところです。 勇断や英断は凡俗の人間に出来ないことは、その判断が高すぎるリスクを含むように見えるためです。 普通に考えれは高確率で失敗する策を、英雄と呼ばれる人間は当然のように選択して成功しています。 成功すれば勇気ある果敢な選択と評価され、失敗すれば欲に目がくらんで道を誤ったと貶されるでしょう。 大きな勝利は細かな失敗を一掃してしまうほどの栄達を約束し、その分岐点となった勇断は高く評されてしかるべきものです。 勇断を下した本人は、リスク承知の選択で際どく博打に勝ったことを密かに安堵しているかもしれません。 全ての状況を俯瞰的に眺めることが出来る後世の歴史研究者と違い、限られた情報からその場で判断を下す立場の苦悩は推して知るべしです。 分岐を間違えれば、一敗地に塗れ情け容赦の無い落ち武者狩りを受ける憂き目に遭う運命が待っています。 負け犬にかける慈悲など無く、ここぞとばかりに追撃がかけられるのは何時の時代になっても変わりありません。 運よく逃れても、敗北の原因となった判断を下した責任からは決して逃れることは出来ないことも同じです。 勤め先の組織が巨大、高い地位で要となる判断を求められ、扱う案件は広く周囲まで巻き込む、となれば加算どころか乗算で責任が膨れ上がります。 傍から見れば泰然自若とした姿も、内心は責任という大荷物を抱えて崩れ落ちそうになっているかもしれません。 とりあえず自信満々に失敗するまで走り続けるワンマントップより、慎重に状況を見据えて堅実に進む指導者の方についたほうが気が楽でしょう。 才覚なきトップが蛮勇としか表現しようが無い勇断を下さぬことを、雇われている身としてはお願いしたいです。 勇断を下すとは文字通り、勇気ある決断を下すということです。私はこの考えはコミュニティを代表する人間において必須の能力であり、またそれは誰しもが持つべき、そして理解すべきものだと思います。何事にも決断という物には多かれ少なかれ責任が発生するものです。家族旅行の行き先一つを決めるにも皆が楽しめるような選択をする必要があり、また裁判は客観的に公平な形で結果を出さなければその信用は大きく損なわれます。この責任はやっかいなもので、皆がそれを背負いたくないばかりに「どこでもいいよ」や「まかせる」などといった他人任せのスタイルに甘えてしまいます。昨今は政治家批判も多くなりましたがこれもその一つとも言え、国民は現状の不満を政治家の決断から生じた責任として追及しています。もちろんそれが仕事、役割といえばその通りです。責任を逃れることは何より社会人としてあってはなりません。しかし、責任を持たない立場からの発言ほど気楽なものはないということは意識すべきです。よく話題にされる通り、批判という物は本筋を作り上げることに比べればとても簡単なものです。旅行の行き先を決めるにも、皆が楽しめるところを考え尽してそのルートを考えた後に、ここは行きたくないと言われれば批判者に腹が立つでしょう。誰しも「じゃああなたがやって」と感じてしまうのではないでしょうか。立場が平等なら或いはそう言えるかもしれません。ですが上司など、上に立つものには立場上の責任が絶対に存在してしまいます。部下の批判を甘んじて受け入れなければならないこともあるでしょう。その上で、上司が大事な事象について勇断を下すとき、部下は他人事ではいけないと私は考えるのです。流れてきた不利益に文句を垂らすだけのような無責任な発想をやめ、上の人の勇断に対する敬意と信頼をもって共に歩むべきだと思います。

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夕立は馬の背を分ける

【漢字】夕立は馬の背を分ける 【読み】ゆうだちはうまのせをわける 【意味】夕立が馬の片身に降っても反対側の片身は濡れないというくらい、局地的な降り方をいう。 【例文1】雨が降ってきて慌てて洗濯物を入れようと帰宅したが、降った様子もなく夕立は馬の背を分ける。 【例文2】対向車の車が濡れている。夕立は馬の背を分けるだ。 【例文3】地下鉄を出たら雨が降っていて夕立は馬の背を分ける。 全世界一斉に雨が降るわけが無いので、時刻を指定すれば雨が降っている地域と降っていない地域に分けられるはずです。 分けられるはずですが、夕立は馬の背を分けるという表現のままに分けられるものでしょうか。 馬の背中の右は濡れていない、左はびしょ濡れという状況をそのまま再現したいわけではありません。 不確定要素が多すぎる突然の豪雨、時刻・場所を正確に予測して境界線に馬を配置するのは無理が過ぎます。 偶然でもそのような写真が無いか検索したのですが、結果は馬のイラストが精一杯でした。 それでも局所的な集中豪雨が降るさまを遠距離から撮影している画像は見ることが出来ました。 局所的な集中豪雨の撮影とあったので、短時間で限定された範囲にだけ雨が降ったと推察されます。 雨が降っている側は灰色になって見通しが利かない状況になっていますが、建物一つ離れた場所は降っいない光景です。 人によっては5分前歩いていた場所は土砂降りになったけれど運よく難を逃れることが出来たかもしれません。 さすがにこれでは「降る可能性が高い」程度の警告しか出せないのも納得できます。 夕立は馬の背を分けるのは無理でも、道路の反対側が降っていない程度のことは起きそうです。

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有職故実

【漢字】有職故実 【読み】ゆうそくこじつ 【意味】武家や武家の儀式・制度・官職・作法・習慣・装束のこと。また、それらを研究する学問。 【例文1】古い歴史を有職故実に詳しい教授に尋ねる。 【例文2】有職故実をたどる。 【例文3】有職故実の風習が変わりつつある。 「有職」はもともとは「有識」と書かれていました。意味は現在の「有識(ゆうしき)」と同じで「知識がある」という意味です。いつの間にか「有職」は「有識」と書かれるようになりました。「故実」は「過去の事実」という意味です。「有職故実」はこの二つの言葉を組み合わせた言葉で朝廷や公家の礼式・官職・法令・年中行事・軍陣などの先例や典故または官職位階・宮殿殿舎・服飾・武具・年中行事・典礼などについて研究することを指します。 朝廷を中心とする公家社会ではしきたりと先例が重んじられ宮中での儀式や行事は部屋の飾付け・着る衣装・座る位置など細かい事までたくさんのしきたりや決まり事がありました。 もしそれらを間違ってしまったら人々の失笑を買うことになるため先例典拠を重んじる伝統主義的な公家社会では絶対にあってはならないことでした。そのため公家の家では儀式や行事に参列した時の様子を詳しく事細かに日記に書き留めておきました。書き留めた日記は代々その家で受け継がれて子孫たちは日記を集成して有識故実書を編纂しました。有職故実書は儀式が行われる時には先例として参考にされるようになりどんどん先例に対する知識が重んじられるようになっていきました。 「ゆうそくこじつ」が正しい読み方だそうです。 「有職」とは公家・武家の儀式・行事・官職などについての知識や、その詳しい知識を持つ人を指します。 「故実」は儀式・行事などの模範的な先例や、その詳しい知識を持つ人を指します。 二つの言葉を合わせて「有職故実」、意味するところは公家・武家の儀式・行事などに関する先例やそれに関して研究する学問ということです。 およそ儀式儀礼と縁が薄い一般民衆には無用な知識に思えます。 有職を「ゆうしょく」と読み間違えたり、対義語は無職なのではないかと思う程度に興味も知識もありません。 予備知識がなければ有職故実の対義語を、無職妄想・有閑捏造などという酷い四字熟語が生まれそうです。 古い文化を正しく伝承することは大切かもしれませんが、縁がなく由来も知らない儀式や行事に興味を持つことはかなり難しいです。 逆に新しい分野へ突き進むべく成果が挙げられるか疑わしい方向へ走り出す方が単純で分りやすそうです。 無責任な一般民衆としては、古い伝統文化は上っ面を眺める程度にしか興味を持たず、フロンティア精神とともに玉砕する研究者は放置が基本です。 マスコミが囃し立てるようなお祭り騒ぎのような儀式や、運よく成果を導き出した成功者ならば話は別です。 得られるものが魅力的でなければあっさり見捨てるのは非情に思われるかもしれませんが、文化を育てる余裕を大衆意識に求めるのは無理です。

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融通が利く

【漢字】融通が利く 【読み】ゆうづうがきく 【意味】思った通りになる。その場その場で適切な対応をする。 【例文1】結婚相手は経済力と融通が利く人が良いと言われている。 【例文2】彼女は融通が利くので親しみやすい。 【例文3】子どもが小さいので融通が利く職場を探す。 世の中には融通が利く人とそうでない人がいます。 できれば前者になりたいものですが、もしかしたら後者と思われているかもしれません。 融通が効く人は何でも臨機応変に対応できるので、何かを頼みやすいものです。 また、フットワークが軽いことも多く、すぐに対応してくれるので、人望も厚くなっていくでしょう。 それに対して、融通が利かない人にはものを頼みにくいものです。 どうせ断られるだろうと思ってしまいますし、実際になんだかんだと理由をつけて断られてしまうことも多いようです。 融通が効く人になるためには、自分のキャパシティーを広くしておくことが必要です。 自分のことで精一杯という人は、融通が利かないどころか、自分のことまで誰かに依存しがちです。 人はお互いに助け合って協力し合うことが必要です。 しかし、融通が利かない人ばかりだと、良好な人間関係は築きにくくなってしまいます。 融通が利かない性格を直していくためには、まずは自分自身を上手くコントロールできるようになることが大切です。 融通が利かない人は自分のことを上手くコントロールできない人も多いようです。 人のふり見てわがふり直せではないですが、融通の利かない人に出会ったら、自分はそうならないように改めて意識することが大切だと思います。

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優勝劣敗

【漢字】優勝劣敗 【読み】ゆうしょうれっぱい 【意味】力の強い者が勝ち残り、劣っている者が負ける。 【例文1】ライバル会社が多くて優勝劣敗の世界だ。 【例文2】資金面での差が優勝劣敗だ。 【例文3】ライバル会社の従業員数が優勝劣敗。 優勝劣敗は世の常とよく聞きますが、普通に考えれば、優れている者が勝って、劣っている者が負けるでしょう。しかし、世の中全てが当てはまるのかというとそうではありません。少なくともスポーツの世界では通用しません。劣っていると思われていた者が優れていると思われていた者に勝つことだってあるからです。現に、サッカーや相撲など様々な所で優勝劣敗を覆すような結果があります。私もスポーツでハンドボールをしてきましたが、前評判では相手チームが勝つだろうと言われていたチームに勝ったことは何回もあります。 私が思うのは、優勝劣敗を世の常という言葉は今では存在しないと思います。もし、スポーツマンでそんなことを思っている選手はスポーツをやっている意味がないと思います。だから、練習をしている時に考えるべきことは、優勝劣敗という四字熟語ではなく下克上という目標を掲げて練習するべきなんじゃないかなと思います。練習は勝つためにすることだから優勝劣敗を考えている選手はそこで矛盾が生まれるからです。

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勇将の下に弱卒なし

【漢字】勇将の下に弱卒なし 【読み】ゆうしょうのもとにじゃくそつなし 【意味】勇ましい将軍の元に弱い者はいないというたとえから、上に立つ者が優れていると、部下も優れているものである。 【例文1】彼は勇将の下に弱卒なしの企業に就職して有望視される。 【例文2】勇将の下に弱卒なしと言うからね。彼の出世も間違いない。 【例文3】職人の息子は勇将の下に弱卒なし。 出来る上司の部下はよく働くとでも解釈するのでしょうか。 1.有能な上司の下には優先的に優れた人材が人事で回される。 2.無能で役に立たない部下はリストラ対象になった。 3.有能な上司の指導の下、職場で鍛え上げられた。 3のパターンが実行可能なほどに現代経済に余裕があるとは考えにくいです。 よっぽど業績優秀な企業でなければ無理なので、必然的に1の前段階にあたる入社試験の通貨が条件となります。 結局、1と2が有力なパターンと考察されてしまいました。 もとは蘇軾という中国北宋代の詩人が綴った「題連公壁(連公の壁に題す)」が原文だそうです。 前後の文章が知りたくて全文を検索しようとしたのですが、見つける事が出来ませんでした。 なぜか、忍者アニメで主人公の師匠が語った言葉として多く紹介されていました。

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優柔不断

【漢字】優柔不断 【読み】ゆうじゅうふだん 【意味】物事の決断をなかなか決められない人。 【例文1】夫は優柔不断なので夕食のメニューがなかなか決まらない。 【例文2】優柔不断な性格でデートで失敗する。 【例文3】どれにしようかと優柔不断で迷う。 優柔不断とは何事にも決めるのが遅くてなかなか決断できないことを言います。 私も優柔不断な性格でしす。 買い物をしていて一目見て気に入った洋服があると、すぐ試着をします。ぴったりだったとしても一応写メに収めときます。すぐには買いません。なぜなら、もしかしたら他にもいい物があるかもとか他店が安いかもなどと考えてしまうのです。 「これも買って次良いのが見つかったとしても二着買えばいいじゃないか」 と彼氏に言われることもありますが、予算もありますしね、財布のひもが固くなります。 他店を回ってキープしておいた物が売り切れたとしてもそれはそれできっぱり諦めはつくのです。 デートの後はファミレスや居酒屋でご飯を食べることが多いですが、そこでもメニューを決めるのが遅いです。彼氏にイライラされますが、私はマイペースに決めます。あまりにも遅いとこれでいいよな!と誘導されます。こんな性格ですから男性はグイグイ引っ張ってくれる男性しか合わないのだと思いました。 優柔不断な男と聞いて、良いイメージを持つ女性はいないと思います。 なにかと人に決断を仰いだり、小さなことで悩んだり、決めるまでの時間がとてつもなく長かったり・・。 確かに女性としてはどこか頼りないというか、男らしさがないように感じますよね。 でも、実は優柔不断な男にも魅力はあるんです。それはズバリ「決定権がこちら(女性側)にあること」です。 女というのは結婚・出・育児それと両立して仕事など、人生においての環境の変化は男性よりも多いと言えます。 ですから、男性が思う以上に女性は決断力が高い生き物なのです。 そういった背景から、女性は自分にとってより良い決断を早急に出しながら生きていると言えますので、人に自分のことを決められるのを嫌ったり、なんでも自分で決めたい、自分の思うようにしたい、という女性も案外多かったりします。 そういった自立心旺盛な女性にとって、優柔不断な男性は相性がとても良いと言えるのではないでしょうか。 優柔不断という言葉をポジティブに言い換えると、物事を慎重に考えたりすすめる力がある、ともいえます。 決断が出来ないから何も考えていない、というわけではなく、考えてはいるけど決断ができない、だけなのです、 つまり、決断するあと一歩の勇気を女性側が持っていることによって、とても良いパートナーとして歩いて行ける、ということになりますよね。 優柔不断を長所に変えて、男性は女性にアピールしてみてはいかがですか? 今日の晩御飯何しようか、と主婦には毎日訪れる悩みだと思います。お昼ご飯の後、何も食べずに夕方買い出しに行くとスーパーにあるお惣菜や天麩羅、お刺身など全部美味しそうに見えてきます。晩御飯の材料を買って帰る予定なのだが、出来上がっているオカズについつい手が出そうになってしまいます。材料を買って家で作る方が安いのも分かっているが、お腹が空いていると「美味しそう」という誘惑に揺らいでしまいます。家で作るオカズとは別に副菜として一つ何か買って行こうかな、いやでも余計にお金がかかってしまう等スーパーの中でウロウロして、自分で作るか、お惣菜を買って帰るか、優柔不断になってしまいます。家を出る前にパン一つでも食べていると、この誘惑に打ち勝つ事が出来たのに…と思いながらもお惣菜と晩御飯の材料をレジに持って行っている人が多いのではないでしょうか。 いざ家で晩御飯を作り出すと、自分で作ったオカズで十分な量があり、お惣菜は買わなくても良かったかなと思う事もよくあります。 お腹の空いた状態でのコンビニやスーパーへの買い物は「美味しそう」という誘惑が強くなって、自分の判断を鈍らし優柔不断になってしまう要素があるのではないかと思います。

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有終の美を飾る

【漢字】有終の美を飾る 【読み】ゆうしゅうのびをかざる 【意味】最後まで立派にやり遂げること。 【例文1】引退試合でゴールを決め有終の美を飾る。 【例文2】引退試合で逆転ホームランを打ち有終の美にふさわしい最後だった。 【例文3】有終の美を飾ると意気込む。 有終の美を飾るという言葉はスポーツの世界によく使われます。 特に、負ければ引退、引退試合といった現役から引き際において、良い結果が出ると人々は感動します。 例えば、かつてプロ野球巨人で活躍し、プロ野球横浜ベイスターズの監督も歴任した中畑清さんの引退打席は日本シリーズの最終戦でした。 当時、巨人は近鉄との決戦でしたが、代打で登場し見事、最終打席でホームランという結果を出しました。まさに有終の美を飾るシーンといえます。 更に、オリンピックの柔道で日本チームを牽引した古賀稔彦さんも有終の美を飾るシーンがありました。 バルセロナオリンピックでは日本選手団の主将を務めていました。金メダル獲得を期待されている中、練習中に膝を痛めてしまいました。この膝の怪我により試合への出場も危ぶまれたのですが、決勝では膝に最も負担がかかる背負い投げで一本をとり、見事金メダルを獲得しました。このシーンも感動し、まさに有終の美を飾ったといえます。 このように、有終の美を飾るシーンはスポーツに多いのは確かですが、一方で有終の美を飾ることができずに引退をする選手も多いことも事実です。 東京在住の40代男性です。 昨今、スピードを求められる時代がさらに加速してきていると思います。私はITエンジニアですが、例外なく日々進化する技術の習得や仕事に翻弄されています。 私はどちらかというと呑み込みが早い方ではなく、何かを始めると要領を掴むのにかなり時間がかかります。ただ要領さえ掴んでしまえば、かなり早く物事を進めることができます。 今思い返してみると、学生時代は勉強や趣味などでも、いつも友人よりも一歩遅れ、悔しい思いをしてきましたし、何かやり始めるとすぐそつなくできてしまう友人を羨んだものです。 しかし、最近は年齢相応に考えも変わってきました。「有終の美を飾ることさえできればよい」と。結果なんて短いスパンで考えるものではなく、人生レベルで評価したほうが絶対いいと考えるようになったからです。 私は学生時代から趣味でエレキギターをやっていますが、確かに周りの友人のほうが上達は早かったです。自分は1曲もまともに演奏できず、とても悔しい思いをしました。 ですが、私は社会人になってもずっとエレキギターを続けています。かれこれ30年ほどになりますが、プロではないものの、ライブに出演したり、近所の方に教えているぐらいの腕前になりました。 学生時代に上手だった友人はみんな止めてしまいました。人生わからないものです。絶対最後まで諦めないことが大切なのだと痛感しています。 私はこれからもギターを続けていくと思いますし、エンジニアという仕事についても焦らず、自分なりのペースで有終の美を飾りたいと考えています。

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有言実行

【漢字】有言実行 【読み】ゆうげんじっこう 【意味】口で言った約束は必ずやり遂げる。 【例文1】友人は有言実行通り出世した。 【例文2】彼は30キロ痩せて恋人を作ると有言実行した。 【例文3】なかなか有言実行通りにはいかないものだ。 何か目標を決めた時、それを心にとどめておくのか、それとも表面にだすのか? 有言実行とは、後者に該当します。 目標を自分だけの約束ごとにしてしまうと、意志の弱い人は、達成できそうもない時は、自分だけに言い訳をすればいいので、気が楽です。ほとんどの人が、この意見に納得するでしょう。 この目標を表に出す、すなわち家族や友人など周りの人に共有してもらうのが、有言実行の第一歩です。 たとえば、あなたが夏までのダイエットを友人に公言します。なるべく具体的に、何キロ減量とか、数字を示すとよいでしょう。 友人は、あなたの為に、スイーツを食べようとしている姿を見て、ダイエット中であることを注意してくれるでしょう。 友人の忠告が心に響くのであれば、そこで我慢がきき、目標に一歩近づくことになります。 もっと大きい目標を掲げた時も、自分一人だけで悩みを抱えて挫折しそうな時、そんなあなたを見て、叱咤激励の言葉をかけてくれるかもしれません。 親しい人ばかりに公言せず、時にはライバルにも有言実行の手を使う方法もあります。 相手に自分の掲げた目標を意識させる効果と、負けず嫌いを利用して、挫けそうな時に、ライバルのほくそ笑む顔を思い描けば嫌でも頑張らなきゃ、と思うのです。 有言実行は、人の力を借りる効果もあるということです。 有言実行とは別に、不言実行という言葉があります。いわば言わずともしっかり結果を出すということです。私はずっと有言実行よりも不言実行のほうがかっこいいと思っていました。人に何も言わずに、宣言もせずに、自分の中で目標を立てて実行する、そのほうがかっこいいと思っていました。もし言ってしまうと、目標を達成しなかったときにかっこ悪いと思っていたからです。そのため、私はよく不言実行で物事を行い、意外とストイックだね、と言われ続けてきました。そして大口をたたく友達を見ては、恥ずかしくないのかなと思っていました。そして大口をたたいては結果を出せなかったり、失敗している友達を見ては、ああいうふうにはなりたくないと思っていました。 しかしあるとき私の考えは変わったのです。つまり、有言実行はとてもかっこいいと思えるようになったのです。なぜかっこいいと思えるかというと、自分で宣言をすることで、自分以外にも他人にも知らしめることで、自分にプレッシャーを与えつつ、物事を達成するということだからです。目標に対する証人を作り、逃げ道を作らない、そういう姿勢が、有言実行にはあると思います。そのため、私は有言実行を大事にするようになりました。

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有形無形

【漢字】有形無形 【読み】ゆうけいむけい 【意味】お金や物品が有形、励ましの言葉や応援などが無形。 【例文1】避難所に有形無形の援助が届く。 【例文2】有形無形の応援に元気が出る。 【例文3】有形無形のお見舞いを送る。 有形無形とは漢字のとおり、形のあるものと形のないものと言う意味で「どんな形であれ、ありとあらゆるもの。全て」を表現するときに使います。 有形無形の援助を受けるなどとよく使いますが、お金や物品での援助と励ましの言葉両方で支えられてきたという場合に使います。この場合注目したいのは無形という言葉です。通常、援助を受けたと言えばお金や物品などでの支援のことを指します。ここに無形という言葉が入ることで物品だけでなく励ましてもらい、精神的に援助を受けたという部分が強調されます。 その他に有形無形という言葉はサービスや営業でも使われます。売買されるものの中には形があるものと無いものがあります。お金を出してAという商品を得る他に、Bという形に残らないサービスを受けるという場合もあり「この営業は有形無形なんでも売る」と言えば、ありとあらゆるものを扱い売るという意味になります。また美容や理容などサービスを受けたことが目に見えてわかる場合は有形のサービスということもあります。 一言、文化財といえば有形無形に関わらずありとあらゆる物が含まれます。有形文化財とは美術品、工芸品、建物、古文書などで、無形文化財とは伝統芸能や音楽、さらには工芸技術などです。

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唯我独尊

【漢字】唯我独尊 【読み】ゆいがどくそん 【意味】自分が一番優れていると思い上がる。 【例文1】唯我独尊な上司だから嫌われる。 【例文2】唯我独尊で人の意見は受け入れない。 【例文3】唯我独尊だと勘違いしている。 「唯我独尊」には、ネガティブなニュアンスがあると考えていいでしょう。この例文の場合は、「自尊心が強く、自分が一番だと思っている人。自分に絶対の自信を持っている人」という意味で使われているわけです。 この言葉、実は仏教の「天上天下唯我独尊」という言葉の省略形なのです。そのまま読めば、「この世でもあの世でも、ただ私だけが尊い」という解釈になるでしょう。そのため、自尊心が強く協調性のない人のことを「彼は唯我独尊だ」というように表現するわけです。 しかし、仏教思想がそんなことを説くはずはありません。仏教思想には「自分を人と比較しない」という考え方がありますから、この言葉もその思想の一つと理解したほうがいいでしょう。 つまり、唯我独尊というのは、「私は私のままで尊い。だから人と比較する必要はまったくない」という解釈になるわけです。「ナンバーワンを目指すのではなく、オンリーワンの自分を生きよ」と言う意味に受け取ってもいいかもしれません。 ところで、この言葉は、お釈迦様が生まれてすぐに口にしたという言い伝えがあります。お釈迦様はお母さんである摩耶夫人(ぶにん)の右のわき腹から誕生したとされていますが、誕生するとすぐに7歩歩いたといいます。 そして、立ち止まり、右手で天を、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と言ったというのです。 もちろん、これは、お釈迦様を神格化するためのフィクションでしょう。お釈迦様は紀元前6世紀から5世紀に実在した人物で、シャカという民族の王子様だったのですから、そんな超人的なことができるはずがありません。 ちなみに、「天上天下」は「てんじょうてんが」ではなく、「てんじょうてんげ」と読みます。 「あの人は唯我独尊だから、人の意見を聞こうとしない」という使われ方をする「唯我独尊」には、ネガティブなニュアンスがあると考えていいでしょう。この例文の場合は、「自尊心が強く、自分が一番だと思っている人。自分に絶対の自信を持っている人」という意味で使われているわけです。 この言葉、実は仏教の「天上天下唯我独尊」という言葉の省略形なのです。そのまま読めば、「この世でもあの世でも、ただ私だけが尊い」という解釈になるでしょう。そのため、自尊心が強く協調性のない人のことを「彼は唯我独尊だ」というように表現するわけです。 しかし、仏教思想がそんなことを説くはずはありません。仏教思想には「自分を人と比較しない」という考え方がありますから、この言葉もその思想の一つと理解したほうがいいでしょう。 つまり、唯我独尊というのは、「私は私のままで尊い。だから人と比較する必要はまったくない」という解釈になるわけです。「ナンバーワンを目指すのではなく、オンリーワンの自分を生きよ」と言う意味に受け取ってもいいかもしれません。 ところで、この言葉は、お釈迦様が生まれてすぐに口にしたという言い伝えがあります。お釈迦様はお母さんである摩耶夫人(ぶにん)の右のわき腹から誕生したとされていますが、誕生するとすぐに7歩歩いたといいます。 そして、立ち止まり、右手で天を、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と言ったというのです。 もちろん、これは、お釈迦様を神格化するためのフィクションでしょう。お釈迦様は紀元前6世紀から5世紀に実在した人物で、シャカという民族の王子様だったのですから、そんな超人的なことができるはずがありません。 ちなみに、「天上天下」は「てんじょうてんが」ではなく、「てんじょうてんげ」と読みます。

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唯一無二

【漢字】唯一無二 【読み】ゆいいつむに 【意味】この世でふたつと無いたったひとつしかないもの。 【例文1】祖母が残してくれた唯一無二の形見が宝物です。 【例文2】母から譲り受けた唯一無二のダイヤモンドの指輪をはめる。 【例文3】唯一無二の家族。 唯一無二とはこの世でたったひとつしかないものをいいます。 とても大切なものならたくさんありますが、たったひとつだけといわれましたら、やはり家族の存在しかありません。私の家族は4人家族なので4こというふうになるかもしれませんが・・笑笑 仕事熱心な父、生真面目な母、仲良し姉妹。平凡だけど父母が汗水たらして建ててくれた二階建ての一軒家に住んでいました。何事にも私たち姉妹のことを一番に考えてくれて愛情持って育ててくれました。10年前父が不慮の事故で他界した時は涙が止まらなくて毎日泣いていました。家族はもちろん親戚中が悲しみに明け暮れました。そんな時母が泣いてばかりはいられない。と喪が明けると仕事に出ました。私にも1ヶ月後、女系一家の私たちのもとに待望の初の男の子が誕生しました。みんな父の生まれ変わりだといって可愛がってくれます。私は今幸せです。家族全員が唯一無二の存在です。父の分まで思い切りかわいがって思い切り遊んでやってありったけの愛情を注いで育てていこうと思っています。結婚式のさいは主人のお母さんが自分もお姑さんからいただいたという唯一無二のパールのネックレスをつけて法要に行きます。 ことわざの唯一無二の意味は、この世の中でたった一つしかない事を意味しており、その一つ以外には並べ比べる物が無い事を意味します。唯一と言う意味の言葉を重ねて使う事で、言葉としての意味を強くした物です。具体的な使用例ですが、例えば「皆さんにとってはたいした価値も無い物かも知れませんが、私にとっては今は無き母が残してくれた唯一無二の品物です」等と使ったり、恋人同士であれば「彼女は僕にとって唯一無二の存在です」等と使ったりします。とにかく、この世の中には二つと無い物を意味しております。この唯一無二の類義語としては、「唯一無双;ゆいいつむそう」「唯一不二:ゆいいつふじ」「不同不二;ふどうふじ」等があり、いずれの言葉の意味もこの世にたった一つしかない物を指す時に使用します。又、この言葉を考えた時にとても大きなスケールで見ると、地球上にいる人々全員が唯一無二となりいます。地球上にいる人は全て異なり、同じ人は存在しないからです。日頃から自分に対して否定的な考えを持ってたり、自分は居なくてもと考える方も多いかも知れませんが、あなたご自身がこの地球上にはあなた一人しかいないと言う事を良く考えて見る必要がある言葉です。 唯一無二、高校生の時に古文の授業を受けた方ならレ点を打って読みたくなる言葉では無いでしょうか。唯一つにして二つと無し。四字熟語の中でも大変格好の良い言葉です。 唯一無二という言葉は、この世に存在するもの全ては変えることが出来ない唯一つのものであり、それゆえに尊いのだ、と続く仏教用語です。仏教用語というと何となく縁の遠い難しそうな言葉に思うかもしれませんが、実は日本人の大半がご存知のある歌でお馴染みになっています。 そう、SMAPが歌った世界に一つだけの花です。元々一つだけのオンリーワン、という歌詞がありますね。あの歌詞は正にこの唯一無二が示そうとしているイメージをぴったりと当てはめたフレーズであり、それだけにあれだけの大ヒットに繋がったのではないでしょうか。 ところで、唯一無二という言葉はなんとなく人間相手に使われるイメージはありませんか? 大事な人、家族や恋人といった相手に「唯一無二の大切な人」のような使い方が一般的かと思います。しかし、実際には先程記したように存在する全てに当てはめられます。動物も植物も、家屋や建築物、果ては仕事の機会のような目に見えないモノにも当てはまります。今目の前にある出会いは唯一無二であるから大事にしよう、なんて心持ちで日々を過ごせたら素敵ではないでしょうか。

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