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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。 Powered by 手作り言葉辞典

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仏も昔は凡夫なり

【漢字】仏も昔は凡夫なり 【読み】ほとけもむかしはぼんぷなり 【意味】仏も昔修行を積む前は凡人であったたとえから努力によって立派になれるという意味。 【例文】仏も昔は凡夫なりというから諦めるな。 「仏も昔は凡夫なり」 仏教の祖・ブッダもかつてはごく普通の人間だった、という意味です。 この言葉は平家物語の一節で、 「仏も昔は凡夫なり われらもつひには仏なり いづれも仏性具せる身を へだつるのみこそかなしけれ」 とつづきます。 平家物語の中では、二重の意味をもった歌として登場していますが、 シンプルに訳すのであれば、 「聖人ブッダもかつてはごく普通の人間だった。 私たちも死ねば仏になる。(※仏教では死ぬと仏になるとされています) ほんとうは誰もが仏となれる本性をもっているはずなのに、 大きな隔たりを感じるのが悲しい。」 となるでしょうか。 現代風に言い換えれば、 「どんな偉人も初めから立派だったわけではない。 さまざまな努力を重ねて秀でた人になったのだ。 私たちの中にも、同じように努力する力は備わっているはずなのに、 自分はそんな可能性から隔てられているように感じる。」 ということになるでしょう。 三行目までの「人間はだれでも同じようにうつくしい可能性をもっている」という思いと、 最後の「いま、自分だけはそこから隔てられているような気がする」という気持ちが、 悲しく響きあうような詩です。 「仏も昔は凡夫なり、われらもつひには仏なり」。 その言葉がどんなに真実でも、 わたしたちもこんなふうに「隔て」を感じることがあるかもしれません。 「隔たり」の正体とはいったい何なのでしょうか。 もしかしたら、それを問うてみることから、糸口が見えてくるかもしれません。

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本末転倒

【漢字】本末転倒 【読み】ほんまつてんとう 【意味】重要な事とそうでない事を取り間違える。 【例文1】アルバイトばかりして学業がおろそかになっては本末転倒だ。 【例文2】思考に時間がかかり過ぎて作業が遅れては本末転倒だ。 【例文3】丁寧すぎるのもいいが、締め切りに遅れれば本末転倒だ。 本末転倒とは重要なことを間違えると言う意味です。 たとえば大学生が旅行に行くためにアルバイトに明け暮れ単位をおろそかにしてはいませんか? 作品を丁寧に仕上がるのはいい事ですが、締め切りに間に合わなくては本末転倒です。。 我が家には小学生の子どもが2人います。最近スマートフォンがほしくてほしくてたまらないようです。お友達に何人か自分専用のスマートフォンを持っている子がいるのも知っています。周りが持ち出すと自分だけ持っていないつらさはわかります。しかし、まだ小学生。スマートフォンといえど10万はします。月々の料金だって7.8000円はします。学業がおろそかになるのは目に見えています。せめて中学2年生くらいにならないとだめだと言い聞かせて今は私のスマートフォンのアプリを使っています。私からしたら中学生でも贅沢すぎます。でもこれも時代の流れでしょうね。あと2年もすればもっと何か進化している気がします。とても怖いです。

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盆と正月が一緒に来たよう

【漢字】盆と正月が一緒に来たよう 【読み】ぼんとしょうがつがいっしょにきたよう 【意味】盆と正月は家族全員が集まって賑やかな様子から、嬉しい事や楽しいことが重なることをいう。 【例文1】長男が帰省して娘も里帰り出産で盆と正月が一緒に来たようで嬉しい。 【例文2】家族全員が集まると盆と正月が一緒に来たようで賑やかだ。 【例文3】お祝い続きで盆と正月が一緒に来たようだ。 「盆と正月が一緒に来たよう」の言葉は平成時代に於いては、もしかしたら若い方は意味がよくわからないかもしれません。 取りあえず、会社はお盆休みや正月休みは企業によってはかなりの長期休暇の場合もあります。 故郷がある方は毎年、大混雑の中で帰省していますが、 本来は夏休みと捉えるものではなく、お盆は祖先の供養の為にあります。 地方によっては、畑仕事や田植えの時期を経て、作業もひと段落した後に、 祖先の供養の為にご馳走を作り、家をきれいにしてお盆を迎えます。 戦前の日本では、丁稚奉公などに出された子や、 普段はお休みもなく働いていた者もお盆と正月はお休みがもらえました。 戦後の昭和時代には、子ども心に普段は質素な食べ物が並んでいた食卓には、数々の手作りのご馳走が並び、親戚中が集まり、地域によってはお祭りが開催され、盆踊りも霊を慰める意味で踊ります。 大人数で賑わい、子どもにはおこづかいなども貰えるちょっと楽しみな行事でもありました。 お盆は初春と初秋に1年に2度だけ祖先が子孫を訪れ交流するという意味があり、初春がお正月で、初秋が現在のお盆に当ります。 お正月は新しい年を迎えた大事な日なので、おめでたいとの意味もありますが、 祖先の霊が各家庭にやってくる年神を迎える行事でもあります。 現にお供え餅や、門松などは年神が来訪するための準備です。 お盆もお正月も祖先や神様を迎える祭事です。 お休みがあり、ご馳走があり、おこづかいももらえる。 子どもだと、盆と正月が一緒に来たようと2重の喜びの表現に当てはまりますね。 大人は現在においては、きっと孫に会える、息子に会えるなどの気持ちも入っているかもしれません。 プロ野球では福岡ソフトバンクホークスのファンです。 ソフトバンクはアンチも多く、他球団でFA宣言した選手に大金を提示して獲得した過去のイメージが強いからだと思われます。 が、ファンの贔屓目かもしれませんが、ソフトバンクの強さはその育成力だと思っています。 割りとFAの獲得は下手くそでFAで獲得した選手で貢献してくれた選手は少ないように感じます。 一軍の選手が怪我などをして二軍に降格になった場合、二軍から代わりを出すことになりますが、ソフトバンクには控えがたくさんいます。育成出身(三軍)で現在一軍に定着している選手もいます。 ジャパンにも選出された千賀投手、盗塁阻止率今季No.1の甲斐捕手などです。 そんなソフトバンクで今一番勢いのある若鷹は個人的には上林選手だと思います。ご存じ、鷹のイチローです。 上林選手といえばプロ初打席が満塁本塁打で、高卒ルーキーなのにすごい!と鮮明に記憶に残っています。 そんな上林選手の弟さんが甲子園出場を決めた翌日、上林選手はヒーローインタビューを受けており、まさに上林家では盆と正月が一緒に来たような二日間だったのではないでしょうか。 今後、上林兄弟からますます目が離せませんね。

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本腰を入れる

【漢字】本腰を入れる 【読み】ほんごしをいれる 【意味】真剣になって取り組む。 【例文1】本腰を入れて受験勉強に取り組む。 【例文2】30過ぎて本腰を入れて婚活する。 【例文3】本腰を入れて就活する。 ニュースなどでも取り上げられる少子化問題ですが、このままだと日本の人口がどんどん減少していくので、少子化対策に本腰を入れる必要があります。 少子化を実感したのは、私の自宅の近くに母校の小学校があり、運動会の時以外は子どもの賑わう声が聞こえてきません。 その事に対してあまり気にしていませんでしたが、先日同級生と会い話しをしたら、現在1学年2クラスしかないと聞いてびっくりしました。 私が通っていた頃は、マンモス校と言われ1学年12クラスあったので、そのあまりの変化に少子化問題を重く受け止めました。 近所の小学校だけではなく、児童数が足りないので閉鎖する学校も全国的にあり、国の政策としてもっと本腰を入れる事が重要だと思います。それぞれの自治体では、色々な対策をしていますが、直接的な効果があまりなく新たな対策が必要だと思います。 ただ、幾ら対策をしても時代の流れで、結婚しない人や晩婚が増えているなどもあり、中々難しい問題だと思います。 地域によっては、30代の未婚率がかなり高いケースもあるので、今後少子化が進む事はある程度の覚悟が必要そうです。 労働人口が減ると税収も減ってしまい、国の水準も下がるリスクがあるので、良い解決手段があればと思う時があります。 「そろそろ本腰入れる!」とか「そろそろ本気出す!」とか言う人は一生本腰入れない説。 あると思います。 そもそも本腰を入れる時も、本気を出す時もいちいち宣言しないのではなかろうか、と。 いつの間にか本腰を入れていたり、本気を出している、結果論なのではないかなと思います。 数少ないツイッターのフォロワーさんの中にいつも「そろそろ本腰入れるわ」とツイートしているニートのフォロワーさんがいます。 まあまあおもしろいことをツイートする方なので気に入っているフォロワーさんなのですが、彼が本腰を入れた報告のツイートは未だ拝見したことがありません。たったの一度もです。 恐らく彼が本腰を入れているのは大好きであろうコミケの時だけで、宣言していない時だけなのは見て取れます。 そもそも彼はなにに対して本腰を入れる予定なのかすらよくわかりませんが・・・。 いつか機会があれば尋ねてみたいと思います。 ちなみにわたしはというと常に本腰を入れています。 本腰を入れていないとがんばれないからです。 意外にみんな常に本腰を入れて生きているのかもしれません。 本腰を入れてないと殺伐とした平成の世は生き抜けないのかもしれないと首都東京で思うのでした。

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ぼろが出る

【漢字】ぼろが出る 【読み】ぼろがでる 【意味】隠していた事がバレる。 【例文1】嘘が次から次へとぼろが出る。 【例文2】嘘に嘘を重ね、ついにぼろが出る。 【例文3】問い詰められてぼろが出る。 「急げ、しかし慌てるな」などという無茶な命令をされることがよくあります。 既に最適化されているであろう作業において、さらに時間短縮を要求すればどこかでぼろが出ることは避けられません。 作業監督の立場からすれば、効率良く作業を進めさせようとしているのかもしれませんが、かえって逆効果です。 全速力で走っている人間を後から突き飛ばしているようなもので、作業全体に支障をきたす大失敗が発生すること疑い無しです。 長時間の連続作業で疲労困憊、ぼろぼろな状態でぼろが出ないように苦心していることなど知る由もないのでしょうか。 上役に楯突いて不興を買っても無益なので、適当にしかし真面目に受け答えをして作業速度を保つのが上策です。 「ぼろが出る」という言葉の由来は、表ばかり取り繕っても少し動けば内側のボロ布がばれるという話から来ているようです。 検索で調べてみたのですが、ボロという言葉を漢字で書くとやたらと難しい字が出てきました。 「襤褸」でボロと読むのですが、前もってそれと知らなければ何かの専門用語と勘違いしてしまいそうです。 なんにしても、急いだり無理をしたりと実力以上の速さや技術を使おうとすると大失敗報告というぼろが出る始末になるのです。 その辺を心得て部下に仕事を割り振って欲しいものだと思います。 わたしは神様を信じています。 というより信じたいと思っています。 悪いことをすればきっと神様が見ていてどこかでぼろが出るし、いいことをすればきっと神様が見ていていいことを呼び寄せてくれる。と思いたいです。 辛いこと悲しいことがあるとしくしく(4949)と泣くから4×9=36 楽しいことがあるとハハ(88)と笑うから8×8=64 36+64=100 人生は100になるようにできている。と誰かに教えてもらったことがあり、そのことも信じています。 そうあってほしいなという願望も込みです。 (ところでこの話、本当にうまいこと言うなと感心しました。誰発信なんでしょうか。) 人生って辛いことの方が多いような気もします。逃げ出したいこともたくさんあります。 でも愚痴を零しながらも向き合わないと終わらない。 この間朝ドラでも言っていたけれど本当は神様なんていないのかもしれない。 いたとしても公平に下々の民を見ているかどうかわかりません。 でも、せめて自分の子供に恥じない親でありたいと思います。 また、自分の子供たちにもそれなりにまっすぐに生きてほしいと思います。 悪いことをすればどこかできっとぼろが出るんです。 そのように世の中はできているはずです。

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蒲柳の質

【漢字】蒲柳の質 【読み】ほりゅうのしつ 【意味】病気にかかりやすい体質。 【例文1】子どもの頃は蒲柳の質だったが、食事で体質改善された。 【例文2】蒲柳の質で会社を休みがちになる。 【例文3】蒲柳の質は遺伝だ。 世の中には、体が丈夫な人もいれば、そうでない人もいますね。風邪を引きやすいため、数日に一度は病院に行くような人だっていることでしょう。もしかしたら病弱な自分のことを嫌になってしまう人もいるかもしれません。病気にかかりやすいため仕事も休みがちになり、同じ部署の人に迷惑をかけてしまっているのではないかと、罪悪感に駆られてしまう人だっているかもしれません。ですがこのように蒲柳の質であっても、他人に迷惑をかけているとは考えなくて良いと思います。 と言うのも、そもそも仕事を休んだからといって、どのような迷惑になるのでしょうか。もちろん仕事の内容によっては、その人がいないと困るような内容かもしれません。しかし仕事とは1人が全責任を負うべきものではないはずです。それこそ個人経営で2人くらいでお店を切り盛りしているようなら話は別ですが、会社は組織です。組織とは誰かが所用で不在の場合は、その穴を埋めるものだと思います。それに誰しも体調が悪いときはあります。もし誰かの体調が悪いときは、相手が元々病弱かそうでないかなどは関係なく、組織全体でフォローするのが筋ではないでしょうか。自分の体調が悪いときに周りからフォローしてもらったときは、そのあとにきちんと感謝を述べる、それで良いのではありませんか。

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ほらを吹く

【漢字】ほらを吹く 【読み】ほらをふく 【意味】ホラ貝は見た目以上に大きな音が出ることから大袈裟に言う。嘘を付く。 【例文1】ほらを吹いてばっかりなので、どの話も信じない。 【例文2】良い所を見せたくてほらを吹く。 【例文3】女性の前でほらを吹く。 ほらをふくと嘘をつくのは少し違うと思います。嘘つきというと言葉がきついですし悪いことという印象があります。一方ほらを吹くとは冗談ぽく大げさに言ってみたり、他人が困らない程度のでたらめな話をする感じがあります。ほらを吹くほうがまだ許される感じがします。 ほらを吹く人で真っ先に思い出す人がいます。自身のコンサートでもよくほらを吹いていた忌野清志郎さんです。この人が派手な服を着て、派手なメイクをしてほらを吹くそのすべてが自分自身に対する照れ隠しという感じで素敵でした。素顔はとてもシャイな方だったと聞いています。その反面原発問題や戦争に対することを発するときには逃げも隠れもせずに堂々とストレートに行っていました。本当にあと少しでも長生きして3・11後の日本を見て欲しかったです。そして福島の事故をもってしてもまた同じ轍を踏もうとしている日本に対して、歌い続けて欲しかったです。 忌野清志郎さんがどういった経緯でほらを吹くようになったのかは知りません。みんなが自分のことを過大評価すること、原発や戦争に対してアクションを取った時の周りの人のリアクションに対して「大袈裟なんだよ~ほらを吹いているのは僕の方だから~」なんて思っていたのかもしれません。

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洞が峠を決め込む

【漢字】洞が峠を決め込む 【読み】ほらがとげをきめこむ 【意味】両者を見比べて有利な方につく。 【例文1】2社からスカウトがきたので、洞が峠を決め込む。 【例文2】洞が峠を決め込んで職に就く。 【例文3】条件次第で洞が峠を決め込む。 使用頻度はあまり多いとは言えませんが、「洞が峠を決め込む」という言葉があります。「洞ヶ峠」は「ほらがとうげ」と読みますが、ちょっとおもしろい語感の言葉ではないでしょうか。 これ、うまい使い方をすると、人から「教養がある」と思われるかもしれません。 洞ヶ峠というのは、京都と大阪の府境に実在する峠です。なんとなく、「歴史に関係ありそう」というイメージを持つ人も多いでしょう。そのとおり、これは有名な日本史の出来事にもとづいてつくられた言葉なのです。 舞台は、天正年間の「山崎の戦い」。本能寺の変の後、信長を討った明智光秀と、信長の家臣羽柴秀吉が、当時の山城の国の山崎でぶつかり合いました。その時、双方から「加勢してほしい」と頼まれたのが、筒井順慶。大和の国の大名です。 筒井順慶は、光秀の加勢をすべく、合戦の地、山崎の南に位置する洞ヶ峠まで兵を進めたものの、そこで躊躇し、「やっぱりやめた」とばかり、兵を引き上げてしまった、どちらつかずの判断をしたというところから、「洞ヶ峠を決め込む」という言葉ができたと言われています。 その意味はすなわち、「日和見する」ということになります。 しかし、史実によれば、筒井順慶は洞ヶ峠には行っていないというのです。洞ヶ峠に行くことなく、自らの意思で中立を保つべく、大和へ兵を引き上げたというのが史実とされています。 つまり、「筒井順慶は洞ヶ峠を決め込んでいない」ということになるでしょう。

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骨を折る

【漢字】骨を折る 【読み】ほねをおる 【意味】苦労を苦労とも思わない。人のために世話をする。 【例文1】母は長年、骨を折って家族の世話をしている。 【例文2】子育ては大変だが、骨を折る。 【例文3】家族のために骨を折る。 骨を折るというと単純な意味では骨折のことですが、必至に頑張るという例えにも使われます。さらに一生懸命に頑張ると粉骨砕身になります。骨を折るだけでは物足りずに、骨が粉になり身が砕けるほど頑張るのですから相当だと思います。ブラック企業にでも入ったかのようですね。 ブラック企業に始まり、今働き方とても問題になっています。日本人はまじめなので本当に働き過ぎるのです。それは昔も今も変わらないのだと思います。だからこそ骨を折るというような慣用句があるです。 ヤマト運輸の残業代未払いと、ネット商品の増加でドライバーが疲弊している問題が大きく新聞などで取り上げられ社会問題になりました。ヤマト運輸側は過去の残業代未払い分を調査して支払う方針を打ち立てています。 世間ではヤマト運輸が未払い残業代を支払うことが偉いというニュアンスで取られています。しかしそれは全く違うと思います。あとになって残業代を支払えばことがそれで済むと思ったら大間違いだと思います。過酷な長時間労働を強いられて給料も少なかった日々に対しての埋め合わせには程遠いと思うからです。 ネット商品の急増は予想できたことです。想定外ではなくヤマト運輸の読みが浅すぎたことが原因です。東芝しかりでそういった会社の体質は決して変わらないと思います。そういう会社で骨を折ると骨折り損のくたびれ儲けだけになってしまいます。知名度の高い大きい会社だから大丈夫という時代は終わったのだと思います。 大学時代、進路を考えたときにある職業を目指したいという思いが膨らみました。ところが、通っていた大学を卒業するだけではその職業に就くために必要な資格が取れなかったのです。そこで、大学の勉強と並行して独学で資格取得のための勉強を始めました。幸い、自分が大学で学んでいた分野と近い勉強でしたので、予備知識もありましたし何しろ興味のある内容ですから、やる気は起きました。一年に一度の国家試験を受験し、合格すれば資格を取得できるということで、試験合格を目指し日々勉強に励みました。 ところが、思いのほか勉強しなければならない範囲が広く、一度目の試験ではいくつかの科目が不合格となってしまい、資格を取ることはできませんでした。合格した科目は3年間は有効というシステムのため、翌年落とした科目を再度受験するために勉強しました。結局、3年間かけて全ての科目を合格し、資格を取ることができましたが、とても長い道のりでした。 独学での勉強は、学校に通うのとは全く違い、全て自己責任です。サボろうと思えばいくらでもサボれてしまうのです。本気で目標を達成したいなら、骨を折るような努力がなくてはいけないのだということを実感しました。

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骨を埋める

【漢字】骨を埋める 【読み】ほねをうめる 【意味】そこに一生を捧げる。そこで一生を終える。 【例文1】骨を埋める覚悟で移住した。 【例文2】骨を埋める想いで職に就く。 【例文3】骨を埋める決心がついた。 男の仕事というのは家族を養っていくということで重大な責任があります。私は製薬会社から営業職、倉庫の作業員、介護職と転々と職を変えてきました。しかし、特別支援学校の運転手として今は骨を埋める覚悟でこれが最後の自分の職業として頑張っています。色々と遠回りはしましたが、やっと自分の天職を見つけることができたのです。不器用な私ですが、誠実に今まで人生を過ごしてきたつもりですので、やっと骨を埋める職場に出会ったと思っています。 30歳で結婚した私は生まれてこの方地元から離れたことがありません。妻と旅行中に知り合い遠距離恋愛を得て一緒になりました。妻の出身は秋田です。福岡とは飛行機で東京まで2時間半くらい、それから乗り継ぎで3時間の距離です。めったに帰省することはできません。妻の父親は早くに他界しており、雪国に高齢の母親を一人にしておけないと九州に呼び寄せようとしています。義理母は故郷を離れ九州に骨を埋めるつもりで決心をしたようで春には引っ越ししてきます。 

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骨身を削る

【漢字】骨身を削る 【読み】ほねみをけずる 【意味】一生懸命努力する。 【例文1】受験勉強で骨身を削る。 【例文2】骨身を削って努力した結果、合格する事が出来た。 【例文3】骨身を削って育ててくれた両親を温泉旅行に連れて行く。 頑張ることは素晴らしいことだと思います。何か目標に向かって努力するということは、それだけその人自身の力になるからです。たとえその努力の結果が実らなかったとしても、努力の過程で培ったものは、他者にはない経験や能力を得ることができるのではないでしょうか。 ですが頑張りすぎるのもよくありません。というのも適度に休みを入れないと、人は体を壊してしまうからです。骨身を削るまで頑張ってしまうと、もしも努力の結果が実ったとしても、傍からすればそれは痛々しいものに見えてしまうことだと思います。それに体を壊してしまった場合、次にまた何か新しいものに挑戦したいと考えたとき、努力できるほどの力が体に残されていないかもしれません。骨身を削るまで努力しようとする気持ちは大事かもしれませんが、あくまで大事なのはその気持ちだけであって、実際に自分のその気持ちに応えるために努力しすぎて、体が痩せ細って不健康になってしまうのは良くないでしょう。 何かを目標として頑張ることは大変ですが、それだけ立派なことだと感じます。しかし『頑張ること』を『頑張りすぎる』あまり、体を壊してしまわないように気を付けなければなりません。

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骨身を惜しまず

【漢字】骨身を惜しまず 【読み】ほねみをおしまず 【意味】苦労や面倒を嫌がらず、一生懸命になる。 【例文1】家族のためなら骨身を惜しまず。 【例文2】骨身を惜しまず働いてくれた親を温泉に連れて行く。 【例文3】30を過ぎて婚活に骨身を惜しまず。 骨身を惜しまずを常に相手に与えるように心がけています。人間は一人では生きていけません。常に誰かにさえられながら、また相手を支えながら生きています。家庭、職場友人関係、どれをとっても持ちつ持たれつで生きているのです。自分は勘違いしていることがありました。一つの仕事を一生懸命頑張っていていざ仕事を終えた。しかしその仕事は自分でやり遂げたと思っていましたが、骨身を惜しまずやったことが実はまわりの皆さんに支えながらやり遂げていたのです。人間は骨身を惜しまず自分でやったとともすれば勘違いをしていますが、骨身を惜しまずやったことを自分だけでやったと捉えず常に感謝の心を持って生きていくことが大事だと思います。骨身を惜しまずというのは自分一人で頑張るという捉え方では駄目だと思います。だから自分は常に相手のことを考えて骨身を惜しまず奉仕しています。そうすることで仕事もスムーズに進みますし、家庭も円満になりますし、友達とも良好な関係を保てると思います。骨身を惜しまず、相手のことを常に考えて行動していれば、まわりにいる関わる人たちが今度は自分のために骨身を惜しまず助けてくれるのです。そうした循環で人間社会は成り立っていると思います。

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骨身にこたえる

【漢字】骨身にこたえる 【読み】ほねみこたえる 【意味】骨までしみるように強く感じる。痛感する。 【例文1】独り身は病気になると骨身にこたえるんだよな~。 【例文2】クリスマスシーズンになると独り身は骨身にこたえる。 【例文3】徹夜の作業は骨身にこたえる。 私の住んでいる所から少し離れた場所に、大雨が降りました。 その地域は大きな被害を被り、住人が途方に暮れていると言うニュースを見たのです。 災害復興の為のボランティアを募り始め、私は近くという事もありいてもたってもいられなかったので、ボランティアに参加しました。 ボランティアの作業は、家の中に入り込んでしまった泥を外に運び出すというものです。 泥は床下の狭い所にも入り込んでいて、何度も腰をかがめて、隅っこの泥まで運び出しました。 外は夏の強い日差しが私たちボランティアたちを苦しめ、汗をこれでもかとかいて作業を進めました。 家の中の泥を運び出した後は、泥で使えなくなった家財道具を外に運び出す作業でした。 家中に泥だらけでしたので、使える家財道具はほとんどなく、運び出した家財道具はごみ捨て場行きとなりました。 これで一段落着いたので、私たちボランティアは撤収しました。 最後に家主に深々と頭を下げられ、「ありがとうございました」と何度も言ってもらえました。 災害復興のボランティアは骨身にこたえる辛い作業でしたが、人の為に役立てたという喜びを得る事が出来、とても良い体験となりました。 骨身にこたえる体験を人に聞くと結構みなさん良く覚えているものです。それが例え幼少のころであろうが大人になってから自分の身に起こった体験であろうがどうして人は良く覚えているのか不思議に思うことがあります。自分は不幸だと思っている人でも必ず大小かかわらずラッキーと人生の中で思った経験はあるはずなのに、なぜこんなに人は辛い出来事のほうを良く覚えているんでしょうか。以前に読んだ記事ではアドレナリンが出る体験のほうが脳によく刻まれるとか、その出来事が自分の中でまだ未解決だから何度も思い出して忘れないようにしているとかいろいろありましたが、なんだかそんな言葉では片付けられない体験だと思います。例えば同じひどく叱られた体験があったとして、ひとつは 子供の頃いたずらをして親にひどく叱られたのと、もう一つは大人になってミスを上司に叱られたとします。子供のころの叱られた経験は飲みながら「そういえば昔…」なんて笑いながら話せますが、後者のほうはなんとなくそんな感じにはなれません。子供の頃は自分が子供だったから仕方がないという完了の出来事に対して、後者はミスはミスだけどあれは理由があってと、と自分の中で納得がいかないんですよね。両方ともよく骨身にこたえる経験であったはずなのに本当に人間って不思議です。そんな経験をスパッと忘れてしまう方法があったらいいなと思います。

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骨抜きにする

【漢字】骨抜きにする 【読み】ほねぬきにする 【意味】肝心なものを抜き取る。魅惑する。 【例文1】男を骨抜きにする裏技を駆使する。 【例文2】彼氏を夢中にさせて骨抜きにする。 【例文3】骨抜きにするテクを磨く。 女性を骨抜きにする男性とはどんな人でしょうか。格好良い人でしょうか、それとも優しい人なのでしょうか。実はこの問題は、女性が男性を『交際相手』として見ているか『結婚相手』として見ているかで、答えは変わってくると考えられます。 おそらく『交際相手』であれば、楽しくて気遣いができて、身だしなみがきちんとした清潔感のある人なら、大抵の女性の目には好ましい男性に映ると思われます。特に記念日を忘れないような男性であれば、尚良いことでしょう。 ですが『結婚相手』であれば、男性の内面だって大事ですが、女性は男性の年収もきちんと見てくると思われます。なぜかというと、女性は「いつか子どもをもうけたい」と考えている人が多いので、子どもの教育費などを踏まえると、やはり男性の年収を気にしてしまうと考えられます。 つまり『交際相手』であれば「内面の良さに加えて清潔感がある」といった点をクリアしていれば、おそらくその男性は多くの女性にとって魅力的な人に見えるでしょう。しかし『結婚相手』であれば「内面の良さも大事だが年収もある」という点をクリアしている男性であれば、おおよそ多くの女性を虜にできると言えるのではないでしょうか。女性を骨抜きにするにも、その女性が自分のことを『交際相手』と『結婚相手』のどちらとして見ているかが重要になってくるでしょう。 「骨抜きにする」とは魚や肉などの調理のためにその骨を抜くこと。人を気骨、志操のない状態にすること。また、計画などの主要な部分を取り去って内容の乏しいものにすることです。この言葉が使われる時には、男女の仲について言われることがあります。特に美女の場合ですが、クレオパトラとカエサル然り、傾城の美女と呼ばれた西施然りです。英雄色を好むとはいうものの、骨抜きにされて彼女たちの言うがままの統治をしていたのでは、国も亡ぶかもしれません。日本ではなかなか「骨抜きにする」ほどの美人の話が思いつかないのですが、怪談牡丹灯籠はどうでしょう。怪談牡丹灯籠は明治時代に3代目圓朝による創作落語です。浪人者の萩原新三郎は、旗本飯島平左衛門の娘、お露と出会い、お互いに一目惚れしたふたりは深い仲となります。お露は夜になると牡丹灯籠(ボタンの絵のついた灯籠)を下げて新三郎の元を訪れては逢瀬を重ねます。しかし、お露は亡者だったのです。 偶然、お露と新三郎のことを知った旅の僧が真実とお札を授け、彼は家中の戸に貼って亡者が諦めるはずの期限の日まで籠もり、夜が明けるまでは決して出てはならない、と教えてくれます。 言われたとおりに新三郎が閉じ籠もっていると、毎晩お露は家の周りをカランコロンと下駄の音をさせながら歩き回るものの、中に入れず恨めしくも悲しげに呼びかけてきます。 最期の日、新三郎は、朝になったというお露の言葉に引かされて、命より自分の断ち切れない想いを優先して、自分でお札を剥がして外へ出てしまいます。骨抜きにされるとは恐ろしいものです。

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骨が折れる

【漢字】骨が折れる 【読み】ほねがおれる 【意味】非常に苦労する。 【例文1】犬小屋を作った。骨が折れる作業だったが、なかなかの上出来だ。 【例文2】営業回りは骨が折れる。 【例文3】接客業は骨が折れる。 日常会話の中で、よく骨が折れるという言葉を耳にしますよね。 何か大変な作業をしていたり、苦労をしたといった場面で使うことが多いかと思います。 まず、骨が折れるとはつまり単純に言えば骨折ですよね。 例えば凄い重労働をすることによって、体を動かしすぎて疲労がたまり、やがて骨折してしまうとします。 この苦労の度合いを、骨が折れると表現しているのです。 骨が折れてしまうほど大変なんだ、という比喩表現ですね。 いずれにしても、骨が折れるはネガティブ要素が強くあまり良いイメージではないかもしれませんね。 しかし考え方を変えると、力を尽くすという意味でもあります。 骨を折るを敬語に直すと、ご尽力いただくという言葉に変化するのです。 これはお世話になった方へのお礼や、感謝の気持ちを表現するときに使います。

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骨折り損のくたびれ儲け

【漢字】骨折り損のくたびれ儲け 【読み】ほねおりぞんのくたびれもうけ 【意味】努力の甲斐もなく疲れただけが残り効果がない。 【例文1】ダイエットにと毎日ジョギングをしているが、骨折り損のくたびれ儲け。 【例文2】あちこち探し回ったが、どこも売り切れで骨折り損のくたびれ儲け。 【例文3】忙しく働いているが、収入が低く骨折り損のくたびれ儲け。 骨折り損のくたびれ儲けとは努力はしてみたものの、効果が表れないことです。 むなしいですよね。 私は小学校のころから痩せ型で間食をしようが、夜遅くに食事を摂ろうが全く太りません。157cm48キロを20年間維持しています。というか気にした事がありません。食べたい時に食べたい物を食べるのが私のスタイルです。 しかし、40歳を過ぎたころから体重に変化はありませんが、どうやら体系に変化が出てきました。いわゆるぽっこりお腹です。会社の健康診断で体重は変わっていなかったものの、胴衣が70cmあった事にショックを隠しきれませんでした。 それから私は人生初ともいえるお腹に巻く矯正ベルトを通販で買ってみました。 寝るときになんだかリラックスできないので3日坊主と言わず2日でやめました。 次は床に置かれた回転盤に乗り、洗いものやテレビを見ながら腰をひねる運動器具を安くで買いました。1週間試してますが、なんだか効果も全く見えてこないのでテンションも上がりません。よくお昼のテレビショッピングでプルプルゼリーの宣伝をしていますね。手軽で簡単そうだと思ったのでさっそくお試し価格で頼んでみました。味がいまいちで長続きできそうにもありません。結局お金ばかりかかって骨折り損のくたびれ儲けみたいです・・トホホ。 下の子が公立幼稚園に通っているため、週末の早朝に少しアルバイトをしているだけで、ほぼ専業主婦の状態で、なんとか隙間時間を生かしてできる仕事はないかと毎日のように仕事を探していました。同じ幼稚園にこどもを通わせているママが内職をされていて、しかも小学校のPTAの役員もこなされ、プライベートもきちんと楽しんでおられる様子を見て、羨ましくなり、内職の仕事を紹介してもらうことにしました。自分が不器用なことはある程度わかっていたのですが、実際に始めてみると、かなり時間がかかってしまい、時給に換算すると、ひどい時は20円くらいのことも…。しかも当然ながら期日があり、睡眠時間を削り、何とか間に合わせるような状況になってしまいました。しかも仕事はいつ入るかわからず、友達と会う約束もできず、携帯電話が鳴るたびにビクビクしていました。休日、3食主人に作ってもらったり、こどもの世話もさせてしまっていたので、主人にもやめるよう言われていたのですが、いつか早くこなせるようになるのではないかと夢を見て、月収1万円にも満たないのに、正に身を削って続けていました。しかし、睡眠時間が4時間以下の日々が続き、夢が叶う前についに体調を壊してしまいました。しかも、時期は年末で、病院での診断は肺炎でした。普段休日に行っているアルバイトは年末年始も入れていたのに、全て休むはめになり、肺炎なので、レントゲン検査も受け、逃したアルバイト代と病院代を合わせると数万円の損になってしまいました。当然、内職はその後辞めましたが、老眼が進行してしまい、体調もなかなか戻らず、これを骨折り損のくたびれ儲けと言わず、何と言えるか私にはわかりません。

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仏の顔も三度

【漢字】仏の顔も三度 【読み】ほとけのかおもさんど 【意味】仏様のような穏やかな人でも何度も無礼な事をされれば怒り出す。 【例文1】あの優しいお母さんが怒るなんて仏の顔も三度までだね。 【例文2】温厚な人でもさすがに毎回約束破れば仏の顔も三度だ。 【例文3】デートに遅刻してばかりで仏の顔も三度だ。 私には小学校6年生の息子がいて、この息子に結構手を焼いているのです。物を失くすのなんてしょっちゅう。忘れ物もしょっちゅう。男の子だから?と思ったりもしますが、私には理解できないことが多々あるのです。そんな息子も6年生になったのをきっかけに、次はもう中学生になるので、久々にきちんと出来ているか連絡帳を見て明日の用意がきちんとできているのか確認しようと思ったのです。小学校低学年までは毎日宿題を確認して明日の用意ができてるかを一緒にチェックしていたのですが、3年生からはさすがに出来ているだろうと確認しなくなったので、約4年ぶりに一緒に確認しました。 すると、連絡帳を全く書いていないのです。なぜか?と聞くと「遊んでいて書いてなかった」と。私は連絡帳をきちんと書かないといけない理由を息子に話し、今日からきちんと書いてくるように注意しました。そして次書いてこなかったらゲーム捨てるよ!と言いました。1週間後、もう一度連絡帳を見てみると書いてる日と書いてない日が飛び飛び。なぜ毎日書かない?と聞くとまた「遊んでて忘れた」と。さすがに少しキツめに叱りました。でもさすがにゲームを捨てるのは可哀想だと思い、もう次書いてこなかったらほんとにゲームは捨てると宣言し、今回は許したのです。そして次の日、連絡帳を見て私は愕然としました。また書いていないのです。仏の顔も三度までとはよく言いますが、母の仏の顔も三度まででしたね。ブチギレた私はゲームをほんとに捨てました。息子はそこでやっと事態の重さに気づいたのか泣いていましたが、ほんとにもう遅いのです。その日から息子はきちんと連絡帳を書いてくるようになりました。仏の顔も三度まで。息子はきっと思い知ったでしょう。 「仏の顔も三度」という言葉かあります。世の中には聖人のように優しい方が稀にいますよね。私が働く職場の店長がまさしくそのような方で、滅多なことでは怒らない聖人と言われていました。 そんな店長ですが、唯一怒りをあらわにしたことがありました。従業員に暴言や暴力を振るうお客さんがよくお店に来ていましたが、一度目と二度目は軽く注意するだけで、三度目に「うちの従業員に手を出すな!」と、日頃の穏やかな店長とは思えない剣幕で、そのお客に掴みかかりました。 私を含めた従業員と、その場にいたお客たちは非常に驚いたようで、常連のお客さんも含めて必死に店長を止めに入りましたね。お客さんたちも店長が穏やかなことを知っていましたから、さぞ驚いたことでしょう。その後、警察が来ましたが、他のお客による証言もあり、暴力を振るったお客に厳重注意がなされ、その場は収まりました。 従業員に対する愛情が強い方だったので、家族のような従業員を守ろうと店長がしたのかも知れません。「仏の顔も三度まで」という言葉がありますが。まさしくこの出来事に当てはまる言葉だと思いました。どんなに優しい人でも大切な人を馬鹿にされたり、理不尽なことを三回もされたら限界が来ますよ。

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仏作って魂入れず

【漢字】仏作って魂入れず 【読み】ほとけつくってたましいいれず 【意味】一番肝心なものが抜け落ちては意味がない。 【例文1】検査だけ受けても治療をしなければ、仏作って魂入れずだ。 【例文2】仕上げのコーティングがなければ仏作って魂入れずだ。 【例文3】気に入った物件だが予算オーバーで仏作って魂入れず。 スポーツにとってマネーは絶えず付いてくるもので、とても必要不可欠な存在となっています。スポーツにとって選手の移籍市場は高額なビックマネーが絶えず動くことが多い。その額は千万単位ではなく、億単位であることが非常に多く、スポーツビジネスは巨大であることを認識させられることが多いです。欧州ではやはりサッカーというビックスポーツが席巻し、スポ―ツビジネスの主役となっています。 アメリカや日本ではサッカーではなく、ベースボールがスポーツビジネスのキングの座に座っているのが周知の事実であり、野球の発祥地であるアメリカのメジャーリーグの選手に移籍によく巨額のマネーが動くことが多く、その金額は億単位であるのが普通であることが多いです。 しかし、日本でも近年スポーツ界でビックマネーが動くようになってきました。その担い手として読売巨人軍公式サイトが筆頭であり、いつも冬の移籍市場、FA市場を賑やかせる存在となっています。最近ではパリーグのソフトバンクがその潤沢な資金をもとに追随しています。 しかし、この巨額なマネーで行われる大型補強は、仏作って魂入れずの球団補強、チーム作りになることがよくあります。なりふり構わず、持ち前の資金で他のチームの主力選手を引き抜き、自分のチームに加入させれるが、補強ポイントが合致せずに上手くいかないことや欠かせないチームの柱を放出し、チームがバラバラになって空中分解してしまうこともよくあり、ビックマネーは時として災いを呼ぶことがスポーツビジネスによくあります。

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ほぞを噛む

【漢字】ほぞを噛む 【読み】ほぞをかむ 【意味】ほぞとはへそのこと。へそを噛むことはできない動作から、どうにもならなくて悔やむ様子。 【例文1】想いを伝えきれないまま引っ越してほぞを噛む。 【例文2】友人とケンカ別れしてほぞを噛む。 【例文3】あの時もっと勉強しとけばよかったとほぞを噛む。 ほぞを噛むというのは、どうにもならないことにやりきれない想いを抱える、後悔するという意味です。 私がほぞを噛んだ経験をしたのは、中学3年の時、初恋の女の子に想いを伝えられなかったことです。それまでも何人かの女の子を好きになったことはあったのですが、どちらかといえば顔が可愛いから好きになったという感じでした。まあ思春期ですし仕方ないのかもしれませんが。そんな私が顔だけではなく、はじめて内面から好きになった女の子。その子は私と同じ部活に所属しており、本を読むのが好きな大人しめな女の子でした。普段はクラスでも目立つ子ではありませんでしたが、部活で仲のいい友達と話しているときなどは、楽しそうに優しい笑顔をみせる子で、私は彼女のそんなところに惹かれていき、せっかく部活が同じなのだからもっと話しかけてみようと、前日に見たテレビの話など他愛のない話をするようになりました。そうしてしばらく経った後ある日、彼女は教室で私と目が合うと目をそらすようになりました。はじめは嫌われてしまったのかと思ったのですが、話しかければむしろ好意的な対応で、部活でもこれまでと変わらない態度だったので、嫌われているわけではないようだと感じていました。結局告白する勇気を出せないまま中学を卒業し、次に再会したのは大学のオープンキャンパスでした。その時もお互いに大学受験がんばろうなどと励まし合い、いい雰囲気だったので私は大学でも彼女と会えるかもしれないと楽しみにしていたのですが、大学生となり再会した彼女は私の大学の近くの別の大学へと進学していました。それ自体は全く問題ではないのですが、問題は大学へ向かう途中に彼女に会い、話しかけても無視されるようになってしまったことです。私には何が原因かわかりませんが、仲が良いと思っていた彼女と急に話すこともできなくなったことを残念に思っています。あのとき想いを伝えていれば何かが変わっていたのでしょうか。

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矛先を向ける

【漢字】矛先を向ける 【読み】ほこさきをむける 【意味】攻撃の標的になる。 【例文1】社員に怒りの矛先を向ける。 【例文2】理不尽な事で矛先を向けるのは筋違い。 【例文3】弱者に矛先を向ける。 以前私が働いていた職場では、取引先とのトラブルや自分の失敗によるイライラを、私を含めた後輩たちに八つ当たりをする先輩がいました。 あまりに酷いので、正義感が強く皆から慕われていた同僚であるYさんが「そんなに怒らないで下さいよ。自分のせいなのに」と発言すると、先輩の怒りの矛先がYさんに集中するようになっていきます。 何をするにもYさんに突っかかり、無視は当たり前で次第にイジメのような行動がエスカレートします。先輩は世渡りだけは上手かったので、上司や本社にYさんの悪評を広めたり、社内でも噂を広げました。Yさんは真面目で仕事にも一生懸命取り組んでいましたが、段々とやせ細り、以前のように快活な姿はどこにもありません。 理不尽に怒りの矛先を向けられたために、Yさんはが一時休職状態となってしまいました。私と同僚の何名かは先輩のことを本社や上司に報告しても聞く耳を持ってくれません。 結局Yさんが退職したことをキッカケで、会社の嫌気がさし私も退職することに決めます。Yさんはその後上場企業に就職し、結婚して幸せに暮らしているそうです。

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墓穴を掘る

【漢字】墓穴を掘る 【読み】ぼけつをほる 【意味】自分が破滅する原因を自ら作る。 【例文1】口が滑って墓穴を掘る。 【例文2】作文の出来がいつもより上出来で引用がバレて墓穴を掘る。 【例文3】使い込みの穴埋めに借金して墓穴を掘る。 うちの子に限った事ではないかもしれませんが、日常的に小さい嘘をつき困っています。ただやはり子どもなので単純で、ほぼすぐばれます。そこが可愛いところなのですが、、 先日も「今日は忘れ物しなかった。」と言っていたのに、宿題をしようと筆箱を開けたら見慣れない消しゴムが…。娘「あっ、先生に返すの忘れた!」、私「えっまた消しゴム忘れたの?」、娘「…うん。」という具合です。(うちの子は消しゴム忘れの常習犯なのです。)最初は軽い嘘なのですが、どんどん墓穴を掘っていく様子がもう笑うしかありません。こんなことが度々我が家ではあります。 この「自滅する」とか「自分で自分を追い詰める」等という意味で使われる「墓穴を掘る」という言葉なのですが、考えてみると墓穴ってお墓の穴ですよね。どういう由来があるのか気になり調べてみました。 語源としては、「他人を貶める為の墓穴を掘ったつもりが、自分の悪行によって結局は自分が入ることになる」という戒め的な意味があるようです。 普段良く使う言葉ではありますが、ちょっと恐ろしい言葉なんだなあと思いませんか? 自分の墓穴を掘らなくていいように、親子共々日々の行動には注意しなくてはいけないなと思いました。

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墨守

【漢字】墨守 【読み】ぼくしゅ 【意味】自分の意思を譲らず、習慣も頑なに変えないこと。 【例文1】彼は墨守だから、何言っても話が進まない。 【例文2】墨守は頑固で扱いづらい。 【例文3】墨守で人生失敗する。 墨守とは自分の決めた習慣や主張を頑なに守る事です。 良く言えば芯が強い、悪く言えば頑固ですね。古き良き習慣や伝統を守るのであれば、高評価を得られるかも知れません。 しかし、時代の流れというものもあるのは事実です。自分の主張を頑なに押し通そうとすると孤立したり面倒くさがられたりすることでしょう。 私もどちらかといえば墨守です。行動する前にいろいろ考えて行動に移すわけですから自分の思ったこと、することにはだいだい自信を持っています。それを周りからあれこれ言われても別に気にしないしね納得もいたしません。結果自分の起こした行動に間違いはありませんでしたし、他人の言うことに変える気はあまりありません。 我が家の町内会では子ども達が小学生のころは子どもたちがたくさんいて1年から6年までの児童数が98名いました。今年も役員決めの時期がやってまいりました。昔は子ども会行事は活気にあふれていましたが、少子化でなおかつ小学生のうちからスポーツや習い事をしている児童が多く、子ども会に参加できなくて毎月の納めるお金と役員が負担だ。退会したいとの提案がありましたが、30年続く子ども会です。即却下されました。

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頬が落ちる

【漢字】頬が落ちる 【読み】ほおがおちる 【意味】非常に美味しい物を食べた時に出る言葉。 【例文1】頬が落ちるくらい柔らかな肉を家族で食べに行った。 【例文2】頬が落ちるほどの甘いスィーツだ。 【例文3】とろけるステーキを食べて頬が落ちる。 私は頬が落ちるほどの美味しいものを食べる機会は滅多にありません。 その時の自分の空腹状態にも大きく関係しているのかもしれません。 空腹は何よりのスパイスだという言葉を聞いたことがありますが、やはりお腹が空いていない時は何も食べても、頬が落ちるほどの美味しさを感じることはできないのかもしれません。 以前、北海道へ旅行に行った時に、たくさんの美味しい食べ物に出会いました。 確かにこの時はまさに頬が落ちる食事をしたような気がします。 ずっと乗り物での移動で、あまり体を動かしていなかったので、もし、空腹だったらまさに頬が落ちるほどの美味しい食事だったのだろうと思います。 以前、経済的にかなり苦しく、食べたいものが食べられない時期がありました。 その時数日ぶりに飲んだお味噌汁の味がとても美味しく、五臓六腑にシミわたる味だったのを覚えています。 毎日の食事を美味しく食べるためには、やはりある程度の空腹が必要なのだと思います。 そして、しばらく食べていないものを食べると、とても美味しく感じるようです。 飽食の今の時代では、なかなか頬が落ちる経験に出会う機会はないかもしれません。 しかし、意識的に自分でそういう状況を作っていけば、何度も頬が落ちる美味しさを体験できるようになるのではないかと思います。 「頬が落ちる」とは「非常に美味であることの形容」です。美味しいという形容詞は英語では「イッツデリシャス!」とか、「ナイス」とか言いますが、英語は形容詞に段階がいくつもあるので、使い方には気をつけなければなりません。美味しいと褒めるつもりが、「オッケイ」や「グッド」では普通程度と思われてしまい、英語圏の方たちには、誉め言葉ともとってもらえないようです。中程度の誉め言葉は「グレイト」、最高級の誉め方は「アメイジング」「ワンダフル」です。日本語だと「とっても美味しい」「すごく美味しい」「頬が落ちそう」との間に程度の比較は認識せずに使っていますよね。これは文化の違いかもしれません。外国の方が日本人にイライラするのは、自分の意見を言わないで笑ってごまかすところだそうですが、外国の方は持論を話した後で「僕はこう思う」と自分とは違う意見を言われても、自分の意見を断固否定されたとまでは思わず、君の意見が聞けて良かったと受け止めてくれるそうです。食事の味という超がつくほど個人的な感想にも段階をこしらえて「さあどうなの」と求められる文化と、「美味しいよ」とありきたりな言葉で返しても失礼にはあたらない文化。形容詞ひとつで文化の違いを感じます。この世界は広いですね。

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吠える犬は噛み付かぬ

【漢字】吠える犬は噛み付かぬ 【読み】ほえるいぬはかみつかぬ 【意味】噛み付く勇気のない犬ほど吠えることから、威勢のいい者に限って実力がない。 【例文1】奴は体が大きく威張っているけど、吠える犬は噛み付かぬで大したことない。 【例文2】先輩は親のコネ入社で吠える犬は噛み付かぬだ。 【例文3】心配ない。吠える犬は噛み付かぬだ。 吠える犬は噛み付かぬとは威嚇や口ばかりで実力が伴わ者に言う言葉です。 いますよねー。経営者というだけで威張って会社に貢献している社員にはねぎらいの言葉もない、あたかもわが社の製品のおかげだと言わんばかりに上から物を言ううちの会社の上司。とても腹立ちます。企画が成功したのも社員一丸となって特に男子社員は徹夜でイベント企画を練ってくれたからです。 打ち上げ会では会社関係者の乾杯が終わると料理を思う存分飲み食いして一次会でお開きにしてあとは開発チームでカラオケに行きました。吠える犬は噛み付かぬ上司だけど、な、なんと二次会の費用を持ってくれました。素直に口には出さないけど本当は社員のことを思ってくれていたのかなと感じました。上司の褒め言葉があるだけで、がぜんヤル気がでてくるものなのに、どうせなら直接口で言ってほしかったです。まあそういう性格なのでしょうね。今度から割り切って作業することにしました。そうすることでイライラが収まるんですから。

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亡羊の嘆

【漢字】亡羊の嘆 【読み】ぼうようのたん 【意味】逃亡した羊を追いかけて、分かれ道で見失って嘆くことから、学問の道が多すぎて迷うこと。 【例文1】選択肢が広く亡羊の嘆だ。 【例文2】県内進学か県外進学か亡羊の嘆だ。 【例文3】亡羊の嘆だったが、自分の選択は間違えてはいなかった。 日本は裕福な時代になり、少子化の影響も手伝って大学に進学する人間も多くなりました。 それによって将来の選択肢が増えることは良いことですが、選択肢が多すぎることも考えものです。 とくに情報化社会の現代ではさまざま情報があふれ、知らなくてよい情報まで知ってしまうこともあります。 自分に必要な情報を自分で判断して選ぶ時代になったことで選択肢は無数に広がり、それは行動の選択肢を広げることにもなりましたが、考えすぎて「亡羊の嘆」となってしまう人もいるのではと感じています。 人は考えすぎてしまうと不安なことが多く沸き起こり、臆病になり動けなくなってしまうこともあります。 いろんな情報やそれによって考えすぎる自分に振り回されてしまう現代だからこそ、あえて考えないことも大切だと感じています。 自分を見失ったとき、最も知るべきなのは氾濫するさまざまな情報よりも自分自身のことではないのかと思ったからです。 将来の事を考えて不安にさいなまれたり、過去のことを考えて後悔にむしばまれるよりも、今を見つめることが大事なのではないでしょうか。 「亡羊の嘆」は「列子・説符」にある中国の戦国時代、思想家・楊朱の隣家から1匹の羊が逃げ出し大勢の者が追いかけたが道がいくつにも分かれていたために取り逃がしてしまったことに対して楊朱が「学問も同じようにさまざまなものに分かれすぎていてそれぞれ根本の部分は同じなのにそれを忘れ理解ができなくなっている」と嘆いたという故事に基づいています。学問の道は多方面に分かれているので真理に到達するのは難しいということが転じて進路や方針がいくつもあって選択に迷うことを言います。以前、労務関係の勉強をしていたときに同じように感じたことがあります。労働法も多岐にわたっていて勉強を始めたころは混乱だらけでした。とくに年金法は改正に改正を重ねているので勉強すればするほどわからなくなるといった具合でした。人生においても選択の連続です。どの学校に進学するか、どの学部を選ぶか、どの会社の入社試験を受けるか、どの会社に就職するのかとずっとたくさんの選択肢の中から迷いながらも選んできています。何かを決断する時に選択肢が多いほうが良いことのように思いますが選べないほどたくさんの選択肢があると困ってしまいます。たくさんの選択肢の中からなるべく良い結果のでるものを選択したいものです。

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棒ほど願って針ほど叶う

【漢字】棒ほど願って針ほど叶う 【読み】ぼうほどねがってはりほどかなう 【意味】棒ほど大きな願いがあっても、針ほどの小さい願いしか叶わないことから、望みがなかなか叶わない時に使う言葉。 【例文1】会社を大きくしたい野望があるが、維持していくのが精いっぱいで棒ほど願って針ほど叶う。 【例文2】金持ちになりたいが、実際は生活していくだけで精いっぱいで棒ほど願って針ほど叶う。 【例文3】富士山に登りたいが、体力が持つかどうか棒ほど願って針ほど叶う。 願いや希望が叶えられるには相応の苦労や対価、さらには運まで必要な場合すらあります。 世間は厳しいもので、棒ほど願って針ほど叶うどころか合格以外は不合格、当たり以外はハズレ、苦労が全く報われないことなどしばしばです。 そもそも要求に満たない品を持ち込まれて、全額とまではいかないまでも査定して支払いに応じるのは買い叩きが日常的に行われる古道具屋くらいです。 針ほどにでも叶うことが約束されるならば、その分を割り増しでギリシャ神殿の石柱のごとき巨大な棒を願えばよいことになります。 大志を抱けという言葉がありますが、志を立てた少年たちの群れから夢を実現できる人間のなんと少ないことか。 途中で諦めなければ夢はいつかきっと叶うなどいうのは無責任というものです。 現実を見定めた上で、すっぱりと諦めるというのも勇気ある正しい選択といえるでしょう。 さて、ここまで説得されて尚且つ夢を諦めないといえる人はどれくらい残っていますか。 親・家族・親戚・友人、親しい仲であなたの将来を真剣に考えてくれる人ならば叶うかのせいが低い無謀な選択はするべきではないと助言するのは当然といえます。 周囲の意見や反対を押し切っても突き進むだけの強い意志がなければ、世間の荒波を乗り越えることなど到底不可能です。 まあ家族を説得する程度のことは簡単な第一関門でしかないのです。 そこそこ平坦で楽とまで言わなくても何とか進める道のほうがお奨めですが、あえて苦難の道を選ぶならば幸運をとしか贈る言葉はありません。

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ほうほうの体

【漢字】ほうほうの体 【読み】ほうほうのてい 【意味】散々な目に遭ったり、恥ずかしい思いをして慌てて逃げ出そうとする様子。 【例文1】大勢の前で、自転車で転んでしまい、ほうほうの体だ。 【例文2】痴話げんかがヒートアップして周囲から見られほうほうの体だった。 【例文3】世間知らずでほうほうの体だ。 ほうほうの体の「ほう」は「這う(はう:地面に手足をつけて前進する)」で、這うような格好でという意味です。 なにゆえ這うような格好をするはめになったかと推察するに、コテンパンに負かされて命からがら逃げ延びたと言ったところでしょう。 這うことしか出来ない状態での逃走など、追撃されたらひとたまりもありません。 勝った相手が余裕を見せて見逃したか、玉砕覚悟で殿(しんがり)を努めた誰かがいたか、はたまた逃走に全力を使い這う程度の体力しか残らなかったのか。 例え比喩表現であっても惨めに敗北した後の苦しい逃走をしたことに違いはありません。 一か八か玉砕覚悟で最後の決戦など愚の骨頂、生き延びてこそ再起が図れると言うものです。 勝負事でも、中途半端に負けるくらいならばと一発逆転狙いで破産する人もいますが、それは無策を通り越した愚かさです。 それまでの戦況を覆すほどの策があるならば既に実行しているはずです。 成功する可能性もほとんど無く、失敗して自らにトドメを刺すことは疑うべくも無いでしょう。 負けても損失をなるべく抑えて次につなぐことは当たり前なのですが、実行できる人は少ないです。 命がかかっている状況ならば少しは慎重になるのでしょうけれど、財布の中身がかかっている程度では無謀な蛮勇を発揮する愚者は後を絶ちません。 そのくせ敗北しても懲りずに同じ失敗を繰り返すのですから全く始末におえないというものです。 社会人人生で、何度か修羅場をくぐってきていますが、ほうほうの体で何とか逃げてきた経験はないですし、なかなかありません。 ただ高齢の方々は戦争という痛ましい体験をされていらっしゃいますので、ほうほうの体で逃げていらしたこともあると思います。 戦争体験を聞くというのは、大事なことです。 今でさえ、世界各地では内戦が続いており、たくさんの方が犠牲になっています。 日本では第二次世界大戦以降、戦争は怒っておりませんし、ある種平和ボケをしていることもあります。 平和の尊さを改めて学ぶ機会がなかなかない中で、高齢者の方々からの戦争体験を聞くのは平和とはどのようなものかを改めて考えさせられる時間であると思います。 私は父から戦争体験を聞きました。 ほうほうの体とは、這う這うの体ともいいます。 まさに這って防空壕に逃げたことを聞くたびに、日本で戦争が勃発したらどうなるか、想像もつきません。 一方で、最近の北朝鮮の動向が大変気になります。 ミサイルも日本海に向けて幾度となく発射されていますが、アメリカが仮に北朝鮮を攻撃するとなると、たちまち日本も戦争の惨禍に陥ることも可能性としてあるかもしれません。 このようにならないように、話し合いをもち、対応して欲しいものです。

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抱腹絶倒

【漢字】抱腹絶倒 【読み】ほうふくぜっとう 【意味】腹を抱えてひっくり返るほど大笑いする様子。 【例文1】最近のお笑い番組は抱腹絶倒が多くて飽きない。 【例文2】芸人の漫談話しに抱腹絶倒する。 【例文3】抱腹絶倒のネタを考える。 私の姉(60才)は天然ボケで、それによって私は抱腹絶倒するくらい笑わせてもらっています。 ある時姉が、私にマラカスを買ってきてほしいと頼んで来ました。 マラカスなんてなんで必要なんだろうと思い、私は気になって姉に尋ねてみました。 そしたら姉は、「お化粧する時にマラカスが必要だから買って来て」と言ったのです。 これで私はピンときました。 姉が欲しがっているのはマラカスではなく、マスカラだという事が分かったのです。 この事を姉に言うときょとんとした顔で、「マラカスじゃなくてマスカラだったね」と言い放ったのです。 なんでこんな単純な言い間違えをするのだろう、、私は抱腹絶倒して笑い転げてしまいました。 姉はこれ以外にも、「ガルケーからスマホに変えようかしら」と言った事もありました。 どうやら姉はガラケーの事をガルケーと聞き間違えて覚えたようだったので、「それはガルケーじゃなくてガラケーだよ」と教えてあげた事もあったのです。 この後は私はガルケーという響きにハマってしまい、また抱腹絶倒して笑い転げてしまいました。 姉は私の前だけでなく、他の人達の前でも天然ボケを炸裂させているようで、話しの端端からその人達を抱腹絶倒させている様子がうかがえます。

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忘年の交わり

【漢字】忘年の交わり 【読み】ぼうねんのまじわり 【意味】年の差関係なく親しい交際がある仲。 【例文1】子ども会で知り合ったママ友とは10年来の忘年の交わりだ。 【例文2】小学校の保護者会で知り合った人達と忘年の交わりになる。 【例文3】アパートの住人は忘年の交わりだ。 年配の方から堅苦しい礼儀作法など無用と言われるならば多少は打ち解けた関係が築かれることもあるでしょう。 しかし逆に若造が身の程を知らずにタメ口以上の態度をとったならばどうでしょう。 沸点が低い爺さんならば即激怒、そうならなくても無礼な輩に良い印象を持つとは到底考えられません。 人によっては腹が煮えくり返っていてもニコニコと笑って受け流す程度の芸当はこれまでの長い人生で獲得しています。 儒教などの年功序列の精神は日本の文化に古くから深く根付いています。 余程の寛容な人物でなければ、確たる理由も成しに自分と同格とは認めないものです。 忘年会が無礼講だからといって、本気でそれを鵜呑みにするのは唯の馬鹿です。 酒の席とは人間性の本質が問われる真剣勝負の場、普段の会社勤めなんて飾りです。 普通の感覚を持ち合わせていれば、相手を無用に緊張させない程度に打ち解けるくらいが無難というか精一杯なのは自明でしょう。 偉い人にそれと分らないように慎重かつ大胆に接待することは、一種の特異能力と言えます。 接待業が出来ない人には生涯縁がない分野ですが、これなくして社会は上手く回りません。 純粋な損得勘定だけで人間関係が構築できるほど社会は甘くないのです。 「忘年の交わり」とは、年齢の差に関わらず、親しく人付き合いをすることです。 私にも、職場で出会った、「忘年の交わり」をさせてもらっている年上の女性がいます。ひと回り以上年上で、仕事の知識の面では全くかなうところはなく、上司として尊敬している方でした。でも、私が得意であったPCのスキルを認めてくれて、その面では私に頼ってくれるような上司でした。私は、仕事の知識をその女性から得ることができましたし、その女性もPCでの作業が早くなったと喜んでくれました。プライベートでも会うことが増えてくると、さすが年上としっかりしている面も、年上なのにかわいらしい性格などいろいろ見えてきて、さらに親しくなりました。現在では、お互いに転職・転居をしてしまい、少し離れて暮らしていますが、今もお付き合いを続けさせて頂いています。 「忘年の交わり」ができると、年齢の差があることで、お互いに異なる面から物事をとらえることができたり、新鮮な考え方に触れることができて得られることが多いです。このような相手を見つけるためには、年上だからといって、相手を目下に見ることはなく、また年下だからといって、言いたいことを言えない関係ではなく、お互いの優れたところを認め合える関係を持つことが必要だと考えます。

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棒に振る

【漢字】棒に振る 【読み】ぼうにふる 【意味】これまで築いてきた努力、地位、名誉全てを失うさま。 【例文1】会社のお金を横領をして人生棒に振る。 【例文2】たった一度のスキャンダル報道で女優としての人生を棒に振る。 【例文3】引きこもりになり青春時代を棒に振る。 ストレス社会と言われる現代において、鬱病は決して珍しいものではありません。 鬱病が発症してしまうと仕事や日常生活に多大な影響を及ぼしてしまいますが、放っておいて治るようなものでもありません。 適切な対応を取らなければ症状が悪化し、社会へ復帰できず、人生を棒に振るってしまうことにも繋がります。 ですので鬱病になったらまずは焦らずしっかりと休んで下さい。 周囲に助けや援助を求めて下さい。それでも治らない時は医療機関に関わり、療養に取り組んで下さい。 鬱病はどんな形であれ自分の許容範囲を超えて頑張りすぎてしまった方に多く見られる症状です。 頭では「このままではダメだ…。」と思っていても、既に心や身体は限界になっているので、このまま頑張り続けても良い方向に向かうケースは少ないです。 ですので、まずは焦らず自分を休ませて、精神的安定を得ることが大切です。 自分一人で抱え込んでも解決するのは難しいでしょう。ですので、信頼のおける人物に相談し、力を借りることが重要です。 もし身近にそんな相手がいない場合は、カウンセリングなどを利用して、話だけでも聞いてもらうだけでも随分違います。 鬱病の診断を受けているのであれば、様々な公的制度を利用し、援助を受けることができます。 専門医による治療は勿論ですが、鬱病の方の今後の人生においても関りが深くなる要件でもあります。 鬱病は短期的に感知するものではありませんので、今後長く付き合っていくことになるでしょう。

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忙中閑あり

【漢字】忙中閑あり 【読み】ぼうちゅうかんあり 【意味】忙しい中でも少しの暇はあるもの。 【例文1】忙しいとは言っても忙中閑ありだろ?ご飯だけでも食べに行こうよ。 【例文2】忙中閑ありを見つけては彼女に会いに行く。 【例文3】忙中閑ありでも授業参観に行く。 忙中閑あり (忙しい時でも僅かな暇はあるものだ) この言葉から、私は仕事の出来る優秀な人を連想します。仕事の出来る人は時間の使い方が上手く、忙しい中でもプライベートを充実させ、それがまた仕事の原動力になっている、というような人が多いと感じるからです。 私は結構習い事が好きで色々なお稽古事をしていましたが、何においても目覚ましく上達するのは、暇を持て余している生徒さんより、分単位で行動する会社社長や、女手ひとつで食堂を切り盛りして子育てしているお母さんなど、多忙を極める人の方が多かったのです。 自由に使える時間が限られているからこそ、趣味に使える時間を大切にしていたからでしょう。 逆に仕事の効率が悪い人は、閑中忙あり、という感じがします。 つまり、時間の使い方が下手なため、大して忙しくない時でも何かとバタバタとしてせわしない印象なのです。 結果プライベートな時間も落ち着いて楽しめず、精神的な充足感を得られないため、仕事の効率も落ちて悪循環です。私も残念なことに閑中忙あり、といった感じです。いつもそわそわと落ち着きなく、自由な時間にも家事や育児や仕事の事などが頭から離れず、結果として何事も効率が悪いのです。

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茫然自失

【漢字】茫然自失 【読み】ぼうぜんじしつ 【意味】呆れ果てたり、我を忘れるくらい言葉が出ない。 【例文1】鍵をかけ忘れ泥棒に荒らされて茫然自失になる。 【例文2】原爆資料館での写真を見て茫然自失となる。 【例文3】大震災で家を失い茫然自失になる。 2011年3月に起きた東日本大震災があった数ヶ月後に、私は被災地を訪れました。 父の実家が岩手にあり、内陸部であるため津波などの被害はなかったものの、住んでいる親戚や祖母の様子をみるため東北へと向かいました。 父は普段から友人たちとお祭りなどで炊き出しを行なっており、そのような設備も持っていたため、今回の震災でも岩手の沿岸部などで炊き出しを行なっていました。 そこで知り合った方々への挨拶を兼ねて私も沿岸部に立ち寄ったのですが、そのときの光景には衝撃を受けました。 市街地の建物は1階部分が骨組みや外壁を残してごっそりと無くなっており、2階の窓ガラスが無くなっている建物もありました。 がれきなどの多くは撤去されていましたが、集められたがれきが街の中央にうずたかく積み上げられていました。 沿岸部の建物はまるっきり無くなっており、土台部分でここには家が建っていたということがようやく分かる程度です。 海まではかなりの距離があるにも関わらず、高くそびえ立った堤防意外には見渡すかぎり何もない光景を見て、自分が暮らしている場所とのあまりにも大きすぎる違いを感じ、本当にここは日本なのかと、まるで海外の紛争地の光景を見ているようでしばらく茫然自失としていたことを覚えています。

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坊主憎けりゃ袈裟まで憎い

【漢字】坊主憎けりゃ袈裟まで憎い 【読み】ぼうずにくけりゃけさまでにくい 【意味】袈裟とは僧侶の衣服のことで僧侶が憎いと思ったら着ている袈裟まで憎くなるたとえで、その人に関わるものまでが憎いと思う。 【例文1】躾がなっていない子の母親の言動を見れば坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。 【例文2】暴力をふるう元彼は〇〇出身で坊主憎けりゃ袈裟まで憎いでそこには二度と行きたくない。 【例文3】加害者の家族が坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」あるいは「法師が憎ければ袈裟まで憎し」とも言いますね。このことわざの意味は、お坊さんを憎いと思うあまりお坊さんが身につけている袈裟まで憎らしくなることから、ある人や物を憎いと思うあまりそれに関係するもの全てが憎らしくなることです。このことわざを深く掘り下げてみようと思います。 袈裟とは、お坊さん(仏教僧侶)が左肩から右のわきの下にかけて身にまとっている布のことを指します。言葉の由来は、赤褐色の意味のサンスクリット語「カシャーヤ(Kasaya)」の音訳ですよ。糞掃衣・福田衣・法衣とも言います。起源は、インドの仏教僧侶が身にまとっていたボロボロの布です。本来、仏教では出家僧侶は財産になる私有物を持てません。身につける衣類も、捨てられるようなぼろ布しか許されませんでした。白い布を身にまとっていた在家者と区別するために、草木や金属錆びなどを使って黄土色や青黒色に染めていましたよ。 仏教が中国に伝わる頃には、袈裟は仏教僧侶が身につける飾りの衣装になりましたね。日本に仏教が伝わると、袈裟は色や布の組み合わせにより、仏教僧侶の位階や特権を示すものになりましたよ。江戸時代には「檀家制度」ができ、お坊さんはことあるごとに人々からお布施と称してお金を取り上げていましたから、袈裟を身につける人間も随分と変化したものですね。 類語には「親が憎けりゃ子も憎い」があります。 反対語には「あばたもえくぼ」があります。 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、とは、なかなか執念深い言葉のようにも感じますが、実際は、よくある心理状態ではないかと思います。 いわば、仕事の恨みでも恋愛に関することでも、感情に行き違いで、仮にA氏が心から憎く感じる時、そのA氏と親しくしている関係者まで嫌いになってしまう、という感情です。 自分とA氏のトラブルには全く関係ない人でも、A氏の味方となりうべき可能性があるが故に、ひっくるめて憎むという、いわば妄想が膨らんでしまった結果です。 坊主の袈裟とみなされ、心当たりのない人を嫌いになってしまう行為は、当事者にとっては理不尽極まりないことです。 極端な例でいうと、大嫌いなA氏がひいきのプロ野球球団と同じ球団を応援している、という点だけで、その球団のファンの人を嫌いになってしまう、とか、A氏が北海道出身だから、同じ出身の身近にいる人も敬遠してしまう、など。本人にとってはまったく身に覚えのないことでも、A氏と仲間としてみなされてしまうのです。 とんでもない妄想の場合もあるのですが、例えば親しい友人や肉親であれば、自分の悪口を一緒になって言っていたり、攻撃される場合もあります。 自分の身を守る為に、大き目の予防線を張っておく、という点では、自己防衛本能の一つともいえます。

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傍若無人

【漢字】傍若無人 【読み】ぼうじゃくぶじん 【意味】そばに誰もいないかのように自分勝手な振る舞いう様子。 【例文1】座席に荷物置いたりと公共の乗り物での傍若無人ぶりが目立つ。 【例文2】彼が傍若無人な態度を取るので一喝してやった。 【例文3】傍若無人な態度は迷惑だ。 先日帰宅途中の電車の中で、60代位の女性がしゃがみこんで辛そうにしていました。私は体調が悪いのかなと思い近づくと、近くにいた20代位の男性がその女性にぶつかり、その勢いで鉄の柱に頭をぶつけたとの事でした。 凄い勢いだったらしく、女性はかなり痛がっていました。とりあえず、座席に座っていた女子高生が席を譲ってあげて、その女性を座らせてあげました。 辛そうにしている女性の横で、ぶつかった男性に対して乗客が謝りなさいと言っていました。しかし、その男性は怒鳴り散らし反省している様子がなく、むしろ逆ギレしていました。 どんな経緯でぶつかったのか私はわかりませんでしたが、相手が痛い思いをしているのならば謝るのが当然だと思い、その男性に謝りなさいと言いました。 すると、怒鳴り口調で女性がぶつかってきたからだと言って、謝るどころか暴れだしました。その傍若無人な振る舞いに見かねた周りの乗客達がその男性の周りに集まりだし、謝るか責任を取るかはっきりしろ!と言いました。 周りをみんなに囲まれて、注意をされた男性は落ち着きだし女性に謝りました。 女性は痛みが治まり、特に怪我もないから大丈夫と言って、その場が収まり次の駅でぶつかった男性は降りて行きました。

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判官びいき

【漢字】判官びいき 【読み】ほうがんびいき 【意味】弱い者に同情して応援する。 【例文1】少年野球の試合で20-0の大差がついた。判官びいきで場内から声援が送られた。 【例文2】判官びいきの声援で諦めず最後まで戦う。 【例文3】女性に対して判官びいきはつきものだ。 スポーツ観戦をしている時に負けている方を応援したり、かわいそうな境遇や弱い立場の人をひいきにすることを「判官びいき」と表現します。日本人には古来から、特にこの「弱い人やかわいそうな人を応援する」という心理が強いとされています。 まず、多くの人が迷うのが、その読み方でしょう。「判官びいき」という言葉には「はんがんびいき」と「ほうがんびいき」という2種類の読み方があるからです。 結論を言えば、どちらも間違いではありません。この言葉の語源になったのは「源義経」です。源平の時代に活躍した人物でありながら、兄の源頼朝に疎んじられ、奥州に落ち延びたあげく討たれてしまった悲劇のヒーローです。 源義経はその悲劇性から、長く日本人に愛されてきました。 さて、ではどうして源義経が「判官」なのか。それは。義経が「判官」という役職にあったからです。判官と言うのは、律令制の第三位に当たる役職名で、特に検非違使の尉をさしました。 その役職にあったため、義経は「源九郎判官義経(みなもとのくろうほうがんよしつね)」と呼ばれます。ここでは「ほうがん」と発音するため。「判官びいき」は「ほうがんびいき」と読んだ方が自然と考えていいでしょう。 「判官びいき」は(ほうがんびいき)とも(はんがんびいき)とも読みます。この言葉はまず判官の意味を知らないと理解できません。この場合の判官は源義経を指します。源義経が検非違使の判官という役職にあったからと言われています。源義経が英雄でありながら不遇の中夭折したことを愛惜し同情することを意味し、転じて弱者に対する第三者の同情やひいきのことを「判官びいき」と言います。源義経は幼少の頃、父が平家に逆らったことで亡くなり、兄の頼朝は流刑、義経は鞍馬寺に預けられます。その頃の寺は僧兵がいて武芸も習わすお寺もあり、義経もたしなんでいました。ある夜、京都の五条の橋の上で刀狩りをしていた弁慶と義経(幼名牛若丸)は出会い、弁慶を降参させ、後に家来になります。成長した義経は兄頼朝の下で源氏再興のために働きますが、兄の信頼が得られず奥州へ逃れます。その途中、安宅関(石川県小松市)で姿かたちは僧のようでも、義経に似ているということで見咎められ窮地に立たされますが、弁慶が「お前のせいでこの関が通れないのだ」と義経を打ち据えます。あまりの弁慶の振る舞いに関所の長官も止めにかかり、「疑いは晴れた」と関所を通し、関所を通った山中で弁慶が義経に平身低頭して謝罪し、義経は弁慶の機転で難を逃れたことに感謝し、弁慶は男泣きするという話があります。歌舞伎の「勧進帳」や能の「安宅」で有名になった話ですが、この後、頼った先で裏切られ頼朝の兵が追ってきたところで、義経は自害します。この彼の伝説が広まることでそれを悼む人々が増え、「判官びいき」の言葉まで生まれたのです。

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暴飲暴食

【漢字】暴飲暴食 【読み】ぼういんぼうしょく 【意味】度がすぎた飲食。 【例文1】やけくそになって暴飲暴食したら、胃が痛くなった。 【例文2】暴飲暴食をすると中性脂肪が溜まるので病気になりやすい。 【例文3】暴飲暴食の結果、メタボになる。 暴飲暴食とは無理やり食べたり飲んだりすることです。体にはよくありませんね。 私は食べたり飲んだりすることが好きで、独身の時は食べたい物を食べ、飲みたい物を飲みたいだけ飲んできました。体質がらまったくどれだけ食べても太りません。18歳くらいの時から体系が変わっていません。だからでしょうか暴飲暴食しても私は大丈夫と何の根拠もなく10年過ごしてきました。 結婚して嫁さんが作る空揚げが美味しくて美味しくて週に2回はリクエストしていました。会社でいやな事があればお酒を記憶が無くなるまで飲みました。 ある時期から、急に胸焼けするようになり、体重も徐々に増え始め初の60キロ台突入です。 仕事にも影響が出るので病院で診てもらいました。幸い胃かいようは初期の段階で、薬の服用だけで済みそうです。 しかしこのまま暴飲暴食を続けると胃かいようだけではすまなくなると言われ、お酒は控えるようにとお医者さんに言われてしまいました。 高いツケを払う事になってしまったのです。 私は人生の中で食べたり飲んだりすることが一番大好きで、食べたい物を食べ、飲みたい物を飲みたいだけ飲んでいました。 この私の胃は鋼でできているようで、いくら食べたり飲んだりしても、おかしくなる事は全くありませんでした。 寝る前に脂っこいモノや甘いモノを食べたとしても、翌朝に胸焼けや胃もたれを起こす事はなく、普通に朝食を摂る事が出来ていたのです。 なので私は食欲に任せて、これでもかと暴飲暴食を繰り返していたのです。 所がある時期から、急に胸焼けや胃痛をするようになり、体重も徐々に増え始めて来てしまったのです。 それでも私は気にせずに、暴飲暴食を続けていました。 それが災いしたのか、胃痛がどんどんひどくなって来て、たまらず病院で診てもらったのです。 そしたら胃潰瘍だと診断されました。 幸い胃潰瘍は初期の段階で、治療は薬の服用だけで済みました。 ですが暴飲暴食は控えるようにとお医者さんに言われてしまい、食べたいだけ食べられないようになってしまったのです。 更に診断の結果、糖尿病の一歩手前の状態だという事が分かり、かなりの食事制限を強いられる事になってしまいました。 暴飲暴食をこれでもかとやっていた結果、私はその高い付けを払う事になってしまったのです。

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