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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。 Powered by 手作り言葉辞典

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権兵衛が種まきゃ烏がほじくる

【漢字】権兵衛が種まきゃ烏がほじくる 【読み】ごんべえがたねまきゃからすがほじくる 【意味】人が終えた仕事の邪魔をする。 【例文1】いくら片づけても2歳の長男が権兵衛が種まきゃ烏がほじくる。 【例文2】雪かきをしてもしても権兵衛が種まきゃ烏がほじくる。 【例文3】権兵衛が種まきゃ烏がほじくるので時間がかかる。 子どもの頃、権兵衛が種まきゃ烏がほじくると聞いて、面白い言葉の響きだなと思いました。 たぶん種まきゃのまきゃが子ども心に響いたんだと思います。 勝手に面白い話と思っていたら、実はこれ真逆だったと後で知り驚きました。 無駄骨という意味があるらしく、確かに種をまいた後で烏がほじくるんだから、良いことは一つもありません。 なんだか権兵衛さんが気の毒になって、試しにインターネットで調べてみました。 これが実話だったら悲しすぎると思っていたら、三重県の民話だそうで少し安心しました。 民話のほんの一部分を切り取った言葉が、権兵衛が種まきゃ烏がほじくるでした。 武士の身分を捨て農家になった権兵衛さんが孤軍奮闘する物語で、最初はうまくいかず大変だったようです。 それこそ種をまいたのに烏にほじくられ、その様子を他の村人から笑われるという何とも胸に堪えるストーリー展開です。 元々が荒れ地を開墾したことと、武士だった権兵衛さんに農家としての心得やら手腕が無かったからですが、ただ根性だけはお持ちのようでした。 何度も諦めず最後は村一番の農家に成長する権兵衛さんですが、笑っていた他の人達は何をやっていたのでしょうか。 ド素人の権兵衛さんに農家ナンバーワンの座を譲り渡すとは、情けない話です。 とはいえ最後まで諦めなかった権兵衛さんは民話を飛び出して、銅像まであるようです。

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今昔の感

【漢字】今昔の感 【読み】こんじゃくのかん 【意味】昔を思い出して現代との違いを感じる様子。 【例文1】園児までもがスマホを使いこなしているのは今昔の感だ。 【例文2】20年ぶりに帰国して地元が今昔の感だ。 【例文3】家電の進化が今昔の感だ。 先日、同窓会に行ってきました。といっても、私の地元は東北にあります。今回は上京している人間だけでのプチ同窓会といった感じでしょうか。やはり地元を離れてと追う今日で生活していますので仲間意識も強く、半年に一度は開かれている催しです。今回はこの同窓会に、卒業以来会っていなかったSさんがやってきたわけです。Sさんはどちらかというと地味なタイプだった私とは違い、とても華やかな女の子でした。今はお互いアラサーになりましたが、やはり可愛らしさが残ります。 Sさんはつい最近東京に転勤してきていて、それまでは地元の近くで働いていました。そこでSさんが見せてくれたのがとある写真です。部活動の合宿や遠足などでよく使われていた田舎にある施設が取り壊され、オシャレなホテルが建っていたんです。地元には何度か帰っていましたが、この施設があったのは2つほど隣の市ですから全く知りませんでした。まさに今昔の感に堪えなかったですね。ちょっと古くて、でもぬくもりのあった施設が今やオシャレなホテルです。時間が過ぎるのは早いなと思いました。 このように、今昔の感に打たれざるを得ない出来事というのは年齢を重ねれば重ねるほど増えていくのでしょうね。

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言語道断

【漢字】言語道断 【読み】ごんごどうだん 【意味】言葉にならないほどひどい。もってもほかだ。 【例文1】身内の葬儀にも参列しないとは言語道断だ。 【例文2】責任転嫁なんて言語道断だ。 【例文3】無差別殺人とは言語道断だ。 言語道断は比較的よく使われる四字熟語と言っていいでしょう。「あまりにひどくて話にならない。言うべき言葉も見つからない。もってのほか」というのがその意味です。 「あの人はミスをした上にそれを人に責任転嫁するなんて、言語道断だよ」というように使われます。 しかし、もともとは、言語道断はそういう意味ではありません。まったく違う意味で使われていたのです。 言葉の由来は仏教。「真如と呼ばれる仏法の奥深い真理は、とても言葉では表現できないものだ」というのが、仏教における言語道断の意味なのだと言います。 どこにも「ひどい、もってのほか」というニュアンスは存在しません。 『平家物語』でも、「言葉に尽くせないほど立派」の意味で使われていると言います。 それがどうして今のような意味に変化したのか。ちょっと調べてみましたが、わかりませんでした。想像すると「ごんごどんだん」という語感の強さや、「断」という文字が使われているために、否定的な意味を持つようになったのかもしれません。 連想するのが、歌舞伎の『勧進帳』。関所を通してくれない役人に対し、山伏に変装した弁慶が「言語道断。かかる不祥のあるべきや」と憤るシーンがあります。 ここでは「とんでもない話だ」という意味で使われていると考えていいでしょう。 この芝居が作られたころには、すでに意味が変化していたということになりますね。どこでどうして変化したのか、ぜひ知りたいものです。 最近、言語道断と思えるニュースを耳にしました。 駐車場の停め方を注意した人が、注意された側の人間の煽り運転を受けて車を強制的に止められ、そこに後ろから来たトラックに轢かれて亡くなると言う、悲惨な事件を知ったのです。 ニュースで詳細を知ったのですが、注意した側には何の落ち度もないと思いました。 にもかかわらず、注意された側は自分の間違いを反省もせず、注意した側に危害を加えようと煽り運転をした事に、腹が立って仕方がありませんでした。 間違った事をしている人が居たら、注意するのは当たり前のことです。 そんな当たり前のことをしただけで、逆恨みをされたのではたまったものではありません。 最近は自分が悪い事をしているにもかかわらず、注意された人を逆恨みする人が増えているような気がします。 このような事件が発生すると、悪い事をしている人を発見しても、怖くて注意をしない人が増えてしまう恐れがあるのです。 そうなればますます悪い事をしている人が増えてしまい、世の中が無茶苦茶になってしまう恐れがあります。 ですからこのような言語道断な行いをする輩はどんどん検挙をして、世の中からいなくする方が賢明です。 みんなが安心して暮らせる世の中を作る為に、言語道断な人間を野放しにしてはいけません。

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子を持って知る親の恩

【漢字】子を持って知る親の恩 【読み】こをもってしるおやのおん 【意味】自分が子どもを持って初めて親の愛情やありがたみが分かるものである。 【例文1】子を持って知る親の恩は親になってみないとわからないもの。 【例文2】親になって子を持って知る親の恩の深さを知る。 【例文3】子を持って知る親の恩に気づくのが遅かった。 「子を持って知る親の恩」という言葉は小さい頃から知っていましたが、実家で家族と平凡な毎日を過ごしていた私にとっては、「同じ立場にならないと分からないことがある」という程度にしか思えませんでした。この言葉を使うのは大抵歳のいった大人なので、うるさい説教の一つくらいの認識だったのです。 でも、実際に自分が結婚・出産して育児を経験してみると、この言葉の持つ意味の強さや深さがぐっと感じられるようになりました。 例えば、保育園児だった私が熱を出した時。当時働いていた母は、嫌な顔一つせずに会社を休み、体調不良でグズる私をなだめながらそばにいてくれました。私の娘が熱を出しても同じように会社を休んで付き添いますが、仕事で周りの人に迷惑をかけることを考えると、ついため息も出ます。母は終始笑顔で看病してくれたので子どもだった私は「申し訳ない」などという感覚はありませんでしたが、受話器に向かって頭をペコペコ下げていた母のことを、今はぐっと身近に感じられます。 母と私が経験し、これから私の娘も通過するであろう反抗期も、自分が母親になってから振り返ると感謝と申し訳ない気持ちで一杯になります。当時に戻って過去を変えることはできませんが、せめて私の娘が母親になった時に温かい気持ちになれるよう、精一杯の愛情で育てることが、母に対する恩返しにもなると思っています。

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怖いもの見たさ

【漢字】怖いもの見たさ 【読み】こわいものみたさ 【意味】怖いと聞けば好奇心で余計に見たくなるもの。 【例文1】閲覧注意の画像ほど怖いもの見たさだ。 【例文2】怖い物見たさで心霊スポットに行く。 【例文3】怖いもの見たさだが、怖気づく。 怖いと分かっていながら恐ろしいと聞けばかえって見たくなるもので、人間の奥底にある好奇心を言う時に用いられる言葉です。この言葉を聞くと当てはまる分、何故なんだろうと不思議になります。王道というか心霊番組なんてやってると子どもの頃はまさに怖いもの見たさでチャンネルを回してました。さすがに一人では見る勇気はなかったので家族と居間で視聴するのですが、決まって怖いシーンには手で顔を覆ったり、目をつぶり耳を塞いで肝心な部分ははしょって観てました。それでも怖くてトイレには親についてもらい、お風呂は番組が始まる前に済ますなど、怖いなら観なければ良いだけなのに毎年の夏イベントとして恒例になってました。最近でも観る事はありますが、怖いよりもこんなに綺麗に映像として写れるものなのかと別の視点で観るようになり、視聴後にお風呂に入ったり、トイレも普通に行けるので怖い物見たさも慣れてくると緩和していくのだなと感じます。怖いだけに当てはまらず臭いものは嗅ぎたくなり、汚なければどれ程なのか確認したくなる、人間の好奇心というものは生きていく上では新しい道や発見に繋がる良い事でもあると思うので、例えば難しい程挑戦したくなるという風に好転に働くよう努めたいものです。 怖い話が苦手です。 大人になって、ある時を境に怖い話のテレビ番組は見なくなりました。 子供の頃は大好きでまさに「怖いもの見たさ」であなたの知らない世界は夏休みのお昼の楽しみでした。 今の若い人は知らないでしょうけど、わたしが小さい頃は全国ネットでお昼から毎日怖い話を放送していたんですよ。 それが画期的でとてもおもしろかったんですね。 まあ、よく見ていました。 霊感もなかったし、夜になるとそんな怖い話のことなんてすっかり忘れて爆睡できましたし、また翌日もあなたの知らない世界を楽しく見ていました。 ただ、大人になってからホテルなどで「もしかしたらここにはおばけがいるのかも」という雰囲気はまれに感じることがありました。 ある家に引っ越した時のこと、内見では全く感じなかったのですが、生活しているとトイレの辺りでたまに「それ」を感じることがありました。 そこまで強く感じるわけでもなかったし、気のせいかなと思っていました。 ある時当時幼児だった姪が遊びに来た時にトイレに行った際に「行きたくない!」と大泣きするのです。 嫌な予感は的中しました。 姪は「だってあそこ(トイレの前)におばあさんと犬がいる」ぞわっとしました。 霊的な被害にあうことはなかったけど、トイレは恐る恐る行っていました。 あの家に住んで以来怖いものが全部苦手になりました。

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コロンブスの卵

【漢字】コロンブスの卵 【読み】ころんぶすのたまご 【意味】コロンブスがアメリカ大陸を発見した時、人々から船に乗ってれば誰にでもできると言われ、ならばこのゆで卵を立ててみよと言ったが、誰もできなかった。するとコロンブスは卵の底を割って立たせた逸話から、簡単に見えても一番最初に成し遂げるのは難しいという教え。 【例文1】他人のを真似ただけではコロンブスの卵とは言えない。 【例文2】この事業計画はコロンブスの卵だ。 【例文3】コロンブスの卵を成し遂げる。 今では当たり前のように走っているハイブリッド車が初めて登場したときに、「走りながら充電したって、充電の分エネルギーを余計に使っているのだから、燃費が良くなるなんてあり得ない」と思ったものです。中途半端な「エネルギー保存の法則」なんてことを知っていたために、前途のように思ったのです。もちろん、間違ってはいません。走りながら充電モーターを回して電気エネルギーを作り出してもその分余計にガソリンが消費されます。ではどうしてハイブリッド車だと燃費が良くなるかと言えば、エネルギーを捨てているときに充電しその電気を走行時に使うから、結果として燃費が向上するのです。エネルギーを捨てているときはどう言うときかと言えば、ブレーキをかけて減速しているときです。このとき、発電モーターを回してやれば、ブレーキをかけるエネルギーも少なくて済む上に、捨ててるエネルギーを使って発電しているのですから、余計なエネルギーを使うこともありません。言われてみれば当たり前で簡単なことですけど、最初にこれを思いついて実行してしまう人ってすごいなって思います。そしてこの仕組みはガソリン車だけでなく、電気自動車や燃料電池車にも使われています。そう言う意味で、このハイブリッド車の仕組みは現在のコロンブスの卵だと言えるのではないでしょうか。 コロンブスの卵は結果を見れば誰でもわかりますが、最初にやるのはいかに大変かということです。ゲームなんかを見てもコロンブスの卵のような発想があって人気が出ると、その後はまるでコピーしたかのような似たような作品が次々出てくることがあります。テトリスは一世を風靡しましたが、最初に考えた人はコロンブスの卵だと思います。その後似たようなゲームがたくさん出てきました。カードバトルのゲームも似たようなもので、最初に登場したのはどのカードバトルかわかりませんが、考えた人はコロンブスの卵のように苦労して考えたのだと思います。ですから原型となるゲームは面白くて奥が深いのだと思います。日常生活においては大人より子供の方が頭が柔らかいので、コロンブスの卵のような柔軟な発想を出すこともあります。後からならなんとでもいえますが、最初にそれを見つける人はすごいと思います。これからの時代どのようなコロンブスの卵が出てくるのかわかりませんが、もしかするとAIが突拍子もないことを考えるかもしれません。AI同士で独自の言語を使って話始めているのを見ると、人間が考える領域を遥かに超越しているように思えます。AIが考えたことのほとんどがコロンブスの卵のような感じになる時代がすぐそこまで来ているのかもしれません。 「コロンブスの卵」という言葉の意味を私は恥ずかしながらつい最近知りました。 今まではコロンブスのような偉大な人になり得る可能性を秘めた、期待値の高い人物を表す言葉だと思っていたのです。 自分の無知さに悲しくなり、改めてこの言葉の意味について調べてみました。 「コロンブスの卵」という言葉は誰でもできるような簡単なことでもそれを実現するのは難しいということわざです 。 由来としては、大陸を見つけるなんて誰でもできることだ、と功績をバカにされたコロンブスが、「ではこの卵をテーブルに立ててみせよ」と言った所誰もできず、それに対してコロンブスが卵の尻をコツンと割って立ててみせた、という逸話から生まれたと言われています。 私は社会人になって5年経ちますが、このことわざを痛感しています。 どうして今まで思い付かなかったんだろう、と思うことを先に越されてしまった時はとても悔しいですし、この才能がある人は必ず出世すると思います。 今はアイディアさえもビジネスになってしまう世の中なので、こういった発想力は強力な武器になると思います。 周りを見ていると、きっと持って生まれたものもあるのでしょうが、この力を身につける秘訣が知りたいなぁと切に思います。

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転んでもただでは起きない

【漢字】転んでもただでは起きない 【読み】ころんでもただではおきない 【意味】たとえ失敗したとしてもそこから何か得るものを見つけ出す。 【例文1】メンバー落ちしたけど、肉体改造して転んでもただでは起きない。 【例文2】今回もダメだったけど転んでもただでは起きないぞ。 【例文3】転んでもただでは起きない精神を身に付ける。 転んでもただでは起きない母 わたしの母はいつも喋って笑っています。 一人でいても喋って笑っています。 母は独り言すらおもしろく、さすが関西人だと思います。 しかし、そんな母はとても苦労人なのだそうです。 自分の過去を笑い飛ばしながら話してくれたことがあります。 お父さん(祖父)が突然彼女を作って消えてしまったこと、若い頃に付き合っていた結婚するはずだった人が突然警察に逮捕されたこと、祖父(曽祖父)が経営していた会社が倒産して、しばらくはとてつもなく貧しい生活を強いられ、絵に書いたような借金取りに追いかけ回され夜逃げまでしたこと・・・とにかく様々な紆余曲折を経て今の母があるのです。 わたしにはとても考えられない、小説やドラマのような人生を送ってきた母は低学歴、元祖ヤンママを経て今OLをしています。 わたしたちを育てながら大検を取り、資格を取り、憧れのOLをしています。 転んでも立ち上がってきた母、でも関西気質です。 「転んでもただで起きたらアカン!せっかく転んだんやから!」 わたしも転んでもただでは起きない母のような人になりたいと思います。 明るく、前向きで強くて弱い、正直で飾らない母はわたしの目標です。 母の独り言はおもしろいけど、母との二人言はもっと楽しいのでもっと会話をしたいです。

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転ばぬ先の杖

【漢字】転ばぬ先の杖 【読み】ころばぬさきのつえ 【意味】杖は転んでから用意しても遅い。万が一に備え十分に準備しておく。 【例文1】海外旅行に、転ばぬ先の杖で体に慣れた食品と薬も持参する。 【例文2】転ばぬ先の杖で保険に加入する。 【例文3】転ばぬ先の杖で防災グッズを備える。 転ばぬ先の杖とは失敗しないように前もって入念に準備をしておくことです。 人の人生は、僅かないもので今日・明日にでも何が起こるか分かりません。 ですから何が起こってもいいように、備えをしておく必要はあると思います。 私が身をもって体験したのは、息子が車の免許を取得した時です。 月に1万円の自動車保険に加入しているのはもちろんの事、中免バイクも取得したいと教習所に通いバイクの免許も取得しました。車を止められない場所にも営業回りがありバイク通勤もたまにあるようです。もしもバイクで事故を起こすと生身の体ですから、仕事に差し支えがでては不安なのでオプションで+3000円で新たに休業手当の保障を付けました。2ヶ月したころに右折車が突っ込んでバイクから放り出されて救急隊から夕方電話がありました。息子に変わって状況を聞いたところ、頭は痛いが意識はある長くはしゃべれないのでもう切ると一報が入った時は心臓が止まるくらいびっくりしました。すぐさま110番に電話して今事故が遭った現場はどこなのか問い合わせしました。入院の準備をあわてて準備して搬送先に向かいました。事故の相手の保険屋さんも来て今後の保障は十分に対応させていただきますとお詫びの言葉で転ばぬ先の杖だと安心しました。

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五里霧中

【漢字】五里霧中 【読み】ごりむちゅう 【意味】五里にもわたる霧の中は何も見えず迷うので、先が見えない。手掛かりがなく先の見通しが立たない。 【例文1】会社経営が五里霧中だ。 【例文2】業績不振で五里霧中。 【例文3】審査が通らず五里霧中。 私はこれまでの人生で、何度も人生の歩む方向が分からなくなった時があります。 いわゆる五里霧中と言う状態に陥ってしまい、どうしたらいいか分からなくなってしまったのです。 こんな時私は、家族や友人に相談したりしました。 ですがそれでも、結局答えは出せませんでした。 そこで私は、占いに頼る事にしたのです。 占いの真偽は良く分かりませんが、第三者の立場である占い師さんに占ってもらえれば、道が開ける様な気がしました。 それで早速、著名な占い師さんに占ってもらったのです。 占い師さんの言う事はとても説得力があり、五里霧中の私に一筋の光を指し示してくれたのです。 それから私は、占い師さんが出してくれた答えの通りに行動してみました。 すると、良い方向に人生が進んでくれたのです。 私はこの時やったーと思い、占い師さんに相談して良かったと思いました。 この後も私は、五里霧中に陥り、悩み苦しむ事がありました。 今度は家族や友人に相談せずに、直接占い師さんに相談してみたのです。 そしてまたもや占い師さんの言う通りにやってみたら、問題を打開する事が出来たのです。 私はこれまで何度も占い師さんに助けられているので、占い師さんを人生の師として、悩み事が発生した時に相談に乗ってもらっています。

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孤立無援

【漢字】孤立無援 【読み】こりつむえん 【意味】一人ぼっちで誰からの援助も無い。 【例文1】孤立無援の生活に限界を感じる。 【例文2】人付き合いが無く孤立無援。 【例文3】老後、孤立無援になる。 人付き合いが苦手で一人で過ごすのが好きな私は友達も少なく、連絡を取り合う友達もほんの一握りです。 以前はたくさん友達もいたのですが、仕事が上手くいかなくなってからさらに人間嫌いになり、こちらから一方的に連絡を絶ってしまいました。 わずらわしさが無くなってホッとしている反面、どこか寂しさを感じますし何かあったときに頼る人もおらず孤独を感じることもあります。 それでも今はまだ、両親や旦那がいるため孤立無援な状態ではありませんが、先のことを考えると怖くなります。 順番から行くと両親は先に天国へ行くでしょうし、旦那も私より10歳近く年上なので、将来私は独りぼっちになるのではと思っています。 私には子どももいませんし、このままいくとまさに孤立無援状態まっしぐらでしょう。 そうならないためにも友達や親戚との付き合いを深めようと頭ではわかっているのですが、なかなかうまくいきません。 そもそも、本当に信頼できる相手ならば喜んで付き合いたいですが、何故かいつも私ばかり相談される側で、こちらが助けて欲しい時には他人事のように扱われることが多かったので、無理に友達付き合いをしても結局は孤立無援なのかもしれません。 孤立無援が心配で長生きするのも躊躇してしまいそうです。 窮地に陥ったとき、誰も助けてくれず、自分一人の力で解決しなければいけない状態になってしまうのは大変です。もしかしたら一人で解決できる問題もあるかもしれませんが、裏を返せば一人では太刀打ちできない問題もあるということです。他人の力が必要なとき、誰も助けてくれない状態になってしまったら万事休すでしょう。 ではこのような孤立無援になってしまわないためには、どうすれば良いのでしょうか。答えは簡単で、普段から他人を思いやることです。情けは人の為ならずともいうように、他人に施した情けというのは、いずれ巡り巡って自分に返ってきます。とはいえ、あからさまに他人にありとあらゆる親切をしようとすると、それは媚びを売っているように見えてしまうので逆効果です。なので「あの人の様子がちょっと心配だな」と思ったときに、少し手を貸すだけでも良いと思います。小さな親切であっても、相手にとってはとても有難いことであるかもしれませんから。 それにどんな人であっても、今までの人生を振り返ってみれば、誰かしらに助けてもらった経験があるのではないでしょうか。それなのに『自分は誰のことも助けない』というのは虫が良すぎる話だと思います。綺麗事かもしれませんが、人はお互いに助け合いながら生きていくべきではないのでしょうか。

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小耳に挟む

【漢字】小耳に挟む 【読み】こみみにはさむ 【意味】聞くつもりはなかったが、チラッと聞こえてしまう。 【例文1】小耳に挟んだんだけど、カッコいい彼氏ができたんだって? 【例文2】悪口を小耳に挟む。 【例文3】転勤の話しを小耳に挟む。 ちょっと聞くや、少しだけ耳にするという意味がありますが、小耳の小だけあって、たくさんではなく少しという雰囲気がとても伝わる言葉です。 今時、人との会話で小耳にはさむは使わないだろうと勝手に思うのですが、時代劇やドラマでは時々耳にします。 ちょっと聞いたんだけどより、小耳に挟んだんだけどの方が、なんとも趣があって、やはり古くからある言葉は響きが違うなと思います。若い頃は人の噂話などに興味津々で、小耳に挟んでもっと噂を広めてしまうようなバカもやっていました。 しかし年齢を重ねると、さすがに人のことより自分の老化現象をどうするかの方が大事になってきて、小耳に挟みたい対象が変わってきます。 今はズバリ、いかに老化を止めるかの方法に耳がダンボ状態です。 アンチエイジングにこれが良かったと少しでも耳にすれば、その噂を人に広めるよりパソコンに向かう方が先です。 インターネットで検索し、口コミもチェックして、納得がいけば試してみたり、納得がいかなくても結局商品を購入したりと、意外と忙しいです。 今小耳に挟みたいのは人の噂ではなく、アンチエイジング対策で、なんなら大耳で掴み取りたいくらいです。

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胡麻を擂る

【漢字】胡麻を擂る 【読み】ごまをする 【意味】気に入られるように媚びる。 【例文1】パパに胡麻を擂る。 【例文2】先生に胡麻を擂る。 【例文3】監督に胡麻を擂る。 私は私立高校に通っていたのですが、そこの美術系の学科にある女の子がいました。その子は現役で入学してきた人よりも一つ年が上で、詳しい事情はよく知らなかったのですが、中学にきちんと通っていなかったために高校への入学が遅れてしまったということでした。でも、その子は先輩ぶったりすることもなく、普通に周りの子と仲良くしていました。 しかし、その子はふだん嫌いな子に対する態度が悪すぎるだけでなく、憧れの先輩たちに対しての胡麻を擂る態度が露骨で、おまけに自分だけが悲劇のヒロインぶっているような話が多いので、だんだんそばにいるとうんざりしてくるようになりました。私も裏で散々悪口を言われましたが、注意しても「チクったヤツが悪い」と開き直るありさまでした。 そんなある日、その子が突然、「お金が足りないので学校を辞めます。家族のために仕事をします」という宣言をしました。自分の家が家族が多くて大変なこととか、自分が目標にできるような先生がこの学校にいなかったとか、いろいろ理由を並べていましたが、どうでもいいなと思いました。優しい子が「辞めないでほしい」と言ってあげていましたが、その子の本性を知らないのでしょうかね。 「胡麻を擂る」とは、人に気に入られる為に他人にへつらって自分の利益を図ることを言います。由来はすり鉢を使用し煎った胡麻を擂ると粒が割れてすり鉢の溝にはまったり、あちこちにべったりくっつくことから相手のご機嫌をとり媚びている様子に似ていることから用いられた言葉です。片方の手のひらを上に開いてその上で反対の拳を回している動作が胡麻を擂っている動作に似ていることから、よく「あの人これだよな」と言いながらその動作をしている人をよく目にします。この言葉は表面だけ繕っている人に対して使い本当に尊敬する人には使いません。例文として「あの人は上司に胡麻を擂るのが上手だから出世するのが早い。」「彼は胡麻を擂るのが下手だから嘘ついているのが見え見えだ。」と言った使い方をします。 私の周りでも上司には胡麻を擂って部下には偉そうな態度ばかりとる人がいます。そのような胡麻の擂り方をする人は誰からも良いようには思われず、逆に嫌なイメージばかりがついてしまっています。上司もこの人は胡麻を擂っていると勘付いているので、それが理由で出世は遠のいています。人に良いように思われる為に胡麻を擂ることはいいことではありません。胡麻を擂らずに自分をアピールできるようにしたいものですね。

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ごまめの歯軋り

【漢字】ごまめの歯軋り 【読み】ごまめのはぎしり 【意味】実力のない者がやたらと悔しがってもどうにもならない。 【例文1】相手チームが格段に強くてごまめの歯軋りだ。 【例文2】経験年数が違いすぎてごまめの歯軋りだ。 【例文3】努力もしないでごまめの歯軋りだ。 大学に入学する前に行っていた予備校での出来事です。ごく普通の成績の年下の女の子で、他の子にどうしても負けたくないと思ってしまう、と話してきた子がいました。相談に乗ってみると、自分が他の人と成績を比べてしまって、勝てないとイライラしてしまい、それがまた自己嫌悪になっているというのです。 私に対しては「年上の方なら別に気にならないのですけど」と言っていたくせに、私よりももっと上の友人の名前を出して、「あの人も入ってきたばかりなのに、段々クラスが上がってきて…悔しいって思っちゃうんですよねえ」と悪口を言っていました。その友人は私も仲良くしていた子なのですが、確かにクラスのレベルが上がるのは早かったです。でも、それを学力が下の子がごまめの歯軋りのようなことをしてもしょうがないんじゃないかと思ってしまいました。 私の成績も聞かれそうになったので、そのときはうまくごまかして逃げました。悪口を言われた友人からあとになって聞いたのですが、悪口を言った子が好きな先生がおり、その先生の授業に友人も出席したところ、取られたと思ったのかすごく睨まれてしまったと話していました。ここでも何か悔しいと思ってしまったんでしょうか。

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子は三界の首枷

【漢字】子は三界の首枷 【読み】こはさんがいのくびかせ 【意味】首かせとは罪人の首にはめて自由を束縛する刑具。親は子どもへの愛情から自由に思い切ることができず、いつまでも束縛されるという意味。 【例文1】子どもが生まれてから子は三界の首枷だ。 【例文2】成人しても愛しい我が子は三界の首枷である。 【例文3】いつまで経っても子は三界の首枷だ。 二世タレントなどが何か不祥事を起こしたり、逮捕されたりすると、その親が出てきて謝罪会見をすることがあります。子どもが成人している場合は、何も親が謝る必要はないと思いますが、そのシーンを見るたびに、私は「子は三界の首枷」ということわざを思い出します。 「三界」と言うのは、仏教の言葉で、過去と現在と未来のこと。「首枷」は、昔の刑具で、首にはめて罪人の自由を奪うもののことだそうです。子は三界の首枷ということわざは、つまり、「親は子どものために一生自由を奪われることになる」という意味でしょう。 それだけでは、何ともネガティブな意味になってしまいますが、このことわざには「親心」のニュアンスが含まれていると考えていいのではないでしょうか。 先ほどの二世タレントの例でいえば、親は「あんな子どもとは縁を切ります」と突き放すこともできますが、多くの親はそうはしません。 子どもが何をしたとしても、親子であることに変わりはないというのが、謝罪する親のスタンスです。そこにはつまり、子を思う親心があるのではないでしょうか。 親心があるからこそ、子どもに縛られ、自由を奪われることになるわけです。「首枷」というような刺激的な比喩を使ってはいるものの、このことわざの裏には親の情愛が潜んでいると思われてなりません。 「子は三界の首枷(こはさんがいのくびかせ)」とは、親とは子供にとらわれて一生涯束縛されることのたとえです。三界とは、仏教の教えで現在で言う過去・現在・未来のことで、「三界」を「さんかい」と呼ぶのは間違いです。首枷とは、罪人の身体の自由を奪う為にはめる刑具の一種のことで、子を首枷とたとえ親が子に対する愛情は一生尽きることのないほど深いものがゆえに自由を奪われることです。 使い方として「子供が生まれてから自分の自由がなくなりすべて子供中心となった。子は三界の首枷とはこのことだね。」と言った使い方をします。 子供がいると仕事や自分の好きなことより子供が優先となります。それは当たり前のことですが、それを苦だと思い子育てが辛くなる方もいるのが現実で、子供がきっかけに親が我慢できず事件に発展することも多いです。子供がいる以上、事あるごとに子は三界の首枷になりはしますが、それも含めて我が子は可愛いものだとも思います。私にはまだ子供はいませんので子は三界の首枷と周りが言っているのを聞いてもピンときませんが、いつか我が子が出来た時、子供の事を首枷と思わずただ素直に愛情を注げるような親になりたいものだなと思います。

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子はかすがい

【漢字】子はかすがい 【読み】こはかすがい 【意味】かすがいとは木材と木材をつなぎとめるコの字型をした釘である。子どもは夫婦の仲をつなぎとめるとたとえられ、仲が悪くても子どもへの愛情から縁を保ってくれるもの。 【例文1】子はかすがいも子どもが成人するまでの我慢だ。 【例文2】子はかすがいだと離婚に踏みとどまる。 【例文3】子はかすがいだと信じる。 私たち夫婦には子どもが居ません。 結婚したのが旦那が40歳過ぎで私が30半ばを超えていたし、私が病気を抱えていることもあり、初めから子は作らないという約束で結婚しました。 私自身、どうしても欲しいという考えではないため普段はさほど感じないのですが、旦那と気まずい雰囲気になったり、義両親とうまくいかないときなどは 「子どもが居たらな…」と思うことがあります。 特にうちの旦那は、何があっても自分の親や兄弟・甥姪の肩を持つので、私は独りぼっちになった気分になることが多々あります。 そのような時、私たちにも子どもが居ればもっと旦那はこちら側の味方をしてくれたのではないか?と思います。 あまりに私ばかり悪者にされると離婚の二文字も脳裏に浮かびます。 そんな時「もしも私が離婚を切り出したら、旦那や義両親は何て言うのだろう?」と想像するのですが、きっと子どもがいないために離婚もアッサリ承諾されるのではと思います。 子どもが居ないからこそ楽でいいという考えも大きいのですが、夫婦や義家族内で揉めた時にも、夫婦仲も修復しづらいだろうと思うと、やはり「子はかすがい」なのかと痛感します。 それを考えると少し悲しくなります。

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子どもの喧嘩に親が出る

【漢字】子どもの喧嘩に親が出る 【読み】こどものけんかにおやがでる 【意味】子ども同士の喧嘩に親が出てきて抗議する。 【例文1】些細な事で子どもの喧嘩に親が出るべきではない。 【例文2】傷害事件となるとさすがに子どもの喧嘩に親が出る。 【例文3】子どもの喧嘩に親が出るのは時と場合にもよる。 子ども同士の揉め事に親がしゃしゃり出る事を「子どもの喧嘩に親が出る」と言い、世間一般にあまり褒められた行動とは認知されていません。「親」という漢字が、木の上に立って見ると書きますので、親は子の喧嘩に関わらず遠くから見守る事を良しとされるのです。もちろんこれはあくまで1対1の場合であり、近年の様な一人を大勢で痛めつける所せん「いじめ」に関してはその限りではないと明言しておきます。力関係や状況など、時と場合によっても親の対応は変わって来ます。一昔前の様にきちんとしたルールの下で生じるたまの衝突であれば、慌てず騒がず放っておいても構わなかったのですが、時代と共に激変した今の子ども社会のルールではそうも行かず、出るべき時は出て行かないと今度は親の方が後悔するなんて事態になるやもしれません。本来は「所詮は子どもの喧嘩」と突き放す事で成長を見守っていられたのが、様々な情報の流通により子どもの喧嘩の質がかつての様には行かず、何か陰湿さが際立ちスカッとした喧嘩ではなくなってしまった感じがするのです。そもそも今の子ども達は圧倒的に喧嘩慣れしていない子が多いと思われますし、下手に加減の判らないままやらせてしまうと決して大袈裟ではなく、命の危険に関わる事もあるのです。子どもの喧嘩に出てくる親ほどみっともない事はない。それは子を溺愛する親の愚行と称された故ですが、今は親としてきちんと状況を把握し、適切な対応が求められる御時世となっている事を知っておく必要があります。 自分の子供は小学3年生になるのですが、いつも仲良く遊んでいる隣の家に住む友達と喧嘩した時の話です。自分は仕事が休みだったので、家でのんびりしていたら子供の泣き声が響き渡りました。自分の胸に飛び込んできて「どうしたのか?」と聞くと隣の友達と喧嘩したと言いました。喧嘩の内容を聞くと、うちの子供が他の友達と遊んでいたら隣の友達が割り込んできて自分の子供と遊んでいた子供の邪魔ばかりするので、うちの子供が怒ったら、肩を突き飛ばしてきたらしくそれにムカついた自分の子供が掴みかかり、もみくちゃになったそうです。先生が喧嘩を止めにきて、喧嘩が終わったそうなのですが、それから学校で顔を合わせる度にわざと顔を背けて無視するそうなのです。 それは良くないと自分も思い、謝りに行こうと誘ったのですが、子供は頑として「嫌だ」と言っていうことを聞きません。すると、家のインターホンが鳴り、出てみると隣の親と子供がインターホンの画面に映っていました。先に謝りに来てくれたと思い、申し訳ない感じでインターホンに出たら、声がいつも喋ってるより低いトーンで明らかに怒っている感じで呼び出されました。 子供と一緒に出た自分は「うちの子供が手を出してしまって申し訳ありません」と謝ったら、「お宅はどういう教育しているのですか、うちの子供に手を出すなんて」と言われ、「先に自分の子供が手を出したんじゃないですか」と言うと言い合いになりそうだったので、我慢して「すいません」と謝りました。それから首を獲ったかのように上から目線で「お宅の子供は怪我しても構わないかもしれませんが、うちの子はこれから大事なサッカーの大会があるので怪我したらどうするのですか」と言ってきました。「そんなこと知らねーよ。子供の喧嘩ごときに親がシャシャリ出てくるな。」と言いたかったのですが、ずっと謝っていました。相手はスッキリしたのか「これからは気を付けてくださいね。」と言って帰っていきました。 それから隣の人と親同士で付き合うことはなくなりましたが、子供同士はいつの間にか仲直りして今でも仲良く遊んでいます。

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言葉を濁す

【漢字】言葉を濁す 【読み】ことばをにごす 【意味】はっきりと答えず曖昧な言い方をする。 【例文1】答えづらい質問に言葉を濁す。 【例文2】週末の予定を聞かれ言葉を濁す。 【例文3】恋人はいるか?と聞かれ言葉を濁す。 「言葉を濁す」とははっきり言わず、あいまいに言うことです。口を濁すとも言いますが本来の言い方は言葉を濁すになります。 そもそも「濁す」とは、水が汚れていたり不純物などが混じり透き通っていないことを指します。つまり言葉自体に何か混じってしまうと言葉が濁ってしまい本来の意味が伝わりにくくなるのです。 「言葉を濁す」と似ている言葉として「お茶を濁す」との違いですが、お茶を濁すはいい加減なことや適当なことを言ったりすることでその場を一時しのぎに逃れることを言います。意味合いは似ているようですが、お茶を濁すは相手に嘘をつくことになりますので少し意味が違ってきます。どちらにせよ、人に嘘をついたり物事をあいまいにすることには違いありませんので言葉を濁すと人との信頼を失うことにもなりかねません。 私の職場でも上司から質問されている部下が怒られたくがない為に質問の答えに対して一番肝心な所を言葉を濁していました。そのせいかその部下は上司からの信頼があまりなく肝心な事は頼まれないようになっていました。私も確実さが無いことに関して質問されると言葉を濁してしまうことがありました。しかし、信用がなくなると思うと何事もあいまいにしないことは大切なので自分のためにも言葉を濁すことはしないようにしましょう。 小学校四年生の頃の苦い思い出の話です。 入学した頃はみんな同じようなプラスティック製のぱかぱか蓋が開く、蓋の接着部分が磁石の筆箱を使っていました。 四年生ぐらいになると、ぱかぱか筆箱を使う子はだいぶ減り、筆箱にも様々な個性が出始めます。 文房具も然り、匂いつきの消しゴム、かわいい定規、ロケット鉛筆、鉛筆からシャーペンへ・・・ 四年生ってそういう時期だと思います。 わたしが小学校四年生の頃はカンペンケースが流行っていました。 わたしもいよいよ、ぱかぱか筆箱から脱皮し、カンペンケースを買ってもらえることになりました。 地元の小学生がみんな通う可愛いファンシーショップに意気揚々と買いに出掛け、そのお店で自分的には一番のカンペンケースを購入しました。 2段式で、蓋にはアイスクリームのイラストが書いてありました。一目惚れでした。 翌日みんながわたしのカンペンケースを褒めてくれてとても得意げになっていました。 3時間目の体育が終わり着替えを終え、4時間目の準備をしていた時、カンペンケースがなくなっていることに気が付きました。 泣きそうになりながら探していると友人のかばんからはみ出しているわたしのカンペンケースが・・・ 友人に聞いてみました。カンペンケースを知らないかと。言葉を濁した友人・・・ 初めて人間の本質を見た日でした。 曖昧な表現にすることを「言葉を濁す」と言いますが、物事についてはっきり言わない時点で誤魔化そうとする魂胆が見え見えです。 当然そのような人間は、世間一般に信用されるはずがありません。 嘘をつかないだけまだマシと考える人もいるかもしれませんが、適当に誤魔化す算段をしている辺りが相手を見下している証左です。 言葉だけでなく心まで濁った人間に時間を割いていては、こちらの気分までグダグダに腐りかねません。 時間をかけることが無駄と判明したならばすっぱり引導をわたすべきです。 下手に考える時間を与えれば、さらに手を変え品を変え騙す・泣き落とす・恫喝するなどの手段に及びかねません。 1人で断るのが難しいなら誰でもよいから応援を呼んでしまいましょう。 相手に誠意がないなら、正々堂々一対一で対応する必要など全くないのです。 都合が悪いことを誤魔化したり嘘をついたりしてその場だけを取り繕うような人間に将来性など期待する方が変というものです。 逆に自分にとって都合の悪いことについて隠したり誤魔化そうとするこもは避けるべきです。 大抵の場合、嘘をつく人間はうまく誤魔化しているつもりであっても、受ける側が態々嘘を指摘しないだけなのです。 言葉を濁してその場を取り繕い長く疑われるくらいなら、さっさと詫びた方が身のためというものでしょう。

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小手調べ

【漢字】小手調べ 【読み】こてしらべ 【意味】本格的に始める前に少し試してみる。 【例文1】小手調べに抜き打ちテストを始める。 【例文2】小手調べといくか。 【例文3】まずは小手調べとする。 剣道の太刀合いにて、お互いの実力又は出方を探る時に小手を撃ちに行って様子を見る事を「小手調べ」と言い、転じて物事の動向を探る時に軽く接触を試みる時も同様に言います。まずは自分から行動を起こして相手の出方を見る。それによって相手の実力や考えを推し量る手掛かりにします。相手が何枚も上手なら無理な勝負は避け、何とか五分に持ち込む様に仕向け、こちらが上なら頃合いを見て攻めに掛かる。その見極めには動作の大きい面や胴打ちに行くより、モーションの小さな小手打ちの方がリスクが少なく、万が一かわされても反撃に合う危険は小さいと思われます。こちらが先に動く事で相手はどう反応するのかを見られれば、自ずとこちらの対応も決められる訳です。 達人クラスになればそこは小手の応酬という事になる事もあり、何処で雌雄を決するのか凡人には想像も付かない結末が待っているケースもあります。世に出れば何処で誰と対峙せねばならぬか判りませんし、そんな時只闇雲に向かって行くのは得策とは言えません。相手の実力や出方を見極めた上で、自分の出方を決める方が相手に勝つ可能性がより高くなるというものです。その第一段階として行う事こそが「小手調べ」であり、その注意深さがあれば早々大事に至る事にはならないでしょう。 当社というか、我々の部門では恒例行事があります。それは新人の実力を見極めるための小手調べです。 最初の1週間は、自由にやらせます。仕事の内容も、まずは当社を知る、当社の扱っている商品を知るということでレクリエーション的なことを行います。 その1週間が過ぎた後、このイベントは行われます。社内の人間は誰しもが知っているのですが、誰も新人にそのことを話すことはしません。わざと新人に問題にぶち当たらせ、それをどう感じ、解決していくか。これを見定め、今後の教育方針を決めていきます。 大きく分けると2つほどとなります。 1つ目はわざと仕事を与えない。この時に、新人がどのような態度に出るのか。資料を読み込んだり、忙しそうな人に声をかけてくれば及第点です。逆に、席をはずして戻ってこなかったり、自分の時間を楽しみ始めたら教育指導が必要となってきます。 2つ目に、上司が怒った時の態度です。上司は少しのアラを見つけ、理不尽な理由で怒ります。それに対しどう反応してくるのかを見る試験です。どういった行動が正解というわけではありませんが、その後に先輩社員でフォローしてやることによって、「会社の一員」という意識を植え付けます。 他にも細かいものがあるのですが、これをやることにより、新人の本性を見極めることができ、どう教育していくか、担当はどこが適正化を考える1つの材料となっています。

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腰を抜かす

【漢字】腰を抜かす 【読み】こしをぬかす 【意味】非常に驚いて座り込む様子。 【例文1】心霊スポットですすり泣く声に腰を抜かす。 【例文2】通り魔事件に遭遇して腰を抜かす。 【例文3】ビックリして腰を抜かす。 ダイエットや体の健康のために、毎晩ウォーキングをしています。毎日時間は決まっていて、仕事から帰宅して夕食を済ませ一休みしてから行くので、午前0時頃が主流になっています。 ウォーキングの時間は、1時間30分程度で自宅周辺をコースにして妻と一緒に歩きます。 ある日、ウォーキングから自宅に戻ろうとしていたら、自宅の門の前に誰かいることに気がつきました。自宅の前は、奥まった路地のため暗くて良く見えず、1人誰かいるということしか分からないまま近づいて行きました。 私と妻が自宅の門に近づくと、お巡りさんが私達のいる場所と逆方向を見ていました。お巡りさんが振り返ると目の前に私達がいたので、驚いたらしく『何だ!』と叫び座りこんでしまいました。 腰を抜かすお巡りさんを見て、私と妻は思わず笑ってしまいましが、悪い気がしたので笑いをこらえてどうしました?と声をかけました。 現状を掴めたお巡りさんは、何されてますか?と私に聞いてきたので、目の前の自宅に帰るのですが何か?と言うと、『そうでしたかそれは失礼しました!』と言ってきました。 話しを聞くと、不審者がいるという通報があったらしく、交番のお巡りさんが近所を見回っていたらしいです。 お巡りさんとはいえ人間なので、腰を抜かす時もあるんだなと思いました。 祖母の家に帰省した時の事です。 昭和初期のまま時代が止まっているという言葉がピッタリのレトロな家に住んでいるのですが、 私は幼少の頃、祖母の家があまり好きではありませんでした。 なぜなら、私たちが寝る部屋には日本人形が所狭しと飾られているからです。 人形たちに見つめられているような気もしますし、精巧に作られているため今にも動き出しそうな…恐怖心にも似た気持ちがありました。 大きくなるにつれ、左程気にならなくなった頃に事件が起きました。 家族で布団を並べて就寝していたのですが、私は寝られずに寝返りを打ったりボーっとしていたのですが、 飾られていた大きな日本人形の手がスッと伸びたような気がしたのです。 「気のせいだよね!?」と人形に背を向け布団をかぶりましたが、気になって仕方ありません。 何度か寝返りを打ったところで眠りにつけるはずもなく、これは意を決して確かめないとダメだと思い起き上がりました。 そして人形の前に立つと…。何と右手と左手の長さが明らかに違うのです。 左手は手首が出る位ですが、右手は肘の手前位まで腕が伸びていました。 あまりの怖さにうずくまってしまい膝頭ガクガクと震えていました。生まれて初めて腰を抜かす経験をした瞬間でした。 とにかく寝ていた家族を起こそうと声をかけたのですが、 声がうまく出ずにモゴモゴしていると、ようやく家族が気づいて起きてくれました。 事情を話すと、小ばかにしたように薄笑いを浮かべていましたが、実際に人形を見ると表情が凍り付いてしまいました。 家族会議の結果、人形を確かめてみようという事になり、ガラスケースに入っていた人形を取り出しました。 人形の着物をめくり腕を見ると…肘までは精巧に作られた人形の腕が付いていましたが、二の腕部分からは竹ひごだったのです。 即ち、竹ひごが外れた為に腕が長くなっていたようです。 安心するやら可笑しいやらで夜中にも関わらず家族全員で大爆笑しました。 怪奇体験ではなくて本当に良かったと思っています。

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腰を据える

【漢字】腰を据える 【読み】こしをすえる 【意味】じっくりと一つの事を考える。または一つの場所に定着する。 【例文1】老後は海の見える田舎に腰を据える。 【例文2】老後は長男夫婦宅に腰を据える。 【例文3】地元に腰を据える。 先日中学生の長男が、足首が痛いという事で整骨院に行ってきました。部活でバスケットをしていることもあり、また捻ったりしたんだろうと思って受診したのですが、診断の結果がかなり意外でした。長男は赤ちゃんの頃ハイハイの時期があまりなかったり、小さい時に体を使って遊ぶ機会が少なかったりしたことが原因で体幹が弱く、正しい姿勢を保持できていない状態らしいのです。今の子供たちには結構多い事例のようなのですが、言われてみればこれまでも足首やかかとなどを痛めることも多くあり、体幹が弱いことが姿勢悪化につながり、関節などに負荷がかかってしまい、結果として痛くなってしまっていたようでした。その整骨院の先生がスポーツ関係のトレーナーなどもしている方でしたので、しばらく体幹の強化を目的に通院することになりました。そこで教わった体幹トレーニングの動きを毎日自宅で行い、数週間に1度通院して経過を確認してもらうという事になりました。長男本人としても、部活でかなり自信をつけてきていた時期だけに今のところ基本的なトレーニングを毎日文句を言いながらもこなしています。体幹トレーニングは1日やったからすぐに成果が出るという類のものではないので、しばらくは腰を据えて地道にトレーニングをしていくことになりそうです。

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腰を上げる

【漢字】腰を上げる 【読み】こしをあげる 【意味】ようやく行動に取り掛かる。 【例文1】頼まれ事にようやく重い腰を上げる。 【例文2】腰を上げるまで1時間かかる。 【例文3】腰を上げて仕事に就く。 腰を上げるとは何度もお願いをしてようやく行動することです。 私の会社の上司がそうです。何度も書類のチェックをお願いしているのに3回ほどいって期限がありますからと強気で言うとようやく重い重い腰を上げるのです。たかが確認だと軽く見てませんか?こっちはその承認待ちで他の作業に取り掛かれないでいるっていうのに・・毎回腹立ちます。 家では休みになると夫がゴロゴロしています。何もしないなら昼くらいまでゆっくり寝てればいいのに朝早く起きて何かを食べたいとか廊下を行ったり来たりしています。夫は出かけるのがあまり好きではありません。普段人ごみの中を毎日歩いて営業の仕事をしておりますから、休みの日だけは家でゆっくりしたいというのです。 そうはいっても子どもはまだ1歳半。公園でも遊園地でも遊びたい年です。今日は雨だったので体育館の中にある遊技場に行ってみようと声をかけました。 子どもも「行きたーーい」とはしゃいで、ようやく腰を上げたのです。まあ行ってみれば楽しいものです。あんなに嬉しそうな子どもを見てると可愛さあまって ウルウルきました。重い腰を上げて行動してくれたので今日はお寿司を食べて帰宅しました。

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故事来歴

【漢字】故事来歴 【読み】こじらいれき 【意味】古くから伝わる出来事のいきさつや由来。 【例文1】故事来歴に興味を持つ。 【例文2】故事来歴を調べる。 【例文3】故事来歴を曾祖父に聞く。 昔に比べると日本に観光旅行に来る観光客がたいへん多くなっているということです。 日本のさまざまな事柄を見たり体験したりして、感動を覚えるという人も多く、一度来日した人がまた来たくなることもあるようです。 何度も来日しているうちに、すっかり日本そのものを気に入って、日本に住み暮らしたいと思う人もけっこういて、有名なところで言えばアメリカ人のデイブ・スペクターさん。 奥様は日本人で、ダジャレが大好きなデイブさんはツイートで日本語のダジャレを書いているそうです。 デイブさんだけではなくて、外国人で日本の伝統的なことに興味を持ち、それを仕事としている人もたくさんいます。 茶道や華道を身に着け教師として日本人に教えている人や伝統的な工芸の技術を高齢の日本人から学び、残し伝えようと精進する人達。 またテレビでコメンテーターとして活躍しているロバート・キャンベルさんはたいへん博学で、日本の「故事来歴」についても非常に詳しいことが知られています。 こうして日本を愛して日本の歴史を大切にして、その伝統的な事柄を伝え残そうとする外国人の方々には脱帽です。 ぼんやりとただ日本で生まれ育ってきた私など、心から感謝の気持ちが湧いてきます。

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五十歩百歩

【漢字】五十歩百歩 【読み】ごじっぽひゃっぽ 【意味】どちらも大して変わらないこと。悪い意味で使われる。 【例文1】5分遅刻しようが6分遅刻しようが五十歩百歩だ。 【例文2】29点と28点を競っても五十歩百歩で赤点には変わりない。 【例文3】はたから見れば五十歩百歩の言い訳にすぎない。 五十歩百歩は有名なことわざで、私も使ったことがあります。 あまり良い意味では使いません。 大した差がないのに自分の方が上回っているとか、良いように思えるなどという人に対して言ったことがあります。 それは冗談交りの会話の時に用いているので、それほど相手も気にしていないようです。 しかし、世の中には冗談が通じない人もいます。 あまりそういう人と接することは少ないのですが、あらかじめ性格を知っていないと飛んでもないことになりかねません。 傍から見ていると大した差はないのに、人はなぜか優劣をつけたがってしまいます。 そこで多少自分の方が上回っていたとしても、周りからみれば大差はなく、まさに五十歩百歩です。 人のことはそう思えますが、自分のこととなると状況が変わってきます。 優劣を付けないように、違いを機にしないようにしても、やはり気になってしまいます。 それに自分が気付くと、なんて器の小さい人間だとがっかりしてしまうこともあります。 五十歩百歩にいちいち目くじらを立てずに、笑って水に流すような人でありたいと思います。 人は違って当たり前ですし、同じだったら逆に怖いことです。 それに気付いていながら、つい自分のことになるとムキになってしまうことがあるので気をつけていきたいです。 私が学生の頃には偏差値がありました。同じ生徒の間では今回の模試は80点取れた85点取れたなどのことをよく友達通しで競い合ったものです。80点も、85点も五十歩百歩なのですが、1点違っても入試は厳しいもので合格、不合格の線引きをされます。そこで私たちが学生の時は1点点数を上げるがために猛勉強をしたものです。しかし猛勉強をしてもそう簡単には点数は上がりません。それで落胆したり喜んだりという学生時代でした。そうした中で私は本番では思った点数が取れず、第一希望の大学には合格できませんでした。しかし社会人になった今、誰さんと誰さんの偏差値が3違ったなどは五十歩百歩だったと思います。職業に就くと、学生時代の高校なんかどこも五十歩百歩であることが分かりました。社会人になるとある程度の学歴は重要だと思いますが、実力の世界だと考えます。学歴が多少いいからと言って出世するとは限りません。仕事ができるか、コミュニケーション能力はどうか、性格的なことなど様々な観点から評価されます。大卒の人よりも高卒の人の方が出世する場合も多く見てきました。学生時代の成績なんて五十歩百歩なんです。だから、今の若者には勉強プラス色々なことに挑戦してほしいと思います。

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虎視眈々

【漢字】虎視眈々 【読み】こしたんたん 【意味】虎が鋭い目つきで獲物を狙っているように、機会を狙って成し遂げようとする様子。 【例文1】次期社長の座を虎視眈々と狙う。 【例文2】虎視眈々と女子社員が玉の輿を狙う。 【例文3】虎視眈々と次期選挙に立候補する。 虎視眈々という言葉は、たとえば「前回の社内の派閥争いでは敗れたが、専務は次期社長の座を虎視眈々と狙っている」というように使われます。 力のあるものが自分の望むものを手に入れるために、機会を狙って状況をうかがっているというのが、この言葉の意味と考えていいでしょう。 そうした様子を、獲物を狙う虎の目に喩えたわけですね。虎が獲物を狙う時に、その獲物に鋭い視線を送ることを、「眈々」という言葉で表現したわけです。 ところで、虎は強い動物なのですから、獲物を虎視眈眈と狙うまでもなく、さっさとハンティングすればよさそうなものです。何も、機会を狙って、相手の様子をうかがう必要はありません。 すぐに行動開始すれば、獲物はたやすく手に入りそうに思えます。 そう考えると、虎視眈眈という表現の虎は、意外に慎重です。いきなり行動を開始することはせず、まずは状況を把握しようとしているわけでしょう。そして、その状況によって、「よし、今ならまちがいなく求める獲物が手に入る」と判断したタイミングで、ハンティングを始めるのが、「虎視眈眈」の虎なのです。 この慎重さが、この表現のポイントになるニュアンスなのではないでしょうか。もともと実力がありながら、さらに慎重になって、失敗のリスク回避をするのが、「虎」に喩えられる人物なのではないでしょうか。

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この親にしてこの子あり

【漢字】この親にしてこの子あり 【読み】このおやにしてこのこあり 【意味】 【例文】 お父さん、お母さん、長男、長女、次男の五人家族であるお向かい一家。 お父さんは夜に仕事をしているらしく、わたしが通勤する時間帯にあちらはニッカポッカの出で立ちでご帰宅され、たまにエントランスなどで顔を合わせるが「ブサイクが」だの「なんだこの女?」だのすれ違いざまにぶつぶつとなぜか文句を言われています。 ちなみにそんなことを言われる心当たりは全くありません。 お母さんはというと、とにかく言葉遣いが汚く子供と話している言葉遣いがとても汚いです。 そんな両親はいつも大声で怒鳴ったいます。そのうち長男が号泣しながら玄関を飛び出してくるのです。何度か遭遇したことがありますが、そんな時、毎回長男は裸足です。一度はご飯が入ったお茶わんとお箸を持ったままだったこともあり異様な光景でした。 大声での「しつけ」が始まったら長く、ご近所の誰かが警察や児童相談所に通報します。我が家もたまに通報します。その度に警察や児童相談所の方と思われる方が訪問しているが、玄関で大声で警察や児童相談所のスタッフと喧嘩をしているのです。 かわいそうだ、と思いたいところだが、この親にしてこの子ありとはよく言ったもので、ここの長男は両親が留守だと思われる時、いつも弟、妹に大声を出しているそのさまは両親にそっくりです。 長男も被害者であるが、一番の被害者は長女と次男ではないでしょうか。

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腰巾着

【漢字】腰巾着 【読み】こしぎんちゃく 【意味】腰から下げる巾着のようにいつも側に付き添っている。現代では目上の人に機嫌を取る者を小バカにした言い方。 【例文1】奴は部長の腰巾着だね。 【例文2】腰巾着しかできないのか。 【例文3】腰巾着で出世しただけ。 会社にも学校にも、とにかく人がそれなりに集まればその中でカーストが生まれやすく、なんなら人が格差を作りたがる傾向にあるように思います。 自分より上を羨み、自分より下を見て安心する。 そうやって生き抜かないと、生きるのがしんどいのかもしれません。 会社には「太鼓持ち」や「腰巾着」が多く生息しています。きっと会社だけでなくあちこちに生息しているのだろうと思います。 でも組織で生きていると感じます。 太鼓持ちのなにがいけないのか、腰巾着のなにが悪いのか、とつくづく思うのです。 そうやって世を渡っていくのも立派だと思うからです。 太鼓持ちも腰巾着もわたしには到底無理です。 器用に生きれる人が羨ましいです。 きっと太鼓を持てる人、腰巾着になれる人はとても細やかな気遣いや気配りができる方なのだと思います。 きちんと割り切って考えることができ、忍耐強いのだと思います。 日々生きるだけでもしんどいのに、いつも誰かを気遣っているなんてなかなかできないと思います。 わたしもそういうことができれば、出世したり人脈も増えたのかな、と思います。 太鼓持ちも腰巾着もネガティブなイメージが付きまといますが、わたしはそうは思いません。 なれるのであればなりたい、太鼓持ちと腰巾着です。

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腰が弱い

【漢字】腰が弱い 【読み】こしがよわい 【意味】弱気な態勢。 【例文1】頼りがいがない弱気な男。 【例文2】前回チャンピオン相手に腰が弱い。 【例文3】おとなしくて腰が弱い。 「腰が弱い」という言葉があります。 わたしはまさに「腰が弱い」のですが、「腰が弱い」という言葉は様々な意味を持つようです。 普通に「腰が弱い」わたしのような人。シンプルにヘルニア持ちです。ヘルニアが出てきてしまうため立ち仕事はできません。本当は販売の仕事がしたかったのに、夢を叶えることができず今は座り仕事100%の事務職です。 このとおり、「腰が弱い」わたしなのですが・・・ しかしわたしは実は「腰が弱い」わけではありません。 というのも「腰が弱い」という言葉は気が弱いという意味で使われることもあるようです。 ヘルニア持ちで「腰が弱い」わたしですが、気が強くちっとも「腰が弱い」とは言えないのです。 逆に「腰が弱くない」けれど気が弱く「腰が弱い」方もいると思います。 日本語って難しいですよね。 現在、仕事柄海外の顧客と接する機会が多く、現地駐在員もいるし、顧客もだいたい日本語が話せるのですが、細かなニュアンスが伝わりにくいことがあり、語学の勉強をしています。 そこで日本語の難しさを実感しました。こんなに複雑な言語はほかに類を見ないのではないか、と思います。 日本語を使えている方は他の言語もすんなり入るんじゃないかなぁ・・・

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腰が低い

【漢字】腰が低い 【読み】こしがひくい 【意味】他人に対して謙遜している。 【例文1】営業マンは、腰が低くて愛想がある。 【例文2】接客業は腰が低いといけない。 【例文3】販売員は腰が低い。 仕事の関係で契約している会社があるのですが、その会社では必ず担当者が付くようになっています。もちろん私にも担当者がいるのですが、この人が本当に誰にでも腰が低い人なんです。会社に行くと、自分の担当者が他の人と話している時もあります。アポ無しで行くとこういうことも頻繁にありますね。結構聞こえてくるのですが、本当に穏やかな人なので結構強く言ってくる人もいます。しかし、そういうのも見事にかわしているんですよね。どうやってかわしているかと言いますと、本当に腰が低いので向こうも上げている拳をどうすれば良いのかわからないまま、こっそり後ろにしまうという感じでしょうか。本当に毒気が抜かれてしまうような人なんです。 私も、以前聞いてみたことがあります。本当にいつでもペコペコしているので嫌にならないのかなと気になってしまったんですよね。その時はうまくはぐらかされてしまいました。でも、今はわかったような気がします。というのも、クレーマーが来ても最後にはニコニコと戻っていくそうです。これは、彼にしか出来ないことだろうなと思います。 腰が低いと舐められてしまうのかなと思いましたが、強く出るのは自分の恐怖心の表現なんて意見もありますし、誰でも受け入れる気持ちがあるからこそ彼は成績が良いのでしょうね。 私が高校生の時にアルバイトしていた工場での出来事です。その工場は、コンビニなどのお弁当を作る工場で、ワタシはラインの流れ作業をしていました。 工場へは自転車で学校帰りに、制服のまま行ってたのですが、駐輪場には よく用務員のおじさんが庭掃除をしたり駐車場を掃除していました。時々話し掛けてくれたので、バイトの時間まで、よく立ち話をしていました。 古くからここで働いていると言っていたその用務員さんは、気さくな人で学校での悩み事や進路のことまで聞いてくれました。優しく相談相手をしてくれる、その用務員のおじさんが私は大好きでした! そんなある日、仕事をしていると、一人の男の人を先頭に何人かがゾロゾロと入って来ました。マスク&作業服を着ていたけど、目元を見た瞬間に、すぐ用務員さんだとわかりました! すると向こうも気付き、私に向かって声をかけてきてくたのです。「 お仕事お疲れ様みんな頑張ってくださいね」! 気さくな笑顔で、働いてる従業員達に声をかけていたその人は、その工場の工場長だったのです。 社員さんは皆さん知ったみたいですが、私達バイトは皆ビックリして、思わず手が止まってましたね(笑) 工場長は、バレたにも関わらず、また翌日には用務員の姿をして、職員皆を元気な挨拶とステキな笑顔で向かえていました。 おはよう!今日は暑いですね!気をつけ帰るんだよ! そういう声かけをしている、社長さんは立派だと思いました。偉い人ほど腰が低い・・・まさにあの方の事ですね。

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腰が抜ける

【漢字】腰が抜ける 【読み】こしがぬける 【意味】びっくりしすぎて座り込む様子。 【例文1】私がミスコン1位だなんて腰が抜ける。 【例文2】車にひかれそうになり腰が抜ける。 【例文3】夜道で人影を見て腰が抜ける。 ある夜、会社から自宅に帰ろうとしたら、いつも利用している道が工事中で通れなくなっていましたので、仕方なく、うす暗い細道を通るしかありませんでした。 その先はトンネルがありとても怖いのです。怖いと思うと余計怖くなるもので妄想も激しくなります。翌朝も工事中だったので、この道を通って会社に行きました。明るいうちはまだ何とか人もいるので怖くありません。 問題は帰りです。何か後ろに気配を感じました。 振り返ってみると、白い人?もの?が一瞬見えました。腰が抜ける思いでしたが、1秒でもその場を去りたい思いで必死で走りだしました。 私は怖さのあまり、一人ではおりきれず、下の階の大家さんちに駆け込みました。 大家さんに先ほどの事を話すと10年くらい前ひき逃げがあって、いまだ犯人が捕まっていない事を知りました。その人かどうかは分かりませんが、私の頭の中は悔しくてこの世に出てきているのだろうとしか思えません。また出てきたらどうしようとビクビクくして戸締りとカーテンを閉めて眠れない中、布団にはいりました。

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腰が強い

【漢字】腰が強い 【読み】こしがつよい 【意味】負けん気があり少々の事ではくじけない。 【例文1】腰が強くどんな困難な事にも粘り強く取り組む。 【例文2】母親になると腰が強い。 【例文3】腰が強いので頼りになる。 腰が強いとは 気が強くて容易に屈しないこと。 粘り毛が強い。また、弾力があって折れにくいこと。です。うどんや麺類の評価で使う腰が強い粘り気が強い、弾力があって折れにくいになりますね。 腰が強い母親のために人生を狂わされていく3人の兄弟の話が、小川洋子さんの「琥珀のまたたき」です。魔犬の呪いで妹を失ったと思いこんだ母親とその子どもたち。母と一緒に内縁関係だった父が残してくれた別荘に移り住みます。そこで父の手がけた図鑑を無造作に広げたページから、オパール、琥珀、瑪瑙という新しい名前を神託のように手に入れます。母だけは生活のために働きに出ますが、魔犬に襲われた時ようにと、つるはしを担いで毎朝出かけていきます。閉ざされた家の中で三人だけで独自に編み出した遊びに興じたり、庭の植物や生物を観察したり、父の残した書斎の書物から知識を得る彼ら。テレビやラジオといった外界とのつながりも一切ない中で母親による監禁生活が続きます。母の留守に出入りするようになった商人との交流によって、自分たちの生活がおかしなものだと気づいていきます。そして、彼らが救い出される日がきますが、それは母の死を示していました。

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腰が重い

【漢字】腰が重い 【読み】こしがおもい 【意味】なかなか行動しない。 【例文1】何をするにも怠慢で腰が重すぎる。 【例文2】休日は何事にも腰が重い。 【例文3】頼まれ事に腰が重い。 物理的・体型的にウエスト部分が重いから腰が重いという訳ではありません。 実際に太っている人の多くは軽快な動作からは縁遠いですが、「腰が重い」の言葉の意味は少し違います。 行動に移すのが遅い、初動になかなか移らないことを指して「腰が重い」と表現します。 座ったまま動かず立ち上がるにしても「どっこらしょ」とか言いつつ重荷でも背負ったような緩慢な動作をするのを見れば、腰が重いという表現にも納得がいきます。 そんな腰が重い人に行動させようとするのは結構な労力を必要とします。 命令で強制的に行動させる立場があれば楽なのですが、それでも何やかんやで難癖をつけて渋りそうです。 思慮深く慎重な性格の人も、なかなか動こうとはしません。 完全に納得させるほど説得力のある材料がなければテコでも動かないような偏屈な人に出会ったら諦める他ないでしょう。 逆にフットワークが軽く、思い立ったら即実行する人も問題ないとは言えません。 何の確認もせずに突進していき注意の欠片も払わず大失敗、さらには軽快なフットワークで全速力で逃げてしまう。 笑い話ならばともかく実際に身近にいられたら目も当てられない大惨事です。 自動車の運転と同じく、人生も法定速度を守りなおかつ周囲に迷惑をかけない程度の運行速度が必要です。

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古今東西

【漢字】古今東西 【読み】ここんとうざい 【意味】昔から今まであらゆる場所で。 【例文1】夏祭りの花火大会は古今東西で全国共通だね。 【例文2】風物詩の紅葉は古今東西どこ行っても綺麗だ。 【例文3】お祭りは古今東西賑わう。 古今東西昔とは昔から今まで。あらゆるもの。いつでもどこでもという意味です。 日本には四季があり、全国各地で様々な行事が昔から行われています。 春になるとお花見をします。桜の木の下で楽しい宴会が始まる事でしょう。 夏は各地で盆踊り大会や花火大会があり、浴衣姿が多く見られます。 秋は学校で運動会があり、家族みんなで子どもに声援を送ります。 冬は忘年会があります。スタイルは会社によりけりですが、1年の締めくくりとして慰労会を行います。 ちなみにわたしは滅多に着る機会がない浴衣が着れる夏が好きです。日本人として古くからある伝統は誇らしいものです。 では世界でみてみるとどうでしょうか? 先日最終回になったテレビドラマで海外旅行者が突然産気づいて病院に運ばれるシーンでした。助産師は中国語で泣き叫んでいる妊婦に向かってなんて言っているのかわからなーいといってお産に取り掛かりました。妊婦も日本語がわからないようでして、不安そうな顔をしていましたが、助産師が「お産は万国共通だガンバロ」と見ぶり手ぶりで励ましていました。国によって同じジェスチャーがまったく違う意味になるものもありますが、顔つきを見れば世界各地で察することができるものだなと考えさせられました。

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心を許す

【漢字】心を許す 【読み】こころをゆるす 【意味】警戒心を持たず、何でも話せる。 【例文1】20年来の友人にだけは心を許す。 【例文2】心を許す友達に相談する。 【例文3】心を許すのは彼女だけ。 最近会社で心を許す人は、上司でもなく、周りの正社員でもなく、実はアルバイト契約のおじさんです。この人はアルバイトでありながら仕事に対する姿勢が素晴らしいと感じます。そして会話をしていても合うし、私の唯一心を許す人です。若い頃の話を良くしてくれます。物凄くやんちゃをしてきて、周りにもかなり迷惑をかけてきたみたいです。私の若い頃に似ているのです。そして麻雀が好きでよく徹マンをしていたとの事で奥さんもだいぶん泣かされたようです。こんなにやんちゃをしてきたおじさん、現役の頃はやんちゃもしながら、最王手の財閥の会社に務められていました。仕事もバリバリ、遊びもバリバリしていたのです。今社内で煙草を吸うのはこの人と私のふたりになりました。よく煙草に誘ってくれます。多弁な彼は、今度は女性と遊んだ話を少し自慢げに言いますが全く、自慢人間だとは思いません。僕にとって会社で固まった人間よりも物凄く人間らしく見えるのです。時として、アルバイトですが私の上司の支配人や事務長にも食いかかって行きます。まさに人を選ばす凄く魅力的な人間です。その人と一緒に居るととても心が安らぐのです。最近仕事を辞めると言っていますが、いつまでもいて欲しいと思います。

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心を引かれる

【漢字】心を引かれる 【読み】こころをひかれる 【意味】魅力を感じる。 【例文1】ファッションセンスがある男性に心を引かれる。 【例文2】彼女の優しさに心を引かれる。 【例文3】髪が長い女性に心を引かれる。 私の友人に、見た目は悪そうですが優しくて温厚な性格の人がいます。 心を引かれるような人柄なので、彼の周りには昔から友人が多く集まります。そんな彼が結婚することになり、学生時代からの親友だったので、とても嬉しく思いました。 友人に新婦さんのどんなところに心を引かれたか聞くと、優しいところと言っていたので、優しい者同士が一緒になって良かったと思いました。 類は友を呼ぶと言いますが、正にその通りで、友人のように優しい者同士が結婚するケースもあれば、私のように少しケチな人間だと妻も少しケチです。 結婚すると毎日顔を合わせるだけに、同じタイプの人間同士の方が上手くいくのかなと思います。全てが同類ではなく、厳しい面が双方違うポイントにあったりすると、夫婦生活がより一層上手くいくのかなと思います。 例えば、私は細かい無駄遣いをするタイプですが、妻は細かい無駄遣いをしないので、適度な文句を言われます。 その文句が自分のブレーキになるので、行き過ぎた無駄遣いをしないですみ、家庭環境が維持できていると思います。 妻の場合は、細かい無駄遣いはしないものの、たまにいきなり高額な買い物を企てる時があるので、私が注意しています。 心を引かれる部分は人それぞれ違いますが、自分と同じ部分を持っているか、自分には無い部分を持っているかなどの場合に、心を引かれるのかなと思います。

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心を込める

【漢字】心を込める 【読み】こころをこめる 【意味】誠意がある。愛情がある。 【例文1】心を込めて両親に贈り物をする。 【例文2】心を込めて彼氏に手料理を作る。 【例文3】心を込めてマフラーを編む。 心を込めると簡単に言うと、愛情や配慮や願いや祈りの気持ちを含ませるということらしいです。 人って心がこもっているものか、または表面上のものなのか、なぜだか分かりませんが見破ってきます。 特に料理というのは、同じ食材を使って同じように調理したとしても好きな相手を思って作るのか、または嫌いなことを思って作るのかで味が変わってくるのが不思議ですよね。 私も昔はよく、母親が怒りながら作った料理はおいしくないなと感じていました。 なので料理人というのは大変な仕事だなと思うのです。 人には感情のムラがあるのが普通で、腹が立っているときもあるし浮足立った気分の時もあると思うのです。 気分のいい時は人に美味しいものを食べてもらいたいと思いながら作れますが、気持ちが下がっている時でも、毎日のように沢山の人にある一定以上の美味しさのものを提供するというのは大変なことだと思うのです。 気持ちってコントロールしようとしても、できないことも多いです。 その中で、料理に集中するというのは凄いことですよね。 少しでも、嫌なことに意識が向いて料理をしてしまったら不味いものができてしまってはお店の信頼に関わってきますからね。 なので、いつも美味しいものを提供するというのは簡単そうですごく難しいことですね。

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心を配る

【漢字】心を配る 【読み】こころをくばる 【意味】周囲や物事に細かく気を使う。 【例文1】彼女は誰にでも心を配る事ができる。 【例文2】心を配る人が好かれる。 【例文3】お年寄りに心を配る。 心を配ることを自然にできる人は素敵だと思います。 しかし、普段からそういう習慣がないと、なかなか心を配る行動はできないかもしれません。 一家の主婦は普段から家族のために心を配って、いろいろと家事をやっています。 その為、誰かのために心を配ることが自然に身についているので、他の場面でもそれを行動に出やすいのではないかと思います。 逆にいつも誰かに助けてもらったり、やってもらっていると、それが当たり前になってきます。 そのため、そういう人はなかなか心を配ることができにくくなっているかもしれません。 偽善的に心を配っても、それは相手や周りの人にわかってしまうものです。 やはい自然にそういうことができる人は、とても凄いと思いますし、素晴らしいと思います。 人格という表現がありますが、心を配ることができる人は、人格的にも素晴らしい人なのだと思います。 私もそういう人になれるようにしていきたいと思っています。 世の中の人がみな、心を配ることが自然にできるようになれば、今よりも争い事は少なくなるのではないかと思います。 私利私欲が先行してしまい、心を配ることをしない、またはできない人たちが増えてしまうと争い事も増えてしまうのだと思います。 この年になっても未だに出来ていない事があります。40歳後半、女性の寿命を考えても人生の折り返し地点にいるのに、未だに人のことを思いやるということが上手く出来ません。いや周りから見れば結構人に気を使っているいい人に見えるかもしれません。そういう風に見えるように日々心がけているからです。でも本当のところはまったく違っているのです。自分でスイッチをきちんといれないと人に気を使えないし、人に心を配ることが出来ないのです。 子どもの頃から親に「思いやりの心を持ちなさい」と言われて育ってきました。その言葉はきちんと自分の心の中にあるのです。でも言葉だけであって実際に思いやりってどういう心の動きなのかが実感出来ていなかったと思います。それは大人になった今でも同じです。人に心を配るってどういった心の感じなのだろうとつかめていない部分があります。分かっていないので多分自然に心を配ることが出来ていません。なので職場や人との関わり合いの中で「よし!心を配れるように気をつけよう!」というスイッチを入れている毎日です。だからそういったことが身に付いていてごくごく自然に出来る人は本当に尊敬します。 思いやりや心配りは言葉や知識じゃなくて心の動きとして小さい頃から育んでいくものだと思います。

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心を砕く

【漢字】心を砕く 【読み】こころをくだく 【意味】色々と気を使う。心配する。 【例文1】40歳になる独身の息子の心を砕く。 【例文2】ひとり暮らしの祖母の心を砕く。 【例文3】高齢の母の心を砕く。 「心を砕く」とは気を揉む、胸を痛める。苦心する、気を配ることです。NHKの「おんな城主直虎」の場面で、直虎の母は直虎を心配してしょっちゅう「心を砕いて」いるのですが、忘れられない母の気配りがあります。井伊家は今川家が負けるはずがない戦と思われた桶狭間の戦いに家臣たちと参戦します。ところが大雨に油断した今川家は戦場の陣中で飲酒休憩。突然現れたかのような織田信長の軍勢に今川家は大敗。井伊家でも当主の井伊直盛、奥山朝利、小野玄蕃、孫一郎と重臣たちが次々に討ち死にしたり、深手を負ったりします。一族の要といわれる人たちを亡くした井伊家。その大事件のあと、井伊家当主の妻である千賀は家族を亡くした者たちに自ら筆をとり、お悔やみの手紙をおくります。悲しみにくれる者たちに寄り添い、自分も主人であり当主を亡くしながらも気丈に当主の妻としての役目を果たすのです。その中で娘の直虎にも手紙をしたためます。その文言は悲しみをあらわにせず、次期当主としての定めを受け入れなければならない娘をただただいたわり、思いやる気持ちにあふれたものでした。家族を亡くした人を励ますのは難しいものです。ただただ寄り添うというのは言葉でいうほど容易いものではないのです。

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心を鬼にする

【漢字】心を鬼にする 【読み】こころをおににする 【意味】可哀想だと思いながらもあえて厳しくする。 【例文1】将来を考えて心を鬼にして子どもを躾けする。 【例文2】子どもでも時には心を鬼にする。 【例文3】心を鬼にして突き放す。 自分の子どもは可愛いですが、一緒に過ごしていると可愛い・楽しいだけでは済まないことがたくさんあります。特に、子どもを叱らなければならないことも多いです。私は幼稚園教諭という仕事をしていた経験もあるので、子どもを叱るということに関しては難しさを感じることはあまりないのですが、それでも時々胸が痛くなることもあります。 でも、子どもにとって、いけないことだと気づいたり感じたりすることが必要な場面では、やはり親が伝えなければなりません。そこで、子どものために心を鬼にするのです。可愛がるだけではなく、親は様々な役割を持ちます。人間ですから、機械的に何でもできるわけではなく、子どもと関わっていると心が揺れることはたくさんあります。そこで、自分の気持ちに迷いがあるままでは子どもに伝えたいことが伝わりません。叱るということが大切なのではなく、迷いを捨てて真剣に伝えることが大切です。ですから、言いづらいこともはっきりと言うために、心を鬼にするということが時には必要なのです。 心を鬼にするという意識でいる人は、普段は鬼ではないということですから大丈夫、と自信を持って、子どもと向き合いたいものですね。親がまっすぐ向き合えば、子どももまっすぐ育つと私は信じています。 私はとあるアート系の専門学校で職員として働いています。授業を見たりすることもあるのですが、生徒の作品を見ているとちょっと問題に感じることも多いのです。 特に思うのが、普段の授業課題や卒業制作展の出品作で、既存のアート作品とほとんど同じ作品を出している生徒がかなりの数いることです。最近では、あるアニメキャラクターのデザインをごく一部だけ変えて、オリジナルキャラクターと偽っていた生徒がいました。 また、この話は教え子の男子生徒から聞いたのですが、就職活動で志望先の企業に提出するポートフォリオという個人作品集があり、その表紙にする作品を、インターネットで見つけたミュージシャンのCDジャケットから丸々デザインを持ってきてしまったクラスメートがいたということでした。 彼は盗用した生徒と仲は良かったのですが、その子の将来のためを思い、心を鬼にして何度も何度も「盗作はしてはいけないことだ」と注意したのだそうです。ところが注意されたほうは、「そのジャケットは見たことがあるけれど、まねしてはいない」と猛反論。周りの友達も巻き込んで注意したにも関わらず、絶対に認めたり、作り直したりしようとしなかったとのことです。 これからプロになるのですから、やはりオリジナルのものを作ってほしいですよね。

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心を奪われる

【漢字】心を奪われる 【読み】こころをうばわれる 【意味】惹きつけられる。魅了される。 【例文1】すれ違ったイケメンに一瞬で心を奪われる。 【例文2】娘の花嫁姿に心を奪われる。 【例文3】音楽に心を奪われる。 心を奪われるとは何かに惹きよせられる、夢中になるという意味です。 みなさんも一度は心を奪われた事があるのではないでしょうか? 私はブランド品に心を奪われます。装飾品が大好きで特にバーバリーとグッチが好きです。お金に余裕がある月は好きな財布やマフラーを買います。 街中のショールームに並んでいる洋服やバッグはやはり心を奪われるものです。いつかは高級バッグがほしいです。 今は24歳で独身です。彼氏もほしいですし、30までには結婚もして子どももほしいです。クリスマスシーズンになると至るところにカップルが溢れていますね。 私も男性や幸せそうな家族に心を奪われる事はたくさんあります。 行事は恋人と過ごしている自分やかわいい子どもたちと遊んでいる家族像を描いたりしています。 しかし、勇気がなかったり恋人がいたりしてうまくいかないものです。何事でも一生懸命にやっている男性には心を奪われます。はやく彼氏を見つけたいです。

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心を打つ

【漢字】心を打つ 【読み】こころをうつ 【意味】しみじみ感じる。感動する。 【例文1】卒業式に我が子から心を打つ手紙を受け取った。 【例文2】心を打つ結婚式だった。 【例文3】母の日のプレゼントに心を打つ。 私は心を打つ作品が大好きで、小説、映画、ドラマなど幅広く目を通しています。 良く映画などで、心を打つ名作などと紹介される事があります。 そんな紹介をされたら、心を打つ作品を探している私ですから、見ない訳には行きません。 ですが実際に見てみると、心を打つ作品ではなかったことが何度もあります。 人の感性は人それぞれ違い、全く同じ感性を持っている人は二人といません。 ですからある人には心を打つ作品であったとしても、別の人にとっては心を打つ作品ではない事もあり得るのです。 という訳ですから、たとえ心を打つ作品と銘打った作品だったとしても、必ずしも心を打つとは限らないのです。 私はこんな経験を、これまで何度もして来ました。 逆に言えば、名もない映画やドラマだったとしても、自分にとっては心を打つ作品かもしれません。 なので無名の映画やドラマだとしても、私は目を通すようにしています。 自分にとって心を打つ作品はどこに転がっているか分かりませんから、人の評価に左右される事なく、多くの作品に目を通すようにしているのです。 ですから私と同じように心を打つ作品を探している方は、人の評価などに惑わされる事なく、いろんなジャンルの映画やドラマを見て欲しいと思います。 子供はいつの間にか成長しているものです。 保育園に通い始めると、わたしの知らない世界を彼らは持ち、様々なことを吸収してきます。 病気然り、流行りの言葉然り・・・ 中には眉をひそめてしまうようなことも吸収してきます。汚い言葉遣いやいたずらなど。 でも素敵なことに感化されしっかり吸収してくることも多いのです。 先日、甥っ子(5歳)に「〇〇(わたし)は最近楽しい?」と聞かれました。以下、会話をお楽しみ下さい。 わたし「まあまあかな、甥っ子くんは?楽しい?」 甥「おれのことはいいの!もしいやなことをされたらおれに言いな!」 わたし「えっ助けてくれんの?」 甥「男には7人の敵がいるんだ、1人増えても変わんないし」 びっくりしました。5歳の「男心」が40歳の叔母が心を打つなんて。男には7人の敵がいるんですって(笑) 5歳がどこでそんなことを覚えてきたのか。 妹もそばでそのやりとりを聞いていてびっくりしていました。 クレヨンしんちゃんの世界みたいだなーと思いました。 うちの子たちはそんなキザなこと言わなかったなぁー、平成生まれでも随分違うもんだなぁと実感しました。 そして少しだけ甥っ子がどう育つのか心配になる叔母なのでした。

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心を痛める

【漢字】心を痛める 【読み】こころをいためる 【意味】深刻な悩みを抱えている。 【例文1】病弱な体に心を痛める。 【例文2】殺人事件のニュースに心を痛める。 【例文3】事業がうまくいかず心を痛める。 テレビやラジオで、度々少年少女の自殺のニュースが伝えられます。 このニュースを聞く度に、私は心を痛める思いをしているのです。 若い人たちはまだまだ、これから何十年と生きる事が出来ます。 ですがそれを放棄して、自ら命を絶ってしまうと言うのは、もったいないと言わざるを得ません。 自殺までしたのですから、相当ひどいいじめを受けたのに違いありません。 そこまでひどいいじめを受けたにもかかわらず、周りの大人が気付かないのはおかしすぎます。 何か一つでも、おかしいなと思った所があったはずです。 そこを見逃したために、子どもたちは自殺をしなければならない状況にまで追い込まれてしまったのだと思われます。 親は、子どもを健やかに育てる義務があります。 ですから少しでも子どもに異変を感じたのならば、その異変をほって置く事無く、異変をなくす努力をするべきです。 親や学校の先生だけでなく、子どもたちが住んでいる地域の大人たちも、子どもの異変に早く気付いてあげれるように普段からコミュニケーションをとっておくのが大切です。 たとえ子どもが大丈夫、放っておいてと言っても、さりげなく話を聞いてあげたり、 毎日様子を見ておきましょう。

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心許ない

【漢字】心許ない 【読み】こころもとない 【意味】頼りなさそうで不安な様子。 【例文1】子ども達だけで飛行機に乗せるのは心許ない。 【例文2】旦那と子どもを残して同窓会に出席したが、心許ない気持ちだ。 【例文3】心許さない初めての一人暮らし。 総理大臣が変わったり、内閣改造などが行われると、各省庁の大臣が変わることが多いです。 大臣は各省庁のトップであり、各省庁の行く末は、大臣にかかっていると言っても過言ではありません。 ほとんどの大臣は頼りがいがあるのですが、中には心許ないと思える大臣も必ず存在しています。 就任会見の時点から、原稿ばかりに目を落とし、まともに前を向いて話していない大臣がいます。 これでは自分の意見を持たず、省庁の官僚の良いように動かされているようにしか思えません。 また記者に質問をされた時に、直ぐに回答する事が出来ず、官僚に聞く大臣も見受けられます。 更に喋ったら喋ったで、失言をして、批判を受ける事もよくあります。 こんな心許ない大臣では、我が国の行く末を任せる事は出来ません。 その道に精通している国会議員がいないのであれば、民間から大臣を登用した方が、よっぽど国民の為になると思います。 わたしは大学を卒業するまで1人暮らしをしたことがありませんでした。長女のわたしに対し母は過保護に干渉し、わたし自身も自分を主張するより母の過保護に甘んじることで楽をしていました。母の希望もあり大学受験で選んだ大学も家から通えるところでした。親の手厚い保護に守られてきましたが、大学へ通うと県外から来た生徒や今まで会ったことがない人たちに出会い、自分も1人暮らしをしたいと思うこともありました。しかし母はわたしの1人暮らしを簡単には認めず、家賃・生活費を自分で支払えるなら認めると言います。学生のわたしには無理だと分かっていながらの発言でしょう。そんな家庭でしたが、大学卒業後に長期留学することに決めました。それについてはありがたいことに反対することなく両親ともに費用をだし応援してくれました。海外へ行くのは3回目、1人暮らしは初めて、空港までは家族が見送ってくれましたが、留学先へ向かう飛行機では1人、なんとも心許ない気持ちでした。上空の飛行機の窓から見る現地は広くどこまでも大地が広がり自分で決めたこととはいえ、いよいよここでの生活が始まるのだなというのを実感し、期待よりも心細さが勝っていました。現地の空港では迎えはありましたが、基本は1人での生活がはじまりました。

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心にもない

【漢字】心にもない 【読み】こころにもない 【意味】本心ではない。 【例文1】心にもないお世辞を言って上司の機嫌を取る。 【例文2】心にもない言葉も時には必要だ。 【例文3】心にもない営業トークで話す。 心にもないことって、相手の気持ちを考えずに発言する事と言う意見をよく目にしますが、私は暴言などではなく、本当は思ってないのに、その場の雰囲気だったり、自分を良く見せるために使われる事の方が多いような気がします。 友達に自分はすごく弱者で、何もできなくて、自信がなくて他人のする事なす事全て「いいなぁ。才能があって。私にはできない」と言う人がいます。 才能の部分はセンスがあってとか、行動力があってとか、若く見えてとか、その時々で入れ替わります。 でも、話していると、決して自分が劣っているとは考えていない事が垣間見えたり。自分はこんなに頑張ってるのと言う気持ちがありありと見える事が多いです。 ただただ、会話に「心にもないこと」を連発してしまうこの心理状態の本性はなんなのだろうと考えました。 心にもない事を言うのは決して虚言癖ではなく、相手を必要以上に褒める事によって自己防衛する気持ちが働いているのかもしれない。 こう理解していても、あんまり気持ちの良いものではないですけれど。 逆に、相手を思って、心にもない厳しい事を言ったり、心配で仕方ないのに、気にも止めていないような言葉を発することもあると思います。 こちらは前者と違って、自己防衛ではなく相手に対する思いやりだったりするので、違う意味での心にもない言葉になると思います。 人を傷つけるような、心にもない事は冗談であっても言ってはいけないと思っている私。なぜなら、心にもない事を言う事こそ、自分の価値をさげる余計な一言だからです。そしてその一言は、価値を下げるだけでなく、何にもおもしろくないし、雰囲気悪くなるし、全く笑えません。そのため、親やお友達、会社の同僚、後輩…ここ何年も彼らにそんな事は言っていないと言いきれます。 それなのに、どうしても言ってしまう相手…それは主人です。主人とケンカするとき、どうしても言ってしまう心にもない事。 これほど余計な一言はないと思います。だいたいこの一言はケンカをヒートアップさせるし、相手を傷つけしまうし、自分も言ってしまったことの後悔と罪悪感でいっぱいになってしまいます。ごめんなさいと言ったところで、言ってしまった事実は変わらないし、実は心のほんのどこかの部分で、ほんの少しそう思っていたんじゃないかと自分を疑うし、本当に嫌です。 最後には仲直りして、心にもない事をぽろっと言った私は、どんな言葉を言ったかそのうち忘れてしまいますが、言われた方はそんな簡単に忘れられないですよね。どうして主人にだけは言ってしまうんだろう。とても大切な相手なのに。

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心に触れる

【漢字】心に触れる 【読み】こころにふれる 【意味】素直に自分の気持ちや思いを語り合う。 【例文1】この人ならば心が触れ合えると感じる。 【例文2】心に触れる友がいてくれてよかった。 【例文3】母にだけ心に触れる。 洋画・邦画テレビドラマには、心に触れる作品がたくさん存在しています。 他にも、心に触れる作品は存在しているのです。 それはアニメーションです。 一般的にアニメと言うと、子どもが見るものと思われ、大人の方はヲタクだとかなんとか敬遠してしまうことでしょう。 しかしアニメが子ども向きと考えるのは一昔前までの考えであり、今は大人でも心に触れるアニメはあるのです。 小説などを映画化する場合、実写化が難しい時は、アニメーションで映画化する場合があります。 アニメは絵ですから、実写では不可能な演出をいくらでもする事が出来ます。 ですからアニメでなければ、心に触れる作品が作れない場合もあるのです。 今は昔よりも大人の人でもアニメをよく見る様になりましたが、その多くがオタクと呼ばれるアニメ好きの大人であり、一般の大人の人はまだまだアニメに対して抵抗感を持っているようです。 ディズニーアニメ映画を見る人はかなりいるようですが、我が国のアニメ映画を見る人はまだまだ少ないのが現状だと言えます。 心に触れるいい作品に巡り会う為には、アニメだからとか言う偏見を捨てほしいです。

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心に残る

【漢字】心に残る 【読み】こころにのこる 【意味】感動がいつまでも残っている。 【例文1】心に残る卒業式だった。 【例文2】心に残る結婚式だった。 【例文3】心に残る新婚旅行だった。 自分の人生を振り返った時、心に残るものや出来事はそう多くはないかもしれません。 今後の人生でももしかしたら、心に残ることがあるかもしれません。 普段は今の日常に追われていて、過去の心に残ることを忘れてしまっているだけなのかもしれません。 何かをきっかけにして、それをふと思い出してしまうことがあります。 私は最近、今までの写真の整理をしています。 一昔前まではデジカメがなかったので、カメラに撮った写真は写りが良くても悪くても全て現像に出していました。 その為、アルバムを見返してみると、写りの良くない写真もたくさんありました。 また、中には何を撮っているのかよくわからない写真もありました。 そのため、写真を整理して、心に残るものだけを残しておくことにしました。 写真を整理していくと、当時のことが蘇ってきました。 自分自身の変化を見ることができましたし、自分へのイメージも以前とはずいぶん変わったように思います。 心に残る出来事はいくつか思い出しましたが、再びその頃に戻りたいとは思いません。 やはり今は今が一番良くて、さらに未来に向けて進んでいきたいと思っています。 これからも、心に残る思い出を少しでも増やしていけたらと思っています。 私は今まで生きてきて、心に残る出来事にたくさん出会ってきました。それは、仕事の面でも私生活の面でもです。子どもの頃の記憶はどんどん薄れていき、本当に大きな出来事、それこそ強く心に残ったことだけが思い出されます。嬉しかったり楽しかったりといったプラスの感情を抱いた出来事だけでなく、深く傷ついたり後悔したりといった出来事も、心に残ります。むしろ、そちらの方が強く刻まれている気がします。「心残り」という言葉にはあのときああしていればよかった・できなくて残念だったという後悔の念が込められています。そのような心残りだった出来事はなかなか忘れることができません。 私自身も、自分が体験してきた心に残る出来事にはいいものも悪いものもあります。しかし、悪いものの中にはその後の経験で上書きされてきたものもあります。悪いものというだけでなく、いい経験をしたと思えるようになったのです。後悔して忘れられなかったことでも、その後同じようなチャンスを得たときに、失敗した経験を生かすことができたことがあります。そのようにしながら、記憶の書き換えをうまくして生きていけるのではないでしょうか。心に残る出来事から目を背けないで、しっかりと感じることが大事だと思っています。

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心に刻む

【漢字】心に刻む 【読み】こころにきざむ 【意味】心に思い留めておく。 【例文1】父母の言葉を深く心に刻む。 【例文2】恩師の励ましの言葉を心に刻む。 【例文3】祖父の遺言を心に刻む。 心に刻むとは、深く心にとどめて忘れないことや、肝に銘じることを言います。例えば、「恩師の言葉を心に刻む」というように使います。この場合は、肝に銘じることです。また、素晴らしい風景を見た時など、その風景を心に刻むという用にも言います。この場合は、素晴らしい風景を深く心にとどめて忘れないということになります。つまり、しっかり記憶に止めることもまた心の刻むということの一つです。更に、オリンピックのフィギュアスケートで名選手の演技を心に刻む人もいることでしょう。スポーツでは、このようなことが多くあります。いつまでたっても記憶の中に残っているという場面がいくつもあります。 あるいは、本を読んである言葉が心に刻まれることもあるでしょう。座右の銘などはそれにあたります。ほんの一言が人生を変えることすらありますから、心に刻むと言うことは大切なことなのです。先程は例として恩師の言葉をとりあげましたが、この言葉が親や兄弟、友人であることもあります。そして、決して良い意味だけではありません。友人の言葉に発憤して偉大な事を成し遂げた人もいます。嫌なことを言われたのでしょう。しかし。それを糧に大成功を収めたのです。このように心に刻むこもあるのです。 心に刻むとは、深く心に留めて忘れないことを意味します。恩師の言葉を心に刻む、今日見た風景を心に刻む、今日の出来事を心に刻むとなどといった場面で使うことが出来ます。 私は去年の夏に沖縄県に旅行に行きました。その時に見た真っ青な空やダイビングをした時に見た真っ青な海や魚、夕暮れの海岸などその時に見た風景一つ一つを心に刻んでいますので今でも目を閉じると思い出すことができます。 他にも学生時代の恩師の言葉で、「自分のためよりも人のために動きなさい。人のことを一番に考えられるような人になりなさい。」という言葉を今でも心に刻んでいます。恩師の言葉を忘れないよう、社会人になった今でも人のことを考え動くようにしています。恩師のこの言葉があったから、この言葉通りのことを実践してきたから、人に感謝されることも多く、それが自分の糧となっていると思っています。学生時代の3年間の間に恩師がそのような言葉をかけてくれたのは今私にとってとてもプラスになっています。恩師への感謝の気持ちを忘れず、心に刻んだあの言葉を忘れず、これからも頑張って行きたいと思います。 このように風景や言葉だけに限らず心に刻んでいたい場面はたくさんあると思います。自分にとって大切だと思ったものはしっかりと心に刻んでこれからに役立てて行きましょう。

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心に掛ける

【漢字】心に掛ける 【読み】こころにかける 【意味】忘れず心にとどめておく。 【例文1】父母の「感謝の気持ちを忘れず」という言葉を心に掛ける。 【例文2】恩師の言葉を今も心に掛ける。 【例文3】親切心を心に掛ける。 人にも物にも心に掛けることの重要性を感じます。 私は植物を育てるのですが、ただ何も考えずに水やりをしたり肥料をあげるのと、目をかけ手をかけ心を掛けて水やりなどすると育ち方とか丈夫さが違います。 もしかしたら、思い違いなのかもしれませんがそうじゃないように思います。 水をあげるという行動は一見同じようなに見えますが、心に掛けるって、物や相手を思いやる気持ちからくるので微妙に相手の状態に合わせて手の掛け方を調整するんですよね。 微妙といいますが、それが毎日の積み重ねでいくと、植物だったら実り方や成長具合に大きな差が生まれてくるのも当然だと思います。 人もそうだと思います。 人に心を掛けると、心を掛けられているほうも何となくわかりますよ。 それがプレッシャーになったりすることもありますが、基本は愛情ですよね。 愛情がないと人も育たないです。 企業でも社員を育てようと教育しますが、愛情がなくただのマニュアルで教育をしようとしたって育つものも育たないように思います。 それに幾ら仕事だとしても、愛情をもって作られていない商品やサービスには顧客も心惹かれません。 実際、値段が高くても心をこめて作った商品がものすごく売れるってことがあります。 値段だけで人はものを選んでいないんですよね。

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心に浮かぶ

【漢字】心に浮かぶ 【読み】こころにうかぶ 【意味】おもい浮かぶ。 【例文1】一人暮らしが長く、実家の父母の顔が心に浮かぶ。 【例文2】故郷が心に浮かぶ。 【例文3】年老いた両親が心に浮かぶ。 「心に浮かぶ」とは「心に現れてくる。思い出される」という意味です。心に浮かんだ情景を和歌に詠むのが歌人です。歌人というと特別な人のように思えますが、古代では、和歌を送ることで気持ちを伝え、和歌を返事として返しました。お互いの恋愛感情を詠んだ、往復書簡のような和歌を相聞歌と呼びました。このように和歌は古代から日常の中に普通にあるもので、特別な人々が文学的表現を競い合うようなものではありません。その普通の人々が詠んだ和歌で、現代にも伝えられ心を揺さぶられるのが、防人の歌です。防人は古代、東国から筑紫、壱岐、対馬などに赴任し、大陸からの侵略を防ぐ北九州の守備をする兵士のことです。三年毎に交代することになっていました。その彼らの詠んだ和歌が万葉集に防人歌として集録されているのです。東国の方言を用いて、親子、夫婦の哀別を歌った秀逸な和歌が多いのです。例えば「父母が頭かき撫で幸くあれて言ひし言葉ぜ忘れかねつる」(両親が私の頭を撫でて無事であるようにと言った言葉を忘れることができない)や、「韓衣裾に取りつき泣く子らを置きてそ来ぬや母なしにして」(裾に取りすがって泣く子供たちを置いてきてしまったことだよ。母もいない子どもたちであるのに)などは兵役を課せられて遠くへ来ている中で、心に浮かぶ両親や子どもを詠んだものです。とても身につまされる歌ですね。

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志を立てる

【漢字】志を立てる 【読み】こころざしをたてる 【意味】目標を持って成し遂げようとする気持ち。 【例文1】彼は18歳の時から起業すると志を立てた。 【例文2】志を立てると意欲がわく。 【例文3】家庭を持ち志を立てる。 「志を立てる」とは「目的を決め、必ず実現しようと心に誓うこと」です。「志を立て」実行した人の中に玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)法師がいます。彼は8歳のころからお経を父から学び、10歳で父が亡くなると兄が出家して暮らしていた浄土寺でお経を学び始めます。浄土寺で度僧の募集がかかりますが、玄奘は年が若く受験すらできません。それで彼は門の所で試験役の僧を待ち受けます。事情を話すと「なぜ僧になりたいのか」と問われます。「遠くは如来を紹し、近くは遺法を光らせたいから」と答え、これに感じ入った僧は、「この風骨は得がたいものだ」と特例として受け入れ、兄と一緒に浄土寺に住むことになります。629年の21歳の時、玄奘は仏典の研究には原典に拠るべきであると考え、仏跡巡りを兼ねてインドへ行こうとしますが、唐王朝から出国の許可がおりず、密出国します。巡礼や仏教研究を行って16年後の645年に経典657部や仏像などを持って無事に戻ります。唐では太宗の時代になっており、玄奘三蔵法師は密出国を咎められることもなく、彼の業績は太宗に高く評価されました。以後、翻訳作業で従来の誤りを正し、法相宗の開祖となりました。また、このインドへの旅を地誌『大唐西域記』として著し、「西遊記」のもととなります。彼のお蔭で日本には正しい訳の経典が伝わったのです。

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心が弾む

【漢字】心が弾む 【読み】こころがはずむ 【意味】とても楽しみである。ウキウキする。 【例文1】孫の誕生に心が弾む。 【例文2】近県に住む娘家族が帰省するので心が弾む。 【例文3】同窓会のお知らせに心が弾む。 ペットのセキセイインコが入院しました。原因ははっきりしないが、突然餌を食べなくなってしまったのです。前日までは元気に食べていたのだが、糞の色が緑色に変わっていました。以前、メガバクテリアのために体調がおかしくなり注射をしたり薬を飲んだこともあり、この時にも糞の色が緑色に変わった事を思い出しました。同じことが起きたかと思って動物病院に連れていったのだが、原因はメガバクテリアではありませんでした。餌を食べるようであれば問題ないということであったが翌日も元気そうにしているが、それでも餌は食べようとしません。 入院期間は餌が食べられるようになるまでという曖昧な診断でした。人間以外はほとんど知らないインコがいきなり犬や猫などと一緒の病棟に入れられるのだから環境の変化にびっくりしてますます食欲がなくなると思わます。面会はできるのだが、1時間半ほどの距離なので毎日行くこともできません。顔を忘れられないように家族で交代で様子を見に行ったが、強制的に餌を食べさせられる姿は拷問にも思えました。籠に近づくとすぐによってきて早く帰りたいとでも訴えているかのように声を出していました。長期入院も覚悟したが、2週間ほどで退院できるという連絡を受け、これまでになく心が弾む朝となり出かけるまでの時間が長く感じました。

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心が通う

【漢字】心が通う 【読み】こころがかよう 【意味】お互いが充分理解し合っている。 【例文1】20年以上も一緒にいれば家族の心が通う。 【例文2】心が通う親友に相談する。 【例文3】何も言わなくても心が通う。 娘とは好きなものが似ています。 音楽、ドラマ、テレビ、お笑い、書物などなど。 心が通う瞬間を感じるインスピレーションが結構頻繁にあります。 一緒にテレビを見ていて「このCM好きでしょ?(笑)」とニヤニヤして言われたCMはもれなく好きだし、「この曲誰が歌ってんの?」と聞くと「わたしも最近ハマってて今日彼氏んちにCDがあったから借りてきたんだけど聴く?(笑)」と返されたり、「お母さんが好きそうなショップ見付けたから行こう」と連れて行かれたお店は好きです。 野球を見ていても「お母さんこのバッター好きでしょ(笑)?」もちろん粘るバッターとフルスイングするバッターは大好き。 お笑いのバトル番組を見ていても優勝予想は同じ。 仕事帰りに電車を降りると改札口に娘がいて「やっぱり同じ電車だったわー!なんかそんな気がしたんだよなー」 さすがにこれにはびっくりしました。 もちろん逆もハズレなしです。 わたしの方から娘に「こういうの好きでしょ?」と言ってもたいがい当たっています。 でもだからといって全て同じではなく、その証拠に現在も喧嘩中です。 しかし喧嘩中でも娘が好きそうなものを見付けると購入してしまうのが母の性なのです。

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心が重い

【漢字】心が重い 【読み】こころがおもい 【意味】元気が出ない。気分が満たされない。 【例文1】心が重いのでヒトカラで発散する。 【例文2】女性にフラれ心が重い。 【例文3】高齢で独り身は心が重い。 私は時々、心が重いと感じることがあります。 そういう時は何らかの原因があり、必要以上にそれにこだわりすぎているようです。 心が重い時は何らかの自分なりの解決が必要です。 それが原因で不眠になってしまうこともあります。 心が重い原因を紙に書き出すことで、自分の心の中が明確になっていきます。 紙に吐き出すことで、悩みの原因と解決方法が見えてくることがあります。 時には解決の糸口が見えてこないこともあります。 そのような時は思い切って心の中で棚上げにしてしまいます。 頭の片隅では考えていても、意識を別の方向に向けることによって、心が重い悩みと距離を開けることができます。 問題解決は案外、距離が近すぎて見えないことも良くあるものです。 全く違う思考をしている時に、ふと良い解決方法が浮かぶことがあります。 その為、今すぐ解決できないことは無理して答えを求めずに、しばらく保留にするのも一つの方法かもしれません。 白か黒しかない答えでは、ますます心が重くなってしまいます。 自分の中でグレーの領域を持つだけでも、かなり心は軽くなると思います。 心が軽くなれば気分も楽になりますし、解決への道は近くなるでしょう。 心が重すぎて、心身の病気にならないように気をつけたいものです。 人間の寿命はとても長く、寿命を終えるまでに色々な事を経験します。 その経験には嫌な思いをする事もあり、そんな時に人は、心が重いと感じる事があるのです。 心が重いと感じても、短期間でその心の重さが消え、普通の心に戻る事が一般的です。 ですが時には、心が重いと感じる事が、長期に渡ってしまう事があります。 心が重いと言う感覚が長く続いてしまうと、うつ病になってしまう恐れがあります。 単に気が落ち込んでいるだけだと言う人もいるかもしれませんが、それが長く続いてしまっているような場合は、気が落ち込んでいるとは言い難いです。 心を重くしてしまった原因が取り除かれたにもかかわらず、それでもなお心が重いと感じているのならば、うつ病を疑うべきです。 うつ病な中々自分では気づきにくいですから、少しでもその兆候を感じたとしたら、直ぐに精神科などを受診した方が賢明です。 また、周囲に気が重いとつぶやいている人がいたとしたら、その人もうつ病の恐れがありますから、注意深く観察する事をお勧めします。 うつ病は自ら命を絶つと言う最悪な結末を迎える事がありますから、周囲の人が注意する必要があるのです。

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こけら落とし

【漢字】こけら落とし 【読み】こけらおとし 【意味】食べ物の柿と漢字が同じに見えるが、木へんに右のつくりは一を書いてから巾と書き一をつきぬけて書く。杮(こけら)とは木の削りくず。新築や改装工事が終わった際に、出てくる屋根の屑を 払い落として綺麗に仕上げることから、新しくなった劇場にて行われる初公演を意味する。 【例文1】初舞台は満員御礼のこけら落としだ。 【例文2】いよいよ劇場オープニングのこけら落としだ。 【例文3】こけら落としのお祝いに花を贈る。 こけら落としとは、新規に建設された劇場で打たれる初めての興行や催しを指す言葉で、「こけら」はもともと木のかけらや木片という意味で、建物建築の最後に必ず仕上げで木のくずをはらったり余計な木片を落として完了となる作業からそうよばれるようになりました。基本的に屋根のある建物にしか当てはまらないので、この言葉は劇場のオープニングに使われるのが正しく、屋外の運動場や、競技場のような場所ではたとえ新設でもこけらおとしとは言わないのが普通です。明治44年3月に日本に初めての西洋劇場が誕生して、ルネッサンス様式という鉄骨構造の建築が一躍日本中の注目を集めました。この劇場は帝国劇場と名付けられ、日本で初めての西洋劇場というだけでなく歌舞伎も上演できる日本独特の劇場として新しい歴史をつくりあげたのでした。この帝国劇場ではこけら落とし用に一般公募した脚本が選ばれ催しされたのは「頼朝」という題でありました。こけら落としは今日でも特別な題材をモチーフに座組を作って華やかに演じられることがおおく、最初に’式三番’(能や狂言にちなんで行われる芸能の一つ)を演じたりして、古典儀式を重んじる傾向がまだまだ強い伝統を色濃く残す催しのやり方です。

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虎穴に入らずんば虎子を得ず

【漢字】虎穴に入らずんば虎子を得ず 【読み】こけつにいらずんばこじをえず 【意味】虎の穴に行かなければ虎の子を獲ることができない。大きな成果を得るには危険やリスクを負う事になるという戒め。 【例文1】虎穴に入らずんば虎子を得ずで、会社設立には多額の借り入れが必要だ。 【例文2】ギャンブラーは虎穴に入らずんば虎子を得ず。 【例文3】虎穴に入らずんば虎子を得ずで投資にはリスクがつきもの。 人生に失敗はつきものですが、できることなら失敗はなるべく避けたいものです。そうは言っても、失敗は成功の母とも言うように、何かに成功するには失敗がつきものです。もしかすると失敗したまま、自分が求めていた成功が得られないこともあるかもしれません。あるいはあまり失敗しないようにすれば、少しずつではありますが、小さな成功を得られるかもしれませんね。 ですが大きな成功を得るためには、虎穴に入らずんば虎子を得ずと言ったように、ときには大きなリスクを背負っていかなければならないこともあります。たとえばですが「経営者として歴史に名だたる人間になるため、会社を起業しよう」と考えたとします。会社を起業するまではできたとしても、その会社の運営が上手くいくかどうかは分かりません。もし業績が悪ければ、会社を畳まなければならない可能性だってあるでしょう。ただしその反面、順調に業績が伸びていって会社も大きくなれば、ひょっとすると歴史に名を残すような経営者として、いずれは教科書に載ることもあるかもしれません。もしも大きな成功を収めたいのであれば、虎穴に入らずんば虎子を得ずとする勇気も必要になるのでしょう。むしろそのくらいの覚悟がなければ、大きな成功というものは手に入らないとも思えます。

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孤軍奮闘

【漢字】孤軍奮闘 【読み】こぐんふんとう 【意味】援助もなく孤立した状態で努力している。 【例文1】孤軍奮闘で部長まで昇りつめた。 【例文2】孤軍奮闘でチェーン店を展開する。 【例文3】父が一代で築き上げた。 少年漫画で特にバトルものを読んでいると、窮地に陥った主人公が孤軍奮闘している話が出てくることがありますね。もはや味方も全員倒れてしまっていて、それでも戦い続ける主人公の姿は格好良いと感じます。たった1人になっても戦い続ける理由は、主人公によっても様々です。世界を守りたいからとか、自分のプライドが許さないからなどですね。理由はなんであれ、孤軍奮闘することになった主人公の姿は、バトル漫画の真骨頂のようにも思います。共に戦える味方がいない状況で戦うのは、主人公の最大の見せ場ではないでしょうか。 とはいえ現実において、何かで孤軍奮闘することになったらかなり心苦しいことだと思います。たとえば、通常なら3人くらいでやる仕事をたった1人で任された場合、これはさすがに負担がかかり過ぎだと言えます。現実ではこのように理不尽なこともあるでしょうし、他にも1人では抱えきれない悩みに直面することもあるでしょう。もし誰かに助けを求めるのが可能な状況であれば、誰かと一緒に仕事や悩みに取り組むのが良い選択ではないでしょうか。ときには孤軍奮闘するのが格好いい場面もあるかもしれません。しかし現実と漫画は違いますから、大変なときは誰かの手を借りることも良いと思います。

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小首を傾げる

【漢字】小首を傾げる 【読み】こくびをかしげる 【意味】疑問に思ったり、考え事をする時に首を少し傾ける仕草。 【例文1】可愛い女の子の小首を傾げる仕草が好き。 【例文2】呆れて小馬鹿にして小首を傾げる。 【例文3】理解できないと小首を傾げる。 疑問に思う、または不思議に感じるという感情を相手に伝えるとき、人は首をかしげます。 相手の発言が良く聞こえるように耳を向ける動作が元になっていると思われますが、そのようなジェスチャーをとられた方はちょっと不満に思うことでしょう。 自分の発言に対して、「何を言っているのか」とあからさまに呆れるような仕草をとられれば、大抵の人はムッとします。 小首を傾げる(かしげる)という言葉はちょっと首を傾げるという意味のもので、実際に首を傾げる動作をとったか否かは問題となりません。 納得できない、理解できないということを相手に伝えるなら細かな表情の変化、人によっては視線だけも十分です。 周囲にまで伝わるような手段をとっては相手を不用意に傷つけることになりかねません。 アニメなどで美少女がきょとんとした表情で首を傾げてみせるのは、悪意を丁寧に取り除いた結果なのです。 顰にならうがごとく真似をしても望んだ結果が得られるものではないのは、これまでの人生経験で既にご存知かと思います。 疑問があるならば、相手に恥をかかせないように時と場所、手段を選んで問うようにするべきでしょう。 いけすかない相手を挑発する目的でするなら効果は期待できますが、最終的な結果については全く責任をもてません。

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黒白をつける

【漢字】黒白をつける 【読み】こくびゃくをつける 【意味】勝ち負けをハッキリさせる。どちらかというと「しろくろつける」の方が聞きなれている。 【例文1】どっちがモテるかバレンタインチョコの数で黒白をつけようじゃないか。 【例文2】次の成績発表でどっちが優秀か黒白をつける。 【例文3】別れるか別れないか黒白をつける。 学生時代にお付き合いをしていた彼と、交際6年が過ぎた頃のことです。お互いに社会人としても経験を積み、このまま付き合うなら彼もそろそろ結婚を考えているのかしら、と思っていました。何となく、将来の話もすることがあり、いつかは結婚するのだろうと漠然とですが思っていたのです。ところが、いつになっても彼からは何のアクションもありません。彼がどう思っているのか知りたいけれど、結婚の話は彼から切り出してほしいという思いでしばらく悶々としていました。 一人であれこれと考えるのに耐えられなくなり、待てど暮らせど何も言ってこない彼に、ついに自分から結婚についてどう思っているのかと切り出してみました。彼の答えは、「結婚はいつかしたいと思っている」でした。いつかという言い方に釈然とせず、結局モヤモヤしたまま話は流れてしまったのです。その日から、彼とこの先いつまでこのままでいるのか、いつかとはいつなのか、わからず時間だけが過ぎていくことに苛立ちを感じるようになっていました。そんな私の気持ちを伝えてみるも、いつも煮え切らない彼。この先どうするかも決められないなら、別れてくれた方が楽なのかもしれないと言うと、別れたくはないとのこと。結婚はいつできるかわからないけど、別れるのも渋る…そう、黒白をつけるのが苦手な彼なのでした。思い返せば、昔から優柔不断で決断力がない人でした。慎重になるのはわかりますが、あまりにマイペースでこちらの気持ちを考慮してくれないところが嫌になり、結局私が黒白をつけ別れることにしました。

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極悪非道

【漢字】極悪非道 【読み】ごくあくひどう 【意味】人の道から外れたこの上なく悪い者。 【例文1】遺体を切断する極悪非道の犯人は死刑を望む。 【例文2】詐欺を働いて金を巻き上げるとは極悪非道すぎる。 【例文3】極悪非道は無期懲役にするべきだ。 最近は極悪非道な人が増えたように思います。九州では豪雨でたくさんの犠牲者が福岡県を中心に出ています。このような状況の中で洪水で空き家になった家に入り込み金品を泥棒する極悪非道な人間が報道されていました。なんということでしょう。人々が避難していることをよそに泥棒するなんて。もし神様仏様が本当にいるのであればこれらの人間は必ずや地獄に落ちることでしょう。考えられません。他にも最近多いのが通り魔殺人や連続放火事件などです。極悪非道です。ふとこれらの事件から思うことはこの極悪非道人間は何らかの精神的な病気を患っているのではないかと思います。普通の考えの持ち主であればこのように簡単に人の命を奪うことは考えられないことです。これら極悪非道な人間は中国では即死刑になりますが病気を理由に日本では裁判や精神鑑定から釈放されるケースも見受けられます。中国のやり方がよいのか日本のやり方がよいのかはわかりませんが、どちらにしても時代を超えてこのような残虐な人間がいることは確かです。最近は不景気のせいかこのような犯罪が増えてきたように思います。残虐な人間をつくったのも私たち社会の責任かもしれません。今一度自分に問いかけてこのような極悪非道な人達がでないようにしたいものです。

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故郷へ錦を飾る

【漢字】故郷へ錦を飾る 【読み】こきょうへにしきをかざる 【意味】故郷を離れた者が出世して帰郷する。 【例文1】故郷へ錦を飾る決心で親元を離れた。 【例文2】必ず故郷へ錦を飾ると宣言して上京した。 【例文3】俳優になって故郷へ錦を飾る。 何か夢を持って東京に来ると、夢を叶えるために一生懸命になりますね。俳優になりたい、ミュージシャンになりたいなど、夢を背負って上京する人はたくさんいると思います。ですが現実は厳しく、そう簡単に夢が叶うわけではありません。中には夢を追いかけることに頓挫して、地方に戻ってしまう人もいることでしょう。 しかし夢が叶わなかったからといって、それが格好悪かったり、あるいは無意味だったということには結び付きません。なぜなら夢を叶えるために『努力をした』という結果が残っているからです。故郷へ錦を飾るような気持ちを持って東京に出たのに、結局は地元に戻ってきてしまったという人だって、夢を叶えるために東京で様々な努力をしたはずです。たとえば俳優志望の人でしたら、各芸能事務所に『自分を売り込む』という努力をしたのではないでしょうか。ひょっとすると、その売り込み方はつたないものだったかもしれません。けれど自分を売り込んだ経験が無い人だっているのですから、その経験を大事にしてみるのが良いと思います。もし俳優になれなかったとしても、たとえばどこかの会社で営業として就職した場合、『その会社の製品を売り込む』といったことに応用が効くかもしれません。たとえ『自分を売り込む』という努力が実らなかったとしても、他のかたちで実る可能性だってありますよ。

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声を呑む

【漢字】声を呑む 【読み】こえをのむ 【意味】驚きや緊張のあまり声が出ない。 【例文1】合格発表まで声を呑む。 【例文2】恩師の危篤に声を呑む。 【例文3】結婚詐欺に遭い声を呑む。 急な出来事や、とっさの出来事が起こった時に、あまりの驚きや感動で、声も出ないような状況や声も出せない程の衝撃的な事柄が聞き入れた時に使用します。例えば、「自分が信じていた父親は実は育ての親だと聞かされ、声を呑むほど驚いた。」や「待ちに待った最新作品の試写会を観覧しに行ってきたけれど、今回は声を呑むような急展開があったので、友人にもすすめた」等、ビックリするような事がらがある時に使います。以外にもふとした瞬間に使っている事があると思います。深く調べてみると、飲むと呑むにも違いがあり、飲むは水や水分などを口に含み、飲み込むと言う意味に対し、呑むは「感情を呑みこむ」や「相手の要求を呑む」と言うような実際には、物質を飲み込んだりするのではなく、感情的な事柄に対して気持ちを押しとどめるという意味があります。同じ読み方でも微妙に意味合いが違い、それこそ、声を呑む様な驚は日常でもありうる事がらです。実際使ってみると、より身近に感じると思うので、率先して使ってみると良いと思います。

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呉越同舟

【漢字】呉越同舟 【読み】ごえつどうしゅう 【意味】敵同士が同じ舟に乗り合わせ暴風にあおられ転覆しそうになったら、助け合わなければいけない。敵や仲の悪い者同士であっても同じ境遇にあると、助け合って協力し合うものである。 【例文1】チームメイトの給水がなくなって、呉越同舟で分ける。 【例文2】同じ高校を目指すライバルと呉越同舟で勉強する。 【例文3】呉越同舟のライバル社と合併する。 「呉越同舟」という言葉は皆さんも知っていますよね。意味は、仲の悪いとされている者同士や敵味方が同じ場所に居合わせることや同じ境遇にいることです。またその意味から、本来、仲の悪いとされている者同士でも、同じ利害や困難のために協力するというたとえです。 この「呉越同舟」の由来には、中国の春秋戦国時代にあります。かの有名な三国志よりも昔の中国には「呉」と「越」という国があり、戦争を繰り返すほど仲の悪い国同士で有名でしたが、そんな普段から戦争を繰り返すほど仲の悪い「呉」と「越」であっても、両国の人がもし同じ舟に乗り合わせていた時に、舟が暴風に襲われ、転覆しそうになれば、普段の遺恨も忘れてしまい、載っている舟が沈まぬよう「呉」の人も「越」の人も協力し合ったに違いないという孫子のたとえた故事に由来し、この故事から利害が互いに一致すれば、普段はいがみ合う者同士でも同じ目的のために協力し合うという意味になりました。 確かに、普段仲が悪いとされている者同士でも、緊急事態や急を要する時に協力し合っているところを見かけるときがありますよね。 しかし、現在の「呉越同舟」の一般的に使われる意味としては、単に仲の悪い者同士が居合わせるという意味で使われる方が多いそうです。 仲が悪くても切羽詰った状況になれば協力関係が生まれるという意味の呉越同舟ですが、果たして現実に協力するものでしょうか。 まとめ役となるリーダー的な存在がいて全員がその指示に従ってくれれば問題ないでしょう。 しかし初期条件であるリーダーを選出する時点で既に綻びが生じます。 仲の悪い二つのグループのどちらかからリーダーが選出されれば、リーダーが所属していないグループが素直に従う道理がありません。 ことあるごとに反発して最終的には別行動をとることになる可能性すらあります。 そもそも仲が悪い二つのグループが同じ場所で同じ状況になることなど起こりえません。 仲が悪い理由は大抵が利害関係、片方だけが利益を得ている状況でもう片方が一方的に迷惑を被っているが多いです。 虐げられた側が協力を申し出たり、それまで居丈高に振舞ってきた側がへりくだることなどないでしょう。 二つのグループが一つの舟に乗った時点で沈没は決定しているようにすら思えます。 呉も越も中国の春秋戦国時代の国名で、春秋戦国時代は紀元前770年頃から紀元前221年頃というとんでもなく大昔の国です。 分裂したり統合したり地域や国家どころか国家郡で争って現在に至るわけですが、人類がどれほど成長したかといえば効率良く相手に被害を与えられるようになった程度です。 利害が絡んで個々人が自分の利益をひたすらに追求する限り何度でも舟が転覆・沈没する歴史がこれからも繰り返されると思うと少し虚しくなります。

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業を煮やす

【漢字】業を煮やす 【読み】ごうをにやす 【意味】思うようにならず、イラ立つ様子。 【例文1】いつまでたっても連絡がなく、業を煮やす。 【例文2】経営がうまくいかず業を煮やす。 【例文3】業績が振るわず業を煮やす。 仕事であってもプライベートであっても、ことが上手く進まないときに腹を立ててしまうことはありませんか。このように業を煮やすことは人間ですから仕方ないでしょう。そんなときは深呼吸をしてリラックスしてみることをおすすめします。 なぜ深呼吸が良いかというと、興奮状態を抑える効果が期待できるからです。人は怒りを感じると交感神経が働き、更に興奮状態になってしまいます。興奮すると血圧が上がってしまって緊張状態になってしまうのですが、この緊張状態を解くために血圧を下げる必要が出てきます。そこで深呼吸を行ってみると、体をリラックスさせる副交感神経が活発に働き、血圧を下げることができるのです。つまり深呼吸によって交感神経の働きを和らげ、反対に副交感神経を働かせることで、リラックス効果を生み出すことができるのです。深呼吸もなかなか馬鹿にはできませんね。 思い通りにことが運ばない、ついつい腹を立ててしまうといったことは、人生で誰しもが経験することでしょう。しかし怒りといった感情は周りにも伝わってしまうので、空気を悪くしてしまうこともあります。周りのためにも、そして何より自分のためにも、業を煮やしていると感じたらいったん深呼吸をしてリラックスしてみてはどうでしょうか。

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功を奏する

【漢字】功を奏する 【読み】こうをそうする 【意味】成功する。効果が出る。 【例文1】毎日の練習が功を奏する。 【例文2】留学経験が功を奏する。 【例文3】ダイエットの成果が功を奏する。 東京のある国立大学を目指していました。模擬試験では毎回、合格圏内に達することが出来ませんでした。高校最後の夏休みに一日ご飯とトイレ以外は勉強することを自分に課しました。今まで生きてきた中でこの夏休みほど勉強を頑張ったことはありませんでした。特に数学が苦手だったので、集中的に計画的に勉強をしました。そして夏休み明けの模擬試験では数学の点数が上がり、偏差値も上昇し始めました。後もう少しで安全圏内です。学校が始まり私は朝早く起きて徹底的に赤本で希望する大学の過去問を解きまくりました。そうすると、出題傾向もつかんできました。お盆も、クリスマスも、正月もなく頑張りました。それが功を奏したのか受験当日は不安もなく受験に挑むことができました。これだけ勉強したのだから悔いはなし、そして合格発表の日にどうにか合格を手にすることができました。辛い勉強は今社会に出て、大きなことに直面しても動じない精神力として役立っています。これからの人生は受験よりも辛いことがあるかと考えます。人生とは甘いものでは決してないと思います。人生の終盤にさしかかったときにあの時は努力した。それが功を奏したのか、思った人生を歩むことができたと思えるようにこれからも頑張っていきたいと思います。 私は小学生の頃、成績はクラスの中でも下位の方でした。それを見兼ねた両親が、「公文式」を習うよう勧めてきました。私は親のいう通りに、公文式で英語・算数・国語を習いました。最初の頃はなかなか回答できず、ミスばかりしていましたが、1年も習い続けると自分なりのペースも掴み、公文式の先生から出された宿題もこなせるようになってきました。公文式の特徴は、学年に関係なく自分の努力次第で、自分の学年以上の項目について学習できるという点です。例えば、私の場合、小学4年生の時点で中学2年生が習う算数を勉強していました。常に予習をしているような感覚でした。それが功を奏したのか、徐々に成績も伸び始め、小学校高学年から中学生にかけて成績はクラスで1番か2番にまで上げることができました。中学三年生の受験シーズンになって、進路選択をする際に、その時の担任の先生から「今の君の成績をもう少し伸ばせば、その地域で一番偏差値の高い進学校に行けるかもしれない」と言われました。それを聞いた瞬間から、その高校への入学を目標として、必死に勉強しました。塾にも通い始め、毎日0時まで勉強していました。休みの日は食事と入浴以外、全て受験勉強に時間を割きました。それが功を奏したのか、無事に第一志望の、学校に入学することができました。その時は感極まって、「努力すれば報われる」ということを痛感したと同時に、今まで応援してくれた両親に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

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紺屋の白袴

【漢字】紺屋の白袴 【読み】こうやのしろばかま 【意味】染物屋の店主は染めていない白の袴を着ていることから、他人の事でいっぱいで自分の事は後回し。 【例文1】結婚相談所の経営者は紺屋の袴で50歳未だ独身。 【例文2】世のお母さんは子ども優先で紺屋の白袴だ。 【例文3】長年住宅営業マンだが、アパート暮らしで紺屋の白袴。 「紺屋の白袴」「医者の不養生」はどちらも専門職でありながら自身の身の回りにそれが生かされていないことを指しています。 忙しすぎで自分自身のことにまで手が及ばないことから、他人のことを優先してしまっている状況を表現する際に使われます。 「紺屋の白袴」は、染物をしているにも拘わらず一滴の染みもつけずに作業する技前を指しているという説もありますが、あまり用例として聞き及びません。 ともあれ、他人のことばかりで自分のことが疎かになってしまうのは如何なものか、と先日散髪にいった床屋で思い至ってしまいました。 その床屋は全国チェーン店で職人は個々に雇われているだけのようでした。 店長らしい人も存在せず支払いは事前にチケットを購入することで済ませるシステムです。 4人の職人がいましたが、互いには一切干渉せず黙々と仕事をこなしている風でした。 来店した順序に順番待ちをして手の空いた職人に散髪してもらうので、直前までどの職人に当たるかは分かりません。 特に気にした事はなかったのですが、その日の理髪師の髪型にはかなり度肝をぬかれました。 なんというかお先にどうぞといいたくなるくらいに髪の手入れがされていません。 ぼさぼさの髪を無理矢理に縛ったような珍妙な髪型です。 クイズで周囲に人が住んでいない場所にある床屋に2人の理髪師がいるというのを思い出しました。 整った髪形の理髪師と、下手な散髪をされた理髪師のどちらを選ぶかと言う問題です。 互いに散髪しあうのですから下手な散髪をされた理髪師のほうが腕前がよいというのが正解です。 実際それに近い状況かもしれませんが、センスのなさはあからさまに伝わってきます。 結果的には真っ当な仕事をしてもらえたのですが、複雑な気分で床屋を後にすることになりました。

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紺屋の明後日

【漢字】紺屋の明後日 【読み】こうやのあさって 【意味】染谷の仕事は天候に左右されやすく納期が遅れることがある。期日があてにならない。 【例文1】紺屋の明後日にならないよう日時・場所をハッキリ決める。 【例文2】今度飲みにでも行こうと言うのは紺屋の明後日だ。 【例文3】紺屋の明後日だから余裕を持って催促する。 『紺屋の明後日』、それは現代日本においてはおおよそ聞き慣れない言葉です。まずその意味を述べておけば、それは『約束の期日が当てにならない事の例え』です。 紺屋とは染物屋、藍染などといった古き良き伝統職の一種ともいえますが、今回重要なのはその仕事の内容、この仕事は染めた反物を乾かすという作業の都合上、天候によって大きな影響を受けてしまいます。その為、天候次第では期限を超過する事も頻発して起こります。期限の催促をしても『明後日には』と答えるもののやはり天候によるものなので決して当てにならずそれに間に合う事もなく、『催促』と『明後日』を繰り返すとなり期限が当てにならないという事になります。これが『紺屋の明後日』というものです。 これはある知り合いの話ですが、お金の貸し借りをして『明日にはお金入ってくるから返せる』という話がありました。しかし翌日には『仕事忙しくて銀行行く暇無かった』という返答が返ってきました。さらに翌日の金曜日に催促をしても『いろいろ入金が遅れているからまだ入っていない』という返答が来ました。この時点で金曜日なので、土日も返ってこないという事となり、当初の期限から何日も遅れるという事になります。 この話の顛末はともかくとして、こういう事を行う人の期限は信用できないのは当然のことであり、今回、僕は紺屋の明後日という言葉と意味を考えこのことと重ねてしまいました。 ただ、1つ忘れてはならないのは紺屋の仕事はあくまでも天候によって左右されるものであり、紺屋の職人の怠慢で期限の超過を繰り返しているわけではないという事です。

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公明正大

【漢字】公明正大 【読み】こうめいせいだい 【意味】隠し事がなく公平で堂々としている様子。 【例文1】公明正大な彼女は経理責任者に抜擢された。 【例文2】公明正大な政治を願う。 【例文3】公明正大で証言台に立つ。 公明正大とは古くからある言葉で、読んで字のごとく「私心を挟まず公正に物事を行うこと」を指します。「公明」は私欲を持たず公平で悪事などの隠し事がない公明党の政党名にも使われている言葉でもあります。しかしこの「公明」という言葉、ちょっと曰く付きなのですが知っているでしょうか。 先に述べた通り、公明正大という言葉そのものは古くから使われてきた言葉です。それが、戦前に起こった選挙の公正化を目指す運動を引き継いだ戦後日本において、「平等で倫理的な選挙を行おう」とする政策の旗頭として「公明選挙」と名付けられ、公明選挙運動が始まりました。これは昭和27年から昭和40年ごろまで長い間国民に親しまれてきた名称だったのですが、公明党が誕生したことなどから、名称の変更を余儀なくされた歴史があるのです。そのときの公募で決まった「明るく正しい選挙」から簡素化を経て現在では「明るい選挙」となり明るい選挙推進運動が行われています。 明るい選挙推進運動では昭和43年から行われた「三ない運動」に公明正大の精神が表れています。 「三ない」とは「政治家や候補者は有権者に寄付を送らない」「有権者は政治家や候補者に寄付を求めない」「有権者は政治家や候補者から寄付を受け取らない」のことで、まさに「私欲を持たず悪事などの隠し事をせず正々堂々と物事を行うこと」を体現するスローガンです。

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弘法筆を選ばず

【漢字】弘法筆を選ばず 【読み】こうぼうふでをえらばず 【意味】弘法大師はどんな筆を使っても見事に書くことから、その道の専門家は道具に関わらず、立派に仕事をこなすものである。 【例文1】美容師の友人は弘法筆を選ばずで、家庭用ハサミでも器用に髪を切る。 【例文2】料理人は設備が整っていない被災地でも弘法筆を選ばずだ。 【例文3】一度体験しただけで器用にこなすとは弘法筆を選ばず。 「弘法筆を選ばず」は、昔々の書道の達人「弘法様」がどんな粗末な筆であっても立派な文字を書いたことから、その道のプロフェッショナルは自分の使う道具や材料について不平不満を言わず素晴らしい作品を作り上げる、という意味になりました。またこのことが転じて、道具をえり好みして作品の不出来を道具のせいにする人を叱る時にも使われるようになった言葉です。 私がこのことを実感する場面は意外と多く日常の中に転がっています。私は趣味で絵を描くのですが、イラストレーションの世界では常に「アナログで絵が描けない人はデジタルでも描けない」だの「デジタルの機能を使いこなせない人は旧時代の技法にしがみついているだけだ」だのといった「デジvsアナ論争」が巻き起こっています。私自身アナログ絵から始まってデジタルに移行した人間ですが、どちらの言い分もうなずける部分もあり、首をかしげてしまう部分もあり、どちらが本質なのだろうと悩んだことがありました。 しかし私が尊敬する画家の方が、さらに尊敬する諸先輩方の言葉を引用して、「アナログならアナログ、デジタルならデジタルの良さに特化した絵を描くべきだと言う人もいれば、アナログでもデジタルでも同じクオリティの絵を描けるようにするべきだと言う人もいて、両方の先輩方の作品はどれも比類無いくらい素晴らしいものばかりだから、どんなアプローチであっても良い絵を描ければそれが正解だ」と言っていたのを聞き、目からポロポロと鱗が落ちたのです。これこそまさに「弘法筆を選ばず」だ、と。 絵に限らず、フライパンが良くないから料理が焦げただの、パソコンのスペックが低いから作業の質が落ちただの、自分の能力の範囲内のことであるのならば、どんな道具を使っていたとしても言い訳をしないで生きていきたいものだと反省させられる言葉です。

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弘法にも筆の誤り

【漢字】弘法にも筆の誤り 【読み】こうぼうにもふでのあやまり 【意味】どんな名人でも間違えることはある。自分よりも目上の人が失敗して慰める時に使う。 【例文1】大女優でも弘法にも筆の誤りで、台詞を間違える事だってある。 【例文2】体育教師でも弘法にも筆の誤りで陸上選手には勝てないよ。 【例文3】現役選手には弘法にも筆の誤りでOBも敵わない。 「弘法にも筆の誤り」とは、「学問や芸事に秀でたものも、時には誤りがあるということ」の例えです。「猿も木から落ちる」も同じ意味の言葉です。弘法大師は空海の諱です。空海は讃岐に生まれました。平安時代初期の僧で真言宗の開祖でもあります。長安で密教を学び2年後に帰国して、高野山に金剛峯寺を建立しました。真言というのは大日如来の真実の言葉のことを指し、その呪法の伝授、習得により悟りを開くという教えですが、奥義が秘奥なことから密教と呼ばれています。また、真言宗では山奥に伽藍を置き、山中を修行の場としたことから、従来の山岳信仰を結びつき修験道の源流となりました。弘法大師は全国各地を布教のために回っておられたといわれ、各地に弘法大師の逸話が伝承されています。千葉県館山市にも旅の僧を手厚く迎えた農民が僧に「何か困ったことはないか」と聞かれ、「井戸が干上がって困ります」と答えたところ、持っていた杖を三回地面について、「ここを掘るように」言いました。その場所を掘るとコンコンと清水が湧き、どんな日照りの夏でも枯れることがないという「弘法の井戸」伝説があります。全国の弘法大師の逸話の中で一番多いのが、この「弘法の井戸」伝説だそうです。弘法大師は日本の三筆の一人ですから、「弘法にも筆の誤り」という言葉が生まれたのです。

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公平無私

【漢字】公平無私 【読み】こうへいむし 【意味】私的感情に左右されす、何事にも公平に判断する。 【例文1】公平無私で試合のジャッジをする。 【例文2】国際大会になると公平無私が問われる。 【例文3】公平無私を無視した判定に怒りの声が殺到。 どこからどこまでが職権乱用なのか不明ですが、明らかに一線を越えてしまった行為を平気で連発している人物は存在します。 行政の高い地位についている人がそのような事案を疑われるだけでも恥ずかしいことです。 しかし、報道でそのことを知る側としては「またか」という感想くらいしか出てきません。 社会的地位が高いならば、職権は慎重を期して必要十分に奮い、公平無視を是として日々精進するべきだと思うのです。 水清ければ魚住まずと言いますが、ドブ水のような環境を自ら作って住み続けようとする輩どもは早急に排除対象とするべきです。 「どの程度の事案をどのあたりから」と言われるかもしれませんが、そんなのは目に付く全ての悪が処罰対象に決まってます。 小さい金額を横領した事がとがめられなければ、調子に乗って大金に手を出すようになるのは目に見えています。 放置していれば被害はどんどん拡大することはもはや決定的でしょう。 小さい案件では公費で私物を購入から始まり、大きいくなれば億を超える予算を融通・横領するに至ります。 第三者委員会などという罪人に都合の良い判断を下す人を集めても何もなりません。 自浄作用など全く期待できないのですから、裁判員制度で選出された一般人の普通の常識で裁いてしまうのも有りだと思います。 「公平無私」(こうへいむし)はあまり聞き慣れない四字熟語だと思いますが、意味は、私心をもたない、一方に偏ることなく平等なさま表す四字熟語です。同じ意味を持つ類義語として、「公明正大」(こうめいせいだい)や「不偏不党」(ふへんふとう)、「厳正中立」(げんせいちゅうりつ)等があります。「公平無私」の使用例・使い方として、「選挙は公平無私の下で行われる必要がある」とかです。最近行われたスポーツ興業で、この「公平無私」の精神でジャッジが行わなければならないボクシングの試合で、この「公平無私」の精神を揺るがす不可解な判定がありました。それはWBA世界ミドル級王座決定戦の村田諒太選手とフランス国籍でカメルーン出身のアッサン・エンダム選手の試合で起きてしまいました。終始、的確なパンチでダウンを奪い、試合を優勢に戦っていた村田諒太選手でしたが、試合後のジャッジでは村田諒太選手ではなく、劣勢に立たされていたアッサン・エンダム選手に勝利のジャッジが下されてしまいました。村田諒太選手はKOを取ることは出来無かったのですが、相手を何回もダウンさせるなどをして、試合を優勢にしていたのにもかかわらず、不可解な判定でチャンピオンの座を勝ち取ることが出来ませんでした。普段からジャッジを必要とするスポーツに関して、あまりジャッジの判断基準が明確ではないことが多く、素人であったり、全くそのスポーツ競技に携わらない人にとってジャッジが必要な競技のジャッジ基準がわかりづらいことが多々あります。いかなるスポーツでも「公正無私」の下で行われてほしいと思います。

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郷に入っては郷に従え

【漢字】郷に入っては郷に従え 【読み】ごうにいってはごうにしたがえ 【意味】地方によってそれぞれ風習があるが、新しい土地に来たのならばその風習に従えという教え。 【例文1】年長者の言う事は郷に入っては郷に従えだ。 【例文2】郷に入っては郷に従えと言われても、いま時そんな風習ない。 【例文3】郷に入っては郷に従え的な圧力。 私は今までいろいろな職場で働いていきました。 職場ごとにかなり特色が違っていました。 その都度、それに合わせないと仕事をしていくことができません。 まさに「郷に行っては郷に従え」の言葉の通りです。 いろいろな組織や地域、または家族の間では、そこだけに通じるルールというものがあります。 そのルールが時にはかなり独特な物だったりします。 仕事の進め方もそうで、自分がこの方が効率的で良いやり方だと思って提案しても却下されてしまうことがあります。 たとえ理不尽なやり方でも、年配の人の意見が通ってしまう事が度々ありました。 多くの人が会社のやり方に不満を持っていても、表面上はそれを素直に受け入れてやっています。 しかし、それができない人も中にはいます。 仕事ができる人ほど、今の現状や先のことが見えてしまうので、どうしても意見を言ってしまいがちです。 しかし、それが必ずしも会社のためにはならずに、時には和を乱してしまうこともあるようです。 いろいろな組織に属していると、自分の意見は通らないことも少なくはありません。 どちらかといえば、無理とも思える要求に従わざるを得ないことが多いような気がします。 それでもその組織に属している限りは、やはり「郷に入っては郷に従え」で行くしかないようです。

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荒唐無稽

【漢字】荒唐無稽 【読み】こうとうむけい 【意味】説明に根拠がなくでたらめなこと。 【例文1】それは荒唐無稽な話だ。誰も信じないよ。 【例文2】荒唐無稽な噂が広がる。 【例文3】荒唐無稽なスキャンダル報道。 私は20代後半の女性です。2年前の春に一人で株式会社を設立し、現在も運営しています。 サラリーマンも経験しましたが、自分の意思で活動し、自らの企画力を試したく起業という挑戦に挑みました。 どんな仕事をしていても良いこと、悪いこと、大変なこと、そしてやりがい・・・と様々な壁にぶち当たることもあれば、達成感を感じる日もあります。 この起業という選択をしたことで、サラリーマン時代と最も異なる大きな点があります。 それは、企業の看板がない状態であり、人で勝負するしかないという点です。もちろん、サラリーマンとして活躍している方々の中でも人間力で戦っている方も大勢いらっしゃいます。 しかし、20代そこそこの名前も知られていない女性が自ら名刺を作って一から営業をかけていくとういことは、自分自身をまず売り込みすることが必要不可欠でした。 今日では女性の活躍が社会でも求められ、起業する女性も増えました。ところが、実際社会で動き回っていると、心ない声も届きます。「お金を出してくれるおじさんが後ろにいるんでしょ?」「お金持ちと結婚してからお小遣い稼ぎで仕事したらいいのに」そして、必死で掴んだ契約に対しては「いいよね、女性は顔で物が売れるから」と様々な言葉を受け、男性の方と一緒に仕事をする機会があると「あの男性の愛人だから仕事が取れたんだ」と荒唐無稽な噂が出回ります。 きっとこれからも女性だからこそのメリットと、女性だからこそ避けられない偏見や歪んだ見方をされることもあると思います。数々の噂が出るということは、少なからず誰かの目に止まっているからこそ噂もされるのだ!そう解釈し、むしろ荒唐無稽な噂を自らの活力に変えてこれからも負けずに進んでいこうと胸に誓うと同時に、同じような境遇の女性にもエールを送りたいと強く感じています。

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口頭試問

【漢字】口頭試問 【読み】こうとうしもん 【意味】口頭で問題を出し、知識や学力を試す試験のこと。 【例文1】口頭試問なら自信がある。 【例文2】ハキハキと口頭試問で答えた。 【例文3】口頭試問で採用が決定した。 「口頭試問」とは「質問応答によって問題事項を調査し考査する試験方法。口述試験ともいう」ものです。昔は面接全般を口頭試問と表現していたとも言えるかもしれません。最近ではあまり聞かないでしょうか。大学の入学試験などでも面接とか、プレゼンテーションとか、グループディスカッションなどが試験科目に入っていても口頭試問は見かけません。ところが、栄養系の学部だと面接に口頭試問とわざわざ書かれている大学もあります。 具体的に何を聞かれたのか聞いてみると、化学と生物とどちらが得意かを聞かれたうえで、「デオキシリボ核酸」について聞かれたとか、「トマトに含まれる栄養素で知っているものを全て答えてください」と言われたとか、学生によっても大学によっても全然ちがいます。学生にとっては当日その場にならないと何を聞かれるかわからない怖さはありますよね。対策するには、必要と思われる科目についてはまんべんなく勉強しておくしかありません。また、去年から始まった国立大学の推薦入試ですが、その中でも京都大学では「高校からの調査書や、志願者が大学で学びたいことをまとめる「まなびの設計書」などの書類審査に加え、面接、筆記試験、口頭試問など、学部ごとの独自試験をもとに総合評価する」となっています。国立大学の推薦入試では成績基準も別にあり、やはり高い壁とは言えそうです。

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広大無辺

【漢字】広大無辺 【読み】こうだいむへん 【意味】果てしなく広くて大きい。 【例文1】恋人と広大無辺の船旅に出る。 【例文2】広大無辺の大草原を走り回る。 【例文3】広大無辺の空の旅。 広大無辺とは、とてつもなく広くて大きいさまや、どこまでも限りなく広々としているさまを言います。広大は広くて大きいこと、無辺は果てが無いことを表します。 ですから、太平洋のような大海原は広大無辺の典型的なものと言うことになります。豪華客船が広大無辺な大海原を進んで行くなどと使います。また、陸上でもサハラ砂漠などは広大無辺と言えるでしょう。日本には、この言葉に合う場所は海しかありません。しかし、世界にはぴったりの場所が沢山あります。アフリカの草原やアメリカの西部等です。 また自然に対してだけではなく、人間の生き方にも使います。あの人は広大無辺な人生を歩んでいるというようにも使います。一人の人間が、大きな事を成し遂げ、それを発展させたような人生が広大無辺といえるでしょう。例えば、松下幸之助などはそうなのでしょう。江戸幕府を開いた、徳川家康もしかりです。しかし、戦国武将達は広大無辺とは言いません。なぜなら、誰も偉業というほどのものを成し遂げていないからです。一人一人では、素晴らしいことを行っていますが、全て途中で終わっています。 「広大」は読んで字の如し広くて大きいこと、「無辺」とは限りないことや果てしないことを意味する言葉です。「広大無辺」とは果てしなく大きいさま、または限りなく広々としているさまを指す言葉です。この言葉から連想できるのは宇宙くらいです。ビックバン以降広がり続けている宇宙はまさしく果てしなく大きく限りなく広々していることでしょう。人生にも同じことが言えます。確かに人はいつかは死んでしまいので人生には限りはありますがそれがいつなのかは誰にもわかりません。でも生きているあいだはいろいろな可能性がありどんどん広げていくことができるからです。間違えたらやり直すことも自分で決意して新しい人生を歩くこともできます。人生の選択によって無限に可能性は広げられるのです。性別や年齢・経験などでできることと、できないことを自分で決め枠を作ってしまっては自分の可能性をどんどん狭めてしまいそれ以上の広がりは持てません。いつも柔らかい気持ちで物事を受けとめ自分で自分に足枷をつけないことです。何歳になってもいろいろなことに興味を持ちワクワクする柔軟な気持ちを忘れずに過ごすことで人生を広げてくれるたくさんの素敵な出会いが待っているはずです。

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後生畏るべし

【漢字】後生畏るべし 【読み】こうせいおそるべし 【意味】自分より後から生まれてきた者は、若くて気力もあり将来への可能性を秘めており、いかなる力量を発揮するかわからない、おそるべきのものであるとの戒め。 【例文1】入社1年の彼は優秀で後生畏るべし。 【例文2】社長が後生畏るべしとあいさつを述べる。 【例文3】後生畏るべしだから気を抜くな。 一般社会での問題提起は、何が正解なのか皆目検討がつかないので誰か智恵を出してくださいといった感じで出されます。 予測がつかない変動をし続ける社会情勢が回答をいっそう困難なものにし、紆余曲折を経て正解と判ぜられるのは事が収束してからです。 立ち止まって正解が公表されるまで待つわけにもいかず、間違っていることも覚悟しても進むしかありません。 時間と労力を投入して間違っていることに気がつき元来た道を逆戻りなど珍しいことではないです。 成功と失敗をいくつも積み上げてようやく中堅と呼ばれる地位までたどり着いたとしましょう。 当たり前ですが、年齢を重ねれば退職する人もいて、補充人員として新人が入ってきます。 過去の知識に新しい技術を上乗せし気力体力とも充実した頼もしい…同じ職場にいるライバルです。 過去の失敗は華麗に回避し、「既にそれは見た」とドヤ顔をするアニメのキャラクターを思い起こさせます。 ひと昔前であれば、先人から伝えられ苦労して習得した技術や、試行錯誤の結果に新しく編み出した智恵は秘匿されて当然でした。 今の世の中では年功序列などお構いなしに知識や技術を貪りつくせる環境があります。 効率よい教育を受けた新人が優れているのは、ある意味ズルイ気もしますが文句を言うのも筋違いです。 後生畏るべし、出藍の誉れの言葉のとおり、面倒なしがらみも遠慮もない若者が年長者に追いつき追い越そうとする姿勢は頼もしい脅威です。

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好事魔多し

【漢字】好事魔多し 【読み】こうじまおおし 【意味】良い事は邪魔が入ることが多い。 【例文1】今夜はデートなのに残業になり、好事魔多しだ。 【例文2】彼女と初デートで遊園地に行くのに、雨が降ってきて好事魔多しだ。 【例文3】彼氏に女性が寄ってくる。好事魔多しだ。 好事魔多しとは良い事が起こると、邪魔されるような事が起こりやすくなるという意味のようです。 確かに良いことも悪いことの長続きはしません。 仮に良いことが長く続いていると、それが当たり前に思ってしまいます。 しかし、どんなことでも終わりはあるものです。 良いことが起こったならば、できるだけ悪いことが起こらないように、いつも以上の徳を積むことが大切だと思います。 人は良いことが起こると、どうしても考え方が甘くなってしまうようです。 その気の緩みをつけ狙ってくるものもあります。 調子の良い時こそ、気を引き締め、油断して甘い誘惑に乗らないように気をつけたいものです。 良いことが起こると、人は財布の紐が緩くなるようです。 確かにお祝いの行事では、いつも以上に大盤振る舞いをしてしまいがちです。 ですが、そこでハメを外しすぎると、とんでもないことになりかねません。 事の大小に限らず、多くの人はこういう苦い経験をしてきているかもしれません。 時には取り返しのつかない事態になりかねません。 十分に気をつけたいものです。 逆に悪い事ばかり続いていたら、この状態は長くは続かないと思ったほうが良いかもしれません。 道端で100円を拾った後に財布を落としたり、行列に並んでかった人気のソフトクリームを一口食べて落としコーンだけになってしまったり、サービス残業やパワハラに溢れた世に言うブラック企業に勤めてから心機一転と少し名の通った企業に転職が決まってすぐ転職先が倒産してしまったことありますか。私はあります。両親や友人にこの話をすると腹を抱えて大笑いされましたが。こういった良いことに恵まれたときは注意しないといけないということわざまであるんですね。「好事魔多し」というそうです。意味としては良いことがあったときは邪魔が入りやすいものだから、気を付けましょうということのようです。私の場合少し人より運が足りないだけのような気もしますが。正直最初にこの単語を見たときは「すきごとま」とはなんだろうと考えながら、のぞき魔や痴漢魔といった変質者が多く危ない地域といった意味なのかと思いました。人様に話す前に意味を調べ学習できて良かったです。読方みも「好事魔、多し」ではなく、「好事、魔多し」なんですね。後者の区切り方をするなら意味にも納得です。ことわざになるほどなので、私のような不運な人間が昔から多くいることに安心感を覚えます。 国語の授業のなかで、誰でも一度は「好事魔多し」ということわざを目にしたことがあるのではないでしょうか。このことわざは、「こうじ、ま、おおし」という区切りで読むのが正しく、「こうずまおおし」「こうじま、おおし」などの区切り方や読み方は、誤用であるとされています。ちなみに、このことわざの意味は「よいことやうまく進むこと(好事)には邪魔や障害(魔)があることが多い」という意味になります。 いちばんよく耳にする間違いは、「好事魔」という単語があるのではないか、という意見です。なにかよからぬことをすごく好きな悪い人、といった意味合いで勘違いをして使っている人がたまにいますが、「好事魔」ということばはありません。 「好事」というのはもともと中国語のことばで、このことわざは中国の故事が語源になって生まれたものだとされています。また、似た意味のことわざには「月に叢雲、花に風」というものがあり、こちらも同じく「月や花のようないいもの、美しいものには、それを邪魔する雲や風のようなものがついてきてしまうことが多い」という意味で使われます。 昔からひきつがれてきたきれいな日本語は、ぜひこれからも、正しい意味で使っていきたいですね。

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孝行のしたい時分に親はなし

【漢字】孝行のしたい時分に親はなし 【読み】こうこうのしたいじぶんにおやはなし 【意味】親孝行したい年齢になった時に親がもういない、生きているうちに親孝行しとけばよかったと後悔する。 【例文1】孝行のしたい時分に親はなしにならないように、連絡はこまめに取り合っている。 【例文2】孝行のしたい時分に親はなしと言うから年老いた親は大切にしよう。 【例文3】孝行のしたい時分に親はなしとひどく悔やむ。 「孝行のしたい時分に親はなし」というのは、昔から言われ続けている言葉です。意味は見てわかる通り、親孝行をしたい年代になったころには、もう自分の親というのはいなくなっているのだ」ということですが、では、果たして今でもそれは変わらないのでしょうか? たしかに、この言葉が生まれたであろう大昔、たとえば江戸時代においては、「人生五十年」と言われていたくらいですから、自分に子どもが生まれる頃には、親御さんが天国へ行ってしまっていた人たちはとても多いだろうと思います。ですが、この現代において、特に日本人においては、平均寿命が80歳とも言われているくらいです。30歳ごろになってある程度社会でも生きていけるようになり、自分に余裕ができたころ、わたしたちの親は何か事情が無い限り、多分生きていますよね。 では、どうしていまだにこの言葉がなくならないのでしょうか?わたしは、現代人の時間の余裕が昔に比べて無いからだろうと思っています。 これぞ親孝行!と思えるような、たとえば海外旅行などに一緒に行くことは、わたしたちが社会で働いている限り、とても難しいことです。わたしたちは、20代前半から、自分が高齢者になるまで、時間に余裕がないのです。なんだか切ないですが、せめて今できることから、きちんと孝行していきたいですね。

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巧言令色

【漢字】巧言令色 【読み】こうげんれいしょく 【意味】口先だけうまい事を言って相手の顔色をうかがう。 【例文1】営業職は巧言令色ばかりで疲れる。 【例文2】職業柄、巧言令色でお世辞がうまい。 【例文3】店の店員が巧言令色だ。 「巧言令色」とは言葉巧みに愛想が良いことを指し、対して「剛毅木訥」はほとんど逆で言葉少なく無骨で不屈の意思を持つ者です。 語源はどちらも古い中国の書物「論語」で、孔子が仁について語った言葉が由来になっています。 巧言令色は仁から遠い場合が多く、剛毅木訥は仁に近いという内容だったと思います。 確かに巧言令色はまさしく詐欺師などの悪党のイメージであり、物静かで真面目な人は剛毅木訥と表現されそうです。 しかしそのような場合が多いと言ってるのであって、絶対にそうだとは言っていないようです。 弁舌爽やかで愛想がよく、物事の道理をわきまえ正しい判断をする物語やゲームの理想的主人公に近い人間も存在しなくはありません。 剛毅なだけでは自分の主張を曲げない偏屈な人間な場合もあり、相対すればかなりの迷惑です。 朴訥すぎれば他人とのコミュニケーションに難有りで周りから暗い人間と疎まれるでしょう。 本物の仁者とはどのような人物なのか、理想とする君子にはどうしたら成れるのか、見当もつきませんが解答を得るのは遠く感じます。 見つけられそうですが、どちらのタイプも一緒にいてあまり楽しくなさそうなので無理に探すこともないでしょう。 社会人になりたての頃に出会った先輩は普段は愛想が良くて上部だけの付き合いは非常に上手いのだけれど上司や目上の人が姿を見せないとどんどん本性が現れ口が悪くなるような人でした。 その為にこの先輩と接する時は人一倍緊張感があり後輩の私に笑顔で接していながらもこの人は心の中で何を思っているんだろうと思うと一緒に働くのが怖かったです。 幸い、私が入社3年目くらいでその先輩は結婚退職されました。 そしてその先輩が職場から去った後に他の先輩方が辞めた先輩は裏表が激しく巧言令色だったと言っていたのです。 難しい言葉で初めて聞いた時にはびっくりしたけど自分なりに調べたところ上手い具合に相手に取り繕う先輩にはその巧言令色という言葉がぴったりでした。 しかし、その先輩からは学んだ事も多くあり大人になって社会で働くには周りの空気を読んで世渡り上手にならなければ行けない場面もあるのだと言うことに気づかされました。 そして、学生感覚から抜けられずにいた私にとってはある意味お手本となる人物でした。 誰しも周りと上手くやって行こうと思うと自分も含めて少なからず無意識のうちに愛想を振りまいたりして上手くその場を取り繕う事ってあるんじゃないかなと思います。 一見、巧言令色と言うと悪く捉えがちだけれど人間らしい部分でもあるなと思うと面白いですよね。

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厚顔無恥

【漢字】厚顔無恥 【読み】こうがんむち 【意味】厚かましく、恥知らずな人。他人の迷惑などお構いなしに、自分の都合だけで行動する。 【例文1】彼は厚顔無恥で他人の事などお構いなしに振る舞う。 【例文2】厚顔無恥な客に迷惑している。 【例文3】厚顔無恥な態度がはなはだしい。 厚顔無恥とは厚かましい上に恥知らずという意味です。 私の同僚にもいます。会社の飲み会があればお開き間近にやってきて残り物を食べても会費を払わない厚顔無恥な同僚にはあきれます。男性陣が甘いんですよね。いいよいいよ。もうラストオーダーだったしとか言っちゃって。それが狙いだとは気付きもせずに。 カラオケに行けば3時間の予約で入店すると1時間でお先に失礼しちゃうんです。ジュースだけなので、これまた、いいよいいよと男性陣が騙されます。この手口に何度騙されたか。ちょっと顔が可愛いからってなんでも許されると思ってるんでしょうね。女の友達はいないようです。てかなりたくもないです。二次会から気持ちよく帰ってきたところ見知らぬ番号から着信がありました。とってみると先に失礼したさっきの同僚からです。終電逃したから家に泊めてほしいというのです。近くまで来ているから迎えに来てほしいと。なんて厚かましいんだと思いましたが、野宿させられたと言いかねないので仕方なく今晩だけなら・・と泊めてあげました。

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口角泡を飛ばす

【漢字】口角泡を飛ばす 【読み】こうかくあわをとばす 【意味】興奮して口からつばを飛ばす。激しく口論する様子。 【例文1】彼は興奮すると口角泡を飛ばすので近寄りたくない。 【例文2】口角泡を飛ばしてクレームをつけてみっともない。 【例文3】負けじと口角泡を飛ばす。 電車で通勤をしています。通勤時間は激しく混雑する路線なのでいろんな事情でまあまあ遅延することがあります。そんな時に見かけるのが口角泡を飛ばして駅員さんにクレームを言っている人。 電車の遅延って鉄道会社のせいじゃないことがほとんどですし、そもそも、駅員さんにクレームを言ったところで電車が動くわけでもないですしね。通勤時間の電車なので遅刻できない事情があるんだろうと気持ちが分からなくもないですけど、はっきりいって見ていて気分のいいものではないですね。人には優しくしたいものです。 それから電車でよく見かけるのが口角泡を飛ばしておしゃべりしている集団。まあ車両全体がうるさかったらそんなにも気になりませんが、早朝の人のまばらな電車でほとんどの人が寝ている中にそういう人がいると少し気になりますね。こっちは仕事なんだから遊びに行くやつは静かにしろ!なんて自分勝手な主張をする気はもちろんありませんけれど、やっぱり電車には色んな人が乗っているのでお互いに気を使って気持ちよく利用したいですよね。 以上電車や駅でよく見かける口角泡を飛ばす人たちの話でした。口角泡を飛ばすほど大きな声で話すと周りの人には丸聞こえなので気をつけたいものですね。

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後悔先に立たず

【漢字】後悔先に立たず 【読み】こうかいさきにたたず 【意味】済んでしまった事を後で悔やんでも仕方ない。 【例文1】彼女と別れた後に良さを気付くなんて後悔先に立たず。 【例文2】楽しげな写真を見て、社員旅行に行けばよかったと後悔先に立たず。 【例文3】元カレが御曹司だと知り、後悔先に立たず。 後悔先に立たずは事が終わってから、ああすれば良かった等と悔やんでももう取り返しがつかないという意味です。その為事前に万全の準備をするよう促す言葉としても用いれると考えられます。 学生時代の体験です。当時プロフ帳が流行っていて友達同士で交換していました。新しい子と仲良くなる時の話し掛けるきっかけ作りもしてくれてたので気に入って使っていました。プロフ帳は名前や自分の性格とか好きなものに関してだったり、中には心理テストとか持ち主の印象を問う内容とか種類によって書く項目が変わるので書くのも楽しかったです。ある日もらったプロフ帳のひとつに好きな人の名前を書く欄があり、あまり考えず当時好きだった人のイニシャルだけを記入した事がありました。 しかし友達に渡してから数日、クラス中に自分の好きな人がバレていました。その子のプロフ帳を男子が取り上げて見てしまったところから広まったようでイニシャルだけだったのに何となく分かってしまったようです。それからは何かと私と好きな人がくっつくようにと不自然に二人っきりにさせたり委員に推薦しようとしたりとか周りが面白がってるのが分かり、恥ずかしくて仕方ありませんでした。 また彼には好きな子がいるのを知っていたので、自分のせいで迷惑をかけてしまってるのが申し訳なくて後悔の毎日でした。彼は私を責める事なく話してくれたりして良い人だったのが救いでしたが安易に書くものじゃないなと反省しました。 後悔先に立たず、とはよく聞く言葉ですが、悔やんでも何も解決しないとは分かっていても、こうしていれば回避できたはず、と思うことが多いです。 法律を知りもしなかったため、私は換金申請分をネットバンクに振り込まずに閉鎖したお小遣いサイトの事を今も悔やんでいます。怪しい運営元なのは分かっていましたが、私は振り込んで貰えなければ消費者センターに相談すれば解決するに違いないとタカをくくっていたわけですが法律上では全く違っていたので、某市の消費者センターに相談しに行ったのはただの時間の無駄だったわけです。ちゃんと法律を勉強しておけば、最初から運営元がかなり怪しいと掲示板でも言われていたポイントサイトに関わって携帯代や稼ぐのに使った費用を無駄にせずに済んだのにと今でも後悔します。 先ほどの話題とは関係ない事になりますが、他にも後悔した事を書きます。貰ってきてたった半年の飼い猫を外飼いにして交通事故で死なせてしまった事です。交通量の少ない田舎だからと油断せずに室内飼いにするようもっと強く家族に注意すればよかったと悔やみました。最後の日に、初めて私の布団の中で寝ている所を見て、撫でて無理やり起こしてしまった後、外に遊びに行って事故に会いほぼ即死でした。 家族はもっと車を見せて危ないという事を教えて訓練させればよかったと言っていますが、猫に車を見せても危険を理解する知能があるとは思えないので不安です。

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甲乙付け難し

【漢字】甲乙付け難し 【読み】こうおつつけがたし 【意味】二つのものに大して差がなく、どちらが優れているかを決めるのが難しい。 【例文1】どちらの就職先に決めようか甲乙付け難し。 【例文2】二人とも背が高くてカッコよくて甲乙付け難し。 【例文3】どちらも日当たり良好で甲乙付け難し。 甲乙付け難しという言葉は一般的には物事などの優劣がつけにくい事を意味しています。この甲乙とは元々は古代中国で使われていた十干が由来になっていて、第一位である甲と第二位である乙が元になっています。 なのでどちらも一位に相応しい場合や実力が拮抗している時にはこの甲乙付け難しが使われていて、両者が近い状態にある事を意味しています。またこの甲乙という言葉は契約書などでも使われていて、一般的には甲の方が主導権を持っている様なニュアンスになっています。 例えば家を借りる時などには大家が甲になり借り手側は乙になるケースが多くなります。さらに企業間での取引などの場合には自社を乙として相手の企業を甲とする事が多くなりますが、実際には甲乙に明確な決まりはないとされています。 しかし、十干では第一位が甲であり第二位が乙になりますので、甲の方が優先順位が高いとされています。そして昔は日本でも成績に甲乙を使っていた時代があり、その時には最も良い成績には甲がつけられ次に優れている物には乙がつけられていました。 厳密に言えば甲乙付け難しとは、元々明確な基準がない物に対して順位をつけると言うやや特殊な言葉であると言えます。

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行雲流水

【漢字】行雲流水 【読み】こううんりゅうすい 【意味】物事に執着せず雲や水の流れのように自然に任せて行動する。 【例文1】次の家族旅行は行雲流水で行ってみよう。 【例文2】行雲流水の旅に出る。 【例文3】散歩コースは行雲流水だ。 「行雲流水」とは読んで字のごとく、風に乗っていく雲ように、また水の流れのように自然に身を任せて行動するようなことを言います。一見無責任なようにも見えますが、古い言葉として残っているように昔の人々はより自然に任せるような暮らしていたのではと感じます。 これらのことは確かに競争社会を生き抜くためには重要なことですが、夢や目標に固執してしまうことは価値観を狭めてしまうなど、ときに弊害ももたらします。 「行雲流水」は夢や目標達成とは真逆な考えにも思えますが、とくに心の部分において重要な考え方なのではないかと思います。 成長していくにつれて変わっていく心境や考え方の変化をどうとらえるか、もともと持っていた夢や目標との間に矛盾が生まれたときに「行雲流水」という考え方を知っていればそれが当たり前なのだと受け入れられます。 空に浮かぶ雲のように、また川を流れる水のように、心は常に変化していくものでありそれが自然なのだと感じるようになれれば、大きな壁にぶつかったときでもその壁を乗り越えやすくなるのではないかと思います。 「行雲流水」は、こううんりゅうすいと読みますね。「流水行雲」と使われることもありますよ。字面が良い四文字熟語なので、色々な作品に使われますね。 漢字を目にして受ける印象から「自由気まま」を意味する言葉に思われがちですが、実際はもっと奥の深い意味を持つ禅語なのです。 「行雲」は空を悠然と行く雲、「流水」は絶えることなくさらさらと流れる水です。 雲も水も留まることなく絶えず動いていますね。 このよどみのない無心無想で自由自在の状態を「行雲流水」と表しています。 ここから、一定の形を持たずに移り変わっていく様子や、物事に深く執着しないで自然の流れに身を任せて行動することの例えになりました。 「行雲流水の生活」と使われることが多いですよ。 言葉の意味は次第に「自由気まま」と受け取られるようになりました。 そのほうが「なんだかカッコイイ」イメージになります。 ですが、本来「行雲流水」とは、禅語として「人生の無常」「世の無常」を例える言葉なのです。 自然現象である「行雲流水」のように、人生や世の中も常に変化していて、良いときもあれば悪いときもあるけれど、どんなときでも淡々とさわやかに生きることを言い表しているのですね。 ちなみに、諸国を巡り歩いて修行する禅僧の「雲水」の元になった言葉でもあります。

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光陰矢のごとし

【漢字】光陰矢のごとし 【読み】こういんやのごとし 【意味】飛んでいく矢が速いように月日が経つのは早いものである。 【例文1】結婚してから光陰矢のごとし30年経った。 【例文2】つい最近中校を卒業したかと思えば成人式だなんて光陰矢のごとし。 【例文3】我が子の成人式を迎え子育ては光陰矢のごとしだ。 光陰矢のごとしとは飛んでいく矢が光のように速いように月日が経つのはあっという間だということです。 皆さんも感じたことはありませんか? 「まだまだ赤ちゃんだと思っていたが、幼稚園に入園して成長を感じた。」 「今の職場に就いて40年、来月で定年を迎えるが、あっという間だった」などのシーンで使われます。 私が若いころ、年配の方に月日はあっという間に10年、20年経つわよと言われて今を精いっぱい楽しんでいるのにまだまだ~なんて思っていました。 実際、結婚して23年、去年、息子が成人式を迎え半生を振り返ってみると本当に光陰矢のごとしとはよく言ったものです。初めて誕生したこどもの子育ては一生懸命でした。3年後、娘生まれました。二人目は少し余裕ができてあっという間に長男と娘の入園、卒業を繰り返し、気づけば反抗期を迎え、中学校に入ると個人の部屋を持つようになり、淋しさも覚えました。そんな長男も立派な社会人となり成人式を迎えた時は感無量で涙が溢れかえりました。今年は娘が高校を卒業します。これで親の役目は終わるのかと思うと嬉しくもあり、寂しくもありますが、しばらくは自由な時間が持てそうなので、温泉にでも行きたいと密かに願っています。

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紅一点

【漢字】紅一点 【読み】こういってん 【意味】緑の草むらに一輪の紅い花が咲いている様子から、多くの男性の中に一人だけ女性が入ってひと際目立っている。 【例文1】紅一点目立ってたから、彼女がどこにいるのかすぐわかった。 【例文2】男社会といわれる中、紅一点でリーダーシップを取る。 【例文3】モデル並みの長身で紅一点だ。 「紅一点」という言葉は唐の政治家、王安石が詠んだ詩の一節「「万緑叢中紅一点」(青葉茂れる中に赤い花がひとつだけ咲いている)から生まれた言葉です。その場の情景の中で唯一つ異彩を放つもの、転じて多くの男子に交じっている一人の女の子を指します。スポーツの世界では紅一点という言葉が使われることがありますね。地方の柔道場や空手道場などで、男子に交じって練習する女子などがそうです。その代表選手がサッカーの沢穂希さんです。彼女はまだ「女子がサッカー?!」とクエスチョンマークやエクスクラメーションマークがつくような時代に、地元のサッカーチームにお兄さんと一緒に参加し、紅一点として練習していました。当時は女子は公式試合に出られなかったり、不具合なことも多々ありましたが、誰よりも練習に励みアメリカにサッカー留学し、活躍してから日本に戻ってなでしこジャパンの世界一に大きく貢献したことは知られています。今でこそ、サッカーも女子だけのチームができ、公式試合も組めるようになっていますが、そこまで女子サッカーを進展させたのは彼女を含め、力の差のある男子に交じり紅一点でありながらも努力し花を咲かせてきた女子サッカー選手たちのお陰です。紅一点であった彼女たちの咲かせたのは世界の頂点で輝く大輪の花でした。

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鯉の滝登り

【漢字】鯉の滝登り 【読み】こいのたきのぼり 【意味】勢いがあって高い地位につく。 【例文1】A氏は正義感があり鯉の滝登りみたいに出世した。 【例文2】日本人離れしたスタイルが鯉の滝登り並みに雑誌の表紙デビューを飾る。 【例文3】企業1年で年商1億とは鯉の滝登りだ。 「鯉の滝登り」とは鯉が中国の黄河にある急流(竜門)をさかのぼり天に至りて龍となるという伝説から、人の立身出世をさします。鯉はそもそも池や川底など流れが比較的緩やかな場所を好み、滝をさかのぼることなどまずあり得ません。竜門という場所の下には鯉やフナなどがよく群れているのだそうです。その群れの中の一匹でも抜け出して滝を逆に登ろうと試み、もしも登ることができればその鯉は龍立身出世のための難しい関門という意味で生まれています。この伝説から床の間に掛ける、掛け軸も鯉が滝に登ろうと跳ねている絵が縁起物として喜ばれ、昔は新築祝いなどに贈られました。また、男子の初節句に揚げる鯉のぼりもこの伝説から、男子に生まれたからには立身出世をと願う思いから習慣になったと考えられます。 登竜門は芸能界のオーデイションなどでも、「新人デビューの登竜門」などと使われますし、もっと身近なところで運動会の入場口の門に登竜門と書いている学校もあります。立身出世と言えば日本で有名なのは木下藤吉郎、後の豊臣秀吉ですね。地方武士の配下であった農民出身の彼が天下を治めるまでになるのですから、これ以上の立身出世はありえません。のちのち天下を取った織田信長の家来になるという幸運に恵まれたかもしれませんが、本人の才覚だけでなく、池の鯉が急な滝をさか登るほどの努力を重ねて得た天下だったに違いありません。大阪城の天守からの眺めは彼にとって格別なものだったでしょう。 立身出世を意味する言葉に「鯉の滝登り」があります。こどもの日の鯉のぼりの由来となってもいるこの言葉について、そのルーツをお話ししましょう。 これは、中国の「後漢書」に出てくる故事に由来します。ある宮廷の実力者に能力を認められた人は必ず出世するということを、「竜門を登った鯉」になぞらえました。 試験やオーディションなど、出世のための関門のことを「登竜門」と言いますが、「竜門を登る」が「登竜門」という言葉になったわけです。 では、竜門とは何か。これは、黄河の上流にある急流のことで、ある皇帝が竜門山という山を切り開いて作ったものです。要するに、皇帝の治水事業によって生まれた滝ということになるでしょう。 その急な流れをさかのぼることができる鯉はそう多くはありません。かなり稀な力を具えた鯉と考えていいでしょう。そのように特別な能力を持っている鯉が、竜門を登りきることができるわけですが、登り切った鯉は、何と竜に変身して天に上るとされています。 地上の魚が天上の竜になるわけですから、これ以上の出世はありません。それで、立身出世するための関門を「登竜門」と称し、その関門を越えて出世することを「鯉の滝登り」というようになったのです。 子どもの日の鯉のぼりには、ですから、「わが子の出世を願う」という意味が、本来はあるわけです。 中国の伝説で、黄河上流には流れが激しく、河を遡ろうとする大魚が、それ以上は進めずに集まってしまう“龍門”と呼ばれる場所があるそうです。 激しい流れを物ともせずに、急流を昇り切った鯉は龍になると云う故事から、“鯉の滝登り”とは、目覚しい立身出世を意味する、ことわざとなっています。 オーデション番組や、創作物のコンクールなどで用いられる“登竜門”とは正にこの事で、多くの試練を潜り抜けた者は、龍となって目覚しい将来が待っていると云った意味合いで用いられているようです。 “鯉の滝登り”は、立身出世を願う縁起物であり、掛け軸などに好んで描かれ、端午の節句や、開業祝いなどの贈り物に良いとされています。 ただ、滝を登るのが“鯉”とされたのは日本独自な物のようで、本場中国では“大魚”または“チョウザメ”なのだそうです。 鯉の滝登りの出典は“後漢書”と云う物で、“可もなく不可もなく・烏合の衆・先見の明・帰化”など、今日の日本でも馴染み深い多くの言葉が、後漢書より生またそうです。

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