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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。 Powered by 手作り言葉辞典

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仏頂面

【漢字】仏頂面 【読み】ぶっちょうづら 【意味】愛想がなく不機嫌そうに見える顔。 【例文1】部長は仏頂面だけど、家では子煩悩なパパなんだよ。 【例文2】上司は仏頂面で印象が悪い。 【例文3】不服で仏頂面をする。 私は感情がすぐに顔に表れやすいタイプのようです。 その為、機嫌が悪い時はすぐに仏頂面になっていたようで、親にそのことを何度も言われたことがあります。 親しい人たちの間ではそれで通じるかもしれませんが、それ以外の場面では仏頂面が原因で、物事が上手くいかなくなってしまうことがあります。 デスクワークでも心の状態が電話に出てしまうこともあります。 その為、仕事中は私的な感情をなるべく抑えるようにしてきました。 繋ぎのバイトで接客業に就いた時、仏頂面に見えないようにするために、毎朝通勤時に口角を上げるようにしていました。 最初は頬の筋肉が痛かったのですが、すぐに慣れてきてその習慣が当り前のようになっていきました。 この習慣のおかげで来客の方にも気軽に声をかけてもらえるようになりました。 口角が下がっていると、機嫌が悪くなくても仏頂面に見えてしまいます。 例え、お客様に非があったとしても、笑顔で上手く対応できるようになりました。 どんな状況でも仏頂面での対応では、相手はそれだけで気分が悪くなってしまいます。 笑顔こそ最強の武器かもしれません。 今後も笑顔で接することができるようにしていきたいです。 仏像の仏さまのお顔はたいてい穏やかで、慈悲深いものです。仏像ブームと言われてかなりの年数が経ちますが、多くの仏像ファンは、そうしたありがたい仏像のお顔に心癒されているに違いありません。 特別な仏像ファンでない私も、たまに仏像を目にすることあると、心が静かに整えられたり、汚れた心が洗われるような気持ちになるものです。 そんな仏さまのありがたいお顔ですが、「仏頂面」はそれとは反対の意味を持っています。不機嫌そうで、見る人を不快にさせるのが仏頂面と考えていいでしょう。「仏」の文字がついているにも関わらず、どうしてそんな良くない意味で使われるのか。 諸説あるようです。いかにもいやそうな顔つきのことを「不承面(ふしょうづら)」と言い、それが転じて「ぶっちょうづら」となり、「仏頂面」の文字があてられたという説。 ふてくされた表情の「不貞面(ふてづら)」から転じたと言う説。 しかし、そのどちらも、なぜ「仏」の文字が使われるようになったのか、腑に落ちません。 別に、如来の登頂に宿る神秘力を仏にたとえた「仏頂尊」が無愛想にも見える顔つきをしているからという説があります。こちらの方が、「仏」の文字が使われている意味が納得できるように思われますが、いかがでしょうか。 いずれにしても、仏頂面をして人を不快にさせてしまうことは、避けたいものです。

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不退転

【漢字】不退転 【読み】ふたいてん 【意味】仏教語で何があっても屈しない信念を持つという意味。 【例文1】不退転の決意は変わらない。 【例文2】不退転で転職を決める。 【例文3】不退転で結婚を誓う。 物事を進めていくためには、時には不退転の心構えで臨む必要があります。 特に大事な場面ではなおさらのことです。 いくら綿密な計画を立てていても、世の中は予想道理にはいかないことが多いものです。 外出しよう思ってあらかじめ天気予報を調べたら、天候は崩れなさそうだと思っていたのに、出かける間際になって急に天候が急変することもあります。 これは空の様子だけではなく、世の中や人生においても同じようなことが十分にあり得ます。 もしかしたら下手に予定を立てずに、そのつどアドリブで行ったほうが上手くいくのではないかと思うこともあります。 先のことに対して安心した途端に、予期せぬことに出会ってしまうということもあります。 しかし、そのような時でも常に不退転の心構えで臨んでいけば、道は開けていくと思います。 いつも逃げ道ばかりを探していると、いつの間にか行くべき道を見失ってしまうかもしれません。 物事をやり遂げるためには不退転の強い決意が必要ですが、集中力は欠かせないと思います。 集中力があることで、予期せぬ事態になっても、何とかそれを乗り越えていけるのだと思います。 天気や情勢が急変して、良くない方向へ行ってしまったとしても、何らかの対策はあるはずです。 諦めずに解決策を求めていく力が不退転に繋がっていくと思います。

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文明開化

【漢字】文明開化 【読み】ぶんめいかいか 【意味】明治時代の初め、服装・暮らし・鉄道・建物など西洋文明を導入して便利になったこと。 【例文1】文明開化によって現代の暮らしが楽になる。 【例文2】日本の技術はトップレベルで文明開化だ。 【例文3】文明開化はまだまだ進歩する。 文明開化のお菓子と言えばカステラですが、最近では色々なタイプのカステラがあって、お土産でカステラを購入する時に驚きました。 生カステラや生地の間にクリームがサンドされているタイプなど様々で、古くからあるお菓子も時代に合わせ変わっていくものだなと思いました。 当時、文明開化の窓口になっていたのは長崎などを始め九州地方が中心で、幕府がある江戸まではかなりの距離があり、外国から伝来した物を国の中心に届けるのは大変だったろうなと思います。 現在では、カステラを食べたい時どこに行っても購入が可能で、便利な世の中になっていますが、なんでも本場の物が美味しいというのが定番です。 関東に住んでいる私は、カステラを食べる場合スーパーやコンビニなどで購入しますが、それなりの期待した味わいを楽しめています。 しかし、以前長崎から転勤して来た人から、手土産の本場のカステラを貰って食べた時、あまりの美味しさにびっくりしました。 普段食べているカステラも美味しいですが、本場のカステラは生地のしっとり感が違い、ザラメのアクセントもバッチリで、正に文明開化の味でした。 それ以来、本場のカステラが好きになり、九州地方へ出張した時には、必ず本場のカステラをお土産で購入しています。 明治に入ってからの日本の文明開化は、その後の日本にも大きな影響を与えていると思います。 今でも少なからず西欧のものは最先端で美しく、カッコよいというイメージがあります。 決して日本の文化が良くないということではないのですが、普段は目にしない西欧文化が何となくイケてる感じがしてしまうのは、もしかしたら今も昔も同じなのかもしれません。 世界中で流行る文化のほとんどは西欧からスタートしています。 中には日本が発祥で世界的ムーブメントを起こす文化もありますが、数は少ないような気がします。 どうしても昔から先進諸国=西欧諸国というイメージがあります。 もし、文明開化がなかったら、この連想イメージも少し変わっていたのかもしれません。 私は日本で生まれて日本で育ってきたので、西欧諸国から見た日本やアジア圏のイメージがどんなものなのかよくわかりません。 もしかしたらエキゾチックで神秘的なイメージもあるのかもしれません。 西欧人から見たらアジア人は全くの異国人です。 見た目も違いますし、言語も文化も違った状態で発展してきました。 まったく異なる人種や文化だからこそ、惹かれあうものがあるのかもしれません。 私は西欧諸国の言語を学んでいますが、そこにも日本語とは全く違うものを感じます。 改めて文明開化の凄さを感じてしまいます。

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文武両道

【漢字】文武両道 【読み】ぶんぶりょうどう 【意味】勉学とスポーツの両方が優れている。 【例文1】文武両道を目指す。 【例文2】進学校に通いながら国体出場だなんて文武両道だ。 【例文3】文武両道は大変だ。 もうすぐ8歳になる息子は、大のサッカー好きです。あえて好きにさせたところもあり、1歳の誕生日に小さいサッカーボールをプレゼントし、いつも公園に行ってはボール遊びをさせてきました。実は夫が学生時代にサッカーをしていたので、息子にはできれば選手レベルになって欲しいと願っています。ただし強制すると逆に嫌がるようになる例もあるので、自然に気が付いたらサッカーだ大好きだったという風にしたいね、と1歳からじわじわと用意していた感じです。ただし、私の望みは文武両道。いわゆるスポーツバカにはなってほしくありません。夫は、今の世の中は何かに秀でていればそれでよし、サッカーに秀でていれば学校の成績なんてどうでもよい、という考え。でも母親としては、学校の成績もできればトップクラスで、かつスポーツ万能だったり、何かのスポーツに秀でている、というのに憧れるわけです。女性はそういう男性を好むからなのかも知れませんが。学業とスポーツの両立、これは学年があがるにつれて、ますます難しくなると思います。既に息子は宿題が嫌いで、とにかく学校から帰ったらおやつを食べて外でボールを蹴りたがるくらいサッカーにはまっています。憧れの文武両道、夫婦の中での統制がとれていないと息子も困ると思うので、一度ちゃんと夫と話し合わないといけないと思っています。 学生時代、部活動で弓道に打ち込んでいたのですが、高校と大学では大きく異なることがありました。それは、自分で練習時間をコントロールする必要性に関することです。高校では、勉学つまり授業に出ることが重要で、部活はその次という考え方が当たり前でした。ですから、授業をサボって弓道の練習をしている生徒はいませんでしたし、もしいたら先生に呼び出され注意されていたことでしょう。あくまで、授業外の時間を自分でやりくりして練習するという考えを誰もが持っていました。ところが、大学では授業に出ようが出まいが、全ては自己責任です。弓道に打ち込み過ぎて、出るべき授業に出ずに道場にこもる先輩がいました。練習時間はいくらでも確保できますので、弓道の腕は確かに上達します。でも、本当にそれでいいのだろうかと思いました。そこで浮かんだのが文武両道という言葉です。 限られた時間の中で、いかに集中して練習するかということが大事なのではと感じました。やるべきことはやったうえで、弓道にも精を出す。それこそが目指すべき姿なのだと思います。実際、弓道に打ち込み授業をおろそかにした先輩は、留年していました。これでは文武両道とは言えません。自分で自分の生活をコントロールすることも、武道を志す者としては重要なのです。 私が通っていた高校は、地元ではそれなりに名の知れた進学校で、スポーツも盛んだったので自他共に「文武両道」をうたっていました。 学生時代も卒業してからも、母校を聞かれてその高校の名前を答えると、「文武両道で素晴らしいね」「〇〇ちゃん文武両道なのね」といつもうらやまれたり褒められたりしました。 でも私は、そう言われるたびにいつもつらく気まずい思いをしていました。なぜなら、私自身は文・武ともにまるっきり苦手だったからです。受験の時は補欠合格でなんとか入学できましたが、授業には全くついていけず成績はいつも下から数えた方が早いほど。毎日ちゃんと授業には出ていたのですが、サボりがちな不真面目な同級生に混じって、補習を受けるのが毎回のことでした。部活も、初めは張り切ってバスケット部に入りましたが、補欠にすらなれず早々に退部。一応美術部に籍だけ置いて、なんとなく過ごす日々でした。 「文・武どっちもなんて贅沢は言わないから、せめてどっちかだけでも得意だったらなぁ」といつも思っていましたが、世間ではそんな風に見てくれません。みんな好意で言ってくれているのは分かっていましたが、実際の自分とのギャップにいつも鬱々としていて、今でも「文武両道の…」と自分から言う人にはちょっと苦手意識を持ってしまいます。

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文は人なり

【漢字】文は人なり 【読み】ぶんはひとなり 【意味】文章を見れば書き手の人柄がわかる。 【例文1】文は人なりで就職試験に作文が課せられる。 【例文2】誤字脱字が多く文は人なり。 【例文3】手書きの文章が文は人なりだ。 言霊という言葉があります。 話した言葉には魂が宿っていて、それが大きな影響をもたらすので、言葉使いには十分に気を付けたほうが良いと改めて思います。 「文は人なり」も話し言葉と書き言葉の違いはありますが、本質的には同じ意味のような気がします。 どちらもその人の内面性のようなものが現れるのではないかと思います。 どんなにキレイな言葉使いでも、中には悪意を感じるものや、言われても嬉しくないものもあります。 それは書き言葉も同じことだと思います。 最近は直筆の文章ではなく、メールなどが多くなってきました。 その為、文字の汚さなどは分からなくなりました。 しかし、メールでの文章でもその人の人間性を知ることができることがあります。 オンライン上での会話も多く行われるようになりましたが、やはりそこにも「文は人なり」がよく表れているような気がします。 私も文章を書く一人として、やはり心のこもった文を書いていかなければ、と改めて思います。 以前はメールの返信も自分が入力したものを読み返さずに送信していました。 その為、誤字脱字が多く、相手に意図がわかりにくいこともけっこうありました。 今ではそれを反省して、送信前に必ず文章を読み返すことにしています。 面倒くさいと思って書いた文章は必ずバレてしまうと思います。

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踏んだり蹴ったり

【漢字】踏んだり蹴ったり 【読み】ふんだりけったり 【意味】重ね重ね災難が続く。 【例文1】財布を忘れた上に会社に遅刻で踏んだり蹴ったり。 【例文2】飲みすぎて財布を失くして踏んだり蹴ったり。 【例文3】強風で傘が折れ、泥はねにも遭い踏んだり蹴ったり。 営業の仕事で、得意先に怒られて意気消沈して社に戻ったら、上司からまったく別のことについて叱られてしまいました。 席に戻って隣の同僚にその話をして「踏んだり蹴ったりだよ」と話したところ、同僚は「それは大変だったね。ドンマイ、ドンマイ」と慰めてくれました。 その後で、同僚がこんなことを言ったのです。 「それはそうと、踏んだり蹴ったりというのは、変な表現だな」 「どうして?」 「だってそうじゃないか。ひどい目に立てつづけにあうことを、踏んだり蹴ったりというわけだろ。だけど、君のことを踏んだり蹴ったりしたのは、得意先と上司ってことになる。君は、得意先と上司から踏まれたり蹴られたりするような目にあったんだから、『踏まれたり蹴られたり』というべきじゃないのか」 言われてみれば、たしかにその通りです。「踏んだり蹴ったりだよ」というと、なんだか私が人のことを踏んだり蹴ったりしたような意味になってしまうでしょう。 「泣きっ面に蜂」と同じく、良くないことが続けて起こったのですから、「踏まれたり蹴られたり」といわなければ、意味が正しく表現できません。 それで連想したのが「負けず嫌い」という表現。これも「負けるのが嫌い」なのですから、「負け嫌い」というのが正しいでしょう。 日本語には不思議な表現があるものですね。 ツイてないなあと感じるようなことは、日常の中でしょっちゅうあります。毎日いいことしか起きない幸せな人生なんてありえないですからね。いいことも嫌なこともあるから、幸せを感じることができるようになっているのだと思います。でも、あまりにツイてないことが立て続けに起きると、さすがにげんなりしてしまいます。嫌なことが重なるさまを、踏んだり蹴ったりという言葉でよく表現しますが、不思議かな、嫌なことって続くのですよね。 自分で防げるものなら、あらかじめ避けたいものですが、特に天災などは急に起きたりするもので防げない場合も多々あります。私は学生の頃、自転車通学をしていた時期があったのですが、ある日、天気予報を見忘れいつも通りに自転車で学校から帰るとき、ゲリラ豪雨に見舞われたことがあります。自転車でゲリラ豪雨は、最悪です。しかも、坂だらけの道で強風も発生。向かい風と嵐のような雨の中、必死で前へと進みました。ちなみに天気予報は見てなかったのに何故か傘を持っていたので、とりあえず自転車を押しながら傘をさすことに。でも、台風のような突風で、傘は一瞬で壊れてしまいました。もはや自転車も傘もただのお荷物です。まさに踏んだり蹴ったりでしたが、まだ登校中ではなく下校中だったのが唯一の救いでした。

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粉骨砕身

【漢字】粉骨砕身 【読み】ふんこつさいしん 【意味】勉学や仕事で力のある限り努力する。 【例文1】粉骨砕身で働いてきた両親に感謝してます。 【例文2】家族のために粉骨砕身で働く。 【例文3】マイホームのため粉骨砕身で働く。 私は家族がいます。妻は専業主婦で子ども達は中学校3年生と1年です。家族のために粉骨砕身で仕事をしてます。教育費には本当にお金がかかります。 子ども二人は学習塾に通っていますから二人分の授業料と高校入学準備もありますのでいくらお金があっても足りません。 妻はパートに出るため職を探しています。9時から16時まで時間に追われない程度のパートが希望です。世の中の皆さんもそうだと思いますが、家族のために働くのは目標がありますので仕事はきついですが、粉骨砕身で働いています。 クタクタに疲れて帰ってきますが、受験生の姿を見ているとまだまだ頑張らないとと思っています。仕事から帰宅してお風呂に入っている時と晩酌が一番の楽しみです。将来の教育資金のために倹約していますので、晩酌は私一人で一日1本と決めています。タバコはやめました。外食も3週間に1度くらいです。 おいしいつまみと晩酌を終えてこれでよし明日もがんばるぞという気持ちがわいてきました。早く妻のパートが決まればいいなと願いながら、眠りに就きます。それではみなさんもがんばりましょう。

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刎頸の交わり

【漢字】刎頸の交わり 【読み】ふんけいのまじわり 【意味】中国の戦国時代に趙で活躍した将軍廉頗と名臣藺相如が残した故事。大切な人のためなら、首を切られる覚悟があるというほどの親密な付き合い。 【例文1】お隣さんとは20年来の刎頸の交わりがある。 【例文2】刎頸の交わりの覚悟でプロポーズする。 【例文2】我が子のためなら刎頸の交わりで守る。 刎頸の交わりとも言える友情を築くことは容易なことではないと思います。 友人といっても世代や男女、環境によってさまざまな形があります。学生時代の友人、サークルの仲間、バイト先の仲間、会社の同期など生き方によっても出会う場所も付き合い方も変わってくるのではないでしょうか。 ママ友やパパ友は子どもがあってこそのつながりです。子ども関連で団結できるかもしれないし、反面わが子かわいさゆえにママ友、パパ友に反感を持つこともあるかもしれません。 会ったことがなくてもネット上で共通の悩みや趣味を持ったチャット仲間、オンラインゲームの仲間を友人と呼ぶこともあると思います。SNSで知り合った人を友だちと呼ぶこともあるでしょう。 ネットの影響でわたしたちは友だちをつくる手段はたくさんあるように見えます。その中で腹を割って話すことができるほんとうの友人はどれぐらいいるでしょうか。 刎頸の交わりの意味は「お互いに首を斬られても後悔しないような仲」だそうで武士の固い友情を想像させます。戦国のいつ死ぬかわからない時代だからこそ生まれた言葉とも言えるでしょう。武士として真剣に戦いに向き合ってこそ、刎頸の交わりかもしれません。わたしたちの時代は戦国の状態ではありませんが、真剣に自分の人生に向き合ったときに刎頸の交わりの友を得るのかもしれません。

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付和雷同

【漢字】付和雷同 【読み】ふわらいどう 【意味】自分の意見がなく他の人の意見ばかりに賛成する。 【例文1】取り引き先との接待は付和雷同で同席する。 【例文2】付和雷同の接客トークに入る。 【例文3】無難に付和雷同で終わらせる。 動物園などでペンギンの集団を見ていると、陸に上がっているときに水のあるところに入ろうとするときに面白い習性があるように思います。 それは集団で水際に押し掛けていながら、なかなか飛び込もうとせずにいます。 そしてその中の一匹が意を決したように、水に向かって飛び込んで行くと、その他のペンギンも慌ててそれにつられて飛び込んでいきます。 一匹ずつというのではなく、ほんとうに何はさておき飛び込まなくてはという感じ。 これこそ「付和雷同」というのを目の前に見て、毎回おかしくなって笑ってしまうのです。 人間の世界にも「付和雷同」だな~と思えることがよくあります。 それはテレビのいろいろな番組で感じられることです。 ひとつの番組で取り上げたニュースを、同じ視点・同じ切り口で伝えるのですから、ペンギンとあまり変わりがありません。 芸能界などで何か事件があると、どこかの番組がそれを取り上げ、その他の番組が次々にそれに従って同じような内容で報道をします。 誰かが失敗をすると、同じ芸能界にいるタレントがその失敗についてああだこうだと意見を言うというのが最近のテレビのバラエティ番組のスタイルです。 やり玉にあげられる人もまた次々と現れるから不思議です。 大人になるにつれて自分の意見をきちんと発言せずに、不和雷同して顔色をうかがう人が増えたように感じてしまいます。 周りに合わせるのが処世術なのかもしれませんが、同時に自分たちの首をしめているようにも思えて私は気持ち悪いです。 古いしきたりで、伝統なのか知りませんが効率の悪い方法でやっているのであればそれは改善したほうが結果的に効率があがるでしょうし、意見を求められて「〇〇さんと同じです。」とか多数派と同じにしておけば間違いないだろうという考えがよくないと思います。 ビジネスにおいてもそういう周りの反応を気にしてたら新しいことってできないと思うんです。 政治なんかも不和雷同と言えるんではないでしょうか。 有権者の若者は選挙に行かない、行くのは高齢者がメインであるがために高齢者に好かれるマニュフェストを掲げる。 TPPや年金問題がそれですよね。 高齢者の望む意見に不和雷同すれば選挙はいいのかもしれませんが、それじゃいけないと思う人はいないでしょうか。 付和雷同したマニュフェストなんか掲げられても求心力がないと思います。 人の顔色をうかがうばかりではなく、自分の意見をしっかりと言える大人に私はなりたいと思っています。

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不老不死

【漢字】不老不死 【読み】ふろうふし 【意味】永遠の若さと不死身の身体を持つ人。 【例文1】食べ物と美容に人一倍気をつけ不老不死を目指す。 【例文2】努力しているからこその不老不死だ。 【例文3】足腰を鍛えて不老不死だ。 子どもの頃、不老不死の薬を必死で手に入れようとするおとぎ話や漫画を、いくつか読んだことがあります。 大人になった今、不老不死を望むのは女性に限ったことではない、ということも分かりますが、 昔、私が読んだものの多くは、美しさにこだわる女性が、必死だったような記憶があります。 年を取らず、死ぬこともない、それはそんなに素晴らしいことだろうか、 子どもの頃の私はそう思い、美しさにこだわる女性に感情移入できませんでした。 老いや死というものが、自分の身に降りかかることを想像できなかったせいかもしれません。 年月を経て、私自身の顔にも老いの証となるシミやしわ、たるみが表れるようになりました。 しかし、今なら、不老不死の薬を求める女性の気持ちが分かるかというと、そんなことはありません。 やっぱり、年を取らず、死ぬこともないという状況が、素晴らしいことだとは思えないのです。 女性とはいえ、美しさを武器にしたことがないためかもしれません。 人はいずれ年老いていきます。 だからこそ、若かった頃の自分や、今目の前にいる若い人たちを愛しく思えるのではないでしょうか。 病や事故で、若くして命を落とすのは確かに不本意ですが、 不死を約束されていたら、生きることの喜びや楽しさが薄れてしまう気がします。 もしも、不老不死の薬が目の前にあっても、私がそれを口にすることはないと思います。 都市伝説とかすごく大好きなわたしは、実はもう不老不死が実現できる世の中なのではないか、と時々思います。 医学や科学が目まぐるしく発達しています。 ひと昔前だと生き死にに関わったような病気も今はお薬を飲むだけで治ってしまいます。 本当はガンの特効薬も完成しているのではないか、と思っています。 では何故それを世の中に出さないのか・・・ 少し前、妖怪人間ベムというドラマが放送されていました。 鈴木福くんが子供の妖怪ベロを演じており、とても可愛く、とても切ないドラマでした。 このドラマには3体のベム、ベラ、ベロという心がとても綺麗な妖怪が登場します。 3体は血の繋がりはなく、でもいつも3体で行動しています。 3体はもうかなりの間生きています。 怪我をしてもすぐに治り、病気もしません。歳もとりません。ずっとこのままです。 正体を見てしまった人間は漏れなくドン引きして、どんなに仲良くしていても逃げてしまう。 でも彼たちの人生に終わりはありません。 その繰り返しなのです。死ぬことすらできないのです。 不老不死がいいこととは限らないのです。 ベム達が言った「死ぬことすらできない」とても切ない言葉だと思います。 みんな死ぬために生きていく。不老不死など幸せではないのです。 私は老人ホームに勤務しています。最近の高齢者は長生きの方が多く100歳を越しても不老不死状態です。外見上は極端に言うと20歳に比べれば当然老けていますが、足腰もしっかりしていて、生活もレクリエーションなど生活を楽しんでいます。まさに不老不死です。それにビックリすることは、ごはんを良く食べることです。よく食べ、よく動き、よく眠り、私は48歳になりますが、100歳を越しても不老不死状態でいれるか自信がありません。 そして、多少の物忘れは見受けられますが、頭もしっかりしている方が多く、計算も早いのが特徴です。長生きの秘訣、不老不死の秘訣は、聞いて見るとストレスを持つことなく、よく食べ、よく動き、よく寝ることだそうです。年々日本は高齢化社会となり、平均寿命も世界有数な長寿大国となりました。このまま平均寿命は延び続けて行くのは間違いないし、どこまで平均寿命が延びるのか未知の世界ではあります。医療も発達して癌も治癒する時代になりました。本当の意味で人間の本当の願いである不老不死の薬も出てくるかもしれません。不老不死は人類の永遠の希望と言っても過言ではないでしょう。老人ホームで働いている高齢者を見て最近特に不老不死を考えます。

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振り出しに戻る

【漢字】振り出しに戻る 【読み】ふりだしにもどる 【意味】物事が最初からの状態に戻る。 【例文1】被疑者のアリバイが崩れた。これで捜査が振り出しに戻る。 【例文2】結婚話が振り出しに戻る。 【例文3】出し物がかぶり振り出しに戻る。 人生の中で何度か振り出しに戻ったような時もありました。 しかし、実際は1度経験している上で、振り出しに戻っているので、最初のスタートラインとは違っていると思います。 それでも1から再び始めなければいけないのは、かなり骨が折れることです。 私は小さいことも含めれば、数えきれないくらい振り出しに戻っているかもしれません。 先日もちょっとしたことが原因で、振り出しに戻って1からの作業となりました。 しかし、今までやったことはあまり覚えていなくて、結局ほとんどが新たな作業となりました。 この時、とても時間の無駄を過ごしているような気がしました。 振り出しに戻ることはどんなことでも、時間の無駄を強く感じてしまいます。 しかし、もしかしたらさらに年齢を重ねていくうちに、振り出しに戻ることも意味があり、良かったことなのだと肯定的に考えられる時が来るかもしれません。 目の前の状況だけを見ると、とても損をしているような気がしますが、長い目で見れば得をしていることに繋がるのかもしれません。 実際、振り出しに戻らなければいけない時は、何らかの失敗があるので、それを繰り返さないように気をつけるようになります。 振り出しに戻ることはあまり良いこととは思えませんが、成功する可能性も高くなると思います。 振り出しに戻るとは、すごろくの駒で例えた表現ですが、一からやり直しという意味の言葉です。すごろくのように、遊びの中のことなら笑って済ませられるのですが、日常生活や仕事の中ではかなり痛い、ダメージの強いことです。よくやってしまうのが、パソコンを使った作業。苦労して時間をかけて作業してきたのに、パソコンの調子が悪く急にフリーズしたり、データが消えてしまったりすることは少なくありません。アナログな作業ならこのようなことはあまりないのですが、便利な機器に頼りすぎると、痛い目を見ることがあります。ですから、パソコンで長時間作業をする際には、こまめにバックアップをとることが常識なのです。 また、このような機械だけでなく対人関係でも振り出しに戻るようなことはあります。企画を練り上げて持っていったら上司にあっさりと却下されるなんてことも…。一から考え直せ、なんて言われることもザラです。今までの時間と労力はなんだったのか…とどっと疲れてしまいますが、気持ちを切り替えるしかありません。 振り出しに戻るというのはとてもキツイことですが、今までの努力が無駄だったと思ってしまうともう気力も湧きませんから、やってきたことは無駄ではなかったと自分に言い聞かせて立ち向かいたいものです。

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冬来たりなば春遠からじ

【漢字】冬来たりなば春遠からじ 【読み】ふゆきたりなばはるとおからじ 【意味】つらい時期を乗り越えれば幸せが訪れる。 【例文1】ようやく恋人が出来て、冬来たりなば春遠からじ。 【例文2】受験が終わり、冬来たりなば春遠からじだ。 【例文3】病気が完治して冬来たりなば春遠からじ。 冬来たりなば春遠からじと同じ意味の諺はたくさんあると思います。 今は辛くてもそのうち良いことがあるから、といった希望の持てる諺だと思うのですが、言い方一つで印象が随分変わると思いました。 冬来たりなば春遠からじは、イギリス人の詩の一節から来ているそうで、そのせいか言葉の響きがとても心地よく感じられます。 また英語を日本語、この場合は古語でしょうが、翻訳した時の『なば』と『からじ』がとてもいい味出しているなあと感心します。 同じような言葉で、冬は必ず春となるというのを聞いたことがありますが、単刀直入に言えばそういうことになります。 でも単刀直入に言わず、来たりなば、遠からじと動詞を使うことで時の流れをしっかり感じることも出来、さすが詩の一節です。 普段の生活では、なかなか口にしない冬来たりなば春遠からじですが、人とのコミュニケーションの中でサラッとこの一節が口に出れば、カッコイイこと間違いなしです。 いや場合によってはキザになるでしょうか。 しかしイギリス人の詩を翻訳して、その一節が一般庶民の私の記憶の中にまで存在しているのは、やはり素敵なことです。 冬が来たということは春は遠くないよ、とは何て心が温かくなる言葉でしょう。 同じ意味の言葉がたくさんある中で、私はこれが一番好きです。

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不眠不休

【漢字】不眠不休 【読み】ふみんふきゅう 【意味】睡眠も休みも取らず続けること。 【例文1】10代の頃は不眠不休で遊んでたな~。 【例文2】不眠不休でラストスパートだ。 【例文3】不眠不休はさすがに堪える。 眠らず休まず延々と仕事を続ければ、時間とともに仕事は消化ますが、効率は目に見えて落ちていきます。 一定以上疲れると判断力が鈍って疲れていること自体にすら気がつかず無駄に気分が高揚した暴走状態になりかなり危険です。 サービス残業など当然で仕事がきついなどと弱音を吐くようでは社会人として失格、みたいな風潮の職場はいまだに残っているようです。 個人経営で自分ひとりだけ勝手に不眠不休で頑張っているのであれば止めようもありません。 しかし会社や組織の場合、残業や休日出勤が常態化してしまうなら構造的に問題があるのは明らかです。 困ったねで済むような問題ではなく、早急に対策を打ち出し即実行する必要があります。 人の命が係っているのだから不眠不休であろうと仕事をこなせなどと言い出すような組織が長続きするとは思えません。 辞める人間がでたならば替わりを雇えば済むなどと安易に考えているのでしょうか。 その現場では納得させられたとしても、そのような事実があったことは隠しようがありません。 しかし、簡単な調査をされただけで業務内容は判明するはずなのに公になる事は稀です。 労組や役所がまったく働こうとしないのはそれをいまだに常識の範囲内と考えているからなのでしょう。 そのくせ指示する側は不眠不休どころか、重役出勤して大して働きもせず時間を潰し定時ぐらいでさようならです。 張り付かれても邪魔になるだけなので一緒に仕事をしてくれとは言いませんが、せめて働いているフリだけでもしてほしいものです。 自営業で飲食店を営んでいます。小さなお店ですので、従業員は雇わず、1人で調理、配膳、接客とこなしています。売り上げが徐々に低下している事態にあせりを感じ、対策を打つことにしました。数字上の工夫により、経費の削減や見直しを行いました。しかし、この程度はそんなに贅沢をしていたわけでもありませんので、改善は微々たるものでした。かくなるうえは、根本の売り上げを増加させるしかない。そう考えました。今以上のどの程度の売り上げアップを狙うのか、それには何を売るのか、仕入れはいくら、原価率はと様々考えました。そしてようやく決まった新メニュー。でも、メニューが決まっただけですので、それを今度はイメージ通りに作れるかという問題にあたりました。何度作ってもうまくいかない。材料を変えてみても、細工をしてみても納得できない。かといって、売り上げが足りないという事実は変わるものではないため、早急に完成させなければならない。それこそ、不眠不休の研究が行われました。そして、ようやく完成したオリジナル商品。ギリギリの妥協点まで引き下がり、ある程度満足できるところで落ち着きました。この商品が起爆剤になってくれることを祈ります。

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不偏不党

【漢字】不偏不党 【読み】ふへんふとう 【意味】偏らないで公平である。 【例文1】報道機関は不偏不党で真実を伝えてほしいものだ。 【例文2】不偏不党の政治改革を願う。 【例文3】不偏不党で審議する。 新聞、ニュース番組といった各マスメディアは、不偏不党な存在でなくてはいけないもの一つだということは言うまでもないですよね。マスメディアというものは政治的公平性を持たなければいけないものとして責任を負う必要があると思いますが、度々、その政治的公平性を欠き、偏向報道や独自の思想の介入が見受けらえることがあります。報道の中立性を究極的に保つことは困難なことであると思いますが、なるべくは中立性を保つ努力をして欲しいと思うのが人間の性だと思います。 話が変わりますが、不偏不党という言葉の意味を知らないという人も少なくないのではないでしょうか。不偏不党という言葉の意味は、いずれの主義や主張に加わらないこと、もしくは公平で中立な立場をとるという意味を持つ四字熟語です。不偏不党の類義語として、公明正大(こうめいせいだい)、厳正中立(げんせいちゅうりつ)、公平無私(こうへいむし)等があります。 マスメディアは全国民に向けて発信するものとして存在しているものです。そういう理由から、個人的な思想の主張や偏向報道をすることは許されないことだと個人的には思います。各マスメディアは真実の情報を発信することに心掛けることに尽力する必要があると思います。

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船をこぐ

【漢字】船をこぐ 【読み】ふねをこぐ 【意味】座ったままウトウト居眠りをする様子。 【例文1】授業中に船をこぐ。 【例文2】飲みすぎて2次会では船をこぐ。 【例文3】昼食後に船をこぐ。 自分の人生でどんな運に恵まれているか?3つ上げるとしたらそのうちの一つに絶対にこれが入ります。電車で隣に座る人が必ず眠って舟をこぎ寄りかかってくる!運を私は持っています。あまり嬉しくない運を持ってしまっています。 通勤時間が長くてドアトゥードアで1時間半の通勤をしていたこともあります。始発駅から出る電車に乗って行きは必ず座って通勤します。しかし行きの電車ではそれほど座って眠ってしまう人はいませんでした。問題は帰りの電車です。帰りの電車で自分の前に座っていた人が途中の駅で降りて「ラッキー座れる!」と思うのですが、たいていの場合その後に「座らなきゃ良かった!」と後悔することになります。何故か私の隣に座っている人は爆睡して寄りかかってきます。微妙に肩とか肘でその人を押し戻してもやっぱり同じ方向に、私にもたれかかってきます。ひどい時には両隣の人が二人して私に寄りかかってきて私は二人の支えになることもあります。 前にもたれかかるだけではなく電車が揺れた時に私の膝の上に頭をのっけて膝枕状態になったことがあって、さすがにその時は席を立ちあがりました。一日の疲れも出て、さらにお酒を飲んだ後なら船をこいでも仕方ないかもしれません。船をこぐ人の隣に座る運かあ。神様もう少しまともな運を私にください!

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舟に刻みて剣を求む

【漢字】舟に刻みて剣を求む 【読み】ふねにきざみてけんをもとむ 【意味】古い考えやしきたりにこだわり、時代の移り変わりに気付かない。 【例文1】舟に刻みて剣を求むで古い考えでは現代についていけない。 【例文2】舟に刻みて剣を求むが廃業に追い込まれていく。 【例文3】昔堅気で舟に刻みて剣を求む。 「舟に刻みて剣を求む」は意味は「時勢の変化に気づかず、いつまでも古いしきたりにこだわっていること」です。中国戦国時代の「呂氏春秋」に記されている故事です。その故事は楚の国の人に長江を渡る人がいました。その剣が舟から水中に落ちてしまいました。慌ててその舟の船端に目印をつけ、「ここに私の剣が落ちた」と言いました。舟が泊まりました。男は船の目印をつけたところから、水中に入って剣を探しました。しかし、すでに舟は動いてしまっています。剣は動いていません。落とした剣を探すのにこのような方法をとるのはなんと間違っているのではないだろうかというものです。こんなバカげたこと、するわけないと思いますよね。でも、これは当事者ではないのです。第三者からの視点です。古い慣習にとらわれていることは色々あると思います。例えば、昔はたばこやお酒を販売するのは許可制で、距離基準というものが明確にあり、その距離を守らなければ店を開くことはできませんでした。だから守られていました。でも今は、昔からのたばこやさんがあっても、近所にコンビニエンスストアができればたばこは当然のように扱うのです。24時間営業しているほうが利便性が高いとか、駐車場があるなどの理由でそちらにお客が流れて既存店が廃業した、そんな話を耳にすると可哀そうにと思う反面、競争原理が働いたのだ、商道徳はもうないのだと諦観する自分もいるのです。これも「舟に刻みて剣を求め」ているのでしょうかね。 「舟に刻みて剣を求む」は、紀元前239年に出来た中国の古い書物「呂氏春秋」の寓話に由来します。 川を舟で渡る際に剣を誤って落としてしまった男が、舟のへりに目印を刻んでそこから川底を探したけれど剣は見つからなかったという話です。 剣を落としたのは川の途中、探し始めたときには既に向こう岸に着いているのですから見つかるはずもありません。 状況の変化を考慮せずそれまで通りの行動をする愚かしさを表現する場合などに使われる言葉ですが、使い勝手が良いようには思えません。 古文の授業などでこの寓話を知っていなければ全く意図が伝わらず、なにやら難しいことを得意げに語っているなと思われるのかオチです。 無理してクドクドと寓話の内容まで説明したところでさらに胡散臭い人間に思われることでしょう。 古臭い言い回しを使うことに固執するあまり、自分の言いたいことが全く相手に伝わらない。 まさに舟に刻みて剣を求むをその場で体現しているような行動ではありませんか。 言葉は本来的に意思を伝えるための手段であって、難解な技巧を凝らして得意になるものではないということです。 状況に応じて行動するべきと伝えたいなら、そのまま分りやすく伝えるのが一番でしょう。

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腑に落ちない

【漢字】腑に落ちない 【読み】ふにおちない 【意味】何となく納得がいかない。 【例文1】なぜ私が1番ではなかったのか腑に落ちない。 【例文2】腑に落ちない様子だ。 【例文3】何でか腑に落ちない。 腑に落ちないとは、納得がいかないという意味と同意義の言葉ですが、日常生活の中でも腑に落ちないことはしばしば起きます。全て、自分の思い通りに事が進めば腑に落ちないなんてことはないまま、気分よく過ごせるのでしょうが、そうはいかないものですね。 それでも、その後の行動次第で事態を改善できるならスッキリするのですが、腑に落ちないことの中には、もうどうしようもなく諦めなければならない場合もあります。例えば、自分が無知だったために損をするといったケースです。先日、妊娠中の切迫早産で通院していたときのこと。経過観察が必要なため、毎週1回病院に通わなければなりませんでした。その際、診察内容はいつも同じなのに、ある日診察後の会計でいつもの倍ほどの料金を請求されたのです。明細をよく見てみると、「自費」と書かれていました。いつもなら、保険が利いて3割負担なのに、10割負担となっていたので、どういうことか受付の人に聞いてみました、すると、妊婦の診察は、前回の受診1週間経過しないと保険が利かないとのことでした。前回受診したのは木曜日、今回は水曜日だったため、1週間に満たないというのです。 損をしたことになるので、腑に落ちないと思いながらも、自分が無知だったためそれ以上食い下がることはできませんでした。このような場合は、勉強代になったと自分で気持ちを切り替えるしかありません。 よく小説やドラマなどを見ていると、腑に落ちないという言葉を耳にしますよね。 では、一体どうして腑に落ちないと言われるようになったのでしょうか。 ですので今回、この腑に落ちないという言葉について色々と見ていきたいと思います。 まず、腑に落ちないの腑とは五臓六腑の腑のことをさしてます。 主に肝や肺などといった臓器のことですね。 しかし元々、この腑の使われ方は腸のことを言っていたのです。 腸に食べ物が吸収されるように、人の意見を吸収するといった感じですね。 そして腑に落ちないは、意見を吸収できないといった意味合いで使われてました。 しかし、感情というものは心で感じ取るものですよね。 ですので、やがて腸から心へと意味合いが変化していったのです。 そして腑に落ちないの意味は、心で納得できないの意味で使われるようになりました。 頭では納得できてはいるものの、心の中に引っかかりを覚えるような場面ですね。 さて、腑に落ちないの対義語で、腑に落ちるという言葉を耳にすることはあるでしょうか。 腑に落ちないは、何か心の中に引っかかりを覚えたときに使うことは先ほどお話ししましたよね。 ですので、その逆で心の中の引っ掛かりが取れた場合に、腑に落ちるという言葉を使います。 以上が、腑に落ちないという言葉の由来や意味でした。 以前働いていた会社の上司について、腑に落ちないと感じることがありました。その上司は会社の勤続年数も長く、仕事内容についてもかなり熟知していました。仕事内容について質問をしても、大抵はきちんと論理立てて説明してくれることが多かったため、現場の人もその上司を頼りにすることが少なくなかったです。しかしそんな上司でも、たまに腑に落ちない説明の仕方をすることがありました。 たとえば私が仕事内容で分からないことがあったとき、「この作業はどうしてこういうルールでやらないといけないのか」と尋ねると、その上司は「ルールはルールだからです」と答えてくることがあったのです。私にとってルールとは『何か問題ごとが発生しないようにするための対策』のように考えていたため、その上司の回答はあまり納得がいくものではありませんでした。更に上司は「ルールはルールなんだから守ってください」と言ってきたのですが、それを言われて私は「ではこのルールを守らなければどういった結果になるのか」をきちんと説明してほしい、とも感じました。今にして当時を振り返ってみると、そのとき上司にちゃんとそう伝えれば良かったなと思います。 相手に納得してもらうように説明するには、まず自分が物事の成り立ちを把握しておいた方が良い、と感じるエピソードでした。

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懐を痛める

【漢字】懐を痛める 【読み】ふところをいためる 【意味】自分のお金を使う。自腹をきる。 【例文1】先輩が毎回懐を痛める。 【例文2】デート代で懐を痛める。 【例文3】ローンで懐を痛める 私は以前、パソコンをインターネットにつないでいながら、セキュリティソフトを入れてはいませんでした。 自分だけは大丈夫だと、たかをくくっていたのです。 友人からセキュリティソフトは入れておいた方が良いよというアドバイスを受けて、やっと私はセキュリティソフトを入れる事にしました。 しかしお金をかけるのを嫌った私は、無料のセキュリティソフトしか入れませんでした。 無料でもセキュリティソフトが入っていれば、大丈夫だと思っていたのです。 そんなある日、私は大手の旅行会社のサイトにアクセスしました。 後日そのサイトが、ウイルスに感染している事が発覚しました。 急遽自分のパソコンを調べて見たら、ウイルスに感染していて、情報がインターネットを通じて外に流れ出てしまっていたのです。 どうやら無料のセキュリティソフトの穴をかいくぐって、ウイルスが入り込んでしまったようでした。 幸いこれといった被害はなく、ウイルスも無事駆除する事が出来ました。 この後私は怖くなってしまい、有料のセキュリティソフトを導入しました。 私と同じように無料のセキュリティソフトしか入れていない人がいるかもしれませんが、それだとウイルスに感染するリスクが高いので、多少の身銭を切って有料のセキュリティソフトを入れる事をお勧めします。

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懐が寒い

【漢字】懐が寒い 【読み】ふところがさむい 【意味】財布の中身がない。所持金が少ない。 【例文1】部下10人に焼き肉を奢ったので懐が寒い。 【例文2】懐が寒くて節約飯ばかり。 【例文3】稼ぎが少なく懐が寒い。 大昔、信じられないことにわたしにも若い頃がありました。 24歳の時のことです。 当時わたしには大好きな彼氏がいました。 とても仲良くお付き合いしていたのですが、ある日彼に奥さんとお子さんがいたことが発覚しました。 これ以上は一緒にいられない、と泣く泣く別れることになりました。 仕事に打ち込んだりしてみるのですが、夜一人になると泣けてくる毎日でした。 そんな時優しくしてくれたのがその次にお付き合いすることになる彼なのですが、ずっとわたしのことを好きでいてくれていたことは知っていました。 わたしを一人にしないように、毎日楽しいことに誘い出してくれました。 今思えばドライブとかお金を使わないようなことばかりだったかも。 しばらくしてその彼とのお付き合いが始まるのですが、その彼はただただ優しいだけの人で、付き合って早々、この人(むしろこいつ)を選んでしまったことを後悔することになります。 とにかくいつも懐が寒い人で、食事に誘ってきたくせに財布を忘れたと言い出す。 クリスマスや誕生日、自分は贈り物を受け取るが与えるという発想はない。 稼ぎが少なくいつも懐が寒いし、仕事も長く続かないくせに言うことだけは立派で結婚願望がものすごく、さっさと別れてやりました。

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不得要領

【漢字】不得要領 【読み】ふとくようりょう 【意味】要点がはっきりしない。 【例文1】住民説明会は不得要領で納得いかない。 【例文2】何が言いたいのか不得要領だ。 【例文3】話が長すぎて不得要領だ。 話す内容にまとまりがなく、不得要領な物言いになっている人と話していると、相手が結局何を言いたかったのか分からないまま、会話が終わってしまうことがあるかもしれません。もしかするとこのように要領を得ない会話が、あなたにとってストレスになる恐れもあるでしょう。 しかし相手は相手なりに、一生懸命あなたに話を伝えようとしているのは事実です。こうした相手と会話しているとき、あなたから「こういうことが言いたいのかな」と聞いてみるのも手でしょう。もしそのように質問してみて違った場合、相手は戸惑いながらも「そうではなくて」と返してくれるかもしれません。このように返してくれれば少なくとも、相手の伝えたいことが自分の思っているものと違った、ということが判明します。 それに相手が自分に何を伝えたいのか分からない場合、もしかすると相手自身も『「自分が伝えたいこと」を明確にできる言葉』を知らないだけの可能性もあります。難しいことですが、あなたから相手に『自身の意思を伝えられる明確な言葉』を与えてあげる必要が出てくることもあるでしょう。

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不撓不屈

【漢字】不撓不屈 【読み】ふとうふくつ 【意味】どんな困難にもくじけない強い志。 【例文1】彼女にはライバルがいたお陰で不撓不屈で勝ち組となる。 【例文2】逆境に負けず不撓不屈の精神を培う。 【例文3】50才でも婚活は諦めない不撓不屈だ。 どんな場面でも不撓不屈の精神は必要だと思います。 私は不撓不屈の精神は負けない気持ちを持つことだと思っていました。 しかし、勝とうと思うと負けてしまうことから、やはり不撓不屈の精神は無心のようなものではないかと思っています。 余計な欲が気持ちに絡んでしまうと、それが原因で上手くいかなくなることがあります。 気持ちが強すぎると力み過ぎてかえって上手くいかなくなるようです。 無心で自然体でいることはとても難しいことですが、それができなければ困難や逆境を乗り越えていくことはできないかもしれません。 私は学生時代、武道をやっていました。 その時に知った言葉が「心技体」でした。 この3つが揃わないと勝つことはできないという意味のようでした。 そのため、この3つを同時に鍛えていく必要があります。 これも不撓不屈の精神を鍛えていくのに通じるところがあると思います。 強いということは武力が強いということではなく、やはりそこには精神力も大きく関わってきます。 自分の人生に起こることは乗り越えられないことはやってこない、という言葉を聞いたことがあります。 それを知っていることで、自然と不撓不屈の精神で乗り超えることができるのではないかと思います。 どうしても成し遂げたいことがあるとき、生半可な気持ちを持っている人と、不撓不屈の意思で努力している人なら、どちらの方が目的に辿り着きやすいでしょうか。感覚的に言えば、おそらくは後者の方が目的を成し遂げられるでしょう。しかし現実はそう甘くはありません。なぜかと言えば、元々の才能や資質の差があるからです。 たとえばですが、元からとても足が速い人と、足が遅い人がいるとします。この2人を徒競走で走らせた場合、勝つのは前者でしょう。そこで1年間、2人には足が速くなるよう練習をしてもらうとします。元から足が速い人がたまにしか練習をしない一方、足が遅い人が必死で毎日努力したとします。そして1年後に、再びその2人に徒競走をさせたとします。いくら元から足が遅い人が1年間必死で練習していたとしても、元から足が速い人が勝つ可能性は十分にあると言えましょう。これは元々の身体能力に差があるためです。心苦しいことですが、努力したからといってそれが必ず叶うとは限らないのです。 とはいっても、練習したことが果たして無駄になるでしょうか。生半可な気持ちで徒競走の練習していた人と、不撓不屈の意思を持って徒競走の努力していた人なら、徒競走の結果が何であれ、どちらの人の方が魅力的に見えると思いますか。もちろん結果だって大事です。しかし人は結果だけでなく、その過程だって見られているものです。不撓不屈の意思を持っている人の方が、人を惹きつける力があると思いますよ。

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筆をおく

【漢字】筆をおく 【読み】ふでをおく 【意味】著作家が書くことをやめる。 【例文1】師匠が筆をおき弟子が引き継ぐ。 【例文2】限界を感じて筆をおく。 【例文3】ネタが切れ筆をおく。 小説家などが連載を終了し、物語を終わらせることを「筆をおく」と言うこともあります。 作品の評価を決定づけるうえで物語のラストというのは重要な意味を持つため、筆をおく前の執筆はより一層の覚悟と気力が必要になるものと思います。 筆をおいたことで賛否両論が巻き起こった作品として「アイアムアヒーロー」という漫画があります。 日本に突如ゾンビが出現し、日常が壊れていくというストーリーで手に汗握る展開は長期にわたって読者を惹きつけました。 しかし完結となる最終巻が発売され描かれていたラストシーンがあまりにも唐突で抽象的だったため、困惑した読者も多くいました。 伏線の回収がなされていないことや謎が解明されないまま終わってしまったことで賛否両論が巻き起こったのです。 期待値の高い作品であったためにその終わらせ方には作者のこだわりや覚悟が見えましたが、私は読者の反応を見て、作品の評価はどこで決まるのかということを考えてしまいましいた。 物語のラストは作品において重要な場面ですが、それが全てであるような考え方はどうにも納得できない部分があります。 とくに漫画のような何年にもわたる長期連載の作品がラストシーンだけで評価されるのはどうかと思いました。 作品の構成やクオリティに対する評価と、読んでいて「面白い」「楽しい」と思う心情的な評価は別物として考えるべきものだと思います。 どうしても早めに書き上げないといけない書類がある場合、いちいち休んでいられませんね。けれどそういう時こそ書くことを一度やめて、いったん文章を見直してみてはどうでしょうか。文章を書くというのは、頭の中でなんとなく考えていることであったとしても、他者が読んで理解できるようにしないといけませんから、それなりに頭を使う作業です。見返してみると、文章として成り立っていない場合もあることでしょう。特に仕事であれば、できれば早めに終わらせたいという気持ちを持つこともあるでしょうから、文章が乱雑になりがちです。いざ書類が完成したと思って上司に提出したら、文章が読みづらいせいで書類が戻ってきた、なんてことも有り得ます。 文章を書く際、意味が伝わる文章が書けた上で、早く筆をおくことができればそれが最良でしょう。しかし現実はそんなに甘くありません。ときには何人もの人が同じ書類を読み返しても見つからなかった誤字があったりしますし、そうした誤字に気付かないまま商品化してしまって、結果として誤字が原因で、企業が自主回収しなければならなくなった商品もあると思います。文章を書くときは、早く筆をおくことが大事なのではなく、文章の内容が理解されるかどうかの方が大事だと言えるのではないでしょうか。

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筆を入れる

【漢字】筆を入れる 【読み】ふでをいれる 【意味】文章を直す。 【例文1】筆を入れる余地もない素晴らしい卒論だ。 【例文2】先生が筆を入れる。 【例文3】筆を入れてさらに良い出来栄えになる。 筆を入れるとは添削することです。 わたしは国語が苦手でした。小学生のころチャレンジ1年生という教材が毎月送られてきて自宅で勉強するものがありました。周りの友達がはじめていて羨ましくて母親に私もチャレンジをやってみたいとお願いしましたが、習うのは良い事だけど、自宅での勉強法は最初は良くてもわたしの飽きっぽい性格からして慣れたらだんだんしなくなるよと反対されました。どうしても諦めきれなかった私はみんなやってるし、教科書と同じ教材が送られてくるので授業に役に立つらしいと必死で懇願した結果、時間を決めて勉強する約束でチャレンジ1年生を始めました。学年に応じての教材は本当に教科書と同じ問題集で初めて送られてきたときは1日1ページを毎日こなす問題集なのに何ページも解きました。(毎日こなすことが重要なのに・・)問題集を解くと同封された封筒に解答用紙を入れて添削を待ちます。 後日返ってきた答案用紙はまる付けだけでなく、赤ペンで解説や一言が添削されていました。初めての添削に嬉しかった記憶がよみがえりました。

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筆が立つ

【漢字】筆が立つ 【読み】ふでがたつ 【意味】文章を書くのが上手である。 【例文1】筆が立つので案内状は手書きにする。 【例文2】彼女は達筆で筆が立つ。 【例文3】経験豊富で筆が立つ。 筆が立つ。憧れの言葉ですね。文章がすごく上手なことです。表現力であったり語彙がとても豊富なこと、説得力があること、論理的であることなど文章が上手と一口に言っても色々なタイプがあると思います。 文章が上手かどうかの基準。文章は読む人がありきで読み手が理解できることがまず条件になってくると思います。 では人が文章を読んで理解できる、分かるとはどういうことなのでしょうか?この分かるということが何なのか?を追究していくことは人間の脳と人工知能の違いに大きく関係してくると思います。 人間の脳が分かる!と感じるときには「それがイメージできる」ということです。もっと言うと「頭の中に絵を描ける状態になる」ということだと思います。 なので筆が立つと言えるような上手な文章を書くには、常に相手を意識して書く事が大切です。相手が頭の中に絵を描きやすいような説明なり文章を書くと伝わりやすいと思います。 これが会話だったら表情で相手が理解できているのかが分かるのですが、文章だとそうはいきません。読み手にずべて委ねられますからね。なのでいつも文章を書くときには「相手がこれで分かってくれるかな?」ということを考えます。自分が言いたいことだけを言い放つことだけは避けたいと思っています。

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深い川は静かに流れる

【漢字】深い川は静かに流れる 【読み】ふかいかわはしずかにながれる 【意味】 【例文】 「深い川は静かに流れる」 むやみに騒ぎ立てない人は思慮深いのだ、という意味です。 この言葉は英語のことわざ “Still waters run deep.” から来ています。 直訳すると、「静かな水は深く流れている」となります。 浅い小川を想像してみてください。 こうした川は、川底や小さな石にさわるたびに波立ち、ちゃぷちゃぷと水音を立てて流れていると思います。 しかし、もっと深い川となるとどうでしょうか。 ちょっとしたことでは波を立てず、ゆったりと静かに流れてゆく、凪いだ水面が思い浮かべられると思います。 このことわざは、そうした川の性質を人間にたとえたものです。 物静かな人は、声の大きな人や押しの強い人、逐一意見を述べる人などに比べて目立たないかもしれません。 たとえば喧々諤々とした議論の中で、一人静かに沈黙している人は、力なく、頼りなく見えてしまうかもしれません。 ですが、声高に主張してこないからといって「意見がないからだ」「何も考えていない」「弱い人間」などと決めつけるのは早計なのだ、ということをこのことわざは教えてくれます。 その人はむしろ、深い考えやしっかりとした思いを持っているために、感情に流されることなく、理性的に振る舞うことができる人なのかもしれないのです。 見えにくい強さへの敬意を表した、シンプルで美しいことわざです。

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降って湧いたよう

【漢字】降って湧いたよう 【読み】ふってわいたよう 【意味】突然予想外の出来事が起こる。 【例文1】降って湧いたような縁談話に飛びつく。 【例文2】降って湧いたように仕事が舞い込む。 【例文3】】痩せたら降って湧いたように女性から声をかけられる。 以前勤めていた会社で、なかなか興味深い人生を歩んでいる男性社員がいました。今は何をしているかは分かりませんが、当時は中堅くらいの役職で、歳は確か40歳を過ぎたくらいだったと思います。その人は新卒で入った会社を数年で辞め、そのあとしばらくは無職でなんとなく過ごしていたそうです。ただ無収入で過ごしていたら、当たり前ですが貯金が尽きてきたらしく、とりあえず飲食店のバイトを始めたとのことです。しかしある日、新卒で入った会社に勤めていたときに知り合った、他の会社の人から電話があり「うちの会社に入らないか」とお誘いがきたそうです。 この話を聞いていた私は、昔の仕事関係の人からいきなり連絡が来て、そのうえ会社に入ることまですすめられるなんて、こんな降って湧いたよう話が本当にあるのかと驚きました。そして人生は、どこでどんな縁ができるか分かったものではないから、これから出会う人のことを大事にしよう、とも感じました。もちろんその男性社員の能力が買われたということもあるでしょうが、人柄というのも誘いの決め手になったように思います。能力を磨き上げることも大事ですが、自分の人柄も磨き上げねばと痛感させられるエピソードでした。

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物議を醸す

【漢字】物議を醸す 【読み】ぶつぎをかもす 【意味】世間の議論がトラブルを招く。 【例文1】大物女優の大胆発言が物議を醸す。 【例文2】政治家が物議を醸す発言をする。 【例文3】芸能人の問題発言が物議を醸す。 物議を醸すとはトラブルを招く発言をすることです。 何年か前に政治家柳澤 伯夫氏が女性は子どもを産む機械と発言をして物議を醸しました。すごい爆弾発言ですね。女性を何だと思っているのでしょうか!女性なら誰でも腹が立つ言葉です。そんなこと言うから政治家はは少子化少子化と言っている割には児童手当ては少ない、母子手当の減額・待機児童は減らないなんて世の中で子どもを産みたいと思いますか?働きたいのに保育所がない、産休・育児休暇はあるが取りにくいのが現状です。 私には子どもが3人いますが、大学卒業までに教育費にいくらかからか恐ろしくて算出もできません。子育て時代に地域振興券や特別手当も支給されました。子どもに関する何かの手当てを当てにしてマイホームを建てた知り合いもいましたが、のちに手当がなくなりました。離婚した隣の奥さんはもうすぐ中学を卒業するので自動手当がなくなり不安になると言っていました。子どもは一人です。幸い子ども一人でよかったと言っていました。このように子どもは一人で十分だと思う女性は増えています。どうか少子化対策を本気で思っているならば十分な手当てを保証してください。

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蓋を開ける

【漢字】蓋を開ける 【読み】ふたをあける 【意味】物事の結果をみる。 【例文1】照れ屋でおとなしい子だったが、社会人となり蓋を開けると才能が 開花した。 【例文2】いざ蓋を開けると化粧映えする顔立ちだった。 【例文3】希望の会社だったが、蓋を開けるとブラックだ。 何事も蓋を開けるのは緊張するか、もしくは楽しみになるのがつきものでしょう。入学や就職、何かしら新しいことが始まる際、ドキドキしたりワクワクしたりするのは仕方ありません。このように新しいことを始めるときは、まるで鼓動が高まるような感情を持つことが多いと考えられます。非常に落ち着いた気持ちで新しいことを始められる人は聞いたことがありません。 何か新しいことが始まる際、特に緊張してしまう人の場合は、新しいことに対して悪いケースを考えてしまいがちではないでしょうか。たとえば「入学しても友達ができなかったら」「就職してもきちんと仕事ができなかったら」といったことです。もちろん何事も上手くいくわけではありませんから、入学して仲が良い友人ができることもあれば、反対に険悪な仲の人に出会うこともあるでしょう。就職して仕事が上手くいくときもあれば、ミスをすることもあるでしょう。 ですから新しいことが始まる際は「良いことも悪いこともあるだろう」と何度も自分に言い聞かせてみてはどうでしょうか。それに蓋を開けてみれば、意外と何とかなったということも有り得ます。それにもし悪いことが起きたとしても「こういうこともあるんだ」と流してしまう癖をつけてみると、精神的にも楽になれますよ。 ちょっと賞味期限が近づきすぎたジャムでした、などということは開ける以前から分っていることです。 「蓋を開ける」という言い回しは、物事や状況の動きが始まる・興行を開始するという意味で使われます。 一番よく使われそうなのが「蓋を開けてみなければ分らない」でしょう。 実際にやってみなければ物事がどのように進展するか分らないという意味です。 この場合、蓋をされているのはジャムの入ったガラス瓶などではなく、そのから中身の見えない四角い箱が想定されます。 多少裕福な人ならば玉手箱のようなものも用意できるかもしれません。 どちらにせよ中身が吉となるか凶となるかは開けてみるまで全く分りません。 ビックリ箱程度の罪のない悪戯ですむものならばよいのですが、寿命をごっそり削られるような実害のある類のものだとしたら堪りません。 それでも開けるという選択肢しかないという状況、中身は既に用意されている運命、スリルを楽しむなどという戯言が許されているかは本人次第です。 開けずに済ませるという選択肢もありますが、周囲の人たちがそれを許してくれるほどに世の中は甘くないでしょう。 無責任な観客は、蓋を開けて右往左往する哀れな被害者を待ち望んでいるのです。

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豚に真珠

【漢字】豚に真珠 【読み】ぶたにしんじゅ 【意味】価値がわからない者に高価な物を与えても意味がない。 【例文1】園児には、豚に真珠でバカラのグラスよりプラスティックのコップ。 【例文2】ブランド名すら知らない人にブランド品をやっても豚に真珠だ。 【例文3】豚に真珠は似合わない。 豚に真珠とは、価値のわからない者に価値ある物を与えても無駄であるということわざです。猫に小判と同じ意味です。 ところが、このことわざの語源が大変ユニークなのです。なんと出典は、聖書のマタイの福音書というのです。どのようなものかというと、 「聖なる物を犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。」 という言葉です。あのイエス・キリストの言葉として書かれています。 ことわざは、日本で生まれたものが多いのですが、この言葉が聖書からとは少々驚きました。しかし、豚は人間に向かっては来ないと思うのですが、イノシシのことなのでしょうか。こんな語源を持つことわざですが、豚は何でも食べるといいますが、さすがに真珠は無理という例えなのかと思っておりました。 確かに、誰かに物をあげるときには、気を付けないとこのような事態になることもあります。田舎での笑い話ですが、高級ふりかけをお中元に頂いた年配の方が、「全く、お中元にふりかけだって。こんな物その辺で安く売っているよ」と息巻いていました。このふりかけは、しっとりタイプの高級品で、入れ物も有田焼の陶器に入った物でした。これなど、まさに豚に真珠です。

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二つ返事

【漢字】二つ返事 【読み】ふたつへんじ 【意味】「はい」と快く承諾する。 【例文1】プロポーズの返事を二つ返事で受ける。 【例文2】引き抜きに二つ返事で承諾した。 【例文3】二つ返事でOKする。 「二つ返事」とは、二つの意味があり、「はいはい」と2回返事をいう事と快く即時承諾をする事を指します。 よく「彼に依頼すると、二つ返事で引き受けてくれた」などという文がありますが、この場合は「快諾する」という 後者の意味を表しています。 日本社会では、「はいはい」2回返事をするということはあまり褒められたことではないとされています。 よく「『はい』は1回」などと怒られている子どもを見かける方も少なくないでしょう。 だらだらとした返事であったり、あまり気が乗らないように思われてしまったりするためです。 そのため「二つ返事」というと、前者の意味である2回返事をするということから素早く承諾するという意味にとらえられず、 「はい」と1回の返事をした方がはっきり承諾しているように感じられるため「一つ返事」と使う人も多くなっています。 しかし、本来の正しい言葉は「二つ返事」です。 2回承諾することは承諾することを重ねているため、より承諾するという気持ちが強く表れるとされたのが由来だといわれています。 「一つ返事」と「二つ返事」を使う人は同じくらいの割合だという文化庁の調査もありますので、間違えがちな言葉の一つということができます。 二つ返事は、何の躊躇もなく快諾するという意味ですが、「はいはい」などと返事をしたなら相手は不快に思うこと疑い無しです。 およそ真剣に取り合っているようには思えず、軽く聞き流しているのではないかとすら感じます。 気の短い人がそのような返事を受ければ、激怒して状況は一気にクライマックスに突入です。 文化庁による「国語に関する世論調査」の「ことばの言い方に関する調査の例」で、二つ返事についての調査がされています。 それによれば、二つ返事は快諾を意味していても実際には「はいはい」とは言わないと多くの人が解答しています。 これは「はいはい」という返事には、「確かに聞いたからしつこく言うな」というニュアンスが含まれると感じるからでしょう。 短く「はい」とだけ答えただけでは不十分だと感じるならば、別の言葉をつなげれば済む話です。 「はい、分りました」、「はい、了解しました」、「はい、確かに承りました」という例ならば誠実な返答と受け取ってもらえるでしょう。 確実に相手の話を聞いたことを伝えたいならば、復唱してみせるのも有効です。 多少くどいように感じられるかもしれませんが、確認作業を怠って後々問題になるより余程マシというものです。

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不即不離

【漢字】不即不離 【読み】ふそくふり 【意味】2つのものが深い関係でもなく離れすぎてもいない間柄。 【例文1】ご近所さんとは不即不離の関係がちょうどいい。 【例文2】人間関係は不即不離がうまくいく。 【例文3】姑とは不即不離を保つ。 悩みというものは尽きないものですよね。多種多様な悩みの中でも、人間関係の悩みが一番という人が多いのではないでしょうか。 職場の同僚、上司、友人、そして、恋人との人間関係に悩まれている人が多いのではないでしょうか。そんな人間が存在している限り無くなることがないであろう人間関係の悩みを少しでも解消してくれるかもしれない四字熟語が存在します。それは「不即不離」(ふそくふり)という四字熟語です。 この「不即不離」という四字熟語の意味は、二つのもの関係が深すぎもせず、離れすぎもせず、つかず離れず、丁度良いぐらいの関係にあることを表す四字熟語です。 しかし、少しネガティブな意味としても捉える事も出来、好きでも嫌いでもない曖昧な関係であるというニュアンスにも解釈することが出来ますが、それでも人間関係は、「不即不離」の関係性で丁度良いのではないかと思います。 現在の人間の関係性は親密過ぎると感じます。ITの発展により、24時間どこでも連絡を取ることが出来る世の中になり、SNSによる人間関係の疲れ、それに付随する精神的な病気が現代人に蔓延しています。 親密な人間関係を築こうとして、かえって人間関係で悩む悪循環を脱却するには「不即不離」の人間関係が一番ではないでしょうか。

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不承不承

【漢字】不承不承 【読み】ふしょうぶしょう 【意味】嫌々ながらも承知する。 【例文1】不承不承ながらも仕事を引き受ける。 【例文2】不承不承ながら義母の頼みを引き受ける。 【例文3】不承不承ながらお使いに行く。 大きな声では決して言えませんが、私の日常生活の大半は不承不承行われていると感じています。情けない話ですし、どこか具合でも悪いのではないかと勘ぐられると困るので、表面的には溌剌と見せるようにしていますが…。 一言で言うと、病的なまでに面倒くさがりということです。 まず、仕事。不承不承ですねぇ。私にとって仕事は生活費をいただくための行為です。好きなことを仕事にしてお金を稼げている人、本当に尊敬します。 家事のあれこれも不承不承です。最たるものは掃除です。極度の面倒くさがりに起因していることは自覚していますから、それを取り払う工夫、例えばサッと掃除機がかけられるよう床に物を置かないことなどしていますが、やはり取り掛かる時は毎度、不承不承なんですよね。 そして、これは実に最低で、何様的な話になりますが、人付き合いも不承不承な場合があるのです。仕事関係の付き合いにおいてはこの気持ちに共感してもらえるかもしれませんが、私は私的な交際の場面でも不承不承という感情に見舞われることが少なくないのです。約束しているけどキャンセルして好きに過ごしたいな…(昔は本当にドタキャンもよくしていました!)、そんなにあの人に会いたくないな…なんて。 うーん。やはり情けない性分ですね。 不承不承、耳が痛い言葉です。いやいやながら、不本意ですがやりますみたいなことですね。考えてみると一日の自分の生活の中でも不承不承やっていることばかりな気がします。朝目覚めて起きるときからもういやいやモードに入っています。子どもの頃はその日一日どんな楽しことが起きるのだろう!という期待に満ちあふれた朝を迎えていました。元気よく目覚めていたと思います。しかし40代に突入してからというもの、目覚めて朝一番に考えることは大抵マイナスのことです。家のこと、仕事のこと嫌だなーと思いながらやっとの思いで不承不承起き上がります。 私は家事全般は嫌いではありません。むしろ掃除なんかはきれいにし始めると楽しくなってとことんやってしまいます。掃除することがストレス発散みたいなところもあります。掃除を始める前は本当に不承不承なんです。でもひとたび体を動かすとなんかスイッチが入って楽しく感じるのです。 でもいくらスイッチが入っても嫌いな作業もあります。不承不承やる作業の第一位が食後の後片付けです。食事を作るのは好きなのですが片付けだけは面倒で好きになれません。だって非生産的な作業ですから。片付けって何も生み出さないですからね。いつか食後の後片付けの中にやりがいを見出したいと思います。

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不惜身命

【漢字】不惜身命 【読み】ふしゃくしんみょう 【意味】体を張って命を捧げることも惜しまず尽くす。 【例文1】不惜身命の覚悟でプロポーズする。 【例文2】不惜身命で家族を守る。 【例文3】我が子のためなら不惜身命だ。 「不惜身命」という四文字熟語をご存知でしょうか?あまり日常的に使う言葉ではないので聞いたことも無いという方も多いことでしょう。これは「ふしゃくしんみょう」と読みます。「不惜」とは惜しまないことを意味してきます。トータルの意味は「自らの身命をかえりみない心構えと態度」です。穏やかでないように感じますが、この言葉は仏教用語から来ています。本来は仏教の道を歩む者が身命を躊躇わずに修行に臨むことを意味していました。勿論現代でも使える言葉です。例文をあげてみましょう。「不惜身命とまではとても言えないが、諦めてはいけない、最後までやり遂げようという気持ちはありました」「高僧と呼ばれる人達の中ではその道を究める為に不惜身命で厳しい修行をやり遂げたと聞いています」などと使うことが出来ます。 昔の言葉のようですが、現在でも千日回峰行などの修行を行う僧がおられます。途中で諦めるときは自害する為に短剣と埋葬料10万円を持ち込むというのですから、今でも正に不惜身命で臨んでいる事だと思います。一般の人達には考えられない世界ですが、不惜身命で行うことがあるというのはとても幸せな事なのかもしれません。

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武士は食わねど高楊枝

【漢字】武士は食わねど高楊枝 【読み】ぶしはくわねどたかようじ 【意味】武士は食事ができなくても食べてきたかのように爪楊枝をくわえる姿から、痩せ我慢している様子をいう。 【例文1】お金がなくて武士は食わねど高楊枝でダイエット中だとごまかした。 【例文2】独り身でクリスマスシーズンは武士は食わねど高楊枝で率先してシフトを入れる。 【例文3】周りは既婚者ばかりだが、自分は仕事が生きがいだと武士は食わねど高楊枝。 私は「武士は食わねど高楊枝」という言葉を聞いて、身分やプライドが最優先しているように思いました。 確かに身分やプライドも大切だとは思いますが、やはり人間が生きていくためにはまずは食べなければなりません。 逆に言えば、身分が高く、プライドがあるからこそ、空腹でもそのように見せられないというのもあるかもしれません。 倹約志向の延長なのかもしれませんが、空腹を我慢してまで質素倹約する必要はないと思います。 当時の人たちは身分に限らず、食事は今よりも質素だったのだと思います。 しかし、だからといってあたかもごちそうをたらふく食べたという自分を演技しなくても良いのではないかと思いました。 私も以前は食べられない時期がありました。 人間は本当に食べられなくなった時、初めてプライドを捨てることができるのかもしれません。 やはり食べてお腹を満足させてから、身分やプライドを追及していくべきだと思います。 食べるものがないのなら、自分で食べるものを作るなど、まずは食生活を確保したほうが良いでしょう。 見栄やプライドはそれからでも遅くはないでしょう。 身分格差があるから、こういった無駄な見栄やプライドを持たないといけないのかもしれません。 これは今の時代にも言えるような気がします。

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不幸中の幸い

【漢字】不幸中の幸い 【読み】ふこうちゅうのさいわい 【意味】不幸な出来事が起こった中でもせめてもの救いがある。 【例文1】階段から落ちてスリ傷だけで済んだなんて不幸中の幸いだ。 【例文2】バイク事故に遭ったが、過失がなく不幸中の幸いだった。 【例文3】災害で家財道具が流れてしまったが、父の形見だけは残った。不幸中の幸いだ。 不幸中の幸いという言葉は、私個人にとってはとても良い言葉だと思っています。 世の中は良いことばかりではなく、時には不幸な目に遭うこともあります。 しかし、少し見方を変えることで良いことが見えてくることもあります。 良くないことが起こった時は、不幸だと思ってしまうかもしれません。 しかし、そのことがきっかけで物事が好転していき、最終的には良いように納まることも少なくありません。 私は何かトラブルがあると、物事が進展する前触れだと思うようにしています。 実際に後になって振り返ってみても、そういうことが多いようです。 しかし、物事が進展する前に、わざわざトラブルにならなくても良いのではないかとも思ってしまうのです。 静かに少しずつ進展していったほうが、ストレスにもならないし、無駄な悩みを抱える必要もありません。 もし、それができるならば今後はそういう生き方をしていきたいです。 それでも不幸が起こってしまうならば、やはりその中から幸いを見つけて行きたいです。 ネットを色々と見ている内に、楽してお金が増える的なバナー広告を見つけました。 胡散臭いとは思いながらも、少し興味があったので、クリックしてみました。 するとこれまで誰も思いつかなかったような方法で、お金が増えると書いてあったのです。 詳しい事が知りたい方は、セミナーに参加して下さいと書いてありました。 誰も思いつかなかったような方法とはどのようなものかと知りたくなり、私はセミナーに参加する事にしたのです。 セミナーに行ってみる大盛況で、老若男女たくさんの人が集まっていたのです。 そしていよいよセミナーが始まり、一人の男性が登場して来ました。 その男性はホワイトボードを使い、どのようにしてお金を増やすか語り始めました。 しかし学のない私には理解が出来ず、本当にこれでお金が増えるのかなと思い始めたのです。 数時間ほどでセミナーは終わり、私は帰ろうとしました。 ですが出口付近にセミナーの関係者がいて、出資を求めていました。 半分脅迫まがいの様な事を言われ、多くの人が契約書にサインをしてしまったのです。 私も脅迫まがいの事を言われましたが、頑として契約はせずに、逃げるように帰って来てしまいました。 その後このセミナーを開いた会社にお金を騙し取られたと言う被害が増え、テレビで取り上げられるようになりました。 不幸中の幸いと言うべきか分かりませんが、私はお金を出していなかったので被害は免れる事が出来たのです。 今でもこのセミナーを開いた会社の人間は捕まっておらず、お金を出さなくて本当によかったと胸を撫で下ろしています。 不幸中の幸いは希望の灯を灯す諺だと思います。 何か悪いことがあったり起きたりしても、少しだけ良いことがあれば救われます。 それは今流行のポジティブシンキングとも通じるものがあると思います。 内向的な人やいつもテンション低めの人にはポジティブシンキングは眩しすぎるかもしれません。 しかし不幸中の幸いという諺なら馴染みもありますし、身近です。 生活の中で悪い、嫌なことがあっても一つでもいいから良いことをを見つけるようにするだけで、気持ちが前向きになれるかもしれません。 内向的なのが悪いわけではないですが、もし悩んでいる人がいればいきなりポジティブシンキングを勧めるよりは、日本古来の諺の方が身近で親しみやすいものです。 言い方一つで違ってくるように、物事の捉え方や印象も随分変わります。 しかし不幸中の幸いがタイトルに入った本が買われるかどうかと言われれば、正直難しいです。 やはりポジティブシンキングという言葉の方が売れ行きも良さそうです。 ちなみに不幸中の幸いと似た諺に怪我の功名がありますが、実は少し違うようです。 二つとも悪いことが先に起こるのは一緒ですが、不幸中の幸いが少し救いがあるのに対して、怪我の功名は思いがけない良いことが起こったり見つかったりです。…

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不言実行

【漢字】不言実行 【読み】ふげんじっこう 【意味】文句も理屈も言わず黙って実行する。 【例文1】彼女は不言実行で行動力がある。 【例文2】たまには不言実行したらどうだ? 【例文3】不言実行する彼女を見習いなさい。 有言実行できない男性は、恋愛においてあまり魅力的ではないと見受けられます。要するに『口先だけの男性』は好かれにくいということですね。むしろこれは恋愛や男性ということを抜きにしても、有言実行できない人全般に言えるのかもしれません。なんにせよ『実行できる人』は他人から見て魅力的ではないでしょうか。 では有言実行する男性と不言実行する男性とであれば、女性から見てどちらが魅力的なのでしょう。 女性が交際相手に求めるものとして、軽めの要望であれば『歩くときに車道側を歩いてくれる』『重い荷物を持ってくれる』などが挙げられます。どちらの要望であっても、男性がわざわざ「車道側は俺が歩く」や「荷物が重そうだから俺が持つ」と口に出すより、さりげなくそのような行動に移してくれた方が、女性には喜ばれそうですね。 もちろん口に出すのも良いと思います。しかしそのときは、その女性が喜びそうな言い方にしないと、逆に女性の機嫌を損ねてしまう可能性があります。ここは男性と女性の信頼関係や女性が求める男性像によって、男性自身が判断するのが無難でしょう。 有言実行な男性になるか、不言実行な男性になるかは難しいです。むしろ臨機応変に変えていくのが格好いいときもあるかもしれません。どちらにせよ『実行する』のが大事だとは言えるでしょう。ですが女性の方も、相手の男性に相応しい人間になることを忘れてはいけませんね。恋愛とは双方の行いによって、成り立つものではないでしょうか。 不言実行は目標などをいちいち口にしないで目標に向かい努力することを意味する言葉です。 人間は目標をを達成するために、様々な方法を使用しますが、学校や会社でも「目標を口にすることは大切だ」と私は教育されてきました。目標を口にすることは大切だと思います。有言実行という言葉もありますし、口にすることでその方の強い意志を感じることができます。 しかし、時には有言実行がうるさく感じてしまうことがあるのです。何をするにも言葉にするのは疲れてしまいますし、自分のことなのにいちいち他人に目標を発言することは迷惑な時もあるからです。 不言実行の方は淡々としている印象が強いですね。他人に「目標は何ですか」と質問されても誤魔化したりする方が多いのではないでしょうか。もちろん聞かれたらしっかりと答える方もいますが、目標を言う時はキッパリと発言するはずです。 有言実行と不言実行の方はどういった違いがあるのでしょうか。コミュニケーション能力の差もあると思います。ですが根本的に違うのは、目標達成に向けての思いの差ではないかと感じるのです。 言葉にする暇があったら、その時間を目標達成のために使いたい方や、中にはもし目標達成が出来なかったら恥ずかしいと考えている方もいるかもしれませんね。 人はよく有言実行と言う言葉を使いますが、この言葉の意味を考えると目標を言葉にして声に出す事により自分自身に誓いを立てたり自分との約束を守る為に行動をすると言う意味合いに似ているのではないかと思います。 また、人は思いを言葉する事で自分自身にプレッシャーをかけているのでは無いのでしょうか。 私の場合、目標を言葉にして宣言をしてしまうと次に気になるのは周りの目です。 あぁ宣言したのにこの人はそれに伴う行動をしていないと思われてるんじゃないかというのが気になります。 しかし、人は誰しも有言実行でなければいけない訳ではありません。 時には不言実行で多くを語らず目標達成に行動に移す人もたくさんいると思います。 私が思うに不言実行が出来る人は人一倍芯が強い人ではないかと考えています。 なぜそう思うのかと言うと有言実行のように周りに共感を得ようとしたり宣言したりせずに無言で行動するって事は自分のみと戦っているような気がして思いを言葉にしなくても行動に移せる人はすごいなと思うからです。 有言実行と不言実行という似ている様で真逆な2つの言葉だけれどこのどちらを選ぶかは本人次第でありまた、疑問として思いを言葉にするのとしないのでは結果にどれほど差が生じるのかと言うのが非常に気になります。

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吹けば飛ぶよう

【漢字】吹けば飛ぶよう 【読み】ふけばとぶよう 【意味】風が吹けば飛ばされそうにもろい。貧弱なもの。 【例文1】吹けば飛ぶような男だ。 【例文2】いつ潰れるかもわからないような吹けば飛ぶような店だがね。 【例文3】吹けば飛ぶような古いアパート。 吹けば飛ぶようなという例えは軽くて貧弱なことで、あまり良い意味では使われません。 見た目が軽い時にも使いますし、貧弱な状態の時に使うこともあります。 この言葉を言われる側にはできればなりたくないものです。 しかし、吹けば飛ぶような状態でも、巻き返しは十分にあると思います。 世の中には瀕死の状態から復活して成功を収めるというケースがいくつもあります。 吹けば飛ぶような状態を経験してきたからこそ、逆に大成功を収めることができたのかもしれません。 それを考えると、今が仮に吹けば飛ぶような状態でも、今後もずっとこの状態が続くとは限りません。 むしろ良くなっていくことは十分にあり得るのです。 世の中の多くの出来事は、人間の予測をはるかに超えた状態へ変化していきます。 初めは不可能だと思われたことも、実際には可能になっていくことも少なくありません。 吹けば飛ぶような状態でも十分にその状態から脱していくことができます。 特に経済状態は大きく変わっていくものだと思います。 もし今が吹けば飛ぶような貧困な状態であっても、今後は予想もしないような大金持ちになるのかもしれないのです。 どんな状況であっても、希望を捨てずにできることを確実にやっていきたいものです。 「吹けば飛ぶような」の言葉から想像するのは、強風で何かが壊れたりするなど物理的な脆さを表現すると同時に、精神的な脆さも表現していると思うのです。「吹けば飛ぶようなハートの持ち主」と聞いた覚えがあります。目には見えませんが、少しのことで動揺したり心の弱さが一文で伝わる優秀な言葉ではないでしょうか。 「吹けば飛ぶような」に似ていると感じる表現に「ガラスのエース」が存在します。野球などでエースなのにすぐケガをしてしまうため、そして精神的にも未熟でガラスのように脆く壊れやすいからガラスのエースと呼ばれます。人間の脆さをガラスに例え、身体や心の弱さも直球で表現に成功している言葉ですね。 精神医学が発展した時代ですから、これからますます「吹けば飛ぶような」に派生した言葉が誕生していくでしょう。私は物理的な表現方法よりも、このような内面的な表現をする場合に使用する方が合っていると思います。 もし他人に言われたら嫌な気分になる言葉でもあるでしょう。誰だって弱さを前面に出したい方はいませんし、私が言われたら内面の弱さを見透かされているようでショックです。なので気軽に他人に対して発言して良い言葉ではないはずですね。

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袋の鼠

【漢字】袋の鼠 【読み】ふくろのねずみ 【意味】袋の中に追い込まれたネズミの逃げ場所がないことから、追いつめられて逃げ場所がどこにもない状態。 【例文1】泥棒が警察に囲まれ袋の鼠状態だ。 【例文2】見方がいなくて完全に袋の鼠だ。 【例文3】アウェイで袋の鼠だ。 袋の中の鼠とはもう逃げ出す事ができない、状態を意味します。よく推理小説で「犯人はもう袋の鼠だ」といった表現を見かけますね。それもストレートに犯人を追い詰めた状態を指します。しかし、追い詰められた鼠は時に信じられない力を発揮します、それが窮鼠猫を噛むです。このように鼠一匹とっても様々な言葉やことわざが存在します。正直に言うと、個人的には鼠に対する良いイメージはそれほどありません。そう思っている方も多いことでしょうが、鼠は警戒心が強く、学習能力の高い賢い生き物なのです。そう考えると多くのことわざが生まれることも納得できます。 袋の鼠以外にも同じような意味をもつ言葉はたくさんあります。 前門の虎、後門の狼 、少し意味は変わりますが籠の中の鳥といったように、生き物が題材となっているものがほとんどです。こう見ると鼠も狼や虎などの強いイメージを抱く動物と同列な生き物なのかもしれません。まぁ、袋の鼠と前門の虎、後門の狼では意味は同じですが、字面だけで捉えればまったく違うシチュエーションですがね… このように鼠一匹でも様々な言葉が生まれています。興味を持ったら色々と調べてみるのも楽しいかと思います。

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河豚は食いたし命は惜しし

【漢字】河豚は食いたし命は惜しし 【読み】ふぐはくいたしいのちはおしし 【意味】おいしいフグは食べたいが、毒に当たるのが恐ろしく、いい話ではあるが、危険を考えるとなかなか実行できない。 【例文1】そんなおいしい儲け話は、河豚は食いたし命は惜ししで怖いよ。 【例文2】ダイビングをしてみたいが、溺れるのも怖いし河豚は食いたし命は惜ししだ。 【例文3】持ち金を全部賭けたいが、河豚は食いたし命は惜しし。 河豚は食いたし命は惜ししとは、美味しい河豚は食べたいが、毒に当たって死ぬ恐れがあるので、命が惜しいということから、危険を伴う物事の実行をためらうことのたとえです。 人間が生きていく上では、このようなことは沢山あることでしょう。高い山に登ってみたいけれど、遭難するのは怖いとか、海に潜ってみたいけれど、流されてしまうのは怖いとか、自然相手の場合は特に考えてしまいます。また、仕事をしていく上においても、この契約を取れば自分の評価は上がるが、契約後の相手とのつきあいを考えると、辞めた方が良さそうだという事もあります。 さらに、とても素敵な男性を見かけて、恋に落ちたとします。ところが、その人には奥さんも子どももいました。 そこで、近寄るのはまずいかと諦めてしまいます。そのような場合も、河豚が素敵な男性で、命は自分の周囲全てのこととなります。 危険な所へは近づかないということなのです。そんな事を言っていては、何もできないと思う人もいることでしょう。もちろん行動全てに当てはめる必要はありませんが、心の片隅に、この言葉を置いていても良いのではないでしょうか。

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不倶戴天

【漢字】不倶戴天 【読み】ふぐたいてん 【意味】生かしておけないほどの恨みや怒りを持つ。 【例文1】殺傷事件の犯人に不倶戴天の恨みを持つ。 【例文2】被害者遺族が不倶戴天を抱く。 【例文3】不倶戴天で天罰が下る。 「盲亀の浮木か優曇華の花を待つこと久し、貴様の悪運もここに尽きはてた。積年の恨み今こそ果たす。観念して尋常に勝負しろ」 いきなり敵と言われて相手の人は困惑することしきりです。 (こいつ誰だったっけ。名前どころか顔も覚えが無いけれど、とりあえず挨拶しとくか) 「ええと、ひさしぶり。元気そうで何よりだ。今何しているの」 不倶戴天という言葉を聞いてもさしたる感慨も覚えず、使った記憶も国語の試験で答案に記入したくらいしかありません。 よくある仇討ちシーンでは、こんな風に使っていたかなあということで、オチもない小芝居が出来てしまいました。 相手を敵と恨んでいるほうは現在進行形で今尚憎んでいるのですが、恨みを買ったほうは遠い昔の出来事なので全く記憶がありません。 警察沙汰になるような犯罪行為であれば当の昔に処罰されてますが、些細な出来事であったり人間関係の不備であればそれに及ばす。 相手を不倶戴天の敵と認めたならば、自分か相手のどちらかがこの世からサヨナラしなければならない事態に発展しかねない。 妥協する余地など皆無なので言い訳などには全く聞く耳持たずに呪詛の如く恨み言を言い続ける。 実際に発生する事件としては限りなく可能性が低そうですが、完全に解決するのはかなり面倒なことになりそうです。 なので、予防方法として相手を恨んだり恨みを買うような状況が起きないように注意するしかないでしょう。 私は三国志が好きで、本や映画、ドラマなどを見る機会がよくあります。様々人物が登場する話で、それぞれに個性があり魅力的な部分を感じますが、中でも特に好きなのが曹操と諸葛亮孔明です。 諸葛亮の好きな点は、神の領域に達するほどのズバ抜けた才能や戦術などで、曹操の好きな点は戦術家であり行動力と人を集める力などに魅力も感じます。三国志を見ているとよく耳にするのが、不倶戴天の敵という言葉です。 袁紹と曹操の戦いの際に、曹操が不意打ちで袁紹の兵糧置き場の拠点を攻めた時、袁紹が不倶戴天の敵と言っていました。この言葉がよく使われるのが、周瑜と諸葛亮との話の時です。 周瑜も諸葛亮に並ぶくらい、天下の奇才と言われた人物ですが、諸葛亮の力を恐れ赤壁の戦いでは味方同士にも関わらず、命を狙う作戦を何度も仕掛けていきます。 しかし、諸葛亮は全てをかわし難を逃れていき、その都度周瑜は不倶戴天の敵と言っていました。三国志を見るまでは、不倶戴天という言葉はあまり耳にする機会はありませんでしたが、今では耳に残る言葉です。 普通の憎みや怒りなどを超越した気持ちを、言葉として最大限に表すにはこの言葉を使うのが、一番適しているのかなと三国志を見ることで学びました。

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覆水盆に返らず

【漢字】覆水盆に返らず 【読み】ふくすいぼんにかえらず 【意味】周の太公望に愛想尽かして出て行った妻が、復縁を求めて来たが、盆の水をこぼし、この水を元に戻せたら復縁に応じようと言って拒絶したという「拾遺記」の故事より、一度起こってしまったことは元には戻らないこと。 【例文1】来客用のお菓子を子どもが食べてしまった。覆水盆に返らず。 【例文2】お金のトラブルは覆水盆に返らずだ。 【例文3】一度ついた嘘が覆水盆に返らず。 覆水盆に返らずとは、一旦溢れた水は2度と盆に戻ることはできないという意味を指します。この諺は私の今までの恋愛において痛感するエピソードがありました。 過去に付き合った男性の中で、「身体の関係を持つことを除き、女友達と遊ぶことを許容できる女性とは付き合えない」という価値観の人がいました。当時は、その人のことが好きだったので彼の価値観を尊重し合意のもとで交際が始まりました。彼はルックスも良かったので非常に女性にモテており、交際中も、別の女性から食事の誘いが頻繁にあったり告白されたりしているようでした。最初は心中、嫉妬しながらも価値観を尊重したい一心で我慢していました。しかし、交際を始めて半年間が経過した頃、偶然、彼が別の女性と2人きりで遊んでいるところを繁華街で目撃してしまいました。ショックを受けたので翌日、「交際中にも関わらず何故、女性と2人きりで遊んでいたのか」と問い詰めてしまいました。その時は彼の価値観が私の頭の中から消え去っていました。すると、彼は「自分の価値観を理解してくれる女性と付き合うことは難しい、別れよう」と告げられました。それを聞いた時に、すぐに「ごめんなさい、あなたが女友達と遊んだりすることは許すから別れないでほしい」と私は涙ながらに伝えましたが、時は既に遅し、関係修復は不可能でした。1度相手に言った台詞は取り消せない&関係修復はできなかった点で、この状況はまさに「覆水盆に返らず」状態だったと思いました。 「覆水盆に返らず」とは、一度起きてしまったことは二度ともとには戻らないという意味のことわざです。このことわざには次のような由来があるのです。 中国の殷の時代の末期、かの名軍師として有名な太公望は、ある女性と結婚しました。しかし、そのとき太公望はまだ仕官をする前だったので、特に仕事をするわけでもなく、毎日本ばかり読んでいました。そのため、この女性は太公望に愛想を尽かし、離婚させられてしまいます。その後、太公望は武王に軍師として仕え、とても重宝されました。そして、武王はついに殷を滅ぼし、周という国を建国します。当然、多大な功績のあった太公望は、多くの褒美をもらい、斉という地域の管理を任されることになります。 さて、これを聞いた元妻の女性は太公望に復縁を申し出ます。そこで、太公望は水の入った盆を持ってきて床にこぼし、こう言ったのです。 「この水を盆に戻してみなさい」 当然、そんなことはできません。そして、次のように続けたのです。 「一度こぼれた水がもとの盆に戻ることは二度とない。それと同じで、私とお前の仲がもとに戻ることはない」 これが、「覆水盆に返らず」の由来です。 太公望の才能を見抜けなかったこの女性は残念でしたね。しかし、それにしても太公望はかっこいいですよね。

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複雑怪奇

【漢字】複雑怪奇 【読み】ふくざつかいき 【意味】内容が複雑で不可解である。 【例文1】心霊スポットで複雑怪奇な出来事に遭った。 【例文2】利用規約が複雑怪奇で見落としていた。 【例文3】高齢者には複雑怪奇で無理。 この世の中は複雑怪奇なことばかりです。 まったく理解不可能は難しい問題が山積しています。 これを理解しようとすればするほど、深みにはまっていってしまうかもしれません。 また、一つ理解できたとしても、さらにその先に難解な問題が待っています。 人間関係でも同じことが言えると思います。 人はどうしても自分と同じ価値観を相手に求めようとします。 人は誰ひとりとしてまったく同じ人はいないわけですから、違っていて当然です。 しかし、このことを忘れてしまい、自分の物差しで測ってしまうと、複雑怪奇なことばかりが目につくようになってしまいます。 世の中の多くが複雑怪奇なことばかりですが、だからこそ面白いのかもしれません。 自分では全く発想もしないようなことを、他の人は当たり前のようにやっています。 また、多数の人が感じている価値観から外れた考えを持っている人もいます。 中には自分には複雑怪奇で理解不能の場合もあるかもしれません。 私の場合はほとんどが複雑怪奇だと思っています。 しかし、一生の間にその中のいくつかでも少しずつ理解できるようになれば良いと思います。

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不帰の客となる

【漢字】不帰の客となる 【読み】ふきのきゃくとなる 【意味】帰らぬ人となる。死ぬ。 【例文1】旧友の不帰の客となる訃報に悲しむ。 【例文2】上司が突然不帰の客となる。 【例文3】交通事故で不帰の客となる。 「不帰の客となる」とは人の死を再びこの世に帰ってくることがないという間接的な言葉で表現しています。年齢を重ねるごとに結婚や出産などのおめでたい出来事を経験する機会も減り、悲しい出来事のお葬式を経験する機会が増えてきました。初めて参列したのは母方の曽祖父の葬儀でまだ小学校の低学年だったのであまりはっきりとは覚えていません。次に参列したのは小学校の高学年になった頃の祖父の葬儀です。曽祖父や祖父の葬儀はそんなに悲しい思いをした記憶は残っていません。 20歳になったばかりの時に同い年のいとこが交通事故で亡くなりました。小さい頃からよく一緒に遊んでいたのでとてもショックを受けたことを覚えています。20代後半には友人のお母さまが亡くなりまだお若いのにと驚き悲しい思いをしましたが、翌年には私の父がその翌年には別の友人のお父様と立て続けに不幸があり人の死は突然に訪れるものだと実感しました。私の父は心臓を患っていたのである程度の覚悟はしていましたが、友人たちは本当に突然に亡くなられてしまったのでどんなに悲しかったろうと思います。人は突然「不帰の客」になってしまうこともあります。だからこそ後悔しないよう充実した今日を過ごすことがとても大切なことだと思っています。

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不可抗力

【漢字】不可抗力 【読み】ふかこうりょく 【意味】地震・災害など人の力ではどうしようもできない。 【例文1】台風で庭の草花が枯れたのは不可抗力だ。 【例文2】地震で外壁が崩れ落ちたのは不可抗力だ。 【例文3】地震での不可抗力は仕方ない。 不可抗力は、人間の力ではどうすることもできない天災や、リスクとして考慮していたことに対して予測出来なかった自体のことを言います。 以前、東日本大震災において頻繁に使われた、想定外という言葉は、一種の不可抗力と言ってもよいと思います。 不可抗力という言葉はどちらかといえば、言い訳に過ぎないととらわれることもしばしばあります。 特に天災によって被害をもたらした場合です。 例えば水害については、堤防の構築や土壌改良により、川沿いに建物を建てることがありますが、一方で自治体のハザードマップに位置している場合には万が一の対策を考えるべきです。 例えば、避難訓練などがそれに当たると思います。いかに有事が発生した時の行動をしっかりとるかが重要なポイントであると思います。 ただ、最近のニュースにおいては、大水害が発生し、被害を受け、犠牲者を出してしまった場合の行政や企業の会見において、不可抗力という言葉や想定外という言葉が頻繁に使われます。 果たして不可抗力だったといえるのかどうかは、きちんと検証をした上で判断すべきであると思いますし、不可抗力という言葉を安易に使うべきではありません。 なんとなく、言い訳に聞こえてしまうのは、私だけかもしれません。

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不覚を取る

【漢字】不覚を取る 【読み】ふかくをとる 【意味】油断して失敗する。 【例文1】格下チームだからといって不覚を取らないように。 【例文2】対戦相手に不覚を取る。 【例文3】見た目で不覚を取る。 「不覚…」と言い残して斃れる達人剣士。 小説やマンガなどでもよく見かけられる光景ですが、大抵の場合は相手の使う技が奇天烈すぎる結果です。 それにも拘らず自分の覚悟の不十分さを敗因とするのは潔い天晴れな最期といえるでしょう。 対して粗忽者の「不覚を取る」は何の感慨も与えません。 未熟な人間が注意不足で失敗を連発したあげくに、「想定外の出来事でした」などと嘯くさまには怒りがこみ上げます。 しかも前もって注意・警告をしたのに、「大丈夫、まかせて」と余裕を見せながらの大失態には、ふざけるなの一言です。 後から見ても初見では誰でも避けられない失敗と、既知の失敗要因を抱え込んでの失敗では、当然ながらあつかいが違います。 不覚をとったと言う者は、失敗の責任は自分にあることを認めています。 想定外を使う方々は、「他の誰でも避けられない失敗だ。だから自分が責任を負う必要はない」を言外に、しかし必死に主張します。 責任者が責任回避に必死なのですから、見苦しいにも程があります。 失敗したら隠す・知らんふり・逃げる等の行為をとるのは、許しがたい恥知らずな振る舞いです。 潔く失敗の責任を認めることが、先々の信用につながる事をもっと理解して欲しいです。 もっとも会社どころか国が傾くほどの失敗では、先などあるべくもないのですが。

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笛吹けど(も)踊らず

【漢字】笛吹けど(も)踊らず 【読み】ふえふけどもおどらず 【意味】準備はあれこれ整えているけど、それに応じる人が誰もいない。 【例文1】広告も出しているが、商品が高額すぎて笛吹けど踊らず。 【例文2】フリマで大量の物を出品したが、笛吹けど踊らず。 【例文3】出店をしたいと言う割には売り子が笛吹けど踊らず。 笛吹けど踊らずとは準備は整っているが、それに応じて動く者がいないという意味です。悲しい事ですよね。張り切って準備しても他の人は無関心だったら・・ もうすぐ高校の文化祭が開催されます。文化祭の出し物の話し合いでまずリーダーを決めなければばなりません。 一人のクラスメイトが私を推薦したのです。 あれよあれよという間に私がクラスのリーダーにされてしまいました。 まあなったからには成功させるために私はあれこれ考えた末、焼きそば出店にしました。 みんなも楽しそうと賛成してくれました。そのためにクラスメイトに必要な指示を出しましたが、面倒くさがっている子もいました。私は経費をおさえるためにあちこち材料の調達に走りました。そして文化祭当日、売れ行きは好調でしたが、ライヴ時間になると客足が減ってきました。そのため半額以下で売りさばくしかありませんでした。結果採算は取れず、クラスから不満の声もちらほら聞こえました。もう二度とリーダーにはならないと誓った日でした。

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武運長久

【漢字】武運長久 【読み】ぶうんちょうきゅう 【意味】戦いにおいて好運が長く続くこと。 【例文1】大手企業の契約が次も取れるように武運長久を祈る。 【例文2】武運長久になるように新規の顧客を大事にする。 【例文3】信頼関係が武運長久の秘訣だ。 武運長久とは戦いに勝つという幸運が長く続くことです。 一回は運よく勝ててもそう長く続くものではありませんよね。 甲子園でプレーしている高校球児たちは毎日厳しい練習に耐えて実力があるチームだけが出場するのです。トーナメント方式で優勝候補と言われた常連校同士が戦っても必ずどちらかが敗退します。ほかの高校からすれば優勝候補と戦わなくて済んだと思うかもしれませんね。 わたしも高校時代、部活をしていた時は女性たちが黄色い声で応援してくれました。試合前になるとバスケットボールをかたちどったキーホルダーや背番号入りの刺繍を施したタオルや似顔絵付きのうちわを受け取ったものです。 部活を引退して受験に専念するために女性からの交際を断り続けました。 今思い返せばもったいない武運長久を逃したと後悔しますね。 大学を卒業して保険会社に就いて社会人の2年目になりました。 フレッシュな顔ぶりが利いているのか営業成績はまずまずです。 これからも武運長久が続きますようにお客様の身になって対応させていただきます。

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風林火山

【漢字】風林火山 【読み】ふうりんかざん 【意味】戦国大名・武田信玄の軍旗に記されたとされている戦いにおいての4つの心構え。風のように素早く動き、林のように静かに構え、火のように激しい勢いで攻撃し、山のようにどっしりと構えて動かない意を表す。物事に応じた動き方をいう。 【例文1】相手チームの動きは風林火山みたいだった。 【例文2】風林火山の横断幕を掲げる。 【例文3】風林火山のような動きで勝利する。 風林火山 疾きことこと風の如く、しずかなること林の如く、侵略すること火の如く、動かざること山の如し。 武田信玄の旗指物に書かれていたとされる有名な言葉です。 私はこの言葉を聞くと、いつも中学校の体育祭を思い出します。私が通っていた中学校では毎年体育祭全体のテーマや 各組のスローガンを決めていたのですが、その言葉に、この風林火山が使われることが多かったのです。 他にも疾風迅雷や電光石火、One for all,all for one など色々な格好良い言葉が使われています。合戦を連想するので体育祭に相応しく、応援合戦でも使いやすかったからだと思います。 中学生ともなると男の子は皆「かったりぃ」などと言って斜に構えていたものですが、このテーマを決める時だけは 皆一様に真剣に話し合っていました。当時はスマホなんてなかったので、私達は必死に格好良い言葉を辞書で探したり、 考えたりしていました。今にして思えば可愛かったな、とおもわず顔がほころびます。 同時に、騎馬戦で好きな男の子を必死で応援していた事や、友達と食べたお弁当の味、応援団に入ってドキドキしながら男子の学ランに袖を通した時の事を思い出します。

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夫婦喧嘩は犬も食わない

【漢字】夫婦喧嘩は犬も食わない 【読み】ふうふげんかはいぬもくわない 【意味】何でも食べる犬さえ見向きもしない様子から、夫婦喧嘩はつまらない事が原因だったりするから放っておいてもよい。 【例文1】夫婦喧嘩は犬も食わないから、すぐ仲直りするだろう。 【例文2】つまらない事での夫婦喧嘩は犬も食わないので放っておく。 【例文3】夫婦喧嘩は犬も食わないから心配ない。 私が子どもの頃、両親は事ある毎にケンカをしていました。 ケンカと言っても取るに足らない理由で、しかも口げんか程度です。 ある晩の事、父の帰りが遅い事を母がとがめ始めたのです。 すると父も黙ってはおらず、反論を繰り返しました。 そしたらどんどんケンカがエスカレートして、私は寝ている事が出来ず、両親のけんかの仲裁に入ったのです。 ですが「親のケンカに子どもが入って来るんじゃない」と言われ、私の言う事など全く聞きませんでした。 それからしばらくすると、二人とも言いたい事を言って気が済んだのか、ケンカは自然と終ってくれました。 またあるお休みの日の事、父が家でゴロゴロしていると、母が「邪魔だからどっかに言って」と言ったのです。 その言葉に切れた父が、「誰のおかげで飯が食えてるんだ」と反撃を返ししました。 またケンカがエスカレートしそうだったので、仲裁に入りました。 すると今度は矛先が私に向って来て、「養われてる身分で偉そうなことを言うんじゃない」と父が言って来たのです。 この言葉に私もカチンと来て、ケンカを止めるはずの私も一緒になってケンカの輪に入ってしまったのです。 口の悪い両親はこの後も事ある毎に夫婦喧嘩をしましたが、私は巻き込まれるのが嫌になり、夫婦喧嘩は犬も食わないという言葉を思い出し、ほっておくことにしました。 私の両親はとても仲が良く、家族仲も良いのですが、数年に一度、両親が喧嘩をします。そしてその喧嘩の理由が、第三者から見たら本当にくだらない理由です。どっちが先にやったとか、同じことを何回も聞いてきたとか、喧嘩するほどのことではないことばかりです。幼いころはその喧嘩にびっくりし、なんとかして早く機嫌を戻してもらうべく子供ながらにあれこれ対策を考えたものですが、大人になった今ではほっておくのが一番良いと理解しました。まさに夫婦喧嘩は犬も食わないということです。まず他人が介入したところでほとぼりが冷めるものでもありませんし、喧嘩の原因を作った本人たちが本人同士で解決するしか方法は無いのです。周りの人間ができることといえば、余計な火種を生まないよう、ひっそりと息をひそめておくことです。そうすればいつの間にか二人の喧嘩は収まり、元のようにすっかり仲直りしています。普段はとても仲が良く、お互いのことをとても大事にしている私の両親でさえ喧嘩することがあるのですから、どんな夫婦にも喧嘩はあると思います。むしろ喧嘩をすることで普段がまんしている意見を言い合い、絆が深まることもあるのではないでしょうか。だからこそ、第三者は余計な気を遣わず、何もしないことが一番の解決策であると私は考えます。 私の両親は昔からよく喧嘩しています。喧嘩のきっかけは本当に多岐にわたり、言った言わない論争、家を買う時一軒家かマンションか、夕食のメニューについてなど数えきれないほどあります。私の一番古い記憶の話ですが、ギャンブルのことで父と母が喧嘩をして父が食卓をひっくり返して家を出ていった時、最初私は夫婦喧嘩は犬も食わないという気持ちで知らんぷりをして過ごしていました。ところがまだ4歳くらいだった私は夜中に父がいなくなったことが不安でたまらなくなり、母に泣きついてついてきてもらい、真夜中に父を探しに行きました。真冬の寒い仲幼い私を連れてゆくあてもなく歩いて、母もどんなに反省したかと思います。結局父は公園でタバコを吸って頭を冷やしていたのですが、幼い私にとっては大好きな父を失う恐怖でしばらく声が出なくなったほどでした。最近では大人になって、両親が喧嘩していても完全に無視しています。喧嘩するほど仲が良いと言いますが、いつか片方が病気になったり亡くなったりした時にどうなることかと思うと今から頭が重いです。ちなみに祖父母もこのような感じですが、二人とも長生きです。喧嘩相手がいる方が、頭の体操になるし体力もつくのでいいかもしれません。

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風前の灯

【漢字】風前の灯 【読み】ふうぜんのともしび 【意味】風で灯りが消えてしまいそうな様子から今にも壊れそうな危険に陥る。 【例文1】ガソリンがない!ガソリンスタンドも見当たらない!まさに風前の灯だ。 【例文2】100前の古民家が風前の灯状態になる。 【例文3】20年前の車が風前の灯寸前だ。 風前の灯とは風が吹くと今にも灯りが消えてしまいそうなたとえを言います。 意味は今にも壊れそうな危機的状況に陥ることです。 私はテレビで家のリフォーム番組を見るのが好きです。 特に田舎の古いドでかい屋敷をリフォームしていく過程がなんともいえない味わいがたまりません。 芸能人のお嬢様、森泉さんは大工さながらの腕がよく別荘をリフォームしたりよそのお宅も要望に合わせた使いやすさに改造します。 お嬢様なのにあえて古い家を自腹で買って全面リフォームしていく過程は素晴らしいです。あれだけ荒れ果てた風前の灯の台所、水回りや壁が腐っていた箇所も見事に修繕していきます。タレント業より職人の方が向いているようでした。わたしも下手の横好きで廃棄寸前のカラーBOXのお化粧直しくらいなら出来ます。森泉さんみたいに何でもマルチにこなせるようになりたいです。 「風前の灯」という言葉をご存じでしょうか? あまり話し言葉で使われる表現ではないので、小説などの文章の中や、テレビのナレーションなどで、一度くらいは耳にした覚えがあるのではないでしょうか。 意味としては「非常に心許ない状態」や「儚い寿命」を示していて、同じような意味の言葉に「風の中の灯」「風前の灯燭」「風口の蝋燭」といったものがあります。ちなみに「空前の灯」というのは、よくある誤用です。 さて、「風前の灯」の言葉からイメージされるのは、どんな光景でしょうか? 最近では一般家庭に仏壇があってロウソクに火がともっている場面を見掛けることも減ったように思いますので、小さな炎といえばせいぜい、ライターの炎でしょうか? 喫煙者が減少していたり、電子タバコが局所で流行していたりするので、ライターでさえ馴染みがない人もいるかもしれませんね。より多くの人が日常で目にする火といえばガスコンロですが、風が吹いて消えてしまいそうなイメージとは程遠く、キャンプでバーベキューをする人くらいしか実感が湧かないかもしれません。そもそも、IHのクッキングヒーターが普及してきて、火を身近なものと感じない層も一定数は存在するでしょう。 ところで、よくよく考えてみると「風前」というのは奇妙な言葉のように思えませんか? 目に見えない、単なる空気との境界も定かではない「風」の前とは、どこになるのでしょう? イメージとしては、今まさに風が火に向かってきている場面か、風が吹けば消えそうな火だけど今はまだ吹いていない場面か、「風前」が示すのはいずれかのように思われます。ですが、この表現は誤っているわけではありません。「風前」を辞書で引いてみると「風の真正面」以外にも「風の当たる場所」という意味があり、「〇〇の影響を受ける場所=〇〇前」という古くから使われる日本語表現の一つなのです。 こうしたイメージだけは理解できるが実感を失いつつある言葉として、「風前の灯」という表現そのものが現代では風前の灯なのかもしれませんね。

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風樹の嘆

【漢字】風樹の嘆 【読み】ふうじゅのたん 【意味】風で揺れている樹木は葉を散らしたくないと思っても風がやまなければ思いどおりにいかないたとえから、亡くなってしまった親への嘆きをいう。 【例文1】風樹の嘆で後悔しても遅いから両親が元気なうちに親孝行しておくべきだ。 【例文2】年老いてきた父母を見て風樹の嘆の前に親孝行する。 【例文3】風樹の嘆を後悔し続ける。 「風樹の嘆」の「風樹」と一般的には風に揺れる樹木のことですが、ここでは死んだ親を思うことを指します。「親孝行をしようと思った時にはすでに親が亡くなっていて孝養を尽くすことのできない悲しみ、嘆き」という意味です。これは「韓詩外伝」に記されている句から生まれた言葉です。 「韓詩外伝」は漢の韓嬰が詩経の句で古事、古語を解釈した書物で全十巻です。外伝は残っていますが、おそらくセットであったはずの内伝は失われています。「孝行のしたい時には親は無し」とよく言われますが、漢の時代から既に古事として言い伝えられていたというのは驚きです。大昔からどこの国でも親不孝者がいたという証明ですね。これに学ばなければなりません。 親が存命中にはどうしても疎かにしがちなことですが、親が亡くなると「わが身の不孝が胸を衝く」ものなのです。石川啄木も「たわむれに母を背負ひてそのあまり 軽ろきに泣きて三歩歩まず」と詠んでいますが、親が生きている間に年老いた状況に気づければ、孝行の仕方を考え実行することもできますが、亡くなってからではその術すらありません。小林一茶も母のように慕った俳人織本花僑の三回忌に「亡き母や海見るたびに見るたびに」と詠んでいますが、「風樹の嘆」にくれなくても良いように親孝行をすることは、翻って自分のためなのです。 日本語には数多くの四字熟語が存在する。その中にはよく使われる言葉、耳慣れない言葉があるだろう。ここで紹介するのは「風樹の嘆」だ。その構成された言葉から言えば、風に揺られるせいで樹は静止できず留まれないことを嘆く、となる。そこから派生して、自分の親に孝行をしてやりたくとも、その親は既に亡くなっており、もうどうすることも出来ず、己は嘆く。こういった意味の四字熟語に触れると、なんとももどかしい想いに駆られる。後悔先に立たずの親孝行バージョンだと言えよう。少し意味から離れて、四字熟語って言葉が作り出す情景とそこから派生させる意味合いにかなり距離が感じられる事があるなあと思わされてならない。風に樹が揺らされることは日常的な光景だが、大多数の人はそれを見たって悲しみや虚無感を受けたりしないだろう。しかし、昔の人は情趣を解することに生き甲斐を感じたものだ。先述したが、抵抗する術のない樹に自分が置かれてしまったあて先の無い孝心をを結びつけ、思い通りにはならないという事を綺麗に表させるのだ。四字熟語を使いこなせるようになると、表現の幅が広がるだろう。私も、せっかく得ているこの言葉を無駄にせず、風樹の嘆をかこわないようにしたい。

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風光明媚

【漢字】風光明媚 【読み】ふうこうめいび 【意味】明媚とは美しい景色。合わせて、美しい自然の眺めや景色をいう。 【例文1】ここの島は風光明媚で観光客が賑わっている。 【例文2】風光明媚の景色を全国にアピールする。 【例文3】風光明媚の旅に癒される。 日本三景をご存知ですか?松島、天の橋立、厳島の三か所を指しますが、そこのように山水の景色が美しく人の心を引くことを「風光明媚」と言います。最近では不動産屋の広告に見かける言葉ですが、心惹かれる景色かどうかはご自身の目で確かめるのが一番です。松島も天の橋立も昔から風光明媚として知られていました。小倉百人一首に「ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは」という清原元輔の歌と「大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立」という小式部内侍の歌が載っています。末の松山の歌は「約束しましたよね、互いに別れの涙で濡れた袖を絞りながら、末の松山を波が越すことのないように、私たちの愛も永遠に変わらないと」という意味の恋歌です。これは東日本大震災の後、津波が松山を越さなかったことから、小倉百人一首が編纂される以前にも同規模の地震による大津波があり、昔の人はその時の様子を語り継ぎ、京都にいたであろう清原元輔が詠んだのではないかと、俄かに注目されました。今度は私たちが継承しなくてはなりませんね。天の橋立の歌は紫式部の娘であった彼女が、からかわれた時に「大江山、生野の道は遠いのでまだ天の橋立も、歌がかかれた母の手紙もみていませんよ」と抗議をした歌です。この二つの名所は日本の海流と地質が長い年月かけて作り上げた景色です。厳島はもともと景色の良い場所に極楽浄土を見た平清盛が神社を建立したことで、仕上がった景色です。成り立ちは違えど日本三景として日本人が守っていきたい「風光明媚」な場所であることに間違いありません。

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風雲急を告げる

【漢字】風雲急を告げる 【読み】ふううんきゅうをつげる 【意味】今にも大きな激動が起こりそうな状況。 【例文1】九州は地震がないと思っていたが、熊本の地震で風雲急を告げやしないか不安になる。 【例文2】売り上げが落ちて店長の機嫌が悪く、今日の朝礼は風雲急を告げそうだ。 【例文3】売り上げが落ち込んで会社経営が風雲急を告げる。 昔の人々は、自然から渡される情報によっていろいろなことを判断していました。雷が良く落ちる時期に稲が実を結ぶことから、雷のことを稲妻と呼んでいたという話は有名ですね。現代であれば、稲作に適した時期であるとか、田植えしてからどれくらいの時間が経ったか、といったマニュアルのようなものが存在しますが、当時はそういったものが無かったために個人の、特に人生の先達である老人の見立てに従っていました。特に空の動きは様々な情報を与えており、雲の動きや星の動きなどでその年の運勢や個人の動向も見ていたようです。 風雲急を告げるとは、そうして得られた情報から緊迫した状況であると判断を下した際に使われます。風や雲が語りかけてくる、というのはなかなかロマンチックではありますね。ところで、この言葉の正しい読み方はご存知ですか? 句読点が打たれていないので一瞬わからないかもしれません。正解は、「風雲、急を告げる」です。風雲急まで一息に声に出してしまう人をよく見ますが、本来の意味から考えると一つ手前で区切らないといけなくなります。といっても、風雲急という語感は非常に語呂の良い言葉です。いわゆる声に出して読みたい、というヤツですので一息に口に出してしまうのもわかるというものですね。 安定した生活スタイルが好きな自分ですが、まさか海外で仕事をすることになるとは思ってもみませんでした。海外と言ってもお隣の中国ですが、こんなに近く、同じアジア人で、共通する文化もたくさんあるはずなのに改めて外国なんだな、と感じます。国交が正常化してたくさんの人が日本、中国間を行き来するようになり、お互いのことを徐々に知ることができるようになってきました。それでもお互いにどうしても拭えない感情というのがあることにも気づかされます。日中間の関係は私たち庶民の生活にも大きな影響を及ぼします。中国で仕事をするためのビザが取得しにくくなったり、現地で心ない言葉を聞き傷ついたり、安全のために日本人であることをなるべく知られないように気をつけるストレスは相当大きなものです。数年前に起きた抗日活動の時にはまさにそれを身にしみて感じました。それ以来何か問題の発端となりそうなニュースを耳にするたびに、風雲急を告げる国家間の動きを敏感に感じるようになりました。今は中国にいる韓国人が肩身の狭い思いをしています。日本にいる中国人や韓国人もきっと大変な思いをしながら生活をされていることでしょう。 同じ人間どうし庶民はみんな平和に暮らしたいと思っていますが、根深い偏見のためにその実現が難しくなっています。そうした偏見を克服してだれもが安定した生活を送れる社会になることを願ってやみません。

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